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遡行としての調べ-或るオルガニストの企てⅠ [本の事、批評など 雑文]

 先日、扶桑を代表するオルガン奏者の酒井多賀志先生から最新のCD『アイザック・スターンホールの須藤オルガン』をいただいたのでありました。宮崎県立芸術劇場にある須藤宏氏制作による巨大なパイプ・オルガンを駆使して、酒井多賀志先生がバッハの曲や自ら作曲された日本の童謡をテーマとした曲、八重山民謡をオルガンで展開した曲が収められたCDであります。夜、布団に入って、この中の「イントロダクションとフーガ ハ長調(新世紀21)」と云う先生の作曲された作品を聞きながら眠ったら、どうしたものかインドネシアのバリ島で見たケチャック・ダンスの夢を見たのでありました。それはこの曲が拙生の頭の隅で蹲っていた、嘗て強烈な印象を持ったケチャックの急変するテンポや意表を突く変調や、猿の鳴き声を恍惚状態で合唱するその迫力の記憶を、どう云う回路でかは判じかねますが微妙に刺激したからに他ならない故でありましょう。
 酒井多賀志先生はバッハをはじめ古典から現代までの幅広い演奏で高い評価を得ておられる演奏家であり作曲家でいらっしゃいます。同時に大学教授であり、カトリック教会のオルガニストでもあり、電子オルガンを軽自動車のバンに積んで演奏に日本各地を回られる、精力的なオルガンの伝道者でもいらっしゃいます。温厚な語り口がとてもチャーミングであり、オルガンへの直向きな愛情を熱く語られる方であり、職業柄肩と背中が異常に凝っていらっしゃる方であり、休日には何時も一人で高尾山に登っておられる方であり、買い物をしてお釣りの小銭をズボンのポケットに無造作に押しこんで、それが貯まりに貯まってポケットが何時もパンパンに膨らんでおられる方であり、煩雑な事務仕事に悩ましい表情をされる方であり、服装に無頓着で履いている左右の靴下の色が違っていても恬としておられる、達人の風格がゆかしく香る方でいらっしゃいます。拙生は先生から何時も、気持ちの平穏と、同時に創作的な刺激をいただいているのであります。
 先生は、勿論西洋古典音楽の忠実で創造的な再現者であると同時に、東の果ての国に生まれたオルガンと云う西洋楽器の演奏者として、その自分のレーゾン・デートルに何時も忠実たらんとされているように拙生には見えるのであります。先生自ら『流離/SASURAI』と云うCDの解説の中で「祈りの次元で音楽活動を続けてゆくことが、今の私の存在の意義だと思っております」と書かれておられます。これは当然キリスト者としての先生の音楽に対する関わり方の根底の思想に違いないのでありますが、しかしそれと同時にこの東の果ての国に生を受けた避け難い宿命に対しても、先生の視線は常にそれを正面から生真面目に捉えようとされているようにお見受けいたしします。先生の作品にはよく日本の童謡であるとか古謡等がテーマとして取りあげられます。日本人のオルガニストであると云う所与の条件に対して忠実であろうとされる先生の視線の生真面目さが、こう云った音楽活動の展開を不可避に引き寄せたものと拙生は思うのであります。それは例えば作家の遠藤周作氏の主要テーマ等と通じているのかも知れません。
 西洋的なものと日本的なものの齟齬をきたすことのない統合と云う主題は、日本が近代化の道を歩みはじめて以来、芸術の分野に限らず多くの先人たちが苦闘してきた主題とも云えます。それは弁証法的な統合を目指したものもあれば、道教的な達観として虚無的並列的に矛盾をも破綻をもそのままに引き受けようとした態度もあったでありましょう。
(続)
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