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あなたのとりこ 36 [あなたのとりこ 2 創作]

「配送所は近いのですか?」
 頑治さんが訊くと自ら運転席に座った袁満さんは一つ頷くのでありました。
「すぐそこだよ。歩いて持って行っても大丈夫なくらいだけど」
 袁満さんはそう云い終らない内に右折にハンドルを切るのでありました。袁満さんは何時も車で彼方此方に出張しているようだから運転は極めてスムーズな感じであります。
 成程車に乗ってほんの一二分走った辺りに目指す配送所はあるのでありました。すぐ近所、と云ったところでありますか。車が止まると頑治さんは助手席から降りて後ろのハッチを開けて荷を取り出し、配送所の中に入るのでありました。袁満さんも一緒に付いて来るのでありましたが、集荷依頼は頑治さんが丁度店のカウンターに居た女子社員に荷物と一緒に予め書いておいた発送伝票を手渡してあっさり完了するのでありました。
 帰りは頑治さんが運転を代わるのでありました。
「どうもあれこれ有難うございました」
 頑治さんはハンドルを操りながら助手席に座る袁満さんに頭を下げるのでありました。
「なあに、どういたしまして」
 袁満さんは如何にも人の良さそうな表情をして笑うのでありました。「ところで、唐目君はこの後何か予定はあるの?」
「いや、特には」
「ああそう。唐目君の入社歓迎と云う名目で、未だ会社に残っている連中でそこいら辺で一杯やろうか、と云う話しが持ち上がっているんだけど」
「ああそうですか。良いですね」
「大丈夫かい?」
「はい、勿論大丈夫です」
 ここまで会話したところで車は会社に帰り着くのでありました。

 倉庫内に置いていた自分のネクタイを取って袁満さんと一緒に三階の事務所に上がると、営業部のスペースには日比課長が残っているのでありました。土師尾営業部長に発送伝票の控えを渡そうと思っていたのでありますが、その姿は無いのでありました。
「営業部長はもう帰られたのですか?」
 頑治さんは発送伝票の控えを持った儘日比課長に訊くのでありました。
「ああ、あの人はとっくに帰ったよ」
「ああそうですか」
 頑治さんは発送伝票の控えを土師尾営業部長の机の上に置くのでありました。
「人に時間外の仕事を頼んだんだから、普通は待っているものなんだけどね」
 そう云う日比課長の言葉は如何にも不愉快そうな調子でありましたか。
「そんな神経なんか更々無いよ。自分の事しか考えていないんだから」
 これはロッカーを開けて上着を取り出しながらの袁満さんの言葉でありました。袁満さんは着ていた作業服を脱いで手早く取り出した上着に着替えるのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 37 [あなたのとりこ 2 創作]

「そんな事は疾うに判ってはいるけどさあ」
 日比課長は忌々しそうに云うのでありました。
 制作部の方から片久那制作部長がこちらに遣って来るのでありました。その後に山尾主任と均目さんが出て来て、均目さんが制作部スペースの電気を消すのでありました。制作部もどうやら本日の仕事はここで仕舞いのようであります。
「そろそろ行こうよ」
 片久那制作部長が日比課長にそう声を掛けると、日比課長は机の上に広げていた書類を引き出しの中に片付けるのでありました。本日一緒に宴を張るのは営業部の日比課長と袁満さん、それに制作部の三人と云う顔触れのようであります。
 経理の甲斐計子女史と制作部の那間裕子女史、それに用事があると云っていた業務の刃葉さんと土師尾営業部長は欠席でありました。甲斐計子女史は元々同僚との会社の外での付き合いはあっさりした方だし、那間裕子女史はあれこれ私事多忙のようであるし、刃葉さんは空手の練習にでも行くのでありましょう。それに土師尾営業部長は仕事以外での社員との交流は全く無く、社員の方も彼の人を疎んじているような気配でありましたか。
 頑治さんも入れた六人は会社を出ると神保町駅の方に銘々歩き出すのでありました。向かうのは途中の人生通り中程に在る居酒屋でありました。
 日比課長がすっかり馴染みと云った風情で応対に出て来た店員に人数を申告してから、その店員の同意を得る暇も有らばこそ奥に設えてある畳敷きの座席の方へさっさと歩き進むのでありました。店内はそんなに立て込んではいなかったから、初動を出し抜かれた店員が趨歩で日比課長を追い越し、畳敷きの上に急ぎ上がって座卓二つをくっ付けて、六人が囲むにしては余裕綽々の宴席を調えてくれるのでありました。
 件の六人は先ずはビールで乾杯してから、ぼちぼち運ばれて来る料理に夫々おっとりと手を出し始めるのでありました。
「唐目君は何処に住んでいるの?」
 袁満さんがグリーンアスパラの豚肉巻きを齧りながら訊くのでありました。
「本郷の方です」
「へえ。それなら若しかして会社には歩いて通勤するの?」
「はい。徒歩で十五分程度でしょうか」
「良いねえ、近くて」
 これは頑治さんから一番離れた席に座っている片久那制作部長が応ずる声であります。聞けば片久那制作部長は八王子の方に住まいを構えていると云う事でありました。
「本郷なら大木目製本所と近いのかな?」
 これは山尾主任の質問でありました。
「そこは確か本郷六丁目方に在るんですよね?」
「そう。東大農学部の手前で道向かい」
「自分が住んでいるのは二丁目の方で、近いと云えば近いし、近くないと云えば、まあ、近くないと云った感じになりますかねえ」
(続)
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あなたのとりこ 38 [あなたのとりこ 2 創作]

「本郷に住んでいてもあんまりそっちの方には遠征しないか」
「そうですね。以前散歩で根津神社とか六義園に行った時に通ったくらいで、知人も居なければ今までこれといった縁もありませんでしたからねえ」
「本郷二丁目に住んでいるのなら、後楽園球場に近いかな」
 頑治さんの向い側正面に座る日比課長が言葉を挟むのでありました。
「ええ。壱岐坂を下りきるとすぐですね」
「俺は時々そこに巨人の試合を観に行くよ」
「ああそうですか。ほんの偶にですが王さんとかががホームランを打った時、そこで上がる大歓声が風に乗ってウチのアパートまで聞こえて来る事がありますよ」
「へえ、それは良いねえ」
 別に良くも悪くもないやと野球に然程の興味が無い頑治さんは思うのでありましたが、そう云っては如何にも愛想が無いのでニコニコと笑って見せるのでありました。
「野球とか、好きかい?」
 日比課長が質問を重ねるのでありました。
「いや、それ程でもありません。ラグビーは秩父宮に学校時代の友人に誘われて一度行った事がありますが、野球観戦した事は今まで一度もありませんね」
「ふうん。そうかい」
 日比課長は頑治さんの応えに些か興醒めしたような口調で返すのでありました。
「唐目君の趣味は何?」
 また山尾主任が訊くのでありました。
「いやあ、実はこれと云ってないのです」
「寄席通い、とか云っていなかったっけ?」
 片久那制作部長が言葉を割り込ませるのでありました。
「ああ、寄席には偶に行きます」
 就職面接の席で土師尾営業部長とそのような遣り取りをしたので、そこに一緒に居た片久那制作部長はそれを覚えていたのでありましょう。頑治さんの就職面接なんぞは、呼ばれたから仕方なく同席しているだけで、本当は何の興味も無いと云った態度であったけれど、そこで話された会話はちゃんと聞いていた模様であります。
「落語とか漫才とか、演芸ものが好きなの?」
 山尾主任が訊くのでありありました。
「ええまあ、好きな方ですね。寄席の、雰囲気が好きなんですよ」
「笑うのが好きか、とか真顔で訊かれて面食らったような顔をしていたもんなあ」
 片久那制作部長が可笑しそうに云うのでありました。これは就職面接で土師尾営業部長からされた質問でありました。その土師尾営業部長の、ある意味間抜けな質問をさも揶揄するような口調でここでこうしてものす辺り、片久那制作部長は土師尾営業部長の事を実はあんまり買ってはいないのかも知れないと頑治さんは憶測するのでありました。
「唐目君は笑うのが好きなの?」
(続)
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あなたのとりこ 39 [あなたのとりこ 2 創作]

 山尾主任が、あの時の土師尾営業部長のような至極真面目な面持ちで訊くのでありました。頑治さんは思わず山尾さんの顔を凝視するのでありました。
「おいおい、山尾君までそんな間抜けな質問をして唐目君を困らせるのかい」
 片久那制作部長がげんなりしたような顔をするのでありました。この質問がどうして片久那制作部長をげんなりさせるのか、それに頑治さんを困らせるのか、山尾さんは良く判らないと云った表情をしているのでありました。ひょっとしたら山尾さんは土師尾営業部長と感受性の性向に於いて同類なのかしらと、会社内でこれから先、大いに頼りにしようと思っていた矢先であったから頑治さんはちょっと不安になるのでありました。

 一通り頑治さんに対して、まあ、初対面の人物にするありがちの質問が一段落すると、会社や仕事上の愚痴やら社員個々の人物評と云ったところに銘々の酒席での雑談は推移するのでありました。頑治さんは未だそう云った話しに入りこむだけの予備知識も情報も何も無かったから、片耳で聞きながら黙してビールを傾けているのでありました。
 片久那制作部長はそれを聞いているのかいないのか判然としないような様子で一杯目のビールを飲み干した後、日本酒の冷を升で注文して黙々と孤高に飲んでいるのでありました。日比課長は横に座る袁満さんが結婚願望が強いような辺りを頻りにからかい半分にちょっかいを出しているのでありましたし、袁満さんもそれを別に不愉快にも思わないようで、照れたり面目無さがったりしながら笑って受け応えているのでありました。
 この二人の遣り取りに時々山尾主任も日比課長側で加わるのでありました。そう云った諸々の談笑を聞きながら頑治さんは、ここに居る、それにここに居ない贈答社と云う会社に集う人物達のプロフィールのほんの一端なんぞを垣間見るのでありました。
 片久那制作部長は大学時代は全共闘の闘士だったようで、全共闘運動が挫折した後、在籍していた或る大学を三年で中退して、その時既に奥さんと結婚していたものだから何でも良いから働き口を見付けるため贈答社の前身である大日本地名総覧社と云う四十七都道府県別地図とその県の市町村名、大字名、小字名が網羅された主に公官庁に納入される分厚い大判の書籍を作る会社に編集者として入社したという事でありました。因みにこの大日本地名総覧社はその後暫くして経営が行き詰まり、主要書籍の版権を他の出版社に譲渡して、新たにギフト関連業の贈答社となったと云う経緯だそうであります。
 社の業態や外形が大きく変わった後も片久那制作部長はその儘贈答社に残り、今の制作部長と云う地位に就いたという事でありました。大いに頼り甲斐のある御仁ではあり、なかなかの切れ者であり食えない人でもあり、非妥協的で狷介で少々変人でもありで、その偉丈夫振りも手伝って社員の畏怖を一心に集めていると云った感じでありましょうか。まあ、少々煙たがられてもいるような嫌いはあるようでありますが。
 それに比べて、と云うか片久那制作部長の存在と竟々比較されて仕舞う故か、この席に居ない土師尾営業部長は社員の誉望を寂しい程集めてはいないようでありました。日比課長に依ればそれは小者が無理して大者ぶる浅はかさが鼻に付く故だそうであります。その童顔も、警戒心たっぷりに常に微動している目もそんな評判の裏付けでありましょう。
(続)
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あなたのとりこ 40 [あなたのとりこ 2 創作]

 土師尾営業部長は片久那制作部長とほぼ同じ頃大日本地名総覧社に、これも同じく編集者として入社したと云う事でありました。しかし贈答社になった後は色々と経緯があって営業部に籍を移して、その後はずっと営業の仕事をしてきた人のようであります。
 日比課長も大日本地名総覧社時代に二人に遅れる事二年で入社した人で、その時代の生き残りは経理の甲斐計子女史を入れて四人という事でありました。この会社が贈答社となったのは今から五年前の事だそうでありますが、古い人がすっかり辞めて仕舞って、残った若手四人が贈答社をこれ迄実質的に切り盛りしてきたと云う事になりますか。
 因みに贈答社の現社長は、本来は大日本地名総覧社と取引のあった紙の販売会社を経営している人だそうで、今でもその紙販売会社の社長でもあるそうであります。
「二階の階段脇に、株式会社吉田紙販売、と云う会社がありますが、そこが社長の兼業している紙の販売会社なのでしょうか?」
 話しの途中で頑治さんが日比課長に訊くと日比課長は数度頷くのでありました。
「そうそうそう。それにウチが入っているビルのオーナーでもあるよ。それだけじゃなくて東上野にももう一棟五階建てのビルを持っているかな」
「へえ。こんな聞き方は不謹慎かも知れませんが、社長は遣り手なのでしょうかね?」
「遣り手かどうかはよく知らないけど、苦労人ではあるかな」
 日比課長は手にしていたコップのビールをグイと開けるのでありました。「自分でリヤカーを引いてあっちから紙を仕入れてこっちに売りに行く、なんてな感じで、弟さんと二人で吉田紙販売を今の規模にしたとか云う話しを聞いた事があるよ」
「ふうん。大したものですね」
 頑治さんは、この社長なる人は自らの苦労を厭わず仕事に精を出す篤実な経営者なのであろうと勝手に頭の中にその人物像を描いたのでありました。
「縁あって大日本地名総覧社の経営も引き受ける事になったけど、まあ、五階建てのビル二棟のオーナーでもあり吉田紙販売の社長でもあるから、印刷やら製版やらその他の大日本地名総覧社と取引のあった色んな会社から頼まれて、仕方なく左前になった会社を引き受けたと云うのが実情だな。赤字にならなければ良いか、と云う程度の腹心算で」
「自分が社長になった限りは会社を前より大きくしよう、と云う秘かな目論見と云うのか野望と云うのか、そんなものはお有りにならなかったのでしょうかね?」
「まあ、無かったんじゃない。出版社のオーナーだと云う、云ってみれば名刺の飾り程度の了見だったんだと思うよ。実際大日本地名総覧社から贈答社になって、会社の規模も人員も、それに売り上げの方も小さくなったしね。おまけに出版社じゃなくなったし。社長としたら名刺の飾りと云う目論見もあっさりパーになったような具合だな」
 日比課長はそう云って皮肉っぽく笑うのでありました。隅の席で黙々と日本酒の升酒を呷っていた片久那制作部長が、その日比課長の云い草を聞いて少し眉を顰めるのを頑治さんは横目にチラと認めるのでありました。日比課長の方はそれには全く気づかなかったようで、空いた自分のコップに手酌でビールをドボドボトと注ぎ入れるのでありました。
「ところで唐目君、刃葉君には魂消ただろう」
(続)
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あなたのとりこ 41 [あなたのとりこ 2 創作]

 日比課長が話題を少々横滑りさせるのでありました。
「はあ。まあ。・・・」
 頑治さんは先輩社員に対しての弁えから、大いに遠慮がちに苦笑うのでありました。
「今迄、あんな妙な人は見た事が無かったねえ」
「妙と云うのか、好い加減と云うのか、適当と云うのか、・・・」
 この会話に山尾主任も加わるのでありました。

 山尾主任は頑治さんのコップにビールを注ぎ足そうとするのでありました。頑治さんは両手でコップを捧げ持ってそれを受けるのでありました。
「よくもまあ今まで、あんな調子で生きてこれたもんだとある意味感心するよ」
 今度は日比課長がそう云いながら山尾さんのコップにビールを注ぐのでありました。
「うっかり屋だから何をやらせても必ず一つ二つ抜けているし、丸っきり気は利かないし要領は悪いし、自分が仕出かしたポカでも他人事のように責任を全然感じていそうもないし、だから同じポカを何度も繰り返すし。典型的な、使えない人、だねあの人は」
 山尾主任が唾棄するような調子で並べ立てるのでありました。
「その辺を注意しても聞いているのかいないのか。寧ろそんな詰まらない事で一々目くじらを立てるな、なんて顔して笑っていて、まともに聞きもしない」
 日比課長が同調するのでありました。
「そうそう。逆にどう云う了見なのか注意しているこっちを見下すような顔している」
 山尾主任は一気にコップのビールを飲み干すのでありました。
「でも、刃葉さんはあれで結構傷付いているんですよ、本当は」
 今まで殆ど口を開かずに聞き役に徹していた均目さんが、脇からそっと会話に加わるのでありました。この思わぬ均目さんの闖入に日比課長と山尾主任は手にしていたコップを胸元で止めて均目さんの方を同時に見るのでありました。均目さんは山尾主任の空いたコップにビールを注ごうとして、瓶を傾けながら徐に差し出すのでありました。
「均目君も刃葉君の被害者の方だろうに、何で刃葉君を庇うんだい?」
 山尾主任が苦った顔で均目さんの酌を受けるのでありました。
「刃葉さんは要するにプライドの高い人なんですよ。ポカをやらかす自分を結構自分で責めているんです。でもまあプライドが高いから、人にそれを指摘されたり叱責されるのが苦手なんです。それで竟、不遜に見えるような態度を取ったりするんですよ」
「ほう、なかなかの分析家だな、均目君は」
 日比課長が皮肉っぽく云うのでありました。
「だからと云って万事好い加減なのは困るじゃないか。プライドが高いのなら、人に文句を云われない仕事をすれば良いんだ。別にそんなに難しいし仕事でもないんだし」
 山尾主任は与しないところを見せるのでありました。
「それはそうですが、刃葉さんの意地はそう云う方向には向かないんです」
 均目さんもなかなか後退りしないのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 42 [あなたのとりこ 2 創作]

「要するに、未だ子供って事だな」
 日比課長が至極簡単にそう結論するのでありました。
「或いはひょっとしたら、人が窺えないような高い志望を秘め持っているとか」
 均目さんは日比課長のコップにビールを注ぎ足すのでありました。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、なんて中国の箴言がありましたね」
「何だいそれは?」
 日比課長は均目さんの顔を覗き込むのでありました。
「陳渉の言葉かい」
 寡黙に升酒を飲んでいた片久那制作部長がここで急に言葉を発するのでありました。
「陳渉、と云うのは何処の誰ですか?」
 日比課長は片久那制作部長に遜った物腰で訊くのでありました。課長と部長と云うのもありはするのだろうけど、日比課長の言葉遣いには片久那制作部長に対する畏怖が籠っているように頑治さんには聞こえるのでありました。歳は日比課長の方が明らかに上でありましょうが、片久那制作部長には一目も二目も置いていると云った風であります。
「大昔の中国の、秦に対して最初に反乱を起こしたヤツだよ」
 片久那制作部長の物云いは恰も鴻鵠が、侮っている雀に向かって云うような調子でありましたか。それは聞きように依っては長幼の順を弁えない無礼な言葉遣いにも聞こえるのでありましたが、まあ、ざっくばらんの仲と云うのかも知れませんが。
「どう見ても大志があるようには見えないけどね」
 山尾さんが割り込むのでありました。「単に考えが幼稚なだけだね。それに万が一刃葉君に大志があったとしても、だからと云って仕事を疎かにしたり、不注意から大ポカをやらかして良い筈はない。そうでしょう、部長?」
 山尾さんは片久那制作部長の方を向いて至極真面目に問い掛けるのでありました。
「さあね」
 片久那制作部長は山尾主任の問いかけに対して有耶無耶に、応えるでも応えないでもないような無愛想な云い草をして、また升酒の嚥飲に没頭するのでありました。この鮸膠も無いような片久那制作部長の態度に山尾さんは少し気色ばむのでありました。
「部長は倉庫の様子を知らないから、刃葉君の好い加減さの被害が判らないんですよ」
「そうでもないよ」
 片久那制作部長はクールにあっさり、山尾主任の方に顔を向けるでもなく手にした升から視線を逸らす事無くそう返すのでありました。山尾主任の食い下がりが億劫そうであります。この冷淡で真面目に取り合わないような対応に山尾主任は益々熱り立つような素振りを見せるのでありましたが、日比課長がそれを宥めに掛かるのでありました。
「まあまあ山尾君、そんなに興奮するなよ。もう酔ったのかい」
「酔ってなんかいませんよ!」
 山尾主任は如何にも興奮気味に日比課長に食って掛かるのでありました。酔っていないと云うヤツは大体に於いて酔っているものだと頑治さんは秘かに思うのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 43 [あなたのとりこ 2 創作]

「ああそう? 何かちょっとくどくなってきたようだからさ」
「くどくなんかなっていませんよ!」
 山尾主任はあくまで抗議するのでありました。日比課長はちょっと持て余すような苦笑いを浮かべて山尾主任から視線を外すのでありました。
 袁満さんと均目さんはこの遣り取りを傍観しているのでありました。しかし冷ややかに無視していると云うのではなく、自分如きが嘴を挟むのは遠慮しておこうと云う、謹慎を装って非当事者である立場をあくまで確保しておこうとする一種の保身と、面倒臭がりがその態度に徹する心持ちの大半でありましょう。頑治さんもそっちの口であります。
「山尾君、そのくらいにしておけよ。日比さんは軽い冗談で酔ったのかと云っただけなんだから。それにここに居ないヤツの事を何やかやと論うのはフェアじゃないだろう」
 片久那制作部長が酒の入った升を鼻の位置に上げ持って、その上から覗く眼鏡越しの目をやや厳めしくして窘めるのでありました。これはなかなかに迫力のある目と声音とタイミングでありました。山尾主任は明らかにたじろぐのでありました。
「・・・判りました。確かにフェアじゃないからもう止めます」
 山尾主任は意地から、オドオドと云った態に見えないように片久那制作部長の顔に向けていた視線を外して、手にしていたビールのコップをグイと空けるのでありました。
 何となく場の空気が重くなったものだから、少しの間会話が途切れるのでありました。しかしいつまでも重苦しい儘では折角の酒や料理が不味くなるからか、日比課長は袁満さんのコップにビールを注ぎ入れながら再び、結婚願望が強い割りに捗々しく女性にちょっかいを出さないその弱気をからかい始めるのでありました。袁満さんもそうやってからかわれるのが然程不快でもないような素振りで相手をしているのでありました。
 片久那制作部長は相変わらず無言で、口元での升の水平と傾斜の繰り返し作業に始終しているのでありましたし、山尾主任は話す相手を失ったように、こちらもビールを手酌で自分のコップに注いでは口に運んでいるのでありました。頑治さんとしては時折コップを口に当てつつそんなテーブル上の様子を眺めているしか無いのでありましたが、もう一人取り残されたような風情の均目さんと目が合って、どちらともなく二人で、まあ互いの自己紹介を兼ねたような他愛の無い会話を交わしているのでありました。

 それから小一時間ばかりでこの酒宴はお開きになるのでありました。後半は参加者全員で唄あり隠し芸ありで大いに盛り上がると云った風ではなくて、何となく夫々勝手に飲み食いしながら尻窄みに果てたと云った印象でありましたか。
 この後一人で、神田に在る馴染みの居酒屋に行くと云う片久那制作部長、それにもう帰ると云う山尾主任と別れて、残った日比課長と袁満さん、それに均目さんの三人は新宿に出て飲み直すと云う話しが纏まるのでありました、頑治さんも誘われたので、別に断る理由も無かったものだから三人と一緒に神保町駅まで歩くのでありました。この三人が何時もの気さくな面子と云う辺りでありましょうか。歩きながら聞けば、今出張に出ているもう一人の営業部の若手社員も加わって時々会社帰りに飲むのだそうであります。
(続)
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あなたのとりこ 44 [あなたのとりこ 2 創作]

 新宿に出ると寄席の末廣亭近くの雑居ビルの、日比課長と袁満さんが時々通っていると云う洋風居酒屋に四人は入り込むのでありました。先ずは若いウエイターの男に人数を聞かれて、四人掛けのボックス席に案内されるのでありました。その店には袁満さん名義でウイスキーボトルがキープされていて、後はレーズンバターやら野菜スティックやらミックスピザやらのつまみ物を適当に頼んで、四人での二次会が始まるのでありました。
「山尾君は、冗談も洒落も通じない相変わらずの堅物で参るね」
 日比課長が水割りのグラスを傾けながら云うのでありました。
「酒量は結構すごいけど、あれですぐに酔っちゃうからね」
 袁満さんがそう受けるのでありました。日比課長に対してもうすっかりざっくばらんな言葉遣いで、日比課長の方もそれを不愉快そうにもしないところを見ると、これが二人のインフォーマルでの常態なのでありましょう。
「酔うとくどくなるからすぐ判る。本当はあんまり酒に強い方じゃないんだろうな」
 日比課長は一杯目の水割りグラスを口を突き出しながら最終角度まで傾けるのでありました。「まあ、そう云う袁満君も酒には強い方じゃけどな」
 均目さんが空いた日比課長のグラスを受け取って二杯目を作るのでありました。
「俺は大体が酒は好きな方じゃないもの。付き合い程度には飲むけどさ」
「饅頭とかチョコレートの口だな。ああ、それと女」
 日比課長がからかうのでありました。
「女ったって、そんなにモテないもの俺は」
「知ってるよ。でもこよなく好きではあると」
 袁満さんはそう云われても苦笑っても否定はしないのでありました。
「女好きなら日比さんの方が俺よりすごいじゃない。モテないのは同じだけどさ」
「いや、俺はそこそこモテるよ」
「金を遣ってモテるのは本当にモテると云うのとは違うし」
「袁満君はケチで金も遣わないから尚更モテないんだぞ」
「大きなお世話だよ。金使ってまでスケベ親父の評判は取りたくないもの」
 袁満さんはここは少し熱り立つのでありました。そう云うところを見ると、袁満さんは本当にケチなのかも知れないと頑治さんは冗談半分ながらに思うのでありました。
「ところで山尾さんが近々結婚する、と云うのは知ってますか?」
 均目さんが話頭を曲げるのでありました。
「いや、それは初耳だな」
 袁満さんが大袈裟に身を乗り出すのでありました。
「良くは知らないけど、何かそんな話しを甲斐さんから聞いた事があるかな」
 日比課長はそう云いながら、まるでつり合いを取るために袁満さんが身を乗り出した分を差し引くように椅子の背凭れに身を引くのでありました。「その相手の女と云うのは、名前とかどんな人なのかとか、均目君は知っているのかい?」
「いや、良くは知りませんが、何でも山登りのクラブで知り合った人だとか」
(続)
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あなたのとりこ 45 [あなたのとりこ 2 創作]

「ほう、山登りのクラブねえ」
「山尾さんは山登りが趣味なんですか?」
 頑治さんが遠慮がちに話しに割り込むのでありました。
「そうね。会社に入った頃は週末には必ず大きなリュックを背負って山登りしていたようだったな。ここのところは少し減っているみたいだけどね」
 日比課長が水割りグラスを傾けながら頑治さんを見て応えるのでありました。
「そりゃあ彼女が出来たのなら、山の方は減るだろうし」
 袁満さんが空いた自分のグラスに二杯目の水割りを自ら作りながら云うのでありました。見ていると大分に薄い水割りを作っているようでありますが、さっき酒には弱いと自ら云っていたのでありますから、これは均目さんに任せて濃くされるのを嫌っての事なのかも知れないと、どうでも良い事ではあるけれど頑治さんは推量するのでありました。
「でもその彼女さんは山登りのクラブで知り合った女の人なんだから、毎週末一緒に山登りに行っても良い訳じゃないですか」
 均目さんが、こちらも自分の二杯目を作りながら袁満さんの説に異を唱えるのでありました。その水割りは袁満さんのよりは随分濃い琥珀色をしているのでありました。
「ああそうか。それもそうだなあ」
 袁満さんが均目さんの異論に自説をあっさり引っ込めるのでありました。
「山で乳繰り合うよりも、互いの家とか新宿のこの辺やら池袋の安ラブホテル辺りにしけ込む方が金もそんなにかからないし簡単で良いんじゃないの」
 日比課長が卑俗な笑い声を立てるのでありました。
「何時もスケベ一直線の日比さんじゃあるまいし、そんな理由で山登りを減らしているとは思えないけどなあ。将来の結婚のために出費を控えているのかも知れない」
「山尾君は結構体裁を気にする方だからそんな理由は噯にも出さないけど、でも案外本音はそう云ったところかも知れないぜ」
 日比課長はあくまで卑俗に笑いながら自説に拘るのでありました。
「山尾さんが結婚されるのは何時頃なのですか?」
 頑治さんが均目さんに訊くのでありました。
「確か今年の末頃とか云う話しだけど」
「へえ。まあ目出度い話しですね」
 頑治さんも均目さん程度に濃い水割りを自ら作りながら云うのでありました。
「両部長と俺以外、ウチの会社の若い者で所帯持ちになるのは山尾君が最初だな」
 日比課長が袁満さんの方に意趣有り気な視線を送るのでありました。「人一倍結婚願望が強いヤツの方は、一体どうなっているんだい?」
 そう云われて袁満さんはグラスを口に当てた儘苦笑するのでありました。
「こればかりは縁のものだからね」
「縁も黙って待っているだけじゃ何処にも生まれないぞ。呑気にしていないで自分からガンガン意欲的に行かないと、何時まで経っても寂しい一人暮らしの儘だぜ」
(続)
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あなたのとりこ 46 [あなたのとりこ 2 創作]

「袁満さんも山登りのクラブにでも入って血眼で嫁探しをしますか」
 均目さんがからかい口調で云うのでありました。袁満さんの人の好さに安心して、一つ年下の筈の均目さんも遠慮が無いようであります。
「俺は山登りとかはそんなに好きじゃないもの」
「只管、女が好きなんだもんなあ」
 日比課長が横から戯れ言で混ぜ返すのでありました。
「山登りとか、健康的で良いじゃないですか」
 均目さんがやや太り気味の袁満さんの体を背凭れに少し身を引いて、俯瞰するような目付きをしながら云うのでありました。
「まあ、ハイキング程度ならね。山登りのために体を鍛えたりするのはどうもなあ」
「山尾さんは体を鍛えているのですか?」
 頑治さんが訊くのでありました。
「そうだろうな。時々トレーニングジムに通っているみたいだし」
「山登り一直線といった感じですね」
「山尾君はあれで他に趣味も無さそうだしなあ」
 日比さんが三杯目の水割りを、今度は均目さんに任せずに自ら作りながらいうのでありました。均目さんが先程作ったのよりはより濃い色をしているのでありました。
「時々、山登りに行きたいと云う事を云うのに、山が俺を呼んでいる、とか聞いているこっちがちょっと鼻白むような気取った、しかもありふれた科白を吐いたりする時があってげんなりするけど、まあ、山登りのためなら結構ストイックな方かな」
 この均目さんの科白には一種の皮肉が込められていると窺えるのでありました。
 山尾さんと云う人は、山男に屡ありがちな印象ではありますが朴訥で頑固で人交わりは得意ではないけれど、しかし心根の多くの部分で浪漫的な色を持った人と云うイメージでありますか。そう云う人が日比課長が云うように、吝嗇から山登りの代わりに新宿や池袋のラブホテルに彼女と通っているとは頑治さんには思えないのでありました。
「片久那制作部長も山登りをする人だよ」
 袁満さんが頑治さんにそんな情報を伝えるのでありました。
「へえ、そうなんですか」
「こっちもかなり本格派だぜ。もう今は殆ど登らないようだけど」
 日比課長が補足するのでありました。
「片久那制作部長は体格が良いから、そう聞くと如何にも、と云ったところですね」
「片久那制作部長も時々、こっちがたじろぐような気障な事を云ったりするよ」
「へえ、そうですか」
 均目さんはその云い回しから推察すると、山男なるモノは苦手のようであります。

 頑治さんは三倍目の水割りを自ら作るのでありました。
「そうすると片久那制作部長と山尾主任は気が合う関係と云う事ですかね」
(続
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あなたのとりこ 47 [あなたのとりこ 2 創作]

「いや、そうでもないな」
 均目さんが首を振るのでありました。「言葉の端々から窺っていると片久那制作部長はあんまり、山尾さんの事を買ってはいないような気配だよ」
「そうなんですか?」
「何か物足りないヤツ、と云ったように感じているんじゃないかな」
「それは仕事の上で、と云う事でしょうか?」
「まあ、仕事でも、その人間的在りようでも」
「人間的在りよう?」
 それは全否定とも取れる云い方だと頑治さんは思うのでありました。
「万事に今一つ甘っちょろいと思っているんじゃないかな」
「甘っちょろい、ですか?」
「何となくやる事為す事総てが不徹底な印象があるような感じかな」
「それにどちらかと云うと陰気な感じがする」
 日比課長が口を挟むのでありました。「細かい事にうじうじと拘ったり、別に何て事無く聞き流せば済むような話しを聞き流せなくて執拗に食い下がったりする傾向がある」
「そう云う日比さんは、ちゃんと拘らなければいけないものも、チャラチャラと冗談めかして誤魔化して仕舞う傾向があるけどね」
 袁満さんが日比課長に遠慮がちな口調で繰り言するのでありました。
「ああそうかい。でもこの世の中、大概はそうやって遣り過ごせばそれで済む事が殆どじゃないかい。妙に深刻振ると大体に於いて話がややこしくなる」
「でも日比さんの場合もうちょっとくらいは色々締まりがある方が良いとおもうけど」
「俺だって締めるところはちゃんと締めているさ。その締め方が手際が良くてスマートでさり気無いから傍目にはそう見えないかも知れないけどね」
「よく云うよ」
 袁満さんがげんなり顔をするのでありました。その袁満さんを煙に巻くように哄笑しながら日比課長は、もうすっかり冷めて仕舞ったビザを一切れ口の中に放り込んでくちゃくちゃと音を立てながら咀嚼するのでありました。
「物事に拘らないと云えば、ウチの会社では刃葉君が一番格だろう」
 日比課長が咀嚼音の隙間からそんな事をものすのでありました。
「あの人は、もう、別格だよ」
 ここからまた刃葉さんの事に話題が移るのでありました。「拘らないと云うよりは、万事に上の空でがさつで好い加減、と云った方が良いかな」
 袁満さんもピザを一切れ頬張って、日比課長よりは控え目ながらも咀嚼音を立てて顎をせわしなく上下に動かすのでありました。
「刃葉さんは空手をやっているそうですね」
 丁度袁満さんが今口に入れたピザが最後の一切れだったので、頑治さんはその横の胡瓜の細切りスティックを摘みながら袁満さんに訊くのでありました。
(続)
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あなたのとりこ 48 [あなたのとりこ 2 創作]

「ああ、今年になって空手道場に通い出したらしいな」
 袁満さんも胡瓜の細切りスティックを摘むのでありました。「刃葉さんはウチの会社に入る以前から柔道と合気道の道場に通っていたんだよ。その二つは黒帯らしいし、去年はそれに加えて居合の道場にも通い始めたらしい」
「へえ。武道が好きな方なんですね」
「それにもう一つ、武道じゃないけどバレエの教室にも行っているらしい」
 均目さんがこちらも胡瓜のスティックを取りながら補足するのでありました。
「バレエと云うと踊りのバレエですか?」
「そう。VじゃなくてBの方」
「多才なんですね」
 刃葉さんにはバレエは如何にも似付かわしくなかろうと、その体育会系の容姿を思い浮かべながら頑治さんが複雑な笑いを作って感嘆して見せるのでありました。
「多才、と云うのじゃないだろうな。単に多趣味と云うのか気が多いと云うのか」
「しかしそんなに習い事をやっていると、毎日忙しいですねえ」
 頑治さんがもう一本胡瓜のスティックを取るのでありましたが、それが最後の一本でありました。これで粗方の酒の摘みは無くなるのでありました。
「そうね。朝からそっちに気持ちが向いているから、仕事に余計身が入らないんだ」
 袁満さんがそう云いながらメニュー表を取り上げるのでありました。
「しかし刃葉君がバレエの白タイツを穿いている姿は、あんまり見たくないねえ」
 日比課長が顰め面をして見せるのでありました。それは実見してみなければ判らないのではありますが、確かに刃葉さんはバレエの衣装よりは空手や柔道の稽古着の方が遥かにお似合いであろうと頑治さんも考えるのでありました。
「どう贔屓目に見ても、あの人はバレエと云う体型じゃないよ」
 袁満さんがその白タイツ姿を想像したのか、吹き出しながら云うのでありました。
「若い女の子のレオタード姿を見るのが目当てなんじゃないのかね、本当は」
 日比課長が卑俗な笑い声を立てるのでありました。
「いやでも、刃葉さんは女には興味が無いように見えるけど」
 袁満さんが異を唱えるのでありました。
「あれは興味が無いんじゃなくて、恐ろしくシャイなものだから無関心な風に必死に繕っているだけだろう。体裁上しれっとして実は一生懸命隠しているけど、本心では女の事が気になって気になって仕方がないんだよ。刃葉君は典型的なむっつりスケベタイプだね。その点、袁満君はあっけらかんとしたお人好し的スケベだから未だ許せるけどね」
 日比課長はそう断じるのでありました。
「そう云う風に褒められてもちっとも嬉しくないね」
 思わぬとばっちりを蒙った格好の袁満さんが口を尖らすのでありました。
「別に褒めた心算はないよ」
 日比課長はあくまで袁満さんをからかい半分にあしらうのでありました。
(続)
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