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もうじやのたわむれ 91 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 拙生はそう云ってテーブルを二回指で軽く叩くのでありました。
「まあ、今後の事を専一にお考えになればよろしいかと思います」
 審問官がそう云って律義そうな物腰でお辞儀をして見せるのでありました。
「ところで、・・・」
 拙生は顔を起して、声の調子を少し変えて云うのでありました。「またもや話しの舵を曲げますが、前のお話しに依れば初代の鬼さん方も含めて、こちらの世は大体に於いて、あちらで亡くなった人間がやって来て構成している世なのですよね?」
「はい、そうですね」
「と云う事は、あちらの世が先ず在って、その後にこちらの世が出来たと云うわけですね?」
「そうです。あちらの世の方が、出来た順番が古いわけです」
「成程。そうなると、こちらの意思があちらの人間界を創り出したのでもないし、子のようなのこちらが親のようなのあちらを支配するなんと云うのは、筋違いな気もしますね」
「その通りです。向こうにいた人がこちらに来て構成しているこちらの世なのですから、こちらの方があちらに比べて、技術にしても考え方にしても、万事にちょいと遅れている事になるのです。どちらかと云うとあちらの方が何でも先を行っているのですよ」
 審問官がそう云って、なんとなく拙生に丁寧に頭を下げて見せるのでありました。
「するとすると、あちらの世の前にあったはずの、どうたら界、の方がより進んでいて、そのまた前の、こうたら界、の方がそれよりももっともっと進んでいると云う事ですね?」
「はい、そう云う風になりますな」
「だから、こちらの世よりもその後の、素界、の方が遅れているのですね、そうすると?」
「そうです。こちら在っての素界ですし、あちらの世在ってのこちらの世です」
「向こうでは何かやたらと、こちらの世の方が須らく優越な世界であると云う認識でいたのですが、そう云う点では、こちらの世が向こうの世を追いかけているわけだ」
「そうです。ですから闇雲にこちらを有難がる必要なんかなかったのです、実は」
「寧ろこちらよりも、あちらの世の前に在ったはずの、どうたら界、の方を尊重すべきだったのかも知れませんね、あちらの世の人間共は。まあ、娑婆の前にどうたら界があるなんて、これっぽっちも知らなかったものだから、今となってはもう仕方ないですがね」
「ですから、こちらではあちらの世を大いに敬っております。色々な、進んだあちらの世の経験とか技術なんかを享受させて貰っておるのですから」
「先ず以って、向こうの世が存在しないのなら、こちらの世も存在しないのです」
 これは記録官が云うのでありました。「ですから私なんか毎日、朝飯の前に、向こうの世の事を思って、ああ有難いものだ、と掌をあわせておりますよ」
 記録官が合掌すると、審問官もそれに倣って合掌瞑目するのでありました。なんとなく、それは拙生に対して合掌しているような風で、拙生は少したじろいで、審問官と記録官の方に向かっておろおろと、一緒になって無意味に合掌瞑目して、序でに手摺りなんかもするのでありました。そうして頭の隅っこの方で、竟この前の自分の葬儀の時、会葬者が神妙な面持ちで、棺の中の拙生に向かって合掌する様をまた思い出しているのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 92 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「ま、これまでにお話し頂いた事で、なんとなく、こちらの世の様相と云うものは大まかには理解出来ました。有難うございます」
 拙生はそう云って、合掌したままお辞儀をして見せるのでありました。
「なんか、地獄省の紹介と云う事だったのですが、まあ、結局のところこちらの世全体の話しに終始して仕舞って、地獄省固有の美点とか地獄ライフの素晴らしさを未だ充分宣伝させて貰っていない事を、些か地獄省閻魔庁の職員として心残りに思います」
 審問官が両手をテーブルについて、頭を深々と下げながら改まった口調でそう云うのは、この辺で拙生がこの審問室での遣り取りを切り上げるために、先の言葉を口にしたのだと受け取ったためでありましょう。拙生には特にそう云う了見はなかったのでありましたが、ここでこちらの世の話しを細大漏らさず聞いたとしても、地獄省か極楽省か未だどちらとも決めかねているのではありますが、兎に角、新たに霊としてこちらに生まれてみなくては結局のところ何も始まらないかとも、その審問官の身ぶりと言葉によって思い至るのでありました。この前までいた娑婆にしたって、何も知らずに生まれて来て、それでも向こうを去るまで、ま、なんとかかんとかそれなりに生きてこられたのでありますから。
「何か地獄省の、これは、と云う、未だお話し頂いていないセールスポイント、なんぞは他にありますでしょうかね?」
 しかし審問官や記録官の、地獄省宣伝に未だ意を充分尽くしていないと云う心残りが気の毒なものだから、拙生はそう言葉を向けてみるのでありました。
「まあ、話し忘れている事が多々ありそうな気もしますが、・・・」
 審問官がそう云って記録官を見るのでありました。記録官がその審問官の視線にほんの少したじろぐ色を見せるのは、記録官の方にも特に思い当たる、まだ未紹介の地獄宣伝の話しが、咄嗟には思い浮かばないためでありましょうか。
「まあ、地獄省に生まれて頂ければ、その魅力的なところを、ここで我々が言葉を尽くすよりも、屹度実感して頂けるだろうと思いますよ」
 記録官がそう云って、これも深々とお辞儀をして見せるのでありました。「若しお聞き忘れになった事があって、それに後で気づかれたならば、またこの後の閻魔大王官の審理の折にでもお聞き質し頂ければ宜しいかと思います」
「いずれにしろ、生まれてみなくては何も始まらないのでしょうね」
 拙生はそう云って、同じくらいの深さのお辞儀をもう一度返すのでありました。
「そうです、そうです。こちらに生まれ変わって頂ければ、自ずと判りますよ」
 審問官が愛想笑いながら、何度も頷くのでありました。
 結局生まれてみなくては何も始まらないと云う、しごくあっさりした結論では、この審問室での長時間に及ぶ遣り取りは、いったい何だったのかと云う事になるではないかと、拙生は遣る瀬ない思いが、胸の奥の端っこの方で、気泡がはじけた程度にペコっと波打つのではありました。しかし確かに、生まれてみなくては何も始まらないのでありましょう。
 そうならここをそろそろ切り上げて、次の閻魔大王官の審理に臨む方が得策と云うものであります。そこもええいと手短にやっつけて、早々に生まれれば良いのであります。
(続)

もうじやのたわむれ 93 [もうじやのたわむれ 4 創作]

  しかし地獄省に生まれるべきか極楽省に生まれるべきか、これは実に悩ましい問題であります。今までのこの部屋での言葉の遣り取りからすると、地獄の実態なんと云うものは、娑婆で漏れ聞いていたものとは全く違うようで、そうなると地獄に生まれてみるのもなかなか面白そうでありますし、かと云って極楽の方に生まれたいと云う、娑婆っ気の未だ抜けない未練はなんとなくありはしますし、はてさて、どうしたものでありましょうか。
 まあ、後は極楽省から派遣されてきていると云う地蔵局の役人から、極楽の事情を色々聞かせて貰うしかないのでありましょう。その上での判断であります。極楽の実態の方も、娑婆で漏れ聞いていたものとは、少しく違っているような感じでありますし。
「私ばかりがこうして、生まれが日本国で葬儀の宗旨が浄土真宗のこの審問室を何時までも占領し続けているのも、後に待っている亡者連中が長い待ち時間に苛々するでしょうから、ではまあ、ここはこの辺で切り上げるとしますかな」
 拙生はそう云って立ち上がる仕草をするのでありました。
「ええと、お聞きになりたいこちらの事情と云うものは、特にもうありませんかな?」
 審問官が中腰の拙生を見上げながら、念を押すように問うのでありました。
「そうですね、今のところ取りたてて思い浮かびません。もし聞き忘れている事があっても、どうせ閻魔大王官の処で聞く機会もあるみたいですから」
 拙生がそう云うと審問官と記録官が同時に椅子から立ち上がるのでありました。
「では、そう云う事であれば、必要書類を閻魔大王官の方へ回しておきますので、この審問室を出られたら、廊下を右の方にまっすぐお進みになると、閻魔大王官審理室待合所と云う看板のかかった大きな二段折りの観音開きの扉が突き当たりにありますので、そこをお入りになって、ずらっと並んでいる閻魔大王官審理室の前の長椅子に座って、暫しお待ちになっていてください。そう大してお待ちにならない内にお名前がアナウンスされますから、そうしたらその云われた番号の閻魔大王審理室の方へお入りになってください」
 審問官が語尾を口から出し終わらない内に、拙生にお辞儀をするのでありました。記録官の方もほんの一拍遅れて、同じように頭を下げるのでありました。
「判りました。長々と有難うございました。それにコーヒーも結構な味でした」
 拙生は同じ程度に上体を屈しながらそう云うのでありました。
 拙生が部屋を出る時に審問官と記録官は出入口まで一緒に歩いてきて、態々扉を開けてくれるのでありました。それから揃って「どうもお疲れさまでした」と云いながら、またもや深々と揃って律義にお辞儀をするのでありました。
「ああこれはどうも、恐れ入ります」
 拙生は礼を返しながら、手刀を切りつつ扉の外に出るのでありました。
 廊下を右に暫く歩くと確かに、閻魔大王官審理室待合所と大書してある看板のかかった扉に突き当たるのでありました。黒漆塗りで艶やかで荘重な感じの、蓮の花の絵模様が施された扉でありました。二段折り観音開きの片側を引き開けると、扉の荘重さの割には妙に軽々しい、微かな軋みの音がするのでありましたが、それはなんとなく、娑婆の拙生の家にあった仏壇の、内扉を引き開ける時の音に似ていない事もないのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 94 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 待合室にはちらほらと、拙生と同じであろう閻魔大王官の審理を待つ亡者達が、長椅子にぼんやりと座って前に並んだ審理室の扉を眺めているのでありました。拙生も入口から一番手前にある長椅子に座って、その中に加わろうとするのでありました。
 亡者達は夫々離れてぽつねんと座っていて、隣同士で言葉を交わしたり、笑い声等をたてている者は一人もいないのでありました。一応、娑婆で見知っていた誰かがいないものかと、拙生は長椅子に座っている亡者達をつるっと見渡すのでありましたが、覚えのある顔はないのでありました。拙生はちょっとばかり心細くなるのでありました。
 長椅子に座って未だ退屈もしない内に拙生の名前が、天井のどこに設えられているのか判らないスピーカーからアナウンスされるのでありました。その案内の声は拙生に三十五番審理室へ入れと、丁寧な言葉使いで続けるのでありました。
 拙生よりも前にこの待合室に既にいた亡者も在ると云うのに、それを差し置いて拙生の名前が先に呼ばれるのは、些か申しわけないような気がするのでありましたが、この順番の後先は、先程退室した審問室の、担当審問官か記録官の手際に依るのでありましょうか。拙生は記録官の時折見せたきびきびした身のこなしを思い浮かべるのでありました。拙生に先を越された先着の亡者達は、別にそれで気を悪くした様子でもなく、拙生の方には全く関心を向ける事なく、相変わらず黙って行儀よく座った儘でいるのでありました。
 三十五番審理室の扉を押し開けて中に入ると、そこは前の審問室よりも五倍程も大きい部屋なのでありました。奥行きが在って、その一番奥に大昔の中国の、道服風の衣装に身を包んで、頭には「王」と書かれた、これも映画の『三国志』辺りで見た官吏の冠のようなものを被って、しかし妙に痩せて華奢な、顎に白髭を蓄えた老人が、大きな赤い文机を前にして座っているのでありました。どうやらこれが閻魔大王官のようであります。
 前の審問官や記録官が鬼のくせに背広姿だったのとは違って、こちらは如何にも娑婆でお馴染の閻魔大王然としたいでたちであります。その後ろには補佐官であろう五官が控えていて、こちらも道服に夫々違った冠を頭に載せて横並びに起立しているのでありました。
 閻魔大王官から離れて部屋のやや手前の方には、これは多分極楽省から出向してきていると云う地蔵局の役人で、こちらはごく普通の事務机を前に地味な背広姿で、但しネクタイの代わりに赤い涎かけと思しきものをして、横手の壁を背に瞑目して無表情に座っているのでありました。その背広に涎かけ姿の奇異さは、なんとなく拙生を落ち着かなくさせるのでありました。拙生はほんの少し眉根を寄せて、思わず目を背けるのでありました。
 恐らくその奇抜ないでたちは自分が極楽省地蔵局の役人である事を、ここへ入って来た我々亡者に一目で示すための装いの積りなのでありましょう。しかしその意図を納得するよりも前に、いやに的外れで胡散臭気なそのファッションセンスの方に、拙生は何とも云いようのない恥ずかしさと不愉快さなんぞを覚えたりして仕舞うのでありました。閻魔大王官の服装や後ろに並ぶ五官達の服装の方が、大時代的で大向こうウケ狙い的な傾向はあるにしろ、服装全体の統一感と云うところでは余程好感が持てると云うものであります。
 拙生が地蔵局の役人から視線を逸らすと、閻魔大王官と目があうのでありました。閻魔大王官は笑いながら拙生においでおいでをするのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 95 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 拙生はお辞儀をしながら手招きに誘われて部屋の奥に進むのでありました。
「いやいや、ようお出でになりましたのう」
 閻魔大王官はそう云って、未だ手招きを拙生に送っているのでありました。「お手前もこっちに来た早々から、やれ審問だ審理だと、あっちこっちうろうろさせられて気の毒な事じゃが、そう云う手続きがどうしても要るもんじゃから、ま、辛抱しておくれ」
「いやいや、どうも。・・・」
 拙生は閻魔大王官の労いに頭を下げるのでありました。
「まあ、そこの椅子にかけてゆっくりしなされ」
 閻魔大王官は拙生の立っている横の椅子を掌で示すのでありました。
「恐れ入ります。では。・・・」
 拙生は云われる儘に椅子にやんわりと尻を落とすのでありました。
 閻魔大王官は一段高い壇の上にいるので、拙生はやや見上げるようにして赤い大きな文机越しに向かいあうのでありました。
「ワシの、この胡散臭い衣装が嫌に気になるじゃろう?」
 閻魔大王官はそう云って、袖を掴んだ両手を横一杯に張って、自分の閻魔様装束を拙生にお披露目して見せるのでありました。
「いやまあ、その方が娑婆で馴染んでいた、威厳ある閻魔大王然としていらして、なんとなく気持ちの引き締まる思いなんぞいたします」
「そうかい。そう云って貰うと態々こんな重たい衣装を纏って、ここにちんまりと座っている甲斐があるというものじゃわいね。実はワシとしては、ステテコに腹巻なんと云う出で立ちの方が性にあっとるんじゃが、そんな不謹慎な服装じゃいかんと、寄って集って皆に云われるもんでな、それでこんな肩の凝る格好なんぞさせられておるんじゃ。しかしまあ、審問室でも聞いてきたと思うが、審理、なんと云っても、そんなもの形式だけの事じゃし、別にお手前を問いつめたり裁いたりする事は何もしないわけじゃから、至って気楽に、まあちょいと茶飲み話しと云う感じで、ダラっと寛いだ了見でおられて結構じゃよ」
 閻魔大王官はそう云って、口を大きく開けてガハハと笑って見せるのでありました。笑った拍子に覗かせたその歯並びが、見た目の歳の割りには綺麗に揃っていて若々しくて、拙生はこれは屹度入れ歯に違いない等と秘かに思うのでありました。
 笑う時に纏った衣装が上下に揺れるのでありましたが、その左胸の辺りに、安全ピンで止められた名札と思しきものがぶら下がっていて、拙生も同じように上下に顔を動かしながらそれを覗きこむと、香露木跳次郎、と云う名前が、右下がりの癖のある筆記体で書いてあるのでありました。お、審問官や記録官が云っていた、ミスを犯して亡者を困惑させるあの香露木閻魔大王官とはこの御仁かと、拙生はほんの少し瞠目するのでありました。
 事もあろうに、拙生の審理をするのが香露木閻魔大王官であるとは、これは何やら面白い事になってきたと、拙生は秘かにわくわくするのでありました。屹度、何かしらやらかしてくれるであろうと期待出来るわけであります。ひょっとしたら手違いから、拙生は娑婆に戻されるかも知れませんし、それならそれでも別にOKと云うものであります。
(続)

もうじやのたわむれ 96 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「さて、こちらの世の事情やら、それに地獄省、極楽省の大まかな話しなんぞは、審問室で審問官やら記録官から聞いたじゃろうな?」
 香露木閻魔大王官は肘を張った腕を末広がりに広げて、文机の上に掌を着いて、やや上体を前に乗り出して拙生に聞くのでありました。
「ええ、大凡のところは」
 拙生は一つ頷くのでありました。
「地獄もなかなか良い処じゃし、住んでみようかなと云う了見になったかいの?」
「まあ、そうですね。娑婆で聞いていた様相とは全く違っているみたいですし」
 拙生がそう応えると、後方で如何にも大袈裟な咳払いの声が一つ聞こえるのでありました。それは極楽省から出向してきている地蔵局の官吏が発したものでありました。
「なんじゃな、そこのお地蔵さん?」
 香露木閻魔大王官が、視線を拙生の頭越しに地蔵局の官吏の方へ向けて聞くのでありました。一応拙生もふり返るのでありました。
「そう云う、まるで地獄省に住む事を推奨するような云い方を、未だ極楽省の方の紹介も済んでいない内からされるのは、厳に謹んで頂きたいものですな。公平と云う見地からも大いに問題ですぞ、今の発言は。名誉ある閻魔大王官のお言葉とは思われないですなあ」
「おやおや、叱られて仕舞うたわい」
 閻魔大王官はそう云って自分の額を自分の掌で二三度叩くのでありました。
「それに私を、お地蔵さん、なんと云うのは止めて頂きたいものですな。いくら私の名前が、石野地造、だからと云って、それと地蔵局の役人である事を暗にかけて、揶揄するがごときものの云い方をされると、まことに以って心外です。あまりに私を軽んじ過ぎると、私としても極楽省の菩薩庁に、貴方の私に対する態度を報告しなければなりませんな」
「はいはい、それは大いに済まなんだのう」
 閻魔大王官はそう云って拙生を見て、顔を顰めて見せるのでありました。それから殆ど聞こえるか聞こえないかくらいの声で「全くシャレの判らん無粋な涎かけ野郎じゃ」と、独語とも拙生に云うともつかない云い方で宣うのでありました。
「ほんじゃあ、丁度だから、あそこのお地蔵さん、いやいや、地蔵局から来ている石野地造とか云う妙な名前の役人の処へ行って、先ずは極楽の事でもちょっくら聞いてくると良いわい。折角そこへ座ったばかりなのに、また立たせて気の毒じゃがのう」
 閻魔大王官はそう云って拙生を立たせようとする積りか、両掌を上に向けてそれをひょいと持ち上げて見せるのでありました。
「極楽の事でもちょっくら聞いてくる、と云う発言も問題ですぞ」
 石野地造さんがまたもや閻魔大王官の言葉に噛みつくのでありました。「ちょっくら、とか云われると、如何にも短時間に掻い摘んで、極楽省の話しをしなければならないようではないですか。もっと使う言葉に注意を払って頂きたいですな。私の果たすべき職務の上からも、そうはいきませんからな。じっくりと、そこに座っておる亡者が得心いくまで、時間をかけて極楽省の魅力的なところとか、住みやすさについて話しをさせて貰いますぞ」
(続)

もうじやのたわむれ 97 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「ほいほい、ご随意に。たっぷり満足のいくまでやれば良いわい」
 閻魔大王官は些かげんなりしたような口調でそう云って、今まで乗り出していた上体をゆっくり後ろに引くのでありました。
「では私は、あそこの極楽省のお役人さんの処へ行けば宜しいので?」
 拙生は閻魔大王官に聞くのでありました。閻魔大王官はまた何か云って、石野地造さんに絡まれてもつまらないからか、口をへの字にした儘一度頷いて見せるのでありました。
 拙生は椅子から立ち上がると閻魔大王官に一礼して、少し入口の方へ戻って、極楽省の役人の前に立ってから、丁寧にお辞儀をするのでありました。
「では、その椅子に座りなさい」
 石野地造と云う変な名前の極楽省菩薩庁地蔵局の役人は、そう云って机の前の椅子を指差すのでありました。椅子の背もたれに深々と上体をあずけた儘で、拙生を上目でジロリと見る眼つきと云い、拙生に座れと促すその言葉遣いと云い、少々尊大な感じがするのでありました。前の、審問官や記録官の謙った態度とは、まるで違う印象であります。
「では、失礼します」
 事務机を間に挟んで拙生はお地蔵さんこと石野地造さんと向きあうのでありました。
「審問室でもう説明を受けたと思うが、こちらの世の事はもう大凡判っておるな?」
「ええ、まあ大体」
「こちらの世には極楽省と地獄省があって、亡者はどちらに住むか決めなければならんという事情も、もう飲みこんでおるのだな?」
「はい。その手続きで私はここへ参ったわけですよね?」
「まあ、そう云う事だ」
 お地蔵さんは拙生の目から視線を離さないで、無表情に何度か頷くのでありました。なんとなく対抗上、拙生もお地蔵さんの目を見据えるのでありました。別に対抗的な態度をとる必要はないのでありましょうが、拙生はなんか竟、このお地蔵さんの目には対抗したくなるのでありました。友好的な目線とはとても云えないと思ったからであります。
「亡者となる遥か前、娑婆で人間として生きていた頃からずっと、地獄に堕ちるよりも絶対に極楽往生を願っていたに違いなかろうから、地獄省なんかよりも極楽省に住む決心が、もうお前さんは当然のようについとるのだろう?」
 お地蔵さんは拙生の目線に全くたじろいだ風もなく、口の端に笑いを浮かべて、さも拙生の了見等はとっくにお見通しだと云う様な云い方をするのでありました。
「いやいや、未だそう決めてはおりませんよ」
「ほう、極楽往生をしたくない、地獄に堕ちたい、とでも云うのかね?」
「地獄に堕ちる、とか、極楽往生、と云うような表現をされるのは適切ではないと思いますが。極楽省と云う省に住むか、地獄省と云う省に住むかと云う、単なる居住地選択の問題でしょう。前の審問室では、そう聞いてきましたが」
「居住地選択ねえ。ふうん、そうかい」
 お地蔵さんは小さく鼻を鳴らすのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 98 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「まあ、審問室のヤツ等も結局は地獄省の役人だから、何とかお前さんを地獄に勧誘したいと云う了見で躍起になっておるのだろう」
 お地蔵さんはそう云って顔を顰めて見せるのでありました。
「先程、閻魔大王官のお言葉に不公平だとか云って噛みつかれましたが、今貴方が遣われた、地獄に堕ちる、とか、極楽往生、とか云う言葉の方が寧ろ、何やら私の気持ちを極楽省の方へ誘導しようとする、底意みたいなものが仄見える言葉のように思われますね。その方が閻魔大王官さんの先の発言なんかよりも、明らかに不公平でしょう。私にはそう聞こえて仕舞いますが。それに先程までいた審問室での、審問官さんやら記録官さんの言葉なんかは、万事に地獄省優位な説明にならないようにと、かなり細かく気を遣った言葉をお遣いだったと云う印象です。その抑制的な態度に、私は非常に好感を持ちましたけれど」
 別に態々こんな可愛げのない事を云わないでも良いのでしょうが、拙生はなんか竟、お地蔵さんの顔を見ていると、可愛げのない事を云いたくなるのでありました。
「私にお説教するつもりかね?」
 お地蔵さんがムッとして、少々威嚇的な目をして云うのでありました。
「お説教ではなくて、感じた儘を申したまでです」
 拙生の意地っ張りは娑婆にいた時からの持ち前で、これが災いしてつまらない損をした事が多々あったのでありましたが、娑婆を去っても相変わらずのようであります。
「まあ、よかろう」
 お地蔵さんは一度鼻を鳴らしてから、たじろがない拙生に苦笑ってそう云うのでありました。拙生の生意気を寛大にも見逃してくれるようであります。
 なんとなく閻魔大王官の方を向くと、閻魔大王官はニヤニヤしながら拙生とお地蔵さんの遣り取りを見ているのでありました。それからごく控えめな仕草で顔の前に拳を上げて見せるのは、頑張れと拙生を激励してくれているようでありました。別にここで閻魔大王官に激励して貰う謂れはないのでありましたが、しかし明らかに衣装負けの、小さな体躯の老翁が見せる愛嬌たっぷりのその仕草に、拙生は竟笑いを返しているのでありました。
「地獄省は八つの居住地域に分かれていると云うのは、審問室の方で聞いたかね?」
 お地蔵さんが語調を改めて云うのでありました。
「ええ、聞きました。それぞれの特徴と云うのも」
「極楽省は地獄省のようにまったく環境の違う個々の居住地域が、夫々分かれて存立しているなんという事はない。蓮の花が見事に咲き誇る巨大な池をぐるっと巡るように、同心円状に、整然と区画された居住区が何処までも何処までも広がっておるのだよ」
 拙生はそのお地蔵さんの説明に、娑婆の、綺麗に整備された広大な、分譲の墓地公園をふと思い浮かべるのでありました。
「極楽省には地方というものがないのですか?」
「ない」
 お地蔵さんは云い切るのでありました。「極楽省では高い霊格の霊程、蓮池に近い居住区に住んで、霊格が下がる程そこから遠のくような居住制度になっておる」
(続)

もうじやのたわむれ 99 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「霊格、と云うものが居住区を制限するのですか?」
 拙生は問うのでありました。
「当然の事だ」
「霊に格があるのですか?」
「それも当然の事だ。居住霊間に格による序列があってこその統一感、一体感だ」
「極楽省に住む霊は、一律に身分は平等なのではないのですか?」
「そんな事はない。生まれながらに身分は決まっておるわ」
「その身分と云うのか、序列と云うのか、それはどうやって決められているのですか?」
「極楽省への貢献度、というものが名目的には第一で、大体は家柄とか裕福度だな」
「裕福度、ですか?」
「それも当然じゃ」
 拙生は首を傾げるのでありました。まあしかし娑婆で戒名をつけて貰う場合にも、出す金品に依って、文字数が多くもなったり少なくもなったり、院号やら院殿号がついたり、居士やら大姉と云う位号が貰えるのでありましたから、それは確かに裕福度と云うのも、極楽往生の必須条件なのかも知れないとも思うのでありました。
「因みに、娑婆でつけられた戒名とかも、序列の決定に作用するのでしょうか?」
「それはない。そんなものこちらの世とは何の関係もないわ」
 お地蔵さんは無表情の儘あっさりと云うのでありました。
「家柄、と云うのはつまり、どう云う家柄の霊が序列の上位にくるのでしょうかね?」
「まあ、何処までも古く家系を遡る事の出来る家が、由緒正しい家と云う事になるな」
「つまり娑婆で大昔に亡くなった人がこちらで興した家、と云う事でしょうかね?」
「ま、大雑把に云うとそうなる。幸運にもそう云う家にこちらで生まれ直った亡者は、生まれながらにして上位の序列を獲得出来る事になる」
「古い家と云うのは、娑婆で名家と云われていた家がその儘、こちらでも名家になるのではなくて、あくまでもこちらにやって来た時期の古い順と云うわけですね?」
「ま、そうなるな。大雑把ではあるが」
 してみると極楽省で最も良家と云われている家の一つの祖が、類人猿とか云う場合もあるかも知れないし、ひょっとしたら恐竜が興した家とか、古代魚や三葉虫が初代の家とか云う、やけに古い名家があったりするのかしらと拙生は考えるのでありましたが、その辺の事情をお地蔵さんに迂闊に聞いたりすると、屹度不謹慎な戯れ言を云うなとお叱りを頂戴するであろうから、その質問はぐっと飲みこんで、口の外には出さないのでありました。
「序列決定の名目的要件たる、極楽省への貢献度、と云うのは?」
「それは、これも大雑把な云い方をすれば、極楽省の発展に寄与した霊、となるが、要するに大概は極楽省の省家公務員たる我々官吏が貢献度随一とされておる」
「省家公務員、は娑婆風に云うと、国家公務員、と云うことでしょうが」
 拙生はそう云って口を窄めるのでありました。「要するに、極楽省は官僚支配の、厳然たる身分社会、序列社会と云う事なのですね?」
(続)

もうじやのたわむれ 100 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「勿論その通りである」
 お地蔵さんはそう云って堂々と胸を張るのでありました。その如何にもあっけらかんとした胸の反らし具合に、拙生は何やら臍の周りがムズムズするような違和感を覚えるのではありましたが、しかしそのあっけらかんさを、お地蔵さんは端から妙であるとは思いだにしてはいないようでありました。これがまた、拙生の臍の周りをむず痒くさせるのでありました。拙生はお地蔵さんに見えないように、自分の腹に両掌を当てるのでありました。
「極楽省のトップに位する方は、どう云った方なのでしょうか?」
「嘗て遠い昔に、極楽省を実質支配していた阿弥陀庁の大蔵局、建設局、通産局の三つの局の、そのトップを総て経験した跳びっきりの偉い御方がいらして、その御方が国家主席たる、阿弥陀神様仏様王様、と云う終身の地位につかれて専制統治されておられたのだ」
「阿弥陀神様仏様王様?」
 拙生がそう繰り返すと、お地蔵さんは重々しく頷くのでありました。
「しかし名前があんまり長いから、丁度九文字の地位名であるので、阿弥陀九字様、と一般的には云い倣わされておったが」
「阿弥陀くじ?」
「その通り。しかしそんな呼び捨てでは無礼であり無神経であるから、ちゃんと最後に、様、と云う尊称をつけなくてはいかんぞ」
 お地蔵さんが厳めしい顔で拙生を睨むのでありました。
「これは大変失礼を致しました」
 拙生はたじろいだ態で、何度かお辞儀をするのでありました。
「この四万年来、その阿弥陀九字家の直系の子孫が代々、極楽省のトップと云う事になるな。現在は第百九十九代の阿弥陀九字様が君臨されておられる」
「極楽省のトップは世襲制なのですか?」
「その通り。その方が万事につけて単純に、円滑に収まる。勿論裏側で、膨大な数の優秀な官僚たちがその補佐をするわけだがね」
「しかし現代が第百九十九代目で四万年とは、これまた随分長く続く王朝ですね」
 拙生はそう云った後に、王朝、と云う言葉が適切であるのかどうか不安になるのでありました。また不用意な言葉を発したと、お地蔵さんに噛みつかれるのも叶わないですし。
「そう。盤石の支配基盤と巧妙極まりない支配機関を持った、万霊に尊崇心服されるところの見事な仕組みであるからな、この極楽省の統治体制は」
 どうやら、王朝、と云う言葉はそんなに不適切ではなかったようであります。
「中国の漢王朝にしたって、前漢十五代で後漢十四代、四百年と云うところですから、とても極楽省の足元にも及ばない程の長さですね」
「そりゃそうだ、娑婆の人間とこちらの霊とでは平均寿命が格段に違うからな」
「しかしそれにしても、百九十九代、四万年と云うのは途轍もない数字ですね」
「お褒めに与って、かたじけない」
 別に褒めた積りはないのでありますが、お地蔵さんはそう云って頷くのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 101 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 褒めたと勘違いされたた儘では少々癪に障るから、拙生はお地蔵さんの脇腹辺をちょっとつっ突いて、たじろがしてやりたくなるのでありました。
「その百九十九代は長子相続でしょうか?」
「それが原則となっておる」
「中には、男子、或いは子供そのものに恵まれない王様もあったでしょうに?」
「そう云う場合は王様に一番近い血縁者が相続をする事になる」
「まあ、歴史的に見ても娑婆でも王位継承は大体そんな感じだったでしょうが、例えば王位継承時に王様の子供同士でもめたりする事はなかったのですか?」
「ま、ないこともなかったかが、概ね今まではすんなりと継承されてきておる」
 お地蔵さんは屹度、拙生を怖い目で睨みながら「ない!」と断言するだろうと思っていたのでありましたが、ここはあっさりと「ないこともなかった」等と宣うのは、少々意外ではありました。厳めしく装ってはいるものの、根は案外正直な御仁なのかも知れません。
「王様に第一夫人とか第二夫人とか、傍女だの御手付だのがいたりして、その夫々の子供が大勢で王位を狙うなんとなったら、それはもう目の眩むほど複雑な様相を呈して、俄かには収拾がつかなくなったりとかするのでしょうかね?」
「そう云う事のないように、王様は愛妻家であり、しかも婦人は一人だけと決まっておる」
「いや、そう建前上は決まっていたとしても、そこは男女の機微、なかなか傍が思う程上手い按配にはいきませんでしょうに」
「いやいや、我々優秀な官僚が王家も王様の身辺もちゃんと監視、・・・いや、善導して、何事に依らず手際よく取り仕切るから、大事には至る事はない」
「王様と云えども、官僚には従わなくてはならないのでしょうかね?」
「勿論その通り。我々なくして極楽省はどうにも立ち行かん。例え王様が多少ボンクラであっても、・・・いや、多少地位とその資質に齟齬がある御方であっても、我々官僚がそこは強力にコントロールして、・・・いや、サポートして、問題のないように万事取り計らう」
「中国の前漢を簒奪した王莽みたいなのが出てきたりはしませんでしたか、今までに?」
「そんな者の出現を許さないのが、我々官僚の力だ」
「その官僚の中から、簒奪者が現れたりとか。王莽だってそんな感じでしたでしょうし」
「それはない!」
 今度は、お地蔵さんは拙生を睨んで、きっぱりと断言するのでありました。
「しかし今まではなかったとしても、官僚が王様をもコントロールする力を持っているとすれば、今後ないとも限らないではないですか?」
「云っておくが我々は王様をコントロールしているのではなく、サポートしておるのだ」
 お地蔵さんは不快気にそう云って、拙生から目を離すのでありました。「まあ、私が迂闊にもコントロールなんと云う失言をしたからいかんのだが」
「でも、コントロール、と云う言葉を、うっかりだとしても今お使いになったと云う事は、つまりそう云う意識が心底におありになるからではないのですか?」
「そんなものはない!」
(続)

もうじやのたわむれ 102 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 お地蔵さんがそう云って事務机を掌で叩くのでありました。「我々官僚は省家と王家の悠久の繁栄のために、身を粉にして日夜働いておる。そんな不敬極まりのない了見の官僚など、絶対におりはせぬ。妙な云いがかりをつけると、ただでは済まさんぞ」
「ああ、これはどうも申しわけありません。云いがかりをつけるなんという気はさらさら持ってはおりません。お気に障ったならどうぞご勘弁を」
 拙生はお地蔵さんの剣幕にたじろいで、慌てて低頭するのでありました。
「おいおい、閻魔庁の備品を手荒く扱って貰っては困るぞい」
 横あいから閻魔大王官の声が割って入るのでありました。お地蔵さんも拙生も、揃ってそちらに顔を向けるのでありました。
「なんですか突然。横槍を入れるのはルール違反ですぞ、大王官」
 お地蔵さんが閻魔大王官に向かって声を荒げるのでありました。
「いや別にワシは、横槍なんぞを入れておるのではない。あんたはそうやって時々その机をバンバン叩いたりするが、それはアンタの自前のものではなくて、閻魔庁が貸し与えておる事務机じゃからな。もし壊されでもしたらワシが始末書を書かされる事になるんでな、何時もハラハラしておったのじゃ。幾ら自分の物じゃないからと云って、そう手荒に扱わんで貰いたいものじゃな。物は大切に扱えと学校で習わんかったのかい?」
「これは失礼をした。この亡者が妙な云いがかりをつけるものだから竟、昂じたまでです」
 お地蔵さんはそう云って閻魔大王官から視線を背けるのでありました。
「いや、私の云い様が悪かったために、閻魔大王官さんにまでご心配をおかけしたみたいで、まことに以って面目ない次第です」
 拙生は閻魔大王官に恐縮のお辞儀をするのでありました。目を上げると、閻魔大王官はまたしても拙生に、目立たぬように薄笑いながら拳を上げて見せるのでありました。どうやらそんなヤツに負けるなと、激励してくれているようであります。拙生も笑い返して、お地蔵さんに気づかれないように、同じ仕草をしてその激励に応えるのでありました。その拙生の仕草に閻魔大王官は、今度はピースサインを送ってくるのでありました。
「なにをこそこそ、わけの判らん目語をこの亡者と交わしておられるのかな、大王官?」
 お地蔵さんが閻魔大王官を睨むのでありました。
「いや別に」
 閻魔大王官は顔の笑いをほんの少量消してそう云って、自分の前の文机の上から、まるで斜陽が水平線に身を没するような感じで、ピースサインを下の膝の方にゆっくりと隠し去るのでありました。しかも陽炎のようにそれをゆらゆらと揺らしながら。
 それは別に慌ててお地蔵さんの目から自分の手を隠すと云った風情ではなくて、お地蔵さんにも充分見えるように、まるでからかうようにそうして見せるのでありました。この茶目っ気たっぷりの閻魔大王官の仕草に、拙生は失笑を禁じ得ないのでありました。なかなか人を食った、いや、霊を食った、(いや、霊、でいいのかしらこの場合。・・・ま、いいか)、娑婆にいた生意気盛りの高校生のような閻魔大王官の仕草であります。お地蔵さんが小さく舌打ちをしながら、苦々しげに閻魔大王官を一睨みして目を背けるのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 103 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「兎に角、極楽省は代々の阿弥陀九字様を至高の王と仰ぎ、阿弥陀九字家を至尊の家としその悠久の繁栄を願い、それを優秀で清廉潔白な官僚が万全に補佐して省を治め、省霊もこの体制を絶対的に信頼支持して、当然のように献身的に省家のために尽くし、極楽省に在る万霊があらゆる苦悩から解放されて、豊かに幸福に快活に健全に清潔に廊下は静かに、互いに慈しみあって暮しておるそ。全く理想的な、この世の楽土であると云えようかな」
 お地蔵さんはそう云って重々しい仕草で合掌して見せるのでありました。
「この世の楽土は、娑婆から云えばあの世の楽土で、つまり要するに、極楽だ」
「そう云う事である」
「そこは娑婆の極楽観と概ね一致するわけですね、貴方のお言葉通りなら」
 拙生はそう云ってやや口を窄めて、顎を指で撫でるのでありました。
「極楽省に住む霊は皆、特に風呂に浸かった時などに、ああ極楽々々、等と云う言葉が竟口から出て仕舞うくらい、極楽省に住む幸せを何時も噛みしめておるのだ」
 そのお地蔵さんの云い草に拙生は思わず笑いそうになるのでありましたが、ひょっとしたらお地蔵さんは冗談とか軽口の積りでは端からなくて、ごく真面目に、ウケ狙いの意図等微塵もなくそう云っているのかも知れないし、ならば若し拙生がうっかり笑ったなら、またもや不謹慎であると怒られる可能性があるので、そこはグッと口腔の両側壁を奥歯で噛んで、零れる笑いを堪えようとするのでありました。前の審問室での審問官や記録官の気さくな雰囲気は、お地蔵さんからは今のところ全く感じられないのでありましたから。
「中には不満分子みたいな霊が、極楽省にも居るのではないですか?」
 拙生は恐る々々と云った言葉つきでそう聞くのでありました。
「そんな霊はおらん」
 お地蔵さんが言下に否定するのでありました。そのにべもない云い草に、拙生はそんな事もあるまいと内心大いに疑問に思いながらも、その次の言葉を継ぐのを諦めるのでありました。また怖い顔をして怒鳴られたりするのも心臓に良くないでありますし。いや尤も、拙生の心臓はとっくに停止しているから、こうしてここにいるわけでありましょうが。
 いや待てよ、と拙生はふと考えるのでありました。娑婆から去って荼毘にふされて、心臓から何からもう我が身体は綺麗さっぱり消滅しているはずでありますが、こうしてこちらの世に現れた拙生は、ちゃんと娑婆で持っていた物質としての体裁を質量共にその儘保持して、こうしてお地蔵さんの前で小さくなっているようでありますが、この今ここに在る拙生の肉体なんと云うものは、一体全体、どう云う具合のものなのでありましょうや。
 拙生は試しに手の甲を抓るのでありました。痛みがあればこれはもう完璧に、物体として解剖学的に完璧な肉体が蘇っている事になる筈であります。それにそうなれば、拙生は娑婆と同じ肉体を復元保持したまま、人間と云う存在から亡者と云う存在に移行した事になるわけであります。どうした按配ですっかり消滅したはずの、娑婆的なあまりに娑婆的なこの肉体が、また元通りに復元されたのでありましょうや。この辺の絡繰りはいったいどうなっているのでありましょうや。この点もちゃんと、先の審問室で審問官か記録官に聞いておけばよかったと、拙生は我が持ち前の迂闊さにげんなりするのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 104 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 痛みが、全くないのでありました。抓った手の甲はその部分が赤くなるわけでもなく、抓られた事を無視するように白っとした儘なのでありました。と云う事はこの手の甲には血の気がないと云う事でありましょうし、神経も通っていないのであります。
 つまり矢張り、この今の拙生の肉体てえものは、娑婆で持っていたものと瓜二つではあるものの、その組成が全然違っていると云う事でありますか。単にこちらの世に生まれ変わるまでの、要は閻魔庁の審理の結果が出るまでの、個体識別のためだけに、全く便宜的に、娑婆で持っていた肉体の外観が復元されているだけと云う事なのでありましょうか。
「どうした、急に黙りこんで?」
 お地蔵さんが拙生に聞くのでありました。
「いや、別に。・・・」
 拙生はおどおどとそう云うのでありました。お地蔵さんに今の疑問を聞き質しても良いのでありましょうが、拙生はなんとなく気後れするのでありました。余計な事を聞くなとまた怒鳴られたりすると、この、娑婆の時とは多分組成の違う、痛む事も傷つく事もない拙生の今の心臓にも、ひょっとしたらあんまり良くはないでありましょうし。
 いやそもそも、この拙生の今の肉体に、心臓なんと云う臓器が果たしてあるのでありましょうか。心臓どころか、この拙生の姿が、物体として解剖学的に完璧な人体として本当に復元されているのでありましょうか。まあ、色々考えたり他人の、いや他霊の云ったことが呑みこめたりはするのでありますから、脳らしきものはあるのかも知れませんが。・・・
「また黙って仕舞って、何が、別に、だ」
 お地蔵さんの無愛想な声が、拙生の思念の中に無遠慮に押し入ってくるのでありました。拙生はその声に改めてげんなりするのでありました。矢張りこう云った疑問をお地蔵さんにぶつけるのは、これはどうやら控えておいた方が無難なようであります。このお地蔵さんとの話しが片づいたら、後で閻魔大王官にでも聞いてみればよいでありましょうし。
「極楽省の統治形態は、阿弥陀九字王を専制君主と崇める、絶対主義体制と云う事ですね?」
 拙生は話しを元に戻すのでありました。
「その通りである」
「国土、じゃなくて省土の地形としては、蓮の花の咲く池を中心に、綺麗に区画された居住区が同心円状に何処までも果てしなく広がっているのですね?」
「それもさっき云った通りである。尤も、果てしなく、という表現は些か不適当であろうな。幾ら極楽と云えども、省土には限りがある」
「ああそうですか。しかしまあ、そうなると極楽省は途轍もなく広大な平野、と云うイメージで宜しいのでしょうかね?」
「まあ、身分の低い霊が住む辺境に至れば、そこは山あり谷あり川あり湖あり砂漠ありで、区画にもでこぼこが生じて、まん丸の同心円の儘と云うわけにもいかんがな。しかし身分の高い霊が住む中心部は、広大な平野と云っても差支えなかろうな」
「その、中心の蓮の花の池と云うのは、どのくらいの大きさの池なのです?」
「まあ、娑婆で云うと、猪苗代湖ぐらいであろうかな」
(続)

もうじやのたわむれ 105 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「猪苗代湖ぐらいとは、思ったより小さいのですね」
 審問室で、三途の川が娑婆の長江の約四十倍の川幅とか、地獄省の太平江がそのまた四十倍なんと云う途方もない数字を聞いていたものだから、拙生はその蓮の花の池についても、なんとなくとんでもない大きな数字を予想していたのでありましたが、娑婆の猪苗代湖程度と云う大きさであるとは、少々物足りない気がして仕舞うのでありました。
「その蓮の花の池には中心部に丸い島が浮かんでいて、そこには王宮やら、中央官庁やらがあって、それに我々高級官僚の特別居住区にもなっておる。まあ、他の霊が立ち入る事の出来ない極楽省の政治的な中枢部である。別天地じゃな、云ってみれば」
「ふうん。一般の霊が住む居住区とその政治的中枢部を分ける、広大なお堀のような役目をしているのですね、その池が?」
「まあ、そうなる。一般居住区とは片道五車線の広くて長い跳ね橋で繋がれておる」
「お堀に囲まれた孤島に極楽省の中枢があって、世間とは跳ね橋一つによって繋がれていると云う事は、つまり、不満分子の攻撃とか反乱に備えて、と云う事でしょうかね?」
「先程から不満分子等、極楽省には一人だにおらんと云っておるではないか。何度も同じ事を云わせるな。不満分子がいないのに、反乱などが起ころうはずもない」
 お地蔵さんがまた拙生をたじろがそうと、怖い目で睨んで声を荒げるのでありました。
「しかしそうなら、そんな如何にも用心の良い処なんかに、極楽省の中枢部を設ける必要なんかないではありませんか?」
「あくまで身分や家格による区別、それに役所仕事の機密性を考えての事である。それに、将来立派な一廉の霊になって、何時かはあの島の中に住めるように頑張ろうなんと、池の対岸で中枢部を眺めながら、将来の栄達を願う若い霊達の励みにもなろうと云うもの」
「ふうん。そんなもんですかねえ」
「そんなもんである」
「極楽省は先進工業省なのでしょう?」
「勿論そうである」
「それなら、大工場地帯とか大商業地域なんと云う産業に関わる地区とか、居住霊が集まる繁華街なんかは、同心円の居住区とは別に、どこかに別誂えにあるのでしょうかね?」
「いや、夫々の居住区の中にある。居住区と云っても娑婆の町内とかご近所みたいな感じではなくて、一区画の居住地が霊口五十万から百万と云う数字であるから、お前さんがイメージしている程度の広さとは恐らくわけが違うであろうな」
「霊口五十万から百万となると、娑婆で云えば大都市ですね」
「そう。少ない霊口の居住地区でも、娑婆の八王子市とか長崎市の規模となる」
「八王子市とか長崎市、ですか」
 拙生はお地蔵さんがどうして、娑婆の数多ある人口五十万クラスの都市の中で、あんまり関係のなさそうなその二つの市をここで態々例として持ち出したのか、ちょっと興味をそそられるのでありました。しかしお地蔵さんからは依然として気さくな風情が全く感じられないのでありましたから、それを聞く勇気は到底湧いてはこないのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 106 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 そうなると前の審問室にいた審問官と記録官の気安さが、妙に懐かしくなると云うものであります。閻魔大王官にしても、未だそんなに会話を交わした事はないのでありますが、仄見せるその愛嬌たっぷりの仕草とか、拙生に話しかける時の気楽な口調とかは、お地蔵さんの過剰にも見える威厳で鎧おったもの云いぶりやら、態と取りつきにくくしているような無愛想さに比べれば、全く以って好印象云うべきものでありましょう。
 極楽省の官吏なんと云うものは皆、このお地蔵さんみたいなタイプが多いのでありましょうや。こう云った連中が統べる省は、なにやら如何にも住みづらそうだと拙生は考えるのでありました。まあ、他の多くの極楽省の官吏は違っているのかも知れませんが。
「ここでまた、なんで八王子市と長崎市を例に出したのか、なんと云う下らない質問をしてはならんぞ。単に今ふと思いついただけなのだからな。お前さんはこちらの言葉の瑣末な部分に妙に拘って、肝心な内容をちゃんと聞こうとしないところが間々見受けられるが、それは改めた方が将来の身のためだぞ。一応老婆心から云っておくが」
 お地蔵さんは拙生の心中を読んでそう窘めるのでありました。お前さんの考える事なんぞはとっくにお見通しだと、先回りして拙生を怖れ入らして、自分が如何に隙のない、侮り難い存在であるかを拙生に暗にアピールしているようであります。ま、ご指摘の件はその通りなのでありましたが、拙生は恐れ入るよりはげんなりするのでありました。
「居住区域の中に、そこに住む霊達の衣食住環境とそれに職が完備しているわけですね?」
「そう云う事である」
「と云う事は、自分の住んでいる居住地区の中で、総てが完結出来るようになっているのだから、自由に他の地区に移動したりは出来ないのですか?」
「移動は自由である。一週間以内の宿泊を伴う旅行も。違う居住地区に親類が住んでいる場合もある故にな。しかし居住に関しては、身分や家格によって居住地が決められている以上、社会秩序維持の観点から制限があるのは当然の事である」
「辺境に住む霊は生涯、辺境で自分の一生を送るのですか?」
「そんな事はない。極楽省に貢献して身分や家格を上げたり、我々官吏の覚え目出度い事を大いに行えば、蓮の花の池に近づく事も出来る。本人の、いや、本霊の努力次第である」
「大いに出世された霊の例も、多々あるのですか?」
「霊の例? まあそれはいいとして。・・・多々、と云う程ではないが、まあ、ある」
「要するに大多数の一般庶民、いや庶霊は、生まれた地域で生涯を終えるのですね?」
「それが一般的と云える」
「ふうん」
 拙生は顎を突き出して口を尖らせるのでありました。「審問室で、極楽省と地獄省間の旅行は出来ると聞いてきましたが、極楽省内の居住地区間の旅行でも一週間以内と云う制限があるのですから、地獄省への旅行となると、もっと厳しい制限があるのでしょうね?」
「地獄省に旅行する事の出来る霊は、蓮の花の池を中心とする同心円の二重目までの居住地区の霊に限られておる。そこまでが優等霊居住区となるからな」
「それより外側に住む霊は、地獄省への旅行の自由はないのですね?」
(続)

もうじやのたわむれ 107 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「当然である。第一、二重目までの居住地区の霊以外は、そんな省外旅行なんと云う贅沢が出来る程の収入なぞはない」
「省外旅行が出来る程の収入がない?」
「いや、だからと云って多くの省霊が貧乏だと早合点してはいかんぞ。省霊は贅沢をしなければ、充分満ち足りた生活が自分の居住地区の中で送れるのだよ。まあ、省外旅行となると航空運賃は高いわ、最近は燃油サーチャージなんという頭にくる追加料金まで取られるわで、極めて贅沢な道楽となっとるのだよ。それに先ず以って、極楽省の総ての省霊は極楽省の事が大好きであるし、極楽生活に満足しておるから、態々地獄省なんぞに旅行したいと云う気が起こらんのでな。誰が好き好んで、地獄くんだりに行くものか」
 お地蔵さんがそう云って鼻を鳴らして顰め面をして見せるのは、拙生の質問が少々疎ましくなったからでありましょう。
「極楽省の総ての省霊が極楽省の事が大好きとか、極楽生活に満足しているとか、地獄省に行きたいと云う気が起こらないとか、どうして判るのです?」
 拙生は構わず質問を続けるのでありました。
「そんな事は当然であるからだ」
「当然であると云われますけど、実際に匿名での意識調査とか、電話での聞き取りサンプル調査なんかで確かめた事はないのですか?」
「そんな無粋な事はせん」
「だったら、どうして当然だと云えるのです?」
「それはもう、考えるまでもない自明の事だからだ」
 お地蔵さんは苛立たしそうに云うのでありました。
「つまり当然と断言出来る明白な根拠は何もないと云う事ですな。そうしてみると、私としては俄かには、あなたの云う事を鵜呑みに出来ないじゃないじゃないですか」
「お前さんだって娑婆にいる時に、態々地獄に行きたいと思った事等ないであろうに?」
「そりゃそうです。他のヤツに対しては地獄に堕ちろと思ったりした事がありましたが、自分が地獄に行きたいとは確かに思いもしませんでした」
「そうだろうな。だから自明の事と云っとるのだ」
「しかしそれはこちらの世の地獄やら極楽やらの実相を知らなかったからで、その事と実際のこちらの世の極楽省に住む省霊が、地獄へ行きたくないと思っているかどうかは全く別の話しであって、貴方の説を証明する根拠にはならないでしょう」
「お前さんもしつこいな」
 お地蔵さんが語気険しく云って、拙生を怖そうな目をして睨むのでありました。「ここでくだくだしい議論を、お前さんと闘わす気はないからな。げんなりだ。お前さんはこちらの極楽案内を、黙ってああそうですかと聞いていればそれで良いのだ」
「極楽省の実相について有耶無耶な点を、前の審問室で審問官さんや記録官さんにしたように、聞き質してはいけないのでしょうか? 」
「聞き質しても構わんが、一々繰り言みたいに話しの細部に引っかかるなと云っておる」
(続)

もうじやのたわむれ 108 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「私は繰り言を云っているのではないし、話しの細部に引っかかっているのでもなくて、素朴な疑問を呈しているだけですよ」
「なにが、素朴な疑問だ。こちらにしてみれば、間抜けな疑問だ、そんなもの」
 拙生はそのお地蔵さんの言葉にムカッとくるのでありました。お地蔵さんから外方を向くために顔を横に回すと、閻魔大王官が目に入るのでありました。
 閻魔大王官は無造作に顎に二本指を当てて、薄目を開けてこちらを見ているのでありました。この顎に当てた二本指は、能く々々見れば、ピースサインになっているようでありました。屹度間違いなく、拙生に秘かに送るピースサインに違いありません。ここでも閻魔大王官は拙生に頑張れと、激励を送ってくれているのでありましょう。拙生はその激励のお返しに、閻魔大王官に向かってニンマリ笑い顔をして見せるのでありました。すると閻魔大王官も、同じようにニンマリと愛嬌たっぷりに笑い返すのでありました。
「まあ、いいや」
 拙生はそう云いながら、またお地蔵さんの方へ顔を戻すのでありました。「ところで極楽省と地獄省の境界はどうなっているのです?」
「極楽省の東の際には真っ直ぐ南北に広大な河が流れておる。この河は往生海と云う名前があって、その川幅のセンターラインが極楽省と地獄省の省境となる。お前さんはこちらの世に来る時三途の川を渡って来たと思うが、その往生海は三途の川の川幅の百二十倍の広さがある。ちなみに往生海と云うが、それは海ではなくてあくまでも河だ」
「してみると、その往生海の向こう岸と云うのが、地獄省の、北が合衆群地方で南が無休地方となるのでしょうね屹度」
 拙生は審問室で審問官が描いてくれた、手描きの地獄省の省界地図を思い浮かべているのでありました。地獄省の西端域は合衆群地方と無休地方であったはずであります。
「その通りである」
「西の端はどうなっているのですか?」
「西の端も往生海が省境である。往生海は経度線に沿ってぐるっと円環しておる」
「経度線ですか。娑婆の、地球儀の経度線みたいになっているわけですか?」
「そうである。往生海で区切られたその球面の半分が極楽省である」
「その往生海の向こう側は?」
「そこは準娑婆省となる」
「極楽省は東を地獄省に、西を準娑婆省に接しているのですね?」
「地理的にはそうなる。しかし極楽省は準娑婆省とは省交を持たないし、一切の交流を断っておる。上品で高貴な極楽省は、あんな胡散臭い低劣な省とはつきあわないのだ」
「省交、と云うのは、国交、ですね、娑婆で云えば?」
「正解である」
 お地蔵さんは厳めしくそう云って、愛想のピースサインもなにもしないのでありました。拙生は審問室にいた審問官と記録官が、またも恋しくなるのでありました。このお地蔵さんの愛想のなさと云ったら、一体全体どう云うつもりなのでありましょうか。
(続)

もうじやのたわむれ 109 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 それはさて置くとして、極楽省が、往生海と云う広大な球面を一周する経度線のような河川で地獄省と区切られ、地獄省と準娑婆省の間はその往生海北部から発して南部に至る半径状の三途の川が国境、いや違った、省境となっていて、準娑婆省と極楽省の間にはまた球面をぐるっと回ってきた往生海が横たわっていると云う、こちらの世界全体の地図、いや地球儀のようなものを拙生は頭の中に描くのでありました。矢張り『我々は宇宙人だ』の法則によって、こちらの世界も娑婆同様に、球体の表面で営まれているようであります。
 と云う事はこちらも広大な宇宙の、無数にある銀河団の中の一つの銀河、その銀河中の太陽系の中にある一つの惑星と云う事でありましょう。地球の置かれている環境と同じであります。いや、宇宙とか銀河とか太陽系とか惑星とか地球とか、そう云う名称ではないかも知れませんが、兎に角、状況は同じのようであります。ただこちらは、娑婆に生きていた人間が皆でやって来て、人間より約十倍の寿命を有する霊となって住んでいるわけでありますから、地球よりはもっと大きな惑星でなければ収容出来ないかもしれませんが。
「こちらの世が表面で展開されているところの、球体の名前は、なんと云うのでしょうか? 娑婆の場合、それを地球なんと呼んでおりましたが。」
「それは天球と呼ばれておる」
「連休、ですか?」
「天球だ」
「ああ、天球ね。なんか宇宙そのものの呼称みたいですね。まあ、それは仮想の球面でしかありませんが。しかしなんとなく、紛らわしい名前がついているのですね」
「紛らわしくはない。こちらでは初めからそう呼んでいるのだからな」
「ああ、それはそうですね。娑婆から来たばかりの私には紛らわしいですが、こちらにいらっしゃる皆さんにとっては、特に紛らわしくはないか」
 拙生は頭を掻くのでありました。
「太古の昔に於いては、万物は地面から生えてくると考えられていたから、産球、とも呼ばれておった事がある。今も時々そう呼ばれる場合もある」
「サンキュー、ですか?」
「いや違う。産球だ。一々そう云った鬱陶しい冗談を云わないで宜しい」
 拙生は叱られるのでありました。
「しかし、話しはちょいと脇に逸れますが、こちらの世には河川ばっかりあって、海と云うものがないと云うのが、実は私には驚きです。審問室でもちらとそう思ったのですが、その時は審問官さんにも記録官さんにも聞きそびれて仕舞いましたがね」
「海は必要がないから、こちらの世には存在しないのだ」
「海は生命の発生する褥なのですがね」
「こちらでは生命は発生する必要がない」
「ああそうか。あらゆる向こうの世の生命が、むこうを引き払ってやって来ているんだから、こちらで独自に発生して進化する生命体は必要ないと云う按配だ」
「その通りである」
(続)

もうじやのたわむれ 110 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「娑婆で云う、宇宙、というのも、こちらでは違う名称となる」
 お地蔵さんが重々しい物腰で云うのでありました。
「どう云う名前なのですか?」
「それは、基宙、と呼ばれておる」
「忌中?」
「いや違う。基宙、だ。この世に在る総ての母なるものであるから、母宙、とも云われる」
「喪中、ですか?」
「いや、母宙、だ。そのような冗談はよせと云っているではないか」
「忌中に喪中ね。確かに同じような意味だ」
「いや、基宙に母宙だ」
「では銀河は?」
 拙生はなんとなく面白くなってきたので質問を重ねるのでありました。
「捻河、となる」
「年賀?」
「いや違う。捻河、だ。何度も云うが、不謹慎な発言は控えろ」
「太陽は?」
「これは、炎炉、である」
「遠慮?」
「違う。炎炉、だ。炎の炉だよ。なんかそんな感じだろうが」
「惑星は?」
「柵星、だな」
「作成?」
 拙生は大袈裟に、手を翳した耳をお地蔵さんの方に近づけて聞き返すのでありました。
「いや。柵星、だと云っておろうが」
 拙生は少し黙ってから、なんとなくそれを続けて云うのでありました。
「母宙につき捻河の儀はご炎炉申し上げます。・・・」
 拙生は云った後にまた叱られると思って、反射的に首を竦めるのでありました。
「なんだそりゃ?」
「いや、なんでもありません」
「わけの判らない戯れ言を云うな。しかし因みに聞くが、最後の柵星はどうなった?」
「いや、そう云う喪中葉書きをパソコンで柵星した、と云うところでご勘弁を。・・・」
「この大馬鹿野郎!」
 拙生はお地蔵さんに怒鳴られるのでありました。
「どうも済みません」
「馬鹿々々しいにも程があると云うもの」
 お地蔵さんはそう吐き捨てるのでありました。前の審問官や記録官のように、お地蔵さんにはこう云った下らない地口遊びを面白がるような性情は、毛程もないようであります。
(続)

もうじやのたわむれ 111 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 拙生はこれ以上お地蔵さんと話しを続けるのが、妙に億劫になってくるのでありました。極楽省の事にしても、この先実相を様々聞いたからと云って、拙生にはあんまり魅力的な処には思えないでありましょうし。ここは最後に、大いにお地蔵さんに怒られて、さっさとこの事務机の前から去った方が、精神衛生上得策と云うものであります。
「まあ、極楽省の事情は大体判りました」
 拙生は話しを切り上げるためにそう云うのでありました。
「未だ、極楽紹介のさわりしか語ってはおらんのに、何が大体判りました、だ。それだけを聞いて極楽省の事が判った等とは、お前さんはかなりおっちょこちょいのようだな」
 お地蔵さんが拙生の言葉にいちゃもんをつけるのでありました。
「いやもう、それ以上は結構ですよ」
「これから縷々極楽省の素晴らしさを、つまり、万事が地獄省なんかに比べて先進的である事とか、国力、いや、省力に大差がある事とか、阿弥陀九字王の英明さであるとか、我々官吏の優秀さであるとか、人材、いや霊材の豊富さであるとか、省土の住みやすさであるとか、どんな身分の省霊も贅沢をしなければ幸福で安楽に暮らせる、その仕組みであるとか、色々紹介せねばならん事があると云うのに、お前さんはそれが聞きたくはないのか?」
「なんかもう、それ以上聞いても私には無意味なような気がします」
 拙生はそう云って小さい欠伸をするのでありました。その拙生の態度にお地蔵さんの眉尻がピクンと動くのでありました。しかしもう拙生はたじろがないのでありました。
「これは異な事を云うな。娑婆にいる時には極楽往生を願っていたであろうに、それがここにきて急に宗旨替えか?」
「今までの貴方のお話しを聞いていると、極楽省は住むにはなんとなく窮屈で陰鬱な処のような気がしてきました。まあ本当は、極楽省は素晴らしい楽土であるのかも知れませんが、しかし貴方かのお話しの仕方では、その魅力がさっぱり伝わってきませんしね」
 お地蔵さんの眉尻がまた、ピクンピクンと二度動くのでありました。
「この吾輩の話し方に問題があるとでも云うのかね?」
「貴方の話しぶりは、審問室での審問官さんや記録官さんに比べると、なんかげんなりする程居丈高ですし、閻魔大王官さんの軽い一言には大いに噛みつくくせに、ご自身の明らかに不当と思える発言には全く無頓着だし、そう云う方が高級官吏として極楽省を統べているとなると、多分省霊に対しても、特に下級身分の省霊に対して、生活上の一々に細々とした干渉をしているのであろうし、そのくせ上級身分の省霊や裕福な省霊に対しては、なんでも大目に見るのであろうし、貴方がた官吏は放漫なくせに傲慢であろうし、まあ、そんな印象をしか持てませんからね。だから私には窮屈で陰鬱な省のような気がします」
「そんな事があるものか。極楽省は本当に素晴らしい省なのだ」
「その素晴らしい省を統べる官吏の貴方がそれでは、その素晴らしさも伝わりませんよ」
「吾輩は誠心誠意、丁重にお前さんと対しておるつもりだが」
 こんな言葉をしゃあしゃあと吐くとは、このお地蔵さんは拙生を端から舐め切っているのでありましょうか。こりゃ到底会話にならんと、拙生はため息をひとつ漏らすのでありました。その漏らした溜息の作用なのか、拙生の頭の中のなにかの線がぷつんと切れる音がするのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 112 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「一つお聞きしますが、貴方は娑婆から来たばかりの、未だ極楽省の省霊でもない私に対して、何がしかの権限を行使する力とか権利のようなものをお持ちりなのでしょうか?」
 拙生はやや眉根を寄せて両目を細めて、冷えた声でそう聞くのでありました。
「いや、そんなものは持ちはせん」
「ではここでこうして向かいあっているお互いの立場は、対等と云う事ですかね?」
「ま、そうなる」
「だったら、おいこら! 言葉遣いと態度にもうちっと気をつけやがれ、この木端役人」
 拙生はいきなり尻を捲るのでありました。お地蔵さんは一瞬拙生の語勢に怯むような表情をした後、すぐにそれを取り繕うように目を仁王様のように怒らせるのでありました。その大きく見開かれた瞼の中の目玉に、赤い細い雷の軌跡のように走る血管が、何本もくっきり浮き出るのでありました。顔色が、涎かけの色と同じになるのでありました。
「何だと!」
 お地蔵さんは両の掌で事務机を力一杯叩くのでありました。すかさず拙生も対抗上、より大きな音をさせて机を両手で同じように叩くのでありました。お地蔵さんはその音にたじろいで、反射的に身を後ろに引くのでありました。
「何だも神田もねえ! 下手に出ていればどこまでも調子に乗りやがって、冗談じゃねえ。何様のつもりでいるんだ。立場が対等なら、何も涎かけ野郎に謙る筋合いはないわ」
 拙生は椅子から立ち上がって右手で拳を作り、机越しにお地蔵さんの涎かけのかかった胸倉を掴もうと、左手を伸ばすのでありました。
「暴力はいかんぞ、暴力は!」
 お地蔵さんは拙生の左手から逃れようと、もっと後方に身を逃すのでありました。お地蔵さんの座っている事務椅子の背凭れが、悲鳴のような軋む音を立てるのでありました。
「おいおい、閻魔庁の備品を手荒く扱うなと、さっきから云っておるじゃろうが」
 閻魔大王官の声が、緊張した拙生とお地蔵さんの間に割って入るのでありました。それから手を上げて、後ろに控える五官にサインを送ると、その合図にすぐさま反応して五官が皆、纏っている大時代的な装束が機敏な動きを邪魔するのももどかしそうに、それでも案外きびきびと、小走りでこちらにやって来るのでありました。
 立ち上がった拙生の横に二人、いや二霊、背後に一霊、それから座っているお地蔵さんの左右に夫々一霊立って、そう云う陣形で彼等は仲裁に当たろうとするのでありました。
「亡者様、どうか一つ、冷静にお願い致します」
 拙生の右横に立った一番年嵩らしい補佐官が辞を低くして、手に持った巻物を拙生の二の腕に軽く当てながら云うのでありました。その困惑したような表情には、拙生に対する対抗的な色は全く見られないのでありました。審問室での審問官や記録官と同じような、ごく謙った親和的な態度であります。目をパチパチして本当に困っているようなその表情を見ていると、拙生の怒気はあっさり萎えて仕舞うのでありました。
「ああいやどうも、迂闊にも取り乱して仕舞いました」
 拙生は苦笑ってそう云いながら、ゆっくりと椅子に再び腰かけるのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 113 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「早速にこちらのお願いをお聞き届け頂いて、有難うございます」
 拙生に声をかけた右横の補佐官がそう云って拙生に頭を下げると、他の補佐官も全員揃って拙生にお辞儀をするのでありました。それからお地蔵さんの右横に立った補佐官が、腰を屈めてお地蔵さんに何事か耳打ちするのでありました。お地蔵さんは険しい顔をして拙生の方に視線を投げながら、その耳打ちに何度か頷いて見せるのでありました。
「では、補佐官の進言もある事だし、暫時休憩を入れるとしよう。その間、お前さんは今さっきの不謹慎な態度を、しっかり反省しておくんだな」
 補佐官の口が耳から離れるとお地蔵さんは敵意の籠った目で拙生を睨みながら、そう冷えた調子の声で云うのでありました。拙生はなにか云い返そうと思うのでありましたが、それでまた事が荒立つと、補佐官達にも閻魔大王官にも迷惑がかかるだろうと思い直して、お地蔵さんを無言で睨み返すだけにするのでありました。
 お地蔵さんは立ち上がって、大袈裟な仕草で涎かけの乱れを直すのでありました。それから拙生を不愉快気な顔をして睨み下ろしてから、すぐにプイと憎々しげに目を逸らして、机の上の書類束を掴むとその儘拙生に背を向けるのでありました。
 審理室の横手の壁、つまりお地蔵さんが背にして座っていた壁には、壁と同じ色をした、目立たない小さな扉がついていて、お地蔵さんはその扉を押し開けて審理室から姿を消すのでありました。扉の向こうは、お地蔵さんの控室にでもなっているのでありましょうか。
 お地蔵さんがいなくなると補佐官達は拙生の傍を離れて、また閻魔大王官の後ろにゆっくり歩いて戻るのでありました。
「おい亡者殿、そこでぽつんと座っていても手持無沙汰じゃろうから、こっちにおいで」
 補佐官達が元いた立ち位置に戻ると、閻魔大王官が手招きしながらそう拙生に声をかけるのでありました。確かにここに離れて座っていても、別にお地蔵さんの指示を守って先程の態度を反省するわけでもない拙生は、当面何もする事がないのでありましたから、そのお言葉に甘えて、椅子から立ち上がると閻魔大王官の前に移動するのでありました。
「お手前もなかなか、威勢の良い真似をするものじゃなあ」
 閻魔大王官はそう呑気そうな声で云いながら、拙生に前の椅子に座れと手で示して、その後長い顎髭を何度か悠然と扱くのでありました。
「どうも、了見違いの無粋な真似を仕出かしまして、慎に面目ありません」
 拙生は頭を下げるのでありました。
「いやいや、結構な啖呵を聞かせて貰って、大いに胸の空く心地じゃったぞ」
 閻魔大王官は少々高い声でヒヒヒと笑うのでありました。「そいで、もしなんなら、別の地蔵局の役人に、極楽の紹介役を代わってもらうように手配して差し上げようかの?」
「地蔵局のお役人さんは複数いらっしゃるのですか?」
「そうじゃ。ここの審理室の数の分、それに交代要員も含めてえらい大勢でこちらに来ておるわい。なんでも極楽省の地蔵局では、この閻魔庁への出向勤務はえらく高額の手当てが支給されるらしいぞい。それに滞在費も地蔵局持ちで、宿舎はこちらが用意するから、連中はこちらにいる間、びた一文も身銭を切る必要がないと云う按配になっとる」
(続)

もうじやのたわむれ 114 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「そう云う優遇される立場に在るから、公務員としての奉仕的な感覚が鈍って、ああやって、傲慢な口の利き方やら不敵なふる舞いをして仕舞うのでしょうかね、あの方は?」
「まあ、そう云うところもあるかも知れんな。しかし極楽省の役人なんと云うものは、大体あんな風な手あいが多いぞい。なにせ向こうは役人天国じゃからな」
「キリスト教かなにかの審理室だったら、極楽を天国と云い換えるのでしょうが、ま、そうすると文字通り、役人の天国というわけですかな、極楽省は」
「そうそう。そう云う事じゃわい。尤も、キリスト教の場合は、審理室、とは云わずに、審判室、となるのじゃがな。一応念のため教えて進ぜるが」
「ああ、成程」
 拙生は顎を撫でながら頷くのでありました。
「そいで、どうするかいね、他の地蔵局の役人を呼んで上げようかね?」
「あのお地蔵さん、いや、ええと石野地造さんでしたかな、あの方よりは少しは話しが出来るような方が、他にいらっしゃるのでしょうかね?」
「ま、ちいとはマシなのもおるにはおるが、しかし押し並べてあの連中は、ああ云った無神経なタイプが揃っておるかな。結局どいつもこいつも五十歩百歩と云うところかいの」
「だったらもう、地蔵局の方を呼んでもらうには及びません」
「ああそうかいの。呼ぶとまたお手前、威勢の良い啖呵を切る事になるかも知れんしのう」
「そう云う無粋な真似を仕出かす可能性は、大いにあります。どうも娑婆にいる時から、ああ云った端から高飛車なもの云いをする手あいは大の苦手でして」
 拙生は顰めた顔の前で、掌をゆっくり数度横にふるのでありました。
「まあ、そうするとじゃな、極楽に行きたいと云う希望を、お手前はもうなくしたとワシは判断して良いのかいな、地獄の方に決めたと?」
「はい、それで結構です」
 拙生があっさりそう云うと、閻魔大王官は文机の脇に置いてあるブザーを押すのでありました。すると何処からか控えめな音量でファンファーレが鳴って、拙生の頭の上に紙吹雪がちらほらと舞い落ちるのでありました。同時に閻魔大王官の後ろに控える五官が、小声で歓声を上げながら一同打ち揃って拍手をするのでありました。ふと天井を見上げると、小さなくす玉が吊るしてあって、それが割れたので紙吹雪が落ちてきたようであります。
「ようこそ地獄省へ!」
「我々は貴方のご決断を!」
「大いに歓迎いたします!」
「あなたの地獄省での新生活に!」
「幸多かれと!」
 これは五官が夫々順番に、拙生に向かって並べたかけあい科白であります。その後五官が打ち揃って、閻魔大王官も加わって、一同で「あな嬉しや、嬉しや!」と三回繰り返すのでありました。これはどうやら亡者が地獄省を選択した場合に行う、お決まりの愛想の口上のようであります。拙生はこの予期せぬ儀式に、秘かにたじろぐのでありました。
(続)

もうじやのたわむれ 115 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「極楽省には未練は全くないのかいの?」
 再度の一同の拍手で儀式を終えた閻魔大王官が、拙生に聞くのでありました。
「なんかさっきの話からすると、極楽省は住むには色々窮屈な処のようで。私としてはあの世に行ったら安らかに過ごしたいと、娑婆でも考えておりましたしね」
「あ、成程ね」
「極楽省では実際のところ、お地蔵さん、いや、石野地造さんは皆幸福に暮らしているみたいな事を仰っておられましたが、あんな厳格そうな身分制度と王様と官僚の強権支配体制の中で、一般の省霊は心の中では不満とか閉塞感とかを感じていないのでしょうかね? まあ、閻魔大王官さんにこんな他省の事を聞くのは、本当は筋違いなのかも知れませんが」
「お手前に関してはもう、地獄省に住む事をお決めになったわけじゃから、今更極楽省に忠義立てして、その件に関しては立場上ワシの口からはなにも云えんなんぞと、愛想のない事も云わんでもよかろうからぶっちゃけるがな」
 閻魔大王官はそう云って身を乗り出して拙生の方に顔を少し寄せると、声量を落として云うのでありました。「身分や家格の低い霊は、大変な不平不満をかかえておると聞き及んでおる。しかし極楽省では刑罰が厳しくてな、特に政治犯に対しては容赦のない刑を執行するし、それに密告を奨励しておって、省霊間で厳しく相互監視しておるような按配だから、省霊は沈黙を守るしかないのじゃよ。極楽省は典型的な警察省家と云うべきじゃろう」
「警察省家、は、警察国家、ですね、娑婆で云うと?」
「正解じゃ」
 閻魔大王官はそう云って頷きながら指をパチンと鳴らしてから、その指で徐にピースサインをするのでありました。
「極楽なのに、不平不満が充満しているのですか?」
「実際の極楽は娑婆のイメージとは程遠いわい。情報統制、言論弾圧、様々な差別、富の極端な偏在、省霊間の相互不信、罪科の連座制なんかで、省内は陰鬱な空気が漲っておる」
「今までに本当に、暴動とか反乱とかが起こった事はないのですか?」
「強力で暴力的で、矢鱈鼻の利く治安維持警察がおるでな、そう云うものは早々に、芽の内に摘み取られて仕舞うのじゃ」
「恐怖政治ですね」
「そうじゃ。恐怖政治じゃ」
「そんな抑圧支配が、どうして長続きしているのでしょうかね?」
「その辺があちらの官吏の、まあある意味で、極めて優秀なところじゃろうて」
 閻魔大王官は口の端にシニカルな笑いを湛えるのでありました。「ほんの少し甘い飴と、苛烈極まりない鞭との使い分けが絶妙なのじゃろうな」
「極楽省はずうっとそう云う体制で、今日まできたのでしょうかね?」
「そうじゃな。省が出来た当初は少し違っていたらしいが、阿弥陀なんとかとか云う専制君主が出現してから、ずうっとあの体制できておるな」
「まあ、長く続くと云うのは、ある意味、見事な統治システムだと云えるでしょうかね」
(続)

もうじやのたわむれ 116 [もうじやのたわむれ 4 創作]

 拙生は納得するように頷くのでありました。
「そう云った体制であるから、軍備拡張も思いの儘であるし、新しい武器の開発にも大金が投入されるし、組織する軍隊もなかなか強いわな。過去にあった戦争で地獄省が太刀打ち出来なかったのは、これは宜なるかなと云うものじゃて」
 閻魔大王官は顎の白髭を扱くのでありました。どうやらそれが癖のようであります。
「ああ、第二次省界大戦ですね、それは?」
「おおそうじゃ。審問室で聞いたかいの?」
「ええ、審問官さんと記録官さんに聞きました。しかし確かその時は、敗戦省たる地獄省の諸制度は、戦後に極楽省の進駐軍によって民主化されたのだと聞いたように思うのですが、絶対主義王政を執る極楽省が、地獄省を民主化する事なんか出来るのですかね?」
「自分の処の統治制度をそっくりこちらに移植するのではなくて、寧ろそれとは対極の、知識として娑婆から仕入れていた民主主義と云う統治技術を、向こうの御用政治学者やら有能な行政官なんかを使って、地獄省に強制移植したのじゃよ。省霊自身に依る省霊の自由と幸福のための政治が、新しい地獄省には理想的な政治形態であると大いに宣伝これ努めてな。しかしじゃな、それは恐らく地獄省内の愛省心と軍事力を、将来に渡って弱体化するためにと云う、極楽省の連中の卑劣な狙いがあったのじゃとワシは思うておるがの」
「しかし民主主義体制であっても、愛国心も軍事面も結構強力な国家なんちゅうものが、娑婆にはあったように思いますが」
「そうじゃな。それはこちらでも実証されておると云えるじゃろうかな。我が地獄省は民主主義省家であっても、いやそれだからこそ、今や極楽省に劣らない強盛な省家となった、なんと我々は自負しておる。ま、厄介な問題は幾つか抱えておるにしろ」
 閻魔大王官はそう云って顎髭を扱きながら、力強く一回頷いて見せるのでありました。その後、その所作で顎髭が何本か抜けたのか、扱いた方の掌を凝視した後、それを横に持っていってもう片方の掌ではたいて、抜けた髭を下に払う仕草をするのでありました。
「地獄省では省霊に身分のようなものはなくて、総ての省霊の基本的人権、いや違った、基本的霊権、それに思想信条の自由やら言論の自由、結社の自由、職業選択の自由、旅行や移動の自由、仕事帰りに一杯やる自由、上司の後ろ姿にあかんべーをする自由、面倒臭いから毎日顔を洗わないでも後ろめたくない自由、カカアに口答えが出来る自由、往来で急に大きなくしゃみをする自由、嫌いなおかずは残しても文句を云われない自由、晩酌の燗酒を二本まで飲める自由、休日にカカアの買い物につきあわないでも良い自由、道ですれ違った若い女の子の胸に竟目を向けてもカカアに叱られない自由、背広のポケットに入れておいた小銭がカカアに取り上げられずに済んだのを秘かに喜ぶ自由、ふらっと散歩に出ようとした時買い物をカカアに頼まれない自由、春風亭柳昇師匠の寄席の自由、それからそれから、・・・ま、その他諸々の省霊の自由なんぞが、ちゃんと保証されているのですね?」
「そう云う事じゃな。しかしお手前の今の念押しには、ちまっとしたカカア関連が如何にも多いのう。ワシとしても判らん事もないが。まあ、前半の旅行や移動の自由までは憲法で保障されておるが、それ以降の自由は、残念ながら憲法上の保証の限りではないのう」
(続)

もうじやのたわむれ 117 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「どうも面目ありません」
 閻魔大王官のニヤニヤ笑う顔に、拙生は俯いて頭を掻いて対するのでありました。
「お手前は娑婆では相当の無精者で、それに恐妻家であったのか、さもなくば、奥さんに何か後ろめたい事でも仕出かしておったのかいの?」
「いやいや、そうではありません。根っからの愛妻家であったが故の先の発言です」
「ふうん。まあよろしい。・・・ところで」
 閻魔大王官は疑わしげな目で拙生を見てから話頭を変えるのでありました。「審問官と記録官から地獄省の八大地方の事は聞いたかいの?」
「ええ、説明を受けました」
「どこか気に入った地方はあったかいの?」
「何れも大変魅力的な処のようで」
「そう云う曖昧なおべんちゃらは良いとして、そう云う風に云うのはつまりもう一つ、どの地方もピンとこなかったと云う事かいの?」
 閻魔大王官は拙生の顔を上目で覗きこむのでありました。
「そんなわけでもないのですが、・・・」
「しかしまあ、ピンとこなかったのじゃろう? 遠慮せずに云うて構わんぞ」
「娑婆の日本に生まれて育った者としては、もう少し娑婆の日本に近い環境の処はないものかと、ちょっとそんな事を考えていたのです」
「まあ今の、未だ娑婆っ気を引き摺っている身の心持ちではそんなじゃろうても、実際に何処かに生まれ変わってみれば、その不安と云うのか郷愁と云うのか、それはあんまり意味のない不安とか郷愁と云う事になるのじゃがな。なんせ真っ更に生まれ変わるのじゃから、その生まれ変わった処が、すっかり新たな故郷となるわけじゃしな」
「まあ、娑婆での様々な感情や誼なんかも、すっかり消去されて仕舞うわけですからね」
「そうじゃそうじゃ」
「しかしなんとなく、もっと日本に近い環境の処はないものかと、竟そう考えるのですよ」
「まあ実は、そんな場所もない事もないのじゃが」
 閻魔大王官はあっさりそう云いながら拙生から少し身を引くのでありました。
「おや、八大地方以外に、日本に近い環境の処が未だ他にあるのですか?」
「この閻魔庁のある辺りが、娑婆の日本に似ておると云えば似ておる」
「ああそうか。千代田区隼町と云う地名表記からしても、如何にも日本的だ」
 拙生は目を見開くのでありました。「ここいら辺に住む事も出来るのですか?」
「おう、それは出来るぞい」
「八大地方以外に生まれ変わる事も可能なのですね?」
「可能じゃ」
 閻魔大王官が大きく頷くのでありました。「閻魔庁のあるこの辺は、元々は鬼連中とか我々だけが住んでおったのじゃが、それではなんとも寂しいし、省土の有効利用と云う観点からも勿体ないと云う事になってな、で、近年一般の霊も住めるようになったのじゃよ」
(続)

もうじやのたわむれ 118 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「ああ、そうなんですか」
「三途の河の港湾施設やこの閻魔庁とは高い塀と頑丈な門で隔絶されておるが、周辺は一般の霊が居住する街として整備されておるし、その居住スペースのちょいと先には三途の川に面してなかなか洒落た別荘なんぞも分譲されておるわい」
「ああ、別荘地が在ると云うのは審問官さんだったか記録さんだったかに、確か聞いたような気がしますよ。風光明美な格安の別荘地として、最近売り出されているとかなんとか」
 拙生は云いながら数度頷くのでありました。
「そうじゃ。結構人気の別荘地でな、各地方からの問いあわせも多いと聞いておる」
「居住スペースの方は、近年新しく一般の霊に開放されたと云う事ですが、他の八大地方に比べて、特段不便なところなんかはないのでしょうかね?」
「殊更の不便は何もないな。寧ろ他の地方よりも住み易いかも知れんぞ。気候的には四季もはっきりしておるし、夫々の季節で夫々の味わいもあるし、三途の川に臨んで景色も良いし。暮らしの利便性と云う点でも、元々我々が住んでおったのじゃから、生活インフラも充分整備されておる。まあ、強いて難点を挙げるとすればじゃな、・・・」
 閻魔大王官はそこまで云って、片手に持っていた巻物でもう片方の掌をポンと打つのでありました。その巻物には何が書いてあるのだろうかと、拙生はふと思うのでありました。
「何か難点があるのですか?」
 拙生は巻物に目を留めてそう聞くのでありました。
「いやまあ、ここでは就職口があんまり豊富にないのじゃよ」
「新興地だけに、産業の育成が未だ不備であると云う事でしょうか?」
「そうじゃな。工業団地なんぞを作って、各地方から様々な企業を誘致これ努めておるのじゃが、なかなか応募が芳しく集まらんと聞いておるわい。それで今度ここの第二代目の郡長になった、ええと確か、渋沢さんとか云ったな、名前が。・・・」
 閻魔大王官はその名前を思い出そうと首を傾げて暫し俯くのでありました。「ああそうじゃそうじゃ、渋沢栄一さんじゃった。その郡長さんが若いのにえらい経済通じゃと云う事で、住霊の間でも当地での産業育成に期待が高まっておるらしいぞ」
「ああ、渋沢栄一さんですか」
「お手前、知っておるのかいの?」
「娑婆では日本の明治時代初期の殖産興業に、多大な貢献をされた方です。まあ、娑婆のその方と、名前から推察する限りの同一人物、いや、同一霊物、いやこれも違うな。・・・」
 拙生は言葉に迷うのでありました。「同一人霊物、ならと云うことですがね。なにせ改名が自由なこちらの風習と云うのか制度と云うのか、それがあるので、その人の生まれ変わりであると断言は出来ませんがね、今のところ私には」
「ああそうかいの。いやまあしかし、兎に角、話しをこの郡の実情の事に戻せば、働き口の種類や量が未だ不足しておるのじゃよ、今のこの郡に於いては」
「こちらの居住地は、地方、とは云わないのでしょうか?」
「そうじゃな。未だ地方と呼ぶには小さすぎるからの」
(続)

もうじやのたわむれ 119 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「それで、郡、と云うのですね?」
「そうじゃ。邪馬台郡と云っておる」
「大きくなったら邪馬台国、いや邪馬台地方となるのですね?」
「いや、その折には住霊投票でまた別の名前がつくかも知れんがの」
「住霊投票、は娑婆で云えば、住民投票、ですね?」
「正解じゃ!」
 閻魔大王官は手にしていた巻物でまた掌を一つ打ってから、その巻物を机の上に置いて丁寧なピースサインをして見せるのでありました。
「働き口が少ないのなら、邪馬台郡は失業者、いや失業霊が多いのでしょうか?」
「それ程でもないかのう。この閻魔庁や港湾施設それに郡役所で、まあ、失業対策的な公共事業はやっておるし、郡役所の主導で近隣の農地を開拓したり、三途の川で漁を指導したり、新開の別荘地の整地作業とか管理の仕事なんぞも多少あるでな。それに前に話した工業団地にも少しは誘致出来た企業もあって、ぼちぼちと操業しておるしのう。未だ住霊が少ないから、就職出来ない霊が職安の前に長蛇の列を作っているとか、多くの失業霊が為す事もなく街の繁華街に屯している、なんと云う寒々しい光景なんぞは今のところ見られないわいな。しかし、もっともっと工業団地に、雇用を生み出せる多くの企業を誘致して仕事の量や種類を増やしたり、地場の、他の地方にない、ユニークで若い霊にも魅力的に映る産業なんぞを興さないと、失業対策的な一時凌ぎの仕事や小規模な第一次産業、それに他地方への出稼ぎばかりでは、住霊の勤労意欲もちっとも湧かんじゃろうし、邪馬台郡に多くの霊が定住して郡が発展拡大するなんと云う、将来の見取り図なんぞもなかなか描けんわな。まあ、新郡長の渋沢さんの手腕に、大いに期待しておると云うところじゃな」
 閻魔大王官は眉間に憂色を湛えて云うのでありました。
「地獄省の国家プロジェクト、いや違った、省家プロジェクトとなってはいないのでしょうか、邪馬台郡を発展拡大させる事は?」
「まあ、準省家プロジェクト、と云ったところかいな、今のところは。地獄省全体としては黄熱地方とか大旅館地方とか、先ずは既存地方のテイク・オフの方が優先となっておる」
「テイク・オフ、ですか?」
 拙生は唐突に出たその言葉が上手く頭の中に収まらないので、そう聞くのでありました。
「経済発展段階説じゃよ。ロストウとか云う若い霊の説じゃそうじゃ」
「ああ、娑婆で大学生の時に、経済学の講義でそんなのを教わったような気がします」
「ワシもあんまり良うは知らなんだのじゃが、この前テレビで、何某とか云う経済評論家が、そんな事を云うておったのじゃ」
 閻魔大王官はそう云って両眉をひょいと上げて見せて、巻物を持っていない方の手の人差し指で頭を軽く掻くのでありました。
「ロストウさんと云う方も、こちらでは地獄省にお住まいなのでしょうか?」
「そうじゃな。娑婆での自説を証明出来るチャンスが地獄省の方にあるとか云って、地獄省の方に住霊登録しておる。しかし未だこちらでは合衆群地方の大学生と云う話しじゃ」
(続)

もうじやのたわむれ 120 [もうじやのたわむれ 4 創作]

「ああそうですか」
 と云う事はそのロストウさんは、娑婆を二十年程前に引き払われたのでありましょう。
「エリートで将来の大経済学者として、大いに期待されておると云う事じゃ」
「そう云う霊に邪馬台郡の将来の見取り図なんかを描いて貰えば、発展間違いなしではないでしょうかね。話題性もありそうだし」
「いやいや、そうもいかんわいな。ロストウとか云う若い衆は合衆群地方の保守系政治家とのつきあいが濃くてな、合衆群地方の政治戦略や外交路線策定に深く関与しておるらしい。その合衆群地方は地獄省の中でもトップクラスの先進工業地方であり、地獄省のリーダーを自称しとるわけじゃから、邪馬台郡なんぞは歯牙にもかからん小地域と云う認識じゃろうて。だから殆ど興味も示さんじゃろう。それにその若い衆はなかなかの強硬派で通っておって、自説の証明のためには、地域紛争なんかも肯定する云った物騒で冷酷な一面もあると云う噂じゃから、あんまり邪馬台郡には似つかわしくないようにワシは思うぞい」
「ああ、そうですか」
 そう云えば娑婆でもロストウさんは、ベトナム戦争推進派だったのでありましたか。
「まあ、新郡長の渋沢さんが、これからの邪馬台郡発展の秘策を色々考えておるじゃろうから、先ずはそちらのお手並み拝見としておいた方が、安穏じゃろうて」
「まあそうですよね。目覚ましい経済発展とか急激な霊口流入が、邪馬台郡に暮らす霊の幸せであるとは限りませんからね。それに万事ゆっくりじっくりの方が、余計な問題が発生しにくいでしょうしね。邪馬台郡が邪馬台地方に昇格しなくとも、住霊が金持ちにならなくとも、なんとか生活が立ち行くのであれば、その方が呑気と云うものですものね」
「そう云う事じゃわい」
 閻魔大王官はそう云って、巻物を掌の中で躍らせながらワハハと笑うのでありました。
「ところで今までの話しとは全く関係ないのですが、そのお手にされている巻物はいった何なのでしょうか、さっきから気になっていたのですが?」
「おう、これかい」
 閻魔大王官はそう云って自分が手にしている巻物を見るのでありました。「これは閻魔大王官としてのワシの小道具で、こういうのを持っておった方が、なんとなくそれっぽく見えるじゃろうから、こうして何時も握っておけと上に云われておるのじゃよ。単なる装飾品じゃな。別に何か、大事な事がこの中に書いてあると云うわけでは全然ないぞい。ほれ」
 閻魔大王官はそう云いながら、拙生に向かって巻物をゆっくり広げて見せるのでありました。成程巻物の中は殆ど白い儘で、隅の方の所々に小さな文字で、葱一束、とか、醤油瓶小、とか、日本酒、とか、商店街の正月お楽しみ籤を景品のティッシュ二箱と交換、なんと云うメモのような文句が、縦横斜めに不揃いに書きなぐってあるのでありました。
「その、大根とか醤油とか日本酒とか、お楽しみ籤とか云うのは何なのでしょうか?」
「ああ、これは家の婆さんが時々電話してきて、役所の帰りにこう云うものを買ってきてくれとか用を頼まれるのを、うっかり忘れて後で叱られんように書き留めておいたワシのメモじゃよ。手近にメモ用紙がない折に、これにちょこちょこと書いておいたものじゃな」
(続)
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