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あなたのとりこ 6 創作 ブログトップ

あなたのとりこ 151 [あなたのとりこ 6 創作]

「確かにそう云うところはあるか」
 山尾主任はしかつめ顔で頷くのでありました。
「でも、土師尾営業部長を差し置いて先ず片久那制作部長を取り囲んだら、土師尾営業部長の事だからそれも面白くないんじゃないかな」
 均目さんが言葉を挟むのでありました。「なかなか嫉妬深いですからね。実質は別にして体裁上は自分が社長に次ぐナンバーツーだと手前勝手に思っているんだろうし、それを無視して片久那制作部長の方に全員集まれば、自尊心を傷付けられるだろうな」
「会社経営の定見も手腕も無くて、何かと云うと片久那制作部長におんぶに抱っこなんだから、自分をナンバーツーだとお目出度く勘違いしている方が間抜けなのよ」
 那間裕子女史が手厳しい事を云うのでありました。
「でもあの人の嫉妬心は性質が悪いよ。ねちねちと執拗に報復されそうだ」
「こっちが本気で怒れば、根が小心者だからたじろいですぐ腰砕けになるわよ」
「でも、先ずは土師尾盛業部長に不満をぶつけるのが筋だろうな。と云う事で、・・・」
 山尾主任が那間裕子女史と均目さんが繰り広げる土師尾営業部長の人物鑑定に待ったをかけるのでありました。「具体的に、どんな抗議の仕方をするのが良いんだろう?」
「さっき、皆で取り囲むとか云っていたよね?」
 袁満さんが均目さんの方を見るのでありました。
「そうですね。ボーナス袋の中の明細表を確認して、二か月分を切っていたらすぐに全員で土師尾営業部長の席に集まって、取り囲んで、こんな額じゃ飲めないと文句を云う」
 均目さんはボーナス袋を机に叩きつける真似をするのでありました。
「誰が抗議の口火を切るの?」
 那間裕子女史が隣の均目さんの方に顔を向けるのでありました。
「それはこの中で一番年季の古い山尾さんと云うのが順当なところでしょうね」
 均目さんは那間裕子女史ではなく山尾主任の方に目を向けるのでありました。まあ、心根の中ではそうなるだろうと予想はしていたのであろうけれど、自分の名前が出たので山尾主任は驚いたような顔を均目さんに向けて、自分を指差して見せるのでありました。
「年季と云っても高々五年とちょっとで、那間さんより一年早いだけだよ」
 山尾主任は一応躊躇いを見せるのでありました。
「でも、一番古いと云うのは事実だもの。それに一番年嵩だし」
 那間裕子女史は山尾主任の躊躇いに一瞥もくれないのでありました。判っていたくせに勿体ぶって一応そんな真似をして見せているのだろうと云う読みでありましょう。
「それに主任と云う肩書きもあって、この中では一番偉いんだしね」
 袁満さんが冗談めかした云い方をするのでありました。
「じゃあ、判ったよ。そう云う事なら俺が先ず口を開くよ」
 山尾主任は不承々々に同意するのでありました。「こんな額じゃ到底年が越せないじゃないかって云うんだな、最初に俺が」
 山尾主任はやけに古風な云い草を口先に上せるのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 152 [あなたのとりこ 6 創作]

「年が越せない、なんてそんな古めかしい云い方は芝居の紋切り型の科白で、あたし達の切羽詰まった心情をリアルに表せていないわよ」
 那間裕子女史が眉根を寄せて舌打ちするのでありました。
「確かに、本当に年を越せないかと云うと、そうでもないし」
 均目さんが同調するのでありました。「今時のサラリーマンの、総収入の中に占める可処分所得の割合から見ても、リアリティーに欠ける大袈裟過ぎる云い方だな」
「何だい、可処分所得って?」
 袁満さんが困惑顔で均目さんに訊くのでありました。
「生きていくのに絶対必要な、食う分とか寝る場所とか最小限の衣服とかにかかる費用を総収入から差し引いた自由に遣える所得の事です。経済学で出て来る用語ですよ」
「ふうん、ちいとも知らなかった。俺、大学は経済学部だけど。まあでも、俺の出た三流大学では俺の不真面目もあるけど、そんな難しい言葉なんか教えてくれなかったかな」
 袁満さんは屈託無さそうに笑うのでありました。「しかし俺は年中ピーピー云っていて、年が越せない、とか云う言葉にも結構リアリティーを感じるけどなあ」
「そんな事も無いでしょうけど」
 均目さんが苦笑いを返すのでありました。「因みに袁満さんは貯蓄がありますか?」
「うん。まあ、恥ずかしいくらいの少額だけど」
「本とか雑誌とか、それから袁満さんはお酒とか購入しますか?」
「そうね、時々エッチな雑誌とか買うね。それに俺は甘党だから酒よりもチョコレートやら饅頭やらはちょいちょい買うけどね。この前友人にゴディバのチョコレートを貰って初めて食ったけど、あれは甘くて上手かったなあ。均目君は食った事ある?」
「いやまあ、ゴジラだかゴディバだかのチョコレートの話しはこの際脇に置くとして、つまり食う事と寝る場所、それに最低限の衣服に掛かる費用に収入の総てをつぎ込んで全く余りも出ない、と云う状態ではないんですよね?」
「そりゃそうだ。テレビも持っているし洗濯機もある。少し高いオーディオセットもこの前買ったし、偶には映画も見に行ったりもする。至って文化的な生活をしているよ」
「それに聞くところに依ると、若い女の子が大勢居る変な酒場なんかにも結構足繁く出入りする、と云う噂も俺の耳に届いていますよ」
「そんな事云いふらすのは屹度日比さん辺りだろうけど、まあ、偶には行く」
 袁満さんの、そんな事を抜け々々とほざくニヤニヤ笑いを一瞥して、那間裕子女史が露骨に嫌な顔をしてソッポを向くのでありました。
「要するに、そう云うお金があるんだから、年も越せない、とか云う時代劇の科白みたいなのはリアリティーが無いと云う事ですよ」
「ふうん、そう云うものかな」
 袁満さんは一応納得するのでありました。その二人の遣り取りを聞きながら随分長々しい可処分所得の説明だったなと、頑治さんは少しげんなりするのでありました。
「俺が年を越せないと云ったのは本当にそんな科白を吐く心算で云ったんじゃないよ」
(続)
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あなたのとりこ 153 [あなたのとりこ 6 創作]

 山尾主任が不興気に呟くのでありました。「均目君はどんな云い方をすれば、俺達の心情が上手く向うに伝わると思うんだい?」
「そうですねえ、・・・」
 均目さんは腕組みして片方の手指で自分の顎を撫でながら暫し考える風の顔をするのでありました。ここでようやく、話しは本筋に帰って来たようであります。

 均目さんは少し体を前に乗り出すのでありました。
「ボーナスも生活給の一部として予め見込んでいる訳だから、それが無いとなると生活に支障をきたす、とかはどうです?」
「それも、年が越せない、と云うのと訴えに於いて、然して変わらない気がするわね」
 那間裕子女史が首を傾げるのでありました。
「じゃあ、ボーナスが少ないと俺達の士気に関わるぞ、と云うのは?」
「それ、脅しになる?」
 那間裕子女史が先程よりもう少し大きく首を傾げるのでありました。「それなら夏のボーナスに向けて、もっと奮起しろと云われたらそれ迄のような気がするけど」
「その奮起する意気込みのためにも、冬のボーナスをもう少し奮発してくれ、と訴えている訳だよ、この科白の謂わんとするところは」
「要するに、さっきの可処分所得の領域で出せ出せないの話しをしても、結局こちらには切迫感が無いんじゃないかしら。当面無い袖は振れないし、精々仕事に励んで夏のボーナスを楽しみにしていろと云われて、それでもう言葉に窮するような気がするのよ」
「まあ確かに、あれこれ文句を云い募ってもそれは夏のボーナスの時に考慮する、と押し切られてそれでお仕舞いと云う感じもするか」
 山尾主任が口を挟むのでありました。
「あたし達の単なる不満表明に終わって、それで増額があるとは思えないわね」
 那間裕子女史は、今度はさっき傾げたのと同じ振幅程度で項垂れるのでありました。
「なら結局、ボーナスが出ない事、出ても少額である事に甘んじるしかないと云う事で話しは終わるなあ。態々今日集まった我々の結論がそれで良いのかねえ」
 均目さんが鼻を鳴らすのでありました。
「こうなりゃ、ストライキでもやるか」
 山尾主任が云うと袁満さんが怯んで及び腰を見せるのでありました。
「え、ストライキ、ですか。・・・」
「労働者の権利だ」
 山尾主任は袁満さんの顔に少し強い眼光を向けるのでありました。
「しかしストライキを打つならそのための、例えば労働組合か何かの我々の参集軸が無いと、単なる個々人のサボタージュと云う意味しか持たなくなるんじゃないかな。そうなるとその分、賃金から差し引かれてそれではいお仕舞い、と云う無意味な行動で終わる」
 均目さんが瞑目して首を傾げながら山尾主任の意見に疑問を呈するのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 154 [あなたのとりこ 6 創作]

「文句は付けるけど、それでもボーナスの増額は結局無いと云う事かしらね」
 那間裕子女史が溜息を吐くのでありました
「俺達が待遇に大人しく従うだけじゃないと云うところを見せるのも、今後の事を考えると無意味ではないように思うけど」
 山尾主任が云うのでありましたが、そう云うところを見ると山尾主任もこの暮れのボーナスの支給、或いは増額を実は殆ど諦めていると云うところでありましょうか。
「結局、腹いせをするだけか」
 均目さんが皮肉っぽい云い草をするのでありました。
「腹いせでも、やるだけの事はあると思うよ、今後の事を考えると」
 山尾主任が少し悲壮な顔でそう云い募るのでありましたが、その、今後の事、と云うのが頑治さんには今一つ茫洋としてよく判らないのでありました。
「やるだけの事はある、と云うのは、自分達が従順なだけの従業員ではないと向こうに思われる事に依って、今後のボーナス支給や賃金の面でこちらの意を多少は向こうが酌むようになる、と云う点を期待しておっしゃっているんですかね?」
 殆ど言葉を発しなかった頑治さんが云うと皆の視線が集まるのでありました。
「まあ、そうかな」
「でも、何だかんだと文句は云うけど、結局従うしか術の無い連中だと、返って向こうに甘く見られて終わる可能性もあるんじゃないですかね」
「それはそうね、確かに」
 那間裕子女史が即座に頷くのでありました。「抗議するなら、向こうの決定をほんの少しでも変更させなければ、唐目君の云う通り、逆に侮られるだけかも知れないわ。文句は付けるけど始めから変更を期待しないと云うのは、感傷的な一種の敗北主義ね」
「じゃあ、どうするのが良いと那間さんは思うの?」
 山尾主任は自分の考えが敗北主義と云われたのが気に障ったのか、それとも感傷的と云われた方により強く反発したのか、やや興奮した口調で云い返すのでありました。
「それを話し合うためにこうして集まっているんでしょう」
 那間裕子女史も対抗上尖った口調になるのでありました。
「まあまあ、二人共もう少しクールに」
 均目さんが双方を宥めるように、両手を胸の前に挙げて掌で前を小さく何度か押すような仕草をするのでありました。「ここで紛糾したら話しが前に進まない」
 しかしながら紛糾しなくとも、この場での話し合いは前には進まないように頑治さんには思えるのでありました。策に於いては全く手詰まりと云う観でありますか。
 どだいボーナスの支給に文句を云えるような社内の空気はこれ迄造成されてはいなかったのでありましょうし、抑々待遇に対して文句を付けるような局面も今迄は発生しなかったのでありましょう。あれこれ不満はあったとしてもそれを社長や両部長に臆せず、且つものぐさがらずにぶつけるような意気も、云い包められないだけの自信も、或いは前提として両部長に劣らないだけの仕事上の実績も社員の間には無かったのでありましょう。
(続)
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あなたのとりこ 155 [あなたのとりこ 6 創作]

 それがここに来て怒りに任せて急に会社と対峙するような術等、従業員の誰もが持ち合わせている筈が無いのであります。精々不満表明するのが関の山でありましょう。それも個々でやるには荷が重いから皆で肩を寄せ合って声を併せて、と云う具合に。
「話しが壁にぶつかったようだし、今日はここまでとしますか」
 均目さんが主に山尾主任に向かって提案するのでありました。「ボーナス支給無しなら当然として、額が二か月を切っても取り敢えず抗議のために土師尾営業部長を取り囲む、と云うところ迄は何となく決まったようだし」
「ボーナス支給日まで後三日しかないのに、そんな大筋だけが決まっても具体的な抗議の仕方が何も決まらないと云うので大丈夫かしらね」
 那間裕子女史が懐疑的な事をものすのでありました。
「今日家に帰ってから少しクールに、夫々が策を考えて後日持ち寄ると云うところ迄しか今日はもう、話しが前に進まないでしょう。ここであれこれ話すにはこの後の時間がかかり過ぎると思うし、それじゃこの店も迷惑だろうし、それに腹も減ったし」
 均目さんはそう云って自分の腹を擦って見せるのでありました。
「支給日迄の三日間は会合を重ねないといけないと思うけど、袁満君は明日と明後日は出張に行っていた分の代休を取るとか云っていたんだよね?」
 山尾主任が袁満さんの方を見るのでありました。そう云う口ぶりから察すると、山尾主任もここ迄で今日はお開きとするのに反対と云う事ではなさそうであります。
「そうですね。若し何なら俺抜きで今後の話しを進めて貰って構わないですよ。ボーナス支給日当日は、俺は決まった事に従いますから」
「そんな訳にはいかないわよ」
 那間裕子女史が袁満さんのこの、一種横着にも聞こえる発言を咎めるような目付きをするのでありました。「俺はもう知らないから後はよろしくって云っているのと同じじゃないの、そう云う事を云うのは。それはちょっと無責任だと思わない?」
「ああいや、俺はそんな心算で云ったんじゃないのですけど」
 袁満さんはたじろいで慌てて両手を横にせわしなく振るのでありました。
「袁満君、代休は後にずらせないかな?」
 山尾主任がそう云うと那間裕子女史も均目さんも、それから頑治さんも一斉に袁満さんの顔に視線を釘付けるのでありました。
「そう云う事なら、明日も明後日もちょっと昼間に外せない用があるから、若し話し合いがあるようなら、夕方その時間に顔を出しますよ」
 袁満さんはおどおどと譲歩するのでありました。その様子が、何となく気の毒なように頑治さんには見えるのでありました。
「じゃあ、申し訳無いけどそうしてくれるか」
 山尾主任が頷くのでありました。袁満さんは大いに不満がありそうな面持ちをして、山尾主任の方に目を向けずに俯きがちに頷き返すのでありました。
「明日また仕事が終わったらこの喫茶店に集まると云う事で良いかな?」
(続)
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あなたのとりこ 156 [あなたのとりこ 6 創作]

 山尾主任が皆を見回しながらそう続けると夫々は個々に頷くのでありました。その頷き方は一様に袁満さんと同じで陰鬱気でありましたか。

 喫茶店を出ると山尾主任は地下鉄丸ノ内線で、それに袁満さんは神保町駅まで歩いて戻って都営三田線で帰宅の途に就くのでありました。頑治さんと均目さんと那間裕子女史の三人は、那間裕子女史の提案で前に行った新宿のバーでちょっと飲みながら腹拵えをすると云う事で何となく一決して、西口改札から駅構内に入るのでありました。
「頼り無いったらありゃしないわね、山尾さんは」
 那間裕子女史はバーの四人掛けの席に落ち着いて、ジントニックで唇を湿らせながらぼやくのでありました。「何が、今後のため、よ」
 隣の椅子に座る頑治さんはミックスピザの一片を取ろうとして、自分に話し掛けられたのかと思って、手の動きを止めて那間裕子女史の顔を見るのでありました。
「確かに、今後のため、とか嫌に綺麗に締め括られてもなあ」
 那間裕子女史の向いに座る均目さんが同調するのでありました。
「この暮れのボーナスの確保とか増額なんて事、山尾さんは本当は始めから諦めているのかしらね。今度のボーナスはありませんと云われてそれを納得したり、微々たる額を支給されても結局その儘受け取ったりしたら、要するに全く向こうの思う壺じゃない。そんなんじゃあ今後のためにも何もなる訳が無いわよ。そう思わない、唐目君?」
 那間裕子女史は頑治さんの太腿を軽く叩きながら云うのでありました。嫌に狎れ々々しい仕草だと頑治さんは思うのでありましたが、酒豪の筈の那間裕子女史にしては未だ酔うにはちと早過ぎると云うものでありましょうか。
 しかもそうやって頑治さんの太腿の上に置いた手を、那間裕子女史はなかなか離そうとしないのでありました。これは一体どういう了見なのでありましょうか。向かいに座っている均目さんもその女史の手が気になっているらしく、頑治さんの太腿の上に載せられた女史の手甲をそれとなく窺い見ているようでありました。
「那間さんは何か案があるのですか?」
 頑治さんはなるべく、何となく不自然に自分に触れた儘の那間裕子女史の掌を気にしないような素振りで、横の女史の方に顔を向けるのでありました。
「そう改まって訊かれるとあたしにも妙案は無いんだけどさ」
 那間裕子女史はそう云いながら口元に手を添えてあっけらかんと笑うのでありました。その口元に添えるために動かした手が頑治さんの太腿の上の手であったから、そこでようやく頑治さんの太腿は那間裕子女史の手の重量から解放されるのでありました。
「まあ、対応としては難しいよなあ。そんな事今迄無かったんだから」
 均目さんの視線もここでようやく頑治さんの太腿から離れるのでありました。
「でも、あたしは大人しくボーナス無しの宣言に頷いたり、微々たる額を受け取ったりなんかしないわね。突っ返して再考してくれと云って会社を出て行くわ」
「那間さんならやりかねないかな」
(続)
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あなたのとりこ 157 [あなたのとりこ 6 創作]

 均目さんが笑うのでありました。
「ウダウダと出るとか出ないなんてところをあれこれ話していないで、支給額が二か月を切っていたら一斉にボーナス袋を土師尾さんに叩き返して会社を出て行くって、そうはっきり決めておけば、それで今日の話し合いは済んだ筈よ。何も明日また会社帰りに集まる必要なんて無かったのよ。そうは思わない、唐目君?」
 那間裕子女史の手が再び頑治さんの太腿の上に載るのでありました。ズボンを通してその掌がさっきより熱を帯びているように頑治さんには感じられるのでありました。
「でも、ボーナスを叩き返して会社を出て行った後はどうするの?」
 均目さんが訊くのでありましたが、その目も再び、目立たないようにではありますが、頑治さんの太腿の上の那間裕子女史の手の甲に向くのでありました。
「別にどうもしないわよ。その儘家に帰るだけよ」
「ふうん。後の事は考えていないと云う事ね」
「不満をきっぱり表明するだけよ。それから次の日は普通通り会社に来て、普通通り仕事をするだけ。何か物欲しそうに振る舞うより、その方が向こうをたじろがせるには効果的だと思うわ。たじろがせれば向こうも色々考えるわよ。ねえ、唐目君」
 那間裕子女史は頑治さんの太腿の上の手で、軽くそこを叩いて見せるのでありました。それは賛同を求めるための動作のようでありました。
 しかしそんなように同意を求められてもおいそれとは首肯出来ないように思えたから、頑治さんは頷かないで、少し冷えを籠めた笑い顔を向けるのでありました。
「向こうも色々考えて、次の日は増額して再度出してくる、と云う読み?」
 均目さんが那間裕子女史と頑治さんの視線の交差に割り込むのでありました。
「そうね。そうなれば御の字ね」
「そう上手くいくかな。そんなに甘くはないと思うよ」
 均目さんは懐疑的な意を表するためか椅子の背凭れに身を引くのでありました。「そんな不穏な真似をされたら、土師尾営業部長の事だから逆に怒り心頭に発して、ボーナスなんか要らないんだなと陰湿に開き直るかも知れないよ」
「怒りか動揺かは知らないけど、まあ、対抗上大いにひねくれるでしょうね」
 那間裕子女史はその時の童顔の土師尾営業部長が、興奮して赤くなってまるで臍を曲げた子供のような顔になるのを想像したのか、冷笑を漏らすのでありました。
「それに片久那制作部長も、そんな高飛車な態度に俺達が出たら怒るだろう」
「でも、片久那さんはボーナス支給派でしょう」
「幾らボーナス支給派でも、俺達の挑戦的な態度にはムッとするさ」
「別にムッとしても構わないじゃない」
「何かそうなると、制作部の雰囲気が次の日から一挙に悪くなるのは億劫だな」
「片久那さんが不機嫌になるのが均目君は怖いの?」
 那間裕子女史は少し軽蔑するような目を均目さんに向けるのでありました。
「だってそうなると、ボーナス支給派を降りるかも知れないじゃないか」
(続)
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