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もうじやのたわむれ 12 創作 ブログトップ

もうじやのたわむれ 331 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「では、ここいら辺で娑婆に逆戻る算段の話しをさせていただきます」
 亀屋技官が話しを元に戻すのでありました。「因みに一応云っておくと、私は先祖代々準娑婆省に住んでいる鬼でして、地獄省とか極楽省から移り住んできたのではありません」
「ああそうですか」
「まあ、そんな事はどうでも良いですが、段取りの件について云うと、先ず亡者さんはここから離れた山間にある、黄泉比良坂と云う処にある洞穴に行って貰います」
「黄泉比良坂、ですか?」
「そうです。黄泉比良坂は地名です。そこに小さな集落がありまして、その外れに、向こうの世とこちらの世を繋ぐ洞穴があるのです」
「黄泉比良坂と云えば、日本神話に出てくる、伊邪那岐命と伊邪那美命が凄まじい夫婦別れの言葉を交わした、現世と黄泉の国を隔てる境界の坂と同じ名前ですな」
「それは存じません。私は日本神話なんかには全く無関心でここまで過ごしてきたので」
 亀屋技官は拙生が話しの腰を折ったのが少し不愉快であったらしく、無愛想にそう云って眉間に少しの皺を寄せるのでありました。外貌は温厚そうに見えはするものの、この準娑婆省の鬼はひょっとしたらかなりの気難し屋で、冗談とか洒落の通じない無粋なヤツかも知れないと推察して、拙生は少し気分が悄気るのでありました。
「余計な事を云って、どうも済みません」
 拙生は娑婆の落語家の林家三平師匠の真似をして、指先を額につけるのでありましたが、この拙生の挙措を亀屋技官は胡散臭そうな目でちらと見て、すぐに拙生の目から僅かに視線を背けて、娑婆逆戻りの段取りの話しを続けるのでありました。
「兎も角、その黄泉比良坂の洞窟の中には、千引の岩と呼ばれている大きな岩が洞窟を塞ぐようにありまして、その岩の隙間を擦り抜けると娑婆に逆戻る事が出来るのです」
「ふうん、成程ね」
 拙生は口を尖らせて何度か頷くのでありました。「そこがこちらの世と娑婆の境界線と云う事なら、我々亡者も、そこを通ってこちらの世に来たのでしょうかね?」
 これは亀屋技官に訊いても迷惑顔を向けられるだけだと思ったので、大岩会長の顔を見ながら質問するのでありました。
「いやいや、その洞窟は娑婆とこちらを繋ぐ正規の通路ではないので、亡者さん達は別のルートでこちらに来る事になっておりますよ」
 これは今まで沈黙を守っていた、大酒呑太郎氏と思しき仁が、大岩会長に代わって云う言葉でありました。拙生はゆっくりそちらに視線を向けるのでありました。
「別のルートですか?」
「そう云う事ですなあ。・・・ああ、自己紹介が遅れましたが、私は娑婆交流協会の顧問をしておる大酒呑太郎と云う鬼です」
 大酒呑太郎氏は拙生に一礼して見せるのでありました。
「これはどうも。ご貴殿のお噂は、私の横にお座りになっているこの閻魔庁の補佐官さんとか、香露木閻魔大王官さんからちらと伺っておりますよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 332 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 拙生はそう云って笑い顔を向けるのでありました。
「あそうですか。そちらの補佐官さんとは、前にこちらに出張で来られた折、趣味が同じと云う事で大いに打ち解けましてね、親しく言葉を交わす仲となりました」
 大酒呑太郎氏は補佐官筆頭に笑いかけるのでありました。親昵の仲であると云われた補佐官筆頭の方は、僅かに愛想で頬を弛ませるのではありましたが、全体としては一分の隙も見せるものかと云う、面皮の構えを崩さないでいるのでありました。
 大酒呑太郎氏は補佐官筆頭が、自分が思った程に打ち解けた表情を向けない事で、すぐにその手応えのなさの謂いを察したらしく、笑いの残滓を片頬に残しながら補佐官筆頭から目を背けると、拙生の方に改めて愛嬌のある笑いを投げるのでありました。
「ま、つまりそんなわけで、黄泉比良坂にある洞窟は正規の娑婆とこちらを繋ぐルートではなく、そこは云ってみれば一般に膾炙されていない秘密の裏道と云った按配で、準娑婆省の一部の鬼だけが秘かに通行出来るところのルートなのですよ」
「ああそうですか。そうすると我々亡者は、どのような正規のルートでこちらに来たのでしょうかね? 私の場合、気がついたら豪華客船に乗る行列に並んでいたと云う感じで、何処をどう通ってその行列に辿り着いたのか、さっぱり覚えていないのです」
「一般的に亡者さんは、と云うか向こうの生物一般は、死亡すると小脳の古小脳の中で秘かに生成される、幽体変換酵素、と云う酵素が肉体腐敗と同時進行で働き出して、これも古小脳の中に在る、人間が人間であるところの原始核たる、実存基幹根、と云う名前で呼ばれているものを、幽体と云う非物質に変換するのです。実存基幹根が幽体になると云うのは、要するに娑婆での自分の肉体から解放されると云う事ですが、そうなると、それはもう物質ではありませんから、娑婆に在る事は出来ませんので、一瞬の内に娑婆から掻き消えて異次元に移動するのです。その異次元、即ちそれがこちらの世の準娑婆省なのです」
「うーん、何やら小難しい話になってきましたなあ」
 拙生は腕組みをして首を傾げて口を尖らせるのでありました。「人間の小脳に実存基幹根とか、そこで生成される幽体変換酵素なんと云うものが、本当に在るのですか?」
「そうです。在るのです」
 大酒呑太郎氏は何度も頷きながら、確信に満ちた物腰で云うのでありました。「その二つは人間に限らず、あらゆる向こうの世の生命体の中に漏れなく在るのです」
「そんなもの向こうにいる時には家でも学校でも、聞いたり習ったりしませんでしたがね」
「それはそうです。大体は人間なんちゅうものは、自分の事が判っているようで、実はちっとも判っていない存在なのですから」
「それにしても、脳外科的にも脳科学的にも、それにひょっとしたら哲学的にも、そんなものが在ったなんて全く聞いた事がありませんでしたがね。それは向こうの医学なり科学なり、或いは哲学に於いて未発見のものなのでしょうかね?」
「そうですね。未発見と云うのか、まあ、永遠に発見される事はないでしょうが」
「しかしそれは古小脳に在ったり、古小脳で生成されたりするのですから、可視的な、或いは、俄には見えないとしても、実在証明可能な物質なのでしょう?」
(続)
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もうじやのたわむれ 333 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「そうです。実存基幹根も幽体変換酵素も物質には違いありません」
「そうなら、生命科学の進展と伴に、何時か必ず発見されて良いと思うのですがね」
「しかし先ず発見されることはないでしょう。何故なら、ほら、人間は自分の体臭とか口臭は自分では決して気づかないと云うではありませんか。それと同じようなものですかな」
「実存基幹根と幽体変換酵素は体臭とか口臭と同じなわけだ」
「まあ、気づくか、気づかないかという点に於いては、例えて云えば、自分の体臭、及び自分の口臭と同じようなものだと云う事ですな」
 大酒呑太郎氏は人を、いや、亡者を食ったような笑みを浮かべるのでありました。
「まあいいや」
 拙生はここで咳払いを一つするのでありました。「向こうの世の人類が将来に於いて気づくか気づかないかは別の問題として、兎も角、その古小脳にある実存基幹根と云う物質が、娑婆の全生命を、生命たらしめている根本物質であるのですね?」
「そうなりますな」
「で、その根本物質の実存基幹根が非物質になる事で、娑婆にいた人間が亡者となって、こちらの世と云う異次元に移動するわけですね?」
「そうですな」
「そう云う出現の仕方ですから、どこかのルートを通ってやって来ると云うよりは、何かこう、パッと出現すると云った感じで、客船に乗る行列中に亡者として現れるわけだ」
「そうですな」
「そうすると、この我々亡者の仮の姿なんと云うものは、その、こちらの世にパッと出現するタイミングで、瞬時に形成されるのですかな?」
「そうですな。こちらの世で閻魔大王官の審理を受けるのに最適な姿態として、ま、基本的には娑婆時代のその人の、或る適当な時期と同じ姿形が自動選択されて、その姿形で仮の姿となるのです。勿論何らかの事情で、例えば赤ちゃんとか胎児の時に娑婆にお娑婆ら、いや、おさらばした場合とかで、そう云う適当な姿形が選択出来ない場合は、全く別の、娑婆時代とは無関係な風貌の仮の姿となって、こちらの世に出現する事になりますな」
 大酒呑太郎氏はゆっくりと椅子の背凭れに上体をあずけながら、様子有り気に瞑目して一つ頷いて見せるのでありました。それは閻魔大王官のあの愛嬌に満ちた仕草とは違って、あくまでもクールで、どこかニヒルな雰囲気なんぞを漂わせているのでありました。
 この二鬼は聞いた話しに依れば同い年の老人、いや老鬼でありましょうが、印象がこうも違うのは、人生の、いや、鬼生の曲折をより多く経験している大酒呑太郎氏の灰汁が、閻魔大王官よりは濃い目にその面貌の皺に堆積されているためでありましょうか。まあ、どちらのご老体も、夫々に魅力的な仁であるとは思うのでありますが。
「と云う事で、その黄泉比良坂と云う処にある洞窟については、娑婆にちょっかいを出す折の、鬼さん達の専用通路となるのですね?」
「そうです。さっきからそう云っております」
 これは亀屋技官が面倒臭そうに、横柄にも聞こえる口調で云う言葉でありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 334 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「私が一々、話しの腰を折るのが気に入らないのでしょうか?」
 拙生は亀屋技官に顔の笑いを消して訊くのでありました。
「亡者さんの仮の姿の耐用時間もありますから、なるべく迅速に事を進めたいだけです」
 亀屋技官は無表情の儘クールにそう応えるのでありました。
「ああそうですか。それはどうも失礼しました」
「まあ兎も角」
 亀屋技官はそう云って、そこで仕切り直すように咳払いを一つするのでありました。「特例措置として、亡者さんは黄泉比良坂にある洞窟から娑婆に戻っていただく事になるわけでありますが、そこは小さな集落の外れにあると先に申しましたけれど、その集落には山での狩猟だとか、そこの特産品たる、エビカヅラと云う名前の山葡萄の実とか、タカムナと云う品種の筍とか、一枝に三個の実が生る桃とかの採取で生計を立てている鬼達が住んでいましてね、洞窟を使用するにあたっては、その集落の鬼の許諾が必要となるのです」
「その鬼さん達が洞窟を管理しているのですか?」
「準娑婆省から正式に委託を受けているのではないのですが、長い歴史的な経緯として、その集落の鬼達が洞窟の管轄管理権を専有しているのです。それは伝統と云うのか風習と云うのか、まあ、遠い昔からそういう既得権みたいなものが存在しているわけです」
「そこの鬼達てえものが、結構な強欲で、鬼の悪い連中でしてなあ」
 大酒呑太郎氏が後を続けるのでありました。「なかなか一筋縄ではいかんのですな」
「その、鬼の悪い、と云うのは娑婆で云うところの、人の悪い、ですね?」
「正解ですな」
 大酒呑太郎氏がピースサインをするのでありました。
「どのように、鬼が悪いのでしょうか?」
「ま、早い話しが、洞窟を使おうとする鬼に対して法外な洞窟使用料を要求するのですな」
「その法外な洞窟使用料には、私共娑婆交流協会もほとほと困っているんですよ」
 これは大岩会長が横から云う言葉でありました。「法外な使用料だけではなくて、使用料をケチった鬼に対して無体な仕打ちなんかをしたり、その鬼を鬼質にとって、娑婆交流協会に強請をかけたりするのです。それは連中の常套手段でして、全く性質の悪い輩です」
「ええと、その、鬼質、と云うのは娑婆で云うと、人質、ですね?」
「はい正解です」
 大岩会長もピースサインをするのでありました。
「集落の割の良い収入になるわけですから、集落中の鬼達が挙ってそういう阿漕な真似をするのです。どう云う了見をしているのか、もう本当に始末に負えませんな」
 大酒呑太郎氏が大袈裟に舌打ちをして見せるのでありました。
「その集落には、何人の、いや違った、何鬼の鬼達が住んでいるのですか?」
「そうですなあ、集落の鬼口は大体千五百程度でしょうかな」
「準娑婆省政府が警察とか軍とかを動員して、その集落を成敗したりはしないのですか?」
「まあ、結論から云うと、省当局は及び腰で、成敗等しませんなあ」
(続)
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もうじやのたわむれ 335 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 大酒呑太郎氏は呆れ顔をして見せるのでありました。「連中は野蛮で無粋で無教養ではあるものの、狡猾さは鬼一倍持っておりましてな、複数の準娑婆省政府のお偉いさんに賄賂で取り入って、自分達の不利益になる決定を何時も巧みに回避するのですなあ」
「その、鬼一倍、と云うのは、娑婆で云うところの、人一倍、ですね?」
「正解でありますな」
 大酒呑太郎氏がまたもやピースサインをするのでありました。
「そんな不正がまかり通るのでしょうか?」
「まかり通りますなあ、準娑婆省では。寧ろ、当たり前で日常的な事と云えましょうかな」
「極楽省とか地獄省に居た鬼としては、そう云う行為に後ろめたさを感じる感性を有しておりますが、生粋の準娑婆省っ子は、全くあっけらかんとしたものです」
 これは大岩会長が云うのでありました。「ねえ、亀屋技官、賄賂の授受と云う行為に、気後れとかを今まで感じた事はないでしょう?」
「気後れ、ですか? 勿論ありません。態々くれると云うのを貰わないのは、返って失礼になるでしょう。どうしてそれが忌々しき事なのか、私には理解出来ませんねえ」
 亀屋技官があっさりそう云い切るのでありました。
「ね、これが準娑婆省っ子の典型的な意見です」
 大岩会長が拙生の方を見て、苦笑うのでありました。「ですから、対応策として、娑婆交流協会側も、少ない予算から捻出した何がしかの利得を政府の高官に食らわしたりなんかして、黄泉比良坂集落の連中の跋扈に対抗する事になるわけです」
「その双方から利得を受けた政府のお偉いさん達同士の抗争と云うのがまた、時には手下を動員して刃傷沙汰に及んだりしましてね、地獄省出身の私なんぞには、狂気の沙汰としか思えないような呆れ返った事態も、間々発生したりするのですなあ」
 大酒呑太郎氏が首を横に振りながら、大岩会長の後を続けて云うのでありました。
「しかし、かかる火の粉は払わにゃならんし、やられたら倍にしてやり返すのが美徳だと、私なんかは学校でも習ったし、家の爺さんにも親父にもそう云われて育ちましたよ」
 亀屋技官がやや不満顔で、大岩会長や大酒呑太郎氏の弁に抗って見せるのでありました。
「・・・なにょう、云いやがる、・・・べら、ぼう、めえ。・・・そう云う了見だから、極楽省とか地獄省の連中に、な、・・・嘗められっ放しなんじゃ、・・・ねえかてんだ」
 これは林家彦六氏が、不意に頭を起こしながら挟んだ言葉でありました。転寝をしているとばかり思っていたのでありましたが、案外そうではなくて、ちゃんとこの場の話しを端から聞いていたようであります。林家彦六氏は地獄省のご出身だと云う事でありますから、一応、準娑婆省の鬼達の一般的な意識の現状に対して、それなりの批判的意見をお持ちなのでありましょう。いやいやなかなかこれは、隅に置けない爺さんであります。
「ま、そう云うわけで、娑婆にちょっかいを出すのも、これでなかなか大変なのですよ」
 大岩会長が溜息をつくのでありました。
「いやあ、娑婆っ気の抜けない、それにまた、これから娑婆に逆戻る予定の私としましては、あんまり簡単に娑婆にちょっかいを出せない方が、有難いかとも思うのですが」
(続)
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もうじやのたわむれ 336 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 拙生は遠慮気味にそう云うのでありました。
「話しを亡者さんの娑婆逆戻りの件に戻しますが、そう云うわけで先ず、亡者さんには黄泉比良坂に行っていただく事となります」
 亀屋技官が話頭を本題の方にグイと戻すのでありました。
「私一人でそこに向かうのでしょうか? 何やら今の話しから黄泉比良坂集落の鬼達と洞窟使用に関して渡りあうのは、私には荷が重いように思いますが」
 拙生はたじろぎの色を、下げた眉尻に浮かべて云うのでありました。
「いやいや、勿論亡者さん一人で行っても何の埒も明きません。洞窟使用に関する連中との交渉は不肖この私が同行して行います。私はその集落の長とはまるで知らない仲でもありませんからね。それにそちらに座っておられる、閻魔庁から亡者さんを護衛してきた二鬼の護衛官も同行しますので、先ず心配はありませんよ。どうぞご安心ください」
「ああそうですか。それならまあ、大丈夫でしょうかな」
 拙生は下げた眉尻を元の位置に戻すのでありました。
「今回は私も同行させていただきますよ」
 横の補佐官筆頭が拙生の方に顔を向けて云うのでありました。「本来は私はこちらの娑婆交流協会との折衝が担当でして、洞窟までご一緒する必要はないのですが、ま、万が一の事態が発生しても、足手纏いにならないように充分注意いたしますから、是非ともご一緒したいと思っております。こちらでやきもきしていても心臓に悪いですからね」
「おや、今回は補佐官さんも洞窟までいらっしゃるつもりなのですか?」
 大岩会長が驚くのでありました。
「ええそうです。閻魔庁を出る時からそのつもりでいましたから」
「しかし万が一の場合を考えると、こちらに残られた方が無難だと思うのですけどね」
「いやいや、私は行きますよ。私は元々、この護衛の二鬼とは違って体育会系ではないので、万が一の場合大して役には立たないかも知れませんが、それでも職務上、こちらで呑気に事の成るのを待っていると云うのは、何とも無責任なような気がしますからね」
「ええと、話しの途中ですが、先程から、万が一の場合、と云う言葉が頻発しておりますが、その、万が一の場合、と云うのは具体的にはどのような場合なのでしょう?」
 拙生がおずおずと言葉を挟むのでありました。
「そうですねえ、まあ、向こうの連中がすんなりと洞窟使用を許さない場合ですな」
 亀屋技官が拙生の怯み顔を無表情に見ながら云うのでありました。
「ですからつまり、すんなりといかない場合の、その具体的な向こうの出方は?」
「例えば亡者さんをふん縛って、集落の中の廃屋か何かに監禁したりして、娑婆交流協会に対して洞窟使用料の吊り上げを要求したりするような、邪な了見を起こした場合です」
「亀屋技官と閻魔庁の三鬼と云う布陣でも、そう云う事が起こるのですか?」
「まあ多分、起こらないと思いますが、しかし起こらないとも限りません」
 亀屋技官が頼りない事を云うのでありました。「ま、いざとなったら黄泉比良坂集落近くの警察署に応援を頼むことも出来ますよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 337 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「しかし、近くの警察署と云うのなら、集落の鬼側に味方する場合もあるのでは?」
「そうですね。そう云う事は充分にあり得ますねえ」
 亀屋技官は特に深刻そうにでもなく、ごくあっさりとそう云うのでありました。
「大丈夫です! 少なくともこの私と、逸茂、発羅津両護衛官で、あらゆる不測の事態にも対処いたします。まあ、私はさておき、護衛官はそう云う訓練も積んでおりますから」
 補佐官筆頭が拙生の情けなさそうな顔を覗きこんで、自信に満ちた頷きをゆっくり繰り返しながら、キリリと表情を引き締めて請けあうのでありました。
「頼りにしております」
 拙生は姿勢を正してお辞儀を返すのでありました。
「ま、そこまで事態が悪く回る事はないと思いますが、一応注意喚起と云う事で」
 亀屋技官がそう云いながら、椅子の背凭れに体を引いて頭を掻くのでありました。
「洞窟使用料に関しては、娑婆交流協会とその黄泉比良坂集落の鬼達との間で、一定の取決めみたいなものがあるのでしょう?」
 拙生は大酒呑太郎氏の顔を見ながら訊くのでありました。
「あります。しかし往々にして無視されます。特に今回のように、普通に準娑婆省の鬼とかが洞窟を使用する場合ではなくて、特例となる場合は猶更ですな」
「それは困った事ですねえ」
 拙生はそう云いながらも、それで準娑婆省の鬼が娑婆にちょっかいを出しにくくなるのは、娑婆の方にすれば寧ろ歓迎すべき事には違いないと、再度思うのでありました。娑婆に逆戻る身としては、寧ろ黄泉比良坂の鬼達に、秘かにエールを送りたいような心持ちでありますかな。まあ、拙生の今回の逆戻りの件に関しては別でありますが。
「ええと、黄泉比良坂の鬼達との折衝は総て亀屋技官がいたしますので、すっかりお任せください。下手に事態を拗らせないためにも、くれぐれもその辺は宜しくお願いします」
 大岩会長が補佐官筆頭と逸茂、発羅津両護衛官の顔を交互に見ながら念を押すのでありました。これはつまり、準娑婆省外の鬼は黄泉比良坂の鬼達と要らぬ衝突をしてくれるなと、言外に要請しているのでありましょう。何やら娑婆交流協会は、黄泉比良坂の鬼達に対して、少々ナイーブになっているような按配だなと拙生は推察するのでありました。何故そうならざるを得ないのか、その辺の詳しい事情は拙生には判らないのでありますが。
 黄泉比良坂の鬼達が矢鱈に強悍な集団で、中国の『水滸伝』と云う物語にある梁山泊に参集する豪勇の義士みたいに、腕っ節では準娑婆省の警察や軍隊を向こうに回しても、決して引けを取らない猛者連中なのでありましょうか。それとも真偽は別にして面白おかしさと云う点で、娑婆で巷間よく囁かれるところの国家の中枢にまで魔手を伸ばし、一国を裏で支配している、良からぬ了見を秘め持った闇の秘密結社の大元締めが、黄泉比良坂の鬼達なのでありましょうや。或いは単に、洒落もヨイショも通じない、話しの全く解らない無粋で粗暴で、目先の利のみに異常に囚われている、手のつけられない野鬼の集まりなのでありましょうか。ま、今のところ材料は乏しいながらも色々想像出来るのであります。
「まあ、会長が云われるように、何事も穏便に事を運ぶに如くはありませんかな」
(続)
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もうじやのたわむれ 338 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 大酒呑太郎氏がそう云いながら補佐官筆頭を見るのでありました。
「それは重々判っておりますが、準娑婆省の鬼の方々が娑婆ばかりではなくて、困じ果てて、ちゃんとした手続きで救いの手を求めている我々にまで、不謹慎にもちょっかいをお出しになると云うのなら、我々も不本意ながらもそれに対抗せざるを得ないと云う事です」
 補佐官筆頭が毅然とそう正論を返すのでありましたが、これは前の出張の折、大酒呑太郎氏に自分がおちょくられた事への恨み言とも聞こえる言葉ではありました。
「それではまあ、前もって補佐官さんから連絡をいただいておりましたので、必要書類とか段取り等は亀屋技官がもう既にほぼ整えております。これから小一時間ほどしたら、早速黄泉比良坂へご出発していただきますが、どうぞ亡者さんには無事の娑婆へのご帰還を、草葉の陰よりお祈りいたしております。またいずれ準娑婆省にお越しになる折には、事情が許すなら、娑婆交流協会へもお立ち寄りください。大いに歓迎させていただきますよ」
 大岩会長はそう云って、拙生に愛想の笑顔を向けてから立ち上がるのでありました。
「ああどうも有難うございます。色々お世話をおかけします」
 拙生も立ち上がってお辞儀するのでありました。
「閻魔庁を代表いたしまして、この度のお骨折りを感謝いたします」
 これは補佐官筆頭が同じく立ち上がりながら云う言葉でありましたが、ほんの少し遅れて逸茂、発羅津両護衛官も椅子から腰を浮かすのでありました。
「補佐官さんは黄泉比良坂まで一緒に行っても無意味でしょうから、どうです、ここに残って、仕事を無事に終えて護衛官が戻って来るまで、私と俳句の話し等しませんか?」
 大酒呑太郎氏が補佐官筆頭に、存念の変更を促すようにそう水を向けるのでありました。
「いや、私も黄泉比良坂まで行って参りますよ。私の意気に於いて完璧に私の責任を全うしたいのでね。ひょっとしたら足手纏いになるかも知れませんがね」
 補佐官筆頭は大酒呑太郎氏の提案を、微塵の愛嬌もない顔をして退けるのでありました。
「ああそうですか。それは何とも仕事熱心な事ですなあ」
 大酒呑太郎氏は語調に多少の揶揄をこめて云うのでありました。まあ、補佐官筆頭が黄泉比良坂まで頑なに同行しようとするのは、大酒呑太郎氏と二鬼になって、またもや前のように、鬼の悪いおちょくりをされたら叶わないと云った思いからでありましょうか。
「ではこれにて」
 大岩会長が我々一亡者三鬼の顔を順に見て、夫々に律義に浅いお辞儀をして見せるのでありました。「こちらの用意が整い次第、亀屋技官がお迎えに上がります。それまではこちらの部屋で寛いでいてください。何のお構いもしませんで失礼いたしました」
 大岩会長がドアの方に向かうのでありました。そう云えば確かにお茶の一杯も出なかったなと、拙生はそんなさもしい事を考えながら、大岩会長、大酒呑太郎氏、林家彦六氏、最後に亀屋技官の順で、この部屋を出て行くその後姿を目で追いつつ思うのでありました。
 部屋に残った一亡者三鬼はまた椅子に腰を下ろすのでありました。
「下の建物の入り口に自動販売機がありましたから、コーヒーでも買ってきましょうか?」
 発羅津玄喜氏氏がすぐに椅子から腰を上げて云うのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 339 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「そうね。じゃあ頼もうかね。気が利かないのか、それとも端からその気がないのか知らないが、お茶も出ないからなあ、ここでは」
 補佐官筆頭が、先程拙生が思ったのと同じ事を云うのでありました。
「じゃあ、一っ走り行ってきます。皆さんコーヒーで良いですか?」
「私は温かい緑茶か何かを頼むよ」
 補佐官筆頭が云うのでありました。
「俺はコーヒーの微糖のヤツ。あるのなら温かいのを」
 逸茂厳記氏が後に続くのでありました。
「私はブラックの冷たいのを」
 これは拙生の注文であります。どうでも良い事でありますが、発羅津玄喜が拙生と同じ冷たいブラックコーヒーであれば、三途の川の豪華客船の客室で飲んだ夫々の飲み物と全く同じでありますか。何とも芸のないチョイスと云うのか何と云うのか。
「ところであの亀屋技官と云う方は生粋の準娑婆省っ子の鬼と云う事ですが、前に補佐官さんが出張された時、矢張りさっきの面子でお話しあいをされて、その折は確か、鶴屋南北と云うお名前で前に娑婆にいらした方だ、なんと云う風の事をお聞きしたと思うのですが、そうなると、鬼ではなくて極楽省か地獄省に居た霊である事になるのではないですか?」
 拙生は隣の席で持参したブリーフケースから、何かの書類の束を取り出そうとしている補佐官筆頭に訊くのでありました。
「そうです。あの時はそう云う風に自己紹介されました。ですから私は今の今まで大岩会長や林家彦六さんと同じ、極楽省か地獄省からやって来た霊だとばかり思っていたのですが、どうやらそうじゃないような話しの按配で、些か驚いておるところです」
「では前の時、亀屋技官は補佐官さんに嘘を云ったと云う事でしょうかね?」
「ま、そういなりますね。私が思いますに、準娑婆省では生粋の準娑婆省っ子より極楽省や地獄省からやって来た霊、或いは鬼の方がステータスが上だし、傍も大いに持て囃すものだから、そういう風に普段から詐称していたのでしょう。しかし前回、余りにあっけらかんと、大岩会長や彦六さんや大酒さんの目の前も憚らず詐称した事を、後日そのお三方に咎められたか何かして、当人が、いや違った、当鬼が恥じ入ってかどうかは判りませんが、兎も角、今回は遠慮してそう云う無様な見栄は張らなかったのでしょうね。準娑婆省の連中は、そんなすぐにバレる芸のない、迂闊過ぎる嘘をついてけろりとしていますし、それがバレたからと云って、特に羞恥するような心根も備えていませんからね。厚顔無恥と云うのか何と云うのか。まあ、そう云う程度の事なのだろうと私は察しましたけどね」
「ああそうですか。しかしそんな方が今回の私の娑婆への逆戻りを差配するとなると、どうも不安な心持がしてきますなあ」
「お察しします。しかし私と逸茂、発羅津の三鬼で閻魔庁の威信を前面に押し出して、屹度厳格な対処をさせますのでご安心を。準娑婆省の連中に不埒な真似はいたさせません」
 補佐官筆頭が胸を叩いて見せるのでありました。少し遅れて逸茂厳記氏も力強く己の胸を叩くのでありましたが、少し強く叩きすぎたのか、その後ちょっと咽るのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 340 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「奪衣婆港のあの防衛隊の応援とかは仰げないのでしょうかね?」
「いやそれは、港湾施設及び港湾付帯施設は閻魔庁の永久租借地にありますから、その敷地内か、限られた周辺なら、防衛隊も活発に活動する事も出来ます。そこは治外法権ですから地獄省の警察権にしろ何にしろ、あらゆる権限も誰憚る事なく行使可能ですが、それ以外の準娑婆省の省土となると、矢張り省際条約上、或いは地位協定上我々の権限も大幅に制約されて仕舞いますし、原則的には準娑婆省の法令や慣習を尊重する事となります」
「ああ成程、それはそうでしょうね。準娑婆省も歴とした独立国家、いや省家ですからね」
「幾ら準娑婆省の殆どの連中がルール無視の無頼漢であっても、その辺のけじめはちゃんとしておかないと、我々も連中と同じレベルの鬼となって仕舞いますからね」
 拙生と補佐官筆頭がそう云う話しをしていると、発羅津玄喜氏が下で買ってきた飲み物を腹の前に纏めて抱えて、開けにくそうにドアを開いて部屋に戻って来るのでありました。それからその発羅津玄喜氏の後ろから、どうしたわけか大酒呑太郎氏が一緒に部屋に入ってくるのでありました。これはまた、何のための再来でありましょうや。
「何かお忘れ物ですか?」
 補佐官筆頭が怪訝な顔をして、大酒呑太郎氏に無愛想に声をかけるのでありました。
「いや別にそう云うわけではないのですがね。ま、こんな折じゃないと補佐官さんに滅多にお目にかかれないので、その後俳句に新境地を開かれたかどうかとか、そんなような話しでもしようかと思いましてね、こうして戻ってきたのですな」
 大酒呑太郎氏はそう云いながら、先程と同じ席にゆっくり腰を下ろすのでありました。補佐官筆頭は一瞬、露骨に嫌な顔をするのでありましたが、しかし無下に出て行けとも云えず、口をへの字に曲げるだけでありました。
「仕事時間中にそう云う、私的な趣味の話をするのは差し控えたいですね」
 補佐官筆頭の愛想の欠片もない云い草であります。これは前回の出張の折の、大酒呑太郎氏の自分に対する鬼の悪いちょっかいを、相当に根に持っているようであります。
「何か、あんまり私と話しをしたくないような気配ですなあ」
 大酒呑太郎氏は補佐官筆頭の意外な不機嫌を察して、そう訊くのでありました。「さっき訊こうと思ったのですが、前の時に私が何か、不興を買うような事を仕出かしましたかな?」
 補佐官筆頭はこの大酒呑太郎氏のしれっとした云い様に、眉根を寄せるのでありました。
「それは大酒さんが一番ご承知の筈でしょう?」
「はて、何でしょうかな、全く思い当りませんなあ」
「そんなに落ち着き払っておトボケになっては困ります。長年準娑婆省の空気に馴染んで仕舞うと、そうも鬼格が歪んで仕舞われるのでしょうかね」
「ええと、その、鬼格、と云うのは、娑婆で云うところの、人格、ですね?」
 これは拙生が横から遠慮がちに口を挟む言葉でありました。
「正解です」
 補佐官筆頭は眉根を寄せた顔の儘、億劫そうにピースサインをするのでありました。拙生もまた、こんな時に無神経に余計な事を態々訊かなければ良いものを。
(続)
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もうじやのたわむれ 341 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「そんなにムクれていないで、この老人に失礼の段があったのなら謝りますから、はっきりと、そのご不興の理由をお聞かせいただけないものでしょうかな」
 大酒呑太郎氏は相変わらず静かな物腰で、口の端に少々のニヤニヤ笑いを浮かべて云うのでありました。それが補佐官筆頭を余計に怒らせるのでありましたが、これも要するに、大酒呑太郎氏のおちょくりの一つであろうとも考えられるのであります。
「私の無愛想の理由は先回の出張の折、俳句がらみで私を悪趣味におちょくられた大酒さん自身が、一番良く判っておられると思っておりますが」
「はて、先回の補佐官さんの出張の折、ですか?」
「そうです。この近所の居酒屋で歓迎の宴をやっていただいて、その後宿舎で私が寝入った後に、秘かに私にされた手のこんだ無粋な悪戯を、もうお忘れになったのですかね?」
「補佐官さんが寝入った後、ねえ。いやあ、そう云われても何も覚えがありませんなあ」
 大酒呑太郎氏はニヤニヤ笑いを浮かべた儘、あくまでもトボけるのでありました。こう云う態度なんと云うものは、トボけているとちゃんと表明しているようなものであります。
「ああそうですか。あくまでもそう云って白を切られると云うのなら、私の方にはこの後にあれこれとお返しする言葉は何もありませんな」
 補佐官筆頭は不快気にそう云って椅子から立ち上がるのでありました。「私は小用に行ってきますので、ちょっと失礼しますよ」
 補佐官筆頭は部屋から出て行こうとするのでありました。大酒呑太郎氏はそれを特に止める様子も見せないで、矢張りニヤニヤ笑いを浮かべた儘、補佐官筆頭の挙措を目で追うのみでありました。その補佐官筆頭の後を追うように「私もおつきあいします」と云いながら、発羅津玄喜氏が自分の缶コーヒーを持った儘立ち上がるのでありました。
「やれやれ、随分とご立腹なご様子で」
 大酒呑太郎氏は二鬼が部屋を出たのを見送ってから、拙生の方にゆっくり顔を向けて、補佐官筆頭の今の態度を別段意にも介していないような口ぶりで云うのでありました。
「いや、私も補佐官さんの前の出張の折の、大酒さんとの経緯を少し聞き及んでおりますが、補佐官さんの今回のあのぶっきら棒な態度も、致し方ないと思いますよ」
 拙生は極力無表情に大酒呑太郎氏に向かって云うのでありました。
「いやまあ、そんな事はどうでもよろしい」
 大酒呑太郎氏は体ごと拙生に向き直るのでありました。「ところで亡者さん、唐突ですが貴方この儘、準娑婆省に留まる気はありませんかな?」
「え、どう云う事ですか?」
 拙生はたじろぎの目をして、大酒呑太郎氏を見た後、その目をおどおどと部屋に居残っている逸茂厳記氏に向けるのでありました。
「ああ、そこの御仁はちょっと眠って貰っていますから、気になさる必要はありませんよ」
 成程、逸茂厳記氏は背凭れに体を預けて両手をダラリと体側に垂らして、首を深く斜め前に倒して、微かな寝息を立てているではありませんか。これは逸茂厳記氏が飲んだ微糖の缶コーヒーの中に、眠り薬でも仕こまれていたのでありましょうや。
(続)
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もうじやのたわむれ 342 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 拙生は驚愕に目を見開いて、序に口もポカンと開けて、大酒呑太郎氏を凝視するのでありました。何やら不穏な息が、大酒呑太郎氏の口から吐き出されているようであります。
「大酒さんが、眠らせたのですか?」
 拙生は口角を引き攣らせるのでありました。
「ええまあそうです」
「逸茂さんの缶コーヒーに睡眠薬でも仕こんだのですか?」
「いや、そんな事はしません。これは一種の催眠術ですな」
「催眠術をお使いになるので? いったい何時の間におかけになったのですか?」
「即応術です。心得はありましてね。いやまあ、そんな事はこの際どうでも宜しい。催眠術と云っても長く眠らせる事は出来ません。精々数分間ですし、それに自然現象を催して席を立った二鬼が、すぐに戻って来たら面倒ですから、ごく手短に私の用件を云います」
 大酒呑太郎氏は拙生のそれ以上の質問を封じるのでありました。「貴方はその気があればこの儘、準娑婆省に留まる事が出来るのですよ」
「しかし私は、黄泉比良坂の洞窟から娑婆に逆戻る目的で、こちらに伺ったのです」
「それはそうですが、準娑婆省に留まる手立てがあります」
「急にそう云われましても、・・・」
「準娑婆省は面白い処ですよ。貴方は娑婆に、悔しい思いをさせられたヤツとか、どうしても意趣返しをしないと気が済まないヤツとかが、いらっしゃいませんかな?」
「ま、いない事もありませんが」
「準娑婆省に留まるなら、そう云うヤツ等に痛快な仕返しをする事が出来ますよ」
「ああ、娑婆にちょっかいを出すわけですね?」
「そうです。胸のすくようなちょっかいが出せます」
「うーん、なかなか好都合と云うのか、魅力的なお話しですが、・・・」
 拙生は少し心が動くのでありました。「しかし私は亡者でして、亡者はこの仮の姿の耐用時間がありますから、結局、石ころに変貌してこちらに留まる事になるのでしょう?」
「いや、技術は日進月歩です」
 大酒呑太郎氏は一つ、力強い頷きをするのでありました。「石ころにならないで、その仮の姿の儘でいられる技術が、準娑婆省の方で秘かに開発されているのです」
「ほう、石ころにならない秘策があるのですか?」
「そうです。その今の体裁の儘でいられるのです」
「この先八百年間、この仮の姿が持つようになるのですか?」
「いや、実を云うとこちらの霊の平均寿命たる八百年と云う数字は、未だ実現不可能です。しかし今の技術でも、少なくとも八十年は大丈夫でしょう。八十年と云えば娑婆の日本人の平均寿命とほぼ同じですから、不足はないとも考えられるのではないでしょうか?」
「それはそうですね。少なくとも私が娑婆にいた年数よりは随分長いですな」
「そうです。そう云う風にお考えになれば良いのです」
「しかし、八十年後にはどうなるのですか?」
(続)
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もうじやのたわむれ 343 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「もう一度、その秘策の施術を受けて貰えれば良いのですな」
「するとまた、もう八十年間この儘の体裁でいられるわけだ」
「いや、今のところ二回目の施術後は四十年耐用時間が延びますな」
「一回目の半分の耐用時間しか得られないのですか。そうするとその次の施術で二十年、次は十年、その次が五年、・・・となって、竟には結局石ころになるのですかね?」
「今のところはそうなります。しかし先程も云いましたように技術は日進月歩です。その内に一回の施術で数百年間、石ころにならないで済むようになるでしょう。理論的にはその目途もぼちぼち立っているようですからね。ま、将来は明るいですな」
「しかしそんな風にこの仮の姿の耐用時間を伸ばしていくとしても、それでも霊にはなれないのですから、こちらの世の次の、素界、には行けないわけですよね?」
「そうです。しかしこちらの世で永遠の生命を手に入れるのだ、とお考えになれば宜しいのではないですかね。仮の姿の儘で老化もしませんから、正に不老不死ですな」
「しかしあくまでもアウトローとして、存在しないものとして存在するわけですよね」
「アウトロー。結構じゃないですか。その胡散臭さがなかなか格好良いと思いますがね」
「まあ、考えように依ってはそうとも云えますがねえ。・・・」
 拙生は首を傾げて見せるのでありました。
「しかしもう数百年も経って、準娑婆省の省力が飛躍的に上がり、地獄省や極楽省と拮抗するくらいの力を備えるようになれば、そう云う準娑婆省に住む存在を、地獄省も極楽省も認めざるを得なくなるでしょうよ。そうなれば晴れてインローとなりますな」
「まあ、亡者の仮の姿が石ころにならないで済む技術が開発されるくらいですし、準娑婆省の技術レベルも相当に高いと云う事になりますから、産業技術とかの方も実は相当に進んでいると考えられるのでしょうなあ。そうなら準娑婆省が経済とか軍事の面でも、数百年なんと云う単位ではなくて、数十年と云う時間で飛躍的に前進する可能性はあるわけだ」
「いや、産業とか軍事の武器開発とかそう云った方面の技術は、亡者の仮の姿を石ころに変えない技術とは、ちょっと異質のものでして、未だ々々遅れておりますがね」
 大酒呑太郎氏は無表情でクールな事を云うのでありました。
「しかし技術は応用とか転用する事で、社会のあらゆる部面に活用されるのでしょうに」
「その応用とか転用する人材が決定的に不足しているわけです、準娑婆省には」
「それで、極楽省とか地獄省の霊とか鬼の亡命とかを歓迎しているわけだ」
「まあ、そう云う事ですな」
 大酒呑太郎氏は首肯するのでありました。「で、もしも貴方に準娑婆省に留まる気があるのなら、黄泉比良坂の洞窟の中で洞窟使用の受付係をしている、よもつのしこめ姐さんと云う名前の女の老鬼がいますから、その姐さんにこの書状をお見せください」
 大酒呑太郎氏は上着の内ポケットから、奉書紙に包まれた手紙らしきを取り出して、拙生に手渡すのでありました。「これに委細と指示が書いてありますから、見せれば姐さんがその後は上手く手引きしてくれると云う按配です。云うまでもないでしょうが、この書状は補佐官とか護衛官に見つからないように、こっそりと所持しておいてしてくださいよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 344 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 大酒呑太郎氏は眉根を寄せて、拙生に書状をポケットに早く仕舞えと指示するような仕草をして見せるのでありました。その時、部屋のドアノブを回す音が聞こえるのでありました。拙生は大酒呑太郎氏の秘かな算段に乗ったわけではないのでありましたが、何となく弾みで、書状を上着の内ポケットに慌てて仕舞うのでありました。
 書状が拙生のポケットに隠れ終わるタイミングで、寝ていた逸茂厳記氏が目を開いて、欠伸と伸びをしながら椅子の背凭れから上体を起こすのでありました。その直後に部屋のドアが開いて、補佐官筆頭と発羅津玄喜氏が部屋の中に入ってくるのでありました。
「おや、未だここにいらしたので?」
 補佐官筆頭が大酒呑太郎氏に、そんな無愛想な声をかけるのでありました。大酒呑太郎氏は補佐官筆頭に苦笑いを返しながら立ち上がるのでありました。
「私は補佐官さんに相当に嫌われたようですな。とんと心当たりはないのですがねえ。ま、しかし、それ程私をお嫌いとあらば、私はここから早々に消えた方が無難ですかな」
 大酒呑太郎氏は拙生に意趣の籠った流し目をちらと送って、それから何食わぬ顔をして、補佐官筆頭に向かって人を食ったように、いや違った、鬼を食ったように笑顔を向けて片手を挙げて見せながら、鷹揚な様子であっさり部屋を出て行くのでありました。
「何か大酒さんに云われたのですかな?」
 補佐官筆頭が拙生の顔を凝視するのでありました。
「いや、特には何も、・・・」
 拙生の方には一分の後ろめたさもないと思われるのに、その意に反して拙生はたじろぎながら返すのでありました。動揺する必要等は拙生には何もない筈であります。拙生は大酒呑太郎氏の秘かな誘惑に、乗ると決めたわけでは全くないのでありますから。寧ろそんな不埒な誘いなんぞよりも、娑婆に逆戻る方に未だ、九対一、いやいや、九十九対一の割合で重心がどっしりと乗っているのでありますから。それに補佐官筆頭に、これこれこう云う怪しからぬ誘惑が大酒呑太郎氏からあったと、報告しても別に良いのであります。その方が、亡者である拙生のとるべき、閻魔庁への義理の立つ道と云うものでありましょう。
 しかし早々に娑婆に逆戻りたい拙生としては、ここで態々事を荒立てて、前途が拗れて面倒になるのに気後れしたのでありました。ここは余計な波風を迂闊にあれこれ立てないで、なるべく穏便に、無難に、スムーズに娑婆に逆戻るのが専一であります。ポケットの中の書状は、誰にも黙ってその儘、向こうの世まで持って行けば良いだけであります。
「何か先程までと違って、亡者様の表情に強張りがあるように思いますが」
 補佐官筆頭が怪訝そうに首を傾げて拙生の顔を観察するのでありました。
「いや何、先程の大酒さんの補佐官さんに対する白っトボけぶりが、余りに堂々としていらしたので、ちょっと唖然として仕舞って、それで顔が固まったのですかな」
「ああそうですか」
 補佐官筆頭は未だ怪訝そうでありましたが、部屋には拙生と大酒呑太郎氏の他に逸茂厳記氏も一緒にいたのであるから、何か妙なちょっかいを大酒氏が拙生に出す事は出来なかったであろうと測算したようであります。逸茂厳記氏は眠らされていたとも知らずに。
(続)
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もうじやのたわむれ 345 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 そうこうしている内に部屋に亀屋技官が現れて、準備万端整ったのでこれから黄泉比良坂へ向かいたいのだがと、我々一亡者と三鬼に出発を促すのでありました。我々は亀屋技官の尻について部屋を出ると、一階の玄関の方に向かうのでありました。
 玄関には白い大型のバンが横づけされているのでありました。大岩会長や林家彦六氏、それに大酒呑太郎氏の顔があるのは、我々を見送るためでありましょう。
「さあ、お乗りください」
 亀屋技官は我々にそう云って、自分が最初に運転席に乗りこむのでありました。
「では色々お世話をおかけしました」
 補佐官筆頭が大岩会長にお辞儀するのでありました。
「今から出かけて用事を済まして、補佐官さんがこちらにお戻りになるのは夜になりそうですから、前の時と同じに、補佐官さんは私共の用意した宿舎の方にお帰りください。今回も親睦のために、近くの居酒屋にささやかな宴席を設けておりますから」
 大岩会長が補佐官筆頭と握手しながら云うのでありました。「そこの護衛官さん達もこちらの宿舎の方にお泊りになって、宴会にご出席になっても宜しいのですが?」
「いや、私共はあくまで亡者様の護衛担当としてこちらに参ったので、準娑婆省のお歴々との交流の許可を上から貰っていません。ですから先回の時と同様、奪衣婆港の方の閻魔庁の宿舎で今日は泊まります。亀屋技官にはお手間をおかけするようですが、帰りはそちらの方に車を回して貰って、我々護衛二鬼をそこで下ろしていただけたら有難いですな」
 逸茂厳記氏が大岩会長に掌を見せて、申し出を断るのでありました。
「奪衣婆港の方にお送りするのは、お安いご用です」
 亀屋技官が運転席の窓に片肘をついて了解するのでありました。
「まあ良いじゃありませんか、そんな律義らしい事を云って遠慮なさらなくとも」
 大岩会長が尚も逸茂厳記氏に誘いの言葉を投げるのでありました。
「いや、閻魔庁の規則なので、有難いお誘いではありますが固く辞退いたします」
 逸茂厳記氏は大岩会長の前に翳した掌を何度か横にふるのでありました。
「私も、今日は奪衣婆港の閻魔庁の宿舎の方に泊まります」
 補佐官筆頭が横から云うのでありました。
「あらま、補佐官さんは私たちと交流しても何も問題はないのでしょう?」
「まあそうですが、しかし今回はこの護衛官達と一緒に、奪衣婆港の閻魔庁宿舎の方に泊まります。愛想のない事で慎に申しわけないですが」
 補佐官筆頭がそう云うのは、また前の時のように酒の接待を受けた後、大酒呑太郎氏に無粋なちょっかいでからかわれる事を、強く警戒しているためでありましょう。
「折角楽しみにしていましたのに」
 大岩会長が大いに残念がるのでありました。
「いや、今回は、私も奪衣婆港の方に泊まるつもりで始めからおりましたので」
 補佐官筆頭は断固とした口調でそう云い張るのでありました。大酒呑太郎氏は薄ら笑いを口の端に浮かべて、そんな補佐官筆頭を見ているのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 346 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 車が動き出す時、大酒呑太郎氏と目があうのでありました。大酒呑太郎氏は判るか判らない程度に両目を細めて見せて、拙生に意味有り気なサインらしきを送るのでありました。拙生はその視線から、おどおどと目を逸らすのでありました。別に拙生がたじろぐ必要は何もないではないかと、視線を逸らした後で思うのでありましたが。・・・
 秘かに催眠術を使ったり、単なる無意味な悪戯心から、補佐官筆頭をそうとは気づかれないように嵌めてみたりと、大酒呑太郎氏と云う鬼は何とも食えない不気味な鬼であります。若し拙生が大酒呑太郎氏の誘惑を無視して娑婆に逆戻った場合、その後娑婆の方でちょっかいを出されて、とんでもない仕返しを食らう事になりはしないかと、その辺が大いに気がかりなところではあります。まあ、氏が大度且つ鷹揚で、執念深くない鬼柄である事を期待するのみであります。ところでこの、鬼柄、は娑婆で云うところの、人柄、が正解でありますが、これは敢えて云うまでもない事でありましょうか。(拙生、ピースサイン)
 娑婆交流協会のビルのあるさして大きくはない街を離れると、車はすぐに原生林の中を縫って走る未舗装の山道に分け入るのでありました。すれ違う車は一台だになく、曇天の薄暗さの中で、時々遠くから聞こえてくる飛鳥か何かの不気味な鳴声とか、原生林の中を吹き過ぎるおどろおどろし気な風音が、車中の拙生の気分を陰鬱にさせるのでありました。
「一雨きそうな具合ですなあ」
 補佐官筆頭が車窓の外を眺めながら、誰にともなく云うのでありました。
「この林の中の道を抜けると、もう十五分くらいで黄泉比良坂集落に着きます」
 亀屋技官がそんな、天候とは関係のない事を云い返すのでありました。この会話の齟齬が何となく車の中の空気を重苦しくさせるのでありました。その後はまた、膝の上に沈黙が泥むのでありました。車はなかなか、林の中の暗がりの道を抜けないのでありました。
 娑婆交流協会のあるビルを出て、どのくらいの時間が経っているのでありましょうか。拙生は自分の左手首に目を落とすのでありましたが、閻魔庁の宿泊施設を出る時に返却していたので、そこには腕時計はないのでありました。そんな拙生の様子を左横に座っている逸茂厳記氏が察して、自分の腕時計を見遣りながら拙生に話しかけるのでありました。
「娑婆交流協会を出て、もうぼちぼち一時間半くらい経ちますね」
「二時間程で黄泉比良坂集落に着きますかな」
 これは拙生の右横に座っている補佐官筆頭の言葉でありました。
「ああ、確かにそのくらいでしたかね」
 逸茂厳記氏が受けるのでありました。
「暗いのは道脇の木立の密集のせいで、雨は降らないでしょう」
 亀屋技官が再び、話しの流れとは無関係な事を云い出すのでありました。一亡者と三鬼の顔が、また元の無表情に戻るのでありました。
 暫くするとようやくに林の中を縫う道を抜けたものの、車の外は一向に明るくならないのでありました。これは時刻が夕方に差しかかったためでありましょう。その後十分程何かの畑の広がる中を走ると、古木材と藁で造られた如何にも粗末な家屋が、ポツリポツリと現れ始めるのでありましたが、そろそろ車は黄泉比良坂集落に入ったようであります。
(続)
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もうじやのたわむれ 347 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「最初に父老の家に寄って、洞窟使用の許可を貰いましょう」
 亀屋技官はそう云いながら、車のハンドルを左にグイと切るのでありました。
「父老、と云うのは黄泉比良坂集落の村長さんみたいな方の事ですか?」
 拙生が訊くのでありました。
「まあ、村長と云えなくもないですが、この集落の住鬼総意の自然発生的顔役ですね」
「昔で云う庄屋さんみたいな感じでしょうかね?」
「庄屋と云うよりは、集落内の立法と行政を統括していて、また保安官でもあり裁判官でもある、絶大なる権力者ですな。生殺与奪の権も握っていると云う」
「ほう、生殺与奪の権も握っているのですか」
 拙生は厳めしい顔をした、時代劇に出てくる山賊の親分を思い浮かべるのでありました。
 父老の屋敷は集落の中心の、土を盛り固めただけの低い塀を廻らした広い敷地の中にあるのでありました。これもテレビの時代劇なんかによく出てくる、田舎の大寺の総門のようなものが設けてあって、藁葺きの門廡の下には土色をした麻製か何かの粗末な貫頭衣を着て、藁縄で腰の辺りを縛っただけの、人相の、いや違った、鬼相の悪い門番と思しき若い衆が二鬼立っていて、前に止まった我々の乗った車を胡散臭げに見遣るのでありました。
「娑婆交流協会の亀屋が来たと、父老に伝えてくれ」
 運転席のウィンドウを開けて顔を外に出して、亀屋技官が若い衆に声をかけるのでありました。若い衆等と亀屋技官は初対面ではないようで、若い衆はニヤと薄気味の悪い笑いを返してから、一鬼が早速屋敷の中に注進に走るのでありました。
 暫く待たされてから中に消えた門番が戻ってきて、手で中に入れと亀屋技官に向かって合図をするのでありました。車は門の敷居を乗り越えて、屋敷の中に進入するのでありました。敷居を乗り越える時に、車がグランと大きく揺れて、拙生の尻はシートから浮くのでありました。元々が、車の進入なんかを考慮して造られた門ではないのでありましょう。
 広い敷地の中は、手入れの行き届いた庭、と呼べるような風情は一切ないのでありました。この屋敷の建つ前からそこにあったのであろう、無軌道に枝を張った大木が道塞ぎに峙っていたり、苔生した古丸太が乱雑に積まれていたり、何を運ぶためのものか大八車が何台か、てんでの方角を向いて止まっていたり、大木の木蔭では蓆を引いてそこに円座になった幾鬼かの、先程の門番の若い衆と同じような身なりをした連中が、傍らに酒の入った大徳利を何本も置いて、まるで娑婆の花札博打をしているような身ぶり手ぶりをしながら、時に云い争うような大声を発したり、卑俗な高笑いをしたりしているのでありました。
 奥に建つ大きな屋敷の入り口にも、番鬼が立っているのでありました。亀屋技官を除いて、我々は屋敷に足を踏み入れる前に、番鬼から入念で少々手荒いボディーチェックを受けるのでありました。なかなかに厳重な警戒態勢であります。こんな大袈裟な警戒をしなければならないと云う事は、父老には多くの敵がいると云う事なのでありましょうか。
 屋敷とは云っても広い土間だけの廃屋のような家で、奥の暗がりの中に、幾本かの蝋燭の明かりに囲まれて、顔中髭だらけの大柄の男が、矢張り貫頭衣ではあるものの、こちらは真っ赤な色のものを着て、蓆の上にどっかと胡坐をかいて座っているのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 348 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「おう、よう来たのう、亀の旦那」
 父老はそう野太い声で云って、髭と肩を大袈裟に揺らしながら大笑するのでありました。父老と云うからには、すっかり老齢なのかも知れないとも拙生は勝手に思っていたのでありましたが、黒々として強そうな髭や、その髭だらけの顔から少しく覗く目元の表情や皮膚の色艶から察して、歳回りは補佐官筆頭とそうは違わないくらいでありましょうか。
「また厄介な仕事でやって来たよ。父老も元気にしていたかね?」
 亀屋技官はちっとも遜らないもの云いをするのでありました。黄泉比良坂集落の父老よりも、娑婆交流協会の職員の方が準娑婆省では偉いのでありましょうか。
「あんた等がつまらない規則なんぞ作って、鬼共の娑婆に出すちょっかいを色々制限するもんじゃから、洞窟を管理するワッシ等の実入りが少のうなって困っとるわい」
「まあ、それは仕方がないね。上の方針なんだから、こちとら下っ端は口出し出来ないからねえ。実入りを増やしたかったら、準娑婆省政府とか娑婆交流協会のお偉いさんに定期的に渡している袖の下を、もっと奮発する事だね。それが一番効く方法だろうからねえ」
 亀屋技官は外部の拙生や閻魔庁職員の目の前も憚らず、そんな胡散臭い内輪の話しを父老と無神経に交わしているのでありました。
「別に袖の下をケチっとるわけじゃないが、もうここの住鬼共から搾り取る金もそろそろ限界にきておるから、奮発したくともなかなか出来んのじゃよ」
「まあ、その辺は父老の悪知恵に任せるとして、そのちょっかいの制限の穴埋めと云うのじゃないんだけれど、こんな物をお土産に持ってきたよ」
 亀屋技官は上着のポケットから拳大の石ころを取り出して、ぞんざいな仕草で父老に手渡すのでありました。「この石はちょっと上玉だぜ」
 父老は石ころを蝋燭の火に近づけて、暫く矯めつ眇めつ眺めているのでありました。
「成程、こりゃ上玉だ。色あいと云い、念の出方の可憐さと云い、なかなかの代物だのう」
 父老は大袈裟に喜ぶのでありましたが、仄見る限り、その石ころは娑婆の道端にざらに転がっている、価値もない石ころと同じようにしか拙生には見えないのでありました。
「そうだろう? そんじょそこらじゃ見つけられない石ころだよ」
「確かに。これは屹度、別嬪の女の亡者の成り変わった石ころじゃなかろうか」
 父老は石ころを掌の上で転がしてみたり、軽く弾ませて重さを確かめたりするのでありました。「まあ、ワッシのコレクションの中にも、これに敵うものは五個もなかろう」
 どうやらこの石ころは準娑婆省に、本意か不本意かは判らないものの、連れてこられた亡者の、仮の姿を喪失した後の成れの果ての石ころのようであります。拙生は思わず父老の掌の上の石ころを、たじろぎを隠して凝視するのでありました。亡者の成れの果ての石ころは、時にこうして準娑婆省の鬼達のコレクションにされるのでありましょうか。
 横にいる補佐官筆頭の顔を窺うと、目に少しの緊張を湛えて、矢張り不老の持つ石ころに目を釘づけているのでありました。屹度、閻魔庁に帰ったら早速この石ころの事を、然るべき部署に報告するつもりなのでありましょう。それで閻魔庁として隠密裏に父老の手から救出して、霊に生まれ変わるための救済措置を施そうと云うのでありましょう。
(続)
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もうじやのたわむれ 349 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「それと、これは洞窟使用料だ」
 亀屋技官はまたポケットから茶封筒を取り出すのでありました。父老はその茶封筒を受け取ると封を手で乱暴に切って、中の紙幣を取り出すのでありました。
「なんじゃ、正規の料金しか入っておらんじゃないか」
「そりゃそうだ。娑婆交流協会としては立場上、正規の料金しか払えんからねえ」
「少しは色をつけてもらわんと、あまりに愛想がなかろうよ」
 父老は不満げな顔を亀屋技官に向けるのでありました。
「その代りに、上玉の石ころを持ってきたじゃないか。ここはあんまり欲を掻かないで、すんなりその封筒を懐に入れて、ぽんと一つ手を打ってくれよ」
 亀屋技官は手刀を顔の前に翳して、浅く懇願の一礼をするのでありました。
「ちぇっ、亀の旦那にお辞儀されちゃあ、これ以上のしみったれは云えねえわな」
 父老は顰め面をするのでありました。「その代り、今度ウチの若い衆の息子が街に出て、娑婆交流協会の就職試験を受ける事になっとるんじゃが、その面倒はきっちり見てくれよ。なんせこの息子ときたら、頭の方はさっぱりのようじゃから、コネを使うしかないんでな」
「判った。そんな事はお安いご用だ。後でそいつの名前を教えておいてくれ」
 これで何とか洞窟使用に関しては、父老と話しがついたと云うことでありましょう。父老は茶封筒を懐に仕舞うと、代わりに木製の彫物を同じ懐から取り出すのでありました。その色と云い形と云い大きさと云い昔の中国の、皇帝が将軍に兵権を委ねる時に、その証として渡す虎符に似ている代物であります。察するところどうやらこれは、洞窟使用を保証する割符の片割れなのでありましょう。何とも古風な仕来たりと云うべきであります。
 割符を受け取った後、亀屋技官は父老と何やら個人的な、いや違った、個鬼的な話しがあると云うので、拙生と閻魔庁派遣の三鬼は父老の家から出されるのでありました。我々一亡者と三鬼は車に戻って、その中で待機するのでありました。
「部外の我々の目があると云うのに、その面前であの父老は亀屋技官に平気で、洞窟使用料に色をつけろとか、娑婆交流協会に就職しようとする手下の鬼の子供の就職斡旋を依頼したりとか、何やら色々と胡散臭い要求なんかをしていましたし、亀屋技官もそれに対して、我々の目がないかのようにごく普通に応対していましたが、準娑婆省生粋の鬼連中は人目を憚るなんと云う心根は、呆れた事に全く持ちあわせていないのでしょうかね?」
 発羅津玄喜氏が拙生の左横で腕組みしながら云うのでありました。
「ま、そう云う事だな。そう云う要求に、別に羞恥とか後ろめたさなんかを感じないのだろうな。品性がそこまで錬れていない連中なんだろうな」
 補佐官筆頭が前の助手席から、身を捻って後ろを向きながら応えるのでありました。
「品性の問題なのでしょうかね?」
「まあ、こそこそと、そう云った要求をすれば、それで品性が錬れている事になるわけでもないけれど、ま、人目を憚るべき時は憚る方が、憚ると云う気持ちがあるだけまともとも云えるだろう。或いは、品性以前の単なるマナーの問題かも知れないがね」
「単なるマナーの問題なのですかね?」
(続)
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もうじやのたわむれ 350 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 発羅津玄喜氏が首を傾げるのでありました。
「卑しさが卑しさとしての意味を持っていない社会なのでしょうね、準娑婆省の社会は」
 これは拙生の右横に座っている、逸茂厳記氏の言葉であります。
「まあつまり地獄省と違って文化的に錬れていない未開で野蛮な儘の省、だと云う事だな」
 補佐官筆頭が体を元に戻しながらクールに云うのでありました。
「地獄省には足元を見て割増金を要求するとか、政府高官に対して賄賂を贈るとか、コネによる就職の斡旋を依頼する、なんと云う不正は一切ないのでしょうか?」
 拙生が誰にともなく訊くのでありました。
「いや、恥ずかしながら、ありはします。しかしそれに対しては厳正な法的処罰があります。地獄省は法治国家、いや違った、法治省家ですからね。それにそう云う行為を恥じる心性もあります。道徳心とか倫理とか、鬼としての、或いは霊としての矜持も我々は持ちあわせております。地獄省の社会自体にも、非を非とする健全性がちゃんとありますし」
 補佐官筆頭がまた体を後ろに捻りながら、些か意気込んで云うのでありました。
「今は未開の儘だとしても、将来に於いて文化的に錬れる事はあるのでしょうかね?」
「どうでしょうかね。準娑婆省は地獄省とか極楽省との交流があまりありませんから、将来的に文化が、或いは省としての品性が磨かれる事は殆どないかも知れませんね」
「私が将来またこちらの世に来た時までに、少しは変わっているでしょうかね?」
「いや無理でしょう。貴方様がこちらにまたいらっしゃるのは、娑婆時間で数十年後と云うわけでしょうから、そのくらいの時間では連中の了見は何の変化もしないでしょうね」
「尤も、次の時は亡者様はすんなりと生まれ変わりになられるでしょうから、準娑婆省の方に来るなんと云う異例の事態は、先ず発生しないでしょうね。生まれ変わった後も、地獄省の住霊になられたら、余程の事がない限り準娑婆省との縁はないでしょうし」
 逸茂厳記氏が右横から口を挟むのでありました。
「ま、次回に香露木閻魔大王官がまたもやとんでもない不手際をやらかさない限りは、逸茂君の云う通り、準娑婆省との縁はないと云う事でしょうなあ」
 補佐官筆頭が捩じった体を元へゆっくり戻しながら云うのでありました。
「そう云えば次回、私がこちらの来た時、審問官さんや記録官さんの審問とかは受けなくても済むし、思い悩みの三日間もないのでしたよね?」
「一応もう、省略と云う事になります」
 補佐官筆頭がまたまた後ろに体を捩じるのでありました。
「では閻魔大王官さんの審理室に真っ直ぐに伺えば良いのでしょうかね?」
「そうですね、審問室の方はパスしますから、すぐに審理室へお越し願う事になります。ま、その審理にしても、念のための確認と云うだけですけど」
「娑婆にいる間に心変わりした場合、生まれ変わり希望地を変更出来るのでしょうか?」
「まあ、出来ないこともないですが、しかし大体、亡者様が娑婆にお戻りになったら、今回の閻魔庁の記憶は綺麗さっぱりなくなって仕舞うはずです」
「ああそうなのですか?」
(続)
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もうじやのたわむれ 351 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「そうです。で、またこちらにいらっしゃった折に、その記憶は復活します。ですから娑婆に居られる間に、あれこれ思い悩まれたりして、心変わりされるなんと云う事はないでしょうね。それにもし万が一、こちらに到着された後に心変わりがあったとしても、閻魔大王官の審理室にお越しいただいた折に、その旨を申し出ていただく事も出来ますし」
「ああ、そう云うものですか」
「それから、今度いらっしゃった時には閻魔庁の渡河船到着ロビーで、私か、若し私が都合が悪い場合は、この間の経緯をちゃんと承知した係官がこちらからすぐにお声かけして、疎漏のないようにその後をご案内いたしますので、亡者様にはどうぞご安心ください」
 補佐官筆頭は拙生に頼もしそうな笑顔を向けるのでありました。
「補佐官さんならもう見知った間柄ですから大丈夫でしょうが、若しも代理の方がお迎えにいらっしゃる場合は、私である事が一目で判るように、私の方で何か目印のようなものを身につけていなくても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫です。貴方様が再度娑婆にお娑婆ら、いや違った、おさらばされた時点で、こちらに瞬時にその情報が入りますし、亡者様が閻魔庁に到着されるまでの途中もこちらですっかり把握出来ますので、こちらの方で専一に万全に対処させていただきます。亡者様は何の煩いもなく、三途の川の船旅を満喫していただければそれで宜しいかと思います」
「そう云う事なら安心ですね。宜しくお願いいたします」
 拙生は補佐官筆頭にお辞儀して見せるのでありました。
 我々がそんな話をしていると、亀屋技官が父老の廃屋のような家を出てくるのが目の端に見えるのでありました。亀屋技官は、いやお待たせお待たせ、等と我々一亡者と三鬼に片手を挙げて云いながら、車の運転席に乗りこんでくるのでありました。
「何の話しを父老とされていたのでしょうか?」
 助手席に座っている補佐官筆頭が訊くのでありました。
「いや何、ちょっとしたプライベートな話しですよ」
 亀屋技官は補佐官筆頭のその質問をいなすような、無愛想なもの云いで返すのでありました。補佐官筆頭としても亀屋技官と父老がどんな話しをしていたのか、特に興味があるのではなくて、単なる愛想としてそう声をかけただけだったのでありましょうから、それ以上食い下がる気配は全く示さないのでありました。亀屋技官が車のイグニッションキーを回すと、車は生き返ったように低い唸りを発して、微振動を開始するのでありました。
 父老の屋敷から二十分程暮れかかった山の斜面の未舗装道路を、うねうねと右に左に曲がりながら走ると、車は雑木林の中に分け入るのでありました。木立の暗がりの隙間を縫いながら暫く行くと、急に目の前に峙った岩の断崖に行く手を阻まれるのでありました。
 亀屋技官に促されて我々は車を降りて、崖に沿って暫く歩いていると、入り口に正月の注連縄のようなものを飾った、人三人が並んで入れるような幅で、人の背丈の二倍ほどの高さの、・・・まあ、ここでの表現は、人、と云う事で良いでありましょうが、・・・兎に角、それくらいの大きさの洞窟が崖にぽっかり口を開けているのでありました。これが恐らく、娑婆とこちらの世との交通を可能ならしめるところの、黄泉比良坂の洞窟でありましょう。
(続)
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もうじやのたわむれ 352 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 父老の手下と思しき若い衆の番鬼が二鬼、片方の手に松明、もう片方の手にはイボイボのついた重そうな金棒を持って、その金棒を肩に担いで、洞窟入り口の両脇に佇立しているのでありました。この二鬼は屈強な体躯をしていて、上半身裸で、腰に粗末な布を巻きつけただけのいで立ちで、縮れた頭髪に厳めしい顔をしているのでありましたが、これで頭髪の上に角があって、口の端から牙でも見えていたら、これは如何にも娑婆で広くイメージされているところの、鬼の姿そのものでありましょうか。まあ、特に今、怒っているわけでもないし興奮してもいないのでしょうから、頭の角は見えてはおりませんでしたが。拙生は如何にも娑婆でお馴染の典型的な鬼が現れたので、少し嬉しくなるのでありました。
「この洞窟に許可なく入る事は、何鬼であろうとまかりならんぞ」
 二鬼の片割れが松明を翳しながら、威嚇の声を上げるのでありました。
「洞窟の番をご苦労さん」
 亀屋技官が気後れした風もなく、その鬼に笑って見せるのでありました。
「随分親しげな声を出しおって、何じゃな、お前さんは?」
 番鬼は威嚇のためか、縮れ毛の上に二本の角を少し覗かせるのでありました。拙生は何となくワクワクするのでありました。
「父老から洞窟の使用許可を貰って来たんだがね」
 亀屋技官は父老から渡された、昔の中国の虎符に似た割符を上着の内ポケットから取り出して、徐に番鬼に差し出すのでありました。番鬼は一度怖い顔をして亀屋技官を見据えてから、肩の金棒を相方の鬼に渡してその割符を億劫そうな仕草で受け取ると、腰に巻いた粗末な布に手を突っこんで、自分の所持する片割れの割符を取り出すのでありました。妙なところから取り出すものだなと、拙生はやや眉を寄せて秘かに思うのでありました。
「おう、ピッタリじゃわい」
 番鬼は亀屋技官の顔をもう一度見るのでありましたが、その顔からは先程までの厳めし気な気配はすっかり消え失せて、寧ろ愛想するような卑屈な色さえ浮かんでいるのでありました。頭の上に少し覗かせた角も、すっかり引っこめて仕舞っているのであります。
「確認が出来たかい?」
 松明に照らされた亀屋技官の顔に、やや傲慢そうな影が宿るのでありました。
「へえ。父老の持っている割符に間違いありませんわい。いったい何方さんで?」
「娑婆交流協会の亀屋と云う鬼だよ」
「ああ、娑婆交流協会の亀屋さん。父老から前に聞いた事のあるお名前ですわいの」
「この前、ここの番鬼をしていた鬼は、今日はどうしたのかね?」
「へえ、前のヤツは配置転換になって、今は村の連中から年貢を搾り取る部署に移りましたわい。迂闊にもお顔を存じ上げなんだとは云え、無調法をして仕舞いましたわいのう」
 番鬼は律義な一礼をしながら、しかつめ顔で亀屋技官に謝るのでありました。察するところ、亀屋技官は父老とは相当古いつきあいなのでありましょう。それも、父老の持つ割符を直接預かったり、父老から、亀の旦那、と呼ばれていたり、番鬼が名前を聞いてこうも遜るのでありますから、同格か寧ろ客分扱いと云った処遇を得ているのかも知れません。
(続)
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もうじやのたわむれ 353 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 亀屋技官と父老との関係はどう云う風になっているのか、どう云う経緯で関係が出来たのか、或いはどう云う利で繋がっているのか、多少興味のあるところではあります。しかしこれから娑婆に逆戻ろうと云う拙生には、取り敢えず関係のない事柄でありますか。
「ほんじゃあ、これからこの洞窟を使用させて貰っても大丈夫だな?」
 亀屋技官が番鬼に横柄な口調で念を押すのでありました。
「旦那、これから娑婆にちょっかいをお出しになるので?」
「お前さんに、これからこの洞窟を使う理由を説明しなければならんのかい?」
「いやとんでもない! そんな事は訊いておりませんわい」
番鬼が両手をせわしなくふって、慌てて取り繕うのでありました。「へえもう、こんな小汚い洞窟で宜しければ、どんな理由であろうが存分にお使いくだすって結構ですわい」
 番鬼はたじろぎながら、何度もお辞儀をして見せるのでありました。
「と、云う事で、さあいよいよこの洞窟から娑婆に逆戻っていただきますかな」
 亀屋技官が拙生に笑顔を向けるのでありました。洞窟の中を覗くと、松明が数本点されていて、その炎の影が洞窟内の空気を揺らしているのでありました。
 入ってほんのすぐ先の処に、巨大な岩塊が洞窟を殆ど塞ぐように転がっていて、脇に人一人が、まあここも、人、と云う表現で構わないでありましょうが、兎に角、体を斜にすればかろうじて通り抜けられるくらいの、僅かなスペースが空いているのでありました。その隙間の向こうには絶望的になるくらいの、全くの暗闇が充満しているのでありました。
 岩塊を背にして、その手前には粗末な木製の机が置いてあって、その机を前に小柄な鬼が一鬼、こちら向いて蹲るように椅子に腰かけているのでありました。後ろの岩塊に、松明の炎に照らされたその鬼の影が、薄暗く揺らめいているのでありました。柄の大きさからして、恐らく女の鬼であろうと見当をつけるのでありましたが、この鬼が屹度、大酒呑太郎氏が云っていた、洞窟の受付係をしている、よもつのしこめ姐さんでありましょう。
 洞窟内の様子の薄気味悪い気配に臆して、拙生が中に入るのを躊躇っていると、亀屋技官が拙生の背を軽く押すのでありました。
「さあどうぞ、中にお入りください」
「私一人で入るのですか?」
 拙生は怯んだ声で聴くのでありました。
「いや、千引の岩と云うあの道塞ぎの岩の処までは私が一緒に行きます」
 亀屋技官が陰鬱な声で云って、また拙生の背を軽く押すのでありました。
「補佐官さんや護衛のお二人さん、いや違った、お二鬼さんは一緒に中に入れないので?」
 拙生は縋るような目を補佐官筆頭に向けるのでありました。
「ええ、入れません。そう云う決まりなのです」
 補佐官筆頭が気の毒そうな顔で云うのでありました。
「なあに、あの岩さえ超えればそれ以上奥に入る必要はなくて、後はあっと云う間に娑婆に逆戻る事が出来ると云う按配らしいですから、然程の心配はご無用でしょう」
 逸茂厳記氏が拙生を勇気づけるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 354 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「ああそうですか。ずうっと奥まで私一人で、いや、一亡者でトボトボと、及び腰で歩いて行かなければならないわけではないのですね?」
「そのようです。尤も、私は体験したことがないので、絶対そうだとは請けあえませんが」
「それはそうでしょうがね」
「ええと、それからこれは、・・・」
 逸茂厳記氏が拙生に小函を差し出すのでありました。「閻魔庁の渡河船出発ロビーでお預かりしました冥途の土産です。あそこに座っている洞窟内の受付の鬼に、閻魔庁から貰った、娑婆に持って帰るお土産だと申告してください」
「ああ、審問官さんと記録官さんにいただいた湯呑ですね」
 拙生は軽いお辞儀をしながら小函を受け取るのでありました。「色々お世話になりました。お節介かもしれませんが、どうか志柔エミさんと、宜しくやってください」
「あ、いやどうも、ご心配、痛み入ります」
 逸茂厳記氏が照れるのでありました。
「それから発羅津さんも藍教亜留代さんとの幸せなゴールインを祈っております」
「これはどうも、有難うございます」
 発羅津玄喜氏が拙生に一礼するのでありました。「逸茂先輩と志柔エミさんの行方も私の方で、あれこれ面倒を見ますから、どうぞご安心ください」
「序に、楚々野淑美さんにも、楽しいひと時でしたとお伝えください」
「判りました。屹度そう伝えます」
「補佐官さんも、しなくても良い億劫な仕事を機嫌よくしてくださったり、こんな辺境みたいな処までおつきあいいただいたりで、何と感謝の言葉を云って良いのか判りません」
 これは補佐官筆頭に向かって云う、拙生の感謝と別れの挨拶の言葉でありました。
「いやとんでもありません。無難にここまで到った事を嬉しく思っております」
 補佐官筆頭が拙生に一礼するのでありました。
「香露木閻魔大王官さんにも、一方ならぬお骨折りをいただいて、私が大いに感謝していたと云う風にお伝えください。また次のお逢い出来る機会を楽しみにしています、とも」
「そのように申しておきます」
 補佐官筆頭は先程よりも少し長い一礼をするのでありました。
「名残は尽きませんが、それでは皆さんお元気で」
 拙生は最後の言葉を口にして、三鬼に夫々手を上げて見せるのでありました。
「どうも。早々のまたのお越しを、首を長くしてお待ちしております」
 三鬼は口を揃えてそう云って、タイミングをあわせて一緒に瞑目合掌するのでありました。拙生も同じように瞑目合掌しながら一拍遅れて一礼するのでありましたが、しかし折角娑婆に戻るのでありますから、早々の再訪を、そんなに首を長くして待たれるのも、有難いような有難くないような妙な気分であると、下げた頭の中で思うのでありました。
 拙生は亀屋技官につき添われて洞窟内に入るのでありました。拙生と亀屋技官の姿を認めて、よもつのしこめ姐さんが顔を少し上げるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 355 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「おや亀の旦那、お久しぶりで。これから洞窟をお使いになるので?」
 婆さんの風貌でありますが、しこめ姐さんの声は意外に若々しいのでありました。
「そうだ。父老から許可は貰ってある」
 亀屋技官がここでも横柄な口の利き方をするのでありました。
「亀の旦那が今からちょっかいを出しに、娑婆にお出かけになるので?」
「いや、俺じゃなくて、この横に立っている亡者さんが娑婆に逆戻るんだよ」
 亀屋技官が拙生の腰に掌を添えてやんわり押して、拙生をしこめ姐さんの面前に少しばかり押し遣るのでありました。
「へいどうも。洞窟を使わせて貰うのは私です」
 前に出された拙生は、愛想笑いながら姐さんにお辞儀するのでありました。
「おやまあ、鬼さんじゃなくて、亡者さんがこの洞窟を使うのは珍しいねえ。まあ、この前にもあったけどね、同じような事がさあ」
 このしこめ姐さんの、鬼さん、と云う言葉が拙生には、落語とかに出てくる色街の姐さんの、お兄さん、と云う云い方に聞こえて仕舞うのでありました。しこめ姐さんの風貌に目を瞑ればなかなか色っぽい声と云い草でありますが、こんな事はどうでも宜しいですな。
「色々と経緯がありまして、逆戻る事になった次第で」
「ああそうかい。折角長旅をしてこっちの世に来たって云うのに、またすぐ戻るなんざご苦労さんなこったねえ。それで、ひょっとしたらと思うから訊くけどさ、娑婆交流協会の大酒呑太郎の旦那から、手紙か何か預かってこなかったかい?」
 拙生はそう訊かれて、思わず手を上着のポケットに遣ろうとするのでありましたが、その動作をすんでのところで中止するのでありました。
「いや、別に何も預かっては。・・・」
「ああそうかい。娑婆に戻りたい一心で、しらばくれているんじゃないだろうね?」
「いや別に、そんな事は。・・・」
 拙生は内心大いに狼狽えるのでありましたが、何とか無表情に、声も裏返らない平静な感じでそう云ってトボけるのでありました。
「ふうん、そう? ま、それならそれで良いけどさ」
 しこめ姐さんが疑わしげな目で拙生を見上げるのでありました。拙生はたじろぎを隠して、姐さんの視線から微妙に拙生の目を脇に避難させるのでありました。しかし、しこめ姐さんからの追及は、それ以上は特にないのでありました。
「じゃあ亡者さん、その岩の隙間から奥に進んでください」
 亀屋技官がまた拙生の腰を押すのでありました。
「判りました。色々有難うございました」
 拙生は亀屋技官に一礼するのでありました。頭を起こす時に洞窟の外を見遣ると、補佐官筆頭と逸茂厳記氏、それに発羅津玄喜氏が横一列に並んで、心配そうにこちらの様子を窺っているのでありました。この三鬼の目があるから、しこめ姐さんもしつこく大酒呑太郎氏の書状の件を追及出来ずに、意外にあっさりと引き下がったのでありましょうか。
(続)
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もうじやのたわむれ 356 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 拙生は洞窟の外の三鬼に向かって、愛想に手をふるのでありました。それを認めた三鬼も拙生に手をふり返すのでありました。
「ほら、さっさと奥にお行きよ」
 しこめ姐さんが拙生に催促するのでありました。
「ああ、忘れるところだった、これを渡しておかねば」
 拙生はそう云いながら手にしていた湯呑の入った小函を、おずおずとしこめ姐さんの顔の前に差し出すのでありました。
「何だいこれは?」
 受け取ったしこめ姐さんは函の上下左右を、熱心に観察するのでありました。「熨斗がかけてあるねえ。これは景品か何かかい?」
「閻魔庁でいただいた冥途の土産です」
「あ、そ。これを娑婆に持って帰るのかい?」
「そうです。閻魔庁から貰ったものですから、別に娑婆に持ち帰っても問題にはならないでしょう。私としては何となく引っかかるものも、多少ありはするのですがね」
「まあ、折角くれるってものなら、素直に貰っとけばいいじゃないかい」
 しこめ姐さんはそう云いながら、全く無造作に、小函を岩の隙間の暗闇の中に無精な手つきで放り投げるのでありました。
「あっ、そんな乱暴な!」
 拙生は姐さんの無神経な為様に驚いて思わず声を上げるのでありましたが、その後に湯呑が割れる音も聞こえてこないし、それどころか地面に函が落ちる気配もしないのでありました。まるで闇に吸いこまれて消えてなくなったと云った風であります。
「さあこれで、あの函の方が一足先に娑婆に行っちまったよ」
 しこめ姐さんが云うのでありましたが、その言葉は拙生には、さっさとお前さんも闇の中に消えちまえ、と云う督促のように聞こえるのでありました。
「じゃあ、私も早々に冥途の土産の後を追いますかな」
「そうしておくれ。そろそろ店仕舞いして、この間父老から貰った良い酒があるから、あたしも家に帰ってテレビでも見ながら一杯やりたいんだからさ」
「夜通しこの洞窟の使用を受けつけているのではないのですか?」
「そんな事ないよ、冗談じゃない。あたしにだって生活ってものがあるんだからさ。今日は、他ならぬ亀の旦那がいらしたもんだから、態々こうして使用を受けつけたんだよ。違うヤツだったら、一昨日来やがれこの間抜け野郎とか、悪態ついて断ってたんだけどね」
「それは済まない事だったね、態々居残りさせて仕舞って」
 亀屋技官が姐さんの言葉に寧ろ気分を害したように、無愛想な顔で云うのでありました。
「ああいえ、旦那、そんなつもりじゃないんですよ。亀の旦那のためだったら、あたしは朝までだってここにいますよ。何時も旦那には良くして貰っているんですから」
 しこめ姐さんは愛想笑いながら、片手を軽く前にふって亀屋技官を叩く真似なんかをするのでありました。亀の旦那は、この集落全体の賓客扱いのようであります。
(続)
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もうじやのたわむれ 357 [もうじやのたわむれ 12 創作]

「そいじゃあ姐さん、色々お手を煩わせました。では遠慮なくこれから娑婆に逆戻ります」
 拙生はしこめ姐さんに丁寧にお辞儀をするのでありました。
「あいよ、とっとと行っとくれ」
「亀屋さんや関係各位にも数々お骨折りをいただいて、何とお礼を云ったら良いのか」
 拙生は、今度は亀屋技官に一礼するのでありました。
「いや別に。仕方ないです。仕事ですから」
 亀屋技官は掌を拙生の前に出して無愛想な事を云うのでありましたが、特段悪気があってそう云ったのではなさそうで、目は笑っているのでありました。まあ、口から出す言葉に対して準娑婆省の鬼によくあるのであろう、無神経さが露出しただけでありましょう。
 拙生は岩塊の隙間から洞窟の奥を覗くのでありました。籠っている空気が揺らぎもしない程の、濃密で、苛烈で、是も非もない、見様に依っては荘厳とも云える暗黒が、蛇のように蟠っているのでありました。拙生は中に進むことに大いに気後れするのでありました。
 何となく名残惜しくなって、もう一度洞窟の外を見ると、補佐官筆頭と逸茂厳記氏、それに発羅津玄喜氏がさっきと同じ様にこちらに目を凝らしているのでありました。拙生がちゃんと洞窟の奥に消えるまで、そうやって見守ってくれるつもりなのでありましょう。拙生がまたも手をふると、三鬼は矢張りそれに応えて夫々に手をふり返すのでありました。
 拙生は暗闇の中に一歩左足を踏み入れるのでありました。するとその足がいきなり、宙に持っていかれるのでありました。転ぶと思って咄嗟にもう片方の右足を踏ん張ろうとするのでありましたが、それも虚しく、拙生は左足から暗闇の奥に吸いこまれるのでありました。奥へ々々、凄いスピードで拙生の体は回転しながら宙を移動するのでありました。
 その間拙生に、もの凄い回転の圧力がかってくるのでありました。その圧力に拙生の意識が小さく圧縮されていって、何やら極小の塊に、いや、塊と云うモノでもない何かに、変貌したような気がするのでありました。これが恐らく、大酒呑太郎氏が云いていた、幽体、と云う状態になる事であろうと、圧縮された拙生の意識が悟るのでありました。
 当然、拙生の顔にも凄い圧力がかかり、我が顔は歪み拉げて、圧し潰されて仕舞うのでありました。体も同じに歪み拉げて圧し潰され、竟には拙生の仮の姿はその、幽体、から剥ぎ取られて、暗闇の中の何処かに吹き飛んで仕舞うのでありました。しかし痛みは全くないのでありました。寧ろ何やらさばさばした解放感すら覚えるのでありました。
 この後恐らく、幽体と化した拙生は娑婆に残っている拙生の体に降り戻って、その古小脳の中に入りこみ、ある種の酵素の働きで、人間が人間であるところの原始核たる、実存基幹根、に再び変換されて、目出度く娑婆に蘇ると云う按配なのでありましょう。
 ある瞬間に拙生の、圧縮されて極小の幽体となった意識も、竟には消えて仕舞うのでありました。その時に特段、エロチックな気持ち良さはないのでありました。まあ、娑婆に逆戻る場合の仮の姿から幽体に変化する時には、エロチックな気持ち良さが伴うとは、閻魔大王官からも聞いてはいなかったのでありますが、ちと残念なような残念でないような。
・・・・・・・・・
 ・・・で、ふと気がついて瞼を開くと拙生は狭い暗闇中に横たわっているのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 358 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 これは拙生を入れた棺に違いないとすぐに判るのでありました。棺に隙間なく満たされた菊花の匂いに、咽返るようでありました。頬や鼻の辺りがくすぐったいのは、屹度この棺の中を埋め尽くした菊の花弁が触れるからでありましょう。
 拙生のいる狭い暗闇は、始終ガタガタと振動しているのでありました。その振動は、走る車の揺れが伝わってきているのだと推察出来るのでありました。つまり拙生の棺を乗せた霊柩車が、今正に街外れにある焼き場に向かっていると云う現状況なのでありましょう。
 ところで、鼻腔をくすぐる花弁に刺激されて、拙生は堪えきれずに、不覚にも大きな嚏をして仕舞うのでありました。その拍子に、閻魔大王官の顔が頭をよぎるのでありました。
 いきなり拙生の入っている棺が大きく揺れるのでありました。その時に、横になっていた拙生は頭頂部を、すぐ上に迫っている棺の壁に強かにぶつけるのでありました。
「痛えなどうも!」
 拙生は思わず声を上げるのでありました。その拙生の声に呼応するかのように、振動がピタリと止まって、棺の中は急に静寂な気配に包まれるのでありました。
 拙生のいる狭い暗闇の外で、何やら人の話し声がするのでありました。それから暫く経って、棺の蓋がゆるゆると横にずらされるのでありました。中を恐る々々覗きこむ顔が、逆光に黒々と迫るのでありました。紛れもなくそれはカカアの顔でありました。
 拙生は棺の中からニヤリと笑って見せるのでありました。迫っていた顔が急に動かなくなり、その後にその黒々が、大音声の悲鳴を発しながら、今度は仰け反り遠のき、棺の縁から見えなくなるのでありました。屹度卒倒したのでありましょう。
 その悲鳴にこちらもびっくりして、拙生は上体を跳ね起こすのでありました。拙生を覆っていた菊花が、拙生の起こした上体からバラバラと落ちるのでありました。
 卒倒しているカカアを残して、運転手、葬儀屋の番頭、それに我が一人娘、二三の親類共が、一斉に何やらわけのわからない言葉を叫びながら、大袈裟な仕草で車から一斉に飛び去るのでありました。見ると、倒れたカカアは口から泡を吹いているのでありました。
 暫くは何も起こらず、その儘静かな時が車の中で流れていたのは、車から退散した誰もに、落ち着きを取り戻す一定の時間が必要だったからでありましょう。卒倒したカカアをその儘にもしておれずに、拙生は棺桶から出るとカカアの傍に寄って、しっかりしろ、とか何とか声をかけながら、少々強めにその額を平手で引っぱたいたりするのでありました。
 カカアはちっとも意識を取り戻さないのでありましたが、その内に車から逃げ去った連中が夫々の方向から、及び腰で車に近づいてくるのでありました。拙生がそちらを見ると、また全員、慌てて車から遠ざかるのでありましたが、何度かそう云う事をやっている内に、逃げ出さない勇気のあるヤツが一人現れるのでありました。日頃から豪胆を自慢している拙生の叔父であります。叔父は蒼白な間抜け面で車の窓越しに、どうしたのかと拙生に震える声をかけるのでありました。そう訊かれても、拙生としたら何と応えて良いのやら。
「ただ今帰りました」
「ああ、いや、お帰り」
 叔父は無表情に、クールに、あっさり、そしてうっかり、そう返すのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 359 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 叔父はしかし、この自分の返答がこう云う場合に、しっくりしているのかどうか全く自信がないようで、他に何かもっと状況に適した事を云いたいそうな素ぶりは見せるものの、当為の言葉が探り当てられないのでありましょう、只々困惑の表情で口を半開きにした儘、拙生を睨んでいるのみでありました。何となく拙生と叔父は、その後に会話を続ける事が出来ずに、長い時間、なかなか勝負のつかない睨めっこを続けているのでありました。
 叔父との睨めっこの後の出来事に関しては、叔母が取り乱して泣くわ、高校生の娘が足を見せろとしつこく云って、拙生が幽霊ではない事の古風な確認をしたがるわ、葬儀屋の番頭がこんな場合、どう云う風の葬儀代の請求をするべきかと悩まし気な顔をするわ、目を覚ましたカカアが拙生の顔を見てもう一度卒倒するわ、警官が大勢来るわ、救急車が来るわ、序に消防車まで一台来るわ、人だかりがするわ、その人だかりがみるみる大きくなるわ、その人だかりを目当てに弁当屋が来るわ、露店が出るわ、金魚掬いが出るわ。・・・
 ま、そんなこんなの大騒動の後に拙生は前に娑婆にお娑婆ら、いや違った、おさらばした時の、その同じ病院に連行されて、色々な検査やら何やらを再度受けさせられて、先回の診断には一部誤診があったようである、とか云う病院側の再検査後の結論を頂戴した後、ばつの悪そうな病院関係者の顔に見送られて、二日程で退院を許されるのでありました。
 拙生の今回の件に関しては、実は病院側には落度は一つもないわけで、拙生としては秘かに申しわけないような心持ち等するのでありました。しかし実際にあった事情を吐露して事が面倒になるのを嫌って、拙生はあちらでの出来事に関しては一途に沈黙を守るのでありました。それで以って家族親類の、安堵と迷惑の心胆相半ばする複雑な顔に迎えられて家に落ち着くのでありましたが、件の叔父がこれは病院のとんでもない不手際ではないかと、強い憤懣を表明するのでありました。拙生としては、テレビとか新聞に訴えてやると息巻く叔父の剣幕を何とかなだめて、只管穏便に事を収めようとするのでありました。
 ところで、あちらの世で大酒呑太郎氏から渡された、洞窟の受付係りのよもつのしこめ姐さんへ宛てたあの秘密の手紙は、洞窟の暗闇の中で亡者の仮の姿が潰れて吹き飛んで仕舞った時に、一緒に何処かへ掻き消えて仕舞ったのでありましたが、閻魔庁から記念に貰った小ぶりの湯呑の方は、病院から家に帰って来ると、先にちゃんと無事にこちらに到着しているのでありました。それは拙生の家にある仏壇の中に、仏様への献茶用の湯呑として、まるで前からずっとそこのあったかのように、ちんまり収まっているのでありました。
 何故それがあの湯呑であるのか拙生に判ったかと云うと、仏壇の中に元々一つしかなかった筈の献茶の湯呑が二つもあって、その一つには金色で丸に下り藤の家紋ではなく、肌色で漫画のようなピースサインが描かれていたからでありました。これは手に取る者の心次第で、描かれている図柄がどのようにでも見えると云う、あの愛想をする湯呑に間違いないではありませんか。拙生の家の仏様の湯呑に、ピースサインの絵柄の湯呑なんと云う何とも奇抜なものは、これまで見た事もなかったし、どだい使うわけがないのであります。
 拙生は仏壇からその湯呑を取って、拙生の使っている机の引き出しの奥に、そっと仕舞うのでありました。すると絵柄は、手指で作るOKサインに変化するのでありました。これであの湯呑に絶対間違いありません。拙生はニンマリと笑うのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 360 [もうじやのたわむれ 12 創作]

 こちらに戻ってきたら閻魔庁での記憶のあれこれは、すっかり消えて仕舞うと云う事でありましたが、不思議な事に拙生はその一部始終をすっかり覚えているのでありました。これは一体どうした事でありましょうや。何か不手際が生じたのでありましょうか。
 ま、今回の拙生の事情と同じか、或いはまた別の何らかの事情で、これまでもあちらの世から娑婆に逆戻ってきた亡者が複数いて、その者の中にはちゃんとすっかり、閻魔庁でのあれこれを綺麗に忘却した者もいれば、拙生みたいに殆どを鮮明に覚えているヤツも、うろ覚えと云う連中もいるのでありましょう。その辺は閻魔庁の亡者生理研究所の、今の段階で得ている見解とは違う現象が、実際には起こっていると云う事かも知れません。
 そいで以ってうろ覚えの連中が、あちらの世の事をこちらで色々曖昧な儘に喧伝する事に依って、あちらの世の姿がかなり歪められて、或いは多少異なった形でこちらに広まり定着したのかも知れません。全く忘却して仕舞ったのなら何も語る事はありませんし、鮮明に覚えている者はそれが鮮明なだけに、こちらでは受け入れられないであろう事が判るし、それを何の憚りもなく紹介する事に畏れと躊躇いを覚えるでありしょう。法螺吹き呼ばわりされるのもつまらないですし、真、を識り得た者は、寡黙になるものでありますから。で、拙生はと云うと、それを他人に微細に紹介説明する事が億劫なだけでありますが。
 まあ拙生は誰にも一言も喋らない儘で、逆戻った後のこちらでの生を遣り過ごす事といたしましょうかな。特に聞かれもしないなら、拙生に態々あちらの世の情報を伝える義理は何もないのであります。予期せぬ拠無い事情で偶々逆戻る事になったのでありますから、拙生の本来の帰属はあちらの世にあるような気がしないでもないのでありますし。ま、もう少しこちらでの生を継続出来ると云うのは、ちょっとばかり得した気分ではありますが。
 と云う事はつまり、この世に逆戻った今の拙生は、実は、亡者の仮の姿、ならぬ、人間の仮の姿、でこの世に在ると云う事になるのでありましょうか。これから先何年なのかは判らないのでありますが、兎も角、拙生はこちらでの生を、人間、と云う仮の姿で送ると云う事になるのであります。何とも横着そうであっさりしない生ではありますが、ま、それはそれで何やら気楽な感じもするのであります。際どいところで拾った命、これから心して生きなければ、等とはちいとも考えないところが慎に以って面目ない次第であります。
 さて、あちらの世から帰ってきて一か月もすれば、次第にこちらの世の家での営みも家族の対応も、あちらに行く前の状態に還りつつあるのでありました。そうなってくるとぼつぼつ、仕事の方にも復帰しようかと云う意欲も起ってくるのでありました。
 で以って拙生は、久々に会社に出勤するのでありましたが、拙生がいない間に新入社員が一人、拙生のいる部署に配置されているのでありました。その新入社員と云うのが、何と、向こうで一緒にカラオケを楽しんだ、楚々野淑美さんと瓜二つだったのであります!
 拙生は上司に紹介された時、思わずたじろいで、大いに取り乱すのでありました。他人の、いや、他鬼の空似どころか、その女性はすっかり楚々野淑美さんその人、いや違った、その鬼、であります。淑美さんは地獄省の鬼でありますから、娑婆とは何の因縁もない筈であります。これはひょっとしたら、準娑婆省に居残る提案を反故にされた大酒呑太郎氏の、拙生に対する鬼の悪いちょっかいではないかと疑うのでありましたが、はてさて。・・・
(了)
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