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養神館と合気会の差異Ⅵ [合気道の事など 1 雑文]

 西尾先生ご自身は、柔道、空手、居合、杖道等も修められてたと云うことですので、合気道で体を練る稽古を積まれてはおられずとも、例えば柔道で強固な足腰をつくられ、空手で強靭な体軸を磨かれておられるはずであります。その体をもって触れ合う一瞬に半歩の入り身の理合を実現されたのであります。またそれをもって剣の動き、または杖の動きと可能性を敷衍されたものでありましょう。ですから西尾先生の触れ合う一瞬の理合を追い求めるなら、体を錬る鍛錬を避けることは出来ないと考えるのであります。勿論単に筋力をあげると云う風な体の鍛錬ではないことは、あえて云うまでもないことであります。
 一方、養神館合気道の場合は構え及び基本的な所作、基本動作と云う体を錬る鍛錬が重要な稽古として確立しており、これをもって身体各部位の動きと力を一つに纏める端緒がすでに開かれているのでありますから、その到達点を明確に意識してこれを行うことが肝要であろうかと思われます。こうして磨いた体をもって軸足を動かすことなく先に述べた第二段階としての「地稽古」を繰り返します。動きに慣れたら次第により速く、より強く技を行うと云う稽古の流れになるでありましょう。同時により速くより強くの段階で、強固な線と同時に手首の返しや後ろ足の張り、前足の膝の使い方等の細かい技術を学ぶのであります。その後に今度はすれ違いの捌きを修錬していくこととなります。体軸の動揺が起こらない一足或いは半足の捌きであります。ここまできてようやく自由技の稽古の意義が出てくるものと考えます。
 こうして書いてくると養神館と合気会の差異そのものが(それは技術と云う側面でのことでありますが)今後どのような推移をしていくのかが、おぼろげに見えてくるような気がしてくるのであります。つまり合気会の技は「入り身一足」を磨くために、相手のある相対稽古の前の段階で、体を錬るための単独稽古が取り入れられてくるのではないでしょうか。合気道に力など要らない、などと大雑把なことを云いながら、相変わらず超能力を夢見るような稽古では多の中の一武道である合気道が、その武道としての精度を上げることは不可能であろうと思われます。合気道に力など要らないのではなく、合気道に「余計」な力など要らないのであって、必要な力はあるのだと思います。
 そうして養神館合気道の場合は「地稽古」の段階でこと足れりと勘違いしていれば、やはり武道としての精度の上昇は望めないのではないでしょうか。一足或いは半足のすれ違いを磨くために、段階としていきなり速い技の稽古に行かず、ゆっくりとした体の乱れのない「合わせ」の稽古が先ずあって、その後にこれも「地稽古」の場合と同じように次第に速く強くの稽古に進む方が、結果として理に適った稽古となるのではないでしょうか。
 養神館と合気会の差異はどちらに擦り寄るともなく、稽古法にしても技そのものにしても段々となくなっていくのであろうと思います。遠い先かも知れませんがこうして差異がなくなってしまえば、別々の流儀として在る必要もなくなるのではないでしょうか。ま、稽古法や技の面においてのみのことではあります、と一応断りを入れておきます。
 未熟者のくせして身のほど知らずに、なにやら大そうなことを述べておるとお叱りもあるでしょうが、拙生の未熟故の畏れを知らない粗忽さと寛容にご容赦ください。また養神館合気道と云ってもそれは現在の養神館本体だけのことではなく、そこから分かれた流派も含めて塩田剛三先生の遺された養神館合気道を稽古する総ての会派を指すのであること、合気会と云っても総ての合気会各派を指すのではなく、拙生の知っているごく限られた会派を指しているのであることを、これも一応お断りさせていただきます。また養神館、合気会以外の流派についてはとりあえず述べませんでしたが、その辺までカバーしようとすると膨大な字数になることを恐れたと云うだけで、他意はなにもないのであります。
(了)
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