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遡行としての調べ-或るオルガニストの企てⅡ [本の事、批評など 雑文]

 西洋的価値観を主旋律とする近代国家としての日本と、古来からこの国に存在した旋律を主調とする歴史的国家としての日本の、齟齬をきたすことのない統合によって、云わば近・現代日本を生きる我々の拠点を確立しておきたいと云う欲求は、今だにこの社会のあらゆる分野の中で続けられている苦闘のように拙生には思われます。もっと云えば、これは日本に限ることなく、帝国主義の時代以降に西洋の文化や技術を享受した、或いは受け容れざるを得なかった国家が共通に持った課題であったし、今に至っても座りの良い結論を得ない儘、社会の基底部に刺さった棘のように疼く課題であり続けているものであろうと思われるのであります。
 こう云った文脈の中で酒井多賀志先生の作品を聞いてみると、先生が日本の童謡に魅かれ、しかしその童謡が西洋的楽譜の既定を逃れていないことから、古謡と伝統楽器である尺八や箏との合奏に歩を進められ、もっとこのテーマを遡ろうとされて、奄美島唄との協奏によってより源日本的な(それは弥生的なものから縄文的なものへと云えるのかも知れません)風景へ回帰を試みられている軌跡であろうかと愚考するのであります。完全音程を主体とする作曲及び演奏活動から童謡を主題にした活動、そして日本古謡、奄美島唄へと進まれる先生の足跡は、オルガンと云う西洋楽器を日本の風土に自然な形で溶けこませ、到達点として日本の楽器化する作業のように拙生には思われるのであります。
 神話学の吉田敦彦氏が『日本神話の源流』(講談社現代新書)と云う著書の中で、日本文化は「吹溜りの文化」であることを紹介されておられます。北方ユーラシアの狩猟民文化、西方の馬の飼育を特徴とする所謂騎馬民族の文化、それにインドを起源とする南西アジアからの農耕・漁労民の文化、そして南太平洋からインドネシア、フィリピンを経由して黒潮の流れに乗って伝播した文化が、日本列島に吹溜り、独特の固有の文化として醸されたとする説であります。この南太平洋ルートを酒井多賀志先生の足跡の中に嵌めてみると、先生の活動がこのルートを遡行されているような印象を持つのであります。日本の風土に、日本の文化に、日本人に回帰し、次にその源流に向かって歩を進める旅を想定するなら、先生は今奄美大島まで遡られたのであります。この先沖縄、フィリピンと辿られて遂にはインドネシアへとその足は向かわざるを得ないのであります。つまり、拙生のケチャックの夢も強ち的外れではないわけであります。それに其処が到達点ではありません。もっと其の先、メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアへと遡行の旅は続くのであります。
 いやまあ、これは拙生の推論の勝手で無責任な飛躍であります。先生にはご迷惑な話かも知れません。マンドリンとオルガンの協奏を収めたCD『Fantasy』の中で「アジア的なもの、バロック的なもの、現代的なものを、すべて現在という立場で等価にとらえ、構成した」と先生は述べておられますが、つまりはこの境地が先生の目指されるところでありましょう。過度に日本的なものに拘るのでもなく、窮屈に足跡を整合させるのでもなく、云わば先生のあの笑顔のようにおおらかに総てのものを調和させようと云うのが、先生の姿勢の実際であるのでしょう。拙生はそんな酒井多賀志先生の曲を、勝手な推論や憶測を交えながらも、これからも歓喜をもって聞き続けるのであります。それに第一、オルガンをミクロネシアまで運んで行って演奏するのは骨でありますから。
(了)
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