So-net無料ブログ作成
検索選択
お前の番だ! 2 創作 ブログトップ

お前の番だ! 31 [お前の番だ! 2 創作]

「万ちゃん、鯵フライにはお醤油かけるんだっけ?」
 あゆみが食卓テーブルに向いあって座って話しかけるのでありました。稽古では万太郎の姓を呼び捨てにするのでありましたが、普段は「万ちゃん」と呼ぶのであります。
「はい。子供の時から家では醤油一辺倒でしたから」
「ソースかけて食べた事ないの?」
「学生時代に定食屋に行ってもずうっと醤油でしたね」
「ソース嫌いなの?」
 あゆみは頬杖をついてそう訊きながら可憐に首を傾げて見せるのでありました。
「いや、特に嫌いと云うのではないですよ。野菜炒めとかとんかつとかお好み焼きにはソースをかけます。ただ鯵フライには醤油です」
「そう決めてるんだ?」
「決めているわけじゃないですが、ま、行きがかり上、何となく」
「行きがかり上?」
「こういう場合に、行きがかり上、と云うのは妙ですかね?」
「つまり実家の風習をしっかり守っているって事?」
「いやあ、そんな大袈裟な決意があるわけじゃ全くありませんが」
 そうこうしている内に風呂から上がった是路総士が隣の居間に帰ってくるのでありました。是路総士は縁側から居間に入って床の間を背に、慣れた仕草で着ている浴衣の裾が乱れないように気を遣いながら、座卓を前に腰を下ろすのでありました。
「面能美、障子は開けておいてくれ。その方が涼しい」
 是路総士は縁側で片膝ついて畏まっている良平に云うのでありました。良平は「押忍」と返事しながら静かに障子を閉めて、縁側から回って食堂に入ってくるのでありました。
 食堂と居間を仕切る襖の開け放たれた空間越しに、万太郎は食卓テーブル横に立って直立して是路総士の方を窺っているのでありました。
「こっちは気にしないで食事にしろ」
 是路総士は顔を万太郎の方に向けてそう指示するのでありました。万太郎と丁度横にきた良平が共々「押忍」と声をそろえて返事してから、ずっと座った儘でいたあゆみと向いあって、二人は隣同士に食卓テーブルにつくのでありました。
 終日内弟子たるの弁えを忘れてはならない何太郎と良平とは違って、あゆみは母屋にあっては是路総士の内弟子から娘に変わるのでありました。依って父娘のざっくばらんな仲として、是路総士は娘の領分を超えない程度のあゆみの無礼を許しているのでありました。
「お父さん、お酒探しているの?」
 居間で一旦落ち着いた是路総士が何やら思いついて再び立って、押入れの中をごそごそと探し始めたのを見咎めてあゆみが声をかけるのでりあました。
「うん。この前、神保町の道分さんから貰った一升瓶がここにあった筈だが」
「そこに立てとくと、何かの出し入れの拍子にお父さんがうっかり倒すといけないと思って、こっちの方に移してあるわ」
(続)
nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 32 [お前の番だ! 2 創作]

 あゆみは箸を止めて立ち上がると流し台下の棚から未だ紙で包まれた儘の日本酒の一升瓶を取って、居間の是路総士の処に持っていくのでありました。
「おお、これこれ」
 是路総士は嬉しそうな顔でそれを受け取るのでありました。「これは道分さんが山形の方に出張指導に行った折に、お土産にと買ってきてくれた、住吉、という地酒だ」
 道分さん、と云うのは、道分興堂、と云う名前の是路総士の古い弟弟子にあたる人で、神保町に本部を構えて、常勝流興堂派として一派を立てているのでありました。この道分範士は体術では是路総士以上と評されているものの剣術では一歩以上の遅れがあって、篤実な人柄からか宗家である是路総士を常勝流の本家本流として常に尊び、自分はあくまでも一段低い位置に甘んじていると云う、なかなか具徳の仁と評判の人なのでありました。
 それから道場経営の才もその体術並みにあるようで、常勝流興堂派は支部道場の数では本部を数段凌ぐ程でありました。また道分範士は大いに社交家でもあって、資産家とか政財界人、それに芸能関係のお偉方なんかとの交流も幅広く、外貌だけを眺めると地味な常勝流本部より興堂派の方が余程殷盛であるようにも見えるのでありました。
 あゆみはもう一度食堂に取って返して食器棚から大ぶりで薄なりの、白地に淡い青色で唐子模様の描かれた猪口を持ってきて、一升瓶を抱えて座卓に座った是路総士の前にそおっと置くのでありました。この猪口は以前に是路総士が九州は長崎の方に指導に赴いた折、何となく気に入って自分用に買ってきた物でありましたが、ほんのりと飴色をした、住吉、のような酒を注ぐには、なかなか味わいのある取りあわせと云えるでありましょうか。
 是路総士は酒のあては何も要らないのでありました。ちびりちびりと只管、猪口を口に運ぶだけで事足りているようであります。
 食事を再開したあゆみと内弟子二人を横目に、是路総士は趣味である中国の古鏡の美術本を開いて交互に、頁を繰って猪口を傾けると云う作業に没頭しているのでありました。この中国古鏡の本を見るのは、万太郎が聞くところに依ると、是路総士が先の戦争中に武術教練師範の軍属として大陸に渡っている時に開眼したものだと云う話しであります。
 尤も是路総士は美術本の収集はするものの、古鏡その物を収集すると云った趣味はないのでありました。まあ第一、そんな文化財級の鏡が容易く手に入るわけはないでありましょうし、入手出来るとしてもかなりの高額でおいそれとは手が出ないでありましょう。
 この後、食事を済ませた万太郎は当番として皿洗いとテーブル拭きを丹念に行って、それにてようやく一日の内弟子仕事を仕舞いにするのでありました。良平の方は一足先に仕事納めて内弟子部屋に引き取っており、あゆみは居間の是路総士と一緒に座卓を囲んで、こちらは習っている習字のお師匠さんから貰ったと云う手本を束ねた分厚い綴じ本を開いて、ほんの少々、是路総士の、住吉、のおこぼれに預かっているのでありました。
「押忍、ではこれで休ませていただきます」
 万太郎は敷居後ろの板の間に正坐して居間の是路総士に座礼するのでありました。
「ご苦労さんでした」
 是路総士は正坐の儘几帳面に万太郎の方に体を向けて云うのでありました。
(続)
nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 33 [お前の番だ! 2 創作]

「万太郎、棚の中にこの前ウチの実家から送ってきた栗鹿子があるから食え」
 内弟子部屋に引き上げると布団を敷いてジャージ姿に着替えた良平が掛布団の上に寝転がって、開いている週刊プレイボーイのヌードグラビアから目を離さないで云うのでありました。この同い年の良平はなかなか気の良い男で、自分がほんの二か月ではありますが兄弟子であるにも関わらず、万太郎の布団までちゃんと敷いてくれているのでありました。
「へえ、栗鹿子ですか」
 万太郎より一応二か月早い入門で、生まれ月も六か月早い良平を彼は兄弟子と立てて敬語で喋るのであります。良平は信州の小布施の出身なのでありました。
 万太郎は棚から箱に入った栗鹿子の和紙に収まった一包みを取って、自分の布団の上に胡坐をかいて座るのでありました。
「頂きます」
 万太郎は栗鹿子を目の高さに押し戴くように上げて云うのでありました。その言葉に良平は目をヌードグラビアから放さないで頷いて見せるのでありました。
「明日の鳥枝建設の出稽古の方は万太郎が当番だよなあ?」
 良平が頁を繰りながら云うのでありました。
「ええ僕です」
 鳥枝建設では週一回水曜日の夜に社員の愛好家を対象に、地下の社員食堂で常勝流の稽古が行われているのでありました。食堂のテーブルと椅子を隅に片づけてスペースを作り、そこに青畳を三十二畳、真四角に敷いて十人程の人数で稽古をするのであります。
 勿論鳥枝範士が指導に当たり、万太郎と良平は範士の命により週替わりでその助手として出かけて行くのでありました。稽古に来る社員の方が内弟子の両名より年季は随分長いのでありますから、この二人は参加不要かと思われるのでありましたが、鳥枝範士が遠慮なく手加減なく技をかけられると云う点に於いて多分必要なのでありましょう。
 この鳥枝建設での稽古の後には、大概皆で近くの居酒屋で飲み会が行われるのでありました。そこでは内弟子の両名も鳥枝範士の許しが出て、後片づけ不要で大いに酒を呑み、且つ美味い料理をしこたま食う事が出来ると云う楽しみがあるのでありました。
「俺は総士先生のお伴で神保町の剣稽古に行かなければならんのだが、・・・」
 良平はそう云ってようやくヌードグラビアから目を離して、寝そべって腕枕をした儘万太郎を見るのでありました。神保町の剣稽古、と云うのは先に話した是路総士の弟弟子にあたる道分興堂範士の興堂派本部道場での出張剣稽古であります。
 こちらは月に一回第一水曜日の夜に、道分範士の依頼により是路総士が剣の稽古に出向いているのでありましたが、内弟子両名の内のどちらかがこちらも付き人として同行する事になっているのでありました。補足ながらこの水曜日夜の常勝流本部での稽古は、もう一人の本部付範士である寄敷保佐彦範士とあゆみが担当する事になっているのであります。
「神保町の稽古を俺と代わってくれないか?」
 良平が真顔になって上体を起こすのでありました。
「それは別に構いませんけど」
(続)
nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 34 [お前の番だ! 2 創作]

 万太郎はそう云って栗鹿子を口に放りこむのでありました。興堂派本部道場での稽古後も美味い酒と食事がふる舞われるので、万太郎に特に不満はないのでありました。
「そうか。それなら頼む」
 良平が万太郎にお礼の合掌をするのでありました。「どうにも神保町の息子先生は俺は苦手でなあ。この前も俺が行った時、俺の座礼の仕方が武道家らしくないとか云って、総士先生が興堂先生と食事している間、道場でヤツの取り巻き連中と一緒に俺を車座に座って取り囲んで、散々座礼の練習をさせやがったんだ。あれは虐めと云うものだぜ」
「そう云えばそんな事を前に聞きましたねえ」
「あの息子のヤツは相当に性格が捻じ曲がっているなあ。興堂先生はサッパリとした人なのに、どうしてあんな碌でもない息子が出来たかねえ」
 この息子先生とは、道分威治、と云う名前の興堂範士の次男坊で、上の兄が武道とは全く違う道に進んだために将来の興堂派の二代目を継ぐべき人なのであります。名遂げた人の息子であり幼少の頃より周囲にちやほやされて育ったせいか、人に対する不遜さが体貌から滲み出しているようなところがあって、万太郎も苦手なタイプなのでありました。
「でも、急に付き人が変わると総士先生がまごまごされませんかね?」
 万太郎が懸念を表明するのでありました。
「明日俺から懇ろに云っとくよ。それに鳥枝先生の方だって、要するに存分に痛めつけられるヤツが来れば、俺でもお前でもどちらでも構わんだろうからな」
 まあ、鳥枝範士の方は要するに良平が云ったその通りであろうし、是路総士も鷹揚な人でありますからその日の付き人が誰であろうとあまり気にはしないでありましょう。それから付言ながら興堂派への出稽古には、偶にあゆみが同行する事もあるのでありました。
「じゃ、そう云う事でよろしくたのむわ」
 良平が安堵の表情で、もう一度手をあわせてお辞儀までして見せるのでありました。

 万太郎は良平に案内された内弟子詰所で稽古着に着替え始めるのでありました。剣道着は少年の頃から着慣れているのでありましたが、同じ刺子でも藍色の染めのない生成りの柔道着は、剣道着よりも余程厚くて重くゴワゴワと硬く、引っ張られようが捻じられようがそれに充分耐えられるように如何にも丈夫に無骨に出来ているのでありました。
 それに剣道の時とは違って下半身には同じ綿製のこちらは刺子のない生成りの、ダブダブの作業ズボンのような、何ともイカさない下衣を穿くだけのようであります。
「袴はつけないのでしょうか?」
 万太郎が、横で着付けを見ながらあれこれ助言をくれる良平に訊くのでありました。
「つけないよ。柔道と同じだ。通常、袴の着用は三段以上からでそれまでは上衣に下衣に帯だけと決められている。女子に関しては初段以上は袴着用可となっているけどな」
 良平はそう云いながら自分の白帯の結び目をきゅっと絞るのでありました。
「ああそうですか。袴がないと何となく下半身がたじろぎますね」
「そうかい。下半身がたじろぐかい。でもそれが昔からの稽古時の体裁だからな」
(続)
nice!(14)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 35 [お前の番だ! 2 創作]

 良平は万太郎の「下半身がたじろぐ」と云う表現が妙に気に入ったようでありました。だから以後、初心者に稽古着の着方を指導する折とかに「下衣だけでは下半身がたじろぐかも知れないけど」等と時々、余計な付言をものしたりするようになるのでありました。
「稽古着に年季の差を設けない剣道とは、仕来たりが全く違うのですね」
「まあ、三段以上でも男は稽古で袴をつけるような門下生は殆どいないな。折角の稽古なのに、指導者に自分の膝の動きを隠してどうする、と云う考え方からだな。女子にしても稽古で袴をつけるのはあゆみさんくらいしかいないよ」
「色々小難しい風習もあるのですね。帯の方は、黒帯は有段者が締めるのですよね?」
 万太郎は良平の白帯の結び目に目を落としながら訊くのでありました。
「そうそう。初段審査に合格すると道場から黒帯を進呈される」
「へえ、そうですか。ところで、あゆみさん、と云うのは?」
「ああ、総士先生の娘さんで、三段かな。幼稚園児の頃から常勝流をやっていて、今では時々剣術の指導もする人だ。勿論体術にしたって相当に強いけど」
「そのあゆみさんと云う方に男のご兄弟はいないのですか?」
 万太郎は白帯を体に二重に巻きつけながら訊ねるのでありました。
「いや、総士先生のお子さんはあゆみさんだけだ。しかも総士先生が四十を超えた頃のお子さんだから、あゆみさんの年齢は俺より一つ上くらいかな」
「ああ、男のお子さんは総士先生にはないのですか」
 万太郎は臍の下で帯を結束するのでありましたが、手際が悪いので結び目が上手く纏まらず何とも見た目がよろしくないのでありました。
「そう。お子さんはあゆみさんだけ」
 良平がそう云いながら結び目を直してくれるのでありました。
「それならそのあゆみさんが常勝流道場の跡取りと云う事になるのですか?」
「いやそれは俺ごときが与り知らない問題だな」
「常勝流は一子相伝でしょう?」
「そうだけどな」
 万太郎の帯を直した良平が結び目を固くするために、最後に両帯端を持って強く横に引くのでありました。万太郎の胴がその力に不規則に揺らぐのでありました。
 それはこれでその話しはお仕舞いだと云う、良平の意思表示のサインのようでありました。依って万太郎はそれ以上の質問を控えて、上衣のあわせ目を整えるのでありました。
「おいこら、着替えに何時までかかっているのか!」
 道場に戻って見所前に座っている鳥枝範士の下に趨歩すると、いきなり鳥枝範士の雷鳴のごとき声が万太郎と良平の顔にぶつかるのでありました。
「ああどうも済みません。帯の結び方がよく判らなかったので」
 万太郎は慌てて低頭するのでありました。
「まあよい。もうすぐ稽古が始まるから、それまで下がって正坐していろ」
 鳥枝範士が下座を指差すのでありました。
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 36 [お前の番だ! 2 創作]

 他の門下生が数人、既に道場に来ているのでありました。皆下座の方で首を回したり手首を回したり、上体を前屈させたり腰の捻転をしたり、太腿を小刻みに叩打して体に振動を入れたりの軽い準備運動をしているのでありました。
 万太郎はその準備運動の邪魔にならないように道場の隅の方に正坐して、門下生達の動きを見ているのでありました。夫々の前に行って挨拶をした方が良いのか少し迷うのでありましたが、特に鳥枝範士からも良平からも指示がなかったし、道場ではやたらと声を発せず静粛であるべきであろうと忖度し、畏まって座っているのみでありました。
 十人程の門下生が集まると、見所前の鳥枝範士は下座の壁にかかっている時計を見上げるのでありました。それからゆっくりとした動作で立ち上がって、下座奥端に下がって皆より畳一畳前に見所の方を向いて威儀を正して正坐するのでありました。
 鳥枝範士が動いたのを潮に門下生達は準備運動を既に止めて、下座に一列に正坐しているのでありました。俄に道場の空気が新月のように張りつめるのでありました。
 捨身流の道場に通っていた時もそうでありましたが、万太郎はこの稽古前の緊張したごく短い時間が何とも苦手なのでありました。刑場に引き立てられて、これから始まる刑の執行を待つ咎人の心境もかくやと思われるのでありました。
 どうしてこの空気に馴染めないのか、万太郎は自分でもよく判らないのでありました。稽古が始まって仕舞えば、全くなかった事のように何でもなくなるのでありますが。
 道場外の廊下を歩いて近づく足音が聞こえるのでありました。良平がきびきびとした動作で立って片膝ついて道場の引き戸に手をかけるのでありました。
 頃あいで良平が引き戸を開くと、丁度一拍の間を空けて白の稽古着に黒袴をつけた中肉中背の、鳥枝範士の芬々たる威に比べれば遥かに優し気な六十年配の御仁が道場に足を一歩踏み入れるのでありました。御仁は二歩目で敷居に躓いてよろと体を傾がせて歩幅を乱すのでありましたが、この御仁こそ常勝流総士たる是路搖歩先生でありましょう。
 是路総士はその儘何事もなかったかのように見所の方に進むのでありました。そのすぐ後から一人の、これも白の稽古着に紺袴姿の若い女性が、控えめな風情で道場に身を入れると上座に一礼して、素早く下座に下がって万太郎の横に正坐するのでありました。
 突然横に肩が擦りあう程の近さに女性が座ったもので、万太郎は少したじろぐのでありました。しかし女性の方は万太郎には一切無関心な風情でありました。
「神前に、礼!」
 是路総士が見所前に正坐するのを見届けてから、鳥枝範士が大音声で号令するのでありました。総員の神前への礼が済むと是路総士は神前真正面から横に外れた処に膝行で移動して、下座に並ぶ門下生の方に端正な正坐姿で向き直るのでありました。
「総士先生に、礼!」
 鳥枝範士の次の号令が道場に響くのでありました。門下生一同が深く座礼して「押忍!」と揃って発声するのでありました。捨身流の道場でも高校生の頃の剣道部でもこう云った返答の言葉を遣った経験がなかったので、万太郎は何となく居心地の悪さを覚えるのでありましたが、大学時代の体育会空手部の連中はこうした返答言葉を遣っていましたかな。
(続)
nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 37 [お前の番だ! 2 創作]

「では一本目を行う」
 是路総士が見所に上がったのを見届けて鳥枝範士が前に出るのでありました。是路総士の入場時に引き戸を開けた良平は、その位置で神前と総士先生への座礼をしていたのでありましたが、鳥枝範士の声に機敏に反応してすぐに同じく前に出るのでありました。
「今日は先ず、立ち取りで胸持ち肘極めの裏技を稽古する」
 鳥枝範士が道場中央で良平を相手にその技を披露するのでありました。胸倉を掴んで押す良平の手首を持って鳥枝範士がその押す力を利用して、くるりと体を回転して良平の側面に入ると、それに誘引された良平が肩諸共腕を返されて一歩前に出るのでありました。
 伸びきった良平の腕を鳥枝範士は脇下に取って固定するのでありましたが、丁度範士の懐に良平の片腕が抱かれているような具合になるのであります。鳥枝範士は間髪を容れず今度は逆回転をかけながら、良平の肘を上から圧しかかるように極めるのでありました。
 良平は一歩前に出た分、肘をより強く逆に極められて、その場に腰から落ちるように蹲るのでありました。見ているだけで相当に痛そうで、良平はもう片方の手で畳を必死な様子で大袈裟に何度か叩くのでありましたが、これは参ったと云うサインでありましょう。
 万太郎は昔、合気道の演武でこれと同じような技を見た記憶があるのでありましたが、体術の技としてはどの武道流派の中にも、同じような肘を極める関節技は一般的に在るのであろうと推量するのでありました。確かに肘を逆に極めるのは、相手を制圧するには大いに効果的でありましょうから、そこを狙わない手はないと云うものであります。
 鳥枝範士は向きを変えながらこの技を三本、手本として下座に正坐して整列する門下生の前で演じるのでありました。受けを取る良平の顔が一本毎に険しくなるのでありましたが、それは鳥枝範士の技が相当に強烈であるためでありましょうか。
 内弟子に入ればこう云う技を容赦なくかけられて、日々痛い思いをしなければならないのでありましょう。万太郎は既に長年経験済みの竹刀や木刀であちらこちら引っ叩かれる痛みと、色んな関節を逆に極められる痛みとではどちらが未だしも許容出来るであろうかと、無意味と云うも甚だ疎かなる比較論を頭の隅で展開しているのでありました。
「ではこの技を止めの号令があるまで繰り返せ」
 鳥枝範士が先ず受けを取った良平に、それから下座の門下生の方に威迫に満ちた礼をしながら命じるのでありました。全員が「押忍!」と発声しながら鳥枝範士に呼応の一礼をして、二人一組になって道場一杯に広がって技の稽古に取りかかるのでありました。
 しかしそう云われても万太郎はどうして良いのか判断出来ず、皆の立ち上がる動作に乗り遅れて、取り残されたように一人下座の隅に座っているのみでありました。三回見ただけで、いきなりそんな技の稽古が万太郎に出来るわけがないのであります。
「ほれ、さっさと立ち上がれ」
 鳥枝範士が近寄ってきて、途方に暮れたような顔をしている万太郎を見下ろしながら命じるのでありました。「どうだ、少しやってみるか?」
 鳥枝範士がそう誘ってくれるものの、どこかの組に自分が混ざると足手纏いになるであろうと云う気後れから、万太郎は力ない笑いを浮かべて尻ごみするのでありました。
(続)
nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 38 [お前の番だ! 2 創作]

「まあ、いきなりこの技の稽古は無理か」
 鳥枝範士が万太郎に云うとも独り言ちるともつかない云い方をするのでありました。
「ここで見学させていただきますよ」
「いや、折角来たのだし、稽古着にも着替えておるしなあ」
 鳥枝範士は道場内を無愛想な顔の儘で見回してから、稽古の始まる前に万太郎の隣に座った女性を手招きしながら呼ぶのでありました。「おうい、あゆみ、こっちへ」
 手招きされた女性はすぐに顔を向けて、既に一緒に稽古を始めていた男に一礼して、小走りにこちらにやって来るのでありました。既に一緒に稽古を始めていた男、と云うのはどうやら内弟子の先輩に当たる面能美良平のようでありました。
「ここに居るのは、見学と体験に来た男で、名前は折野、・・・」
「折野万太郎と云います」
 鳥枝範士が名の方を失念したようなので、万太郎がすぐに後を引き取って自ら名乗って女性にお辞儀して見せるのでありました。
「ああどうも、ご苦労様です」
 女性が万太郎に一礼を返すのでありましたが、仕草が溌剌としていてポニーテールに束ねられた黒髪がその時頭の後ろで躍動するのでありました。先程、是路総士の後について道場に現れた時から既に推察はついているのでありますが、この女性がどうやら、控えの間で稽古着に着替える時に良平から聞いた是路総士の一人娘のようであります。
「この折野と云う男に、構えの取り方とか正坐や礼の仕方とか、それから基本の動きや受け身なんかをさらっと教えてやってくれ」
 鳥枝範士があゆみに命じるのでありました。
「はい、承知しました」
 あゆみはそう返事して万太郎の方を見るのでありました。大きな可憐な目で一直線に見られて、万太郎は少したじろぐのでありましたが、それは顔に表わさないのでありました。
「じゃあ先ず、構えからね」
 鳥枝範士がその場を去るとあゆみが万太郎の横に立つのでありました。「常勝流体術の構えは剣術の正眼の構えと殆ど同じで、こんな感じ」
 あゆみが構えて見せるのでありました。右足を前に左足を後ろに、一足より少し大きな幅で前後に取って撞木立ちして、手は刀を持っていないので手刀にして、右腕は腰よりほんの少し高い位置にゆったりと伸ばして、左手は腰に添えると云う構え方であります。
「ちょっとやってみて」
 万太郎はあゆみが見本に示した構えをぎごちない仕草で真似るのでありました。万太郎の構えた姿を正面や後ろや横から、少し距離を置いてあゆみが点検するのでありました。
「ひょっとして剣道か何かやった経験がある?」
 あゆみが万太郎の背後から訊くのでありました。
「ええ。前に少しばかり」
「何となく腰つきが初心者にしては様になっているわね」
(続)
nice!(13)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 39 [お前の番だ! 2 創作]

 こうやってその後万太郎はあゆみから正坐の仕方とか、歩み足、継ぎ足の運足法とか手刀に依る正面への打ちこみ方とか、受け身の取り方等を習うのでありました。先ずあゆみが見本を示してそれを万太郎がぎごちなく真似るのであります。
 あゆみの動きは端正でしなやかで、腰の不要な動揺がなくて美しいのでありました。万太郎はこの動きで剣を操ればさぞや見栄えがするであろうと想像するのでありました。
 その日の稽古では都合三本の異なる体術の技を稽古するのでありました。技が変わる度に鳥枝範士は道場下座に居並んで食い入るように目を凝らしている門下生の前で、その技の範を示すのでありましたが、三本とも受けは良平が取るのでありました。
 万太郎も一応道場の仕来たりから下座に下がって鳥枝範士の模範を見るのでありました。しかし実のところ万太郎には不謹慎ながら、横に肩が擦れあうように一緒に座るあゆみの気配や息遣いの方が、鳥枝範士の鮮やかな技の演武以上に気にかかるのでありました。

 スーツにネクタイ姿の万太郎と稽古着を着た良平は、玄関の靴脱ぎで是路総士が出てくるのを待っているのでありました。
「興堂派への出稽古の付き人を僕と代わると云う事を、総士先生はもうご存知ですよね?」
 万太郎が横で靴箆を持って立つ良平に訊くのでありました。
「朝の内に許可は貰ってあるよ」
「どうして変わるのか総士先生はお尋ねになりませんでした?」
「いや別に。ああそうかって云われただけだ」
 師範控えの間の方から廊下をこちらに向かって歩く足音が聞こえたので、万太郎は是路総士と自分の、出稽古に持っていく稽古着の入った二つの風呂敷き包みを上がり框から取るのでありました。荷物は風呂敷き包みの他に木刀も二本あるので嵩張るのであります。
 納戸兼内弟子控室の角から是路総士の姿が現れると万太郎と良平はそちらへ体を向け、固いお辞儀をしながら声をあわせて「押忍」と挨拶するのでありました。是路総士の後ろには稽古着姿の寄敷保佐彦範士とあゆみが一緒について来るのでありました。
 寄敷範士は是路総士より少し小柄で、鳥枝範士と同い歳の、しかし彼の範士より大いに無愛想でなく、遥かに柔和そうな顔立ちをした人であります。
「では、総士先生、お気をつけて」
 板張りの玄関に正坐して寄敷範士が是路総士に律義らしく座礼するのでありました。少し下がった辺りに同じく正坐したあゆみが一緒に頭を下げるのでありました。
「こちらの夜稽古の方はよろしくお願いします」
 靴を履いた是路総士がふり返って寄敷範士に浅くお辞儀するのでありました。
「承りました」
 寄敷範士は両手を床についた儘の姿勢でいたので、もう一度頭を両手の甲の上に沈めてから上体を起こすのでありました。「じゃあ、折野、総士先生の事をよろしく頼む」
 寄敷範士は万太郎を見ながら、こちらには特に礼はしないのでありました。
「押忍。承りました」
(続)
nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 40 [お前の番だ! 2 創作]

 万太郎は寄敷範士の方に向かって頭を下げるのでありました。常勝流総本部道場では誰かから指示を貰った場合「承りました」と返すのが決まりなのでありました。
 是路総士のすぐ後ろを二つの風呂敷き包みを両手に、木刀は二本共一つの布製の紫色の木刀入れに入れて紐をつけて肩に背負って、万太郎はぼちぼち暮れかかった仙川の街を駅に向かって歩くのでありました。商店街からの買い物帰りの主婦らしきと何人かすれ違うのでありましたが、未だその頃の仙川駅周辺は商店街を除いてさして人の通りは頻と云う程ではなく、荷物の多い万太郎も然程歩きにくいと云うわけではないのでありました。
「面能美は道分さんのところの若先生がひどく苦手のようだな」
 是路総士が後ろの万太郎に話しかけるのでありました。良平が付き人を万太郎と変わった理由を、何となく察しているような様子であります。
「押忍、そのようで」
「まあ、あのやんちゃ坊主には父親の興堂さんすら少々手を焼いているようだしなあ」
 ここで「押忍」と返事するのは、内弟子とは云うものの、未だ入門二か月程度の輩の分際では不謹慎と云うべきであろうから万太郎は黙っているのでありました。勿論万太郎のそんな返事を是路総士も要求してはいないでありましょうし。
 前から来る四十年配の、その頃では珍しくなった和服に割烹着姿の主婦らしきが、両手でスーパーの紙袋を抱えて是路総士に笑いかけながらお辞儀するのでありましたが、これは道場の近所に住む書道家の大岸聖子と云う名前の先生であります。この大岸先生にはあゆみが師事していて週に二回程稽古に通っているのでありました。
「これから出稽古ですか?」
 すれ違う位置に接近する前に大岸先生が声をかけるのでありました。
「はい。神田神保町の方まで」
 是路総士も歩を止めないで軽く頭を下げるのでありました。
「お気をつけていってらっしゃいまし」
「はい、有難う」
 二人はすれ違いざま同時に再度お辞儀をするのでありましたが、万太郎は一応ちょっと立ち止まってから大岸先生に一礼するのでありました。
「ご苦労様」
 大岸先生は付き人の万太郎にも頭を下げてくれるのでありました。大岸先生は偶に道場の母屋の方に遊びに来るので、万太郎も全く知らない仲と云うのではないのでありました。
 大岸聖子先生は、夢蝶、と云う号を持ち、その世界ではなかなか知られた人でありました。道場で発行する免状やらの筆耕を時々やってくれてもいるのであります。
「折野はあのやんちゃ坊主に何か被害を受けた事はないのか?」
 是路総士がまた歩きながら万太郎に話しかけるのでありました。
「押忍、今のところこれと云って特には」
「お前はごく偶に妙に怖い目をする時があるから、それでかな」
「押忍。僕の目つきが悪いのは人徳の不足と伴に近眼のせいでもあります」
(続)
nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 41 [お前の番だ! 2 創作]

 万太郎の受け応えに是路総士は上下に小刻みに肩を揺するのでありました。
「眼鏡は要らんのか?」
「押忍。今のところ特に不便はないので」
「ところで、その、押忍、は道場では構わんが娑婆にあっては控えた方がよかろうよ」
「押忍」
 万太郎が習い性からそう返事して、すぐさまこりゃ仕舞ったと云う顔をした時丁度、是路総士が万太郎の方をふり返るのでありました。「ああいや、ええと、はい、判りました」
 是路総士は万太郎の顔を見て少し吹くのでありました。娑婆っ気を道場に持ちこまず道場風を娑婆に持ち出さない、と云うのが是路総士の心がけのようであります。
 是路総士は道場を一歩でも離れると、如何にも武道家然とした態度を努めて隠すのでありましたし、あゆみや内弟子達にもちょっとした用足しに外に出る時であっても、稽古着の儘出る事を禁じていて、彼等は隣の家に回覧板を持っていくにしても必ず平服に着替えるのであります。だからこの日も是路総士も万太郎もスーツ姿なのでありました。
「お前のその何となく無邪気な風情が、邪気を寄せつけんのかも知れんなあ」
「押忍。いや違った。はあ」
 万太郎は無邪気と云われたのは褒められたのかそうではないのか判断が出来なかったので、曖昧に返事するしかなかったのでありました。しかしこうしてみると、押忍、なんと云う返答の言葉は、はい、と云うきっぱりした返事にも、はあ、と云う曖昧に語尾を落とす時の返事にも、両方同じような調子で使えて実に便利であると思うのでありました。
 荷物が多いから万太郎は駅で切符を買うのも、その一枚を是路総士に渡す時にも、改札を抜ける時にも少しく閉口するのでありました。せめて自分の稽古着の入っている風呂敷包みを、是路総士が自分で持ってくれれば有難いものだと心の端っこでちらと思いはするものの、しかしそんな事を弟子が師匠に頼める筈はないのであります。
 いや、若し頼んだとしたら是路総士なら特段不快がる事もなく荷物を受け取ってくれるでありましょうが、しかしそんな狎れた催促をした瞬間、堅守すべき範を弟子が無様に無神経に犯したのであり、師弟関係と云う白い絹糸のような麗しい繋がりを一瞬に自ら失うのであります。第一その事が鳥枝範士にでも聞こえたならば、万太郎は途轍もない大雷と、即座に破門と云う絶対変更不可能のお達しを彼の範士に頂戴する事になるでありましょう。
 その辺の少々まわりくどい機微を是路総士も屹度重々判っているので、万太郎に総士自ら荷物を持とうかと云う掟破りの申し出なんぞはしないのでありました。しかし是路総士の眉と目との間の陰影に、何となく、済まんなあ、なんと云う一種の愛すべき卑屈みたいな感情の漣が潜んでいるのを、何太郎は充分に感得する事が出来るのでありました。
 師匠が師匠たる態度を弟子に取るのも、これでなかなか気骨の折れるものようであります。万太郎は電車が来るのを是路総士の斜めすぐ後ろに立って駅のホームで待ちながら、徒然なる儘にそんなような事を考えるともなく考えているのでありました。
 神保町の興堂派本部道場へは御茶ノ水駅から歩くのでありました。現在では都営地下鉄が通っているのでありますが、この当時は未だそれは開通していないのでありました。
(続)
nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 42 [お前の番だ! 2 創作]

 どちらかと云えば興堂派本部道場へは水道橋駅が最寄りとなるのでありましょう。しかし是路総士が御茶ノ水駅から駿河台下の方へ道を下り、明治大学の間を抜けて山の上ホテル前を右また左と折れ錦華公園に至る坂道の風情の方が、水道橋から真っ平らな白山通りを歩くより気に入っているので、畢竟、通い道はこのルートとなるのでありました。
 もう殆ど暮れた街を歩くのでありますから、風情も情緒もないものと万太郎は思うのでありますが、そんな差し出がましい事を師匠に云えるわけはないのでありました。それに確かに調布の仙川駅から新宿経由で神保町に行くのなら、各駅停車しか止まらない水道橋より、新宿から停車駅二つで御茶ノ水まで快速電車で行った方が早いのではありましたし。
「ご免下さい。総士先生がお着きになりました」
 なかなか立派な拵えの興堂派本部道場の玄関を入って万太郎が中に向かって声を上げると、すぐに道分興堂範士が自ら是路総士を玄関まで迎えに出てくるのでありました。興堂範士の後ろには若い門弟二人がつき従っているのでありました。
「ご苦労様でございます」
 道分興堂範士は二人の門弟共々玄関の板張りに威儀を正して正坐して、是路総士に向かって律義な一礼をするのでありました。
「ああどうも、お出迎え恐れ入ります」
 是路総士は玄関沓脱ぎに立った儘こちらも丁寧な立礼を返すのでありました。弟弟子だからと云って、是路総士は分派した興堂範士に対して決して不遜な態度等とる事なく、寧ろ同格の礼を以って何時も対するのでありました。
「先日の吾輩の還暦祝いにはご丁寧な進物をいただいて有難うございます」
 興堂範士が再度低頭するのでありました。
「いやいや、本当は私も還暦祝いに出席したかったのですが、生憎、前からの予定で北海道の倉阿久君の処の出張稽古が入っていたもので失礼しました」
 北海道の倉阿久君と云うのは是路総士の古い門弟の一人で、現在は常勝流の北海道支部長として札幌の方で活躍している人であります。
「とんでもない。代理に寄敷君と鳥枝君が来てくれて、色々昔話しに花が咲きましたわ」
 興堂範士は顔の前でひらひらと手刀を横にふるのでありました。「いやまあ、話は中でと云う事で、どうぞお上がりください」
 入門順で云うと今現在の主たる現役では是路総士が一番上の兄貴、その下が興堂範士、そのまた下の弟が鳥枝範士と寄敷範士となるのであります。
 興堂範士の門弟二人が急ぎ沓脱ぎに降りて、是路総士の横で姿勢を低くして介助の役を担うのでありました。まあ、介助と云っても特に何か手出しをするわけではなく、相撲の露払いや太刀持ちみたいな役どころと云った感じであります。
 門弟達の慎み深くしてきびきびとした挙措は、興堂範士の弟子に対する教育が行き届いている証しでありましょう。万太郎なぞはその二人の、慎み深くしてきびきびとした介添えの対象外でありますが、これは常勝流門弟の兄弟関係からして当たり前の事で、万太郎は荷物を抱えた儘で、一行の最後尾につき従って奥の間の方へ進むのでありました。
(続)
nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 43 [お前の番だ! 2 創作]

 道場横の師範控えの障子の開け放たれた座敷には、是路総士と興堂範士の二人のみが入るのでありました。興堂範士の二人の門弟の内の一人が急ぎその場を離れるのは、是路総士と興堂範士に献じる茶を入れてくるためでありました。
 残った門弟一人と万太郎は作法上廊下の、開け放たれた障子の左右に控えるのでありました。座敷の中では是路総士と興堂範士が話しをしているのでありました。
「どうですかな、最近の情勢は?」
 是路総士が興堂範士の方をにこやかな顔で見ながら訊くのでありました。
「今度信州の松本の方に支部が出来ますかな。その内あにさんにもご指導においでいただく事になるやも知れませんが、その折にはよろしくお願いします」
「ほう、相変わらずなかなかご隆盛のようですなあ。私ごときでお手伝い出来る事があるなら、何なりとお申しつけください」
「あにさんに一度でもお出でいただければ道場に箔がつきます」
 是路総士は興堂範士の言葉に、笑って首を横にふって謙譲を見せるのでありました。
「折野、お前は先に着替えてこい」
 是路総士が万太郎に指示するのでありました。
「押忍。ではそうさせていただきます」
 座卓を前に、先程一旦下がった門弟が持って来た茶を、座布団に正坐して喫している興堂範士にも万太郎は丁寧な座礼をするのでありました。その後自分の稽古着の入った風呂敷き包みを抱え上げて、廊下の障子際に控えている興堂範士の門弟二人に、顔を起こした儘相手の顔を見て片手をついてお辞儀をするのでありました。
「着替えてきますので少しの間総士先生の荷物をよろしくお願いします」
 門弟二人は万太郎には特に礼をせずに、黙って頷いて見せるのでありました。
 着替えは五分内外で済ませて戻って来なければならないのでありました。呑気に着替えていられない万太郎は更衣室の方に向かって趨歩するのでありました。
 神保町の興堂派本部道場の更衣室は常勝流総本部道場のそれに比べると、二倍くらいの広さがあるのでありました。しかも三方の壁にはロッカーが並んでいて、別室には水道蛇口の四つついた洗面台と三基のシャワーまで完備しているのでありました。
 調布の常勝流総本部道場の門下生更衣室は六畳の板張りで、中に古めかしい和式の水洗便所が付属しているのみであります。この便所てえものも数年前までは水洗ではなくて、更衣室には窓がないので、何とも風流な臭いが常時漂っていたと云う話しでありました。
 因みに常勝流総本部は戦後間もなく出来た木造の平屋でありますが、興堂派本部は鉄筋コンクリート二階建てであります。一階に玄関と受付と更衣室、それに師範控の間とか内弟子の溜まり部屋等があって、二階が凡そ百三十畳の道場となっているのでありました。
 しかも道場は採光と換気に気を遣ってあって、天井に明かり取りが設えられているし空調設備も整えられているのでありました。道場周りに廊下が回っているので照明がないと昼でも薄暗く、しかも風の通りが全く悪い常勝流総本部道場に比べてみると、何とも豪奢な道場と云うものであり、これは興堂派の隆盛を表していると云えるでありましょう。
(続)
nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 44 [お前の番だ! 2 創作]

 万太郎が更衣を終えて急ぎ師範控えの間に戻ると、座敷には是路総士と興堂範士の他にもう一人、袴をつけない黒帯の若い男が興堂範士の横に座っているのでありました。それは興堂範士の息子で、興堂派の若先生と通称される道分威治教士の顔でありました。
 正坐はしているものの、はだけたと云う程の崩れはないにしろ、常勝流総士と同座するにしては少し稽古着の胸元のあわせ目が弛んだ着こなしで、居住まいも何となく畏まった容儀の感じられないものでありました。万太郎は前から親しみをあまり感じない威治教士を見て、不自然な感じではないよう気をつけながらすぐに目を逸らすのでありました。
 それから廊下に正坐して、座敷の中に居る、先ず是路総士に、次に興堂範士に、それからまあ、そこに居るから仕方がないので息子先生に対しても、殊更その緊張感を欠いた居住まいを当て擦る気はないのでありますが、しかし努めて端正に凛然と座礼をして見せるのでありました。礼の仕方が武道家らしくないと云っていじめられた良平の、それを話す時の眉根を寄せてげんなりした顔が万太郎の下げた頭の隅にちらと過ぎるのでありました。
 威治教士は廊下の万太郎を横目で見てから両目を少し細めるのでありましたが、これは嬉しくてそう云う目つきをしたわけではなくて、上位者同士が歓談している最中に俄に視界に現れた場違いの新参の白帯の付き人風情を見る時の、人を人として認めていない侮りに依拠した表情の変化である事は、無愛想に結んだ儘のその口元からも明らかなのでありました。威治教士は億劫そうに万太郎から目を逸らすのでありました。

 あゆみの指導で後方受け身を何本かやっている万太郎の傍に鳥枝範士がやって来て、丁度万太郎が起き上がったところへ声をかけるのでありました。
「どうだ、常勝流体術もなかなか面白いだろう?」
 面白いも何も技をやらせて貰ったわけではなく、構えとか正坐の仕方とか、継ぎ足歩み足、それに受け身とかばかりを稽古していた万太郎は、そう訊かれてもきっぱり面白いですと応ずるだけの確信に満ちた言葉は口から外に出ないのでありました。まあ確かに受け身なんかは今までやってきた剣術や剣道にはないもので、それなりの物珍しさはありはするのでありましたし、あゆみが見本に見せてくれる前方に飛躍して宙で回転しながらふわりと転がり着地する受け身等は、見ていて慎に美しい感嘆すべきものではありましたが。
「どうだい、この男の筋は?」
 鳥枝範士があゆみに訊くのでありました。
「なかなか呑みこみが早いと思います」
 あゆみが応えるのを聞きながら万太郎は何とはなしに嬉しくなるのでありました。
「ああそうかい。ワシが見こんだだけの事はあるか」
「入門された後は専門稽古にいらっしゃるのですか?」
 あゆみが万太郎の方に愛嬌のある笑い顔を向けるのでありました。
「いやいや、入門後は専門稽古にも一般稽古にも、内弟子稽古にも出る事になる」
 これは万太郎より先に鳥枝範士が云う言葉でありました。「なにせこの男は常勝流総本部道場の内弟子として入門する事になるんだからな」
(続)
nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 45 [お前の番だ! 2 創作]

「ああそうなんですか」
 あゆみがもう一度万太郎を見るのでありましたが、内弟子としての入門と聞いて先程と同じに笑い顔ではあるものの、その目尻に漂わせていた愛嬌が少し減じているように万太郎には思われるのでありました。それは内弟子なる存在が一般の門下生とは少し違う、万事に些か峻厳なる立場にある事を仄めかせていると云う事でありましょうか。
「まあ、そう云うわけだから、今後ともこの男の教育をよろしく頼む」
 鳥枝範士が万太郎の肩を叩きながらあゆみに向かって云うのでありました。
「よろしくお願いいたします」
 万太郎も何となくはにかむような笑いを浮かべてあゆみにお辞儀して見せるのでありました。この女性が是路総士の一人娘である事はほぼ間違いないながら、完全なる断定は未だ出来かねるので、偶々専門稽古に参加している一般の門下生よりは少し意欲的な女性門下生に対するような心算で、殊更に丁重で厳格なお辞儀はしないのでありました。
「稽古止め!」
 鳥枝範士が二人の傍から離れながら道場中に響く大声でそう宣するのでありました。その声を聞いて門下生達が稽古を止めて急ぎ下座に横一列に整列するのでありました。
「その位置に正坐!」
 鳥枝範士は門下生に指示を与えてから、自分も稽古が始まる前に座っていた下座の端に移動して見所に向き直って、居並ぶ門下生より畳一枚前に威儀を正して正坐するのでありました。今まで畳を打つ音や「エイッ!」と云う気合いの発声に満ちていた道場が、咳の音一つだにない、極限まで緊張された弦のような静寂に包まれるのでありました。
 是路総士がその静寂の中でゆっくりと見所を降り、道場中央で皆と同じに神棚の方に向かって正坐するのでありました。
「神前に、礼!」
 鳥枝範士が号令すると一同が一斉に神棚に向かって無言で頭を下げるのでありました。神前への礼が終わった後、是路総士が膝行で神棚正面からやや外れた位置に移動して門下生の方へ向き直ると、鳥枝範士がまた大音声の号令をかけるのでありました。
「総士先生に、礼!」
 門下生一同は「押忍!」とこの時は発声するのでありました。座礼が済むと是路総士は徐に立ち上がって出入口の方に向かうのでありましたが、そこにはもう良平が畏まって片膝ついて引き戸に手を添えているのでありました。
 下座の門下生達は礼が済んだからと云って誰一人立ち上がる者はなく、正坐した儘引き戸の方に体を向けて両手を畳について是路総士の退場を見送るのでありました。道場から是路総の姿が消えると、門下生達は今度は下座の奥に座る鳥枝範士の下へ趨歩して、鳥枝範士を円座に取り囲むようにして各個に「押忍、有難うございました」と云いながら座礼するのでありましたが、鳥枝範士は一人々々に無言で礼を返すのでありました。
 それが済むと今度はその日相手をした者同士で礼を交わして、これでやっと稽古終了時の儀式が完了すると云った具合なのでありました。なかなか律義全うな事であります。
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 46 [お前の番だ! 2 創作]

 万太郎も一同の真似をしながら、この日相手をしてくれたあゆみと礼を交わすところまで何とか無難に漕ぎ着けるのでありました。あゆみは万太郎との礼を交わし終える暇も惜しむごとく、まるで是路総士の後を追うように早々に道場を立ち去るのでありました。
 稽古後には何か愛想の一言でもあって良いものと思うのでありましたが、彼女にはこの後取り急ぎの用事でもあるのでありましょう。あゆみがかなりの美人であっただけに万太郎としてはそのつれない仕打ちに竟、落胆の心持ち等覚えるのでありました。
 門下生全員との礼を交わし終えた鳥枝範士が万太郎の傍に来るのでありました。
「これから総士先生に挨拶に行って貰うから、ワシの後について来るように」
 鳥枝範士はそう云うと道場出入口の引き戸の方に、万太郎を後ろに従えて歩き出すのでありました。鳥枝範士の動きを認めた良平がそれを見送るため、是路総士にしたのと同じに片膝ついて引き戸に手を添えるのでありました。
 未だ道場に居残って、その日稽古した技や日頃から自分の課題としているところを復習っている門下生達を後に、鳥枝範士は引き戸際に正坐して道場に向かって一礼してから敷居を跨ぐのでありました。万太郎もそれに倣って正坐して両手を揃えてお辞儀してから、廊下を歩む鳥枝範士の後ろに適度な間隔を置いてつき従うのでありました。
 この常勝流総本部道場に於いてはなかなか礼儀作法が厳しいようであります。稽古開始時にしても稽古終了時にしても、それに稽古中に鳥枝範士に教えを受けた時も、門下生同士が夫々に稽古を開始する時も、稽古中に隣で稽古している組の者と受け身を取る時なんぞに不測に体を接触した折も、皆は一々正坐して無精がらずに座礼するのでありました。
 鳥枝範士にしても門下生に座礼をされたら、矢張り一々それに律義に座礼を以って応えるのでありました。稽古中立ったり座ったりと見ていてなかなか大変そうであります。
 道場を出て左に廊下を進み道場玄関を過ぎて、更衣をした納戸兼内弟子控えの間の角を左に折れると未だ奥の方まで廊下が続いているのでありました。廊下の窓から日が射しこんでいるから、玄関が北側にあって折れたこの廊下は西と云う事になるのでありましょう。
 この西側の廊下の奥方は二間分窓が床まで切ってある縁側と云う造りになっていて、廊下に面して障子戸の部屋があるのでありました。鳥枝範士はその部屋の前で廊下の板張りに正坐すると、閉まっている明かり障子の向こうに声を上げるのでありました。
「内弟子志願の者を連れてまいりました」
 中から「はいどうぞ」の返答があるのでありましたが、これは是路総士の声でありましょう。稽古中は結局一度もその声を聴く機会はなかったのでありましたが、鳥枝範士が道場でそのような丁寧なもの云いをする相手は是路総士以外にないでありましょうから。
 鳥枝範士が右手で静かに障子戸を開けるのでありました。窓から射す西日が薄暗い部屋の中に流れ入るのでありました。
 鳥枝範士が部屋の中に向かって座礼するのでありました。横で少し下がった位置に矢張り正坐していた万太郎も同じように頭を下げるのでありました。
「どうぞ中へ」
 部屋の中の是路総士と思しき仁が静和な声で入室を促すのでありました。
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 47 [お前の番だ! 2 創作]

「この者が今度内弟子に入る男です」
 鳥枝範士が後ろに控えた万太郎を是路総士に紹介するのでありました。
「ああそうですか。大いに励んでください」
 是路総士は万太郎に向かってそう声をかけるのでありました。
「折野万太郎と申します。向後、ご指導をよろしくお願いいたします」
 万太郎は座礼しながら畏まった口調で云うのでありました。そう云いながらも、鳥枝範士が勝手に万太郎が内弟子に入ると端から決めてかかっていて、そのペースに押し切られたような格好でこうして今、是路総士に向かって自分が低頭しているようなわけで、実のところ万太郎としては未だ現実感と云うものが希薄な儘なのでありました。
「是路と申します。こちらこそよろしく。ところでご親族の許可は取ってあるのですか?」
 是路総士が訊くのでありました。
「いや、それは未だ。・・・」
 万太郎は顔をやや起こして鳥枝範士の後頭部をたじろぎの目で見るのでありました。
「面能美の場合と同様、一応鳥枝建設が嘱託社員と云う身分で採用したと云う体裁にいたしますので、その点を後日、当人から親御さんの方へははっきり連絡させます」
 これは鳥枝範士の言葉でありました。「その折、ワシの方から、仕事の実態としては常勝流の専門稽古生になる事だと云う少し詳しい内容の手紙を出しておきます」
「ああそうですか。もし必要なら私も手紙を添えましょう」
「まあ、万が一内弟子稼業につく事をご両親に反対されるとしても、もう成人した健児でありますから、本人の強い覚悟があれば特段の問題は出来しないでありましょう」
「ご両親は、君が常勝流の内弟子になる事に反対されると思いますか?」
 是路総士が鳥枝範士の後ろで正坐している万太郎に穏やかに訊くのでありました。
「僕は男女取り混ぜて四人兄弟の末っ子の三男でありますし、上の兄達や姉は郷里の熊本で、もう就職していますから兄弟の中で僕が少しへんてこりんな仕事、ああいや、その、あまり一般的ではない仕事に就いたとしても、両親は意外にあっさり受容すると思います」
「ああそうですか」
 是路総士が笑みを湛えて頷くのでありました。
「それにウチの父親は、自分はやらないくせに武道好きな性質で、子供には大いに剣道を奨励しておりましたから、寧ろ喜ぶかも知れません」
「ああ、この男は高校生の時まで捨身流の剣術道場に通っていたと云う事です」
 鳥枝範士が横から云い添えるのでありました。
「ほう、勇猛果敢な打ちこみで鳴らす、あの熊本の捨身流ですか?」
「いやまあ、主に竹刀剣道をやらせられました。捨身流の形を習い出したのは高校生になってからですから、捨身流をやっていた、と云うのは少し大袈裟な云い草かと思います」
 万太郎は恐懼しながら首を横にふるのでありました。
「さて、では私はこの後一般稽古がありますから、申しわけありませんが総士先生の方から、内弟子の仕来たりとか諸注意とかをこの男にご教誨してやってください」
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 48 [お前の番だ! 2 創作]

 鳥枝範士はそう云うと是路総士に一礼後、部屋を出ていくのでありました。
「まあ、もっと近くにお寄りなさい」
 是路総士が手招きするのでありました。
「失礼いたします」
 万太郎は正坐の儘座卓の方へ躄り、是路総士と対座するのでありました。
「折野君、と云いましたかな?」
「はい。折野万太郎です」
「一応聞くが、君は内弟子に入る事を心から納得しているのでしょうなあ?」
 是路総士は穏やかな眼光ながら一直線に万太郎の顔を見るのでありました。
「はい。勿論です」
 万太郎としては行きがかり上こう仕儀に相なったのであるからして、心から、と問われれば何となく尻の辺りがもぞもぞとする心地なのでありました。しかし、勿論です、と応えた途端、その自分の返答に依って逆にあっさり意を固める事が出来たのでありました。
「内弟子はなかなか煩わしい仕事が多くて、あれこれ気苦労が絶えませんよ」
「覚悟の上です。捨身流にも内弟子の人が何人かいましたし、その人達の行状とか諸事に対する態度とかを見ておりましたから、生半な了見で務まらないのは承知しています」
「ああそうですか。判りました。では、・・・」
 是路総士は傍らに置いてある手文庫から半紙大の紙を一枚取り出すのでありました。「当流の仕来たりだから、一応誓紙を書いて貰いますよ。この紙に私の云う通りに筆記して、最後に戸籍地、それから名前を書いて爪判を押してください。万年筆で結構です」
 是路総士は万太郎の前に紙を押し遣り、これも手文庫から、ペン先が太字のBタイプの黒いモンブランを取り出して半紙の横に置くのでありました。
「失礼します。お茶を持ってまいりました」
 万太郎が丁度万年筆を取り上げようとした時に、障子越しに廊下から女性の声が上がるのでありました。何となく聞き覚えのある声だと思ったので、万太郎は手の動きを止めて上体と首を捻じって後ろをふり返るのでありました。
 静々と障子を開けたのは先程の稽古で万太郎を個人指導してくれた、鳥枝範士が、あゆみ、と呼んでいた女性でありました。稽古着から普段着に着替えているあゆみは廊下に正坐して、部屋の中に向かって手をついて深いお辞儀して見せるのでありました。
 あゆみは頭をゆっくり起こすのでありましたが、部屋の中で上体と首を一杯に捻じってこちらをふり向き見ているのが、先程指導したその男であった事が意外であったらしく、目をほんの少し見開いて見せるのでありました。万太郎も目を瞬かせるのでありましたが、首を限界角度まで捻じっているので瞬かせるべき片方の瞼が少し引き攣っていて、無粋な驚き顔になって仕舞わなかったかしらと何となく怯むのでありました。

 威治教師が急に立ち上がって、是路総士と父親の興堂範士に云うのでありました。
「じゃあ、俺は先に道場の方に行っていますから」
(続)
nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 49 [お前の番だ! 2 創作]

 威治教士は立った儘頭をちょこんと前に倒すだけのお辞儀をするのでありましたが、それは上位者に示すべき礼容ではなかろうと、見ていた万太郎は不快に思うのでありました。興堂範士に対しては親子の狎れからそう云う無遠慮が許されたとしても、少なくとも是路総士に対しては限度を超えた非礼な態度と云わざるを得ないでありましょう。
 いや稽古着を身につけている以上、この場では親子と云う関係よりも、師弟と云う間柄の方が優先されるべきだと云う事は言を俟たないのでありますから、興堂範士に対しても不謹慎であると断じるべきであります。それにまた、興堂範士が自分の息子のこの不体裁を叱らないのは、これも大いなる不手際であると云うものではありませんか。
 是路総士の直門としての忠義心から万太郎は威治教士の是路総士に対する無礼に声を上げようかと一瞬思うのでありましたが、そうすれば唐突にこの場の和やかな空気は醜く棘立つでありましょうし、万太郎がここでそう云う態度をとる事を是路総士が果たして喜ぶでありましょうか。それに同門の、まあ云ってみれば従兄弟子たる威治教士に対して万太郎が糾弾の言を上げれば、これもまた弁えのない不敬な態度となるのでありましょうし。
 万太郎の苦そうな顔色を屹度目敏く見咎めたのでありましょう、興堂範士が立ち去ろうとする威治教士を呼び止めるのでありました。
「おい威治、ちょっと待て」
 威治教士は万太郎と二人の門弟の控えている廊下へ向けていた体を大儀そうに回して、興堂範士の方へ向き直るのでありました。
「え、何?」
「お前、総士先生にはちゃんと礼をしてから退室しろ」
「ん? ああそうか」
 威治教士はうっかりしていたと云うような様子で頭を掻きながらその場に正坐して、床の間を背に座っている是路総士の方に威儀を正して座礼するのでありました。それに対して是路総士は笑いながら頷いて見せるのでありました。
 頭を起こした威治教士は、また頭を掻きながらそそくさと立ち上がるのでありましたが、その仕草は如何にも愛嬌たっぷりと云った風情でありました。これは自分の不作法、いや寧ろ作法と云うものに対して端から意のないところを、愛嬌で以ってその場凌ぎに糊塗して見せようとする、ある種の抜け目ない所業であると万太郎は秘かに観るのでありました。
「どうも彼奴は迂闊者で、何時も苛々させられます」
 威治教士がこの場を去った後、興堂範士が是路総士に低頭するのでありました。迂闊と云うよりは横着と云うものであろうと、万太郎は眼球の更に奥で思うのでありました。
「いやいや、昔からあの子は無邪気な良い子ですよ」
 是路総士がそう返すのでありました。それは社交辞令以外ではなかろうと、万太郎は矢張り目よりも少し奥の方で思うのでありました。
「いや、あにさんにそう繕っていただくと、返って汗顔の至りですわ。ワシはどうも彼奴の教育をしくじったようだと、この頃何かにつけて感じていますわい」
 興堂範士が掌で自分の額を一つ叩くのでありました。
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 50 [お前の番だ! 2 創作]

「ところでそこの若い衆」
 興堂範士が廊下の万太郎に声をかけるのでありました。「ちょっとこっちにおいで」
 万太郎はそう云われて是路総士の顔を窺うのでありました。是路総士が頷いたのを確認してから、先ず、一緒に廊下に控えていた興堂範士の門弟に頭を下げ、それから膝行で敷居を跨ぐともう一歩躄ってから正坐して、座卓の二人に向かって座礼するのでありました。
「お前さん確か、折野、と云う名前でしたかな?」
「押忍。折野万太郎と申します」
 万太郎は名乗ってからもう一度お辞儀するのでありました。
「入門してからどのくらいになりますかな?」
「押忍。二月ちょっとになります」
「この道場へ来るのは二回目ですな?」
「押忍。二回目であります」
「あにさんに聞いたが、前まで捨身流の剣術をやっていたと云う事だが?」
「いえ、高校生の時まで熊本の捨身流の道場に通っていましたが、捨身流を習ったのはほんのちょっとで、専ら竹刀剣道をやっていたと云う事になります」
「ああそうですかい。しかしこのあにさんが、なかなか剣の筋が良いと褒めていたが」
 興堂範士は是路総士の方を指差しながら云うのでありました。是路総士はそれに対して特段何も云わずに微笑んでいるのでありました。
「いえ、私等、そのようなお言葉をいただく域には未だ到底達しておりません」
 万太郎はまたもや律義な一礼をするのでありました。
「お前さんは挙措も礼を外さないし、もの云いの方も落ち着いたところがある。何よりあにさんに対して誠直そうである。近頃の若い衆にしてはなかなか出来たものですぞ」
「押忍。恐縮であります」
 万太郎はまたまた礼をするのでありました。
「この折野は、鳥枝さんが見こんでウチに連れて来たんですよ」
 これは是路総士が脇から云う言葉でありました。
「ああ、鳥枝君が見こんだのなら立派な若者でしょうな」
 興堂範士は真顔で納得するように頷くのでありました。何とも面映ゆい言葉でありますが、これは屹度先程の威治教士の是路総士に対する横着な態度に、万太郎が思わず声を上げようとして、しかしそれを逡巡もしているその彼の心根の経緯を、興堂範士が冷静に見ていたが故の褒め言葉であろうと万太郎は低頭した頭の中で推察するのでありました。
 それで以って万太郎の心機の機微をちゃんと見取った事を彼に開示すために、しかも肯定的に開示すために、部屋の中に態々招いてこういう言葉をくれたのでありましょう。さすがに名を成した武道家だけの事はあって、その興堂範士の眼孔は武道家としても師範としても、なかなか隅に置けないものがあると万太郎は秘かに感じ入るのでありました。
「あにさんの下で一生懸命励めば、お前さんは屹度良い武道家になれます。向後、ワシんところのさっきまでここに居た若造先生とも昵懇に頼みますぞ」
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 51 [お前の番だ! 2 創作]

 そう続けられると万太郎は少々困じるのでありましたが、しかしあの若造先生、いや威治教士と昵懇になるのはどうぞご勘弁をとは云えないので「押忍」とだけ返事して深々とお辞儀するしかないのでありました。この万太郎の「押忍」までの一瞬の尻ごみも、ひょっとしたら興堂範士にはちゃんと知られて仕舞ったであろうとも思うのでありました。
「それじゃあ、あにさん、そろそろお支度を」
 興堂範士が是路総士に着替えを促すのでありました。
「はいはい、それでは」
 是路総士は座卓に両手をついて立ち上がるのでありました。
 是路総士の着替えは万太郎一人が介添えするのでありました。その間、廊下に一人の門弟を残して興堂範士は別室に退くのでありました。
「折野、すぐに他人に知られるような顔色の変化はいかんなあ」
 是路総士が横に片膝で控えて黒帯を渡す万太郎に云うのでありました。その言葉は万太郎の先程の威治教士の無礼に対する気色の変化を指しているのは明白であります。
「押忍、以後、気をつけます」
 万太郎は素直に頭を下げるのでありました。
「武術家は曖昧な無表情が常だ。顔色の変化を読まれたらそこで負けだ」
 是路総士は帯を稽古着に巻きながら云うのでありました。「目の気配すら相手に悟られてはならん。武道家はどんな場合にも半眼にしておるのが良い。特にお前の目は少し大きめに出来ておるから気をつけた方がよかろうよ」
「押忍。そのように努めます」
 成程、是路総士の何時も変わらぬ柔和な顔は、半眼にした目を不自然に見せないための方便と思えなくもないのであります。興堂範士の顔にしても、表情としては是路総士よりは余程大袈裟な動きをするものの、確かに目の開き具合に関しては細めた儘であります。
 ところがこれが鳥枝範士となると事情が少し違っていて、その目は大きく見開かれたり目尻に深い皺の出来るほど細められたりと、半眼とは程遠い目つきで、感情の赴くところを返って相手に明瞭に示そうとしているようであります。しかしこれも目が正直に鳥枝範士の心底を表していると云うのではなくて、矢張りそれを隠すための逆説的な、言葉は悪いのでありますが、詐術、として態とそんな風に目を造っているのかも知れません。
「おい、折野、袴」
 手の止まった万太郎の旋毛に是路総士の催促声が降りかかるのでありました。
「ああ、押忍。済みません」
 万太郎は袴の前を是路総士の腹に当てて紐を後ろに回すのでありました。それを交差させて前に回し、またそれを二重回しにして丹田下で片結びするのでありましたが、万太郎が両紐をきつく腰の辺りで絞っても、是路総士の体は殆ど動揺しないのでありました。
 常勝流は剣術よりも体術が主であるために、袴の紐の結び目は後ろに作らないのでありました。後ろにあると受け身に支障があるためであります。
「この程度の巻きの強さでよろしいでしょうか?」
(続)
nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 52 [お前の番だ! 2 創作]

 万太郎が前紐の締め具合を訊ねるのでありました。
「腰に木刀を差すかも知れんからもそっと緩めに」
「押忍」
 万太郎は片結びを一旦解いてやや緩めた状態に前紐を巻き直すのでありました。是路総士の好みの締め具合はなかなか体得出来ないのでありました。
 是路総士の着つけが終わる頃あいを見計らって、一緒に下がった門弟一人を引き連れて興堂範士がまた控えの間に現れるのでありました。
「道場に出張るまで未だ少し時間がありますので、ゆっくり茶を飲んでいてください」
 興堂範士に促されて是路総士はまた座卓につくのでありました。
「さっきの信州松本の新支部ですがね、ウチに居た槍手と云う名前の門弟をあにさんもご存知でしょう。その男の郷里が松本で、向こうに帰って支部を開設したのですよ」
 興堂範士が先程の話しの続きを始めるのでありました。
「槍手さん、と云うと、あの体格の良い声の大きい四角い顔をした人でしたかな?」
「そうです。体術の腕前はそこそこでしたが経営的な手腕はあるようでしてね、向こうに帰ったら早速何とか云う企業の後ろ盾を得て、先日賑々しく道場開きをしまして、私も呼ばれて参列しに行きましたが、新聞の取材なんぞが来ておりましたよ」
「ほう、道分さんのところにはご門弟方が多士済々で結構ですなあ」
 是路総士はそう云った後、再び廊下に控えている万太郎の方に顔を向けるのでありました。これは別に、それに比べてウチの門弟共は、・・・等と云う意味で万太郎を見たのではない事は重々判るのでありましたが、何となくタイミングとして、万太郎には是路総士の視線をそこはかとなく重く感じるのでありました。
「折野、ここは良いから道場の方で控えていろ」
 是路総士が万太郎に云うのでありました。
「押忍」
 万太郎は返事をして是路総士と興堂範士にお辞儀した後立ち上がるのでありました。
「板場、お前も道場の方に行っておれ」
 これは興堂範士が廊下に控えた自分の内弟子の内の一人に云う言葉でありました。
「押忍。では」
 開け放たれた障子隅の万太郎とは反対側廊下に控えていた二人のうちの一人で、板場、と云う門弟が万太郎と同じように座敷の二人に座礼して立ち上がるのでありました。是路総士と興堂範士が特に何か了見があってこの二人を遠ざけたと云う事ではないのでありましたが、まあ確かに、既に稽古着に着替え終えて、後は時間が来たら道場へ出張るだけの二人に近習する世話役は、一人ついていれば事足りるでありましょうから。
 しかし万太郎は是路総士と離れて道場へ行くのが何となく気重なのでありました。それは道場には屹度、威治教士がいるであろう故でありました。
 威治教士は万太郎が一人で道場に入ってくれば、前に良平にしたのと同じような妙なちょっかいを仕かけてくるかも知れません。そう思うと何ともげんなりなのでありました。
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 53 [お前の番だ! 2 創作]

 しかし是路総士の指示とあらば従うしかないのでありました。万太郎は是路総士と自分の木刀を抱えて、道場に足取り重く向かうのでありました。
「おい、折野君」
 万太郎の後ろから一緒に道場に向かう、板場、と云う名前の興堂派の門弟が声をかけるのでありました。万太郎は「押忍」と返事してふり返るのでありました。

 是路総士がお茶を持ってきた廊下のあゆみに手招きをするのでありました。あゆみは茶碗を二つ乗せた盆を取ると静々と控えの間に入るのでありました。
「こちらは今度ウチの内弟子になる、折野君と云う人だ」
 是路総士が座卓の横に来たあゆみに万太郎を紹介するのでありました。
「折野万太郎です。先程の稽古ではご指導有難うございました」
 万太郎はあゆみの方に首を曲げてお辞儀するのでありました。
「ああどうも、是路あゆみです」
 内弟子に入る男であるから、あゆみはその男の前に差し出す茶をどのくらいの丁寧さで差し出すべきか、ちょっと逡巡するような素ぶりを見せるのでありました。このあゆみと云う人は、ひょっとしたら少々気の強い女性なのかも知れないと、万太郎はその逡巡の素ぶりを見て何の確たる根拠もなしにふと思ったりするのでありました。
「これはウチの娘でね、よちよち歩きの頃から常勝流を稽古しているが、まあ、未だ々々と云ったところかなあ。内周りの仕事も心得ているから、向後判らない事があったら色々訊くと良い。云ってみれば内弟子頭と云った立場になるかな」
「はい。よろしくお願いします」
 万太郎は少し後ろに躄って、体の向きを変えてあゆみに正対すると両手をついてお辞儀するのでありました。これでこの女性が是路総士の一人娘である事が確定であります。
「こちらこそよろしくお願いします」
 あゆみも丁寧な座礼を返すのでありましたが、稽古の時に後ろに束ねていた髪を解いているので、彼女の頭の上げ下げに少し遅れ気味に同調して長い髪が肩先に流れるのでありました。道場で見た礼の仕方よりは幾らかなよやかな印象であります。
 万太郎がまた元の位置に座り直して誓紙を書くためにモンブランの万年筆を手にしようとした時、あゆみが是路総士に向かって言葉を発するのでありました。
「あのう、あたしはこれからお習字の稽古に行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい。大岸先生によろしくな」
「判りました。では、・・・」
 あゆみは一度万太郎の方をその大きな瞳で見て、少し口を開いて何か云おうとしてそれを曖昧に止め、是路総士の方に向き直って座礼してから盆を取って立ち上がるのでありましたが、恐らく万太郎に対して、ごゆっくり、とか何とか云おうとして、内弟子になるためにやって来た男にそう云う愛想も不要かと思い直して口籠もったのでありましょう。万太郎はあゆみの了見をそう忖度して、そこはかとない親しみを覚えるのでありました。
(続)
nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 54 [お前の番だ! 2 創作]

 あゆみが下がると万太郎は是路総士の口述通りを書面にして、これも貸してもらった朱肉で親指腹を朱く染めて爪印するのでありました。昔は親指に傷を入れて血判を捺していたと云う事でありましたが、終戦後はその様な風習は排したとの事でありました。
「先程もちょっと訊いたが、内弟子は道場の稽古だけじゃなくて、私の身の回りの世話とか家事とか、お客さんがあったらその接待とか、あれこれ小煩い仕事もしなければならんし、少しでも手抜かりがあれば叱られたりもします。万事に先回りの気働きなんかも要求されるから気骨が折れるものですが、その覚悟はおありでしょうな?」
 親指の朱を、貰った紙で落としている万太郎に是路総士が話しかけるのでありました。
「先程も云いましたように、一般的な内弟子たるの内情は承知しています」
 万太郎は拭き終えた親指に朱が残っていないか確認してから、拭った紙は小さく丸めて稽古着の懐に入れるのでありました。
「まあ、細かい仕事はこの家に来て後に、あゆみやもう一人の内弟子の面能美に訊いて覚えて貰います。要は武技の習得と同じで、繰り返す事で慣れれば良いのです」
「はい。なるべく早く慣れるように努めます」
「お見受けしたところ君は大らかな性格のようだから、色々困っても必要以上に深刻にならないで、結構早く内弟子稼業に適応するかも知れませんね」
「ぼんやりしているのは僕の欠点でもあり、取り得でもあると思います」
「ああそうですか」
 是路総士は口元を綻ばすのでありました。「まあ、ぼんやりしていると云う意味で、大らか、と云った心算はないのですがな」
 この後是路総士は常勝流の歴史やら理念やら、今現在の流派としての規模やらの概略を紹介してくれるのでありました。それから万太郎の今の身上や何時から内弟子としてこの家に住みこむ事が可能かとか、そう云った点に話しが及ぶのでありました。
 一応未だ万太郎は大学生でありましたから、卒業までは今のアパートに留まって、通いの内弟子としてこの道場に来るのが良かろうと是路総士は提案してくれるのでありました。万太郎としても熊本の親や周囲に対する体裁の上で、大学は卒業しておきたかったからこれは願ったり叶ったりの提案と云うものでありました。
 それに曲がりなりにも大学卒業後の身のふり方が決まった以上は、後は大学に残している仕事と云ったら卒業試験と論文書きくらいのもので、これは一応何とか無難にあしらえるような気もするのでありました。更に好都合な事に、通いの内弟子と云う立場は云ってみれば試用期間と云う風に取れなくもないような感じがするので、この時間が本格的な内弟子稼業に入る前に挟まってくれるのは気持ちの上でも大いに楽と云うものであります。
「君の兄弟子に当たる面能美はね、・・・」
 是路総士が話しを続けるのでありました。
「はい。訪問して最初に案内をして貰ったり、稽古着の着方を教えていただきました」
「彼奴は君と同い年だ。彼奴は二か月ほど前にここに内弟子として入ったんだが、後もう少しと云うのに卒業を待たずに、せっかちにも大学を止してここに来たんですよ」
(続)
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 55 [お前の番だ! 2 創作]

「ああそうなのですか」
 万太郎は相槌を打つのでありました。歳はそう違わないだろうと思っていたのでありますが、同い歳でしかも同じ大学四年生、・・・いやいや、彼はもう大学を止めていると云うのだから、この前まで大学四年生だった、と云う事になりますか。
「彼奴にも卒業を待ってからここへ来れば良いと云ったのだが、どういう了見なのだか即座に道場に転がりこんで来たんですよ」
「随分潔い方のようですね」
「彼奴は何と云うのか、確かに妙に一本気なところがあってね。まあ、鳥枝さんに云わせれば、おっちょこちょいと云う事になるのですがね」
 是路総士は目を細めるのでありました。「ああいや、だからと云って君にもそうしろと暗に云っているのでは毛頭ありませんよ。誤解のないように。折角大学にまで進んだんだから、無難に卒業するのが真っ当と云うものです」
「そう云っていただくと有難いです」
 万太郎はやや恐縮の態でお辞儀するのでありました。
「卒業までは都合の良い時間で来てもらえば結構です」
「稽古にはなるべく出るようにします。先程面能美さんからいただいた案内に依れば、午前十時からと午後三時から、それに夜七時から稽古があるようですが、それは総て出る事が出来ると思います。それに大学に行かないで良い日はずうっと道場にいて、内弟子の仕事をあれこれ覚えるようにしたいと思います」
「ああ、それは一般門下生の稽古時間ですね。その合間に内弟子と準内弟子の稽古が挟まりますし、夜稽古の後に内弟子だけの剣術の稽古もあります。まあ、総て出ると云うと学校に行く暇がなくなりますから、最初の一か月は常勝流の初心者でもありますし、一般門下生稽古に出る事を主にすればよろしいですかな。そこで受け身とか基本的な体の動かし方等を習得すると云うつもりでね。内弟子稽古は或る程度常勝流の技の概要を理解してからでないと、なかなかついていけないかも知れませんからね」
「卒業試験中は時間が儘ならない事もあるでしょうが、それでも早く内弟子としての仕事も覚えたいですし、可能な限り道場にいるようにしたいと思います」
「それは結構な心がけですが、最初から無理をして息切れしないようにね」
「はい。その辺は要領良くやります」
「取り敢えず学校優先で大丈夫です。遠慮は何も要りません」
「有難うございます」
 万太郎はもう一度お辞儀するのでありました。
「まあ、委細は鳥枝さんと打ちあわせしてください。私の方から鳥枝さんに卒業までは学校優先である事を云い添えておきますから」
 是路総士はそう理解のあるところを示してくれるのでありました。しかしあの鳥枝範士と打ちあわせしたら、そんな大学優先なんぞと甘っちょろい事をほざいていないで、死に物狂いで無理をせんかと一喝されそうな気が万太郎はするのでありました。
(続)
nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 56 [お前の番だ! 2 創作]

「善は急げ、なんぞと云いますから、早速明日から稽古にいらっしゃいますかな?」
 是路総士は今万太郎が書いた誓紙と万年筆を文箱に仕舞いながら訊くのでありました。
「勿論そのつもりでおります。明日は日曜日ですから大学は休みですし」
「色々まごついたり面白くない事も、理不尽に思う事も多々あるかも知れませんが、辛抱して長く務めてください。君が武道家として大成する事を今から期待しておりますよ」
 是路総士ににこやかにそう云われると、万太郎の身中深くにある丸い玉が発熱するような歓喜を覚えるのでありました。つまりこの差しでの最初の対面で、万太郎は是路総士の人柄にすっかり心服したと云う事であります。
 是路総士は万太郎の事を大らかそうだと云ってくれたのでありますが、言葉を交わしてみると是路総士こそ如何にも心が大らかな、懐の広い人物であるような気がするのでありました。それは屹度長く厳しい武道修行の末に体得されたある種の強い自己抑制から、自ずと匂い立ってくる人格の余裕みたいな薫香を万太郎の鼻が捉えた故でありましょう。
 この人の喜ぶ顔が見たいと、万太郎は思うのでありました。ひょっとしたら自分はかけがえのない就職先を見つけたのかも知れないとも、考えるのでありました。
「向後末永く、ご指導をよろしくお願いします」
 万太郎はやや後ろに躄って、両手をついて丁重なお辞儀をするのでありました。倒した頭の中で、末永く、なんと云う言葉は、何となく新婚夫婦の間で最初に交わす挨拶の慣用句みたいだなと、徒と云うも疎かなる事をどうしたものかちらと考えるのでありました。

 道場の方へ向かう万太郎を後ろから呼び止めた、板場沙美郎、と云う名の興堂派の門弟が追いついて横に並ぶのでありました。
「確か、折野君、と云う名前で良かったんだよな?」
「はい。折野です」
 板場は万太郎よりは五つばかり歳上のような風体であります。
「君の朋輩である面能美君が、今日はこちらに来る日ではなかったのか?」
「その予定でしたが、都合で私と代わりました」
 どうして自分と良平が是路総士の付き人を交代したのか、興堂派の門人にその理由まで迂闊に云うのはちょいと憚られると思うのでありました。
「ひょっとしたら面能美君が嫌がったからじゃないのか?」
「いや、別にそんな事は。・・・」
「先回彼が来た時、威治教士に辛くあしらわれたのでそれで君と代わったんだろう?」
 板場は万太郎より背が高いので、横から間近に見下ろされる板場の視線を万太郎は側頭部に感じるのでありました。
「そう云う事はありませんが」
「ひょっとして面能美君がその事を帰ってから総士先生に言上して、それで総士先生の計らいで今日は君と代わったと云う事じゃないのかい?」
 側頭部に感じる板場の視線の圧力が少し強くなったような気がするのでありました。
(続)
nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 57 [お前の番だ! 2 創作]

「いやもう、本当に全く、個人的な理由で交代したのです」
 万太郎は側頭部にかかる視線の圧力をふり払うかのように、顔を板場の方に向けて彼の顔を見上げるのでありました。
「ああそうかい。それなら別に良いけど」
 ふり向けた万太郎の顔が、当人はなるべくあっさりとした表情のつもりではあったものの些か険しい色あいを添えていたためでありましょうか、板場はほんの少したじろぐように万太郎から視線を外すのでありました。この板場と云う男は万太郎から、何かを探り出そうとしているような気配であります。
「今日面能美がこちらに伺わなければならない、何か理由があったのでしょうか?」
「いや、そう云う事ではないんだが、・・・」
 板場は思い直したようにもう一度万太郎を見るのでありました。「と云う事は、先回威治教士が面能美君にした仕打ちを、総士先生は何もお聞きになっていないと云う事だな?」
「さあ、そう云う事は私には判りません」
 万太郎は板場を少しからかうようにそう云って見せるのでありました。
「少なくとも先回の威治教士の面能美君に対する仕打ちを理由に、総士先生が君との交代を指示したと云うわけではないんだな?」
 板場は訊き方を少し変えるのでありました。
「それは全くその通りです」
「判った。それだけ聞かせて貰えば良い」
 板場は一つ頷いて万太郎から目を逸らすと、その儘彼を置き去りにして道場の方へ早足に向かうのでありました。万太郎は少し遅い足取りで板場の後を追うのでありました。
 道場には十人程の興堂派の門下生がてんでに、準備運動をしていたり顔馴染み同士で話しをしていたり、下座に単座して瞑目していたりするのでありました。こう云うのは常勝流総本部道場の稽古前と変わらない光景でありました。
 道場正面には見所の一段高く設えられているところに腰かけて、だらしなく胡坐に座った三人の取り巻き達を前に何やら談笑している威治教士の顔があるのでありました。その様子はこれから真摯に稽古に臨まんとする緊張感に満ちた姿とはおよそ思われない、まるで授業時間直前になっても教室の隅で屯して下らない話に興じている、どのクラスにも必ずいた数名のはみ出し者の高校生のようだと万太郎は思うのでありました。
 その輪の中に先程廊下で万太郎に声をかけた板場の姿はないのでありました。首を廻らせてみると横手の木刀かけの前で、威治教士達に対しては疎々し気に、そこにかけてある数十本の木刀を綺麗に揃え直している板場の姿が万太郎の目に入るのでありました。
 板場が道場に入ってから殆ど間を置かずに万太郎も入場したのでありますから、板場は先程廊下で万太郎に確認した事を、早速威治教士にご注進に及んだと云う事ではないようであります。と云う事はつまり板場は、先の是路総士の出稽古の折に良平にした意地の悪いちょっかいに依って、是路総士の不興を買ったかも知れぬ事を畏れた威治教士の意を受けて、万太郎にその点を聞き質そうとしたと云うわけではないと云う事でありますか。
(続)
nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 58 [お前の番だ! 2 創作]

 それでは何故に板場は万太郎にあのような事を訊いたのでありましょうか。外には表わさないながら、威治教士に対する陰れた忠義立てと云うつもりなのでありましょうや。
 万太郎は下座隅に座るのでありました。持って来た二本の木刀を木刀入れから出して、自分の右脇に並べて横たえ、木刀入れは小さく折りたたんで懐に入れるのでありました。
 稽古開始五分前になると、板場が道場中に聞こえるような声で、全員下座に整列正坐するようにと呼ばわるのでありました。皆が整列した最後に、如何にも大儀そうに威治教士とその取り巻き達が着座するのでありました。
 威治教士は列から一間程前に座るのでありましたが、これは一堂に号令をかける役目のためでありました。道場に入ってからこの間、万太郎は幸いにして何も威治教士からちょっかいを出される事はないのでありました。
 板場は道場入口の引き戸に手をかけ、廊下の足音に耳を澄ましているのでありました。是路総士と興堂範士の廊下を歩いて来る足音がしたら、丁度良いタイミングで引き戸を開けるためでありますが、この風習は調布の常勝流総本部道場と同じなのでありました。
 万太郎は総本部道場の場合と同じでこの間の緊張感が苦手なのでありましたが、何故この待機の時間だけが自分をたじろがせるのか未だに判らないのでありました。万太郎は引き戸に手を添えている板場よりも自分の方が、廊下から聞こえてくる筈の気配を捉えようと全身を耳にしている事に、何となく秘かに気恥ずかしさを覚えるのでありました。
 板場が引き戸を開けると先ず是路総士、それから続いて興堂範士が道場に現れるのでありました。その後から一人控えの間の方に残っていた興堂派の門弟が、目立たぬようにスルリと身を道場に入れて列の端に素早く正坐するのでありました。
 是路総士が見所の上の神棚正面に座り、興堂範士は下座の列最奥で皆より一間前に座る威治教士の、そのまた一間前に着座するのでありました。
「神前に、礼!」
 威治教士の声が道場に響くのでありました。正面神棚への礼が済むと、総本部道場の時と同じに是路総士は徐に膝行でやや正面から横に外れる位置に移動し、下座の門下生の方に体を向けて威儀を正すのでありました。
「総士先生に、礼!」
 威治教士が発声すると下座の一同が「押忍」の声と同時に頭を下げるのでありました。是路総士がこの座礼の後、体を興堂範士の方に向けて静かに礼をするのは、この道場の主催者である興堂範士に対して礼容を示すためでありました。
「押忍。本日の剣術稽古、よろしくお願いいたします」
 興堂範士がそう云いながら是路総士に硬い座礼を返すのでありました。
「全員木刀を取って二列横隊に整列!」
 威治教士が首を門下生の方に向けて指示を出すのでありました。その声に門下生達は素早く反応して「押忍!」の発声と伴にきびきびとした動作で畳を蹴るように立ち上がると、道場横手の木刀かけに殺到して、先程板場が揃えていた木刀を各々取って駆け足で道場一杯に二列横隊に広がるのでありました。
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 59 [お前の番だ! 2 創作]

 この間に万太郎は見所に上ろうとしている是路総士の傍に趨歩して、総士愛用の木刀を恭しい仕草で手渡すのでありました。是路総士は木刀を受け取ると興堂範士と伴に見所に座って、自分の右横に木刀の刃側を自分に向けて置くのでありました。
 万太郎は自分の木刀を左手に持って走って後列の最端に立つのでありました。万太郎の横には板場がいるのでありました。
「素ぶり鍛錬を始めよ!」
 見所の是路総士の横に座った興堂範士が命じるのでありました。するとそれに呼応して、前列中央に立っている、板場と伴に控えの間まで来ていたもう一人の門弟で名前を、花司馬渉、と云う興堂派の筆頭教士が声を発するのでありました。
「正眼に構え!」
 万太郎と興堂派の門下生一同は「オウ!」と応じて、一斉に左手に引っ提げていた木刀を掌から引き抜いて正眼に構えるのでありました。
「上段からの正面斬り!」
 前列中央の花司馬がそう指示の声を上げ一拍を開けて「一!」と鋭い声で号令をかけるのでありました。すると門下生全員が木刀を上段にふり被ってすぐさま「エイ!」の気合の声と伴に、右前足を一歩継足で前に力強く踏み出しながらそれを真っ向に斬り下ろし、その後素早く一歩後ろ足から継足で元の位置に戻るって正眼に構えるのでありました。
 花司馬がテンポ良く「二、三、四、・・・」と号令し、門下生達はそれに同調して声をあわせて気合を発しながら、木刀に膂力を乗せて斬り下すのでありましたが、花司馬は都合五十本、正面斬りの号令をかけると「止め!」と指示を出すのでありました。この五十本で早々に息があがって剣先を揺らしている者が出るのでありました。
「次、右八相からの袈裟斬り!」
 花司馬が次の指示の声を上げると、門下生達は一斉に左脚を歩み足に前に出し、右肩に木刀を四十五度程斜めに傾けて担ぐような構えを取るのでありました。この、八相からの袈裟斬り、もまた同じく五十本繰り返されるのでありました。
 こうして、脇構えからの正面突き、正眼からの右返し斬り、同じく左返し斬り、右下段からの斬り上げ、左下段からの斬り上げ等の素ぶり十種が終わる頃には、大方の門下生が息を弾ませているのでありました。常勝流ではこの最初に行う素ぶり鍛錬で膂力をほぼ遣い果たすべしとされていて、それはこの鍛錬中に体に滞った無駄な力をふるい落して仕舞って、それから後に必要最小限の力を以って剣技を創るべしとされているからであります。
 素ぶり鍛錬が終わると、門下生達は木刀を左手に収めて下座に下がって正坐するのでありました。下座の荒い息遣いの気配が静まってから、是路総士が徐に右手で取った木刀を左手に持ち替えて見所を下りるのでありました。
「今日参集されている方々は道分道場の内弟子か準内弟子のエリートの方々ですから、この儘休息なしで組形の稽古に移りますぞ」
 是路総士が愛嬌たっぷりの笑いを浮かべながら宣するのでありました。それから万太郎の方に視線を向けるのは、前に出よと云う彼に対する指示なのでありました。
(続)
nice!(9)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

お前の番だ! 60 [お前の番だ! 2 創作]

 万太郎は直ちに木刀を左手に、道場中央に立つ是路総士に走り寄るのでありました。
「では先ず、相打ち返し、と、逆打ち返し、から」
 是路総士はそう云うと万太郎と二間の間合いで向きあって木刀を正眼に取るのでありました。万太郎も木刀を左手からすぐさま抜き放ち同じ正眼で応じるのでありました。
 互いの呼吸を見てこの後二人は、ほぼ同時に左足を一歩前に送って八相に構えを変えるのでありましたが、この時の間合いが約一間半であります。当然の事として是路総士が仕太刀役、万太郎が打太刀役であるのは云うまでもない事であります。
 暫くすると是路総士の左肘がごく僅かに動き、上体がぎりぎり目で捉えられる程度に前に傾ぐのでありましたが、これが誘いでありました。万太郎は後の先の術理に従って右足で地を蹴り歩み足に、八相に取っていた木刀を上段に構えると同時に、是路総士の前額目がけて真っ向から斬りかかるのでありました。
 是路総士も、継ぎ足ながら同じ動きを取って上段に木刀をふり被って万太郎の正面に進むのでありました。二人の太刀筋が正確無比であるのなら、二本の木刀は後の先で打ちこんだ万太郎有利で刃先を真正面で激突させるか、鎬を削りながらその儘ふり下ろされて、万太郎の木刀が僅かに先に是路総士の頭頂に届くと云う按配になる筈であります。
 が、次の瞬間、万太郎の木刀は是路総士の右肩より一寸外れた位置に、是路総士の木刀は万太郎の頭上に一分の隙間を開けて留まっているのでありました。万太郎の目には是路総士の体が直進するように映ったのでありましたし、そうであるから万太郎は僅かの有利を確信して真っ向に斬りかかったのであります。
 つまり是路総士は自分の動きを一切読まれる事なく、実は一足分左横に進んだのでありました。この一足分を左横に変化する動きを相手に直進と思わせて切りこませ、右肩先一寸に相手の斬撃を躱して、こちらが正面を打つと云うのが常勝流剣術の組形稽古の一本目、相打ち返し、と云う技なのでありました。
 組形と云う約束の上で、相手に悟られないで横への僅かな変化の機微を習得ぜんとするのが目的の形稽古であります。是路総士は横への変化を相手に予感させずに動く事をあっさりやってのけるのでありましたが、実際、万太郎を含めて、多くの門下生はそう云う動き方を完全に我がものとするには未だ々々到ってはいないのでありました。
 逆打ち返し、と云うのは二本目の組形で、矢張りこれも横への変化を直進と相手に見紛わせるのでありますが、こちらは八相の構えから歩み足に自分の右横、相手の左側に進路を変化させる技であります。因みに次の段階として、相打ち返し、逆打ち返し、と云う組形稽古ではあるものの、仕太刀の変化の気配が読めたなら打太刀側は自分の剣筋も変化させて構わないと云うのが、乱組形稽古、となるのでありましたが、まあ、それはさて置き。

 万太郎の、末永くよろしくお願いいたします、のお辞儀姿を見て是路総士もやや後ろに躄って、両手を畳についてお辞儀を返すのでありました。
「こちらこそ」
 師匠が入門者にこんな丁寧な挨拶をするとは、万太郎には全く意外なのでありました。
(続)
nice!(7)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:
お前の番だ! 2 創作 ブログトップ
メッセージを送る