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お前の番だ! 15 創作 ブログトップ

お前の番だ! 421 [お前の番だ! 15 創作]

 この興堂流の、第一回道分興堂杯争奪自由組手選手権大会、には招待状等も来なかったので総本部からは誰も行かないし、ほとんど無視と云う風でありましたか。若し招待状でも来たなら、足は運ばないまでも総本部として花を贈るくらいの愛想はせざるを得ず、そうなればそれはそれで、その花を貰ったと云う実績を、どう使うかは別として、興堂流にとっては何かしらの利用可能な材料を得る事にもなったでありましょうに。
 その辺のしたたかさはないようでありますから、若しプロデューサー的な何者かがついているとしても、その手腕は殊更大袈裟に注意すべきとするに足らずと云うところでありましょうか。政界の寝業師と呼ばれる会長にしたところで、先読みの効く気配りなんぞはしないのかしらと、万太郎は余計な心配等を竟、して仕舞うのでありました。
 総本部の主立つ者は誰も行かないのでありましたが、門下生の何人かは好奇心から会場に足を運んだようでありました。旧興堂派から移って来た宇津利もその一人で、同じく鞍替え組の仲間と様子を見に行って、それを万太郎に報告してくれるのでありました。
「まあ、支部に強制動員をかけたからでしょうが、先ず々々盛会、と云う体裁は整っていました。と云っても一般の観客は少なくて、門下生やその係累等が殆どでしょうが」
 宇津利はそう云って万太郎にその折貰ったパンフレットを見せるのでありましたが、コート紙にカラー印刷で、伴表紙のB五判二十四頁を中綴じにした中々立派なパンフレットでありました。表紙には興堂範士の在りし日の写真が印刷してあるのでありました。
「出場選手はどのくらいだったのだろう?」
 万太郎はパンフレットをパラパラと捲りながら訊くのでありました。
「開会式での会長の挨拶でも触れていましたが、百名余との事でした。各支部から三人ずつ出せば、そのくらいにはなるでしょうね」
「それがトーナメント形式で試合をやるわけか」
「そうです。三分間戦って原則一本勝ちで勝敗が決まると云う事でしたが、・・・」
 宇津利はパンフレットにも記述してある試合ルールを説明するのでありました。
「でしたが、・・・何だい?」
「何と云うのか、殆どはどつく蹴るの勝負で、投げ技なんか先ずありませんでしたね」
「まあ、試合となると、大方そうなるだろうな」
「それに出場選手は興堂流の門下生だけではなく、他武道他流派の参加もOKと云う触れこみでしたから、主に実戦空手系の選手でしょうが、何人か参加していましたよ」
「へえ。何処かの団体がやっているオープントーナメント、と云う感じかな」
「ま、それを真似たのでしょうがね。しかしそのルールと云うのが、・・・」
 宇津利はそう云って苦笑して見せるのでありました。万太郎は宇津利とその後幾らか話をして、宇津利の申し出でパンフレットを貰ってから話しを切上げるのでありました。
 万太郎は宇津利の他に、興堂流の大会を見に行ったと云う何人かの門下生からも、それ程積極的にと云う風ではないにしろ、あれこれ情報を得るのでありました。万太郎だけではなく花司馬教士も堂下も、そえにあゆみまでもが、夫々の興味の方向や度合いの強弱はあるにしろ、その大会の情報を仕入れているようでありました。
(続)
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お前の番だ! 422 [お前の番だ! 15 創作]

 この頃総本部では日曜日の総ての稽古が終わった後で、是路総士以下指導部のメンバーで食事をする慣わしが何時からか定着しているのでありました。この席で各指導員の次週のスケジュールの確認や、各曜日の指導技の決定、その他準内弟子連中の評定、何か特に提起する事項があった場合はその話しあい等がなされるのでありました。
 師範控えの間に総勢七人が集合するのでありましたが、座卓一つでは頭を寄せ集めきれないので、母屋から小ぶりの円卓が持ちこまれて、そこには堂下と花司馬教士が座を取るのでありました。万太郎は堂下と伴に円卓に座る心算でありましたが、序列を尊ぶ花司馬教士に座卓の方に追い立てられたので、何時もそこの一番末席に座るのでありました。
「花司馬のところの一人息子はぼちぼち学校に上がる歳だろう?」
 寄敷範士が取り寄せた寿司を口に運びながら、花司馬教士に訊くのでありました。
「押忍。来年から小学生です」
「ああもう、そんな歳になるか」
 是路総士が鳥枝範士から猪口に酒を受けながら云うのでありました。
「この前道場に遊びに来ていましたよ」
 あゆみが鳥枝範士に酌をするために徳利を取り上げて云うのでありました。
「ああ、道場の廊下から中を覗いていたので、内弟子控え室に連れて行って、あゆみさんと、それにジョージと山田が色々遊んでやっていましたね」
 万太郎が隣のあゆみの猪口に酒を注ぎ入れるのでありました。
「小学生になったらぼちぼち稽古をやらせてみようかと思っております」
 花司馬教士が堂下に酒を注いでやるのでありました。堂下は大いに恐縮した態でその酌を猪口に受けるのでありました。
「へえ、それは楽しみですね。もし稽古するようなら、あたしがつきっ切りで面倒を見ますよ。剣ちゃんは眉がきりっとしていて、そこがまた可愛いですよね」
 あゆみが云うと花司馬教士は嬉しそうな顔をするのでありました。この、剣ちゃん、と云うのが花司馬教士の息子の愛称で正しくは、花司馬剣士郎、と云う名前であります。
「行く々々は内弟子に取って貰おうと思っておりますが」
「おい花司馬、もうそんな事まで考えているのか?」
 寄敷範士が花司馬教士のせっかちを笑うのでありました。
「こればっかりは、本人がその気にならなければどう仕様もない。それにその気になるかならないかが判るまでに、未だ相当の年月が経たなければならんがなあ」
 是路総士も笑うのでありました。
「今の内から道場に来させていれば、自然に自分は総本部の内弟子になるものと思いこむだろうと云う父親の計略です。ま、上手くゆけば、と云う事ですが」
「目出度く将来内弟子になるとしたら、剣ちゃんは来間の弟弟子になるわけだ」
 万太郎が云うと、来間は口に入れた酒を思わず吹き出しそうになるのでありました。
「ああそうですね。それじゃあ来間君、よろしく頼みますと今から云っておきます」
 花司馬教士はしごく真面目に来間にお辞儀するのでありました。
(続)
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お前の番だ! 423 [お前の番だ! 15 創作]

 来間はその花司馬教士の態度に慌ててお辞儀を返すのでありました。これで花司馬教士の来間に対するずっと将来の挨拶万端が、今から調ったわけであります。
「ところで、この前開催された興堂流の、何とか選手権、と云うのはどういう有様だったのかな。鳥枝さん、佐栗理事辺りから何か聞いているかい?」
 寄敷範士が鳥枝範士に一献差しながら訊くのでありました。
「まあ、それなりに人は集まったようだな。しかし支部に動員をかけた分が集まったと云うだけで、一般人の観客な少なかったようだよ」
「乱稽古の選手権試合、と云う趣旨だったのだろう?」
「興堂流では乱稽古と云わずに、自由組手と云っているらしい」
「何やら空手みたいだな」
「支部に出場者を予め割りふって、百人くらい選手を集めて体裁を整えたという話しだ」
 この辺までは万太郎の仕入れた情報と符合するのでありました。
「その出場選手ですが、どうやら出場料を取られたようですよ」
 花司馬教士がそんな情報を披露するのでありました。
「出場料を払って、有難く試合に出させて貰った、と云うわけか?」
 寄敷範士がそう云ってから猪口を空けたので、万太郎はすぐに徳利を取って酒を注ぎ差すのでありました。出場料の話しは、万太郎は今初めて聞くのでありました。
「出場料ばかりか、見に来た客から観覧料も取ったと云う話しだ」
 鳥枝範士が後を引き取るのでありました。
「有料と云うのなら、それは一般の観客は来ないだろうな。空手の極真会館とか合気道の或る団体みたいに世間に一定の知名度があるわけじゃないからなあ、興堂流は」
「そう。寄敷さんの推察通りで、無謀と云えば無謀な試みだな、観覧料を取ると云うのは。だから案の定、一般は殆ど興味を示さなかった。色々宣伝は打ったようだが」
「各支部には、観覧人数の割り当て迄あったと聞いています」
 花司馬教士が補足するのでありました。
「支部も良い迷惑だな、それは」
 寄敷範士は呆れ顔を作って花司馬教士を見るのでありました。
「支部毎に、販売する観覧チケット枚数のノルマが決められたらしいです」
「それは、何処かの売れない劇団とかの販売手口を真似たのだろうなあ」
「まあ、そんな了見でしょう」
「つまり売れなかった分は、支部が被ることになるわけだ」
「支部も、そんな厚かましい要求をよく黙って呑んだものだと思います」
「あまり強引な事をしていると、またぞろ離脱するところが出るんじゃないか?」
 寄敷範士がそう云いながら鉄火巻きを箸で摘むのでありました。
「しかし会長のお達しであるとか、今頃総本部の方へ移ろうとしても既に時宜を逸しているから断られるだけで、それに若しそんな真似をすれば興堂流からも破門とするからその心算でいろ、とか云う威治の脅し紛いが利いているから従うしかないと云う話しだ」
(続)
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お前の番だ! 424 [お前の番だ! 15 創作]

 鳥枝範士が事情を紹介するのでありました。
「寄らば大樹の陰、と云う辺りを狡賢く利用しているわけだ。まあ、今となってはそんなに大樹でもなさそうだけれどなあ、興堂流は」
「それに威治宗家の言は明らかに間違っていて、来たいと云うのなら、総本部としては今からでも受け入れるのに別に何も吝かではないですから」
 万太郎が口を挟むのでありました。
「要するに自立出来る支部は疾うに自立して、移籍すると決めた支部は疾うに移籍したのだから、今の興堂流には、自立するには力不足で、それに移籍すると決断するにはその覚悟もない、要するに頼りない弱小支部ばかりが残っていると云う事だろう」
 寄敷範士が口の端に皮肉な笑いを湛えるのでありました。
「その支部の弱みにつけこんで、威治が金を搾り取っていると云う構図だな」
 鳥枝範士が手に持った猪口をグイと空けるのでありました。
「ところでその選手権大会での試合そのものは、どんな風だったのかしら?」
 あゆみが話題を少しずらすのでありました。
「投げ技なんか殆どない、突き蹴りばかりの、まるで空手の試合のようだったと云う話しです。指が自在に動かせる、手甲をガードするようなグローブを嵌めて試合するのですが、防具はそれだけで、顔面や胴は素の儘だし脛当も使用しないそうです」
 今まで殆ど言を発する事のなかった来間が解説するのでありました。
「それは益々、或る空手会派の試合のようだな」
 これも今まであまり発言がなかった是路総士が、そう感想を述べるのでありました。
「それにルールが色々小難しかったようです」
 花司馬教士が来間の発言の後を引き取るのでありました。「顔面への打撃はダメだとか、下腹部への攻撃も不可、寝技も原則的になし、関節技は、順は良いが逆はダメとか」
 関節技の、順、とは関節の自然に曲がる方向に力を加える事、逆、とは曲がらない方向に曲げようとする事であります。常勝流の技にも色々な部位の関節技はあって、その解説等にこの、順、逆、と云う言葉を使用する場合もあるのでありました。
「元々投げ技や固め技で勝負が決まると云う臆断はなかったようで、突き蹴りに関するルールがあれこれ細かく決められていたようです」
 来間が花司馬教士の言に補足するのでありました。
「それでは常勝流では全くないな」
 寄敷範士は顔を顰めて見せるのでありました。
「投げや固めに熟達していない者が試合うと、往々にして突き蹴り勝負になる。これは突き蹴りと云うのは技の仕組みが簡素で、見た目も強弱が明快だからだろうな。常勝流でも体術よりも剣術の方に、そう云う要素が結構ありはするな」
 是路総士が云うのでありました。
「興堂流には空手の経歴を持つ指導員もいれば、柔道の経歴を持つ指導員もいると聞いていたが、そこでは柔道派は影が薄かったと云う事か?」
(続)
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お前の番だ! 425 [お前の番だ! 15 創作]

 寄敷範士がそんな疑問を呈するのでありました。
「柔道の試合は組んでから始まるので、突き蹴りが試合に持ちこまれると、なかなかその特性を発揮出来ないだろうと思われます。それに寝技も制限されていたようですし」
 来間がそう解説するのでありました。
「組形の見事さを競う、と云う競技の発想はなかったのかな?」
 是路総士が来間に問うのでありました。
「いや、そのような事は思いもつかなかったでしょう」
 鳥枝範士が代わりに応えるのでありました。「第一、威治を始めとして組形の見事さを判定できる者が興堂流には誰もいないでしょうし」
「ああそうですか。で、それなら興堂流宗家である威治君自身は、その選手権大会とやらで、役回りとしては審判か何かをしたのでしょうかな?」
 是路総士が花司馬教士の方に目線を遣りながら訊くのでありました。
「いえ、大会委員長と云う名目で、会長と一緒に本部席で座っていただけだそうです。まあ、最後に宗家演武と云う事で板場と堂下を相手に組形演武を披露したようですが」
「まさか選手として試合に出て恥を曝すわけも行かず、審判を務めるような能もないから、本郡席にふんぞり返っているしか芸がなかったのでしょうな。最後に組形演武をしたのは、取ってつけたようではあるものの宗家としての威厳を示すためでしょうかな」
 鳥枝範士がそう云って鼻を鳴らすのでありました。
「横着者で億劫がりで、しかも見栄っ張りの仕事はないでしょうな、そのような大会では。本部席に祭り上げられてちやほやされているしか、確かに出来る事はなさそうだ」
 寄敷範士もなかなか手厳しいのでありました。
「それから、試合ルールが手前味噌過ぎた、と云う批判があります」
 花司馬教士が少し話しの舳先を変えるのでありまいた。「顔面への打撃とか下腹部への打撃がダメなのは判りますが、ボクシングで云うクリンチみたいな状況になると、そこでも打撃を繰り出してはダメだったそうです」
「それじゃあ組みあって仕舞うと、後はどう推移するのだ?」
 寄敷範士が不思議そうな顔をするのでありました。
「強引に投げるか、組あった儘両者が倒れるかですね。それからブレイクと云う事になるのでしょう。寝技は制限されていますから」
「要するにクリンチすれば打撃を蒙る危険はなくて、倒れこんだらその後に、柔道の関節技とか絞め技にも推移しないと云うわけだな」
「そうですね」
「つまり柔道や空手とかの異種格闘技の連中の参加を呼びかけながら、そう云う連中の得意とする試合展開を封じる、自派に好都合なルールと云うのだな?」
「まあ、興堂流の大会であるのに、興堂流の門下でもないヤツに優勝を攫われないための予防と云うわけだ。ま、そう云う手練手管は、良く常套手段として使われはするか」
 鳥枝範士がまたも皮肉な笑いを頬に浮かべるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 426 [お前の番だ! 15 創作]

「まあ、曲がりなりにも、と云う云い方は威治君に失礼かも知れんが、そうやって常勝流とは全くの別物として自立した事になろうから、我々としては今後の興堂流の展開を見守るしかないな。興堂流が新しい武道として立派に立つ事が出来れば、地下の道分さんも、色々複雑な表情ではあろうけれど、そんなに不機嫌な顔色はしないだろう」
 是路総士がそう云って猪口の酒を干すのでありました。
「いやあ、屹度苦虫を噛み潰したような表情をされている事でしょう。総士先生は温厚に今後の興堂流の推移を見守ると云われますが、常勝流の本道から見れば邪道に走ったとしか見えません。道分先生は興堂派がそうなる事を望まれてはいなかったでしょう」
 鳥枝範士は辛口に徹するのでありました。確かにこの場に在る者総ては、実は是路総士をも含めて、興堂流の未来に肯定的な臆断をする者は一人も居ないのでありました。

 道場の休みである月曜日の昼に、花司馬教士の長男坊である剣士郎君の誕生日祝いをするのでと、万太郎とあゆみは花司馬教士の家に呼ばれるのでありました。総本部では稽古に狎れが持ちこまれる事を避けるために、門人同士が必要以上に個人的に親しくする事を慎む風習があるのでありましたが、堅苦しいばかりではなく偶に睦むのは構わんだろうと云う是路総士の許諾もあったので、万太郎とあゆみは揃って出かけるのでありました。
 花司馬教士の家は道場から歩いて数分の、四階建ての和室二間とダイニングキッチンと云う間取りのアパートで、仙川駅を挟んで道場とは反対側の甲州街道に面した一角にあるのでありました。万太郎とあゆみは並んで、万太郎が剣士郎君の誕生祝である子供用の稽古着を持って、駅前商店街から続く線路を跨ぐ橋の上をゆるゆる歩くのでありました。
「剣ちゃんはすっかり、道場の準内弟子連中に懐いていますよね」
 万太郎は横のあゆみに話しかけるのでありました。
「そうね。その中でも一番のお気に入りはジョージみたいよ。ジョージが剣ちゃんに日本語を教えて貰っているんだって」
「ジョージの日本語は幼稚園生よりは達者な筈ですが?」
「ま、そうやって剣ちゃんと遊ぶのよ。剣ちゃんはジョージに先生と呼ばれるのが満更でもないみたい。ジョージの日本語のお師匠さんと云うわけよ」
「ああ、それでこの前剣ちゃんにバイバイとか云われて押忍なんて返事していたんだ」
「ジョージはなかなか子供の扱いが上手いわよ。その点山田君なんかは、冗談で剣ちゃんをからかったり弄ったりするから少し嫌われているの」
「剣ちゃんはあゆみさんにも随分懐いているでしょう?」
 そう云うとあゆみは横を歩く万太郎に顔を向けるのでありました。
「そうね。でもあたしみたいにただ可愛がるよりは、剣ちゃんとしては少し手荒く扱われるのが好きみたいよ。そこは矢張り男の子よね」
「そうですかね。僕が剣ちゃんなら、来間や山田に手荒く扱われるよりも、あゆみさんに大いに可愛がられる方が余程嬉しいですがね」
 万太郎はしれっとそんな事を云うのでありました。
(続)
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お前の番だ! 427 [お前の番だ! 15 創作]

「ああ、そう」
 あゆみもしれっと聞き流すように受け応えるのでありました。
「尤も、あゆみさんに可愛がられる、と云うのは、つまり稽古で手厳しくシゴかれると云う事になりますかね、僕の場合は」
「そう云えば万ちゃんが入門したての頃は、シゴくと色々面白い反応をしていたけどね」
 あゆみはそう云って思い出し笑いをするのでありました。「構えでもちょっとした所作でも、手足の位置とか肘の緩み具合とか足幅とか、前足と後ろ足に乗る重心の比率とか、一々細かく注意し続けると、万ちゃんは段々体が固くなっていって、顔まで連動して固くなっていって、竟には全身固まって、目を白黒させながらあたしを見ていたわね」
「あの頃のあゆみさんは表情一つ変えずに高度な要求をする、鬼のような先輩でした」
 万太郎も懐かしそうに笑うのでありました。
「それがいつの間にかあたしの方が色んな面で後れを取るようになっちゃって、今では体術も剣術も指導も、あたしの方が万ちゃんの域に追いつこうと目を白黒させているわ」
「良く云いますよ。あゆみさんは今でも僕の手本なのですから」
「今のその言葉は、姉弟子に対する労わりとして聞いておくわ」
「いや、本当ですよ」
 万太郎は少しムキになるのでありました。その万太郎の顔を、三月の少しは春めいてきた風が緩く撫でて通り過ぎるのでありました。
 玄関のドアを開けると、花司馬教士と剣士郎君が出迎えてくれるのでありました。花司馬教士は普段着のシャツにスラックス姿で、剣士郎君とお揃いの、白い、左胸に赤い毛糸でイニシャルの入ったカーディガンを着ているのでありましたが、これは屹度奥さんがお揃いで作ってくれたものであろうかと万太郎は想像するのでありました。
「これはこれは両先生、お忙しいところを良くいらしてくださいました」
 花司馬教士はそう云って玄関に立つ二人に律義にお辞儀をするのでありました。頭を下げる時に横に立つ剣士郎君の頭に手を遣って一緒にお辞儀をさせるのでありました。
「これはこれは」
 剣士郎君は頭を下げさせられる時に花司馬教士の真似をするのでありました。
「ささ、どうぞお上がりを」
 花司馬教士が手先を家の中に向けて、あゆみと万太郎を奥に誘うのでありました。その仕草に万太郎は、前に神保町の興堂派道場にあゆみと一緒に何度か出かけた折に、玄関先で奥に通るように勧めてくれた以前の花司馬教士の姿を重ねるのでありました。
 剣士郎君は靴を脱いだあゆみの手を取って、早速中へ引っ張っていくのでありました。あゆみの来訪が嬉しくて仕方がないと云った様子であります。
 奥のダイニングでは花司馬教士の奥さんが作り立ての料理を和室の方に運んでいるのでありました。挨拶もそこそこに、すぐにあゆみがその手伝いを始めるのでありました。
「剣ちゃんも手伝って」
 あゆみはそう云って小さな皿を剣士郎君に持たせるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 428 [お前の番だ! 15 創作]

「僕も何か手伝います」
 剣士郎君が居間の方に行くと、その後ろに万太郎が立って申し出るのでありました。
「ああ、万ちゃんは居間の方に座っていて。もう用意も終わるから」
 花司馬教士の奥さんがそう云って万太郎の申し出をやんわり断るのでありました。しかし姉弟子のあゆみにだけ働かせておいて、弟分である自分が楽を決めこむわけにもいかないと、万太郎は花司馬教士の奥さんが持ち上げた鶏の唐揚げとポテトサラダの皿を半ば強引に受け取って、剣士郎君の後に続いて和室の方にそれを運ぶのでありました。
「俺も何かしようか?」
 あゆみと万太郎が働いているのに自分だけが何もしないのは申しわけないと、律義な性分の花司馬教士も奥さんにそう訊くのでありました。
「じゃあ、ビールとコップを運んで」
「押忍。承りました」
 花司馬教士は冗談と云う風ではなく、行きがかりからかしごく真面目な面持ちで、竟奥さんにそう返事するのでありました。あゆみが思わずクスッと笑うのでありました。
「豪華版ですね」
 卓の上に載った皿の数を見ながら万太郎が云うのでありました。
「大食らいの万ちゃんが来ると云うので、奥さんが大いに腕を奮ってくれたのよ」
 あゆみが横から云うのでありました。
「ああそれはどうも、面目ありません」
 万太郎が奥さんの方にお辞儀して見せるのでありました。
「ケーキは?」
 剣士郎君が横に座ったお母さんに訊くのでありました。
「ケーキは後よ。ご飯が済んでから」
「ふうん」
 剣士郎君は最初にケーキが出てこないのが不満そうでありました。
「じゃあ、取り敢えず乾杯といきましょう」
 花司馬教士がビール瓶を取り上げて、あゆみと万太郎にグラスを取るよう促すのでありました。剣士良君は奥さんにオレンジジュースを注いで貰っているのでありました。
「剣ちゃんはこの春から小学校に行くのね?」
 乾杯後にあゆみが剣士郎君に云うのでありました。剣士郎君はジュースの入ったグラスを両手で持って、それに口につけた儘あゆみの方に一つ頷いて見せるのでありまいた。
「小学校は何処に在るの?」
 万太郎がそう訊くと剣士郎君は首を傾げて見せるのでありました。
「小学校までは結構遠いのよね」
 花司馬教士の奥さんが剣士郎君の代わりに応えるのでありました。「仙川駅を越えて神代高校のもっとずっと先だから、この家から大人の脚でも十五分以上はかかるかしらね」
「子供だと二十五分以上かな」
(続)
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お前の番だ! 429 [お前の番だ! 15 創作]

 万太郎も剣士郎君と同じに首を傾げてざっと換算してみるのでありまいた。
「特に帰り道は、途中の駅前商店街の玩具屋とかお菓子屋で屹度捕まったりして寄り道するに違いないから、帰りつくまでにもっとかかるかも知れないわね」
「ああ成程。それはそうかも知れませんね。なあ、剣ちゃん」
 万太郎が剣士郎君を見てそう云うと、剣士郎君は何の話しだか良く判らないような顔をして、何となく曖昧に頷き返すのでありました。
「小学生になったら道場に通うんでしょう?」
 あゆみが訊くのでありました。今度は剣士郎君ははっきり頷くのでありました。
「まあ、夕方の専門稽古と夜の一般門下生稽古の間の時間に、総士先生の許可を頂いて自分が少し鍛えようかと思っているのですが」
 花司馬教士が腹積りを披露するのでありました。
「実はその時間帯で今度、子供達だけの稽古を始めようと思っているんです」
 あゆみが今現在計画中の、新設する稽古の事を話すのでありました。
「子供達だけの稽古、ですか?」
「そうです。小学生を対象に、少年教室、とか名前をつけて、近々総士先生にご許可を頂ければ、早速募集をかけようかと云う話しになっています」
 あゆみの後を受けて万太郎が案をやや具体的に話すのでありました。「柔道でも剣道でも、それに合気道でも空手でも、色んな武道で少年対象の稽古がありますから、常勝流でもやってみようかって、今あゆみさんと計画しているんですよ」
「へえ、それは良いですね。若しそうなったら剣士郎を少年教室入門第一号にします」
「ただ、初めての試みになりますから、どの程度に常勝流を教えるかとか、どんな指導法でやっていくかとか、その辺は未だ具体化してはいないのです」
「しかし子供の頃から常勝流に親しんでいれば、大人になってからも稽古を続けてくれるかも知れません。将来の門下生の確保と云う点でも大いに有意義ではないでしょうか」
「まあ、こちらの手前勝手な目論見としてはそうですが、はたしてその辺はどうなるか、それは未だ判りません。しかし少なくとも無意味な試みではないとは思うのですが」
「それに子供達にとって魅力的な稽古が出来るかどうかは、未知数です。今までに子供を教えた経験が誰もありませんし、結局目論見倒れに終わるかも知れませんよ」
 あゆみが不安を口にするのでありました。
「いやいや、世の中が段々物騒になっていますから、子供に武道を習わせたいと云うニーズはあると思います。それに礼儀作法習得や忍耐力養成にも武道はもってこいですし」
 花司馬教士はごく一般的で楽観的な観測を述べるのでありました。
「まあ、こちらとしてはそう考えるのですが、世間がどう反応するかはまた別です」
「いやいやいや、自分はその計画に大賛成です」
「花司馬先生にも積極的に参画していただきたいと思っています」
 あゆみが頭を下げるのでありました。万太郎もそれに倣うのでありました。
「押忍。承知いたしました。自分も大いに働きます」
(続)
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お前の番だ! 430 [お前の番だ! 15 創作]

「少年教室入門第一号予定の剣ちゃんも、お姉ちゃん達を助けてよ」
 大人の話しに退屈そうにしていた剣士郎君にあゆみが顔を向けるのでありました。剣士郎君は突然話しをふられて面食らったような顔をするのでありましたが、頼られているようだと云うのは何となく判って、生真面目な顔をして厳かに頷くのでありました。
 少年教室創設の案は是路総士に既に話してはいるのでありました。万太郎とあゆみからその話しを聞いた是路総士は、当初余り乗り気ではない顔をするのでありました。
 常勝流の技の理合いが子供には理解出来ないであろうと云うのが、積極的に賛意を示さない第一の理由のようでありましたか。それに常勝流の稽古法は、あくまでも一定程度に体の出来た大人を対象に創られたものであるから、筋力も胆力も未だ水準に達していない子供にそれを適用するのは、先ず困難であろうと云う考えのようでありました。
「勿論本格的な稽古を指導しようと云うのではないのよ」
 あゆみが是路総士の猪口に酒を注ぐのでありました。稽古が終わってからの何時も通りの遅い夕食後の一時に、来間が内弟子部屋に引き上げてから、万太郎とあゆみが母屋の居間に残って是路総士の酒の相手をしながらの会話でありました。
「それでも常勝流として教える以上は、少しは理を理解して貰わなければ困る。しかし小学生には常勝流の技の成り立ち等は、いくら平明に説明してもチンプンカンプンでしかなかろうよ。この私にしたって未だ解明出来ていない技法の微妙な綾があると云うのに」
「それは本格的な稽古は確かに無理よ。でも体力を作るとか運動感覚の養成とか、礼儀や我慢とかの躾とか、子供に常勝流を教える効用と云うのはあれこれあると思うのよ」
「それなら、ずうっと以前からから子供を教えている柔道やら剣道やら、それに空手とか合気道とかに任せておけば良いんじゃないか? そう云うところの方が子供を扱うノウハウもあるだろうし、態々我が常勝流が子供を教える対象にする必要はないだろうよ」
「しかし、将来に亘っての門人の確保と云う観点からすると、子供の頃より常勝流に親しんで貰うのも、なかなかに良い手法だと思いますが」
 万太郎は徳利を取って卓上に置かれた是路総士の猪口に、その後にあゆみの手にした儘の猪口に酒を差しながら云うのでありました。
「しかしまあ、子供本人が求めて常勝流を学ぼうとするようなケースは極めて稀で、大概は親御さんの云いつけで渋々、自分では何だか判らない儘に道場に通わされると云うのが実態だろうよ。そうやって通っていた子供が、その後大人になってから、他に色々面白そうな運動を知った上でも常勝流を続ける気になるかどうかは、私には大いに疑問だ」
「十人の子供がいて、その内の一人か二人でも続ける気になってくれれば、僕は御の字だと思います。長い時間の中では、一時の微々たる数も積もれば一定数になりますから」
「ま、楽観論だな。それより大人の入門者を増やす事を考える方が、話しは早い」
「大人の門下生の方は興堂派からの移籍で、今現在ごった返しています」
 万太郎の小理屈に是路総士は口の端に一笑を浮かべるのでありました。
「ところで、子供の稽古時間帯はどう取る心算でいるのだ?」
 是路総士はそう訊いて猪口の酒を空けるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 431 [お前の番だ! 15 創作]

「平日なら夕方の専門稽古と夜の一般門下生稽古の間の時間、土日は午後稽古と夕方の専門稽古の間の一時間を考えているんだけど」
 あゆみも猪口を空けるのでありました。すかさず万太郎は徳利の酒を是路総士とあゆみの猪口に注ぎ入れるのでありました。
「ふうん。それで指導の陣容は? まさか鳥枝さんを子供に宛がうわけにはいくまい」
 是路総士はそう云ってから思わずと云った風に少し吹くのでありました。確かに鳥枝範士の鬼瓦のような顔は子供相手には到って不向きでありましょう。
「あたしと万ちゃん、それに花司馬先生と注連ちゃん、助手としてその日に居る準内弟子を動員するの。少なくとも三人以上で稽古を看る事にするわ」
「私は員外と云う事かな?」
 是路総士は徳利を取って万太郎の方にそれを差し出すのでありました。
「そうです。総士先生と鳥枝先生と寄敷先生は大人の稽古に専念していただきます」
 万太郎は両手で是路総士の酌を受けながら頷くのでありました。
「ああそうか。しかしこれで私も、なかなか子供の扱いは上手いのだけれどなあ」
 是路総士はそう呟いて笑った後、急に頬の笑いを消し去って表情を厳めしく作り直すのでありました。それはそんな事を竟口走ったものの、それで万太郎とあゆみの少年教室創設案に自分が既に与したと取られるのを警戒して、でありましょう。
「総士先生がお望みとあらば、指導陣に加わっていただいても良いのですが」
「いや、それはまた別の話しとして」
 是路総士はそう云って一つ咳払いをするのでありました。「それで、大人でもなかなか習得出来ない常勝流の、どう云う辺りを子供に教える心算なんだ?」
「大雑把に考えているのは、先ずは正坐して五分間、微動もしないでいられるようにします。それから座礼や立礼の仕方をやって、その後に基本動作と云う事になります」
 万太郎が是路総士の猪口に酒を差しながら云うのでありました。
「成程ね。先ずは礼儀を学ばせると云う事かな」
「そうです。基本動作の後は、比較的構造の簡単な基本の組形を十本選んで、それを習得させます。と云っても要求する水準は大人と違って、随分低いところを狙いますが」
「仕手と受けが協力して組形の手順が滞りなく出来れば可、と云うところかな?」
 万太郎は頷いて見せるのでありました。
「勿論組形稽古上の仕手と受けの役割とか、難しい事を云っても判らないでしょうから、取り敢えずは仕手と受けの協調を習得する事とします」
「乱稽古とか準乱稽古はやらせないのだな?」
「それはやらせません。そう云ったある種のゲーム性のある事はさせません」
「しかしゲーム性がある方が面白いから、その方が意欲的になるのではないのか?」
「そうかも知れませんが常勝流の稽古ですから、先ずは組形の稽古が最優先です。技が不完全な子供に乱稽古をやらせても、無意味だろうし危険でもありますから」
「堅苦しい稽古ばかりでは、子供は厭きて仕舞うのじゃないか?」
(続)
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お前の番だ! 432 [お前の番だ! 15 創作]

「まあ、万ちゃんが云っているのはあくまでも今現在考えている案であって、どう云う稽古にするのかは未だはっきり具体化はしていないの」
 あゆみが口を挟むのでありました。
「そうです。先ずは総士先生や鳥枝先生や寄敷先生にご許可をいただくのが先決で、ご許可いただいた後で、指導の細部はもう少しあゆみさんと煮つめるつもりでおります」
「私のゴーサイン待ちと云うわけだ?」
「そうです」
 万太郎とあゆみは一緒に頷くのでありました。
「それでは良く考えて、なるべく早く返事をしよう」
 是路総士はそう云って猪口の酒を空けるのでありました。
「・・・と云った具合で、少年教室創設案は今現在、総士先生の返事待ちとなっています」
 万太郎は剣士郎君の隣に座っている花司馬教士に、これまでの一応の経緯を報告するのでありました。この話しを聞いた花司馬教士と剣史郎君は、同じようなしかつめらしい顔つきをして、二人で同時に万太郎に頷きを返すのでありました。
「まあしかし、総士先生のご許可待ちとは云っても、今から少年教室指導の細部はしっかり話しあっておいた方が良いでしょうね」
 花司馬教士がそう云って何気なく隣の剣士郎君を見下ろすと、剣士郎君は先程と同じしかつめ顔で、父親の顔に向かって再び頷いて見せるのでありました。
「その点は僕もあゆみさんも同感です。それにこの件に関しては花司馬先生のお知恵も拝借させていただきたいので、どうかよろしくお願いします」
 万太郎はあゆみ共々花司馬教士に頭を下げるのでありました。
「押忍。承りました。自分もあれこれ考えてみます」
 花司馬教士と剣史郎君が万太郎とあゆみに一緒にお辞儀を返すのでありました。剣士郎君は低頭する時に小声で「押忍」と発声するのでありましたが、それは父親の真似ではありましょうが、何やら友達に軽い挨拶を送る時のような感じでありましたか。
 食後に早速、剣士郎君の誕生祝いケーキが出るのでありました。七本立った蝋燭に花司馬教士がマッチで火をつけるのでありました。
「はいこれ。お兄ちゃんとお姉ちゃんからの誕生日プレゼント」
 蝋燭の火を剣士郎君が吹き消して皆で拍手を送った後に、あゆみが子供用の稽古着が入った赤いリボンをあしらった紙袋を剣士郎君に手渡すのでありました。剣士郎君は受け取ると如何にも嬉しそうな顔をするのでありましたが、稽古着等ではなく玩具か何かの方が屹度、剣士郎君はより喜ぶのだろうなと万太郎はふと気後れするのでありました。
「早速開けさせて貰え」
 両手に紙袋を持って自分を見上げる剣士郎君に、花司馬教士が促すのでありました。剣士郎君はパリパリと紙袋の口を破るのでありました。
 中からビニール袋に入った稽古着が出てきたものだから、剣士郎君はそれを奇異な物でも見るような目で眺めるのでありました。矢張り玩具の方が良かったようであります。
(続)
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お前の番だ! 433 [お前の番だ! 15 創作]

「お、子供用の稽古着ですか」
 お父さんの花司馬教士の方が喜ぶのでありました。
「小学校入学の時の学用品なんかも考えたのですが、それはまた別の折りとして、万ちゃんと相談してこんな物にしたのです。剣ちゃんは玩具とかの方が良かったかしらね」
「いやいや、何よりです。有難うございます」
 花司馬教士の方が明らかに剣士郎君よりも喜んでいるようであります。
「剣ちゃんは、本当は何が欲しかったのかい?」
 ビニール袋を両手で抱えた儘、そんな物を貰って、些か戸惑いの表情になって仕舞った剣士郎君に万太郎が訊くのでありました。
「サンダーバード二号」
 剣士郎君はそう云って万太郎を見るのでありました。
「ああそうか。じゃあ、それはまた後で買ってあげるよ。でも、剣ちゃんはサンダーバードなんて、そんな古い人形劇を良く知っているなあ?」
 万太郎は子供時分に見ていたテレビ番組を思い出しながら訊くのでありました。
「今、夕方に再放送でやっているのよ」
 剣士郎君の代わりにお母さんが謎解きするのでありました。
「ああそうですか。僕が子供の頃に見ていた番組です。僕としてはその前のスティングレーと云う潜水艦が出てくる海底大戦争の方が、実は好きでしたけど」
「ああ、海底大戦争は自分も知っています。その前、或いは前の前の、スーパーカーも」
 花司馬教士が乗ってくるのでありあました。
「スーパーカーと云うのは、僕は知りませんね」
 万太郎はそう云って横のあゆみを見るのでありました。
「あたしも知らないわ」
 あゆみが万太郎に少し眉を上げた表情で云うのでありました。
「ああそうですか。スーパーカーはちと古過ぎましたかな。・・・まあそれは良いとして、おい剣士郎、ちょっとこの稽古着を着てみろ」
 花司馬教士はビニール袋を受け取って、稽古着を取り出すのでありました。剣士郎君は促される儘立ち上がると、イニシャル入りの白いカーディガンを脱ぐのでありました。
「あ、剣ちゃんすごく強そう」
 花司馬教士に着せてもらった稽古着姿の剣士郎君を見て、あゆみが大袈裟に感嘆するのでありました。そう云われて剣士郎君も満更ではない顔をするのでありました。
 ケーキで汚されるといけないからと云うので、剣士郎君はすぐに稽古着を脱がされるのでありました。剣士郎君は一応万太郎とあゆみへの義理を果たしたと云った顔で、心置きなくすぐに切り分けられた自分のケーキの方に齧りつくのでありました。
 ケーキとコーヒーで一頻り歓談してから、万太郎とあゆみは花司馬教の家を午後三時少し前に辞するのでありました。未だ斜陽迄に少し時間があるので、満ち足りた腹を少し熟そうと、あゆみが実篤公園辺りまでの散歩を提案するのでありました。
(続)
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お前の番だ! 434 [お前の番だ! 15 創作]

 勿論万太郎に異存はなく二人は実篤公園迄の住宅街の小道を漫ろ歩くのでありました。寒いけれどようやく春めき出した風が二人の足元にしきりと戯れつくのでありました。

 どうしたものか実篤公園までの路程中、あゆみは妙に寡黙なのでありました。隣を歩く万太郎は時々その顔を横目で窺うのでありましたが、特段不機嫌と云う風ではなく、頬を翳める浅い春の風を寧ろ楽しんでいるような緩やかな表情でありましたか。
 どだい不機嫌ならば、こうして万太郎を散歩に誘う筈はないであろうと万太郎は考えるのでありました。しかし何となく無神経に軽口でも飛ばしてあゆみの寡黙を乱すのは憚られるような気がして、万太郎も無言の儘、同じペースで横を歩くのでありました。
「こうして万ちゃんと二人でブラブラ歩きするの、久しぶりのような気がするわね」
 実篤公園の入り口が見える辺り迄来てようやくにあゆみが口を開くのでありました。
「そうですね。このところ二人揃って出稽古や指導に行く事もありませんでしたから」
「何となく新鮮な気がするわ」
 あゆみはそう云って万太郎の方に顔を向けるのでありました。
「そうですね。何故か少し、僕は緊張なんかを覚えます」
 万太郎はそう云って如何にも冗談らしく笑って見せるのでありました。
「剣ちゃんの稽古着姿、可愛かったわね」
 あゆみの、後ろに結わえていない長い髪を、風が少し踊らせるのでありました。
「そうですね。ちょっとブカブカでしたけど」
「そのブカブカさ加減が余計可愛らしいのよ」
 あゆみは剣士郎君の稽古着姿を思い出すような顔をして、剣士郎君に負けないくらいの可憐さで万太郎に笑いかけるのでありました。
「しかし剣ちゃんとしては稽古着よりも、玩具か何かの方が良かったようでしたが」
 万太郎はそんな風に話しを移ろわせるのでありました。
「まあ、そうかもね。だってようやく七歳になりたての子だもの」
「寧ろお父さんの花司馬先生の方が喜んでいらっしゃいました」
「花司馬先生の剣ちゃんを見る目が、道場では見た事のない優しい目だったわね」
「愛息の稽古着姿が、嬉しくて仕方がないと云ったところでしょうかね」
「花司馬先生は奥さんとも仲が良さそうだし、家中にほのぼのした空気が漲っているようだったわ。あんな家庭は理想よね」
 あゆみはそう云って如何にも羨ましそうな顔をするのでありました。
「こういう云い方は失礼かも知れませんが、花司馬先生みたいな人が、良くあんな美人で気の良さそうな、それでいて芯の強そうな女の人を見つけましたよね」
「花司馬先生が猛烈にアタックして結婚したみたいよ。奥さんに聞いた話しに依ると」
「へえ、そうですか」
 あゆみは時々、花司馬教士の奥方と睦んでいるようでありました。それで何かの折にそんな話しを奥方から聞きつけたのでありましょう。
(続)

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お前の番だ! 435 [お前の番だ! 15 創作]

「花司馬先生の奥さんは興堂派の浅草にあった支部の門下生だったんだって」
「興堂派の浅草支部と云うと、・・・」
 万太郎は少し考えるのでありました。「ウチに移籍した支部ではありませんね?」
「そこはもう随分前に支部長さんが他界されて、上野の支部と合併したらしいの。だから浅草支部と云うのはもうなかったのよ」
「上野の支部と云うと、興堂流にもウチにも属さないで、独自の会派となったところでしたね。確か、武道興武真伝会、とか云う名前で」
「そうね。・・・まあ兎に角、奥さんはそこの門下生だったのよ」
 あゆみは話しを本筋に戻すのでありました。
「それで、花司馬先生が出張指導に行って見初めた、と云う事ですかね?」
「そんな感じよ。で、花司馬先生は思いこんだら一途みたいなところがあるから、次に逢った時から猛烈アタックと云う段取りになるわけよ」
「初めて聞きました。今度花司馬先生を、それを種に大いに照れさせてやろうかな」
「その時に、あたしから聞いた、なんて云っちゃダメよ」
 あゆみが唇に人差し指を当てるのでありました。
「ああ、然る情報筋に依ると、と云う事にしますが、しかしそう云った話しの出処なんと云うのは、考えを回らせればすぐに知れるでしょうけど」
「ま、それはそうか」
 あゆみはあっけらかんとそう云うだけで、別に万太郎の魂胆を躍起になって止めさせようとするわけではないのでありました。
「そう云う経緯があるから、花司馬先生が如何にも愛妻家然としていたわけですね」
「そう。花司馬先生は家庭では良き夫で好きパパと云う事。ちょっと堅苦しいけど」
「堅苦しいのではなくて一面では律義、それともう一面では情熱的、と云ってあげてください。情熱的、と云うのは、あんまりあの顔にそぐわないと思うにしても」
 万太郎が云うとあゆみは口に手を当てて思わず笑むのでありました。
「でもあたし、奥さんが羨ましいわ。そんなに花司馬先生に愛されていて」
 あゆみはそう云って潤んだような目で万太郎を見るのでありました。春の風が吹いてあゆみの髪をそよがせ、その髪の幾本かが万太郎の方に流れるのでありました。
「あゆみさんにはそんな、人を羨ましがらせるような良い人はいないのですか?」
 そう訊くと万太郎はあゆみに、険しいと云うには強過ぎるけどしかし穏和と云うのは控え目過ぎるような目で見られるのでありました。「済みません、余計な事を訊いて」
 万太郎はあゆみの気分を少し害したと思ってすぐに謝るのでありました。
「あたしは、・・・そうね、いない事もないわよ」
 あゆみは特段昂じた風でもなくそう云って、万太郎に思わせぶりに笑いかけるのでありましたが、そう云えば確か前にも、前後の脈絡は忘れて仕舞ったけれどあゆみとそんなような話しをして、その折も、いない事もない、と云った曖昧な回答を得た記憶が蘇るのでありました。あの時は何の話題からそう云う会話になったのでありましたか。
(続)
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お前の番だ! 436 [お前の番だ! 15 創作]

 確かそれで以ってあゆみが狸か狐か貉か或いは人間かと云う疑問が到来して、万太郎は少々悶々としたのでありましたか。ええと、あれは何の話題でありましたかなあ。
「万ちゃん、急に黙ってどうしたの?」
 あゆみが万太郎の顔を少し上目で覗きこむのでありました。
「ああ、いや別に」
 万太郎は見返すと、間近に迫っていたあゆみの顔にたじろいで頭を慌てて後ろに引くのでありました。思わず心臓が高鳴り出すのでありました。
「そう云えば前にもあたし、意中の人があるかどうかって訊かれた事があったわ」
 あゆみが腰を延ばして万太郎と同じ前に向き直りながら云うのでありました。
「ああ、実は僕もその事を考えていたのです。あれは何時でしたかねえ」
「ほら、亡くなった道分先生が急に一人でウチに来て、前に持ちこんでいたあたしと威治さんとの縁談話しは、勝手ながらなかった事にしてくれって云ってきた日よ。まあ、あたしが鳥枝先生にそう訊かれたのは、道分先生が帰った後だったけど」
 そう聞いて万太郎は思い出すのでありました。それは是路総士と鳥枝範士と寄敷範士、それに万太郎と当のあゆみも交えて、先に興堂範士が威治宗家、当時は興堂派の教士でありましたが、まあ兎に角、その人を伴って総本部道場に現れて、あゆみと威治教士との縁談を申しこんだ件で、どう云う対処をするべきかと話しあっていた折りでありました。
 その最中、突然興堂範士から電話があって、これから行くと告げられるのでありました。誰も付人を連れずに一人で現れた興堂範士は、急転直下、先に申しこんだあゆみと威治教士との縁談を御破算にしてくれとその場で申し入れるのでありましたが、興堂範士はそれから間もなく、出張指導先のハワイであっさりと急逝したのでありました。
「ええと、あの時、道分先生が帰った後で、あゆみさんに意中の人がいないのかどうか訊いたのは、僕ではなくて鳥枝先生でしたっけ?」
「そうよ。鳥枝先生に訊かれたのよ。万ちゃんじゃなかったわ」
 どうやら万太郎はその辺の記憶に勘違いがあるようでありました。まあ、粗忽者でありますから、そう云った迂闊も仕出かそうと云うものであります。
「鳥枝先生にそう訊かれてその時も、あゆみさんは今と同じ、いない事もない、なんと云う返答をされたのでしたよね?」
「ううん。何も返事しなかった筈よ。多少のげんなりもあったから、曖昧に笑っただけ」
 おやおや、これも万太郎は思い違いをしているようであります。「あたしがただ笑って何も喋ろうとしないものだから、何も云わないところを見るといない事もないと云うところか、なんて鳥枝先生が臆断であたしに云ったのよ」
「ああ、そうでしたかねえ。僕はてっきりあゆみさんがそう云ったのだと、今の今までずうっと思っていました。それで狸と狐と貉と人間の問題が出現したのだと」
「何、狸と狐と貉と人間の問題って?」
 あゆみがまた万太郎の方に顔を近づけて訊くのでありました。万太郎はまたもや怯んであゆみの顔が近づく分、頭を後ろに引くのでありました。
(続)
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お前の番だ! 437 [お前の番だ! 15 創作]

 こうなると万太郎としては、狸と狐と貉と人間の問題も、ここで出現したのではないような気がしてくるのでありました。どこか別の場面でそんな事を考えたのが、ここに一緒くたに間違った記憶として書きこまれたのかも知れません。
 とすると、これは何時どんな局面において考えた事柄だったでありましょうか。あゆみに関連したところの問題であったのは間違いないでありましょうが。
「万ちゃん、ほら、また黙って」
 あゆみが万太郎の鼻の頭を指で軽く弾くのでありました。
「ああ、いや、どうも。・・・」
「狸と狐と、ええと貉と、人間の問題について考えを回らしているの?」
「まあ、そんなような、そんなようでないような。・・・」
「まあいいや」
 あゆみはその事からあっさりと離れるのでありました。「ところで万ちゃんにも訊くけどさ、万ちゃんには意中の人とかはいないの?」
「え、僕ですか?」
 そう聞かれて万太郎は、今あゆみに弾かれたばかりの自分の鼻の頭を、少しばかり目を見開いて自分で指差して見せるのでありました。「僕は、未だ一人前にもなっていないし、意中の人がいてもその人を幸せに出来るような甲斐性もなさそうだし。・・・」
「そんな事もないんじゃない」
 あゆみはそう云って万太郎の方を一直線に見るのでありました。それからすぐに目線を逸らして、万太郎の少し前に歩み出るのでありました。
 公園の中のそぞろ歩きで少し疲れたのか、あゆみは径の傍らに据えてあるベンチに腰かけるのでありました。万太郎も遅れてその隣に座るのでありました。
「万ちゃんは今じゃあ、総本部道場の運営を殆ど任されているじゃない」
「いやいや、僕はあくまでもあゆみさんの助手の心算です」
「実質は、あたしが助手みたいな感じでしょう?」
「いやいや、助手は僕です」
 万太郎はどこまでも遜ろうとするのでありました。
「まあいいや」
 あゆみはここでもあっさりとその点に関する云いあいを終らせるのでありました。「で、万ちゃんは意中の人は、いるのいないの?」
「いない事もないですが。・・・」
 結局そう云う風につめ寄られると、あゆみではないけれどこう云った具合の曖昧な、ちっともきっぱりとしない受け応えをするしかないかと万太郎は思うのでありました。まあ、実はあゆみはそうは云わなかったし、云ったのは鳥枝範士なのでありましたが。
「誰よ、その意中の人って?」
 あゆみは興味津々と云った表情をして少し万太郎ににじり寄るのでありました。あゆみの膝が万太郎の太腿に触れて、秘かに万太郎をたじろがせるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 438 [お前の番だ! 15 創作]

「いやまあ、云わぬが華、と云う事にして貰うわけにはいきませんかねえ?」
「あたしの知っている人?」
 万太郎のやんわりした回答拒否をあゆみは無視するのでありました。
「ええまあ、そうなりますか、ねえ」
 万太郎は苦った顔で応えるのでありました。
「門下生とか、道場関係の人?」
「まあ、良いじゃないですか、僕の事なんかは」
 万太郎は有耶無耶にこの話しを終わろうとするのでありました。
「あ、そう。あたしには云いたくないわけ?」
「特にあゆみさんに話したくないのではなく、こう云った話しは苦手なのです、僕は」
 あゆみはがっかりしたような顔で万太郎を見るのでありました。万太郎の脚に触れていたあゆみの膝が虚しく離れるのでありました。
「それじゃあ、万ちゃんの好みはどんなタイプの人?」
 少しの沈黙を挟んで、あゆみは質問の色調を変えるのでありました。なかなかにしつこく食い下がってくるようであります。
「特にこんなタイプ、と云うのはありませんねえ。その時々で好きになった人がつまり好みのタイプと云うのか、ま、そう云った按配です」
「ああ成程ね。でもあたしが万ちゃんを見ていて考えるには、・・・」
 あゆみはそう云いながらキラキラと瞳を輝かせるのでありました。あゆみも女一般の内の紛れもない一人であって、こう云った類の話しが結構好きなのでありましょうか。
 思えば郷里の姉が高校生の頃、お前はこれこれこう云った男だから、こう云うタイプの女の人と将来つきあう方が色々好都合であろう等と、聞きもしないのにあれこれ余計な助言を、何かにつけ折さえあればしてくれるのでありましたか。今のあゆみの瞳のキラキラは、そう云う時の姉のものと同じ種類に見えるのでありました。
 人が将来どのような女性とつきあおうが姉の知った事ではないと、万太郎はその都度姉のお節介を疎ましく思うのでありました。しかし姉は無関心を装う万太郎に全く頓着する事なく、何だかんだと多言を以って彼を諭すのでありましたか。
 あゆみも多分、そんな姉と同種の親切心(!)の心算なのであろうと万太郎は考えるのでありました。しかし相手があゆみであるから姉の時と同様に無愛想に「やぐらしか!」と、一言を以って退散出来ないのが万太郎としては何とも困ったものであります。
「ねえ、万ちゃん、ちゃんと聞いてる?」
 あゆみがまた万太郎の鼻の頭を指先で弾くのでありました。「また黙っちゃって。今日の万ちゃんは何時もと違って少し変よ」
「ああ、勿論ちゃんと聞いていますよ」
 万太郎は真顔を作って頷いて見せるのでありました。
「だからね、今も云ったように、万ちゃんはどちらかと云うと姉さんタイプの女の人の方が似合うと思うのよ。自分でもそう思わない?」
(続)
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お前の番だ! 439 [お前の番だ! 15 創作]

 そう訊かれても、あゆみの、今も云ったように、の、その今云ったと云う言が万太郎は全く頭に入っていなかったものだから、何とも応えようがないのでありました。それにしても、あゆみは今日の万太郎は少し変だと云うのでありましたが、あゆみのものする話題とか多弁さの方こそ余程、何時ものあゆみらしくないと万太郎は思うのでありました。
「今いただいたご教誨を胸に刻んでおきます」
 万太郎は慎に謙譲且つ慇懃で、如何にもあやふやで無難そのものと云った返答を、やや冗談に紛らわせるような口調で返しながらあゆみに頭を下げるのでありました。
「なんか、はぐらかそうとしているみたいな返事ね」
 あゆみはそう云って頬を膨らませるのでありました。
「いやまあ、あゆみさんのアドバイス通り姉さんタイプが僕に似あうとしても、実家の姉貴のようなのはちょっと困るかなあと、そんな事を考えたものですから」
「ああそう。万ちゃんのお姉さんは万ちゃんより一つ歳上だったわね」
「そうです。あゆみさんと同い歳です。でもあゆみさんと違って、何かと口煩いし僕を如何にも幼稚だと思っているようで、すぐに小馬鹿にしたようなもの云いをします」
「ふうん。でもそれはそれとして、それでも万ちゃんには年上の人が屹度似あうわよ」
 あゆみはそう云って確信あり気に何度か頷くのでありました。それからそう云った後にはもう何も言葉が思い浮かばないのか、何となく唐突な風に横に座っている万太郎から目を背けて、前を向いてすぐ傍の地面を見るように俯くのでありました。
「あゆみさん、ひょっとしたら熱があるのじゃないですか?」
 万太郎は黙ったあゆみに訊くのでありました。
「え、熱? 別にないと思うけど、・・・」
「ああそうですか。何となくこうして横に座っていると、あゆみさんの体から熱感が伝わってくるみたいな気がするものですから」
 万太郎がそう云うとあゆみは自分の額に掌を当てるのでありました。
「熱なんてないわよ」
 あゆみはそう云いながら何故かどぎまぎと横に微妙に躄って、万太郎から心持ち身を離すような仕草をするのでありました。万太郎は殆ど触れあう程の近さだったあゆみの肩との間に、隙間風が通るような気がするのでありました。
「ああそうですか。それなら別に良いのですが」
 万太郎はほんの少しではあるものの、あゆみの肩が自分から遠ざかったのが残念なような気がするのでありました。肩と肩の距離が空いたからではないにしろ、あゆみはもうさっきまでの饒舌を忘れたかのように、花司馬教士の家から実篤公園まで歩いてくる道すがらと同に、少し不自然に思われるくらい頑なに口を閉ざすのでありました。
 どうしてかは知らないけれど、ひょっとしたらあゆみを怒らせたのかも知れないと万太郎は一抹の危惧を覚えるのでありました。それはこちらから求めたものではないにしろ、あゆみの折角のアドバイスに対する自分の反応が余りにきっぱりとはしておらず、如何にも鈍そうなものだったために、あゆみは何太郎に愛想を尽かしたのかも知れません。
(続)
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お前の番だ! 440 [お前の番だ! 15 創作]

 若しそうであるのなら、万太郎はあゆみに対して申しわけないような心持ちがするのでありました。しかし一方で、何もこれと云って悪い事はしていないと云うのに、どうして自分が済まながらなければならないのか、自分でも良く判らないのでもありました。
 実家の姉もそうでありますが、兎角女なんと云う生きものは万太郎如きの手には余る生きもののようであります。然りながら、面倒臭いと云って一顧だにしないでおれるものでもないところが、実に以って困った生きものと云うところでもありますか。
 奥さんに猛烈アタックを敢行したと云う花司馬教士や、早々に香乃子ちゃんとの結婚を決めて内弟子を辞した良平なんかは、女なる生きものに対して一体どういう了見であったのでありましょう。一度真剣に、そのご高説を伺ってみたいものであります。
 夕風が吹いて、公園の中の未だ葉を落とした儘の木々がさざめくのでありました。風はあゆみの方から吹くのでありましたが、その風にもう、あゆみの体の熱感は乗ってはこないのでありましたし、その代わりに、そこはかとないあゆみの髪から漂ってくるのであろう芳しい香りが、万太郎の鼻腔を嫌に心地良く擽るのでありました。

   ***

 万太郎が一週間程の東北方面への出張指導を終えて総本部道場に帰ってくると、入れ替わるように是路総士があゆみを連れて、こちらは九州方面に指導と審査を兼ねて出かけて行くのでありました。矢張り一週間程の予定でありましたか。
 万太郎が総本部を留守にしている間に、特段の問題は何も発生してはいないのでありましたが、花司馬教士から興堂派時代から内弟子をしていた板場が興堂流を辞めたと云う話しを聞くのでありました。竟に威治宗家に愛想尽かしをしたのでありましょうか。
「いえね、板場から不意に連絡がありましてね、久しぶりに神保町の居酒屋で逢ったのですが、その時に本人から聞いたのですよ」
 稽古が終わって鳥枝範士も帰った後の師範控えの間に居残って事務仕事をしている万太郎に、花司馬教士は話し始めるのでありました。
「そうですか。板場さんが辞めたのですか」
 万太郎は花司馬教士の方に顔を向けるのでありました。「板場さんは生真面目な人で、亡くなられた道分先生への義理立てから興堂流に残ったのでしょうから、早晩、そうなるのではないかと考えてはいましたが。・・・そうですか、矢張り辞められましたか」
「板場としては何とか曲りなりにでも、隆盛だった嘗ての興堂派のように、今の興堂流を再興したいと頑張ってきたのでしょうが、竟に疲れ果てたのでしょう」
「でも、この頃は興堂流の名前を良く風評として聞くようになったではありませんか」
 確かに第一回道分興堂杯争奪自由組手選手権大会以降、興堂流は格闘技界の新興勢力としてそれなりに世間に認知されたようで、その消息を万太郎は時々耳にすることがあるのでありました。まあ、好悪両方の世評としてではありますが。
「まあそれはそうですけど、・・・」
(続)
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お前の番だ! 441 [お前の番だ! 15 創作]

 花司馬教士は苦い顔で頷くのでありました。「しかし板場の思い描いていたような形で再び世間の耳目を集めた、と云うわけでは全くありませんからねえ」
「威治宗家と仲違いしたのでしょうかね?」
「宗家のやり方にもうついていけないと云っていました。今の様な試合一辺倒の興堂流の在り方が、まるで道分先生の遺志であるかのように事あるにつけ云い募る宗家の欺瞞に、ついに堪忍袋の緒が切れたと云ったところでしょうか。板場としてはそれを諌めるような苦言も呈したのでしょうが、宗家はそれを聞く耳等持ってはいないでしょうから」
 興堂範士がもうこの世にいないのを良い事に、何かと云うとその名前だけはちゃっかりと利用して、その遺志とはまるで違う方向に興堂派を捻じ曲げ、そのくせケロリとして恥じない威治宗家に板場はストレスを募らせていたのでありましょう。亡き興堂範士への報恩と思って努めてきたその甲斐が、竟に消滅したのを覚ったと云う事でありますか。
「何処かで支部を新たに創ると云う事でもないのですね?」
「興堂流を見限ったのでしょうから、その支部を創ると云うつもりもないようです。それに威治宗家がそれを許す筈もないとも云っていました」
「こちらに移られると云うお心算も、おありではないのでしょうか?」
「今更、それも出来かねると云っていましたね」
 花司馬教士としては総本部に来ないかと誘ってはみたのでしょうが、確かにそうするには決定的に時機を逸したと云う思いが板場本人にあるでありましょう。
「そうすると板場先生は、これからどうされるのでしょう?」
「故郷に帰って何か仕事を見つける了見だそうです」
「武道とはもう縁を切られるお心算なのでしょうか?」
「そのようです。この世界に居る事にうんざりしたのでしょう」
「それは残念ですね。それと同時に、板場先生のような方が武道と無関係になって仕舞われるのは、実に勿体ないと云う気が僕はします」
「板場も、本心は武道を続けたいのでしょうがね」
 万太郎は、如何にも寂しそうな面持ちで花司馬教士にそう云った心根を訥々と語る板場の様子が、目に見えるようでありました。板場はどことなく陰気な性質でありましたし、何かを思いこんだら一途と云ったタイプの人でありましたから、浅慮の上に思いつきで動く威治宗家と反りがあう筈もないのは、端から判っていたと云うものでありますか。
「板場先生のお国は何方なのですか?」
「岩手の久慈の方ですね」
「岩手には盛岡に、竟この前僕が行った、旧興堂派だったウチの支部がありますが、・・・」
 万太郎はそう云いながら、岩手県の大まかな地図を頭の中に広げるのでありました。「しかし久慈の方から通うには、かなり遠いですかねえ」
「そうですね、気軽に通える距離ではないでしょうね。まあ、通えるとしても武道に見切りをつけた板場は、通う心算は全くないでしょうが」
「ああそうですか。何とも、本当に残念な事ですよねえ」
(続)
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お前の番だ! 442 [お前の番だ! 15 創作]

 万太郎は眉宇を曇らせるのでありました。それからふと、未だ興堂流に残っている堂下善朗の事を考えるのでありました。
 堂下は興堂派時代には、神保町の道場に出稽古に行った万太郎に弟のように懐いていたのでありましたが、興堂範士の葬儀の折に少ない言葉を交わして以来、今まで顔をあわせる機会も全くなかったのでありました。板場が今次興堂流を辞める仕儀となって、堂下も少なからぬ動揺があるでありましょうし、向後どうする心算なのでありましょうか。
「板場先生は、堂下の事は何かおっしゃっておられませんでしたか?」
 万太郎は一緒に眉宇に陰鬱を宿している花司馬教士に訊ねるのでありました。
「堂下は板場と違って新しく来た空手崩れや柔道崩れの連中とも、それなりに睦まじくやっているようですが、つまりそれも板場が孤立した要因の一つでしょうね」
「新しい環境にも、無難に適応していると云うところでしょうかね」
「堂下は処世に然程不器用なところがありませんでしたから、宗家にも適当に懐いて、技法の変化なんかにもあんまり抵抗なく溶けこめたのでしょうね。それに神保町時代からの生き残りですから、道場ではそれなりに持て囃されてもいるようです」
「へえ、そうですか」
 万太郎はそう聞いて、何やら堂下が自分の居る場所からかなり遠くの方に行って仕舞ったような気がして、一抹の寂しさを覚えるのでありました。しかし堂下にしてみれば、威治宗家の下を離れて自立するには年季も浅いし、技術に於いても門下生達の心服を未だ充分に得られてはいないだろうから、この先も武道の世界で生きていこうとすれば当面、変化した環境に何としても適応するしか術はなかったと云うものでありましょうか。
「堂下は道分先生の薫陶を受けた期間も板場程長くはありませんでしたから、気持ちの切り替えも、常勝流に対する思い入れなんかも己の中で上手に処理出来たのでしょう」
「僕は、堂下は威治宗家が常勝流から独立を選んだ時点でそちらを辞めて、あっさりこちらに移って来るものとばかり推測していたのですがねえ」
「まあ、威治宗家が新しい状況の中で心細くなって、子飼いのような堂下を手放さなかったと云うのもあるでしょう。板場は結局それに何とか逆らったけれど、堂下の方は威治宗家に頼みとされたなら、それはなかなか逆らえませんからねえ」
「しかし堂下はそれ程、威治宗家に心服しているようではありませんでしたが」
「心服はしていなくとも、窮地に在る総大将に頼りとされたら、無下に袖にするわけにもいきませんから。まあ、堂下はあれで案外人の好いところがありますからね」
「ああそうですか。・・・」
 要するに堂下は威治宗家に頼りとされたと云うよりは、上手く利用されたと云う面が大きいと云う事でありましょうか。威治宗家の事でありますから状況が変われば無情に、しかも簡単に堂下を切って仕舞うような真似も仕出かすかも知れないでありましょう。
「そう云えば堂下は、折野先生に結構懐いていましたよね」
「そうですね。今ウチに移っている宇津利と二人、僕と歳が近いと云う事もあって、神保町に出稽古に行った折には結構親しく言葉を交わしていましたね」
(続)
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お前の番だ! 443 [お前の番だ! 15 創作]

「宇津利は専門稽古生でしたから内弟子の堂下とは違って、こちらに移ると決めるのにもそんなに煩悶はなかったでしょう。アイツは少しお調子者でもありますから、目の前に来た潮の流れに、こりゃ好都合とサラリと乗ったと云うところでしょうかな」
 これは花司馬教士が宇津利を悪く云っているのではなくて、旧知の間柄であるための遠慮のなさと云うものでありましょうか。
「取り敢えず、堂下が向こうでそれなりに居場所があって溌剌とやっていると云うのなら、それはそれで結構な事ですし、僕があれこれ心配する必要はないでしょうね」
「まあ、先の事は判りませんがね」
 花司馬教士はそう云って顔を曇らせるのでありました。「さて、ところで・・・」
 花司馬教士が急に顔の陰影を晴らすのでありました。万太郎はこの花司馬教士の表情の急変に、思わず自分の顔の陰気も払い落とされて仕舞うのでありました。
「さて、ところで折野先生、ご結婚相手なんかは未だいらっしゃらないのですかな?」
 唐突にそんな事を訊かれて、万太郎は目を白黒させるのでありました。
「何ですか、藪から棒に?」
「いやあ、昨日ウチの女房からメシの時に偶々そんな話しが出ましてね、そう云えば折野先生は浮いた話しが何にもないなあと思ったものですからね」
 花司馬教士は職務質問をする刑事みたいに、相手の表情の微細な変化も見逃すまいとするような目をして万太郎の顔を窺うのでありました。
「そんなもの、居るわけがないじゃありませんか」
 万太郎はそう云いながら、何故かオドオドと花司馬教士から目を逸らすのでありました。別にオドオドする必要もない筈ではないかと、思わずそうして仕舞った自分を少し歯痒く感じるのでありましたが、相手の不意打ちに対して動揺を覚えるようではプロの武道家として失格かなと、そんな事なんぞを頭の隅の方で秘かに考えるのでありました。
「いやあ、その顔は、確かに意中の人が居ると云う顔ですな」
 花司馬教士は如何にも意地悪そうな笑いを口元に湛えるのでありました。万太郎は護身に失敗した己の武道家としての不手際を恥じるのでありました。
「まあ、いない事もないですが。・・・」
 こうなったら潔く負けを認めるのも、武道修行者の態度でありますか。
「ほう。それは自分の知っている人ですか、それとも全く知らない人ですか?」
 花司馬教士は畳みかけるのでありました。
「いやまあ、良いじゃないですかその辺は。・・・」
 万太郎はとても潔いとは云えない返事なんぞをするのでありました。そう云えば剣士郎君の誕生祝に呼ばれた花司馬教士宅からの帰りに、ふらりと二人でと散歩した実篤公園でもあゆみにもそんな事を訊かれたのを思い出すのでありました。
 その時は、云わぬが華、とか何とか思わせぶりな事を云って万太郎は曖昧に逃げたのでありましたか。しかし相手が花司馬教士であってみれば、あの時のあゆみのように、それ以上の根掘り葉掘りの追及を止してくれるかどうか。・・・。
(続)
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お前の番だ! 444 [お前の番だ! 15 創作]

 ところでそう云えば、あゆみはどうしてあの時、意外にあっさりと追及を止めにしたのでありましょうや。万太郎が有耶無耶の儘に切り抜けようとするのを見越してげんなりしたためか、或いは、万太郎の意中の人等、端から興味がなかった故でありましょうか。
「おや、随分出し惜しみするじゃないですか」
 花司馬教士はそう云ってニヤニヤと笑うのでありました。
「別に出し惜しみしているのではないですが、これは全く個人的な事柄ですから、余り他の人に云いたくないと云うだけですよ」
「そのお相手の方は、折野先生の意中をもう判っていらっしゃるので?」
「それはもう、全く思いも依らないでしょうね。僕の勝手な気持ちと云うだけです」
「折野先生のお気持ちを素直に伝えるには、何かしらの障害があるのでしょうかね?」
 花司馬教士はなかなか追及の手を緩めてくれないのでありました。
「障害はないかも知れませんが、・・・」
 万太郎はそこでふと考えるような顔をするのでありました。「いや、矢張りあるかも知れません。お互いの立場と云うものを考えれば」
「お互いの立場上、思慕の情を表明するのに障害があるかも知れない方、ですか。・・・」
 花司馬教士は腕組みして首を傾げるのでありました。これ以上、曖昧にであれその追及に言葉を返していると、竟に知られる恐れがありそうであります。
「まあ、この話しはこれくらいで良いじゃありませんか」
「若し何でしたら、自分が一肌脱いでも構いませんが?」
「いやいや、それは真っ平遠慮申し上げます」
 万太郎は慌てて両手を花司馬教士の目の前で横にふって見せるのでありました。「そんな事をして、相手の方にご迷惑がかかるといけませんから」
「ほう、折野先生の意中を知られると迷惑がかかるかも知れない方、ですか?」
 花司馬教士は腕組みした儘で、上目で万太郎の顔に見入るのでありました。
「いやまあ一般的な意味に於いて、思いも依らないヤツが自分に思慕の情を抱いている事を知ると、女性は逆に気持ちを後退りさせて仕舞うだろうと云う懸念です。そうなると今までスムーズだった関係もギクシャクして仕舞いますし、それは拙いですぅから」
 万太郎はしどろもどろにそんな説明をするのでありました。
「いや、それは判りませんよ。瓢箪から駒、と云う言葉もありますからねえ」
「それにしてもご厚意には感謝しますが、一肌脱ぎの件はきっぱりお断りします」
「何だか嫌に気持ちが消極的ですなあ。折野先生をそこまで及び腰にさせる立場の人、となると、さて、誰がいるだろう?」
 花司馬教士はまたもや腕組みの首傾げのポーズをするのでありました。
「花司馬先生、もう勘弁してくださいよ」
 万太郎は花司馬教士に合掌するのでありました。
「そうやって折野先生に拝まれて仕舞うと、ま、今日のところは引き下がらざるを得ませんかな。しかしそこまで聞けば、考えを回らせば誰だか目星がつきそうだな」
(続)
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お前の番だ! 445 [お前の番だ! 15 創作]

 花司馬教士は万太郎にニヤリと意味有り気な笑みを投げかけるのでありました。万太郎はもうこれ以上取りあわないと云う意志表示の心算で、座卓に広げた書類に目を落として、事務仕事に没頭するようなふりを装うのでありました。

 食堂であゆみが万太郎に菓子折りを手渡すのでありました。
「はいこれ。万ちゃんの好きなお菓子でしょう?」
 道場の休みである月曜日の午後で、食堂に現れたあゆみはコーヒーを飲んでいる万太郎の向いの席に腰を下ろすのでありました。是路総士とあゆみはその日の昼過ぎに、九州への出張指導から調布の総本部道場に帰着したのでありました。
 二人は、昼食は羽田空港で済ませてきたと云う事で、万太郎と来間に出迎えの挨拶を受けた後は、夫々の部屋に引き取って旅の荷を解くのでありました。その間万太郎と来間は食堂で簡単な昼食を摂って、来間はその後映画を見に行くと云うので新宿に出かけ、万太郎は特にやる事もないので、食堂で自らコーヒーを淹れて寛いでいたのでありました。
「おや、誉の陣太鼓、ですね」
「そう。万ちゃんのお母さんに、万ちゃんがこれが殊の外好きだと伺ったものだから、お土産にと思って買ってきてあげたの」
「これはどうも有難うございます」
 万太郎は恭しくあゆみにお辞儀するのでありました。「そう云えば九州の出張指導で、熊本にも行かれたのでしたよね?」
「そう。その時、人吉から万ちゃんのお父様とお母様、それにお兄様がご挨拶にと、あたし達が泊まっている熊本市内のホテルまで出向いて来てくださったのよ」
「ああそうでしたか。そのために時間を取って下さって有難うございました」
 万太郎はもう一度あゆみに深いお辞儀をするのでありました。
「ううん。折角熊本に来たからと思って万ちゃんのお家に挨拶の電話を入れたのよ。そうしたら態々ご足労をおかけする事になって、こちらこそ申しわけなかったわ」
「兄貴が結婚して今熊本市内に住んでいますから、そこに来る序もあったのでしょう」
「そんな事をおっしゃっていたわ。お父様もお母様もお兄様もお元気そうだったわよ」
「ああそうですか」
 万太郎は余り興味がなさそうに無愛想に応えるのでありましたが。これは身内の事は努めて隅に置くと云う、一種の取り立てる程の無意もない礼儀からでありますか。
「お父様もお母様も、話していてとても面白い方だったわ」
「田舎者ですから、総士先生に失礼な事なんか云わなかったでしょうかね?」
「ううん。お父さんもご両親がお帰りになってから、久しぶりにほのぼのした、なんて云っていたわ。それから何となくお父様の話しぶりが万ちゃんにそっくりだってさ」
 そう云われても万太郎としては嬉しいような嬉しくないような、妙に複雑な思いがするのでありました。それに何やら、あゆみに自分のお里が知れて仕舞ったような心持ちになって、恥ずかしいような心持ちも秘かにするのでありました。
(続)
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お前の番だ! 446 [お前の番だ! 15 創作]

「僕は自分では親父に話しぶりが似ているとは、ちっとも思わないのですがね」
「そうでもないと思うわよ」
 あゆみはゆっくり首を横にふりながら万太郎の仏頂面を笑うのでありました。
「ウチの親とどんな話しをしたのですか?」
「ま、万ちゃんの小さい頃の話しとか、色々」
 あゆみはそう云って含み笑うのでありました。
「親父やお袋が、何かとんでもない逸話とか話さなかったでしょうね?」
 万太郎は警戒の色を目に浮かべるのでありました。
「ううん、別に。万ちゃんはオムツがとれるのが遅い子だったとか、頭が大きい子で幼稚園前にシャボン玉をしていて、遠くへ飛ばそうと縁側から身を乗り出し過ぎて、頭が重いから敷石の上に落っこちて額を一針縫う怪我をしたけど、落ちた時も病院で縫われている時もちっとも泣かなかったとか、中学生の夏休みに突然剣道が今より二倍がた強くなりたいからって、山籠もりするとか云い出して裏の山で竹刀を飽かず素ぶりしていたけど、ご飯の時と寝る時はちゃんと家に帰って来て、別に山籠もりでも何でもなかったとか」
 万太郎はあゆみの話しを聞きながらやれやれと思うのでありました。全く無意味な上に余計極まりない事をペラペラと喋る困った両親であります。
「それからそれから、・・・」
 あゆみは尚も続けるのでありました。「学校の帰りに、よく捨てネコとか子犬を拾ってくる子だったとか、ある時ヒヨコを貰ってきて、将来卵を産ませるからとか云って暫く庭で飼っていたけど、成長したらそれが雄の鶏になって仕舞ったとか、それにこれはお兄様から伺ったお話しだけど、高校生の時に大失恋をして俺は自殺するとか云って、一番手軽な方法だからって、一二の三で洗面器に張った水に顔をつけて、苦しくなったらその都度ブハーとか云いながら顔を上げて、ちっとも死ねないと真顔で困っていたとか、まあ、特には、万ちゃんが人に知れたら恥ずかしくなるような事はお話しにはならなかったわよ」
 それだけ披露すれば充分だと、万太郎は大いにげんなりするのでありました。
「誰かの言葉ではありませんが、これで僕も恥多き人生を歩んできたのです」
「ええとそれから、・・・」
「未だあるのですか?」
 万太郎は眉根に皺をつくって眉尻を下げて、情けなさそうな顔をするのでありました。
「誉の陣太鼓、と云う熊本名菓が殊の外好きな子だったって」
「ああ、それですか。で、あゆみさんが買ってきてくれたのですね」
「そう。万ちゃん嬉しい?」
「ええもう、嬉しいやらきまりが悪いやらで、思わず涙が出そうなくらいです」
「それは良かったわ」
 あゆみは万太郎の今の答礼への満足四分と、万太郎のきまりが悪がる様子への面白がり六分の笑いを送って寄越すのでありました。
「ではこのお土産は、後で来間と一緒にいただきます」
(続)
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お前の番だ! 447 [お前の番だ! 15 創作]

「それは万ちゃん一人で食べて構わないわよ」
「いや、それでは来間に対して如何にもつれない仕業と云うものです」
「大丈夫よ。注連ちゃんや他の準内弟子の人達には、最後の旅先になった長崎空港で、長崎物語、とか云うお菓子を別に買ってきたから」
「ああそうですか。これは僕専用のお土産ですか」
 万太郎は思わず笑みを零すのでありました。
「そう。だから万ちゃんが独り占めして良いのよ」
「それは全く、有難いですねえ」
 万太郎はそう云ってあゆみに嬉しそうにお辞儀するのでありました。「ああそうだ、気がつきませんでしたがコーヒーを淹れましょうか?」
 顔を上げた万太郎があゆみに愛想をするのでありました。
「自分で淹れるからいいわ」
 あゆみは立ち上がって自分のコーヒーを淹れるのでありました。
「あゆみさんはこの、誉の陣太鼓、は、向こうでもう食されましたか?」
「ううん、食べてないわ」
「じゃあ、僕が独り占めするのも何ですから、ここで開いて一緒に食べましょう」
 万太郎は菓子折りの紙紐を解くのでありました。「実はこれは僕が高校生の時に発売された、比較的新しいお菓子なのです」
「へえ、そうなんだ」
「名物に美味い物なし、とか云いますが、これは外の餅も中の餡も、類する他の物より格段に美味いのです。僕は友達の家で初めてよばれて、思わず呻りましたね」
「それから大好きになったんだ?」
「ええもう、虜と云っても良いですね」
 万太郎はあゆみがアルミ箔の包装を解くのが待ちきれずに、先に一口齧りつくのでありました。懐かしい味が口腔一杯に広がるのでありました。
「どぎゃんですか、美味かでしょうか?」
 万太郎はやや遅れて口に一片を入れたあゆみに、敢えて熊本弁で訊くのでありました。
「うん、美味しいわ。味がしっかりしているし」
「でしょう?」
 万太郎はあゆみが間を置かずにもう一口を直ぐさま口に運ぶのを、さも嬉しそうに眺めながら云うのでありました。我が意を得たり、の返答であります。
「ひょっとしてこのお菓子を初めてご馳走になったその友達の家、と云うのは、万ちゃんが大失恋して自殺に走ろうとした彼女の家、なんて云うんじゃないの?」
「いやあ、そぎゃん事はありまっせん! 同じ剣道部の男の友達ですばい」
 ここも万太郎は敢えて熊本弁で応えるのでありました。別に何か意趣があっての事ではなく、何となく口から自然に熊本弁が出るのでありましたが、それは懐かしい菓子を久しぶりに頬張ったものだから、舌が昔の言葉つきを急に思い出した故でありましょうか。
(続)
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お前の番だ! 448 [お前の番だ! 15 創作]

「そう云えば、万ちゃんの熊本弁は初めて聞くわね」
 あゆみが口元を手で隠しながら笑うのでありました。
「ああそうでしたかね。ま、今では敢えて熊本弁を使う場面もありませんから。それにこの頃では、僕は東京言葉の方が流暢ですからねえ」
「ああそう。でも、時々そうでもないかもよ」
「そうですか? まるで東京に生まれて東京に育ったみたいにペラペラと東京言葉を自在に操っている心算で、本人としてはいるのですが」
 あゆみはまた手で隠した口をモグモグと動かしながら、目尻で笑うのでありました。
「九州の言葉って何かゴツゴツしたイメージがあったんだけど、万ちゃんや熊本のご両親、それにお兄様の喋り方は、何となくゆったりしているって感じだわね」
「まあ、押し並べて早口でゴツゴツしていますけど、時と場合に依っては悠長な風にもなりますよ。福岡や長崎の方は早口のゴツゴツ一辺倒ですけど」
「ああそうなの?」
「いや、これはあくまでも僕の個人的な印象で、深く研究したわけではありません。そんな事を云っていると、福岡や長崎の人に怒られるかもしれませんし」
「今度の九州の出張旅行で感じたけど、確かに九州の北と南の方では言葉つきが違うわね。北の方はものすごく早口だけど、南の方は比較的ゆったりしているみたいな印象ね」
「ま、熊本も喧嘩の時には早口でまくし立てます」
 万太郎はそう云って気忙し気に、誉の陣太鼓を口に運んで噛み千切るのでありました。

 あゆみが唇に当てていたコーヒーカップを下に置くのでありました。
「万ちゃんがフラれて自殺を考えるくらいの、その彼女って、どんな人だったの?」
 あゆみが誉の陣太鼓の三つ目に手を出した万太郎に唐突に訊くのでありました。「ああ、話したくないようだったら、別に話さなくても構わないけど」
「いやあ、別に全然構いませんけど。・・・」
 万太郎は照れ臭そうに、且つ決まり悪そうにボソボソとそう云うのでありました。「高校二年生の時の同じクラスの、体操部のヤツでした」
「剣道部じゃないの?」
「剣道部と体操部は放課後に体育館の四分の一面を夫々使って練習していましたから、僕等が竹刀をふり回している隣で、平均台とか跳馬をしていたのです。ちなみに剣道部と体操部が四分の一面で、半面を広々と使っていたのはバスケットボール部の連中でした。ウチの学校ではバスケットボール部が強くて、県大会なんかでは何時も優勝を争っていましたね。まあこれは直接関係のない事ではありますが、一応念のため云い添えます」
 念のため、にしても全く以って不要で無意味な事かなと万太郎は考えるのでありました。別に本題を話すのに及び腰になって無駄口を重ねる心算はないのでありましたが。
「体操部の女子のレオタード姿にキュンとなったわけ?」
「ま、そんなところです」
(続)
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お前の番だ! 449 [お前の番だ! 15 創作]

 万太郎はその同級生を思い出すように、目線を遠くに馳せるのでありました。「体操をやっている女子は大概背が低い子が多いのですが、その子も身長は小さい方でしたね。でも顔も小さくて体の線が細くて、それに首が長くて、遠くから見ると如何にもスラっとした印象でしたね。稽古の時にあゆみさんがよくやるように、練習の時は長い髪を後ろにクルクルと巻くようにして束ねていて、そうすると細くて長い首が余計目立ちましたね」
「ふうん。それで体操の方は上手かったの?」
「そうでもなかったですね。大会でも特に入賞したなんて話しは聞きませんでしたから。しかし練習中の彼女は如何にも体操が好きで堪らない、と云った感じでしたかね。丸い目を見開いて熱心そうに、顧問の先生の指導に何度も頷く仕草が印象的でした」
 万太郎がそう云ってあゆみの方に目を戻すと、あゆみは万太郎の話しを如何にも熱心そうに聞きながら、数度頷いて見せるのでありました。
「そう云う可愛らしさにも万ちゃんはキュンときたわけね?」
「ええ、まあ、そんなような次第で」
 万太郎は面目なさそうに俯いてコーヒーカップに手を遣るのでありました。
「で、どうしてフラれるような次第になったの?」
「僕はどちらかと云うと高校生の頃は惚れっぽい性質だったので、何かの拍子に、あゆみさん云うところの、キュン、がきた途端、もうそれで一人で舞い上がって仕舞うのです。で、思いが募ってどう仕様もなくなって、或る時部活の帰りに待ち伏せして手紙を渡そうとしたのです。学校から五六分歩いた処にバス停があって、その途中を狙って」
「ふうん。ラブレターを渡そうとしたわけね。それって何だか、ちょっと古風な感じね。万ちゃんらしいと云えば、如何にも万ちゃんらしいけどさ」
「僕としてはクラスの中やクラブの練習の合間に少し言葉を交わす機会もあって、向こうも僕に、少なからず気があると踏んでいたのでそんな思い切った行動に出たのです」
「万ちゃんの気持ちとしてはそうかも知れないけど、向こうにしたら、如何にも唐突な万ちゃんの行動だったと云う事かしらね?」
「ま、そうですね。だから、驚いたと云うよりは恐怖に近い表情になって、僕が手渡そうとした手紙をなかなか受け取ろうとはしないのです。僕としては目算違いも良いところで、一挙に立つ瀬はなくなるわ、恥ずかしさで消えも入りたくなるわ、それでもなんとか体裁は繕わなければならないわで、余計怖そうな顔になっていたと思いますよ」
 万太郎は頭を掻きながら柔和に笑って見せるのでありました。
「それで手紙は受け取って貰えたの?」
「強引に手に握らせて、僕は急いでその場を離れました」
「何か、昔のテレビの青春ドラマみたい」
「いやどうも面目ありません。この顔でそんな行為は似あわないですよね」
「まあ、そうでもないけどさ」
 あゆみは少し口元を綻ばせるのでありました。「それで、その後どうなったの? まあ、そんな感じだったのなら、大体の想像はつくけどさ」
(続)
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お前の番だ! 450 [お前の番だ! 15 創作]

「はいもう、ご想像の通りです」
「それですぐに、自殺、と云う段取りになるの?」
「いやまあ、すぐにと云うか何というか。・・・で、次の日に学校に行くと、その子に僕は凄い顔で睨まれまして、もう僕に近寄ろうともしないのです。それだけならまだしも朝のホームルームが始まる前に、僕が前日渡した手紙を、その子の親友とか云う別の女子が、代理で僕に突っ返してきたのです。からかいよったら許さんからね汚らわしいか、とか、まるで僕を卑劣漢を見るような目で威嚇しながら。僕の自尊心はもうズタズタですよ」
「万ちゃん可哀相」
 あゆみはそう云って哀切の目線で万太郎を見るのでありました。そんな目容を作って見せるのは、本当に万太郎を可哀相に思っているためか、それとも冗談交じりで軽い相の手を入れる代わりの心算なのか、万太郎には何とも判断がつかないのでありました。
「それにまたその代理の女子が広めたらしく、クラス中に僕がその子に手紙を渡したことが知れ渡りまして、友達からは大いにからかわれるし、クラス中の女子からは顔を見るとクスクス笑われるようになるし、僕はもう消えてなくなりたい心境でしたね」
「でもまあ、消えてなくならなかったわけね?」
「つまり消えてなくなろうとして、洗面器の水に顔をつけたのです」
「洗面器なんかで、本当に自殺出来ると思ったの?」
 あゆみは何故かやや遠慮がちに、しかし至極真面目な顔で問うのでありました。
「僕としては当てつけがましく、海に身投げするとか、軒下で首を吊るとか、その子の家の前で切腹するとか、そう云ったのは自分の趣味に反すると考えまして、人知れず、しかもあっさりした方法を色々熟慮しまして、それで洗面器に辿り着いたのです」
「まあ、あっさり、と云うか、随分お手軽な方法ではあると思うけど。・・・」
「海の水は冷たくて想像しただけで怖気立ちましたし、僕の住んでいた家は古くて軒下と云っても若しも梁が腐っていたら、ぶら下がった僕の体重を支えるだけの強度はないかも知れないし、刃物と云うと僕は鉛筆削りに使うなまくらの小刀しか持っていないし、だからと云って台所から秘かに包丁を持ち出すと、後で母親が夕飯を作るのに難儀するでしょうから、そう云う如何にも大仰で人に迷惑をかけたりするのはダメです。でも、鉄の決意と胆力さえあれば、洗面器で充分貫徹出来ると僕としては考えたのですがねえ」
 万太郎は一応、話しの性質から苦った表情をするのでありました。あゆみは万太郎の説明に思わず口に手を当てて吹くのでありました。
「でもダメだったわけね?」
「顔を浸けても苦しくなると竟、どうしても顔を上げて仕舞うのです」
 万太郎が情けなさそうな表情をすると、あゆみはまた吹くのでありました。
「で、諦めたのね?」
「そうです。考えたら、女にフラれたくらいで自殺するなんと云うのは、大の男のする事じゃありません。第一洗面器で死んでも、死んだ気がちっともせんめんき。・・・」
 万太郎はそう云った後、実に下らない駄洒落だと自ら眉を顰めるのでありました。
(続)
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