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もうじやのたわむれ 2 創作 ブログトップ

もうじやのたわむれ 31 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 記録官が審問官に確認するのでありました。
「うん、未だそのままかかっているよ。でも、こちらでの初演ももう間近だと、この前賽河原演芸場の特選落語会の高座で松鶴師匠が云っていたけど」
「そりゃ楽しみだ」
 記録官が喜ぶのでありました。
「いやまあ、そう云うちょっと際どくなる話しはこのくらいにして、・・・」
 審問官が一つ咳払いをするのでありました。
「この話しの、どこが際どくなるのでしょうか?」
 拙生が聞くのでありました。
「いやまあ、誰がなにに対してどう際どくなると云うのは、ここで私が上手く説明する事は、なんとなく出来ませんが。・・・」
 審問官が咳払いをもう二つするのでありました。「兎も角、娑婆にあの世があるように、この世にもあの世があるのです」
 この言葉には全く節はついていないのでありました。
「まあ、そうするとですよ、この世でのあの世とは、つまり向こうの世なのですか?」
「はい?」
 審問官が拙生の言葉の意を理解しかねると云う表情をするのでありました。
「つまりですね、向こうの世からあの世へ去ると云う事の裏返しで、向こうで云うあの世からまたあの世へ去ると云うことは、向こうの世ではあの世たるこの世から、また向こうの世の方に帰ると云うことなのですか?」
「はい?」
「いや、ですからですね、・・・」
 拙生の頭皮が冷たく汗ばむのでありました。「つまりなんと云うのか、ここで云うこの世とは向こうではあの世なのですから、この世で云うところのあの世と云うのは、つまり向こうの世と云うことになるのでしょうか?」
「はい?」
 拙生は眉間に皺を寄せるのでありました。
「ですからですね、要するにですね、・・・」
 拙生の語調が思わず少し険しくなるのでありました。
「いやいや、仰ろうとされている事はちゃんと判っていますよ」
 審問官が拙生の話しを遮る掌と満面の笑い顔を、拙生の面前に翳すのでありました。「貴方のそうやって焦っているお顔を拝見していると、結構面白いものだと思って、なんとなく判らないふりをしただけです。失礼いたしました」
「はい?」
 今度は拙生がそう云って、口をポカンと開けるのでありました。
「いやいや、人の悪い真似をして申しわけありません。しかしこうして拝見させて頂くと、貴方の焦った顔と云うのは、妙に愛嬌があって魅力的と云うのか、味わい深いですな」
(続)
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もうじやのたわむれ 32 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 拙生はその審問官の言葉に、少しの苛々を覚えるのでありました。
「私をからかっていらっしゃるのでしょうか?」
「いやいやとんでもない」
 審問官が掌を苛々と、いや、ひらひらと横にふるのでありました。「あなたはひょっとしたら、九州の出の方でしょうかね?」
「私の出身ですか?」
 審問官は拙生の応えを聞く前に、目の前にある拙生の前世の記録が記してあると云う紙に目を落として、何かの記述を探すのでありました。そうしてすぐに、目指す記述に行き当たると、そこをボールペンのキャップの方で二度ほど軽く打つのでありました。
「そうです。ああ矢張り九州の方だ。長崎の佐世保と云う処ですね?」
「ええ。如何にもその通りですが」
「なんか焦ってくると、なんでもかんでも『ですね』と云うのが、別に九州の方言で話しているんじゃなくても、言葉の区切り目には入りますよね。『それからですね、私はですね、そう云う事をですね、したのですよ』みたいな。それ、九州の方に屡見受けられる特徴のように感じられます。他の地方の方にも、ひょっとしたらあるのかも知れませんが」
「そうですかね」
「私は実は、その喋り口が、前からなんとなく好きでしてね」
 審問官が如何にも好意的な笑みを投げかけるのでありました。「丁寧みたいで、ちっとも丁寧でもなく、文節をその言葉によってより小さく区切る事で、なにかを強調するような口調のようで、特に内容に強調すべきようなところが見当たらないし、単にまわりくどいだけなんだけど、そこはかとない愛嬌は、申し分なくあると云った印象なのです」
「ふうん、そうですか」
 そう云えばそうかなと拙生は思うのでありました。
「あの『ですね』は、どう云った了見でつけるのでしょうかね?」
「別に意味はない、と思うのですが、・・・」
 拙生は少し考えてみるのでありました。「まあ、強いて云えば、後に続く言葉を一瞬立ち止まって、落ち着いて吟味確認するためと云う感じかな」
「後に続く言葉を一瞬立ち止まって、落ち着いて吟味確認する?」
 審問官が拙生の言葉をなぞるのでありました。
「ええ。つまり『それから私はそう云う事をしたのです』とすらっと云わないで、『それから』と云ったところで次の<誰が>と云うのをちょっと確認する間に『ですね』をつけて、で、『私は』と云ったところでまた<何を>と云うのを考えて、その考える一瞬の間が持たないと云うのを気にして『ですね』と云って、『そう云う事を』と云いながら、同じ目的で『ですね』をつけつつ<どうした>と云うのを一瞬吟味してから、『したのです』と、こう云った按配になるのではないでしょうかね。いや、私もこう云いながら、この説にあんまり自信がないのですが。なにせ、今までそんな事考えもしなかったし、そう云う風に喋っていると云う明確な自覚もなかったものですから」
(続)
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もうじやのたわむれ 33 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「ははあ、成程」
 審問官はそれまで拙生がしていたような納得顔をして見せるのでありました。「ご高説を賜りまして、まことに有難うございます。成程々々、そう云うことでしたか」
「いや、この説は戯れ言のようなもので、全く自信がないのですから、そう真顔で感心されると、返って冷や汗を出してたじろいで仕舞いますよ」
 今度は拙生が、大袈裟なさようならの掌の横ふりをして見せるのでありました。
「いやいや、ご謙遜を。卓見だと思います」
「そう云った九州の口調なんかに興味とか好意を持たれるというのは、ひょっとして審問官さんのご先祖が九州の出身と云う事なのでしょうか?」
 拙生は話題を変えるのでありました。
「いやいや、そうではありません。鬼に九州出身も、東北出身も、信州出身もありません」
「ああ、そうでしょうね。そう云えばそうか」
「まあ、かなり遡った祖先が、後に九州と呼ばれる島の出身だったかも知れませんがね」
「おや、と云う事は矢張り、鬼の方々も、ずうっと以前は向こうの世、つまり娑婆にいらしたと云うことなのでしょうか?」
「まあ、神話時代の、遠い我々の祖先は間違いなく娑婆にいたのです。しかしそれは七百世代以上前の話しになるのです。私なんかの世代になると、もうこちらの霊になり切っています。まあ、娑婆でも三代続けば江戸っ子になるなんと云うでしょう。京都は十代ですか。私なんか判るだけでも三百世代前のご先祖は、既にこちらにいましたから、もう、純粋な地獄っ子と云って良いでしょうね」
「ああ、そうなんですか」
「別にここで地獄っ子を気取っても仕様がないですが」
 審問官は無表情に云いながらも、なんとなく自慢気な色を顔に漂わせるのでありました。
「その、遠いご先祖様は矢張り娑婆でも、鬼をなさっていたのでしょうか?」
「いやいや、そんなわけはありません。前にも云ったように、娑婆で鬼をやっているのは準娑婆省の鬼の連中なのですから」
「ああ、そうでしたね」
「ウチのご先祖様は、多分人間だったのです」
「ほう。じゃあ、こちらへいらした当時は、私と同じ亡者でいらしたということですか?」
「そうなりますね。同じです」
「すると、何時から鬼になられたのでしょうか?」
「まあ、三百世代以上前からであることは間違いありません」
「すると遡る事が可能な最初のご先祖様から、もう既に押しも押されもしない、立派な鬼でいらしたと云うことになるわけですね?」
「まあ、立派な鬼、と云う表現の妥当性は別として、純正の鬼でありました」
「それは、三百世代よりももっと以前の祖先の方が、突然変異かなにかで、一般亡者から鬼となられたのでしょうかね?」
(続)
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もうじやのたわむれ 34 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「いやいや、恐らくそうではありません。赤鬼局に就職した最初のご先祖様が、ウチの家系の初代の鬼と云う事になるでしょうが、まあ、余りにも昔で、純正の鬼となった変異の実相を突きとめる事は今や不可能なのですが」
 審問官はボールペンをくるんと回すのでありました。
「赤鬼局はそんなに古くからあったのですか?」
「ええ。地獄省が省家として建省した時には既にあったと云う事です」
「省家、は国家でしたよね。建省、は建国ですね? 念を押すようですが」
「はいその通りです」
 審問官がまた無表情の儘ボールペンをくるんと回すのでありました。
「赤鬼局に就職されたら、突然頭に角が生えるのですか?」
「まさか、そんな非現実的な事なんかあるわけがないじゃありませんか」
「非現実的なこと、ですか。・・・まあ、では、どうして?」
「私も詳しい事はよく判りませんが、なんでも獄卒として働いて百世代経過した辺りから、自然に頭に角が生えてきたんだと、昔ウチの爺様に聞いたことがあります。ほら、テニスプレイヤーの利き腕がやたらに太かったり肘が伸びなくなって仕舞ったり、合気道家の手首が嫌になる程太くなったりするでしょう、あれと同じような、・・・同じでないような」
 審問官は一旦言葉を切って頭を掻くのでありました。「まあ、要するに恐らく、環境適応と云うのか、職業適応したものでしょう。また何十世代か経過したら、もう生まれた時から我々の身体的特徴として頭に角が内蔵されているようになったようです」
「審問官さんも、角を生やして生まれてきたのですか?」
「いや、生まれる時に角があると、出産しにくいでしょう」
「それはそうですね」
 今度は拙生が頭を掻くのでありました。
「生まれる時は、角は内蔵されているのですから、我々の頭はツルンとしております。しかし頭髪も或る程度生え、寝返りを打つくらいになると、乳角が生えてくるのです」
「乳角?」
「ええ。それが学校に入って、まあ少年と呼ばれる頃になると永久角に生え換わるのです」
「乳角に永久角? 歯みたいですね」
「そんなようなものです」
 審問官がボールペンをくるんと回すのでありました。
「生え換わるのですね、子供の角が大人の角に?」
「そうです。良い角が生えるようにと、抜けた乳角を屋根の上に投げ上げたりします」
「いよいよ歯だ、それは」
 拙生は二度頷くのでありました。
「角は、子供の頃は大体外に出しているのですが、成長するに従って普段は中に仕舞っておくように躾けられます。でも平常心を失うと、勝手に外に出てきたりしますよ、子供の内は。それをなるべく出さないようにするのが大人の鬼なのです」
(続)
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もうじやのたわむれ 35 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「感情の目安になるわけですね、角が出ている、出ていないと云うのが?」
「そうですね。しかしトランプのババ抜きとかポーカーをしている時、角が出ると不利じゃありませんか。だから如何なる時も情緒に左右されず、なるべく角を出さないようにするのが成長した大人の鬼であると教育されるのです。角の出し入れをちゃんと上手にコントロールするのが、我々大人の鬼の嗜みです。まあ、大人になってものべつ角を出しまくっている、何時も感情剥き出しの、子供みたいな鬼も中にはおりますけどね」
「感情の目安と云うところでは、つまり犬畜生の尻尾と同じようなものだ、原理的には」
 拙生は態と無神経なことを云ってみるのでありました。
「いやいや、そう云う不躾なことを試しに不意にここで云われても、私の頭から角は出てきませんよ、残念ながら」
 審問官がそう云って、ハッハッハと余裕の笑いを拙生に送るのでありました。
「これはどうも、恐れ入りました。申しわけありません」
 拙生は頭を掻きながら審問官に向かって、テーブルに頭がつくくらいの深めのお辞儀をするのでありました。
「で、なんでしたっけ、当初のご質問は?」
 審問官が頭を起した拙生に聞くのでありました。
「元々の質問は、この世のあの世は向こうの世か、と云うのですよ」
 これは記録官が審問官に教える言葉でありました。
「そうだそうだ、その件だ。うっかり忘れて仕舞いました」
 審問官が角の出ていない自分の頭を、自分の拳で軽く叩いて見せるのでありました。「こちらで身罷った霊と云うのはその後、向こうの世、即ち娑婆に戻るのか、と云う質問ですが、それは端的に云ってそうではありません」
 審問官はボールペンでテーブルを軽く打つのでありました。
「娑婆に戻れると云うのではないのですか?」
「そうです。一旦こちらへいらした限りは、二度と娑婆には戻れません」
 拙生はその審問官の科白を聞きながら、何の関係もないのですが、なんとなく向こうの世で見たテレビドラマなんかによくある、刑事施設に収監された重刑の囚人同士の会話を思い浮かべているのでありました。
「霊は、向こうの世に再び人間となって、いや、人間かその他の生き物となって、戻ることは全くないのですね?」
「ありません」
 審問官のその云い草がいかにもクールで、にべもないように聞こえるのでありました。
「では、こちらで再び死んだ霊は、どこに行くのでしょう?」
「あの世のあの世です」
「まあ、そうでしょうが。・・・」
「ああ、こう云う応え方は如何にも無愛想か」
 審問官はそう云って愛想笑いを浮かべて額を掻くのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 36 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「あの世のあの世と云うのは、いったいどう云う世なのでしょう?」
 拙生は審問官が額を掻き終えるのを待ってから問うのでありました。
「こちらで霊が死んだら、素、と云うものになると云われております。向こうの世で人間が死ぬと霊なるものになり、その霊がこちらの世で死んだら素なるものになるのです」
「素、ですか。・・・」
「素、う、です。いや失礼。下らない洒落でした。ですからこちらで霊が死んだ後は、素界と云う処に行くわけです」
「素界、ですか。ふうん」
 拙生はやや顎を挙げてそこを撫でるのでありました。
「素界にもこちらのような極楽省、地獄省、準娑婆省のようなものがあって、死んで素になった霊は、ま、こちらでこうして行っているのと同じような審理を経て、素界の各省のようなところで暮らすこととなります」
「素界にも極楽省とか地獄省があるのですね?」
「まあ、極楽省とか地獄省とか、まだ死んでもいない私等がそう云う名前かどうかは知り得ませんが、兎に角、そう云う処に行って住むことになるわけですな」
 そう云った後、審問官が少し身を乗り出すのでありました。「因みに、話しはちょっと逸れますが、こちらの葬儀は娑婆のそれよりも大体が途轍もなく大袈裟且つ盛大でしてね。あちらこちらから親類縁者が大勢集って、七日七晩飲めや歌えの大騒ぎをするのが仕来たりとなっています。どう云う了見で、何時からそう云う事をするようになったのか知りませんが、妙な風習ですよね。中には麻雀をやり出す連中もいれば、花札の座布団を囲む連中もいたり、勝手にギターの弾き語りをするヤツが出たり、カラオケセットを持ちこんでくるのもいたり、どこからか石ころを拾ってきて、どちらが高く積めるか競争するヤツとかもいたり、またその積み上がった石を横から意地悪に蹴り崩すヤツもいたりで、もうとんでもない大騒ぎとなります。それに費やす費用も大変なもので、その費用を作るために、こちらにいる間、働き詰めに働かなければならないと云う霊もいるくらいです」
「それは大変ですねえ。まあ、私も今後、余所事ではないことになるけど」
「もう、何のためにこちらの世に来たのか判らない、地獄だ、と云って皆嘆いております。つまり云ってみれば、往生するのも往生するわけですわ」
「おや?」
 拙生は片頬で笑って、審問官の顔を覗き見るのでありました。「その、地獄だ、と云うのと、往生するのも往生する、と云う地口を云いたくて、そんな話しをされたのですかな?」
「いや、面目ない。私の仕様もない魂胆を見透かされましたな」
 審問官はそう云って照れ臭そうに頭を掻くのでありました。「兎に角、死んだ霊は素になって、素界に旅立つのです」
「でも向こうの世の連中が、なんだかんだと云ったところで死後の世界を見た者がいないのと同じで、こちらでも、その素界を見た霊とか、行った霊はいないわけですよね?」
「それはそうです」
(続)
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もうじやのたわむれ 37 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「だったら、その素界と云うものがあるかどうかは実証出来ないわけですよね?」
 拙生はまたも食い下がるのでありました。
「いや、それは間違いなく存在すると云えるのです」
 審問官は如何にも確信あり気に断言するのでありました。
「しかし、向こうの世でもそのての事は、一部ではげんなりする程ワイワイ議論されていたことですが、結局のところ、それを実証する事なんか不可能なのじゃないですか?」
 拙生は尚も食い下がるのでありました。
「いやいや、だって、向こうの世にいた貴方が、現に今、こうしてこちらに来ていらっしゃるではありませんか。これはもう疑いようのない事柄でしょう?」
「そう云えばそうか」
「だから、人間界から霊界に来るのが定理であるように、霊界から素界に行くと云うのも定理となるわけですよ」
「成程ね。論理的には確かに」
「まあ、帰納法ですな。しかもかなり必然性のある」
 審問官が持っていたボールペンでテーブルを軽く叩いて見せるのでありました。その打撃音が、妙に小気味良く辺りに響くのでありました。
「いやまあ、恐れ入りました」
 拙生は深々とお辞儀して見せるのでありました。
「いえいえ、どういたしまして」
「そうするってえと、その素界の後にも、なんとか界と云うのがあって、そのなんとか界の後にもなにそれ界と云うのがあってと、そうやって延々と続くわけですね」
「はい。理論的には」
「輪廻転生と云うわけじゃないんだ」
「そうです。向こうの世へのUターンは、特例を除いてなしです」
 審問官は両手でX印を作って見せるのでありました。「しかし断わっておきますが、準娑婆省にいる霊に関しては、なにかの拍子に向こうの世、つまり娑婆にうっかり戻ると云う現象も偶にあり得ます。一応念のためこの事を申し添えておきます」
「つまり、向こうの世で云う、蘇り、と云う現象ですね。それは準娑婆省が娑婆内の怪奇現象を統括しているためですかね?」
「そうです。しかし先程も申したように、本来はそうあってはならないのです。亡者様は須らくこちらで閻魔庁の審理を経て、その後極楽省か地獄省に住んで頂くのが理想でして」
「それはそうでしょうね、こちらにしてみれば」
 拙生は納得の頷きを一回した後、背凭れから少し体を立てて審問官を見るのでありました。「ところで先程云われた、Uターンの特例、とはどう云った按配の事なのでしょう?」
「ああ、まあ、ですね、それはですね、つまりですね、・・・」
 審問官が、先程指摘した九州方言の丁寧口調、いや、丁寧口調に聞こえるちっとも丁寧でない口調でそう云った後に、暫し云い澱むのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 38 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「あんまり私なんかにはお話しされたくない、機微に属するような事なのでしょうか?」
 拙生は審問官の顔を上目で窺うのでありました。
「そう云う事もないのですが、まあ、機会があったら後程お話しさせて頂きましょう」
 審問官は拙生から目を逸らすのでありました。
「それから、この定理の話しをもう少しすれば、ですがね」
 記録官がUターンの特例の話しから話頭を逸らすように、そう云い継ぐのでありました。「これを遡って敷衍してみると、貴方がこの前までいらした人間界の前にも、どうたら界、とか云ったものがあって、その前にも、こうたら界、があってと云う風に、後ろにも延々適用出来る事になるわけです、屹度」
「ああ、それはそうなるはずですね」
 拙生は記録官の方を向いて頷くのでありました。
「ですから、娑婆だけを舞台にした、輪廻転生も生まれ変わりなんと云う現象も、理論上起きるはずがないのです。前世、今生、来世と云う、向こうの世で喧伝されていた生死の道筋も、これも実は実相ではないわけですね」
「ええと、今度生まれ変わったらまた貴方のお嫁さんになりたいわ、とか、あいつは来世でも愛妻家になるだろうな、とか、俺は今度生まれ変わるとしたら彼女のブラジャーになりたい、等と云った科白も、理論上は破綻していたわけですし、七度生まれ変わって仇を討つとか、七度生まれ変わって国に報ずるなんと云う楠木正成の心意気も、実は実現するはずもない空回りでしかなかったのですね?」
「そうです。それは娑婆中心主義とでも云うのか、向こうの世でのみに通用する、人間界的なあまりに人間界的な、閉ざされた中での修辞以外ではないと云う事になります」
「まあ、人間界でもそういった言葉等は、修辞的演劇的科白なんかとして使われていたのですが、それは実相を掠めてもいない、全く空虚な修辞だったと云うわけですね。あくまで、向こうの世へのUターンと云う現象がないのですからね」
 拙生は腕組みをするのでありました。「で、Uターンの特例の話しですが、・・・」
「どうしても、そこにいきますなあ、話しが」
 審問官が拙生のしつこさに些かげんなりした顔をするのでありました。
「だって、そうやって言葉を濁そうとされるところが、如何にも気になるじゃないですか」
「まあ、そんなとりたてて深刻な理由からではないのですがね。・・・」
「実は閻魔大王官の手際の悪さに起因するのですよ、その特例と云うのは」
 記録官が云うのでありました。「閻魔庁の閻魔大王審理所では、亡者様の落ち着き先を審理してその結果が出たら、大王官が決裁印を押して、その書類を、極楽行き、地獄行き、再審理、と書かれた、机上の三つの箱の何れかに入れることになっているのですが、九十名いる閻魔大王官の中の某さんが、老霊と云うのか、まあ、かなりの高齢で、頑固で、物忘れがひどくて、指先の力が極端にない方なのです。ですから時々、決裁書類がその何れの箱にも入れられずに、机の上に放って置かれる場合があるのです」
「はあ?」
(続)
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もうじやのたわむれ 39 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 拙生は記録官の言葉を聞いた後、なにやら急に気抜けがするのでありました。「放置された決裁書類が原因で、特例が生じるのですか?」
「ま、そういうことです。恥ずかしい話しですが」
 審問官が俯いて頭を掻きながらぼそぼそと云うのでありました。
「そんな、初歩的なミスで、我々亡者は往生する事が出来ずに、不如意に娑婆へ戻されることになるわけですか? 一応私もここで、往生するにも往生する、と云っておきます」
「いやもう、面目ない次第です」
「なんか、あっけにとられて仕舞いますね」
 拙生は呆れ顔をして見せるのでありました。「それに、またちょっと脇道に逸れるかも知れませんが、こちらの霊は数百年と云う寿命があるのですか?」
「ええそうですね。こちらの霊は大体、今年度の省勢調査では女性で八百六十歳、男性で七百九十歳と云うのが零歳児の平均余命となります」
 記録官がしごく無表情にそう云うのでありました。
「そりゃまた、えらくご長寿で」
 拙生は驚くのでありました。
「閻魔大王官の話しに戻ると、大方の職員が二十二歳で閻魔庁に就職して、数百年コツコツといろんな部署で働いて、上級職試験を受けて、まあ、我々のような審問官や記録官になって、そこでまた大いに年季を積んで試験を受けて、五百歳くらいで閻魔大王補佐官となって、そこでまた百年程働いて、いや最近では定年延長が義務づけられているので百五十年程働いて、それで目出度く定年を迎えると云うのが、云ってみればここで働く我々職員の、普通の入庁から定年までの見取り図なのです。数名の、閻魔大王補佐官筆頭と云う役職で退官するのが、まあ、云ってみれば我々の花道でしょうか。勿論、皆がそう云うコースを歩むのではなくて、途中の何処かで定年を迎える職員が大多数ですが」
 これは審問官が喋ったのでありました。
「寿命が娑婆と桁一つ違うのですね。二十二歳と云う就業年齢は娑婆っぽいですが、その後は、一桁下げると、定年を迎える年齢なんかも娑婆っぽくなりますなあ」
「で、定年を迎えた後、閻魔大王補佐官筆頭の中から毎年一名の研修生が選抜されて、希望すれば閻魔大王官研修学校に定年後に特に優秀な霊で百年、普通は百五十年ほど通って、その後晴れて閻魔大王官になれるのです。勿論研修学生となったら、定年時の六十パーセントの俸給が貰えますし、閻魔大王官ともなれば、閻魔大王補佐筆頭よりもかなり高額なサラリーが支給されますから、研修生に選抜されただけでも、豊かで安定した老後を考えると、これは大いに魅力です。それに閻魔大王官と云うのはかなりの権威がありますし、叙勲もあって、後世に名前が残りますから、そう云う意味でも憧れの終身職なのです」
「つまりそうやって閻魔大王が誕生するのですね。ふうん」
 拙生はやや顎を上げて口を尖らすのでありました。
「ですから、閻魔大王官になるのは七百歳以上の老霊なのです。しかもその間に大いに努力しなければならないので、閻魔大王官になる頃には大体がくたびれて仕舞うのです」
(続)
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もうじやのたわむれ 40 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「定年後も、幾ら魅力的なサラリーや地位が待っているとしても、勉強やらなにやらで百五十年もの間、頭を更に酷使していれば、それは確かに頑固になったり、物忘れがひどくなったり、指先に力が入らなくなったりするかも知れませんね」
「だから、起こってはならない書類の放置、とか云った不手際が起こるのです」
「しかし書類の放置程度のミスなら、後でどのようにも処置出来るように思いますが?」
「いやいや、それがそうもいかないのです」
 審問官が首を横にふるのでありました。
「と云うのも、閻魔大王官の決裁印が押してある審理結果書類は、閻魔大王官以外の霊が触ることが出来ないと云う規則があるのです」
 これは記録官が云うのでありました。
「規則、ですか?」
 拙生は怪訝な顔をして見せるのでありました。
「そうです。閻魔庁の鉄の規則です」
「鉄の規則、ねえ」
 拙生は胡散臭そうな顔を審問官に向けるのでありました。
「本来は厳正な審理結果を閻魔大王官以外の霊が、不正に操作できないようにするための規則であったのです。それはそれで全く妥当な、閻魔庁の規則だったのです」
 審問官がおごそかに一つ頷くのでありました。
「そう云う規則が出来たと云う事は、不正な操作が行われた事実があると云う事ですか?」
「はい、その通りです。過去に。戦後のどさくさの頃の話しですがね。ですから、その鉄の規則が出来たのです」
「それはまあ、納得出来ますが、しかしだからと云ってミスはミスだしなあ。しかもある意味で、呆れるくらいあっさりとした単純ミスだし」
「そこが官庁の融通の利かないところでして」
「それはそうなのかも知れませんけど、余りに融通が利かなさ過ぎではありませんか?」
「そう云われると恐懼致すのみですが。・・・」
 審問官が恐縮の物腰で頭を下げるのでありました。
「審理の場には、閻魔大王官以外の方はいらっしゃらないのですか?」
「いや、閻魔大王補佐官が五霊ついております」
「だったら、閻魔大王官以外が触れられないとしても、その補佐の方がその場で大王官に注意すれば良いだけの話しじゃないですか?」
「それはそうなのですが、まあ、なんと云うのか。・・・」
 審問官が少しの間、次の言葉を口から放つのを逡巡するような風情を見せるのでありました。それから記録官と顔を見ああわせて、二人で何やら目語するような仕草をしてから、二人同時に頷きあって拙生を見るのでありました。
「ぶっちゃけた話し、香露木さんと云う名前の閻魔大王官がそう云うミスを犯すのですよ」
 記録官が云うのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 41 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「閻魔コオロギ?」
 拙生は眉根に皺を寄せて聞きなおすのでありました。
「いやいや、香露木さんです。その方の名前、苗字ですよ」
 記録官がそう云いながらツッコミの仕草をするのでありました。「その香露木さんがここ百年間、たった一人でミスを犯しているのです。困ったものです」
「そう云うはっきりとした理由と云うのか、原因が判っているのですから、対策の立てようがあると思うのですがね。そんな、百年間もただ手を拱いて放っておかなくとも」
「いやあ、お叱りご尤もです。一言もありません」
 審問官がそう云って、真面目な顔で頭を下げるのでありました。記録官もそれに倣ってやや遅れてお辞儀をするのでした。二人が雁首揃えて拙生に頭の旋毛を見せて、そのまま暫く静止しているのでありました。
「いや、私に謝られても、・・・」
 拙生のその言葉で二人は同時に頭を起こすのでありました。
「改善策を話しあったことはあるようなのです、補佐官の会議で。しかしなにせ、相手は名誉ある閻魔大王官ですから、迂闊なことを云って怒らせでもしたら、後が厄介ですからね。それに地獄省の、云ってみれば省の権威と良心を象徴するのが、閻魔大王官と云う職種でありますから、その権威と良心の象徴がそんなつまらないミスを犯しているのか、と云うことが極楽省や準娑婆省に漏れでもしたなら、それこそ我が省の面目丸潰れです」
 審問官が少し声の調子を落として云うのでありました。
「極楽省や準娑婆省に漏れる事を恐れていらっしゃるのなら、漏れないように、秘密裏に処理すれば良いじゃありませんか」
「いやいや、隠し事は何時か必ず漏れるものです。四知、と云う事があります」
「四知、ですか?」
「ええ、娑婆の中国の、確か後漢の頃の、楊震と云う人が云った言葉ですよ」
「ああ、天汁、煮汁、・・・とか云うヤツですね?」
「いや、チルチル、ミチル、・・・でしたか」
 審問官が一緒になってスカタンを云うのでありました。
「いやいや、天知る、地知る、我知る、子知る、ですよ」
 記録官も屹度、同じような仕様もない地口で調子に乗ると思っていたのですが、ここではしごく無表情にあっさりとそう云うだけで、冗談も何も口にしないのでありました。
「ああそれそれ」
 審問官が一つ手を打つのでありました。「だから、こちらに幾ら隠そうと云う了見があっても、結局極楽省にも準娑婆省にも必ずバレます」
「ふうん。そうでしょうかね」
 拙生は大いに懐疑的な口調でそう云うのでありました。第一ここで、四知、等と云うなにやら大時代的な、悪事身に帰る的な故事をしかつめ顔をして持ち出してくる審問官に、拙生は本気で呆気に取られているのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 42 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「でも、それはやり方次第ではないでしょうか。向こうの世界でも、そんな事日常的に行われていましたし、そんなに大それた事ではなかったように思われますが。それにそれは難事と云うよりは、単なる人事の問題だけでしょうに」
「一応お聞きしますが、今使われた、難事と、人事は、韻を踏まれているのでしょうかね?」
 審問官が聞くのでありました。拙生はなにやら急に苛々とするのでありました。
「そんな積りじゃありません。適宜使ったまでです、単に」
「ああそうですか。余計な気をまわしたようです。失礼いたしました」
 審問官がまた拙生に旋毛を見せるのでありました。
「四知、なんかをここで持ち出されても、香露木閻魔大王官の事を処置しない事の、説得力ある理由にはならないと思いますよ。それに、極楽省や準娑婆省に知られても、別に構わないじゃありませんか。寧ろつまらない体裁を躍起になって守ろうとするよりは、余程潔い良心的態度だと、結果として思われる事になるのではないでしょうか?」
「そうでしょうかね?」
「そうですよ。屹度、地獄省の株が上がります」
「しかし、なかなかげんなりするような事情もありましてね。一つは、そう云う人事をしたのは何処のどいつだ、なんと云う処まで責任問題が及ぶとすると、地獄省の政治家や役所の相当お偉いさんの近辺にまで追求とかが行くでしょう。そうすると間違いなくその後に、政治家やお偉いさん同士の陰鬱な暗闘があったり、そのとばっちりが我々にも及んだりしますしね。それに閻魔大王官を選定、配置する制度そのものが問題だと云う事になれば、抜本的な現行制度の見直しだとか何だかんだと、結構煩わしい仕事がまた増えたりで、結局、下端の我々が泣きを見たり、忙しい羽目に陥るだけのような気がしますが」
 審問官はあくまで、消極的な態度の中に居竦むような風情なのでありました。
「比較的簡単に、香露木閻魔大王官を罷免することは出来ないのですか?」
「そうですね、なかなか難しいかも知れません。閻魔大王官と云うのは名誉ある終身職みたいなものですからね。地獄省の社会的な価値基準の一端を、根本から問い直すと云う事にもなりますから、色々多方面からの反対も多いでしょうね、そう云うのは」
「なにやらつまらない処で、無意味な逡巡やら大袈裟な危惧やら官僚的惰気やらが、不必要な壁を造っているように感じられますね。こう云う云い草は失礼かも知れませんが」
 拙生は審問官や記録官の感情を害さないように気を遣いながら、なるべく無表情に、無抑揚な口調でそう云うのでありました。
「亡者様の中にそう云う意見があると云う事は、一応上に伝えさせて頂く事はお約束します。貴重なご意見を拝聴出来た事を感謝いたします」
 審問官と記録官がまた揃って、拙生にお辞儀をするのでありました。
「しかし、そんな単純ミスを放置されていると、我々亡者も困惑するしかありませんなあ」
 拙生は尚も少々、云いつのるのでありました。
「いやところが亡者様の方も、それであんまりお困りにはならないようなので。今まで香露木閻魔大王官の迂闊な仕事ぶりに対する苦情は、一つも報告されてはいないのですよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 43 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 審問官が顔を上げながら云うのでありました。
「それはまたどうして?」
 拙生は審問官の、拙生の食い下がりを然程問題にもしていないような不貞々々しさが、目尻に仄見えるところの生真面目顔を眺めながら聞くのでありました。
「いやね、亡者様の方もどうも、そのせいで娑婆へ戻る事が出来るとなると、そりゃまた結構とか、しめしめ、等とお考えになるようで」
「ああ、そうか。そう云うところもありますか、確かに」
「矢張り亡者の方々の多くは、出来れば娑婆へ戻りたいと云うお気持ちが強いようですからね。だから棚から牡丹餅の、願ったり叶ったりの香露木さんのミスと云うわけです」
「香露木さんのミスも、秘かに喜ばれている側面もあるわけですね。こりゃ厄介だ」
「そう云う事です」
 審問官がそこでポンと一つ手を打つのでありました。
「だから、香露木さんを罷免しないでいるのは、亡者の方々の、公然とは出来ないけれど、切なるご希望と云うところでも、ま、あるわけで」
 これは記録官が、同じようにポンと音を立てて掌を打ちあわせながら、意味ありげな笑みを浮かべて云う言葉でありました。
「夫々の思惑が絡んで、現状が黙認されている状態なわけだ」
 拙生はなんとなく眉根を寄せて、何度かゆっくり首を横にふりながら云うのでありました。しかしこれは実のところ、拙生が決してそれを苦々しく思ったと云うわけではなくて、まあ、なんとなくその場の雰囲気で、無表情でいるよりはそう云う顔をして見せた方が、話しの流れの中では妥当かなと云う安易な了見からなのでありました。
 ま、拙生としては、自分がもうすぐ閻魔大王官のお裁き、いや、お裁きではないと聞いたのではありましたが、ともかくそれを受けると云う実感が、その時未だ差し迫ったものとして感じられなかったのであります。だから、どうだって構わない他人事のような気がしていたのであります。ま、それは今の己の置かれた状態に鈍感な、あんまり按配の良くない気分なのかも知れませんが。
「ところで貴方も、出来れば娑婆へ帰りたいとお思いですか、今?」
 審問官が聞くのでありました。
「うーん、そうですねえ、・・・」
 拙生はちと考えるのでありました。
「大方の亡者様は、出来る事なら戻りたいと仰いますよ、ここでは」
「まあ、戻りたいような、戻りたくないような。複雑な心境です」
「おや、あんまり娑婆に、思い残した事はおありにならないと云うので?」
「いやいや、そんなことはありません。死ぬ前に一度は飲んでみたいと思っていた生一本の日本酒も、結局飲まず仕舞いでしたし、一度は後ろから蹴飛ばしてやりたいと思っていた上司も、遂に蹴飛ばさず仕舞いだったし、一度は口応えしてやろうと思っていたカカアの小言にも、口応えする勇気すら出ず仕舞いでしたし。・・・」
(続)
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もうじやのたわむれ 44 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「世の中のためにこう云う事をしておけば良かったとか、これをやっておけば世界中の多くの人が幸せになっただろうにとか、そう云った大それた事はおありにはならないので?」
「まことに面目ない」
 拙生は苦笑うのでありました。
「結構です、結構です」
 審問官が寛容な笑みを満面に湛えて頷くのでありました。
「当人の大袈裟な思い残し程、返って世の中にしてみれば、していてもしない儘でいたとしても、結局どうでも良い事だったりしますからね」
 審問官はそんな皮肉めいた事を云いながら、ボールペンをくるんと回すのでありました。
「そう云われて仕舞えば、私には娑婆には未練はないと云う事になりますかな」
「ま、そういうわけで」
 審問官が指先に持ったボールペンを、コンダクターが持つ指揮棒のように立てて見せながら云うのでありました。「亡者様のまるで宝くじに当たったみたいな、棚から牡丹餅の、願ったり叶ったりと云う秘かな歓喜から、貴方は違うにしろ、香露木閻魔大王官のミスはある意味で歓迎されているとも云う事が出来るのですし、その亡者様の意向と、貴方が云うところの、我々の無意味な逡巡やら大袈裟な危惧やら官僚的惰気やらが重なって、寧ろ結構な按配に放置されていると云うわけです」
「成程ね。確かに宝くじだと考えれば、香露木大王官のミスも、思わぬ我々亡者へのサプライズな贈り物だと云う事になりますか」
「貴方の場合、本当に娑婆に心残りはおありにならないのでしょうか?」
 記録官が聞くのでありました。
「そうですね、取り立てて。まあ、確かに娑婆に戻れるのであれば、戻りたいと云う気持ちはありますが、しかしそれは夏休みが終わった、始業式の日の朝の気分みたいなもので、強い願望と云うよりは寧ろ、ほんのちょっとした未練と云う程度のものですかな」
「結構、あっさりしておられるのですね」
「あっさり、と云うか、ある意味で、うっかり、と云うか」
「うっかり、ですか?」
「本当は娑婆で大切なことをし忘れてきたのかも知れませんが、それが大切だったと云う事を、ここに至っても未だ自分で気づいていないのかも知れませんから」
「ああそうですね。そう云う事はあるかも知れませんよね。尤もこれはあくまで一般論として云っているのであって、特に貴方の事を指差して、うっかり者だと云っているのでは全くありませんから、ここら辺はどうぞ誤解のないようにお願いします」
「いや、私の事だと指差して結構ですよ。向こうでは家でも学校でも職場でも、私はうっかり者の無精者で通っておりましたから。それで気分を害することなんかありませんよ」
「いやいや、何を仰いますやら。そう云う風に云われるとこちらが困って仕舞います」
「いやいやいや、困らせる積りではなくて、これは本当の事なのですから。なんなら今、おいそこのうっかり者、と呼んで頂ければ、はいと元気良く手を挙げて返事をします」
(続)
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もうじやのたわむれ 45 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「いやいやいやいや、そんな事はないでしょうけど」
「いやいやいやいやいや、それがそんな事が大ありなのです」
「いやいやいやいやいやいや、・・・」
「青木君、その、いやいやの遣ったり取ったりを、未だずっと続ける積りかい?」
 これは審問官が記録官を、それに暗に拙生を窘める言葉でありました。
「いやいやいやいやいやいやいや」
 記録官が審問官の方に掌を横に忙しなくふりながら云うのでありました。
「いい加減にしなさい」
 審問官がツッコミの仕草をするのでありました。「そんなことを何時までもやっていたら、亡者様に失礼になるだろう。ねえ?」
 審問官の最後の、ねえ、は拙生の方に顔を向けての言葉でありましたから、当然こう云う場合の常識として、拙生も掌を横に忙しなくふりながら云うのでありました。
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
「もうええ、ちゅうねん」
 審問官が期待通りツッコむのでありました。
「ところで、こう云ったくどいかけあいの冗談はさて置き、後で教えて頂けると伺っていた、閻魔大王官のお裁きの件に関してなのですが」
 拙生は語調を変えるのでありました。「その問題の香露木さんも含めて、矢張り極楽に行くのか地獄に留まるのかを、我々亡者は閻魔大王官に裁かれるのですよね?」
「裁く、と云う言葉は何度も云いますように不適当でしょうね」
 審問官も物腰をクールに改めるのでありました。
「お裁き、と云う事ではないと再三お聞きしましたが、ではその、お裁きではないところの具体的な按配と云うのか、様子と云うのか、その辺は?」
「裁きは、何か罪があってこそ行われるものでしょうが、一体に亡者様には、裁かれるべき罪はなにもないと云うのが、我々の亡者様に対するスタンスであります」
「ほう。我々にはなにも罪がないと仰るので?」
「そういう事です」
 審問官は威厳を持って一つ頷くのでありました。
「しかし娑婆に於いて、大小や顕秘の別はあるにしろ、私なんかも色々浚われるべき罪科を多く所有して、この世へやって来たと考えるのですけれど。・・・」
「いやいや、娑婆での罪科は娑婆での罪科であり、それはあちらで裁かれる性質のものなのですから、娑婆にお娑婆ら、いや、おさらばした段階で、それはもう無意味と云うか、すっかり帳消しとなるべきものです。こちらではそんなもの、与り知らぬことですよ」
「与り知らぬ、ですか?」
「そうですね。例え向こうでその罪科を償わないでこちらにいらしたとしても、だからと云ってその報いをこちらに委託されても困るのです、我々としては」
「ふうん。そうあっさり云われてみれば、その通りなのでしょうけれど。・・・」
(続)
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もうじやのたわむれ 46 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 閻魔庁で裁かれるべき罪などないと云うのでありますから、拙生としては解放感すら覚えて然るべきなのでしょうが、なんとなく了見の上で釈然としないのでありました。
「向こうでの行いはもう、こちらに来た以上、向こう、いや無効ですよ」
 審問官が相変わらずの洒落を交えて云いながら、ハッハッハと笑うのでありました。
「しかし向こうの世で、法律的な罪科として成立しはしなかったにしろ、嘘をついたり不誠実なるふる舞いをしたりと、倫理道徳上と云うのか、色々後ろ暗いところは大いに覚えのあるところなのですが、それも裁かれないのでしょうかね?」
「はい、裁かれません」
「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれる、なんと云うことも実際ないのですか?」
「ありません。第一閻魔大王官は医学の心得など全く持っていませんし、若しそんな事をすれば医事法違反になります」
「いや医療的な処置として舌を抜くのではなくて、罰としてそうするのだと云う事です」
「そんな乱暴な事はこちらではいたしません。根も葉もない噂の類でしょうね、それは」
 審問官はそう云って背凭れに少し身を引くのでありました。
「しかし宗教的なところでは仏教にもキリスト教にも十戒とかがあるし、神道にも天津罪とか国津罪とかあるじゃないですか。他の宗教にだって色々あるんじゃないですか?」
「それはあるでしょうけど」
「そう云った戒律を破れば、当然こちらで罰が当たることになるのではないでしょうか?」
「いやいや、それもあくまで娑婆の中だけで通用する戒律なり罪科なり、それに対する罰以上ではないでしょう。娑婆から離れれば適応外ですよ、そんなもの」
「向こうの世での罪科は、こちらでの審理に何ら反映されないのですか?」
「関係ありません」
「いやしかし、因果応報で、向こうで積んだ罪科が、こちらに来てから我々亡者にふりかかるものとばかり思っていたのですがね」
 拙生は腕組みをして大袈裟な深刻顔で頭を傾げるのでありました。
「いやいや、何度も云いますが、娑婆での罪科は娑婆の方で完結して貰わないと」
「いやいやいや、あちらでの罪科がこちらのお裁きに反映すると思うからこそ、プレッシャーとなるわけじゃないですか」
「いやいやいやいや、そのプレッシャーはあくまで娑婆で生きる上でのプレッシャーであって、娑婆にさよならしたならもう、そのプレッシャーは意味を持ち得ないでしょうし」
「いやいやいやいやいや、・・・」
「もうええ、ちゅうねん」
 今度は記録官が拙生と審問官にツッコミを入れるのでありました。
「まあ、娑婆の誰かが、そう云う風に云っておく方が何かと好都合だと考えて、こちらを利用したのでしょうね。その辺はこちらも充分認識し、それなりに理解しております」
 審問官がそう云ってボールペンをくるんと回すのでありました。
「ああそうですか」
(続)
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もうじやのたわむれ 47 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 拙生は口を尖らすのでありました。「そうと判っていれば、もうちいとばかり、娑婆でしたい放題をしておくべきでした。今となってはもう後の祭りですが」
「残念でした」
 審問官が真顔でそう云ってお辞儀をするのでありました。
「貴方は浄土真宗でいらっしゃるのですから、況や悪人をや、の悪人正機説の本場のご宗旨ではないですか。悪人こそ往生出来ると、既にご承知のはずだったのでは?」
 これは記録官が云うのでありました。
「それはそうですが、なにせ小心者で、そう云って油断させて置いて、いざとなったら罰を被らされるのではないかと、秘かに恐れていたわけです」
「まあ、浄土真宗であろうと浄土宗であろうと、曹洞宗であろうと臨済宗であろうと、真言宗であろうと日蓮宗であろうと、また他の宗派であろうと、基本的に仏様は慈悲を垂れるのが本業であって、何人も罰することはないのでしょう、娑婆の考えでは?」
「だから代わって、閻魔様がひどい事をするのだと思っておりました」
「それが誤解なのです」
 これは審問官の言葉であります。「繰り返しになりますが、先ず以って閻魔様と云う個性は存在しないし、それは閻魔大王官と云う地獄省閻魔庁内の役職名です、正しくは。それに仏様と云うのも、実は極楽省の官吏の総称で、如来庁阿弥陀局とか薬師局とか大日局とか、或いは菩薩庁普賢局とか弥勒局とか地蔵局とか、つまりそう云うものなのですよ」
「ふうん、それが実際なのですか」
 拙生は顎を撫でるのでありました。「その極楽省の如来庁や菩薩庁の仏様の名前のような各部署と云うものは、どう云う仕事をする役所なのですか?」
「まあ、極楽省に行かれた亡者様や極楽省で暮らす霊に、様々な行政サービスを提供する役所と云う事になります」
「それは勿論そうでしょうが、もうちいと詳しく教えて頂けるなら?」
「詳しくと云われましても、極楽省は地獄省に比べれば膨大な数の役所の部署がありまして、その一々を紹介しておりますと大変な時間がかかります。それに極楽省の事は、もし今後、貴方が極楽省に住霊登録されるか、極楽省に移住される事になった場合、ご自身で御調べになった方が宜しいかと思います。我々としては他省の事でもあり、管轄外のところを迂闊に無責任に、生半可な知識であれこれご紹介するのもなんですからね」
 審問官が無表情で、如何にもお役人然とした物腰で云うのでありました。
「ああ、そうですか。因みに、住霊登録、は娑婆の、住民登録、ですよね?」
「正解!」
 審問官はぞんざいにピースサインをして、役人然とした口調でそう肯うのでありました。
 拙生としては、審問官が応えることに消極的な態度を見せているわけだから、この質問は取り下げざるを得ないなと、ある意味納得するのでありました。
「ところで、貴方はどう云った経緯で、向こうの世を辞去されたのでしょうか?」
 審問官が話題を変えるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 48 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 拙生としては、その質問の回答はひょっとしたら審問官が前に広げている、娑婆での拙生の経歴やら何やらを記してあるであろう書類に、ちゃんともう書いてあるのではないかと思いながらも、一応自ら説明するのでありました。
「実は、恥ずかしながら、鯖に中ったのです」
「鯖に中った?」
 審問官はそう語尾を上げて云いながら、書類に目を落とすのでありました。「ああ、本当だ。ここにちゃんと書いてある」
 ほうら矢張り書いてあるじゃないかと思って、書類に目を落としている審問官の頭頂の旋毛をぼんやり眺める拙生の、顔は概ね無表情な儘ではありましたが、気づかれない程度に両目がやや細くなるのでありました。
「余所から思いがけなく鯖を貰いましてね、その時カカアが、高校の同窓会とかの出席がてら実家に帰っておりまして、丁度いいやと云うんでその貰った鯖を二枚に下ろして、骨つきの方を冷蔵庫に仕舞って、片身をガスレンジで焼いて、それを肴に、これも余所から貰った酒をちびちびやっていたんですよ。多分焼き加減が足りなかったのでしょうね、食っている最中からなんとなく生っぽいとは思っていたのですが、また焼き直すのも面倒なのでその儘食っちゃったのです。そうしたらてき面、見事に大中たりしましてね」
「ああそうですか。それは災難でした」
 審問官が一応気の毒そうに云うのでありました。
「なんとなく落語の『地獄八景亡者戯』その儘ですね」
 これは記録官の、口から吹き零れそうになる笑いを堪えながらの科白でありました。
「ちっとも賑々しくもなく、なんともお粗末な最期で、実に以って面目ない次第です」
 拙生は自嘲的な笑みを浮かべて頭を掻いて見せるのでありました。
「いやね、貴方がこの部屋に入っていらした時、まあ、こちらにいらっしゃるには未だお若くて、娑婆で天寿を全うされたようには見えないと、ちらと思いはしたのですよ」
 審問官は未だ気の毒そうな口調の儘で云うのでありました。
「そうですね。ま、事故死です。あんまり恰好良い派手な事故ではありませんが」
「事故に恰好良いも悪いも、派手も地味もないでしょうが」
「それじゃあ向こうに思い残した事も多々、本当はおありのはずでしょうに?」
 これは記録官が、ともすると竟漏れ出ようとする笑いをなんと外に漏らさないようにしながら、口の中でモゴモゴと云った言葉であります。
「いやあ、取り立ててそう云うのはなにも思い浮かびませんねえ、今は」
「なんの兆候もなく、こちらに突然来ることになったのですから、娑婆に残してこられた奥さんの事とか、お子さんの事とか、仕事の事とか、そう云うのは気になりませんか?」
「いや特段には。ま、それは仕方のない事ですから」
「諦めが早いと云うのか、全くあっさりされていますねえ」
「いやこれも、あっさり、ではなくて、うっかり、と云うべきところでしょう」
 拙生はそう云って、ハッハッハと笑って見せるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 49 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「いやいや、まことに呑気、・・・いや違った、まことにご達観の段、恐れ入りました」
 記録官が深々とお辞儀をして見せるのでありました。
「ま、強いて挙げれば、娑婆に思い残した事と云えば、・・・」
 拙生がそこまで云うと記録官が拙生の前に掌を挙げて見せて、拙生のその後に続く言葉を遮るのでありました。
「それは、どうせ死ぬのなら、冷蔵庫に残しておいた骨つきの方の鯖の片身も食っておけば良かった、とか云うものでしょう、屹度?」
「正解!」
 拙生はピースサインをして見せるのでありました。
「落語の『地獄八景亡者戯』を聴いた事があれば、簡単に判りますよ」
「いやいや、どうも恐れ入ります」
 拙生は記録官と一緒に笑いながら、頭を下げるのでありました。「それから兆候と云うことに関してですが、全く不意にこちらに来る事になった、と云った感じではなくてですね、実は妙なもので、なんとなく直前に兆候みたいなものはあったのです。まあ、気づくか気づかないか微妙なものではありましたけれどね、今にして思えば」
 拙生がそう云うと審問官も記録官も少し身を乗り出すのでありました。
「ほう、前触れみたいなものを感じられたのですか?」
 審問官がやや首を傾げるのでありました。
「今考えれば、あれが前触れだったと考えられなくもない、と云ったところです」
「それはいったい?」
「いやね、ガスコンロの魚焼きにアルミホイルを敷いて、鯖を入れて火を点けようとしたのですが、いつもはそんなことはないのですが、何度点火スイッチを押しても、どう云う按配なのか、カチカチ云うばかりでなかなか火が点かなかったのですよ」
「ほう、そうですか」
「今思えば、虫が知らせると云うのか、天がこの鯖は喰うなと暗示していたのかなと」
「ふうん、成程々々」
 審問官がそう云って腕組みをするのでありました。
「折角こちらへ来たのですからお訊ねしたいのですが、あれは天が、つまりこちらの世の何かしらの意図が、ガスコンロの火を点けようとしてもつかないと云う現象で、ある種の警告みたいなものを、私に発したと云う事なのでしょうかね?」
「うーん、まあ、それは推理のし過ぎでしょう」
 審問官が腕組みの儘云うのでありました。
「ありゃ、そうなのですか?」
 拙生はほんの少しがっかりしたような口調で返すのでありました。
「こちらの世からあちらの世に警告を発するなどと云うような事は、全くありません。あくまであちらはあちら、こちらはこちらです」
 審問官はクールにそう云うのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 50 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「ああそうですか。あれは娑婆にいる私への、こちらの世からの何かしらのサインだと思わないでもないのでしたが、そうじゃなかったのですか。それじゃあ、向こうの人間の運命と云うものを、こちらが制御しているとか、見張っているとか云う事はないのですね?」
 拙生はそう聞くのでありました。
「はい。ありません。こちらの世と向こうの世は、相対的独立の関係です。貴方の仰った今のご意見は、些か観念論的だと思われます」
「成程、弁証法ですね。なんか話しが小難しくなってきましたなあ」
 拙生はそう云った後に、なんとなく居住まいを正すのでありました。「私の考えは観念論的だと云う事ですが、その辺をもう少し詳しくお聞きしたいのでけれど、こちらの世は神様と云うべきか何と云うべきか、そういった超存在みたいな方がいらっしゃって、その方があらゆるものを総て主宰されていると云うのではないのですか? 向こうの世にいた時に、なんかそう云う風に聞き及んでいたのですがね。まあ、これは一神教的な考え方で、仏教や神道なんかはちょいとばかり色あいが違うのかもしれませんが」
「いやあ、そんな風な事はないと思いますよ」
 審問官があっさりそう云って、少し口を尖らせるのでありました。
「その超存在はこちらの世どころか、あちらの世の方も実は完全統治されていて、あちらの人間の運命すらその手に握っておいでになるとか?」
「いやいや、私の承知している実状とは違いますねえ、それは」
「しかし地獄と極楽があって、向こうの世で仕出かした事の因果で、我々亡者がどちらに行くかふり分けられたりするのだとすると、これに関しては向こうで聴いた仏教的な絵柄と云うのか運命的見取り図と云うのか、兎に角そう云うものと同じではないですか?」
「再三再四申し上げているように、閻魔庁は亡者様のふり分けのお裁きをする処ではなくて、亡者様のご希望を聞いて、なるべくそれに沿うようにお手伝いする役所です」
 審問官はこれ以上ないと云うような、律義で真面目な表情をして云うのでありました。
「では端的にお聞きしますが、こちらに神様とか仏様とか、そう云った方はおいでにはならないのでしょうか?」
「まあ、キリスト様とかお釈迦様とかマホメット様とか、そう云った名前で呼ばれていらっしゃる、随分前にこちらの世にお越しになった、娑婆で宗教関係のお仕事をされていたらしい方々は、確かに極楽省の方に住霊登録されていたとは聞き及んでおりますが」
「ではエホバ様とかアッラー様とかアフラマズダ様とかは? 仏教で云えば阿弥陀如来様とか大日如来様とか、弥勒菩薩様とか普賢菩薩様とか、・・・」
「それは一部、極楽省の役所の名前です」
「ああ、そうでしたね。では前の方で云ったエホバ様とかは?」
 拙生がそう聞くと、審問官は戸惑ったような顔をして記録官の方を向くのでありました。
「ちょっと資料室まで行って調べてきましょうか、そう云うお名前の方が地獄省なり極楽省なりにいらっしゃるかどうかを?」
 審問官の戸惑い顔を受けて、記録官がそう云って立ち上がるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 51 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「そうだね、じゃあ、頼むよ」
 審問官が頷くと、記録官はきびきびとした物腰で審問室を出て行くのでありました。
「なんかつまらない事をお訊ねして、余計なお手間をおかけしているみたいで。・・・」
 拙生は恐縮の態を示すのでありました。
「いやいや、そんな事はありませんよ。こう云うのも我々の仕事の内ですから。どうぞなんのお気遣いもなさらないように」
 審問官はにこやかにそう云って、拙生の恐縮を減じてくれようとするのでありました。
「今頃こんな質問は、とお思いになるかも知れませんが、地獄省、と云う名前は、それはそれで色んな宗旨に共通性があるかとは思いますが、極楽省と準娑婆省と云う名称となると、これは如何にも仏教的で、例えばキリスト教を向こうの世で信仰されていた方とかは、大いに違和感を抱かれるのではないかと思うのですが?」
 記録官が調べを終えて戻ってくるまで、この部屋で審問官と二人きりで、その帰りを黙って待っていると云うのも、なんとなく間が持てない気がするものだから、拙生は審問官にそんな質問を投げてみるのでありました。
「そりゃそうです。キリスト教なら地獄省はインフェルノ省とか、極楽省は天国省とかヘブン省とか、準娑婆省と云うのもなにか他の名前の方が馴染まれるでしょうね。神道なら地獄省が黄泉省とか、極楽省が常世省とか天津省とか高天原省とかかな。準娑婆省は、これはなんでしょうね。準国津省とか準葦原の中津省、或いはもっと長々しくて、準豊葦原の千秋長五百秋の水穂省、でしょうかね。まあ、私はあまりキリスト教とか他の宗教とか、それに日本神話とかに詳しくないものですから、上手く置き換えが出来ませんが」
 審問官がそんな事を返すのでありました。
「極楽省、地獄省、準娑婆省と云う省の呼称で、キリスト教の方とか神道の方とか、それに他の宗教の方々から抗議を受けるなんと云う事はないのでしょうか?」
「いやいや、ここはあくまで国籍が日本国で、葬儀を浄土真宗で営まれた方を対象とした審問室ですから、そのようなご抗議を受ける事はありませんよ」
「ああそうですか。では、例えば国籍が日本で、葬儀を真言宗で営まれた方とか、華厳宗で営まれた方とか、或いは神道で営まれた方とか、キリスト教で営まれた方とか、イスラム教で営まれた方とか、ヒンズー教で営まれた方とか、拝火教でいとなまれた方とか、または、国籍がロシアで、葬儀をキリスト教で営まれた方とか、仏教で営まれた方とか、イスラム教で営まれた方とか、他にも色々な審問室が専用に揃っているのですか?」
「はいそうです。キリスト教にしてもカトリックとかプロテスタントとか東方正教系とか、その中でも色々な宗派毎に。イスラム教ならスンニ派とかシーア派とか、その中の色んな宗派毎に。まあ、日本の仏教でも浄土真宗もあれば浄土宗もあれば臨済宗もあればと云ったのと同じに、非常に細かく区分されて審問室が設けられております」
「向こうの世にある総ての宗教、宗派が、国別に総て揃っているわけですね?」
「その通りです」
 審問官は大きく頷いて見せるのでありました。「で、私は日本国浄土真宗の審問官です」
(続)
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もうじやのたわむれ 52 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「たとえば国境紛争地域の亡者なんかは、どう云った国別に区分されるのでしょうか?」
 拙生は少々こみ入ったところを質問するのでありました。
「当然、国境未確定地域、と云う名前の審問室があります」
「ああ成程。では葬儀の宗旨の方も、無宗教、なんと云う括りもあるのでしょうね?」
「はいその通りで」
 審問官は何故か愛想笑いながら頷くのでありました。「こちらでは無宗教と云うのも、一般には無宗教教、区分の必要な場合は無宗教教諸派と云う宗旨として扱わせて頂いております。勿論そんな風に区分される事にご不満の向きもあるでしょうが、一応便宜のため以上の意味はないと云う事を丁寧にご説明申し上げて、亡者様各位にはなんとかご理解を賜っております。その辺は一応、抜かりなく努めさせて頂いておる積りでおります」
「そうなるとその線に沿って云えば、国籍がカシミール国境未確定地域で、葬儀の宗旨が無宗教教、或いは、国籍が西サハラ国境未確定地で、葬儀の宗旨が無宗教教諸派ニヒリスト部、なんと云う区分なんかもひょっとしたらあるわけですかな?」
「ニヒリスト部、と云う区分けはありませんがね」
「ああそうですか」
 拙生は頷くのでありました。「兎に角、向こうの世に在るあらゆる国や地域、あらゆる宗教宗派を網羅して、審問室が設えられているわけですね?」
「はい。漏れなく。念を押す事になりますが、一応便宜的に、であります」
 審問官が久々にボールペンをくるんと回すのでありました。
「例えば何らかの理由で、葬儀を行わないでこちらにやって来た亡者なんというのは、これはどう云う扱いになるのでしょう?」
「それは一応、その亡者様が娑婆でお亡くなりになる以前に、或る宗教に入信する明白な意思表示をなさっている場合はその宗旨に、或いはそうでない場合は、その亡者様がお生まれになった実家の宗旨に区分する、と云う様な扱い方をさせて頂いております。それすらも明確ではない場合は、葬儀宗旨未確定と云う括りの審問室がちゃんとあります」
「それはなんとも行き届いた事で」
「スムーズな審理で亡者様を寸時も困惑させない、と云うのを旨として、我々はサービスにこれ努めておりますので」
 審問官がそこでお辞儀をするのでありました。
「だからつまり、私はこの審問室でお二人と、生前使っていた日本語で、なに不自由なく会話が出来ると云うわけですね?」
「まあ、そうですね」
「それじゃあ、国籍がアメリカとかロシアとか中国とかの場合の審問室には、その国の言語に堪能な審問官さんと記録官さんがいらっしゃるわけですね?」
「はいそうです。その亡者様がこちらへいらっしゃる前に馴染んでいた、言葉にも習慣にも宗旨にも精通している専門官がおります」
 審問官はもう一度拙生にお辞儀をして見せるのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 53 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「当然そうなると、前にお聞きしたように、極楽省とか地獄省とか準娑婆省とかここで使っている呼称も、国別宗旨別に全く異なる名前になるのでしょうね?」
「その通りです。その土地の言語で、その宗教で呼ばれている呼称に置き換わります」
「極楽省とか地獄省と云う省名は、唯一絶対の名称と云うわけではないのですね?」
「そうです。前に申したように他の審問室では地獄省はインフェルノ省とか、極楽省はヘブン省とか、パラディソ省とか、豊秋津なんたら省とか云う名前になるはずです。我々鬼も、デーモン、とかなんとかそんな風になりましてね。冗談で、鬼よりデーモンの方が恰好良いなあとか、仲間と居酒屋で酒を飲んだ時なんかによく話題にしたりしていますよ」
 審問官がハッハッハと笑うのでありました。
「云ってみればここで使っている、地獄省とか極楽省とか準娑婆省とか云う呼称も、鬼とか亡者とか云う言葉なんと云うものも、ここでだけ、と云う事で、この部屋以外では色々別の呼び方であって構わないのですね、単に、私が判ればそれで良いと云うだけで?」
「ま、そうです。全く便宜的に使用しているだけです」
「ちゃんとした生一本の、正式な、極楽省とか地獄省とか準娑婆省の名称と云うのは、どうなっているのでしょうかね?」
「それは、娑婆、じゃなかった、鯖を喰って娑婆からお鯖ら、いや違った、おさらばされた貴方が今後、こちらに住むようになったら、自ずと判りますよ」
 審問官はまたもや洒落混じりにそれだけ云って、なんとなく余裕の笑みのような、拙生の疑問をそう焦るなと窘める笑みのようなものを頬に浮べるのでありました。
「ああそうですか。・・・」
拙生は審問官の、如何にも思わせぶりをするようなその笑いに、なんとなく内心苛々とさせられるのでありました。
「まあ、今後の事は、そう性急に心配なさらずに」
 審問官の頬の笑いが、より濃くなるのでありました。
「ではまあ、それはそう云う事として、それなら違う疑問を呈させて頂きますが、そう云った言葉も宗旨もバラバラの儘の亡者が、一緒に混じりあって地獄省なり極楽省と、仮にこの部屋で呼ばれている処に住むのでは、言語のバリアや宗教的禁忌なんかのために、意思疎通が上手く図れなくて、色々小難しい問題が起きたりはしないのでしょうかね? これからこちらにご厄介になる身としては、その辺りがなんとなく不安になるのですがね」
 拙生は審問官の頬の笑いに対抗するように、真顔の儘で聞くのでありました。
「いやそれはご心配なく。こちらに住んで頂くについては、住む省が決まった後に、ちょっとした絡繰りが施されますから」
「へえ、絡繰り、ねえ。その絡繰りと云うのはいったい?」
「それはですね、・・・」
 審問官がその説明をしようとした時、ちょうど審問室のドアが開いて、記録官が片手にメモを持って入ってくるのでありました。
「おや、案外早かったね、青木君」
(続)
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もうじやのたわむれ 54 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 記録官は審問官のその言葉に目礼して、きびきびとした動作でまた自分の席に戻ると、審問官の顔を、それから次に拙生の顔を見るのでありました。
「エホバ様、アッラー様、それにアフラマズダ様と云うお名前で、極楽省の方に住霊登録されている方はいらっしゃいませんね。阿弥陀如来様も大日如来様も、それからええと、弥勒菩薩様も普賢菩薩様も矢張りいらっしゃいません。まさかそう云った方々が地獄に居られるとは考えられませんが、しかし一応念のために地獄省の方も調べてみましたが、こちらにも当然ながら登録がありませんし、準娑婆省の方にも見当たりません。尤も、準娑婆省に関しては調査資料が古いものですから、その資料が作成された後に、そっちに留まっていらっしゃると云う場合も、可能性としては否定は出来ません。・・・ま、以上です」
 実は拙生は態々調べたりしなくても、国籍が日本国で葬儀の宗旨が浄土真宗の審問室の専門官なのだから、エホバ様やアッラー様は別にしても、他の仏様の居所くらいすぐにちゃんとした応えが出来るだろうにと、秘かに苛々しながら思ってはいたのであります。しかし記録官の手間にも足労にも恐縮するところがあったものだから、それは拙生の腹の中に仕舞って、成り行きの儘に何も云わずに感謝の表情を記録官に向けるのでありました。
「矢張り、極楽省の役所の名称にそんなのがあると云う以外、そう云うお名前の個人、いや違った、個霊はいらっしゃらないと云う事でしょうね」
 審問官がボールペンを回しながら悠長に云うのでありました。
「敢て、お聞きしますが、審問官さんも記録官さんも、もう既に阿弥陀如来も大日如来も、弥勒菩薩様も普賢菩薩も、そのなんたるかをちゃんとご存知ですよね?」
「ええ、勿論知っております。極楽省の役所です」
「記録官さんのご苦労には感謝いたしますが、しかしだったら、態々調べるまでもなかったのではないでしょうか? それは無意味だったと迄は云いませんが」
「しかしエホバ様やアッラー様の場合は、我々はよく承知しておりませんから」
 審問官が云うのでありました。
「まあ、より正確を期して、と云う事で調べたまでです。どうせ後の仕事がつまっているわけでもありませんから。それに偶々極楽省の役所と同じ名前の個霊が、決していないとは限りませんからね、調べてみないと」
 これは記録官がなんとなくのんびりとした口調でいうのでありました。
「律義な仕事ぶりには、大いに敬服いたしますが」
「まあ、なんにつけても念には念を入れませんと。これは私の性分なんですよ。判然としない儘では、私の気持ちがなんとなくモヤモヤし続けますから」
 記録官がそう云ってメモを背広の内ポケットに仕舞うのでありました。
「つまり要するに、話しを元に戻すと、神様とか超存在とか向こうの世で云っていた方々は、こちらにいらっしゃらないと云う事ですね?」
「そう云う風になりますね」
「それらの方々は、向こうの世で想像された観念と云うわけですか。つまりこちらに来てみて、私は漸く判ったわけです、向こうにもこちらにも、神も仏もない、と云う事が」
(続)
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もうじやのたわむれ 55 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「それは何とも切ない事で」
 審問官が気の毒そうに云うのでありました。
「それじゃあ、その切なさを解消するために、話しを元に戻します」
 拙生は両腕をテーブルの上に組んで置くのでありました。「娑婆で云われていた閻魔様のお裁きの、その実態の方は、つまりどう云うものなのでしょう?」
「まあ、この審問室で貴方のご希望を予めお伺い致しますが、その後に閻魔大王官の審理室の方へ行って頂き、そこで地獄省か極楽省のどちらに住霊登録するか、閻魔大王官の前で明瞭に意思表示して頂く事となります。閻魔大王官はもう少し詳しく貴方のご希望等をお伺いして、まあ、前にちょっとお話しさせて頂きましたが、そのご希望に添うように決裁書類を作成して決裁印を押して、それを、極楽行き、地獄行き、再審理、と云う三つの箱のどれかに入れます。それだけです。まあ、閻魔大王官は基本的に地獄省に所属する役人ですから、貴方が地獄行きをご希望の場合、各種の地獄、つまり省内の八地方ある居住地域の詳細なご紹介をさせて頂き、どこをご希望されるかをお伺いすると云う事もその後にさせて頂きます。これは地獄省専用の別の決裁書類を作成して、これも別の八つの箱の方へ、そのご希望に沿って書類を入れます。まあ、これで手続きはほぼ完了となります」
「その一連の手続きにはこちらの希望が最優先で、そちら様のご意向、つまりお裁きみたいなものは全く反映されないのでしょうか?」
「はい。こちらでは亡者様のご希望に、なんらの意見も意向も差し挟みません」
「するとここで行われている事も、閻魔大王官の決裁も、それは、審問とか審理と云う程の事ではないのですよね?」
「そうですね。歴史的にそう云われてきたから、一応、審問とか審理なんと云う無粋な云い方をしますが、まあ、ご紹介とかお手伝い、の方がより実際を反映しておりますかな」
「ではここも、審問室、とは云っているものの、実際のところは、あの世紹介室、とかなんとか云った方が適切なのですね?」
「そうですね。ま、あの世紹介室と云うべきか、この世紹介室と云うべきか。・・・」
 審問官は意外にあっさりと頷くのでありました。
「それに貴方のお役職も、審問官、と云うのとはちょっと違うわけですかな?」
「全くそうです。実際は、紹介係りとか案内係りですな」
「序でに云えば。私の方は記録官と称しておりますが、これも記録する事と云ったら、亡者様にこちらの世の大まかな紹介をちゃんとしたかどうか、書類にチェックを入れるだけの至って呑気な仕事ですから、まあ、確認係りとか念入り係り、なんと云うところですね」
 これは記録官が横から云う科白でありました。
「娑婆の方で旅行先の観光地なんかにある、ビジターセンターみたいな感じですよ、この部屋は。さしずめ私なんかはそうなると、観光地の名前を大書してある印半纏を着た観光案内係りで、青木君はその賑やかし係りと云った按配でしょうかな」
「なんか、ぐっとくだけた感じになりますね」
「そんなものですよ、実際は」
(続)
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もうじやのたわむれ 56 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 審問官と記録官が一緒にハッハッハと笑うのでありました。
「実際、審問室とか審問官とか記録官とか、まあ、閻魔大王官と云うのもそうですが、それに、審理、と云う言葉もそうですが、そう云ったしかつめらしい名前は、今の仕事の実状にそぐわないから、ぼちぼち改称いた方が良いかも、と云う意見も庁内にあります」
 これは記録官が云う言葉でありました。「しかし、案内係とか賑やかし係りでは、なんか如何にも威厳がないと云う反対意見も多くありましてね。この問題はここのところずっと、閻魔庁で色々賑やかに議論されておりますよ」
「ふうん。じゃあ、地獄の案内人、なんと云うのはどうでしょうかね?」
 拙生は冗談口調でそう提案してみるのでありました。
「お、やや格好良いですね」
 記録官が乗ってくるのでありました。
「閻魔庁の職員食堂のオジサンなんかは、地獄の料理人、となります」
「プロレスのキラー・コワルスキーみたいですね。いや彼は、地獄の大統領、でしたっけ?」
「料理人はハンス・シュミットです。しかし、キラー・コワルスキーをご存知で?」
 拙生は意外に思って記録官にそう聞くのでありました。
「ええ、知っております。寄席の六道辻亭の斜向かいに、リキ・スポーツパレス冥土アリーナと云う、運動ジムが併設された体育館みたいなもがありましてね、この前そこのプロレス試合で、若手の成長株同士、ジャイアント馬場さんと、その、地獄の大統領キラー・コワルスキーの試合がセミ・ファイナルで行われまして、結構な評判でしたよ」
「ふうん。往年の名勝負と云ったところでしょうか」
「娑婆では、往年の、でしょうが、こちらでは新鮮な名勝負です」
「ところで、それはセミ・ファイナルと云う事ですが、メイン・イベントは誰と誰の試合だったのか、序でにお聞きしたいのですが?」
 拙生はなんとなく興味津々の顔をして訊ねるのでありました。
「力道山対ルー・テーズのNWA世界選手権でした。テレビでも生中継がありましたよ」
「おお、それは凄い!」
 拙生は驚くのでありました。
「両者リング・アウトで、引き分けでした」
「私も是非観たかったですね、その魅力的な試合を」
「なあに、因縁の対決として、これから先もその試合が何度も組まれますよ」
 記録官がいかにも楽しみだと云った表情をするのでありました。
「ちなみに、リキ・スポーツパレス冥土アリーナの横には、三菱電機の掃除機組み立て工場が建っております。それからリキ・スポーツパレス冥土アリーナが老朽化したら、今度はそこに七曲り署と云う警察署が建つ事に、もう話は決まっているみたいです」
 これは審問官が紹介するのでありました。
「掃除機も警察署も、なんか一々、娑婆のあれこれと符合しているような気がしますね」
「ああそうですか」
(続)
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もうじやのたわむれ 57 [もうじやのたわむれ 2 創作]

 審問官が無表情の儘頷くのでありました。
「ええと、で、我々亡者が自分の住み処を好きに選択出来るのなら、亡者の大半が極楽省への住霊登録を希望するのではないですか?」
 拙生は話題を元に戻すのでありました。
「ま、そうですね。なにか娑婆の方では我が地獄省のイメージが、ひどく悪く伝えられているようなので、それは実際とは全く違うと云う事を、我々も閻魔大王官も、亡者様に説明これ努めるようにと云う内規が、実は閻魔庁長官から出ています」
 審問官が少々口を尖らせるのでありました。
「その内規は、極楽省から不適当だと文句が出そうですね?」
「まあ、先程も申したように、それが亡者様のふり分けを地獄省有利に操作しているのではないかと、極楽省からクレームがつく要因の一つではあります」
「しかしですよ、我が地獄省は娑婆で散々ひどいように云われていて、これはそういう固定観念を持ってこちらにいらした亡者様の、その誤解を解こうとする行為でありますから、こちらの有利を期してそんな事をしているのでは、決してないのです。もう初めから、元々、亡者様のお考えの中に於ける、根も葉も幹も枝もない極楽省絶対優位の固定状況に対して、こちらの世のリアルなあり様をご紹介させて頂くと云うことなのですからね」
 これは記録官が少し息荒く云う言葉でありました。
「ああ、成程ね。確かに我々亡者の考えは大いに偏っていいますね、初めから」
「そうでしょう?」
 記録官は苦々しげなトーンを加えて云うのでありました。「地獄省の方だって、結構住み良いところなんですよ、実際は。気候の温暖さとか土地の豊かさでは多少他省極楽省に劣るとしても、それは考えようで、変化に富んだ風土というようにも云えますし、その風土のせいでこちらの方が色々刺激のある生活を楽しめるはずですよ」
「ふうん。そう云われてみれば、そうかも知れませんね」
「向こうの世に地獄省不利な固定観念を流布しようとするのは、あくまで娑婆の誰かが娑婆で自分に好都合なように、イメージを誘導しようとしているだけで、こちらとしては大いに迷惑な話しです。本心で云えば、娑婆の安寧とか秩序とか云われているものを保つために、こちらを利用してくれるなと声を大にして抗議したいのですが、なにせ地獄省から娑婆にアプローチする事は出来ませんから、ただ苦々しく思うだけです。加えて準娑婆省辺りが迂闊に娑婆に怪奇現象なんかを起こして、向こうの世に恐怖を撒き散らしたりするものだから、そのとばっちりで益々地獄省の評判が落ちるのですよ。実に困ったものです」
 記録官はそう云って大袈裟に嘆息するのでありました。
「向こうの世に、地獄省がとんでもなく不利になるような評判を広めたのは、どうやら源信さんというお坊さんが最初のようです」
 今度は審問官がボールペンをくるんと回して云うのでありました。
「ああ、『往生要集』の?」
「そうです。あの本が元凶かと思われます」
(続)
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もうじやのたわむれ 58 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「源信さんは当然、極楽省におられるのでしょうね?」
 拙生は問うのでありました。
「まあ、娑婆の自分との一貫性に拘りになって、一応極楽省の方に住霊登録されましたが、今はもう誤解もすっかり解けて、地獄省には大変迷惑をかけたと仰って頂いております。結構頻繁にこちらに旅行にお出でになったりしますよ。時々ここへも挨拶にお見えになって、その節は申しわけなかったと、閻魔大王官なんかと談笑されたりしておられます」
「ふうん、そうですか」
 拙生はなんとなく後頭部に手を遣って、そこを軽く掻くのでありました。
「さて、丁度そう云う話しが出たから、地獄省の内実を少しお話しいたしましょうか?」
 審問官がそう云って、やや身を乗り出すのでありました。
「そうですね、なんとなく地獄省の実態をお聞きしたい心持ちになってきました」
「取りかかりに、先程ちょっと紹介させて貰った地獄省の、八つの居住地域の大まかな説明なんかを致しましょうか? 詳しくは後程、閻魔大王官からお聞きになるとして」
「そうですね。お願いします」
 拙生のその言葉を聞いて、審問官はネクタイに手を遣ってその曲がりを正した後、背広をしゃんと伸ばして居住まいを正すのでありました。
「八つの居住地域は夫々特徴がありまして、娑婆の方には、正式な地名ではなく、八大地獄、なんと云う形で伝わっておりますかな。源信さんの『往生要集』にも紹介されております。尤も名称も内容も、それに特徴等も全く実情とは違ったようにですがね」
「ああ、八大地獄なら知っていますよ」
 拙生は指を折りながら云うのでありました。「海地獄、山地獄、坊主地獄、カマド地獄、竜巻地獄、血の池地獄、それにええと、・・・」
「それは別府温泉です」
 審問官がすかさず云うのでありました。
「いやどうも、結構なツッコミ、恐れ入ります」
 拙生はお辞儀をするのでありました。
「源信さんの本では、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、無間地獄の八つです。各地獄には夫々十六の小地獄と云うのが付随している、なんと云う感じで紹介されておられますかな」
「ああ、そこへ落ちた亡者同士がお互いに鉄の爪で切り裂きあって骨だけになったり、獄卒が鉄棒で粉々に打ち砕くとか、肉を細切れにしてしまうとか。しかし風が吹くと体が元に戻って、また切り裂きあいをおっ始めたり獄卒に折檻されたりで、それが延々と続くと云う処ですね? 子供の時に聞いてひどくおぞましく思った記憶がありますよ」
「そんなのとは全く違うのですが、ま、源信さんはインドの須弥山と云う処の地下一万キロメートルにある、等活地獄の相としてそう描いておられます」
「その、鉄の爪、と云うところで、テレビで見たフリッツ・フォン・エリックと云うプロレスラーを、つい思い浮かべてしまったと云うのも、懐かしく記憶しておりますよ」
(続)
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もうじやのたわむれ 59 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「おお、フリッツ・フォン・エリックですか。この人もジャイアント馬場さんの好敵手として、こちらでかなり人気がありますよ」
 記録官が横から少し興奮したような声を上げるのでありました。どうやら記録官は、大のプロレス好きのようであります。
「源信さんの本にある等活地獄と云うのは、・・・」
 審問官が記録官の興奮気味の声を横目に、落ち着いた物腰で、逸れようとする話題を元に戻すのでありました。「正しくは地獄省の東部に位置する草原地帯で、東滑地方と呼ばれます。娑婆におられた時にモンゴル人と呼ばれていた方々が、好んでお住みになる処です。テムジンさん、なんと云ったお名前の方が東滑地方知事をされておりますかな。いや、現在はフビライさんでしたかな。勿論モンゴルの方ばかりではなく、色々な国にいらした霊がいらっしゃいます。日本からいらした亡者の方も、結構多くお住みになっておられますよ。やや寒冷地で、牧畜業と競馬が主な産業でしょうか。冬は冷たい風が吹きますし雪も多いのですが、夏は過ごしやすくて、なんと云っても雄大な草原地帯ですから、伸びやかにゆったりと暮らしてゆけます。冬のスキーとかスノボも人気ですが、特に家族でも友人同士でも楽しめる夏の草スキーが非常に盛んで、住霊の皆さんはそれで大いに夏の一時をエンジョイされています。蒼色狼杯争奪草スキー選手権大会と云う地方挙げての催しもありましてね。つまり東にある草スキーの盛んな地域、と云うことで、東滑地方、です」
「等活地獄、は実は、東滑地方、だったのですね?」
「そう云う事です」
「ちなみに東滑地方の議会は、クリルタイ、なんと云う風に呼ばれていませんか?」
 拙生は調子に乗ってそんなことを聞くのでありました。
「いや、そういう名称ではありません。東滑地方議会と云う至ってそっけない名前です」
 審問官は無表情にそう云うのでありました。
「ああ、そうですか。・・・」
 冗談が軽くいなされたような感じで、拙生は気抜けして小声でそう呟くのでありました。
「黒縄地獄と云われているのは北部にある寒冷地で、針葉樹林帯と凍土地帯からなっております。針葉樹林帯は昔から地獄省の重点開発地域と云う事で、今は大きな都市が幾つも出来ておりますし、都市間を結ぶ鉄道とか高速道路網も整備されておりますよ。勿論鉄道も道路も、雪害や風害に対する対策も地獄省の最先端技術が投入されていて万全です。寒冷地特有の厳しい自然現象の影響なんかは殆ど受ける事もありません。各都市も自然発生的に出来たというのではなくて、機能重視に設計された霊工都市で、職住接近、通勤至便、買い物なんかも大型店舗が多くて便利で、完全防寒の長いアーケードの商店街なんかもあります。厳しい環境だからこそ、多くの最先端の工夫が盛りこまれていて、結構快適な生活が営まれております。郊外の冬空には雄大なオーロラが出現しますし、居住地域からすぐの処でウインタースポーツも手軽に楽しめます。若い人なんかに人気がある地方ですよ」
「霊工都市、は、人工都市、ですね?」
 拙生はそう訊ねながら、審問官の口調に、娑婆の不動産屋を思い起こすのでありました。
(続)
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もうじやのたわむれ 60 [もうじやのたわむれ 2 創作]

「正解!」
 審問官はボールペンをテーブルの上に置くと、愛想笑いながら揉み手をして、その手で徐にピースサインを作るのでありました。
「全くの当てずっぽうですが、ひょっとしたらそこには、娑婆でロシアに暮らしていた方とかが多くいらっしゃいませんか?」
 拙生はそう問うのでありました。
「ほう、それも正解です。よくお判りになりましたね?」
「いやまあ、なんとなく、そんな感じかなあと。・・・」
「まあしかしここも、向こうの世でロシアにいた方々だけではなくて、色んな処で暮らしていた亡者の方々が住まれています。アメリカ合衆国にいらした方も、中国にいらした方も、ドイツにいらした方も、バルト三国にいらした方も。それにウクライナやカザフスタンの方々、ポーランド、チェコ、ルーマニアなんかの東欧諸国の方々も、チェチェン地方におられた方だっていらっしゃいますよ。勿論、日本にいらした方も」
「日本にいらした方と云うのは、若しかして因縁から、娑婆でかなり以前に北方領土で暮らされていたような方、とかが多いのではないでしょうね?」
「いやあ、別にそんなことはありませんなあ。北海道方面の方ばかりではなくて、東北の方も、関東の方も、関西の方も、四国の方も、偏りなくいらっしゃいますよ」
「ああ、そうですか」
 拙生は何故か拍子抜けするのでありましたが、これは未だに濃厚に残っている拙生の余計な娑婆っ気、と云うか、俗っ気、と云うか、不謹慎さ、がそうさせるのでありましょう。
「娑婆の黒縄地獄は正しくは、ハラショー地方、と云います。ロシアの方が多いせいでしょうか、昔からそう云う地名で呼ばれておりましたな。そこにある都市は霊工的ですが、地方の名称は自然発生的で、近年目出度く、それが正式な地方名として承認されました」
「黒縄地獄がハラショー地方ですか。それはなんかちょっと、如何にも無理矢理ですね」
 拙生は目を細めて、体を斜にして審問官を見るのでありました。
「無理矢理? 何が?」
 審問官は拙生を見据えながら、無表情に訊ねるのでありました。
「いや、こっちの事です。・・・」
「これは別に私がこじつけをしているのではなくて、本当にそうなんですから仕方ありません。一応、念を押しておきますが」
 審問官は無表情の儘、淡々と云うのでありました。「娑婆の方に漏れた情報が間違っていたのです。なんと云ってもこちらが本場なんですからね。まあ、最初に間違った情報に接して仕舞うと、後で聞いた本当の事の方が、如何にも浮ついた嘘に聞こえて仕舞うのかも知れませんが、しかし冷静に筋道を正して考えれば、納得出来る事柄ですよ」
「ご教導恐れ入ります」
 拙生は頭を掻くのでありました。
「ハラショー地方の知事さんは、・・・」
(続)
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