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再び、合気道の当身についてⅠ [合気道の事など 1 雑文]

 以前の文章で合気道の当身を「虚当」「仮当」「本当」と云う三つに分類致しましたが、もう一度その区分を記してみます。
 まず「虚当」でありますが、これは当てるぞと云う此方の意図を相手に伝えるのが目的であり、相手の意識を其方に誘導することによって、その意識から離れたその身体部位に虚を作り出すためのものであります。よって実際に当てる必要はないものであります。「仮当」は相手に決定的なダメージを与えないで、しかし実際に当てることによって相手の身体の崩れを誘発する目的で発動されるものであります。云わば「虚当」は、相手の気持ちの崩れを誘うものであり「仮当」は、相手の体の崩れを誘うものであると云うことが出来るでありましょう。「本当」は、その一打によって相手を制するための当身であります。また「本当」は当の威力をもって相手を昏倒させるだけではなく、例えば目や喉を突く或いは金的を蹴ると云うことならさほどのパワーを必要とはしませんから、その当身によって相手が戦闘不能に陥れば、それも一応「本当」の内とします。云うまでもなく、相手の「死」をもってその終結とするような時代ではないのでありますから。
 この三種は適時に発動されるものであって、一連の捌きのこの局面では「虚当」を使い、この局面では「仮当」を使用するなどと、捌きの中の局面毎に規定されているものではありません。同じ局面であっても「虚当」も使用出来るし「仮当」を打つ場合もあるのであります。場合によっては「本当」を用いるしかないこともあるでしょうし、それは相手の力量との相対的な緊張関係に依るのであります。
 ここで「本当」について述べておけば、合気道が一般的に「投げる」「抑える」を技の完結形態とする武道である以上、当身によって相手を制圧することは、その本義からも妥当な完了を導き出したとは云えないでありましょう。ですから「本当」を以て相手を制することが出来たとしても、それは合気道を修錬する者としての制圧をかち取ったことにはならないかも知れません。こう云う表現はあまり好まないのでありますが、つまり合気道の美意識に反するのではないかと思うのであります。
 ですから合気道技の完結形態である「投げる」「抑える」を完了するための補助として当身を規定するなら、それは「虚当」「仮当」の使用比重が殆どであろうかと考えます。ただあらゆる場合、万が一の場合を考慮するなら「本当」の修錬も必要であろうかとは思われます。それに「本当」の意識をもって当身を錬らなければ有効な「虚当」「仮当」も創れないのかも知れません。
 当身に使用する身体部位は手だけでも正拳、平拳、一本拳、裏拳、手刀、掌底、貫手、背刀、猿臂等があり、この他にも散手、熊手等様々な種類があります。足も主なものだけでも足底、足刀、背足、爪先、踵、脛、膝があり、また頭突き、肩当等を含めると身体のあらゆる部位が使用出来ることになります。そう云えば塩田剛三先生が背後から抱きつきに来た相手を、触れた背の一突きで弾き飛ばす場面等を思い起こします。しかし主に合気道で使用されるのは正拳、裏拳、手刀、掌底、猿臂、足底、背足、膝程度をその使用部位としますが、正拳が平拳や一本拳や貫手に、裏拳が散手等に変化出来ることは敢えて申し述べるまでもないでありましょう。
(続)
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