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「四月廿九日。・・・」 創作 ブログトップ

「四月廿九日。祭日。陰。」1 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 男は蹲った儘目を開くのでありました。疲れ果てて少しまどろんだようでありました。腹痛を堪えるためにしゃがんで両手を腹に押しあてて、体を丸めて押入れの襖に寄りかかったのはもう二時間も前のことでありました。七十半ばをとうに過ぎ、老いさらばえて張りを失った腹の筋肉は、強く圧迫する掌に情けない弾力を伝えているのでありました。首に巻いた儘の茶色のマフラーが顎の無精髭をざらざらと撫でるのでありました。幾らか、今は腹の痛みは和らいでいるような気がするのでありました。
 このところ毎日、男はこの腹痛に悩まされているのでありました。昼頃一日一回の食事を駅前の大黒家と云う蕎麦屋(と云っても蕎麦だけではなく、寿司も天麩羅も鰻も出す店なのでありますが)で摂って、その後家に帰って暫くすると決まって腹痛に襲われるのでありました。若い時から胃腸が弱いのではありましたし、以前も時々こう云った腹痛に悩まされていたのではありましたが、ここにきて必ず食後にそれは発生するのでありました。
 大黒家で食すカツ丼が今の自分の胃には重すぎるのか、それともその時一緒にやる一合の燗酒が良くないのかとも男は考えるのでありました。しかし腹痛が頻発する前から一合酒とカツ丼の食事は決まって続けていたのでありましたから、矢張りここに至って自分の胃の機能が急激に尫弱になったのでありましょう。三月の頭に引きこんで仕舞った風邪が小康を得て以来、特に胃の不調が顕かになってきたのでありました。
 その三月頭の風邪も、結局自分の体の衰弱が引きこんだものでありました。前日、何時も通りに浅草の街に出てアリゾナと云う馴染みの洋食屋で食事中に気分が悪くなり、帰ろうとして貧血のため店外で転倒し店の人に助け起こされたけれど、車を呼ぼうと云うその好意を拒むように浅草駅まで数分の距離を数十分かけて独歩し、タクシーを捕まえて男は市川の家まで帰ったのでありましたが、その後十日程も布団から起き上がれない日が続いたのでありました。臥せていなくとも、家から一歩も外に出られないのでありました。熱が出て咳が暫く連続する症状は正しく風邪でありましたが、しかし要は自分の体のあらゆる機能が急速に低下したのが原因の発症に違いないのでありました。まあ、浅草で気分が悪くなる以前から、なんとなく体調不良の予兆はあったのでありました。
 十日程の間、家事の手伝いに来て貰っている近所の老媼の作った粥すら、食す意欲も湧いてこないのでありました。それがまた余計、男の老衰を助けたのでありましょう。
 漸くその風邪の症状もなんとか癒えて、男は久しぶりに大黒家へ出かける気になったのではありました。しかし高々百メートル程の歩行中に、何度転びそうになったことか。これは浅草の時のような貧血のためではなくて、病臥によって足腰の筋力が極度に衰えたことによると判るのでありました。だからあの時程、驚きはしないのでありました。
 思えばアリゾナ店先で転倒する数日前にも、同じ浅草の尾張屋と云う蕎麦屋で転倒したことがあったのでありました。帰り際に便所に立って、そこでズボンを下ろした姿で引っ繰り返ったのでありました。下ろしたズボンが足を掬ったような風でありましたか。よろけた体を立て直せなくて転んだのは、矢張り足腰の弱化のためでありました。意識はしっかりしていたのは貧血ではなかったからであしましたが、意識明瞭な分だけみっともなさに苛まれて、その後尾張屋の暖簾を潜ることが出来なくなって仕舞うのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」2 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 アリゾナでの貧血による転倒は、男には恐怖でありました。意識が霞むことはつまり、自己が自己でなくなろうとすると云うことでありました。それは男のプライドにかけて許せない現象なのでありました。自己が自己でなくなった状態を人目に晒すことは、死よりも耐えがたいことなのでありました。だから男は遠出を控えようと思うのでありました。以前あれ程馴染んだ浅草へも、あの日以来全く出かけないのでありました。尤もずっと病臥していたのでありましたから、遠出どころか近出すらもないのではありましたが。
 男は道なりに続く塀に時々手を添えながら足下への注意を怠らず、杖代わりの蝙蝠傘を頼りによろよろと大黒家への百メートル程の路程を歩くのでありました。無意識に口から時々洩れ出るところの歩調にあわせるような唸り声は、意ならぬ足の動きを励ますためでありました。大黒家に到着すると、男は大きなため息を漏らすのでありました。ここまでは歩行出来たと云う達成感と、この程度のことに達成感を覚える今の自分と云うものに対して云いようのない情けなさを覚えるのでありました。
「おや先生、随分お久しぶりですね。お体の按配でも悪くされていたんですか?」
 店の者が暖簾を分けて引き戸を開けた男を認めて、声をかけるのでありました。男は煩わしそうにその問いかけに口の端を少し歪める笑いを返しただけで、なにも云わずに何時ものテーブルによろけながら進むのでありました。
「大丈夫ですか。足下がひどく頼りないようですが?」
 店の者は男が着席するのを助けるように、その腕を支え持とうとするのでありました。
「うん、ちょっと風邪をひいていたからね。でももう大丈夫。有難う」
 男は差し出された店の者の手を掃う様な手つきをして着席するのでありました。
「何時もみたいに、お銚子にカツ丼で宜しいですか?」
 その問いかけに男は黙った儘頷くのでありました。
 店のサービスで何時も出るお新香を突きながら男は一合の酒をゆっくり飲み、その後矢張り時間をかけてカツ丼をきれいに平らげてから大黒家を出るのでありました。男は以前通りの食事をなし得たことに満足するのでありました。自分の消化器官は今でも全く健全に働いているようなのでありました。これならばあの世からのお迎えが来るのは、未だ当分先のことであろうと思うのでありました。
 なんとなく気分が良くなったものだから、男は以前のように駅傍の煙草屋兼菓子屋で十本入りのパールと云う両切り煙草とチソパンを買うのでありました。そう云う買い物をすると、浅草で昏倒する以前の自分にようやく戻ったような気がするのでありました。男は妙に嬉しくなるのでありましたが、それが油断でありました。
 店を出ようとした時、男は敷居に躓いて転倒するのでありました。店の主婦が慌てて男を助け起こすのでありましたが、立ち上がると男はその助けの手を掃う仕草をするのでありました。転んだ拍子に手で潰してしまった煙草とチソパンの入った紙袋を片手に下げて、よろけながら男は店を後にするのでありました。今の転倒は足腰の弱化の問題であり、浅草の時とは違うのだと男は口の中で云うのでありました。それはこうして外を歩くことに依って次第に強化出来る性質のものだと、荒い息を吐きながら思うのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」3 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 家に帰って暫くすると、なんとなく胃の辺りに違和感が湧き起こるのでありました。それでも最初の日のそれは軽い痛みが小一時間程続くだけでありましたから、さして気に留めることはなかったのでありました。この程度の腹痛は若い時から胃腸の弱かった自分には、度々起こっていたことでありましたから。
 しかし次の日も大黒家から帰ると同じ痛みが胃に兆すのでありました。そして次の日にも。痛み続ける時間はほぼ四時間であり、苦痛の部位もその程度も同じような按配なのでありました。そうなれば腹痛と食事は間違いなく関係があると思われるのでありました。
 それでも正午近くの大黒家での昼餉は毎日の一度きりの食事らしい食事なのでありました。それに食欲もあって銚子一本とカツ丼は残さず胃に納められるのでありましたから、胃に問題があると断定も出来ないような気もするのでありました。寧ろ胃の不快から絶食をすることに依って体力が落ちることの方を、男は恐れるのでありました。折角風邪の不調を脱したと云うのに、絶食して体力を失って復調が台なしになるのは、腹痛に耐えるよりももっと堪え難いことのように思えるのでありました。
 暫く休んでいた胃がここにきて再稼働を課せられたものだから、驚いているためなのであろうと男は考えるのでありました。その内この腹痛も屹度治まるに違いないのであります。今は腹痛よりも体力の回復が優先なのであります。
 一応医者に頼ると云うのが、今の場合の適切な対処なのでありましょう。しかしそれで通院とか、場合に依っては入院などと云うことになっては、これ程面倒なことはないと男は考えるのでありました。煩わしいことを引き受ける気力や、それをこなすための根気と云うものを、男はとうの昔に失くしているのでありました。

 男は突き刺すように当てていた指を尚も腹に喰いこませるのでありました。その皮膚からの圧迫によって腹の奥の痛みが少し散じるような気がするのでありました。暫くの間指を突き刺した儘にして、徐にその圧を緩めるとほんの暫し腹奥の痛みが消え失せるのでありました。一瞬の解放感でありました。しかしすぐにまた鉛のような痛みは奥深いところで次第に固まり始めるのでありました。
 この毎日の苦痛から解放されるのならば、既にもう僅かとなった自分の残りの生の時間から一日二日、死神に差し出してもよいとさえ男は思うのでありました。男は痛みに倦んでいるのでありました。執拗に自分を嘲弄するように続く腹痛に、憤慨しているのでありました。もういい加減にしてくれないかと、男は口の中で唸るのでありました。
 男はそこへごろんと横になるのでありました。それは姿勢を変えれば、少しは痛みが和らぐかもしれないと考えたからでありました。男のかけていた黒眼鏡が少し摺り上がるのでありました。男は横になって、膝を出来るだけ胸に引きつけて体を丸めるのでありました。今度は指ではなくて、腹に当てた両の掌がその姿勢のために強く腹を圧迫するのでありました。この方が苦痛に対してはより楽な姿勢のような気がするのでありました。
 目の前に綿埃が見えるのでありました。その黒く丸い汚色の中に彼の抜け落ちた数本の白髪が混じっていて、艶やかに絡みあって立っているのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」4 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 綿埃の先には万年床が敷いてあるのでありました。殆ど日に干したことがない布団は、やけに薄っぺらに見えるのでありました。薄い布団は人の形なりに窪んでいるのでありました。汚れた敷布の上に汚れた枕が少し歪んで載っていて、その先には朝起きる時に捲った儘の毛布と掛け布団が歪な山を作っているのでありました。
 枕元には小さな火鉢とその横に炭入れの籠、それから、筆入れやら開いた本やら湯呑やら日記を綴るためのノートやらが乱雑に載った小机、煙草とマッチ箱、吸い殻が山になった灰皿、疥癬の薬瓶や軟膏の入った小さな竹籠、ガーゼの束、それに印鑑やら証書やら預金通帳やら全財産が入った小さな青色のバッグ等が、何れも埃を被って布団を囲んで散乱しているのでありました。他にも駅前の煙草屋兼菓子屋で煙草とチソパンを買った時のくしゃくしゃにした紙袋が何枚も山を作り、火熾しのために拾ってきた紙屑や古新聞、無精に放った儘の屑籠に入れ損ねたちり紙、脱いだ下着等が散乱し、畳のあちらこちらには煙草の火に依る焼け焦げも見えるのでありました。家具類は殆ど何もないのでありました。
 この奥の六畳間は手伝いの老媼にも掃除させないのでありました。部屋にある一切のものに人の手が触ることを男は拒んでいるのでありました。横の四畳半にも洗面器の上に置いた七輪、古座布団、渋団扇、底の焦げた小さな鍋に薬缶、すっかり埃に塗れた縁の欠けた朱盆には茶筒と急須と空のインスタントコーヒーの瓶、割り箸、プラスチックの匙、それから矢張り紙屑や衣類等が乱雑に散らばって畳を覆い隠しているのでありました。だから手伝いの老媼の仕事と云ったら、朝の雨戸開けと七輪の火起こし、台所と便所と玄関周りの掃除、下着類の洗濯くらいしかないのでありました。まあ、男としたら自分の身にもしものことがあった時のための発見者として、老媼に毎日来て貰っているのでありました。
 もう二時間程こうして我慢していれば、腹痛は去るはずでありました。何時もそうでありましたから。これまでの経験から、ほぼ四時間で痛みは男の体から消えるのでありました。それは胃の内容物がそこからなくなるまでの時間であると思われるのでありました。しかしそれにしてもなんと長い苦悶の四時間でありましょうか。
 男は当てた掌を小刻みに動かして腹を摩るのでありました。そうするとその摩擦する行為によって、気持ちが痛みの一点から散じるような気がするのでありました。しかしそう何時までも腹を摩っている体力もなく、男は手の動きを止めるのでありました。するとまた苦痛が腹の底に固く凝固するのでありました。今度は縮こめていた体を伸ばしてみるのでありました。ひょっとしたらその姿勢の方が痛みを軽減するのではないかと考えて。
 一瞬それは図に当たったように思えたのでありましたが、しかし段々、痛みは体を小さくしていた時よりも増幅していくのでありました。男はまた膝を胸に引きつけて体を丸めるのでありました。腕に力が戻り切ってもいないのでありましたが、また手を動かして腹を摩るのでありました。どうやらこれが一番良い、痛みを和らげる方策であるようなのでありました。
 男は痛みに疲労するのでありました。手はもう腹を摩擦する元気も失くしているのでありました。疲れきって男の意識が霞むのでありました。そうだこの儘眠ってしまえばその間は痛みから解放されるのだと、男は靄のかかったような頭の中で思うのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」5 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 またもや腹痛の最中に男はまどろむのでありました。固い畳の上にではなく布団に入って寝なければ漸く小康を得ていた風邪が、またぶり返すのではないかと心配しながら男の意識は薄らいでいくのでありました。
 男は夢の中で五十余年前に遡行するのでありました。男は二階の窓から庭を見ているのでありました。そこは二十代の半ばの時に遊学したアメリカはタコマの、下宿していた部屋からの眺めなのでありました。女が庭をこちらに向かって歩いて来るのでありました。その女はワシントンで知りあった女なのでありました。女は可憐な顔で、街の酒場で下着姿で唄を歌ったり扇情的な踊りを見せたり、時には幾許かの金で身を売ることもする女なのでありました。男は女と懇ろな仲になったのでありました。
 しかしタコマに居た時には、未だ自分はその女と知りあってもいなかったはずだと男は思うのでありました。けれどもそこは確かにアメリカに着いて最初に下宿したタコマの部屋であり、こちらに向かって来る女は、これも確かにその二年後にワシントンで知りあうことになる女なのでありました。男は女を愛していたから、そんな時間の倒錯を特に不思議とも思わずに女の出現を無邪気に喜ぶのでありました。
 女のこちらに向かって決然と歩いて来る姿から、男がその部屋に居ることをちゃんと判っているのだと知れるのでありました。女は男に逢いに来たのであります。そうして、無邪気な喜びとは裏腹に、男は窓枠の外に身を隠そうとするのでありました。急いでどこかに隠れなければと思うのでありました。逢いたいと思っていた女が今、自分の傍まで歩いて来ていると云うのに。女を再び抱擁出来ることを喜んでいるくせに、何故か男は女から逃げようとしているのでありました。
 思いと行動が不一致である理由が、男には全く判らないのでありました。しかしその理由を探る気などまるで起こらず、女がこの部屋に到達する前に完璧に隠れて仕舞わなければと云う焦りが、男の頭をすっかり支配しているのでありました。男は部屋の中を見回すのでありました。男は身を隠すのに最も頼りになる場所を素早く見定めようとするのでありました。クローゼットの中、ベッドの下、カーテンの裏、机の蔭等々。しかし男の企画を全うするためには、どれもこれも頼りなく思えるのでありました。
 ドアがノックされるのでありました。女はもう扉の前に達したようでありました。男は仕方なくすぐ傍にあった机の下に素早く身を滑りこませるのでありました。こんな処に居たら部屋に入って来た女にすぐに発見されるに違いないと思いながらも、男は机の下で両の掌を腹に当てて身を出来るだけ小さく縮めるのでありました。手の指が腹を強く圧迫するのでありました。ドアが開かれて女の靴音が部屋の中に侵入してくるのでありました。男は腹に食いこむ指の感覚に神経を集中させて、目を固く閉じるのでありました。・・・
 夢で目を固く閉じた次の瞬間、現で男はもの憂げに瞼を開くのでありました。男は五十余年の時間をまた一気に戻り来て、目を覚ますのでありました。男の目の前に数本の白髪を取りこんで丸まった暗色の綿埃が見えるのでありました。腹に当てた儘の掌にはもうなにも力が入ってはいないのでありました。しかし腹痛が殆ど消えているのでありました。彼はため息をひとつ吐き出して、無表情に掌を腹からゆっくり除けるのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」6 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 などてそんな半世紀以上も前のことを今頃夢に見たのか、男は不思議な気分になるのでありました。アメリカ遊学のことも女のことも、もう五十年以上もの年月が過ぎて絶えて思い出すこともなくなっていたと云うのに。それにアメリカよりもその後に赴いたフランスの方が、未だに強い印象として残っている筈なのに。
 女にしても、あのアメリカの女が殊更自分の心に色濃い蔭として残っているわけではないのでありました。自分は多淫な生まれつきで、その前もその後も幾多の女との関係をもってきたのだし、情においても、他の女達の方があのアメリカの女よりは多くの印象的な経緯に彩られていた筈だと云うのに。まあ、今のこの老衰の身になってみれば、アメリカ遊学もフランス紀行も数多くの女たちとの交情も、この部屋の隅に幾つも転がっている綿埃のように、なにやら遠い過去の芥のようなもののようでありますが。・・・
 頭の中が寝覚めの霞の中でぼんやりとしているのでありました。しかし腹痛は確実に男の体から離れているのでありました。やれやれと思いながら男は緩慢な動作で上体を起こすのでありました。ようやく日課である腹痛から解放されたのでありました。男は軽くなった腹部の感覚を確かめるように、畳に手をついて暫く横座りした儘身動きをしないのでありました。
 傾き始めた日の光が硝子窓を通して斜めから部屋に侵入しているのでありました。夕方の日差しは男の今の気分と同じで、どこか疲弊の色をしているように感じられるのでありました。少し寒気がするのでありました。首に巻いたマフラーは暫く其の儘にしておこうと思うのでありました。男は風邪のぶり返しを大いに恐れているのでありました。

 漸く立ち上がって、男は万年床の上によろよろと移動するのでありました。布団の真ん中に胡坐をかいた男は、前にある小さな火鉢の、真ん中に盛り上がった灰を火箸で掻き分けて白くなった炭を露出させると、それに細い息を吹きかけるのでありました。埋み火が赤く怒るのでありました。男は横の炭入れの籠から炭を幾つかくべて尚も息を吹きかけるのでありました。
 四月も終わろうとしているのに、一向に寒さは市川の街を去らないのでありました。いや、男の体の衰弱と風邪のぶり返しに対する恐怖が、寒くもない空気を寒いと感じているだけなのかも知れません。現にその日の昼近くに大黒屋へ向かう途中の路ですれ違った人や、駅前の踏切を渡る人、大黒家に居た客達は上着を着ていない者もあったのでありました。中にはもう半袖開襟シャツだけの気の早い若者も居たのでありました。
 男は火鉢に手を翳すのでありました。赤く怒る火鉢の炭の色に男は安心するのでありました。火に近づけ過ぎた手が焦げる痛みのような感覚を、男は暫し楽しむのでありました。
 漸く手の感覚を取り戻したように思った男は、両手をついてゆっくりと布団の上で体の向きを変えるのでありました。そこには小机があるのでありました。小机の上の日記のノートを、男は緩慢な手つきで開くのでありました。頁をめくる手が絶え間なく震えているのでありましたが、それは寒さのせいではないのでありました。手元が暗いので男は立ち上がって天井から下がった裸電球を点けようとするのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」7 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 上を向いて裸電球を捻って点けた後、男はよろけて布団に崩折れるように尻餅をつくのでありました。思わず唸り声を上げるのでありました。尾骨を打った痛みが先程苦痛の治まった腹の中に響くのでありました。男はその痛みの余波が納まるまで、布団に両手をついてじっとしているのでありました。暫くそうしていた後、男は気を取りなおすように小机に向かうのでありました。今日の日記を書くために男は震える手でインキ瓶の蓋を開け、筆置きからペンを取り上げるのでありました。
 大正六年、三十七歳の時から四十二年間書き続けている日記なのでありました。それは世間から賞賛を浴びた男の数多くの著述の中でも、最も誇れるものであると思うのでありました。男にとって日記は、単なる備忘録とか出来ごとの羅列とか云う代物ではないのでありました。それは発表を前提に書かれている作品なのでありました。
 当初は文章を錬り加筆修正を繰り返し、万年筆で下書きしたものをもう一度和紙に筆で清書して、時には散歩した処の詳細な地図や挿絵も挟むのでありました。それを丁寧に自ら和綴じ製本して五冊ずつ帙に入れるのでありました。戦争で東京への空襲が激しさを増した時、男はこの日記の消失を恐れて従兄弟に安全な場所でこれを保管するよう依頼した程でありました。遂に男がその頃住んでいた麻布の家が焼けた時も、なによりも先に男は手元に残していた分のこの日記の綴りを持ち出そうとするのでありました。それが今は、下書きもなく市販の縦罫ノートに、真ん中に歪な横線を引いて頁を二段に分け、そこにペンで日付と天候と食事の記録を列記するだけのものになってしまったのでありました。
 それでも男は日記を書き続けるのでありました。今やその仕事を続けることのみが、男がこの世に生きて在る理由なのでありました。男は先の戦争の戦火を掻い潜り、戦後の混乱をもなんとか乗り切って、今日まで生き続けているのでありました。老いて作品を書く気力もない儘、それでも相変わらず一人きりで生きて在るのでありました。それは単に死なないから生きている、と云った風でもあるのでありました。それに日記を書くと云う仕事を永遠に放擲出来ないから、生きてなんとか続けていると云う風にも云えるのでありました。男は実は、生きていることにさして執着はないのでありました。
 男はノートにペン先を下ろすのでありました。頁の二段目の終わりの方の行に震える手で文字を並べようとするのでありました。一端ペンが紙を捉えると男の手から震えが消えるのでありました。それは文士として生きた男の覚悟を、今に至っても強く表しているようでありました。「四月廿九日。祭日。陰。」と男は文字を頁に刻むのでありました。文字の並びが左に少し流れるのでありました。しかし表記された文字は指の力の衰えなどどこにも映していないのでありました。
 それ以上、男の持つペンは動こうとしないのでありました。やっとそれだけ書いて、男はもう書く体力と気力を失くすのでありました。昨日は日付と天候の後に「小林来る。」と書き入れたのでありました。小林と云うのは、市川で前に住んでいた家を購入する時に尽力してくれた人で、以来男がこの今の新しい小さな家屋を新築する時も頼りになし、よく男の家を訪ねて来て細々とした用を代わってこなしてくれる、また時には濡れ縁に腰かけて男と世間話などもする、何時も機嫌の良い好漢なのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」8 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 男は頁の前の方の記述を見るのでありました。六日前の記述は二行に渡って書いてあるのでありました。「四月廿三日。風雨纔に歇む。小林来る。晴。夜月よし。」
 この日は久々に大黒家から帰った後の腹痛の四時間余りを除いて、終日、比較的気分が良かったのでありました。日付と天候以外にもなにか書き添えたい気になるのでありました。しかしそれでも二行書くのが精一杯なのでありました。しかも月日の後にその日の天候を書き記すのが慣わしなのでありましたが「小林来る。」まで書いて、天候の記述を忘れていることに気づいて慌ててその後に「晴。」と記すのでありました。
 しかし考えてみれば日付の後に「風雨纔に歇む。」と記したのでありましたから、なにも「晴。」を態々書き足すこともないと思うのでありました。それでも「風雨纔に歇む。」はどこか明確さに欠けているのでありました。「晴。」を書き足したのもそう不自然でもないかと考えなおすのでありました。ただ「小林来る。」の後に記したのは明白な手抜かりであると思うのでありました。やはり日付のすぐ後にこれは記すべきものなのでありました。これで、今迄厳格に保ってきた日記の体裁上の統一が一気に崩れたような気がして、男は顔を顰めるのでありましたが、しかし書きなおす気力は湧いてこないのでありました。
 その日小机に向かう前に何時も通りに苦労して雨戸を戸袋から引っ張り出している時、ふと見上げた夜空に、月が浮かんでいたことを思い出すのでありました。男は「夜月よし。」の文字を「晴。」の後に記すのでありましたが、それはなにやら乱れた体裁を取り繕おうとしている意が現れたように、少し文字が小さくなるのでありました。以前に、浅草の尾張屋の便所で転倒した時の恥ずかしい記憶が、不意に蘇るのでありました。布団に入った後、男は四十二年間書き続けてきた日記に、ここにきて明らかな瑕疵をつけてしまったような気分に苛まれて、その日はなかなか寝つけなかったのでありました。
 しかしそんなことはないのでありました。初期の文にも数年前のものにも、天候の記述のないものが結構あるのでありました。天候を記すのが日記の重要目的では全くないのでありましたから。ただ男は老いと頑なさから、それをもう忘れているのでありました。

 六日前の気分を、男は頁を見ながらぼんやり思い出しているのでありました。男はペンを筆置きに戻すのでありました。それからインキ瓶に蓋をするのでありました。「四月廿九日。祭日。陰。」と本日分をそれだけ書いた日記を閉じるのでありました。
 そうだ印税の領収書を明日新潮社に郵送せねばと男は思い出すのでありました。男は再びインキ瓶の蓋を開けて、ペンを取り上げるのでありました。日付は明日の郵送であるから四月三十日として、署名し、最後に力の入らない指で印鑑を押すのでありました。次に男は文箱の中を掻き回して長四号の白封筒を引っ張り出すのでありました。それに時間をかけて表書きして、息を吹いて封筒を膨らませてから書き上げた領収書を中に入れるのでありました。明日郵便局に持って行く積りでありました。
 再びインキ瓶の蓋を閉めながら、男は窓の方を見るのでありました。未だすっかり暮れてはいないのでありました。小机の上に置いてある古い懐中時計もその横の腕時計も、六時を少し過ぎた時刻を指しているのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」9 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 今日は随分早く日記を書いたものだと男は思うのでありました。何時もはもっと夜更けて、横臥して布団を被る直前に書くのが慣わしでありました。今日はなんでこんなに早く書いたのであろうかと、男は自分の行為であるのに不思議に思うのでありました。
 男はよろよろと立ちあがって、転ばぬよう手を壁や襖に添えて壁伝いに隣の四畳半に行くのでありました。六畳も四畳半も、男の無精(と云うより、老齢に依る気力の消失)から畳の上には様々な物が散乱していて足の踏み場もないのでありました。なにかに蹴躓いて倒れるのが怖いものだから、男はゆるゆると歩を進めるのでありました。男は四畳半の方で、背を屈めて畳の上に直に置いてある小さな薬缶を取り上げるのでありました。
 薬缶を持って奥の北向きの台所に入り、水道から水を注ぎ入れるのでありました。薬缶の蓋の取手は随分前に取れているので、蓋を開けるのに男は少し手間取るのでありました。薬缶に水を半分程満たしてまた壁伝いに六畳へ戻る時に、男は四畳半の畳の上にある七輪の載った洗面器を蹴飛ばすのでありました。七輪も男も倒れはしなかったけれども、男は口を歪めて目を剥くのでありました。足指の痛みがほんの少しの時間差で頭の中へ上って来るのでありました。男は小さな悲鳴を前歯の欠けた口から漏らすのでありました。
 ようやく男は六畳の布団の上に戻って、そこにしゃがむのでありました。崩れるように尻を落としたものだから、その衝撃で薬缶の蓋の、取手がついていた穴から水が少し布団に零れ落ちるのでありました。男は薬缶を火鉢の火の上にかけるのでありました。薬缶から湯気が上がるまで、男は火鉢に両手を翳して待つのでありました。
 湯が沸くと男はインスタントコーヒーの、畳の上に倒れて転がっている瓶を取り上げるのでありました。体を捻って小机の上から長らく洗わない湯呑を手掴みすると、それにコーヒーの粉を瓶から直に適当にふり落として、湧いた湯をその中に注ぐのでありました。旺盛に上がる湯気に隠れて、黒色の液体の上に白茶色の細かい泡の帯が、集まって渦を巻くのが仄かに見えるのでありました。
 男は火鉢から薬缶を外すと、未だ高熱の儘であるにも関わらずそれを全く無造作に畳に置くのでありました。それから小机の方に体を向けて、湯気の上がる湯呑を小机の上の、小物で埋め尽くされた中に辛うじて空いている隙間に、詰まり元々湯呑が置いてあった位置に置くのでありました。
 男は先程書いた日記のノートの脇にある本を取り出すのでありました。それは森鴎外の『澀江抽齊』でありました。男が昔から何度も何度も繰り返し読んだ本なのでありました。この本を開くと、男は遠い昔に鴎外の住み家なる観潮楼を初めて訪ねた時のことを、未だに懐かしく思い出すのでありました。森鴎外は男の十指に満たない、敬して止まぬ先達の名前の中でも随一なのでありました。
 男は昨日読み終えた頁を開き、しおりを除けるのでありました。鼻の上で少しずり落ちた老眼鏡の位置をなおすのは、これからこの本に向かう男の礼式のようでありました。
 男は今まで何度も読み繰り返したこの本を、飽かず読み進めるのでありました。先程傍らに置いたコーヒーが覚めるのも一向に構わずに。今やこの本以外に男の気持ちを高揚させるものはこの世になにもないのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」10 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 何時もなら本の文字を三十分も追っていると、男はそれだけで疲労困憊して睡魔に襲われるのでありました。昔は一日中本と向かいあっていても疲れを知らなかった男の気力と体力は、それで限界を迎える程に衰微して仕舞っているのでありました。そかしその日は一向に瞼が重くならないのでありました。三十分をとうに過ぎても、視線は鋭利な刃物のように文字に突き立って、切り裂くように一文字一文字を縦に流れていくのでありました。
 一時間が過ぎるのでありました。それでも男は本の頁を繰り続けるのでありました。一時間半が、そして二時間が過ぎても男の様子は全く変わらないのでありました。何時までも本の文字を追う男の姿は、まるでこの本との別れを前にして、凄絶に名残を惜しんでいるようでもあるのでありました。
 男はふと目を上げるのでありました。そうだ雨戸を閉めなければと思うのでありました。引き違いの窓にはもう、外側から夜の闇がぴったりと張りついているのでありました。男は布団に手をついて立ち上がろうとするのでありました。
 そのとき不意に、腹痛の予兆が男の鳩尾に出現するのでありました。おやと思って、男は浮かしかけた尻をもう一度布団に落とすのでありました。
 その日の腹痛はもう納まったはずであるのに、どうしてまたそれが今頃再び腹の中に姿を現したのか、男には解せないのでありました。日に二度も腹痛に襲われることなど、今までなかったはずでありました。昼に摂った兆子一本の酒とカツ丼はもうとっくに胃から去って、胃はこの日の働きから既に解放されているはずであろうに。
 男は腹に掌を当てるのでありました。その掌を強く腹に押しこむと腹腔動脈が脈打って掌を弾くのでありました。それは体の芯から、そんなに強く押すなと警告されているようでありました。男は急いで掌の力を抜くのでありました。
 痛みは、まだ確然とした痛みにはなってはいないのでありました。これはあの昼間の腹痛の再来ではなくて、赤ん坊がほんの少しむずかってすぐ寝静まるような、そんなタイプの胃の不調かも知れないと思ってみるのでありました。腹痛が一日に二度あるなんて、そんなことがある筈がないのであります。
 しかし時間が経つにつれて、それははっきりとした腹痛の面貌を表し始めるのでありました。間違いなくこれは昼間の腹痛と同じ種類の痛みだと、男はそう断じる以外にないのでありました。いったい自分の腹は今日に限ってどうしたと云うのだ。男の頭は綯交ぜになった恐怖と怒りと絶望にみるみる満たされるのでありました。こんな、・・・理不尽な。
 男は無意識に小机の上の湯呑を取って、すっかり冷めたコーヒーを口に運ぶのでありました。液体の冷たい感覚が食道を過ぎると、一瞬痛みが和らぐ気がするのでありました。しかしその冷感が喉から去ると、確実に前にも増した痛みが腹を突き上げるのでありました。男は取り乱すのでありました。
 男は湯呑の冷たいコーヒーを一気に飲み干すのでありました。それから小机の端で落ちそうになっている煙草の包みから、震える手で一本を取って口にくわえて、急いでマッチで火をつけるのでありました。ショック療法と云うものもあるかと、取り乱した男の頭が行為の後追いをしてそう考えているのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」11 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 二口煙草をふかして男はもうそれ以上飲む気を失うのでありました。煙が腹に入ると、それは腹痛と息をあわせて体の中で暴れようとするのでありました。男は畳の上の吸い殻が山になった灰皿をちらと見てから、そこへ捨てるのを諦めて体を捻って火鉢の中に煙草の吸いさしを放るのでありました。顔を顰めて男は首を落とすのでありました。
 先程一気に飲み下したコーヒーが、海から岸に寄せる漣のように胃壁を洗う感覚があるのでありました。それは洗うと云うよりは胃壁の厚みを溶かしていっているようにも思えるのでありました。男はコーヒーを胃に入れたことを後悔するのでありました。
 火鉢に擦り寄って体を丸めて手を翳すのでありました。火鉢の熱を腹に受けようともするのでありました。温めることで腹痛が和らぐのを期待してのことでありました。火勢が弱くなるのを恐れて、男は炭を足そうと横の炭入れの籠を見るのでありました。そこにはもう一本も炭はないのでありました。
 台所には炭を一杯に入れた木箱があるはずでありましたが、そこまで行く気力が男には湧いてこないのでありました。火鉢の火を見ながら、この火が消えた時、同時に自分の命もこの世から消滅するのかも知れないと思うのでありました。生への執着はなくなっているはずでありました。しかしいざその瞬間がリアルにすぐそこまで近づいてきているのだと考えると、男はたじろぐのでありました。恐怖に、思わず身震いするのでありました。
 まさかこの儘死ぬとは限るまいと思いなおして、男は身震いを必死に止めようとするのでありました。今までだってどんなに激しい腹痛も、必ず治まってきたのであります。今回だって屹度鎮静するに違いありません。
 しかし今のこの痛みは、これ迄の食後の痛みではなくて、食事とはなにも関係のない時間に突然襲ってきたものであります。今までの腹痛が必ず治まってきたからと云って、それがこの今の腹痛にも適応できるかどうか、それは判らないではないかとも男は考えるのでありました。
 元々の、年齢に依る体の虚弱化と風邪による更なる衰弱、その後毎日の日課になってしまった腹痛、そして、その日課とは別の新たなこの今の腹痛。男はその発生までに辿った道筋を思うと、段々と窮地に追い詰められているような気になるのでありました。もしも幸いにしてこの新たなる危機を遣り過ごしたとしても、その先の段階では、遂に自分の命がこと切れると云う事態を想定せざるを得ないのでありました。それもごく近い将来。
 それでも兎に角、今はこの腹痛をなんとか宥めなければならないのであります。男は胸が火鉢に接触する程に背を丸めるのでありました。赤く燃える炭が顔を火照らせるのでありました。暫くそうしていても一向に腹痛が治まらないので、男は緩慢な動作で火鉢に背を向けるのでありました。今度は腰を温めてみようとするのでありました。
 腰に火鉢の熱が浸みこむのでありました。これは効果があるかも知れないと男は期待するのでありました。男は片手で腹を抑えて、片手は布団についた儘、胡坐をかいた足の上に顔を埋めるくらい体を屈するのでありました。この姿勢は窮屈で息苦しくはありましたが、腹痛から気持ちを散らすには好都合な格好でありました。この儘この姿勢に耐えられるだけこうしていようと、男は腰に広がる暖かさに身を任せながら思うのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」12 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 小一時間程そうしていると、何時ものように睡魔が男を襲うのでありました。これも何時も通り、この儘寝てしまおうと男は思うのでありました。腹痛に疲れ果てたと云うこともありましょうが、腹の痛みが少しは減じたから、眠気が兆してきたのであります。詰まりこの苦痛が終息する段階に入ったのかもしれません。なかなか良い按配であります。ここで眠って、起きた時には腹痛が去っていれば取り敢えずは一息であります。ならば今の時点でこの腹痛を過剰に恐怖する必要もないと云うことであります。偶々ちょっとした気紛れのように起こった不調なのでありましょう。そんな風に考えると男は幾らか落ち着くのでありました。息を細く吐くと、男は瞼を開いてはいられなくなるのでありました。

 まどろんだ後に目を開けた時、まだ全く腹の痛みは去っていないのでありました。男は失望に眉根を寄せるのでありました。企画は裏切られたのでありました。痛みの程度にはなんの変化もないようであります。男はもっと眠れるだろうかと考えるのでありました。寝て仕舞うしか、この苦痛から逃れる術をなにも持っていないのでありましたから。
 朝まで本格的に寝入るためには、部屋を暗くする方が良かろうと思うのでありました。男は両手で体を支えて時間をかけて上体を起こすのでありました。体を起こすと痛みが腹の中で暴れるのでありました。しかしなんとか立ち上がって、男は裸電球に手を伸ばすのでありました。灯りが消えると一瞬、増幅した分の痛みが一緒に消え失せたような気がするのでありました。
 男はまた布団の上にへなへなと崩折れるのでありました。老眼鏡を外してそれを小机の開いた本の上に置くのでありました。焦げ茶色のズボンも紺色の背広も着た儘であり、首にもマフラーを巻いた儘でありましたが、何時ものように男はそんなことに一向お構いなしに、足の方に山を作っている毛布と布団を片手で取ってずるずると引き上げると、その中に潜って蹲るのでありました。
 なかなか寝つけないのでありました。男は横臥の儘掌や指で腹を擦り続けるのでありました。腹痛から気を逸らすために縦横斜めに、軽く叩くように、押して揉むように、時々唸り声も上げて、刺激に対する皮膚の慣れを避けるように手を小刻みに様々動かし続けるのでありました。
 矢張り何時も通りに男はその動きに疲れ果て、うとうとと意識を現から遊離させるのでありました。しかし深い眠りに落ちることはどうしても出来ないのでありました。覚めては腹痛の塊が腹の中に未だ凝り固まっているのを確認し、再度前と同じに手を動かし、身じろぎして、その内また眠りに落ちるのでありました。かなり長い時間、男はそういうことを繰り返すのでありました。
 睡眠と覚醒の何度目かの満ち引きの後に、男は尿意を覚えるのでありました。それを我慢して布団の中で蹲っていると、次第に意識が覚醒の側に打ち寄せられていくのでありました。こればかりは布団の中で堪えていることも出来まいと、男は片肘をついて上体を押し上げるのでありました。冷気が布団の中に、すばしこい狐のように忍びこむのでありました。男は布団を押しのけてよろよろと立ち上がるのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」13 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 行った時と同じように、体を前屈みにして腹を抑えて足を引き摺りながら便所から戻ると、男は布団の上に座りこむのでありました。暗い中で座っていると、腹の痛みが心臓の鼓動にあわせて脈打つのでありました。男は深呼吸を繰り返してみるのでありました。前にも、そうやって腹圧を上げ下げすることが、腹の中にある痛みの塊を鎮圧するのに効果的だったことを、不意に思い出したからでありました。
 腹が膨らむのをズボンのベルトが制限するので、男は両手を使ってそれを緩めるのでありました。五秒をかけて息を腹一杯に吸いこみ、少し止めて、また五秒かけて吐き切るのでありました。痛みから気を紛らわせるのに少しは役立つかと思って、男は頭の中で秒数をカウントしながら繰り返すのでありました。
 何度目かの吸気の後、吸いこんだ量以上に腹が膨らむような感覚を覚えるのでありました。胃そのものが急速に膨張するようで、今までに感じたことのない感覚でありました。おやと思った次の瞬間、今度は胃が痙攣しながら一気に収縮し、喉の方へせり上がって来るのでありました。
 男は目を剥いて、慌てて口を抑えるのでありました。火鉢の方へ急いで向きなおると、その中へ顔を近づけるのでありました。動作の途中から、もう既に嘔吐物が勢いよく溢れ出るのでありました。数回、少しの間隔を開けて、男の絞り出す声と伴に腹の中にあったものが口から総て吹き出されるのでありました。燃え残っていた炭がもうもうと煙を上げて、灰と一緒に男の顔を襲うのでありました。男は息を吸いこむことが出来なかったから、舞い上がった灰に噎せることはないのでありました。
 腹のひくつきが一段落してから、口の端を拭おうと男は掌をそこへ押しつけるのでありました。掌がぬると唇を滑るのでありました。火鉢の辛うじて残った火明かりに照らされている掌を見ると、米粒と真黒な血が付着しているのでありました。これはいけないと、男は無意識に身震いを一つするのでありました。絶望的な身震いでありました。
 意識が急に遠のくのでありました。男は火鉢の横にうつ伏せに倒れこむのでありました。力が抜けて屈した身が伸びて、布団から上体がはみ出し、ズボンは尻に摺り下がるのでありました。男の頬に畳の湿った冷たい感触が伝わるのでありました。その儘畳の上に、また黒い血を吐くのでありました。頬が温い血に濡れるのを不快に思うのでありました。
 やっとこれで、自分は死ぬのであろうと男は思うのでありました。男は妙に落ち着いているのでありました。安堵のようなものすら覚えるのでありました。とっくの昔に潰えても不思議ではなかった命、ここまで無用に長らえてきたこの命が、これでやっと終焉を迎えるのであります。単なる日付と天候の羅列になり果てて仕舞ったあの日記も、遂にもう書かなくても済むのであります。云い知れぬ解放感に打たれて、男の、血に濡れた口が笑いの形に動くのでありました。
 男の閉じた目の中に男が生まれた小石川金富町にあった邸宅の、古庭の風景が現れるのでありました。四百五十坪はあろうかと云う宅地の中の崖下に広がる庭でありました。老樹が茂りそれが風に吠え、片隅にある古井戸から夜の闇が湧き出し、狐も住むその古庭を、当時幼かった男は偏に恐怖していたのでありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」14 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 それから、体が弱くて学業も儘ならず、官吏か実業家に男を育てんとした父親の意に染むべくもなく、挫折感と放蕩趣味から小説家や役者や寄席芸人に憧れ、父親が外地勤務で中国は上海に在任しているのを良いことに、一時は落語家の弟子になったり、歌舞伎座の狂言作者を志したりした青春時代のことが瞼の裏に流れるのでありました。あの頃男は巧まずとも、溌剌とその若さを体外に放射していたのでありました。老残の、腹痛で苦しむ今の男の有り様を、着流しで寄席の楽屋で忙しく機敏に立ち働く嘗ての若き姿の男は想像だにしなかったのでありました。男は閉じた瞼の中の眼に冷笑を浮かべるのでありました。
 父は男にとっては、その父としての恩愛に頭を垂れずにはおられない人であったと同時に、男の指向とは全く相容れない世過ぎの道を恥じることなく歩んだ人でありましたから、実に煙たくも重く、畏怖の上目と冷眼を交々向けるべき存在でもありました。父は嘉永の年尾張成尾に生を受け明治の世に官吏となって、後に日本郵船会社に職を奉じ、上海支店長や横浜支店長等を歴任したのでありました。一方で儒者でもあり漢詩をよくし、その父の素養の恩沢を大いに受けたことを男は隠さないのでありました。男の後のアメリカ遊学とフランス滞在も父の恩威に依ったものでありました。
 その父親の横には男の母が慈愛に満ちた笑みを投げているのでありました。母に連れられて芝居見物に行った桟敷で一緒に鰻重を食べたこと、冬の日に居間の置炬燵で母の買い集めた役者の錦絵を見せられた幼い頃の記憶が、先の瞼の下の冷笑を、至って素直な微笑に変容させるのでありました。
 それに数知れず関係を持った女達のこと。フランスから戻って暫くの後知りあった女とは、互いの腕に互いの名を彫った程の仲でありました。それに一度は籍を入れもした新橋の芸者とは、離婚後も交流が暫く絶えなかったのでありました。大金を強請り取られそうになり警察沙汰にまでなったカフェーの女給もいましたか。そんな女達の顔が、瞼の中に現れてはすぐに流れ去るのでありました。
 五十歳近くなって知りあった女は所帯持ちの良い家庭的な女でありました。この女とは妙に息があって、恋人のような夫婦のような関係を暫く続けたのではありました。結局別れはしたけれど、欲も嫉妬心も少なくこちらに重く寄りかかることのないこの女と、一時は終生一緒に暮らそうとまで男に秘かに思わしめた女なのでありました。別れた後も時々逢ったり食事を共にしたりするのは、男が女と一切交通がなくなって仕舞うことを耐え難く思ったからに他ならないのであありました。
 女は戦後も、つい先頃まで偶に男を訪ねてくれるのでありました。二年前、東京を離れ石川の七尾に移るため挨拶に来たのが最後でありましたか。何時ものように男は浅草で食事をするために午後女と一緒に家を出て、当時新築していた今のこの家の普請具合を二人で見て、そこで別れたのでありました。
 そう云えば先の戦争では独居していた麻布の家が焼かれ、その後は中野のアパート、明石、岡山と逃れ九死に一生の難にも遭遇したのでありました。戦後はすぐに熱海に移り一年後に市川に流れ着いたのでありました。市川でも何度か住処を変え、ようやくに今の家に落ち着いたのは二年前でありました。
(続)
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「四月廿九日。祭日。陰。」15 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 しかし麻布の家から焼け出された後の出来ごとは、男の瞼の裏側に薄調子に流れるだけなのでありました。男の生の中で最も大変な時期であったはずなのに、もうその頃老境に達していた男には、殆どのことが億劫に遣り過ごしただけの、然程の感慨も印象も残さない出来ごとばかりなのでありました。

 腹の痛みを感じなくなっているのでありました。粘り気を失わない冷たくなった血が、男の顔半分に纏わりついているのが不快なだけでありました。ただ、全く身動きが出来ないのでありました。男は目を薄く開くのでありました。
 真っ暗闇以外はなにも見えないのでありました。開いているのか瞑っているのか実は自分でもよく判らない瞼の裏に、白いカーテンが揺れている光景が浮かぶのでありました。それは十六歳の時、瘰癧の治療のために入院した病院の部屋だとすぐに判るのでありました。カーテンに窓の格子が透かし模様に映ってゆらゆらと揺れているのでありました。
 黒い影が、カーテンの中央に現れるのでありました。黒い影は寝ている男の顔を覗きこむのでありました。「蓮」と云う名の若い看護婦でありました。入院したその日に、自分がつき添って貴方の面倒をみることになりましたと挨拶して、名前を告げて男に頭を下げたその看護婦に男は一目で恋をしたのでありました。
 彼女が病室に入って来ると男は何時も、緊張のため体を強張らせて仕舞うのでありました。自分のたじろぎを気取られたくないものだから、男は彼女の顔を見たいと云う衝動を必死に押し殺して、極力無表情を装ってそっぽを向くのでありました。頬が火照り、体を揺らしてしまう程心臓が高鳴るのでありました。
 着替え等の折り、それを手伝うために仰臥する男の顔のすぐ傍に彼女の顔が近づけられる時、男は自分の胸の中で熱く滾った息が彼女の髪にかかることを恐れて、懸命に息をつめるのでありました。彼女の柔らかい指が男の体にほんの少しでも触れると、男はその接触点に全神経を集中させるのでありました。皮膚がぴりぴりと痛むようでありました。
 男はすぐに退院してしまったのでありましたが、看護婦に対する思いはその後も募るばかりなのでありました。男は用もないのに病院の周りを歩きまわり、なにかの理由で外に出てきた彼女と邂逅する偶然を切実に待つのでありました。しかし一度として、男の願いは叶えられることはないのでありました。男は何時も打ちひしがれて帰路につくのでありました。それでも男は毎日のように病院の門柱に隠れて、彼女の姿がその目に跳びこむのを待っているのでありました。悲観と期待に心を揺らしながら。・・・
 男は後年自分の雅号を「荷風」とするのでありましたが、それはこの看護婦の名前「蓮」に因んでのことでありました。初恋のときめきは男がこの世を去るまで、その雅号の中で、火鉢の中の埋み火のように密やかに、可憐に、燃え続けていたのでありました。
 男は最後にもう一度血を吐くのでありました。しかし何の苦痛もないのでありました。男の表情は崩折れた時よりも寧ろ穏やかにさえ見えるのでありました。この淡く切ない初恋の思い出を何時までも目の中に閉じこめておくために、男は皺深い瞼を固く閉じるのでありました。そうしてその瞼はその後もう二度と開かれることはないのでありました。
(了)
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「四月廿九日。祭日。陰。」補記 [「四月廿九日。・・・」 創作]

 荷風散人がこの世を去ったのは昭和三十四年四月三十日未明でありました。死因は胃潰瘍の出血性ショックによる急性心不全となるのでありましょう。二年前に新築した小さな自宅の、物が散乱して足の踏み場もない埃に塗れた六畳間で、誰にも看取られずに孤独にこの世に別れを告げたのでありました。享年満七十九歳。それは如何にも散人らしい最期と云えるかも知れません。
 散人の亡骸は四月三十日朝、何時ものようにやって来た手伝いの老媼によって発見されたのでありました。駆けつけた無神経で無遠慮な報道陣によって、布団から半身をのり出して伏臥した最期の姿や部屋の様子がすっかり写真に撮られ、後々までも衝撃的な記録として残されるのでありました。まあ、そのお蔭で我々はその暗い緊迫の一場を、今でも目にすることが出来るわけではありますが。
 老人の孤独な最期でありました。しかし考えてみれば際まで極力人の世話にもならず、医療的な延命をも期せずに、散人は「自然」にこの世から去ったのであります。それはある意味で見事であったとも云えるでありましょう。総て深い覚悟の上で散人はそのような死を自ら意志的に選びとったのだと云う解釈(自然死による覚悟の自殺=佐藤春夫氏の解釈)もありますが、しかし老境に達した散人は、要するにあらゆることが面倒になっていて、実ははっきりとした覚悟も意志もなく、只投げやりに残りの生を死ぬまで生きただけなのかも知れません。そう云う無為なところが、寧ろ拙生には如何にも最晩年の散人らしく思えて仕舞うのであります。
 死は詰まり死そのものであります。その最期の瞬間が傍目に如何に無惨に陰惨に無念に見えようとも、その人にとって死は死以外ではなく、自らの生の見事な完結の瞬間であると思うのであります。多くの人に看取られようとも、孤独な最期であろうとも、非業であろうとも、思いがけないものであろうとも、そんなことに関係なく、等しく死の瞬間はその人一人きりの完結の営為なのであります。だから残った我々はその孤独で見事な営為に対して何時までも嘆かないで、一輪の花と心からの敬意の二つを、静かに手向ければそれで良いのかも知れません。いや、柄にもなく妙にしめやかな話になって仕舞いました。
 荷風散人の『断腸亭日乗』等幾つかの作品、それに主なものとして、秋庭太郎氏の『考証 永井荷風』(岩波現代文庫)、磯田光一氏の『永井荷風』(講談社)、江藤淳氏の『荷風散策』(新潮社)、川本三郎氏の『荷風と東京』(都市出版)、同氏編の『荷風語録』(岩波現代文庫)、佐藤春夫氏の『小説永井荷風伝』(岩波文庫)、新藤兼人氏の『「断腸亭日乗」を読む』(岩波現代文庫)、菅野昭正氏の『永井荷風巡歴』(岩波現代文庫)、野口富士夫氏の『わが荷風』(講談社現代文庫)、半藤一利氏の『荷風さんの戦後』(筑摩書房)、松本哉氏の『永井荷風ひとり暮し』(三省堂)、同『荷風極楽』(三省堂)、同『女たちの荷風』(白水社)、同『永井荷風という生き方』(集英社新書)、安岡章太郎氏の『私の濹東綺譚』(新潮社)、吉野俊彦氏の『「断腸亭」の経済学』(NHK出版)、等の本を参考にさせて頂きました。
 映画監督である新藤兼人氏の『「断腸亭日乗」を読む』の中に、散人が最期の瞬間に「『断腸亭日乗』はもう書かなくてもいいんだ・・・」と思う場面があります。この言葉に云い知れぬリアリティーを感じたのが、この短篇を書こうとした動機でもありました。
(了)
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