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もうじやのたわむれ 301 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「さあて、またもや裁決書類は床に落ちて仕舞うたのう」
 笑い納めてそう云う閻魔大王官を、補佐官筆頭は動きを失くして、手に負えない悪戯小僧を見るような眼差しで、暫く見下ろしているのでありました。
「私をおからかいになったので?」
「いやまあ、特にそんなつもりはないのじゃが、ま、あっちこっち走りまわって、せっかくこの亡者殿が、娑婆に逆戻るための算段をつけてきたのじゃろうから、その努力を無にせんためにじゃな、ワシが愛情に満ちた計らいをなしたと、そう思えばええわい」
 閻魔大王官はそんな白々しい事を云うのでありました。
「ああそれはどうも、慎に有難い限りで」
 補佐官筆頭は憎々し気に、閻魔大王官に謝辞を投げつけるのでありました。
「そうやってむくれとらんで、この亡者殿の仮の姿の耐用時間もある事じゃし、早々にお主のつけた算段に取りかかった方がよかろうぞい」
「はいはい、ではそうさせて頂きます」
 補佐官筆頭は閻魔大王官を適当にあしらうような口調でそう云うと、それ以上相手にしないと云う意思表示のように、拙生の方に体ごと向きなおるのでありました。
「さて、こちらでは亡者様を娑婆にお戻しする手立てがありませんので、亡者様にはお察しの事とは思いますが、これから三途の川を渡って、準娑婆省の方に逆戻りして頂きます」
「準娑婆省に行けば、娑婆に戻る手立てがあるのですね?」
 拙生は補佐官筆頭を上目で見ながら訊くのでありました。
「そうです。前に話したかも知れませんが、準娑婆省は娑婆と色々濃密な関わりを持っておりますので、亡者様を娑婆にお戻しする手段なんかもありはするのです」
「お話しに依ると私一人きりで、いや一亡者きりで準娑婆省に戻るのではないでしょう?」
「はい。今回も不肖私奴が、同行させて頂きます。様々のあちらとの折衝事やら、あれこれ煩雑な手続きなんかもありますし、それに閻魔庁の特例措置である事の保証のためとか、まあ、そういう点でどうしても私が同行しなければなりません。それに私の他に、準娑婆省での亡者様の安全に万全を期すために、警護係りも二鬼、一緒に行く事になります」
「ああそうですか。そうなると四人旅、いや一亡者と三鬼旅と云う事になるわけですね?」
「そうです。それに私と警護係がご一緒するのですから、亡者様には何のストレスもおかけいたしません。露払いが三鬼ついた大名旅行、と云う了見でおいでになって結構です」
「ああそうですか。一亡者三鬼の旅行となると何となく楽しそうですな」
「如何なるご面倒もご不自由も決してはおかけいたしませんので、どうぞご安心を」
 補佐官筆頭はそう云って深々とお辞儀をして見せるのでありました。
「ちなみに訊きますが、準娑婆省に行ったら、準娑婆省の街の散歩とか観光地巡りなんかは、私が望めば出来るのでしょうかな?」
「いやあ、亡者様の仮の姿の耐用時間がありますから、そんな暇はありませんねえ」
「ああ、そりゃそうですな。こりゃまたとんだ間抜けな事を聞いて仕舞いました」
「一刻を争うと云う表現も、決して大袈裟ではありません」
(続)
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もうじやのたわむれ 302 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 補佐官筆頭が深刻顔で云うのでありました。
「ああそうですか」
 拙生は落胆の口調でそう云った後、この期に於いてこんな気楽な風を気取っているのは、如何にも不謹慎な亡者だと思われるだろうなと、少し悔いるのでありました。
「では亡者様は早速、港の方へ行って待機して頂きます」
 補佐官筆頭は拙生を文机後ろの扉の方に誘うのでありました。
「そちらのドアは閻魔大王官さんや補佐官さん達専用の審理室への出入口のようですが、私もそちらから退室して良いのですか?」
「ええ、結構です。緊急事態なのですから」
「ああそうですか。そう云う事であれば、それでは」
 拙生はゆっくり椅子から立ち上がるのでありました。他の亡者ではそうそう立ち入りが叶わないであろう、閻魔庁職員専用の空間に足を踏み入れる事が出来るのを、拙生は内心、思い悩み中の観光に出かけた時同様、子供のように呑気に単純に嬉しがるのでありました。
 補佐官筆頭はこれまで眉間に深い縦皺を寄せて陰鬱な表情で、あれこれ拙生が娑婆に逆戻る算段に真摯に奔走してくれているのでありましたが、しかし当の拙生の方はと云うと、己が今後の行く末にちっとも気を揉んだりなんかしておらずに、それどころか娑婆へ戻れる事を喜んですらいるのでありますから、慎に気の毒と云うべきか申しわけないと云うべきか、補佐官筆頭の骨折りもあんまり浮かばれない苦労と云うものでありますかなあ。香露木閻魔大王官の補佐についたのも、担当した亡者が拙生であった事も、全く彼の補佐官の災難でありました。拙生としては今後の補佐官筆頭の幸せを心から祈るのみであります。
「ほいじゃあ、亡者殿、元気で娑婆に生還されん事を文机の蔭から祈っておるぞい」
 閻魔大王官が片目をつぶって片手を上げて、またもや悪戯小僧のような笑みを白髭の間に湛えて、別れの挨拶を拙生に送るのでありました。
「ああ、これはどうも。色々お世話になりました」
 拙生は丁寧なお辞儀をするのでありました。
「いやまあ、そのワシのお世話なんというのも結局何も実らなんだが、ま、しかし、実のところその方がお手前にとっては好都合じゃったみたいじゃしのう」
「へいどうも、恐れ入ります」
「まあ、お手前もまたその内こちらに来る事になろうから、その折にワシが再び担当する事にでもなったら、今度はつまらんヘマをせんよう気をつけるわいの」
「いやまあ、この次も今回みたいな風に宜しくお願いしたいもので」
「そうはいかんわい。二回もヘマをやると、閻魔庁長官殿が角を出して怒りよるわいの」
「二回? ふん。二回どころか、・・・」
 これは補佐官筆頭が閻魔大王官に見えない、そして聞こえないように、げんなり顔でごにょごにょと口の中で云う言葉でありました。拙生にはちゃんと聞こえるのでありました。
「ま、ほんじゃあ、向うに戻ったら、体大事にしてください」
 閻魔大王官はまたも、落語家の先代林家三平師匠と同じ口調で云うのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 303 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 補佐官筆頭の後ろについて審理室を出ると、廊下に賀亜土万蔵警護係長と逸茂厳記氏に発羅津玄喜氏と云う、見慣れた顔が揃っていて、拙生に夫々お辞儀をするのでありました。
「おや、これはどうも」
 拙生は手を上げて答礼するのでありました。それから、準娑婆省に同行してくれると云う二鬼の警護官が屹度、この若手元気コンビであるのだなと推察するのでありました。
「この度は慎にとんだ事でございました」
 賀亜土万蔵係長がしめやかな声で拙生に云うのでありました。「全く急な事で、私もびっくりしているところです。何とお悔やみを申し上げて良いのやら、・・・」
「ああこれはどうも。ご親身な弔辞みたいな云い草、痛み入ります」
 まあ、こちらの世に生まれそこなったのでありますから、物悲しそうな顔つきで、そう云う挨拶の交わし方をして悪い事はなかろうなと、拙生は自問自答するのでありました。
「亡者様の準娑婆省行きには、この逸茂厳記と発羅津玄喜がご同行いたします。もう顔馴染みでしょうから、亡者様も気楽かと思いましてこう云う人選、いや鬼選をいたしました。どうぞ道行きではこの二鬼に、遠慮なく何なりとご用命ください」
 賀亜土係長がそう云うと元気コンビの二鬼が前に出るのでありました。
「前の護衛の時と同様に家来になった了見で、護衛は申すまでもなく、その他の様々なご用事も元気に務めさせて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します」
 逸茂厳記氏がキリリと表情を引き締めて云うのでありました。
「有難うございます。お二鬼に同行して頂けるのなら、こんなに心強い事はありません」
 拙生は満足気に笑い返すのでありました。
「ええと、私は未だ色々用意がありますから、それを超特急で片づけて、後ほど船の出航時間までには港の方に参ります。亡者様はこの護衛二鬼と一緒に、一足先に港の方にお越しになっていてください。万事この二鬼が心得ておりますから、何のお気遣いもなく」
 補佐官筆頭はそう云って拙生に一礼すると、慌ただしく廊下を建物の奥の方に駆け去って行くのでありました。昨日のカラオケ宴会の席で、発羅津玄喜氏の彼女の藍教亜留代女史が、高校生の頃に在った校則の話しの中で「あたしんところは、廊下は走るな、くらいかな。まあ、走ってたけどさ」なんと云っていたのを、ふと思い出すのでありました。
「さて、ではくれぐれも疎漏のないように宜しく頼むぞ」
 賀亜土係長が元気コンビに訓戒を垂れるのでありました。元気コンビは揃って、大学の体育会の学生のような硬いお辞儀をしながら「押忍!」と返事をするのでありました。
「それじゃあ、私もこの辺でお別れと致します。どうぞこの先の向うの世への旅路が、安楽であります事をお祈り致しております」
 賀亜土係長はそう云って瞑目合掌すると、力なく一礼して廊下を去るのでありました。
「それじゃあ早速、港の方に参りましょうか」
 逸茂厳記氏が廊下の、補佐官筆頭や賀亜土係長が去った方とは反対側に掌を差し示して、拙生の歩行を誘うのでありました。
「またもこうして、お二鬼とご一緒することになるとは、実に嬉しい限りですなあ」
(続)
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もうじやのたわむれ 304 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 拙生は呑気にそんな愛想なんぞを云うのでありました。「ところでお二鬼共、準娑婆省の方には行った事がおありなので?」
「私は前に一度、矢張りあの補佐官筆頭のお伴で、これも同じように或る亡者様の護衛で行った事がありますが、発羅津は今回が初めてになりますかね。なあ」
 この最後の「なあ」は、発羅津玄喜氏の方に確認を求める「なあ」であります。
「ええ、私は初めてです。ちょっと楽しみです」
「今までに聞いてきた準娑婆省の印象は、未開な辺境の地で、風流を解さない荒けない鬼達が住む、危険な非文明国、いや非文明省と云ったものですが、実際はどうでしたか?」
 拙生は逸茂厳記氏に訊くのでありました。
「そうですねえ、私が接した向うの鬼や霊達は、まあ、準娑婆省の吏人とかそれに準ずる連中だったからかも知れませんが、確かに個性に底の知れない不気味さは仄かに漂わせているものの、話しの全く判らない輩、と云った感じではありませんでしたねえ」
「しかしその吏人にしても、あの補佐官筆頭さんに、意地の悪い悪戯なんかをあれこれ仕かけてせせら笑ったり、とか云うような無粋な事をすると聞き及んでおりますが」
「そう云うところはありますが、しかし悪逆非道と云う感じはないのじゃありませんかね」
「まあ、補佐官筆頭さんの蒙った悪ふざけも、他愛もないと云えば他愛もない悪戯ですかな。それをして何か利益を得ようと云うタイプの、世知辛い印象は確かにないですかな」
 拙生は何度かゆっくり頷きながら云うのでありました。
「ですから、こちらが隙を見せなければ、妙なちょっかいを出される事もないでしょう。しかしこれは、私が接した鬼や霊達の印象で、準娑婆省に住む一般の連中は、どうかは知りませんがね。今回の場合、亡者様は多分、準娑婆省の一般の霊や鬼達と接触する機会は全くありませんから、そう云う危惧を念頭に置く必要は取り敢えずないでしょうね」
「しかし私の娑婆に逆戻るための実際の差配は、準娑婆省の吏人があれこれ行うのでしょうから、そこで妙な悪戯心なんか起こされたりしたら、洒落にならないかと思いまして」
「まあ、私達や補佐官筆頭三鬼が、交渉の最初から実際の作業の完了までのどの局面に於いても、抜かりなく目を光らせておりますし、向うの妙な気配や了見、それに不謹慎な態度が少しでも仄見えたら、閻魔庁の威信にかけてそれを即座に糾弾し、正す事に全力を傾注したします。我々は貴方様が娑婆に無事に生還される最後の最後まで、ちゃんと草葉の陰から見守っておりますので、その点はどうぞご心配なさらずにいて頂いて結構ですよ」
 逸茂厳記氏はそう云って、頼もしそうに自分の胸を叩くのでありました。
「ああそうですか。私のためにご苦労な事ですが、大いに頼りにしています」
 逸茂厳記氏の意気は、まるで鬼が島に鬼退治に行く桃太郎のような感じでありました。まあ尤もこちらの場合、その桃太郎も鬼だと云う、何とも複雑な様相なのでありましたが。
 港の出発ロビーまでは、閻魔庁の長い廊下を歩いて、建物を出る事なく到着するのでありました。到着ロビーの方は三途の川を渡って来た亡者達で大変混雑しているのでありましょうが、出発ロビーの方はと云うと閑散としていて、広い空間に整列している長椅子には人影、いや鬼影、或いは霊影は殆どないのでありました。ま、そりゃそうですかな。
(続)
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もうじやのたわむれ 305 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 窓際の長椅子の傍に見慣れた顔が二つあるのでありました。それはこちらに来て最初に会話を交わした、あの審問官と記録官でありました。
 審問官と記録官は、二鬼の護衛につき添われて出発ロビーに現れた拙生を見つけると、夫々にお辞儀をして見せるのでありました。拙生もすぐに片手を上げて挨拶を返して、長椅子の整列の間を縫って、そちらに近づくのでありました。
「おや、これはどうも。ひょっとしたら態々、私をお見送りにいらしたので?」
 拙生はニコニコと愛想をふり撒くのでありました。
「この度はとんだ事でした。余りの事に何と申して良いのか、言葉が見つかりません」
 賀亜土万蔵警護係長と同じような事を、審問官がしめやかに云うのでありました。
「まさかこんなに儚くおなりになるとは、夢にも思っておりませんでした」
 記録官が声をつまらせるのでありました。
「どうもご丁寧なお悔やみの言葉を有難うございます」
 先程の賀亜土万蔵氏と交わした同じような挨拶の言葉であります。恐らくこれはこう云う場合の挨拶の常套的なものなのであろうと、拙生は勝手に推察するのでありました。
「まあ、今回は不測の事態に因り、貴方のこちらの世への生まれ変わりも上手く成就しませんでしたが、どうぞお気を落とされる事のないように願っております」
 審問官が悲しそうに云うのでありました。
「いやまあ、気は、ちっとも落としておりませんがね。寧ろ嬉しいくらいなもので」
 拙生は語尾を少し弾ませるのでありました。
「ああそうですか」
「審問官さんと記録官さんの私にかけて頂いたお手間が、すっかり無駄になったと云う点では、何となく恐縮を覚えますが」
「いやいや、どうせまたその内に間違いなくこちらにおいでになるのですし、その折にはあれこれの手間が省けるわけですから、無駄だとは云えません」
「ああそう云うものですか」
「これから先の貴方様の娑婆での生は、云ってみれば付録みたいなものでして、向うの世とこちらの世の連関と云う観点からは、何の意味もない生、と云う事になりますから」
「何の意味もない生、ですか。そう云われると何となく物悲しくなりますなあ」
 拙生は少し怯むのでありました。
「いや私が云ったのは、あくまで向うとこちらの連関と云う観点では、と云う限定でして、向うに戻られた貴方様に、人生の春秋や機微がもう何もないと云う事ではありません」
「全く無意味で味気ない生しか向うに待ってはいない、と云うのではないのですね?」
「それはそうです。向うに戻られた貴方様が、その後どのような生を生きられるのかは、私共は全く与り知らない事柄ですから。ただ、再度こちらにお越しになった折には、もう私共の審問とか、思い悩みの三日間は省略させていただくと云う事です」
「ああそう云う事ですか。成程ね」
 拙生は安堵のため息を漏らして納得するのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 306 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「ところで、せっかくこちらにいらしたのですから、・・・」
 記録官が、今までずうっと後ろに回していた手を、おずおずと前に差し出すのでありました。その手には熨斗のかけられた小ぶりの紙函が握られているのでありました。
「ええと、それを私にくださるので?」
 拙生は函の方に視線を移すのでありました。
「これは今回の事で、私共閻魔庁職員の至らなかったお詫びと、それからまあ、記念の意味で娑婆にお持ち帰りいただければと思いまして、お渡ししようと持って参りました」
 審問官がそう云うと、記録官は恭しくその函を拙生の目の高さに上げるのでありました。
「ほう、何ですか?」
 拙生は函を受け取って眺めるのでありました。
「いやまあ、全く大したものではありませんが、どうぞご笑納ください」
「これはつまり、冥土の土産、と云うわけですな?」
「娑婆で云う、冥土の土産、と云うのは、娑婆に居る老い先短い老人とかが、娑婆で思わぬ良い目を見た時に口から出る言葉でしょうが」
「まあ、一般に娑婆で云われる、冥土の土産、は正確には、冥土への土産、と云うべきでしょうかな。してみるとこれは正真正銘の、生一本の、冥土の土産、と云うわけですなあ」
 拙生は感嘆するのでありました。「開けても大丈夫でしょうか?」
「ええどうぞ。本当に大したものではないから、がっかりされるかも知れませんよ」
 審問官が気後れの苦笑いをするのでありました。
 熨斗を丁寧に外して、拙生は函の蓋を開けるのでありました。中には白い紙に包まれた小ぶりの湯呑が入っているのでありました。
「ほう、湯呑ですか」
 拙生は包み紙を取って湯呑に見入るのでありました。「これは確か、審問室で最初に日本茶をご馳走になった時の、あの湯呑と同じ物ですね?」
「そうです。あれと同じ物です」
 白地に金色で、今現在は拙生の家の紋と同じ丸に下がり藤の絵柄が描かれている、かなり小形のものであります。これは時によって家紋を映し出したり、以前下水道の蓋なんかに描いてあった東京都のマークとか、へのへのもへじとか、ランベルト正積方位図法の世界地図とか、洋服のタグに描いてあるドライクリーニング禁止の表示とか、合気道錬身会の稽古着の袖のマークとか、兎に角、手に取る者の心次第でその絵柄をどのようにでも変化させる事が可能な、そんなさり気ない愛想をするところの不思議な湯呑でありました。
「こんなものを頂けるので?」
「ええどうぞ。まあ、観光地で貰ったお土産みたいな感じでお納めください」
「これはかたじけない事で。娑婆に戻ったら大切に使わせて頂きます」
「準娑婆省の逆戻りを差配してくれる向うの鬼に、閻魔庁で渡されたお土産だと云って渡して頂ければ、娑婆に戻った後、遠からず、何らかの方法でお手元に届くと思います」
 審問官がそう手筈を説明するのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 307 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「判りました。色々気を遣って頂いて痛み入ります」
 拙生は深めのお辞儀をするのでありました。
「本当は私達も準娑婆省まで同行して、貴方様のいまわの際に立ちあって、向うの世への旅立ちを静かに見送りたいのですが、仕事がありますのでそうもいきません」
 審問官が無念そうに云うのでありました。
「いまわの際、ですか。・・・」
 拙生は何となくその云い草に少しの混乱を覚えるのでありました。
「いやまあ、こちらの世から退去される事をそんな風に云ったまでの事です。その方がどことなくしめやかな感じが出るかなと思いましてね」
「私が娑婆に逆戻る事は、しめやかなる事柄なのでしょうかね?」
「まあ、今回の事は、不慮の事故、と云う事になりますから、閻魔庁職員たる私共としては、どうしていいのか判らないたじろぎの後に、一種物悲しい気持ちになると云う按配で」
「ああ成程。そう云う風になりますかな」
「最期を大勢の悲しみの顔に見取られようが、寂しく旅立とうが、結局ご当人、いや、ご当亡者にとってはそんな事はどうでも良いのかも知れませんが、まあ残される者、いや違った、残される鬼としては、なるべく賑やかに送り出したいとも思うものですよ」
 審問官は感慨深げな顔をするのでありました。拙生としては娑婆に逆戻る事を、最期、と表現され、悲泣の中で旅立ちを見送られるとしても、実際のところ無念と云う情緒からは全く遠いのでありました。寧ろ、喜んでいるくらいで。しかしまあ、そう云う風に拙生を送り出したいのなら、それを尊重するのもこちらの愛想かなと思うのでありました。
「ああ、同行する補佐官筆頭がやって来ましたよ」
 記録官が出発ロビーの入り口を指差すのでありました。
「ああどうも、いやいや、お待たせお待たせ」
 道服を脱いで地味なスーツ姿になった補佐官筆頭が、手を上げながらにこやかに登場するのでありました。やや嵩張る旅行カバンを肩から袈裟がけにぶら下げて、片手にブリーフケースを引っ提げて、何となく中間管理職の慣れない出張姿と云った風情であります。
「急なご出張、ご苦労さんでございます」
 審問官と記録官が、揃って補佐官筆頭に頭を下げるのでありました。
「ほいな。香露木閻魔大王官の補佐官をしていると、こう云う出張が間々あるのじゃが、もう慣れっこになって仕舞うて、最近は少し楽しみになってきおったのが情けないがのう」
 補佐官筆頭は香露木閻魔大王官の口真似でそう云うのでありました。
「補佐官さんの出で立ちは旅行カバンが肩からぶら下がっていて、如何にも出張旅行と云った雰囲気ですが、逸茂さんと発羅津さんは全くの手ぶらですが、それで大丈夫で?」
 拙生は二鬼が荷物を何も持っていない事に、余計な心配をするのでありました。
「今朝出勤したら、先の亡者様の思い悩みの三日間の経費出金伝票整理もしない内に、すぐにこの出張を命じられまして、家に帰って旅行用品を用意する間もなかったと云う次第で。どうせ一泊二日の出張でしょうから、特に荷物なしでも済むかと思いましてね」
(続)
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もうじやのたわむれ 308 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 逸茂厳記氏が無精な事を云うのでありました。
「いやひょっとしたら二泊になるかも知れんよ。まあ、三泊にはならないと思うが」
 補佐官筆頭が、肩から袈裟に下げた旅行カバンを撫でながら云うのでありました。
「その時はその時で、下着やらワイシャツやら靴下なんかは現地調達しますよ。準娑婆省の港湾施設の中にならコンビニとかあるでしょうからね」
「まあ、髭剃りとか歯ブラシとかタオルとかのサニタリー用品は、向こうの宿泊施設に完備してあるから、それは敢えて必要ないかも知らんけど、しかし向うで態々下着とか買い物するのも勿体ないだろうよ。私なんか、家にこれから急遽出張に出なければならんと電話したら、家内が三日分の下着とかハンカチとかそれに洗面用品とか、ご丁寧にも私の愛用のパジャマなんかも入れたこの旅行カバンを、超特急で拵えて車で持って来おったぞ」
「ほう、それは良く出来た奥様で」
 拙生は補佐官筆頭の奥方の心根に感心するのでありました。
「いや、向うで私が値段とか無頓着にパンツなんかを買ったりするのが嫌さに、こうして手間であっても用意するのですよ。まあ、根がケチですからねえ、ウチの奥さんは」
「ははあ、成程。そう云うのは私も娑婆で覚えがあります。ウチのカカアも私の、私の小遣いに依るちょっとした買い物に対しても、金惜しみして一々ケチをつけましたなあ」
 拙生は補佐官筆頭の言に納得の首肯をするのでありました。「そう云えば発羅津玄喜さんは今婚約中と云う事ですから、そこいら辺の金銭感覚をちゃんと踏まえて行動した方が、結婚した後、藍教亜留代さんに褒めて貰えますよ、屹度」
「ああいや、彼女の場合、寧ろ私の方が心配になるくらいの浪費癖がありまして」
「いやいや、自分の浪費に対しては、至って寛大なんですよ、カカアと云う生き物は」
「ふうん、そう云うものですかねえ」
 発羅津玄喜氏は腕組みをして考えこむ仕草をするのでありました。
「さて、ぼちぼち乗船時間ではないでしょうか」
 審問官が腕時計を見ながら云うのでありました。
「ああそうだ、こんな話しを呑気にしている場合ではないんだった」
 補佐官筆頭がそう云って、乗船ブリッジの方を指さして、一亡者三鬼の準娑婆省への道行き連中に乗船を促すのでありました。
「態々のお見送りを感謝致します。それにお土産も有難うございました」
 拙生は審問官と記録官にお辞儀するのでありました。
「いや、とんでもない。娑婆への道中が安らかである事をお祈りしております」
 審問官と記録官は合掌して、拙生より深いお辞儀を返すのでありました。
ブリッジの方に歩きだすと何処からともなく、娑婆の空港なんかによくいる制服姿の案内の女性が近づいてきて、我々に一礼した後、乗船までの道筋を先導するのでありました。
「ああ、お迎えが参りました」
 補佐官筆頭が、女性が近づいてきた時に拙生に向かってそう云った口調は、何となく娑婆に於いて、人の葬儀に際して司会者が云う文句のような響きがあるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 309 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「手塞ぎでしょうから、準娑婆省までそのお土産品は私がお預かりいたしましょう」
 逸茂厳記氏が気を利かせて、歩きながら両手を差し出すのでありました。
「これはどうも恐れ入ります」
 娑婆時代から無精な性質の拙生は、何時でも手ぶらを尊ぶ者でありましたから、渡りに船と湯呑の入った函を逸茂厳記氏に手渡すのでありました。
 乗船ブリッジの入り口にはゲートがあって、そこには娑婆の空港にいるような、制服姿の乗船券を改札する小柄な女性が一鬼と、屈強な体躯の警護の男性二鬼が立っているのでありました。補佐官筆頭が一亡者三鬼の券を纏めて女性に渡すと、女性はそれを一枚ずつ自動改札機に入れて、出て来た半券をゲートを抜ける我々に順番に、ににこやかな笑顔と、行ってらっしゃいませ、の愛想の声と伴に丁重な挙措で手渡してくれるのでありました。
「この船に乗るのは、私は初めてですよ」
 発羅津玄喜氏がはしゃいだ声を上げるのでありました。
「まあ、我々鬼は、滅多にこの船に乗る機会なんかないからなあ」
 先導して前を歩く補佐官筆頭が、後ろをふり返りながら応えるのでありました。
「中は豪華だぜ。小さな映画館もあるし、テレビルームもあるし、船の丸窓から三途の川の景色を眺めつつコーヒーとかが飲めるカフェテリアもあるし、酒を出すバーラウンジもあるし、カジノもあるし、カラオケルームもあるし、エステサロンだってあるんだぜ。しかも料金は総て無料ときているから、地獄省の中でこんなに魅力的な船は他にはないな」
 前に乗船した経験のある逸茂厳記氏が、後輩に船の中の様子を紹介するのでありました。
「へえ、すごいものですねえ。そう云うあれこれのサービスは我々も堪能出来るのですか?」
「いや、出来ないね。これは戻り船だから、総て準備中になっているからな」
「ああそうですか。それはがっかりだなあ」
「まあ、セルフサービスでお茶くらいは飲めるけど」
「あちらからこちらに亡者様を渡す目的のためにこの船が就航しているわけだから、こちらからあちらに行く時は、普通には乗船客は誰もいない事になるからなあ」
 これは補佐官筆頭がまた後ろをふり返りながら云う言葉でありました。
「ああ、それでこのブリッジにも我々の他には人影一つ、いや鬼影一つ、或いは霊影一つ、若しくは亡者影一つないわけですね?」
 拙生が補佐官筆頭の背中に訊くのでありました。
「そうです。多分乗船客は我々一亡者三鬼だけですね」
 補佐官筆頭が上体を窮屈そうに捩じって云うのでありました。
「準娑婆省の港までどのくらいの時間で行けるのですか?」
 これは発羅津玄喜氏の質問であります。
「まあ、二三時間と云ったところかな」
 補佐官筆頭は一々後ろをふり向くのが億劫になったのか、これはこちらにふり返らずに前を向いた儘云うのでありました。そう云えば確かに、拙生がこちらに来る時もそのくらいの時間、この船の中で過ごしたのでありましたかな。
(続)
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もうじやのたわむれ 310 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 確かに船のデッキにあるマホガニーの板敷きの客室には、乗船客は我々だけしか居ないのでありました。我々は広い客室の、隅の方の席に固まって座るのでありました。
 せっかく広々とした客室を一亡者三鬼で独占出来ると云うのに、ど真ん中に悠々と席を取らずに隅の方に固まるのは、例えて云えば客の少ない事で有名な、娑婆の寄席の池袋演芸場の場合と同じ理屈からでありましょう。広い客席に少数となると、何となく中央の席は、不意に噺家と目があったり、偶に笑わないでいるとじいっと見つめられたりなんかして、実に居心地が悪いものであります。だから竟々、隅っこに座を取って仕舞うのであります。それに見知らぬ客同士であるなら、夫々がてんでに高座から遠い位置に居竦むわけでありますが、これは高座の上の落語家にしたら実に以ってやり難い状況でありましょう。
 この三途の川往来の豪華客船内には当然ながら高座なんぞはなく、噺家が出て来るわけでもないのでありますが、しかし閑散とした船内の中央にどっかと腰を据える豪胆さは、我々の内の誰も持ちあわせていないようでありました。この三鬼は娑婆の、如何にも日本人的な感覚の持ち主達のようであります。まあ、親近感は大いに持てるのでありますが。
「客室の入口に自動販売機がありましたから、お茶でも調達してきましょうか?」
 一番歳下の発羅津玄喜氏が、自分が座る前に気を利かせて、皆にそう訊くのでありました。「亡者様は何をお飲みになりますか?」
「私はコーヒーをホットで。若しあるなら、ブラックをお願いします」
「承知しました。補佐官さんは?」
「私は、コーヒーは最近胸焼けがするから、ホットの日本茶を」
 補佐官筆頭が未だコーヒーを飲んでもいないのに胸を摩りながら応えるのでありました。
「俺は冷たいコーヒーの微糖のやつ」
 これは逸茂厳記氏のオーダーであります。
「判りました。それじゃあ一っ走り行ってきます」
 発羅津玄喜氏はそう云うと、きびきびと入口の方に小走りするのでありました。
「まあ、未だお日様が高いし、これから準娑婆省で重要な用件が控えているのですから、ここでお酒を飲む、なんと云うわけにもいきませんよねえ」
 発羅津玄喜氏の後姿を見送りながら、拙生が軽い気持ちで云うのでありました。
「お酒がお飲みになりたいので?」
 補佐官筆頭が真顔で訊くのでありました。
「二三時間の船旅と云う事ですので、船酔いする前に酒に酔っておく方が良いかなと、これから先の自分の行く末も考えないで、ふと不謹慎に思っただけです。いや亡者は酒には酔わないか。ま、車酔いはすると云うから、船にも酔うかも知れないと思いましてね」
「いや、三途の川は娑婆の海とは違って波嫋やかですから、船は殆ど揺れませんよ」
 補佐官筆頭が拙生の杞憂を柔らかく掃うのでありました。
「ああそうですか。そう云えば前に乗った時、確かに殆ど揺れませんでしたかな」
「若しどうしてもと云う事でしたら、我々は仕事中ですから控えますが、亡者様はお酒を召しあがられて結構ですよ。クルーに頼めば、屹度調達出来るでしょうし」
(続)
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もうじやのたわむれ 311 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「いや、止しておきましょう。私だけ飲んでも美味くはないですし、私の今の立場は、酒を呑気に飲んでいられるようなものではないでしょうからね」
「この度の事は、亡者様には何の落ち度もないのですし、偏に我々閻魔庁の不細工な事務処理が引き起こした事態ですので、後ろめたい思いとかは、一切お持ちになる必要はございませんし、我々に対するご配慮も過分であると返って恐縮するばかりです。それに閻魔庁の存続にかけて、絶対無事に亡者様を娑婆にお戻しいたしますので、その点もご憂慮に及ばれなくとも大丈夫です。私としては只管、亡者様に対して恐懼する気持ちで一杯です」
 補佐官筆頭が表情を引き締めて、改めて拙生に丁寧にお辞儀をするのでありました。
「いやいや、不細工な事務処理なんとは露程も考えておりませんし、寧ろ、閻魔大王官さんの粋な計らいだと、秘かに感謝しているくらいなもので。それに今後の事だって、同行してくださるお三鬼さんを全幅に信頼しておりますから、毛程の心配もありません。この三途の川往来の豪華客船みたいな、或いはそれ以上の、大船に乗った心持ちであります」
「ああ、そう云って頂くと胸中の陰雲が少し晴れる心地が致します。とまれ、酒に関しては、どうぞ遠慮なくお召し上がりになって結構ですよ」
「いやいや、矢張りコーヒーにしておきましょう」
 拙生はせっかくの補佐官筆頭の勧めの言葉ではありますが、遠慮する事にするのでありました。これは広いこの船の客室の、或いは閑散とした池袋演芸場の、ど真ん中に席を取ろうとしない心性と、少し重なるところでありましょうか。
「お待たせしました」
 そう云って発羅津玄喜氏が、両手にコーヒーとお茶を四本抱えて戻って来るのでありました。発羅津玄喜氏は先ず拙生にブラックの缶コーヒーを、他の三本を下に置いて、両手で恭しく渡してくれるのでありました。それから補佐官筆頭にはお茶のミニペットボトルを、逸茂厳記氏には微糖の缶コーヒーを、拙生の場合よりは少しぞんざいな手つきで渡して、それから自分の分、拙生と同じホットのブラックコーヒーを手に取るのでありました。
「亡者様は実はお酒の方が良さそうな気配だぞ」
 補佐官筆頭が、丁度缶コーヒーのプルリングを引き上げた発羅津玄喜氏に云うのでありました。「仕事中の我々に遠慮なさっているみたいだけど」
「ああ、そうなのですか?」
 発羅津玄喜氏がすぐに立ち上がるのは、すぐさま酒の調達に走ろうとするためのようであります。「お酒は、ビール、日本酒、それともチューハイみたいなものが良いですか?」
 拙生はその発羅津玄喜氏に慌てて手をふって見せるのでありました。
「いやいや、コーヒーで結構です。是非ともお酒が飲みたいわけではありませんから」
「どうぞご遠慮なく。ビールなら自動販売機にありますし、他のお酒ならその辺を歩いている船員に頼んで貰ってきますよ。ツマミもナッツか何か、何処かで調達してきますよ」
「いやいや本当にお気遣いなく。若し飲んで愉快になりすぎて羽目を外して、この船から三途の川に落っこちたりしたら、お三方のこの出張が無意味なものになって仕舞いますし、それに折角の閻魔大王官さんの粋な計らいと云うのも、無駄にして仕舞いますからね」
(続)
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もうじやのたわむれ 312 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「ああそうですか。そう云う事なら」
 発羅津玄喜氏はそう云って、一礼してから席に座り直すのでありました。
「しかし準娑婆省まで二三時間かかるとなると、退屈しますよねえ」
 逸茂厳記氏が微糖の缶コーヒーを傾けながら云うのでありました。
「後で、この船の中を色々探検してみましょうか」
 発羅津玄喜氏が提案するのでありました。
「まあ、それも好し、デッキを散歩しながら川風を感じつつ三途の川の風光を愛でるのも好し、船のプールサイドのデッキチェアで昼寝を貪るも好し、それこそ自分で勝手に酒を調達してきて一人宴会をするも好し、船内に準娑婆省の諜報員が潜んでいると云う危険もないでしょうから、ここは夫々思い々々に、勝手に過ごすと云うのはどうでしょう?」
 拙生が提案するのでありました。
「いや、準娑婆省の諜報員はいないとしても、この船の中で何処にどんな危険が潜んでいるか知れませんので、亡者様は何をなさろうと全く自由ではありますが、しかし我々二鬼は常に、鬱陶しいでしょうが、亡者様の身辺に護衛として侍っております。夫々勝手に、等と我々に対する気遣いをお示しくださったのは、大変有難い限りではありますが」
 逸茂厳記氏が自分の職務への断固たる忠誠を、クールな顔で表明するのでありました。
「今の心強いお言葉に改めて篤く感謝します」
 そう云われた以上、拙生は真顔で丁寧にお辞儀するのでありました。「じゃあ手始めに外に出て、デッキを少し散歩してみましょうかな。前に乗った時には何となく気持ちの余裕がなかったせいか、この船の造作なんかもゆっくり見る事も出来ませんでしたからね」
「ああそうですか。それではお伴つかまつります」
 逸茂厳記氏と発羅津玄喜氏が一緒に立ち上がるのでありました。
「私はここに残って、準娑婆省の関係部署に連絡を入れて打ちあわせをしたり、向うに着いた後の段取りを按配したりしますので、どうぞ私抜きで遠慮なくお出かけください」
 補佐官筆頭が座席に座った儘、背広の内ポケットから携帯電話を取り出して、それを拙生に示しながら云うのでありました。
「あああそうですか。それはご苦労様です」
 拙生は一礼すると、補佐官筆頭を客室に残して、他の二鬼の護衛を引き連れてデッキに出るのでありました。川風が心地よく拙生の頬を掠めるのでありました。
 船尾の方には、結構大きなプールがあるのでありましたが、勿論人っ子一人、いや亡者っ子一亡者泳いではおらず、プールサイドに並ぶ白いデッキチェアにも人影、いや亡者影は皆無で、何となく夏休みの終わった後の、物寂しげな、娑婆の海辺のリゾートホテルの風情みたいなものが揺蕩っているのでありました。それに今のこの気温は、はたして泳ぐのに適した気温なのかどうかも、よくは判らないのでありました。上着を羽織っていても特段暑くはないのでありますから、裸になったら肌寒いに違いないと思うのであります。
 さてところで、亡者は暑いとか寒いとかの感覚はあるのでありましょうか? いやまあ、娑婆に帰る身の上となったからには、もうこう云った疑問は無意味でありましょうかな。
(続)
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もうじやのたわむれ 313 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 デッキの最後尾まで来て拙生は足を止めるのでありました。船のスクリューが蹴立てる白い波が眼下に見下ろせるのでありました。そこから真っ直ぐ延びていている航跡は、地獄省の港を出た三途の川を横断するこの船が、その後に一切の曲折を拒否して、直進している事を拙生に教えるのでありました。航跡の左右の波静かな水面では、漁をしているのであろう小さな白い漁船が、てんでの方向を向いて幾艘か浮かんでいるのでありました。
 航跡のもう既に曖昧になって仕舞ったそのもっと先には、先程この船が出港してきた地獄省の港が、随分彼方の景色として眺められるのでありました。岸辺に立つ建物の中で一際大きく高いビルが、屹度閻魔庁の建物なのでありましょう。建物の高層部には、飛行機の追突防止のための赤い信号灯がゆっくりと明滅しているのでありました。
「昨日の夜は仰っていた通り、私を宿泊施設に送った後、またあの街のカラオケ店に引き返して、三鬼の女性と飲めや歌えの大盛り上がりをされたのでしょうね」
 拙生は遠くの赤い信号灯を眺めながら、右横にいる発羅津玄喜氏に云うのでありました。
「ええ、あれからまた随分と長く歌っておりました。亡者様の左隣に座っていた楚々野淑美さんは、明日の仕事があると云うので家に帰っちゃいましたが、残った我々男二鬼と女二鬼でその後もう一軒居酒屋で盛り上がって、結局日を跨いでから解散となりましたよ」
「ああそうですか。楚々野淑美さんは少し早目にお帰りになったのですか」
「そうです。まあ、男二鬼に女三鬼と云うのは、何となくグループとして纏まりが悪いものですから、それで淑美さんが抜けたと云う感じですかな。若し亡者様があの後一緒にカラオケ店に戻られていたなら、納まりの良い男女六鬼、いや違った、男女五鬼と一亡者となりますので、屹度楚々野淑美さんもその儘最後までつきあっただろうと思いますがね」
「ふうん、そうですか」
 そう聞くと、拙生は一緒に戻らなかった事を少々残念に思ったりするのでありました。「逸茂さんは、隣に座っていた志柔エミさんの携帯の電話番号とかメールアドレスとか、勇気を奮ってちゃんと抜かりなく聞き出したのでしょうか?」
 拙生は左横の逸茂厳記氏に訊くのでありました。
「ええまあ。・・・」
 逸茂厳記氏がそう云って、ややたじろいだ色を添えて照れ笑うのでありました。
「ほう。晩生な割には、ちゃんとやる事はやったじゃないですか」
「いや、逸茂先輩は自分から積極的にエミさんに、電話番号とメールアドレスを聞いたのではなくてですね、実は私が仲介したのですよ」
 右横の発羅津玄喜氏が云い添えるのでありました。「先輩はそう云う事は気後れが先に立って何時も及び腰になるので、後輩の私の方がやきもきするわけです」
 逸茂厳記氏は後輩のお喋りに、無愛想な顔で小さく舌打ちをするのでありましたが、否定はしないのでありました。まあ、然もありなん、と云うところでしょうかな。
「じゃあ、逸茂さんと志柔エミさんと云うカップルが出来上がる可能性があるのですね?」
 拙生が云うと、逸茂厳記氏はニヤニヤと愛想笑うだけで返事をしないのでありました。
「まあそうなるように鋭意、後輩の私の方であれこれ世話を焼きます」
(続)
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もうじやのたわむれ 314 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 発羅津玄喜氏がおせっかいの決意表明をするのでありました。
 我々は船の左舷からプールサイドを通って船尾に行ったのでありましたが、今度は船尾から船首に向かって右舷のデッキを歩いてみるのでありました。前と横は見晴るかす限りの、ただ空の蒼のみを映した波嫋やかなる海面、いや川面であります。
 川でありますから流れと云うものがあろうかと思うのでありますが、これだけ川幅が広いと、その流れも殆ど見取る事が出来ないのでありました。この静まり返った水面は確かに、拙生が娑婆の生まれ故郷で見慣れているところの、海のものではないのでありました。
 波立つ海の動的な光景とは異質の、視界に動揺のない、あくまで扁平な水面に視線を馳せていると、これはこれで充分に味わい深い光景なのでありますが、何となく拙生は落ち着かなさを感じるのでありました。見えない水面下で陰鬱で凶暴な気が凝り固まっていて、それを全く無表情な風を装って隠蔽しているような、そんな邪悪な気配みたいなものを感じて仕舞うのであります。ま、これは拙生のイメージのちょっとした暴走で、単にこう云う大河の水面を見慣れていないがための違和感、と云えばそれまででありましょうかな。
 船の中程に、階下に降りるエスカレーターがあるのでありました。壁に、メインロビー、と云う文字と、斜め下を差す矢印の書いてあるプレートが嵌っているのでありました。
「船の中も、ちょっと歩き回ってみましょうか」
 拙生は護衛の二鬼に提案するのでありました。
 エスカレーターはかなり長いものでありました。娑婆の地下鉄千代田線の、新お茶の水駅の改札口に降りるエスカレーターと、同じくらいの長さがあるのでありました。
 メインロビーは天井の高い、まるで娑婆のデパートの食堂街のような風でありました。広さは閻魔庁の宿泊施設の、噴水のあるロビーよりは小さいのでありましたが、しかし劇場やら映画館やら、演芸場やら芝居小屋やら、テレビルームやらゲームルームやら、エステサロンやらネイルサロンやら、読書室やら仮眠室やら、和洋中華にその他の様々な料理屋やらレストランやら、それから洋風のバーやら和風の一杯飲み屋やらの、夫々意匠を凝らした入り口がぐるりとロビーを取り囲んでいて、なかなかに華やかな風情であります。
 ロビー中央には小さなステージが設えられていて、そこでは軽音楽とかジャズとか、或いはクラシックの室内楽なんかのミニコンサート、若しくは亡者対抗喉自慢大会とかが行われるのでありましょうか。乗船した亡者が船旅中に退屈しないように、色々工夫されているようであります。前の乗船時には、拙生は今次最初に一亡者三鬼が落ち着いた上のデッキの客室で、他に見知っている顔もなかったから、ずうっと一亡者でぼんやりしていたのでありましたが、こう云う施設が階下にあると判っていたなら、大いに利用すべきだったと今頃後悔するのでありました。こうなったら娑婆に逆戻って、その後で再びこちらの世に来る時には、この船の中の様々な施設を片っ端から大いに利用したいものであります。
「そこの店にでも入って、少し休んでいきましょうか?」
 逸茂厳記氏がすぐ傍の喫茶店を指差しながら拙生に云うのでありました。
「帰り船で亡者の客が乗っていないのですから、営業していますかなあ」
「ちょっと、訊いてきましょう」
(続)
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もうじやのたわむれ 315 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 逸茂厳記氏は喫茶店の入り口に一人、いや一鬼で入るのでありました。
「大丈夫です。飲み物を供してくれます」
 すぐに喫茶店の入り口から顔だけ出して、逸茂厳記氏は拙生達を手招くのでありました。
「先程コーヒーを飲んだばかりですが、またコーヒーを頂きましょうかな」
 席に着いてから拙生はメニューを見ながら、応対に来たウエイターにとも、護衛二鬼にともつかない云い方をするのでありました。
「私はオレンジジュースを」
 これは逸茂厳記氏の注文であります。
「私はミルクティーを」
 こちらは発羅津玄喜氏の言葉であります。
「何か、私はこちらに来て以来、あっちこっちでコーヒーを飲みまくりましたなあ」
 拙生は回想するのでありました。「娑婆では豆アレルギーがあったので、晩年は控えておりましたが、娑婆の肉体から解放されて、その分を取り戻すような按配でしたかなあ」
「元々コーヒーはお好きでいらしたのですか?」
「ええ。豆アレルギーを発症する前は、少ない時でも日に五六杯は飲んでいましたかな。一時期は豆とか淹れ方にもあれこれ凝りましてね、ネル挽きにしてみたり、バリ島のコピのように、インドネシア産の豆を金槌でパウダー状に粉砕して、それをカップに入れて砂糖も入れて上からお湯を注いでかき混ぜて、暫く置いて上澄みにして飲んだりしましたよ」
「私はそう云う淹れ方は存じ上げなかったのですが、ちょっとワイルドな感じですねえ」
 逸茂厳記氏がやや目を見開くのでありました。
「それ、一回試してみましょうかなあ」
 発羅津玄喜氏も興味を示すのでありました。
「どうぞ。一回だけと云うなら、試みられても良いですかな」
「あれ、あんまり美味くはなかったのですか?」
「美味くない事もないのですが、飲み干した後、下に溜まった黒々とした沈殿物を見ると、如何にも体に良くない事をしているような気がしてきましたなあ」
「ああそうですか」
「まあ、それはあくまでも私の印象と云うだけで、実際に体に良くないのかそうでもないのかは、然とは判らないのですがね」
「また娑婆にお帰りになったら、恐らくコーヒーは暫くおあずけとなりますね」
 逸茂厳記氏が多少の同情をこめた云い方をするのでありました。
「そうですね。またこちらに来た時のお楽しみ、としますよ。もうこちらの様子も大体判っておりますから、今度はコーヒーばかりではなく、日本酒を始め酒類の方も今回以上に飲みまくりたいと思います。亡者は幾らでも飲めるし、それに酔う事もないのですからね」
「それはもう、ご存分に」
 逸茂厳記氏は微妙に呆れ顔でお辞儀して見せるのでありました。
「ところで私は娑婆に逆戻るとは云うものの、前の同じ肉体に戻るのでしょうかね?」
(続)
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もうじやのたわむれ 316 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 拙生はふとそんな疑問が浮かぶのでありました。
「それは場合に依るみたいですよ」
 逸茂厳記氏がオレンジジュースを一口、ストローで吸ってから云うのでありました。「娑婆に残してきた肉体がかなりの破損を受けていたり、或いはもう既に焼却されている場合は、それとは違う肉体を探さなければならないからちょっと厄介らしいのですが、前の肉体が未だ充分生き返りに耐え得るようなら、その同じ肉体に逆戻る事になるようです」
「夫々の場合に依るのですか?」
「準娑婆省の連中が亡者様を娑婆へ帰還させる手練手管について、私は詳細には知らないのですが、この前の出張の折の前例の亡者様の場合、同じ肉体に帰還させる事が出来そうなのでこれは楽だ、なんと云う準娑婆省の鬼同士の会話を傍で漏れ聞きましたからねえ」
「ふうん、そうですか」
 昨日の夜、拙生の頭の中に突然現れたカカアの話しに依ると、その時点では、娑婆では拙生の葬儀の最中であると云う事でありましたから、未だ荼毘にふされてはいないと云う事になりますか。と云う事は、ひょっとしたら向うに残してきた肉体は、今の内なら使用に耐える状態であるかも知れないと、拙生はコーヒーを飲みながら考えるのでありました。
 しかしこれから二時間余をかけて準娑婆省まで行って、その後に逆戻りのための諸手続きを済まして、それからいよいよ、となると、こちらの世と向うの世の流れる時間差を考慮しても、拙生の肉体はもう、こんがり狐色になっていると云う事も考えられますか。微妙なタイミング、と云ったところでしょうか。前の肉体にその儘あっさり戻る方が、戻った後も何かと気楽な感じでありますから、出来得る事ならそう願いたいものであります。
 しかし違う肉体に逆戻って、前とは全く異なる生を生きる、なんと云うのもちょっと魅力的ではありますか。『人生が二度あれば』なんと云う井上陽水さんの歌が娑婆にありましたが、そうなると拙生は向うで本当に二度の人生を経験出来るわけであります。
 しかし未だ就学年齢頃の肉体に逆戻ったりすると、またもや日々の勉強やら受験やら、中間テストやら期末テストやら、宿題やら補習授業やら、眠気と登校時間の鬩ぎあいなんかに苦しめられる事になりますから、それをもう一度娑婆で繰り返すのは勘弁願いたいものであります。出来れば二十代前半の、丁度大学四年生辺りの、しかも就職も既にちゃんと決まっていると云ったような、適当な頃合いの肉体が見つかればそれはそれで大いに結構なのでありますが。それに、お爺さんに逆戻るのも、ちょっと勘弁して貰いたいものであります。折角逆戻るのと云うのに、老い先短いと云うのもがっかりでありますから。
「どうかなさいました?」
 拙生が呆けた顔で黙りこんで、こんな呑気で浅ましい事を暫し考えていたものでありますから、逸茂厳記氏が心配になったのかそう訊くのでありました。
「いや別に何も」
 拙生は慌てて笑い顔をして見せるのでありました。
「これから自分はどうなって仕舞うのかと、急に不安になられたのでしょうか?」
 まあ、不安かどうかは別として、ある意味、それは当たっているのでありましたが。
(続)
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もうじやのたわむれ 317 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「大丈夫ですよ。我々三鬼で責任を持って、亡者様を確実に娑婆にお戻し致しますから」
 発羅津玄喜氏が頼もし気に胸を叩くのでありました。
「へい、有難うございます。そこのところはお三方に全幅の信頼を置いておりますから、特に何も心配してはおりません。心配なのは娑婆に戻った後の事です」
「そこいら辺りの問題となると、申しわけありませんが、私達は埒外におります。あくまで私達の責務は、亡者様を娑婆に逆戻しするまで、と云う事になりますから」
 逸茂厳記氏が恐縮のお辞儀をして見せるのでありました。
「それはそうでしょう。その辺は私も充分承知しております」
 拙生は逸茂厳記氏の恐縮のお辞儀に、同様の恐縮のお辞儀を返すのでありました。「しかし考えてみたら、同じ肉体に逆戻る場合、まあ、違う肉体に逆戻る場合も同じなのでしょうが、娑婆の方の人間としたら、一度死んだヤツが生き返ると云う現象に立ちあう事になるのでしょうから、それはもう、腰を抜かさんばかりにおっ魂消るでしょうね。何となく、その辺のすったもんだの大騒ぎをあれこれ想像すると、些かげんなりして仕舞いますよ」
 先の呑気で浅ましい考えは披歴しないで、拙生は別の気鬱について云うのでありました。
「それは確かに上を下への大騒ぎとなるかも知れませんね。しかし大騒ぎは大騒ぎでも、どちらかと云うと意味あいとしては、嬉しい方の大騒ぎになるわけじゃないですかね」
 逸茂厳記氏がこの場合の大騒ぎの意味あいを釈義するのでありました。
「ああ成程。それはそうなりますかな。ま、色々な大騒ぎがあるかも知れませんね」
 拙生は納得の頷きをしてから、皮肉な笑いも浮かべるのでありました。
 さあて、拙生が生き返った時、嬉しい大騒ぎをするヤツと、がっかりの大騒ぎをするヤツと、その辺の見極めをするのも一興ではありますかな。ちょっと楽しみであります。
 そうこうしている内に拙生がコーヒーを飲み終えたものだから、我々は喫茶店を出て船内散歩を再開するのでありました。
 船内をゆっくりぐるりと一渡り回って元の上のデッキの客室に戻ると、補佐官筆頭がその時点でのなすべき仕事を大方終えたのか、靴を脱いでシートに上がりこんで足を胡坐に組んで、巻物を広げて熱心にそれに何やらを万年筆で書きこんでいるのでありました。
「おや、ひょっとしたら俳句を捻っていらっしゃるので?」
 拙生は補佐官筆頭の俯いた頭に向かって声をかけるのでありました。
「ああ、これはお帰りなさい。もう散歩はお仕舞いですか?」
 補佐官筆頭が顔を起こして愛想笑うのでありました。
「いやもう、乗船した亡者が退屈しないようにと、船旅を堪能出来る豪華な設備が、色々満載されているのですねえこの船は。改めて驚きましたよ」
「こちらにいらしたばかりの亡者様は心細い思いをされているでしょうし、それを少しでもお慰め出来ればと云う閻魔庁の心配りの一つですな。向うの世で語られる三途の川や渡し場の風景等は、見るもおぞましくおどろおどろしいイメージだそうですし、閻魔大王官もその取り巻きの我々鬼も、居丈高な怖いヤツだと云う風に思われているらしいですから、そんな事はないし、どうぞご安心くださいという最初の我々のメッセージでもあります」
(続)
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もうじやのたわむれ 318 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「ははあ成程。この船の至れり尽くせりの設備は、そう云う意味もあるのですね」
「そう云う事です。しかし亡者様の中には、初めはこうして豪華な歓待ぶりを示しておきながら、後で俄かに態度を豹変させて、いきなり酷薄極まりない仕打ちに我々が転じるのではないかとお疑いの向きも偶にあります。そんな事は決してないのですがね」
「これまでの私の経験から、閻魔大王官や補佐官さん、それにこちらの護衛のお二人、いやお二鬼さん、こちらで最初に親しく言葉を交わした審問官や記録官さん、その他私が接した多くの方々の誠意と云うものは、疑う余地が全くないと云う事を重々理解しております。娑婆っ気の未だに抜けない一人、いや一亡者として、そう云う娑婆風の猜疑心ばかりで身を固めた狭量の亡者になり代わりまして、ここで慙愧の念を表させていただきます」
 拙生は稽首せん程に深いお辞儀をするのでありました。
「いやいや、どうぞお顔をお上げください。貴方様がそうされますと返って困ります」
 補佐官筆頭がたじろいで、お辞儀した拙生の肩の前に掌をおろおろと翳して、拙生の顔を上げさせようとするのでありました。
「ところで、巻物を広げていらっしゃるところを見ると、補佐官さんの趣味でいらっしゃる俳句を捻っておいでだったのですかね?」
 拙生はあっさり頭を起こして、先程の質問に戻るのでありました。
「ええ、これは短歌ですけどね。準娑婆省の関係機関への連絡とか、持参した書類の点検なんかもほぼ終わりましたので、船旅の無聊を慰めると云うところで、先程ちらと閃いた語句なんぞもありまして、こうしてカバンから巻物を引っ張り出したと云う次第です」
 補佐官筆頭は万年筆のキャップの頭で自分の額を軽く叩きながら云うのでありました。
「船上で捻る短歌ですから、船底をガリガリ齧る春の鮫、みたいな上の句でしょうか?」
「それは春風亭柳昇さんと云う、娑婆の落語家の方が得意にしていた『雑俳』と云う噺の中に出てくる句で、前の準娑婆省出張時に、大酒呑太郎さんにおちょくられて、まるで自分の創作のようなつもりで私が吐いた句ですから、そんなものは吐くわけがありません」
 補佐官筆頭は眉根に皺を寄せて云うのでありました。
「いやまあ、船旅の歌というので、そんな感じのヤツかと思いましてね」
「もうちっと爽快感のある歌ですよ、考えついたのは」
「爽快感、ですか。一つご披露願えれば嬉しいですなあ」
「そうですか? そうですねえ。・・・」
 拙生がそう促すと補佐官筆頭は少し躊躇う様子を見せながらも、発表も満更吝かでないと云った気持ちが満々の無表情をして、巻物に視線を落とすのでありました。
「ええと、こう云う短歌なのですがね。・・・」
「ああ成程、そう云う短歌ですか」
「いや未だ詠み上げておりません」
 補佐官筆頭は手の甲で拙生の胸元を軽く叩いて、拙生の仕様もないボケにツッコミを入れるのでありました。「ええと、・・・瀬をはやみ、と先ずこうきましてね、・・・」
「ほう、瀬をはやみ、・・・ですか。ふんふん」
(続)
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もうじやのたわむれ 319 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の、・・・」
「おや、ちょっと待ってください。その歌は、・・・」
 拙生は途中で声を挟むのでありました。
「・・・からくれなゐに、水くくるとは」
 補佐官筆頭は拙生の声を無視して、一気に下の句を詠じるのでありました。詠み上げた後、どうだ、というような顔をして拙生を見るのであります。
「何か、娑婆で聞いた事がある歌ですなあ」
 拙生は首を傾げるのでありました。「しかも上の句と下の句が、夫々別の歌のものですよ。その夫々の歌と云うのは両方とも、娑婆の日本の『小倉百人一首』と云う有名な和歌の選集にありましてね。何よりも私としましては、その両方が落語の題材に取り上げられていると云うところで、あちらの世にいる時からよおく馴染んでいた歌なのです」
「あら、そうなのですか?」
 補佐官筆頭は無表情に、しれっとそう返すのでありました。
「一つは作者の名前から取って『崇徳院』、もう一つは歌い出しから取って『千早振る』と云う題の、なかなか面白い古典落語です」
 拙生の説明を聞き終えてから一拍の間を置いて、補佐官筆頭は俄に掌を打ち鳴らしながら、けたたましく笑い出すのでありました。
「いやいや、どうも済みません。今のは私の冗談と解してください」
 補佐官筆頭が一応笑い収めてから、未だ少し笑いの余風が籠った声音で云うのでありました。「今の私の上の句、下の句が夫々違う二つの歌として娑婆に在る事は、実は私も承知しておりますよ。まあ、落語の中にその歌が題材として使われていると云うのは、迂闊ながらちいとも知りませんでしたがね。ま、私も趣味としてこの道の隅っこを、なるべく目立たないように歩く鬼として、娑婆の『小倉百人一首』」は一応、勉強しております」
「ああそうなのですか?」
「貴方様をおちょくるような真似をして、どうも済みません」
 補佐官筆頭は先代の林家三平師匠のように、指を額に持っていくのでありました。
「つまり準娑婆省の大酒呑太郎さんみたいな人の悪い、いや違った、鬼の悪い真似を今、私に対してされたと云うわけですね?」
 拙生は然程詰問調にならないような、のんびりした口調で訊くのでありました。
「いやもう、全く申しわけありません。私の創った歌をお披露目しようとした直前に、急に、爽快感のあるヤツとか何とか前触れしておいて、こんな碌でもない歌を披露したりしたら、屹度憫笑されると恐れまして、その私の怖気を誤魔化すために竟、咄嗟に悪ふざけみたいな真似をして仕舞ったのです。ご愛嬌として見逃していただければ幸甚です」
 補佐官筆頭は大袈裟にお辞儀を繰り返すのでありました。
「ああそうですか。まあ、今までの私へのご対応から観ても、善良この上もない補佐官さんの事でありますから、他愛のない戯れ言だったと云うのは信じる事が出来ます」
「どうも恐れ入ります。慙愧に堪えません。自分で仕出かしておきながら冷や汗が出ます」
(続)
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もうじやのたわむれ 320 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 補佐官筆頭は額の汗を掌の甲で拭う仕草をするのでありました。
「で、実際にお創りになった歌はご披露いただけないので?」
「準娑婆省の港に着くまでもう少しばかり言葉を吟味してから、得心がいく出来栄えとなって、大酒呑太郎さんをも唸らせるくらいの自信が湧きましたらご披露いたします」
「ああそうですか」
「何やら勿体ぶっているようで、慎に不本意ではありますが」
 補佐官筆頭はそう云って、巻物を拙生の目から庇うように胸にかき抱くのでありました。
 そうこうしている内に、何となく船内の様子が慌ただしくなったのは、もうすぐ準娑婆省の港に船が着くからでありましょうか。
「ぼちぼち港に着きますかな?」
 補佐官筆頭も船内の雰囲気が微妙に変わったのに気づいて、そう云いながら腕時計を見るのでありました。「出港してから、もう二時間を過ぎましたからね」
「この船は準娑婆省の三つの港の中の何処に着くのですか?」
 逸茂厳記氏が補佐官筆頭に聞くのでありました。
「奪衣婆港だよ」
「奪衣婆港は私が地獄省に渡る時に乗船した港です」
 拙生がそう云うと、補佐官筆頭は首肯するのでありました。
「三途の川の準娑婆省側には三水の瀬港、江深の淵港、それに奪衣婆港と三つ大きな港がありまして、その中で奪衣婆港が最も大きくて、準娑婆省の中心街にも近い港です」
「その三港の名前は確か、先に私が閻魔庁で最初にお邪魔した審問室で、審問官さんと記録官さんから聞きました。娑婆では奪衣婆橋ですけど、実は橋ではなくて港だという事も」
「奪衣婆港も他の二港も閻魔庁が管轄しておりますから、近代設備のなかなか立派な港ですが、その三港以外の準娑婆省の港となると、最も大規模な軍関係の港でも、まあ、地獄省の小さな漁港に毛が生えた程度のものが殆どですね」
「そうすると準娑婆省の海軍は、然程大きな艦船は保有していないと云う事で?」
「それを云うなら、海軍、ではなくて、川軍、です」
「ああそうでした。こちらには海はないのでしたね」
 拙生は頭を掻くのでありました。
「ま、それは良いとして、確かに大型で、近代装備で武装した船はありませんね。地獄省の護衛艦なんかとは比べるべくもありません。装備も恐ろしく旧式の貧弱な武器しか積んでおりません。一番大きな軍艦が、何でも娑婆の箱根の芦ノ湖に浮かんでいる遊覧船、或いは長崎県は佐世保の九十九島遊覧の、海賊船もどきの外装の船程度だと云う事です」
 補佐官筆頭は頬に憫笑を浮かべて云うのでありました。「省力の違いですな。川軍ばかりではなくて、準娑婆省の陸軍も空軍も同じような程度です。民間の貨物船にも客船の中にも、大したものは一隻もありませんよ。準娑婆省一の大型貨物船と聞いて実際に見てみたら、隅田川のダルマ船みたいな大きさの船だったと、この前準娑婆省からようやくに閻魔庁に辿り着いて、閻魔大王官の審理をお受けになった亡者の方が仰っておられましたね」
(続)
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もうじやのたわむれ 321 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「その亡者の方とは、何らかの事情で準娑婆省で石ころになっていた方なのでしょうか?」
「そうです。その方が準娑婆省に渡られた詳しい経緯とかこの間の消息は、個亡者情報保護と云う点からここでは申し上げませんが、長い間準娑婆省の方で石ころをされていらしたのを、先般、閻魔庁の行方不明亡者捜査救済局の秘密調査員が救い出してきたのです」
「その方は屹度、石ころになった後、流れ流れて、準娑婆省の何処かの軍港の近くに転がっていらしたのでしょうかね?」
「ま、ざっと云うとそんなようなところと云うのか、そんなようでないところと云うのか」
 補佐官筆頭は語尾を有耶無耶「にして、それ以上の詳しい言及を避けるのでありました。
 ところで亡者としてこちらの世に四日程、長くても一週間程度しか存在しないで、その後はすっかり新しい霊となって仕舞う亡者の個人情報、いや個亡者情報を保護すると云うのも、何やら徒な厳格さと云う気もするのでありました。個亡者情報なんと云うのは、霊となった後には、閻魔庁でのあれこれは記憶として残らないと云う事でありますし、保護するまでもなくすぐに忘れられて仕舞う情報でありましょうから。まあしかし、保護するとしてあるのですから、何かしら保護する必要があるのでありましょう。閻魔庁の担当した鬼が、その情報を悪用でもした例が嘗てあったので、そう云う不逞の鬼から守る必要があるのでありましょうか。まあ、そう云う事は、敢えて訊かないでおくのでありましたが。
 船はゆっくりと奪衣婆港の桟橋に接岸して、船首と船尾から投げられた太いロープで、しっかりと繋留されるのでありました。舷側に下船デッキが装着されて、我々はそこから奪衣婆港の港湾施設建屋の広い到着ロビーへと、直接向かうのでありました。
 到着ロビーは地獄省の港のものとさして変わらない構造で、地獄省側の出発ロビー同様、人気、いや違った、鬼気、或いは霊気が殆どなくて閑散としているのでありました。その閑散とした中で、我々の歩いて行く正面には、異様に目立つ迷彩服にヘルメット姿の、兵隊と思しき風体の三鬼が直立不動の姿勢で立っているのでありました。
「お迎えに上がりました」
 三鬼の、真ん中に立っている兵士がきびきびとした動作で、我々を迎えるように一歩前に出て、補佐官筆頭に敬礼するのでありました。一歩出る時、履いているブーツの底が床に打ちつけられて、無粋な甲高い音を響かせるのでありました。
「ああどうも、お世話をおかけします」
 補佐官筆頭も釣られたように敬礼して見せるのでありましたが、こちらは如何にも素人が敬礼の真似をしていると云った、ぎごちなさが目立つ物腰でありました。この兵士と補佐官筆頭は既に顔馴染みのような風情があって、前に補佐官筆頭がこちらに出張した折にも、この同じ兵士の出迎えを受けたのであろうと拙生は想像するのでありました。
「また前と同じ間抜けな用向きで、お世話になる仕儀と相なりましたわ」
「ご苦労様です」
 兵士が少し愛想笑ってお辞儀をするのでありました。
「今度はこちらにいらっしゃる亡者様の娑婆への逆戻り用件です」
 補佐官筆頭が拙生を兵士に紹介するのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 322 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「どうも、とんだ事でありました」
 兵士は拙生にも敬礼するのでありました。拙生は補佐官筆頭の真似をして、矢張りぎごちない敬礼を返すのでありました。
「こちらは、地獄省海上防衛隊、じゃなくて川上防衛隊で港湾守備部隊の段古守大尉です」
 補佐官筆頭が拙生に紹介するのでありました。
「段古守です」
 兵士はもう一度拙生に律義に敬礼をするのでありました。
「この港の守備の任に当たられているのですね?」
 拙生は段古守大尉に、訊くまでもない事を愛想で訊くのでありました。
「はい。それと亡者様の港までの、準娑婆省内の移動に関しても責任を負っております」
「ああ、最新鋭の武器を携帯した地獄省の軍人さんが、港までの路程に一定間隔で常駐していて我々亡者の安全を守っていると、前に確か審問官さんや記録官さんに聞きましたね」
「話の腰を折るようですが、我々は厳密に云うと、軍人ではなくて防衛官となります」
 段古守大尉が訂正するのでありました。
「ああそうか。先の第二次省界大戦の敗戦に因り、戦後は地獄省の軍隊は解散させられて、新たに専守防衛の実力組織たる防衛隊となって生まれ変わったのでしたね?」
「そうです。ですから我々はあくまでも軍隊ではなくて防衛隊です。依って我々が属するのも川軍ではなくて、川上防衛隊となります。ま、我々の見た目も任務もその力量も、実のところ軍隊と何ら変わらないのですが、一応憲法の制約とか、左派系のマスコミとか市民団体とか省会議員さん達とか、その他諸々の手前、軍隊であると大見栄を切るわけもいかないわけです。その辺をご斟酌いただけるよう、どうぞよろしくお願いいたします」
「私がこの前までいた娑婆の日本にも、何やらそれに似た事情がありましたから、その辺の面倒臭い機微については私にも充分理解出来ます」
「早速のご了解を有難うございます」
 段古大尉がまたもや敬礼をするのでありました。
「それはともかくとして、我々の準娑婆省内での移動に関しては、武装したこの段古大尉とその部下の方々が護衛してくれます」
 補佐官筆頭がそう云うと、段古大尉の後ろに直立していた二鬼の、部下と思しき防衛隊員が揃って、きびきびとした動作で拙生に敬礼するのでありました。
「武装されているとは云うものの、ライフル銃とかはお持ちでないので?」
「準娑婆省の街中の移動となりますので、大型の目立つ武器は携帯いたしません。所持しているのは拳銃と短剣、それに小型の手榴弾と云うところですかな。それから拳銃に装填して発射出来る発煙弾とか催涙弾なんかも、一応複数個所持しております」
「訊いてみるとなかなかの装備ですね」
「いやまあ、そう云ったものを使用する事は先ずないでしょうが、あくまでも念のためです。我々が地獄省川上防衛隊の陸戦用戦闘服を着用しているだけでも、準娑婆省の連中に対して、恐らく充分なる威圧感を与える事が出来るでしょうからね」
(続)
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もうじやのたわむれ 323 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 段古守大尉はそう云って、迷彩着色された戦闘服の上に着ている、黒色の防弾チョッキの胸を叩いて見せるのでありました。
 我々は川上防衛隊員三鬼の先導で、港のビルを出ると、港湾職員専用出入口脇に停めてある、艶消しのオリーブドラブ色に塗装されたマイクロバスに乗りこむのでありました。地獄省に渡る亡者達が乗船する、或いは乗船手続に並んでいる筈のロビーとかは避けて通らなかったので、拙生は拙生と同じ亡者らしき者の姿を全く見ないのでありました。
 マイクロバスは港湾施設を出ると、暫く、鬱蒼たる森林の中の広い舗装道路を疾走するのでありました。拙生は前に地獄省に渡る折に、こう云う道は通らなかったのでありました。恐らく亡者達が船に乗るために港に向かうルートとは、違う道なのでありましょう。
 森林を抜けると道路の左右に、道に沿って高い塀を廻らせた相当に広そうな敷地があって、その塀の中には娑婆の郊外によくある、クリーム色をした五階建て程度の団地のような建物が、広い間隔をとって複数戸並んでいるのでありました。
「この建物には、準娑婆省の鬼とか霊とかが住んでいるのでしょうか?」
 拙生は前の座席に座っている補佐官筆頭に訊くのでありました。
「いや、この塀の中は奪衣婆港に勤務する閻魔庁職員や、地獄省川上防衛隊の鬼達の居住地区です。この中にはスーパーマーケットやコンビニやその他の色んな商店、それにバーとかキャバレーとか居酒屋とか喫茶店とか、それにゲームセンターとか麻雀荘のような遊戯施設もありまして、ちょっとした地獄省の街のような感じになっておりますよ。敷地の外れには公園とか運動場とか体育館もありますし、広大な防衛隊の訓練場とかもあります」
「閻魔庁職員とか川上防衛隊員の占有地なのですね?」
「そうです。港湾関連施設として、閻魔庁が準娑婆省から永久的に租借しているのです」
「ここには準娑婆省の鬼や霊は立ち入れないのでしょうか?」
「ええ、立ち入り禁止です。閻魔庁や川上防衛隊の鬼が、出来るだけ準娑婆省の連中と接触しなくて済むように、この中で日々の生活の殆どが完結するようになっております。生活物資なんかも準娑婆省で調達することなく、地獄省から総て運んできますから」
「ふうん、そうですか」
 拙生は拙生が生まれた佐世保にあった、日本人立ち入り禁止のアメリカ軍関連施設を何となく思い浮かべているのでありました。
「川上防衛隊は一個師団程度が駐留しておりますし、奪衣婆港に勤務する閻魔庁職員とか、中にある様々な商業施設なんかに勤める鬼とかも含めると、優に五千鬼はこちらに駐留している勘定になりますから、それこそちょっとした地獄省の街だと云っても、決して大袈裟ではありませんよ。三水の瀬港、江深の淵港も、多少規模は小さくなりますが同じです」
「まあ、三途の川の渡河に二三時間かかると云うのですから、地獄省から毎日通勤するとなると確かに少し遠いですかねえ。そうするとこちらに住んだ方が好都合ですかな」
「そういう事です。それに準娑婆省には、我々が日常的に使用するに足る品質の日用品も本当にないですし、食品に関しても質的にも味的にも、地獄省の物よりは数段劣りますから、そう云った物もこちらで調達せずに、総て地獄省の方から持ってくる事になるのです」
(続)
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もうじやのたわむれ 324 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 この地獄省の広大な租借地を抜けて暫く走ると、道に沿ってぽつんぽつんと、殆どが平屋か二階建て程度の粗末な民家らしき建物、それに食料品や雑貨を扱う小規模の、古い木材を継ぎ接ぎしてようやく建物らしく造ったような商店、家の横の空き地に椅子とテーブルを並べて食事や酒類を供する、食堂とか飲み屋とか喫茶店の類、それからバイクや自転車の修理屋とか云った店が現れ始めるのでありました。また野菜とか花とか、或いは自ら漁した魚類を、道端に乱雑に並べている露天商なんかも多く見られるのでありました。
「この辺は準娑婆省の省霊や鬼が住む地域ですかな?」
 拙生は補佐官筆頭に尋ねるのでありました。
「そうですね。この辺の光景と云うのは、私等の親の世代から話しに聞いている第二次省界大戦よりももっともっと前の、大昔の貧しかった頃の地獄省の光景と同じだと云う事です。観てみると連中の纏っている服も何となくみすぼらしいですし、中には靴を履いていないのもいます。仕事もなく、また仕事を見つけようという気もなく、毎日ブラブラと徒食に明け暮れていると云った風情の、如何にも生気のない顔ばかりが並んいるでしょう」
「生気がないかどうかは私には顔からはよくは判断出来ませんが、まあ、至ってのんびりしていると云った風はありますかなあ」
「この辺の連中には様々の職業の能力も殆どありませんから、街でちゃんとした就職口も見つけられないでしょうし、職業訓練なんかも政策として一切施されませんので、準娑婆省では多くの霊や鬼が貧困から抜け出せないのです。おまけに土地が痩せているのに土壌の改良なんかもされませんし、三途の川で漁すると云っても漁法が原始的な儘ですから、そう多くの漁獲高は端から望めません。第一に、自分たちの貧困状況を何とかしようという意欲的な心性が連中には全く欠けていますから、処置なしと云ったところでしょうな」
 補佐官筆頭は同情の欠片も含まない云い様をするのでありました。
「まあしかし、嘗ての地獄省もそうであったと云う事なら、こちらもその内に大発展するかも知れませんよ。何かしら飛躍の切っかけさえあれば」
 拙生は別に準娑婆省に何の恩義もないのでありましたが、補佐官筆頭のまるで立つ瀬もないような言い方に、ちょっと抗いたくなってそう云うのでありました。
「さあ、それはどうでしょう。地獄省と準娑婆省では省霊、或いは省鬼の気風と云うのか、性根と云うのか、そう云うものが全然違いますからねえ」
 補佐官筆頭はあくまで冷淡なのでありました。「まあ、こちらを見ていると、幾ら邪馬台郡が地獄省の中の他の地方に、発展の度合に於いて後れを取っているとは云っても、ここよりは遥かにマシですし、どだいここと比べるのも邪馬台郡に失礼と云うものでしょうね」
 もう暫く走ると、我々を乗せたマイクロバスはどうやら街中に入ったようでありました。しかし街中とは云っても、道幅も狭く舗装も不備な幹道沿いに並ぶのは、古びた低層の建物ばかりで、人通り、いや違った、霊或いは鬼通りも少なく、街は閑散としているのでありました。拙生は車窓を流れる風景を見ながら、何となく陰鬱になるのでありました。
「さて、そろそろ目的地の、娑婆交流協会の建物が見えてきますよ」
 補佐官筆頭がそう云いながら前を指差すのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 325 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 娑婆交流協会は白い五階建てのビルの中にあるのでありました。それは高層の建造物ではないし、真新しいと云うわけでもないのでありますが、周りに建つ建物が平屋か、高くても三階建て程度で、如何にも耐用年数を遥かに超えた感じの、外装も薄汚れた儘放ったらかしと云った感じなので、それでも他を圧する偉容と云えなくもないのでありました。
 我々を乗せたマイクロバスがそのビルの玄関前に静かに横づけされると、運転をしていた隊員と運転席後ろに乗っていた防衛隊員二名が、きびきびとした動きで前扉からバスを降りて、ベルトに吊るした拳銃ホルダーに右手を添えて、出入口を万が一の賊の襲撃から二鬼で守備するように立ち、周囲を睥睨しながら隙のない警戒態勢をとるのでありました。
「ではどうぞ」
 バスに残った段古守大尉は我々に視線を向けて、柔らかな手つきでバスを降りるよう促すのでありました。先ず逸茂厳記氏が段古守大尉の横をすり抜けるようにして地に足を下ろし、その後に補佐官筆頭、そのまた後に拙生、最後に発羅津玄喜氏と続くのでありました。全員が下車を完了すると我々は建物の玄関を入ってすぐ脇にある階段を、バスを降りた順番に、段古守大尉の先導と他の二鬼の防衛隊員の後勁で三階まで上るのでありました。
 このビルは雑居ビルで色々な団体や会社が入居しているようでありますが、三階は総て娑婆交流協会が使用しているのでありました。階段踊り場のすぐ横にある、娑婆交流協会受付、と表札が出ているドアを段古守大尉が開けて、後に続く我々を中に入れてから、防衛隊員三鬼も中に立ち入るのでありました。その内二鬼が、中で横隊に広がった我々の左右端に立ち、段古守大尉は、それが受付であろうと思しき、入り口に向かって据えてある机を前に座っている、若い女性の処に歩み寄る補佐官筆頭の脇につき従うのでありました。
 補佐官筆頭は受付の女性と数語何やら話しを交わして、すぐに来意が通じようで、女性に軽くお辞儀してから我々の方の戻ってくるのでありました。
「娑婆交流協会の大岩会長が直々に、この部屋までお迎えにいらっしゃるようですので、そこで座って待っていましょう」
補佐官筆頭が出入口扉横の長椅子を指差すのでありました。
「大岩会長と云うと、前に私の閻魔大王官の一回目の審理の折に話しに出た、公会堂四谷ワイ談の、下ネタ好きでなかなか捌けた感じの魅力的な、あのお婆ちゃんですかな?」
 拙生が長椅子に腰かけながら訊くのでありました。
「そうです。娑婆では、新宿だったか池袋だったか上野だったかにお住まいで、四谷公会堂で落語を、特に怪談噺を聴く事を無上の趣味とされていたと云う、あのお婆ちゃんです」
 補佐官筆頭が拙生の横に着席するのでありました。長椅子は三人がけ、いや三鬼、或いは三霊がけのものだったから、拙生と補佐官筆頭以外は立った儘なのでありました。まあ、我々だけ座るのは多少心苦しくはありましたが、他の若い鬼達の遠慮と受け取る事にするのでありました。どうせ結果的に、我々が席を勧められるのでありましょうから。
「会長が直々にこの部屋までお出迎えにいらっしゃると云う事は、補佐官さんに対する相当の敬意の表明であると云う風に受け取るべきでしょうかね?」
「まあ、私に、と云うよりは、亡者様に対する敬意からですよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 326 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 補佐官筆頭が拙生の方に手を向けるのでありました。
「亡者は何処へ行っても歓待されるのですねえ」
「まあ、遥々こちらにいらしたのですし、これから先、こちらの世でご一緒に時を過ごすのですから、省に囚われない、こちらの世に既に住む我々の喜びの表現とお考えください」
 何とフレンドリーな事でありましょうか。
 暫く待っていると長椅子横のドアが開いてほとんどが白髪であるものの、しかし豊かな髪を結いあげて、頭頂に作った団子に銀の簪を挿した和服の、コロコロと太ったお婆ちゃんが入ってくるのでありました。屹度この人が、いや鬼が、いやいや、そろそろ鬼になる予定であるけれども今のところ未だ霊の儘かも知れない、大岩娑婆交流協会会長でありましょう。お婆ちゃんの姿を見てすぐに補佐官筆頭が長椅子から立ち上がるのでありました。
「ああこれは大岩会長」
 補佐官筆頭が横あいからそう声をかけるのでありました。
 大岩会長はかけられた声に一瞬驚いたような仕草をしたものの、しかし声の主が補佐官筆頭であることを認めると、ニコニコと愛想笑って補佐官筆頭の方に体ごと向き直って、握手の手を差し出すのでありました。補佐官筆頭がその手をすかさず握るのでありました。
「おやまあ閻魔庁の補佐官さん、お久しぶりですねえ。お元気でしたか?」
「いやどうも、暫くご無沙汰しておりました。ご健勝そうで何よりです」
 補佐官筆頭は大袈裟に、両手で握った大岩会長の手を上下にふるのでありました。
「またこの前と同じ用件でお越しになったと云う事ですね?」
「ええまあ、そうです。我が方の不手際で再三ご面倒をおかけして恐縮ですが」
「何の々々、大した手間でもありませんから」
 大岩会長は補佐官筆頭のふり動かす自分の手の振動に、発声を邪魔されるのが億劫そうな気配を笑顔に多少加味して、しかし努めて無愛想にならない語調で返すのでありました。
「そう云っていただくと気が楽になります。こうなっては大岩会長だけが頼りですから」
 補佐官筆頭は余計大きな振幅で握手の手をふり動かすのでありました。
「その後ろでニヤニヤ笑いながら、あたくしと補佐官さんの握手する様を見ておられる方が、今回、娑婆の方にお帰りになる事になった気の毒な亡者さんですか?」
 大岩会長が自分の手が捥げる事を恐れてか、少し強引な仕草で補佐官筆頭の手中から掌を脱出させた後、その掌を宙でブラブラとふって握り固められた痛さをふり落しながら、補佐官筆頭の肩越しに拙生の方に視線を向けるのでありました。
「どうも初めまして。ご推察の通り、私がその気の毒な亡者です」
 下げた拙生の頭は間に立っている補佐官筆頭の体の陰に隠れて、大岩会長からは見えないだろうと思いながらも、拙生は深めにお辞儀をするのでありました。
「いやまあ、この度はとんだ事でございました。さぞお力落としの事でございましょう」
 大岩会長は同情に堪えないと云った憂い顔で、しめやかにそう云って、その後に瞑目合掌して拙生にお辞儀を返すのでありました。当然下げられた大岩会長の頭は、間に立っている補佐官筆頭の体の向こう側に隠れて仕舞うのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 327 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「どうもご丁寧なお言葉を有難うございます。結局浮かばれない亡者と相なりまして、大岩会長さんのお手を煩わせる事となった次第です。しかし私としましては、実はちっとも力落していないところが、慎に以って浮かばれない亡者の真骨頂と云った按配で」
 拙生は自分でも何を云っているのかよく判らないような不細工な挨拶の言葉を、お辞儀の頭を起こしたので再度、補佐官筆頭の肩越しに現れたところの大岩会長のしめやか顔に向かって、頭を掻きながら緩く投げるのでありました。
「まあ、ここで話しをしていても埒が明きませんから、別室の方に行きましょうか」
 大岩会長が手をドアの方に伸ばすのでありました。
「では、我々は一端奪衣婆港駐屯地に帰っております。用件が済みましたら電話でご連絡いただければ、またすぐにお迎えに参上いたします」
 これは段古守大尉が補佐官筆頭に云う言葉でありました。
「ああそうですね。街中の移動中の警護をどうも有難うございました。夜までには片づくと思いますので、また宜しくお願いいたします。段古大尉の携帯電話に連絡を入れますよ」
「はい。了解しました」
 段古大尉はそう云って、補佐官筆頭に気をつけをして敬礼するのでありました。部下の二鬼の防衛隊員もすぐに段古大尉に倣って、きびきびとした如何にも兵隊らしい端正な挙措で敬礼するのでありました。補佐官筆頭と逸茂厳記氏、それに発羅津玄喜氏が敬礼を返すのでありましたが、矢張りどこか娑婆の落語家の林家三平師匠の、どうも済みません、みたいな感じになるのでありました。文官は妄りに武官の真似はしない方が良いと云う一例であろうかと、拙生は何となく考えるのでありました。依って拙生は、ここまで警護してくれた防衛隊員三鬼に対しての感謝の表現を、少し長めのお辞儀にするのでありました。
 全員が廊下に出て、帰る防衛隊員三鬼と別れて、一亡者と、三鬼の閻魔庁派遣組は大岩会長の先導で、隣の部屋に移動するのでありました。この隣の部屋は十畳程の会議室と云った趣で、部屋の真ん中に正方形のスチール製の大テーブルがあって、各辺にパイプ椅子が二却ずつ並んでいるのでありました。窓はなく、奥の壁には黒板が据えつけられていて、その上には天井ギリギリに大きくて丸い時計がかけてあるのでありました。後は部屋の中には出入口のドア横にインターフォンがあるくらいで、他には装飾的な備品は一切見当たらないのでありました。拙生は何となく大学時代のゼミ室を思い浮かべるのでありました。
 大岩会長に促されて拙生は奥の、黒板を背にした席に座るのでありました。拙生の横には補佐官筆頭が座を取り、その右横の辺には逸茂厳記氏と発羅津玄喜氏が並んで座って、そのまた右横辺のドア前の、拙生と向かいあう席に大岩会長が着くのでありました。
 我々が席に着くと然程間を置かずにドアがノックされて、新顔の三鬼が入室してくるのでありました。この三鬼が誰なのか、前の審理室での話しを思い出しながら、拙生は大凡の見当をつけるのでありました。大岩会長より年長で、閻魔大王官と同じくらいの年恰好の、痩せた体躯をシックなスーツで包んだ、頬骨のやけに張った、しかしどこか品のある顔立ちの老鬼が、恐らく随分昔に閻魔庁の補佐官をしていて、不祥事から地獄省を出奔したと云う、前に補佐官筆頭にちょっかいを出して面白がった大酒呑太郎氏でありましょう。
(続)
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もうじやのたわむれ 328 [もうじやのたわむれ 11 創作]

 それから、どう云う技術部門かは判らないと補佐官筆頭が云っていた、しかしまあ恐らく、こちらの世と向こうの世との関係を取り持つための技術であろうところの技官をしていると云う、娑婆の設計事務所とかによくいそうな、ネクタイを締めて紺色の作業着を着た、娑婆時代の名前が鶴屋南北でそれを改め今は亀屋東西氏、それに、大酒呑太郎氏と同年配と云った風貌で、白髪で首が前に落ちていて、足元が覚束なさそうにトボトボと如何にも老人ぽく歩く、銀鼠色の格子縞の和服に博多の帯を締めて五つ所紋の黒い羽織を着た、林家彦六氏と云う顔ぶれでありましょう。屹度前に今回と同じ用件で補佐官筆頭が出張した折、矢張り大岩会長と一緒にいたと云う、準娑婆省政府筋の鬼だか霊だかに違いないと思うのであります。前の亡者逆戻り案件を処理した同じメンバーの揃い踏みであります。
 その三鬼、或いは一鬼と二霊が空いている席に着くのでありましたが、その折大酒呑太郎氏と思しき仁が、ニヤニヤと笑いながら手を挙げて、補佐官筆頭に軽く挨拶を送るのでありました。補佐官筆頭はその大酒氏の挨拶に、無愛想に頭を下げるだけでありました。
 大岩会長の司会進行の下に拙生の娑婆逆戻り算段の話しあいが始まるのでありました。
「今回も、こちらの亡者さんを娑婆にお戻しすれば良いのですね?」
 大岩会長が拙生を、掌を上にした手で指し示しながら補佐官筆頭に訊くのでありました。
「先に電話でお話しさせて貰った通り、度々ご面倒をおかけして私としましては慎に恐縮至極ではありますが、つまりそう云う事でございます」
 補佐官筆頭がお辞儀しながら返すのでありました。
「電話の後こちらで調べましたところ、未だこちらの亡者さんの亡骸は荼毘にふされてはいないようですから、前の時と同じで比較的簡単な作業で片がつくかと思いますが、今回、前とは違う何か特別なご要望とかはありますでしょうかねえ?」
「いえ、特には。前の時と同じで何ら問題ないと思います」
 補佐官筆頭がそう応えるのを聞きながら、拙生はどうせなら前の肉体よりは、前途有望なもっと若いヤツの体に逆戻る方が良いのに、等と秘かに考えるのでありましたが、そんな虫の良い要望は屹度顰蹙を買うであろうから、口の外には漏らさないのでありました。それにそんな要望に一々応えるとしたら、何かと小難しい問題とか処理があれこれ多く発生しそうだと想像出来るので、ここの皆からげんなり顔を向けられるだけであります。
「判りました。では娑婆に逆戻る段取りの説明とか、差し当たり亡者さん自身にやって貰う手続きとかの説明なんかを、こちらにいる亀屋東西技官の方からさせましょう」
 大岩会長がそう云いながら亀屋技官の方を見るのでありました。
「ああどうも、準娑婆省娑婆ちょっかい技術部の亀屋です」
 亀屋技官が自己紹介しながら軽く頭を下げるのでありました。「ではそこの亡者さんに説明責任上、逆戻る段取り辺りから、掻い摘んで案内させていただきます」
「いや、ええと、その前にちらと疑問に思ったところをお聞きしても大丈夫ですか?」
 拙生は亀屋技官の話しの腰を折るのでありました。
「まあ、そんなに時間がないとは云え、少しくらいなら大丈夫でしょう」
 これは亀屋技官に代わって大岩会長が云うのでありました。「どのような疑問で?」
(続)
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もうじやのたわむれ 329 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「いや、その、大岩会長は、聞いたところに依るとこちらに先祖代々居る鬼ではなくて、亡者のご出身だという事ですが、そうなら今の存在実態としては霊なのでしょうか?」
「そうですね。今のところあたくしは霊と云う事になります。もうすぐ準娑婆省の鬼になれそうですがね。そこに座っている林家彦六さんもそうです」
 大岩会長は羽織を着た和装の、すっかり老人のような風貌の、居眠りをしているみたいに眼を閉じて顔を俯けて、まんじりともしないで座っている仁を指差すのでありました。彦六さんは自分の事に話頭が向いたにも関わらず、別に何の反応も示す事なく、矢張り微動だにしないでいるところを見ると、どうやら本当に眠っているのでありましょうか。
「前は極楽省か地獄省にいらしたのですか?」
「そうです。極楽省におりました。ちょっと拠無い事情で準娑婆省に参りまして、その儘ずっと住みついて仕舞ったのです」
「拠無い事情、ですか?」
「その拠無さ、に関しては色々憚りがございまして、それ以上申し上げませんが」
「ああそうですか。それではまあ、一応私同様、嘗て閻魔大王官の審理を受けて、生まれ変わり地を極楽省に選んで、そこに住まわれていた霊だったと云う事ですね?」
「そうです。霊になった経緯は何も覚えておりませんが、歴とした霊です、今のところ」
「亡者の儘、準娑婆省に居残ったというのではないわけだ」
「それはそうです。亡者の儘だと仮の姿の耐用時間もありますからね。仮の姿の耐用時間が過ぎれば、亡者は石ころになって仕舞うのですから、そうなったら今こうして、娑婆交流協会の会長として、貴方さんとお話しなんか出来るわけがありませんからね」
 大岩会長はそう云って軽く握った掌の甲を口に当てて、ホホホと笑うのでありました。お婆ちゃんではあるものの、何となくその仕草が色っぽいのでありました。
「そこの彦六さんも極楽省からこちらに移り住まわれたのですか?」
 これは居眠っている彦六さんに問うても仕方がないと思って、大岩会長に訊いたのでありましたが、急に彦六さんの顔が上がるのでありました。
「な、・・・何を、云い、やがる。じ、・・・冗談じゃ、ねえや、・・・べらぼう、めえ。こちとら、も、・・・元、地獄っ子、でえ。・・・」
 これはどうやら、別に眠っていたのではなさそうであります。「ほ、・・・本人の、こたあ、本人に、訊くが良いじゃ、ねえか、てんだ。・・・」
「ああこれは、実にどうも、相済みません事でござんした。ひよっとして、お休みになっていらっしゃるのかと思いましたもんでげすから。へえ、どうも」
 拙生は頭を掻きながら愛想笑って謝るのでありましたが、この拙生の言葉つき、何やら昔、新宿とか上野とか浅草の寄席で時々お見かけした、娑婆にいらした落語家の三遊亭圓生師匠の口真似のようだと、喋りながら思うのでありました。
 彦六さんはそれだけ云うと、また目を閉じて顔を俯けて背を丸めて、すっかり動かなくなって仕舞うのでありました。大岩会長は、元は極楽省にいた霊で、彦六さんは地獄省から、矢張り何かしらの拠無い事情で、準娑婆省に移り住んだ霊と云う事のようであります。
(続)
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もうじやのたわむれ 330 [もうじやのたわむれ 11 創作]

「あれま、彦六さんは今度は本当に眠りこんだようですよ」
 大岩会長が俯いた彦六さんの顔を下から覗きこみながら云うのでありました。確かに微かながら寝息が、彦六さんの口か鼻から漏れているのが聞こえるのでありました。
「ええと、それから、大岩会長はもうすぐ鬼になれそうだと先程仰っておられましたが、準娑婆省では霊から鬼になる事が出来るのでしょうか?」
 拙生は一応彦六さんを起こさないように気を遣って、声の調子をやや落として大岩会長に訊くのでありました。別に起こさないように遠慮する必要はないのかも知れませんが。
「ま、鬼になれると云っても、それは名誉省鬼、と云う名前で呼ばれる事ですがね」
 大岩会長も少し声を落とすのでありました。
「名誉省鬼、ですか?」
「そうです。生物学的に鬼に変容するのではなくて、鬼、と云う身分を得て、鬼と同等の権利を省から付与されると云う按配です」
「では、実態としては霊の儘なのですね?」
「そうです。しかし自分は鬼であると誰憚る事なく明言して構わないのです」
「霊と鬼とでは矢張り、鬼の方が偉いのでしょうか?」
「そうです。鬼の方が身分が上です。それに鬼になったら、一定年齢に達すると終身の、鬼生年金が貰えますから安楽な老後を送れます」
「いやまあそれは、あくまでも準娑婆省さんの事情でして、地獄省の方では、鬼も霊も身分の上下はありませんし、就学とか就職とか結婚とかその他あらゆる社会的な営為に於いて、法的にも思想的にも全く平等でありまして、鬼と霊の間には何の差別も存在しません」
 これは横あいから補佐官筆頭が挟んだ口であります。「老後の年金も基本的に、自営業者は省霊年金とか省鬼年金、それから公務員は省家或いは地方の共済年金、給与所得者は厚生年金と云う制度が有って、就労中に収めた年金の額によって受け取る額に多少の差はありますが、制度としては一貫していて極めて明朗です。鬼と霊の間での差はありません」
「でも聞くところに依るとあれこれ、年金の問題はあるようですね、地獄省でも」
 大岩会長がシニカルな笑いを口元に湛えて茶々を入れるのでありました。
「それは確かに、全く理想的に制度が運用されているわけではないですが、しかし一貫した平等思想で貫かれておりますよ。地獄省には身分と云うものは存在しませんからね」
 補佐官筆頭が少し興奮した物腰でそう云い募るのでありました。
「まあ、地獄省と準娑婆省の年金制度の話しは置くとして、兎も角、大岩会長は鬼と云う身分を手に入れると云うだけで、生物学的に鬼に変容して仕舞うわけではないのですね?」
 拙生は話しが迂路に入るのはげんなりでありますから、話題を元に戻すのでありました。
「そう云う事です」
 大岩会長が拙生に頷いて見せるのでありました。「まあ、あたくし程の老鬼になると、この先子孫を残す事もありませんから、亡者の生まれ変わりとしての霊だとか、純生物学的な存在たる鬼であるとかの、そう云った新しい生命の誕生に纏わる法則とかメカニズムから、もう無関係な位相におりますので、名誉省鬼、と云う称号をいただけるのですよ」
(続)
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