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合気道の武器技についてⅡ [合気道の事など 1 雑文]

 上位の武器に対する下位の武器による対峙及び制圧の術を「技」と呼び得るものとしましたが、同等の武器による対峙、制圧もあり得ます。この域に於いても充分「技」と云う概念が成り立つものであります。剣道やなぎなた等の試合はこの線に立って成立しているものであると云えます。
 同等或いは不利の状況下で如何にその前提を突破するかと思考され、試行され、会得されたものを「技」と云うなら、先に述べた徒手の延長としての武器の演武であっても、少なくともそれをはっきり明示出来るように行うか、或いは同等が下位の武器を以てする武器対武器の演武の中でそれを表現する方が如何様妥当な演武であろうと思えます。そうでないと合気道の武器による「技」を表現したことにはならないでありましょう。
 また、かなり重い斤量で稽古上でも演武の場合でも考慮しておかねばならないと思われるのは、当身技に於いてもそうでありますが、剣を使うことを専らにする武道、杖を使うことを専らにする武道等、合気道以外の武道への畏怖であります。そう云った諸専門武道は自分達の修錬する武道の術理研究の長い試行錯誤の歴史を有しており、そこで行われている「技」が、一合気道家が片手間にあしらい得るような生易しい「技」ではないと云うことであります。
 徒手も行えば剣も操るし杖も振るし短刀の操作もこなすと云う汎用武道としての合気道は、総ての武器が徒手と同じ術理によって操作可能なのだとして、総てに熟達出来ると考えるのは、あまりに短絡的で楽観的に過ぎます。一つでもその域に達するには長い厳しい稽古が必要であることは言を待ちません。一つが出来れば後は応用と云い切れるのは長い修錬の末に達人の域に到達した、ほんの一握りの方々の「感慨」でありましょう。お手軽に徒手の術理を以ってなんでも御座れと胸を張っても、実は全てが諸専門武道の足元にも及ばない中途半端な「武技」でしかない可能性もあるわけであります。合気道の武器技が合気道稽古者の中だけでしか通用しないのであれば、多の中の一である合気道の武器技が、諸武道に対して誇れるような到達点を獲得しているとは云い難いでありましょう。
 ですから我々合気道を修錬する者が武器技を稽古する上で心しておかなければならないのは、それが合気道の術理の応用が可能であり妥当と云える「技」であるのかと云うことと、諸専門武道の武器技に対して充分拮抗出来るかと云う客観性であります。少なくともこれを保障出来る域に達して初めて演武として公に出来るものではないでしょうか。
 さて、にも関わらず剣や杖の稽古は、合気道上達に資するものがあるとここに表明するのであります。それは剣や杖を振る、伸筋を主にする筋肉の使い方にあると思うのであります。この筋肉の使い方は合気道の投げ技や捌く体の動かし方に共通するものがあると実感出来ます。また剣や杖が振り下ろされる、或いは突き出されるのを一寸の間隔で入り身し、此方の剣や杖を相手の眉間に突きつけるような稽古は、体捌きを鋭利に磨く助けとなるでありましょう。また相手の剣や杖の起こりを捉えて先を取る稽古も、此方の動きの発動を錬る上で素手の稽古よりは鋭い感覚を養成出来るでありましょう。こう云った鍛錬上の意味に於いて武器技の稽古が合気道の修練に資するわけで、引いては剣や杖の専門武道に見劣りしない鋭敏な操方をも修得することになると思うのであります。
(了)
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