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合気道は「優雅な舞」か [合気道の事など 1 雑文]

 これは随分前に当時の養神館本部道場で出されていた「養神」という、単色刷り数ページの季刊誌に投稿した文章であります。

 合気道は他のどの武道よりも、対する相手の力をいかに効果的に処理するかに、多大な思考と方法を有する武道であります。ですからその動きは、あたかも「優雅な舞」のように、相手の攻撃線のすぐ脇を滑るように捌き、瞬時に、そして捌き続けることによって常時に相手に対して絶対的に有利な位置関係を確保しようとします。
 勿論どのような局面にあっても「絶対的に有利な位置関係を確保」出来るようになるためには、それこそ数十年単位の真摯な修錬の堆積が絶対必要であることは言を待ちません。はたまた数十年を費やしたとしても、必ず出来るようになるとも限りません。
 ところで、ああでもないこうでもないと野暮ったく、基本が第一と、かなり地味に、不器用に基本技の稽古に精を出す身であってみれば、どこが「優雅な舞」か、というところではありましょう。また、武道とはそんな甘っちょろいものじゃないとの反論もあるでしょう。しかしこの「優雅な舞」と云う言葉は、表層的ではあるにしろ、比喩としてよく合気道の動きの印象を語っていると思います。
 瞬間ひらりと相手の猛撃を捌き、涼しげな顔をしておもむろに手を差し出せば、相手は崩れて地にへたりこむなどと云う「技」を、合気道を修錬している者であれば、一度は実現したいものであります。当然これは、在りし日の館長先生(塩田剛三先生)のあの美しい動きをイメージしているのであります。厳つく相手と対峙するのではなく、あくまでも静かに「優雅な舞」のごとく動いて、しかし必ず相手を制する。あの館長先生の動きこそ、合気道のもつ優美さそのものであり、見る者をして感動すら抱かせる極致のものであると思うのであります。
 さてそれではこの出来るか出来ないかの優美さを、何時の日か我がものとするを期して、いつものごとく野暮ったく、地味で不器用な稽古に励むといたしましょう。

 この文章を書いてから随分と時間が経ちましたが、まだ野暮です。ちっともうまくならないのはまことにもって困ったことであります。
(了)
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