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あの時の珍客はⅠ [時々の随想など 雑文]

 拙生の生まれた街は扶桑の西の外れにある佐世保と云う処であります。それまで鄙びた漁村であったのが、明治になって海軍鎮守府が置かれて俄かに軍港として開け、爾来主に造船と軍の街として今日に至っております。先の戦争の後も米軍が駐留し、後に自衛隊も置かれて、特にベトナム戦争の頃はアメリカ軍兵士の姿が街のあちらこちらで目に留まりました。今もポパイのような水兵姿はあまり目にしなくなったものの、米海軍に所属すると思しき大柄の外国人が早朝、まるで求道僧のような表情で歩道をジョギングする姿やら、海上自衛隊の歳若い隊員が隊服を着て、繁華街を足早に歩いている姿をしばしば見かけるのであります。やはりこの街は軍人とは切っても切れない縁のある処であります。特にアメリカ海軍の存在感は圧倒的と云ってもいいくらいのものでありました。
 今は高速道路工事のため別の地に移転したそうでありますが、九州文化学園と云う、バレーボールでやや有名になった女子高、短期大学があります。拙生は遠い昔にここの付属幼稚園に通っておったのでありますが、嘗てのこの幼稚園は米軍キャンプに隣接していて、敷地すぐ横にある古くて段差が不揃いな長い階段を降る途中で、日本の集落姿とは思えぬ、アメリカのテレビドラマに出てきそうな、塀のない植え込みで囲ったばかりの広い芝生の庭と、その真ん中に建つ白いペンキ塗りの、まるでグラバー邸のような造りの洋館が整然と並ぶ一画が、木の間越しに眼下に望めるのでありました。芝生の庭にはこれもよくテレビドラマで見る赤や青色をした玩具のトレーラーやら大人のゴルフバッグ等が、無造作に放置されていたりするのであります。随分長く拙生はこの一画は、日本有数の大金持ち達が集まって来て住んでいる場所であると信じていたのでありますが、勿論そんなものではなく、米海軍の将校住宅地であったのであります。高い金網のフェンスで囲まれていて、日本人は侵入不可でありました。
 拙生の通った中学校も米軍キャンプのすぐ横で、裏の高台に蒲鉾兵舎やら、幼稚園横の将校住宅ほど豪勢ではなかったものの、米軍の家族住宅がいくつも建っておりました。そんなとんでもないことがあるわけはないのでありますが、金網を超えてそこへ侵入すると機関銃の一斉射撃を受けると云う噂が、まことしやかに中学生の間で囁かれておりました。
 放課後のクラブ活動では拙生は体操部に所属していたのでありますが、キャンプに住む小学校低学年くらいのアメリカ人の坊主二人が、金網を越えて中学校の体育館に無断で遊びに来たことがありました。生憎と云うべきか好都合にと云うべきか、顧問の先生はおらず部員だけで練習をしていたのでありました。またその日は他の運動部がたまたま体育館を使用してはおらず、我々体操部が独占使用いしていたのでありました。
 彼等はにこにこしながら鉄棒の横に来て、拙生等の練習を可愛らしい顔して驚嘆と好奇の目で見ています。逆手車輪をして見せると歓声などあげてくれるのであります。我々はこの予期せぬ珍客をどう扱っていいのか判らず、出て行けとも云えずにまごまごするのみでありました。
(続)
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