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お前の番だ! 585 [お前の番だ! 20 創作]

 この真入は意外に少年部には人気者なのでありました。さして子供あしらいが上手いと云うのではないのでありますが、子供がどんなに手荒な戯れを仕かけていっても、それをその巨体故に蚊に集られた程度にビクともせず受け止め、何時もニコニコして小言一つも云わない辺りが、子供にとっては大いに懐きやすいのでありましょう。
 その顔と風体から真入は子供が嫌いであろうと万太郎は踏んでいたのでありましたが、これも豈図らんや、来間なんかよりも余程人気者になって、真入自身もそれが満更でもないような様子なのであります。序に云えば少年部の統率者たるあゆみに対しても、万太郎の奥方でもある事から、真入は不謹慎な態度なんぞは絶対取らないのでありました。
 真入は内弟子になって上手く周囲と馴染めるかなと、万太郎が危惧していたのも事実ではありましたが、今までちゃらんぽらんに生きてきた自分の人生の、恐らくここが先途と云う強い覚悟が本人にあるためなのか、なかなかへこたれないところなんぞは実に見事なものと云うべきであります。真入がその覚悟を忘れずに真摯に、且つ大過なく内弟子を務め上げて、将来一廉の武道家として立つ事を万太郎は祈るのでありました。

 さて話は遡るのでありますが、万太郎とあゆみの結婚式当日、全く意外な仁から祝電が舞いこんできたのでありました。その意外な仁とは威治元興堂流宗家でありました。
 八王子での一件以来、全く音沙汰がなくなっていたのでありましたが、これまたどう云う風の吹き回しでありましょうや。それに一体何処から、万太郎とあゆみが結婚すると云う一事、それに式の日取り等を聞きつけたのでありましょうや。
 その辺りは、威治元宗家の兄上には興堂範士との因縁から招待状を送ってあったので、屹度その線からであろうと推察できるのでありました。しかしまさか祝電を寄越す等とは万太郎もあゆみも思いだにしていなかったのでありました。
 結婚式は新宿の某ホテルで執り行われたのでありましたが、披露宴の始まる前にその日司会を頼んでいた良平に控え室で、ホテルの担当から託されたと云ってその祝電を見せられたのでありましたが、万太郎とあゆみは顔を見あわせて唸るのでありました。
「何やら隠れた意趣があっての事かな?」
 良平が机上に置いた祝電を人差し指で数度軽く叩きながら云うのでありました。
「さあ、どうでしょうかね」
 万太郎は小首を傾げて見せるのでありました。
「自分の名前を見せる事で祝賀気分に少し水を差してやろうとか、嘗てあゆみさんにふられた恨みに面当てしてやろうと云う、陰湿で惰弱な魂胆と受け取れない事もないな」
「しかし文面はごく普通で、お決まりのものですね」
 万太郎は電報を手に取ってそれを読みながら云うのでありました。
「お兄さんに云われて、仕方なく義理から出したんじゃないかしら」
 あゆみが由来を忖度するのでありました。
「しかしお兄さんは嘗て威治元宗家が道分先生を伴って、無茶な縁談話しを総本部に持ってきたと云う経緯を知らないのでしょうかねえ」
(続)
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お前の番だ! 586 [お前の番だ! 20 創作]

「どうかな。ご存知じゃないのかも知れないですね。その話しは道分先生からすぐに、なかった事にしてくれと云う申し出がありましたからね」
「しかし親子兄弟なんだから、知らない事もないように思うが」
「いや、若しご存知だったら返って、若先生に祝電を打て等と指示はされないでしょう。お兄さんはその辺の機微に関しては弁えのある方のようですし」
「そうね。それもそうよね。第一お兄さんの指示と云うものも、全くの推察なんだし」
 あゆみが綿帽子を被った頭で頷くのでありました。
「まあそれは取り敢えず置くとしても、祝電披露の時、この電報も一応紹介するか?」
 良平が司会役として確認を取るように万太郎に目を向けるのでありました。
「貰っておいて、若先生の名前だけ紹介しないと云うわけにはいかないでしょう」
「それもそうだが。・・・」
 良平はあゆみの方をちらと窺うのでありました。
「万ちゃんの云う通りだとあたしも思うわ」
 あゆみは良平に一つ静かに頷いて見せるのでありました。
「ああそうですか。まあ、あゆみさんがそう云うのなら」
 良平は何となく大儀そうに万太郎から電報の紙を受け取るのでありました。「しかし一応、総士先生には、予めその旨断りを入れておくよ」
「総士先生も、別に拘りにはならないと思いますよ」
 万太郎には是路総士が、ああそうか、とだけ云って全く無表情に軽く頷く様子が見えるようでありました。ここは余り色々考え過ぎないのが自然でありましょう。
 それやこれやもありながら結婚式も無事に終わって、万太郎とあゆみは是路総士と伴にタクシーで総本部道場に引き上げて来るのでありました。二人は次の日から信州木曽路へ、二泊三日で新婚旅行に出発すると云う段取りでありました。
 帰りつくと留守を預かっていた来間が真入と一緒に玄関で出迎えるのでありました。
「押忍、ご苦労様でした」
 来間はそう云って先ず是路総士に立礼してから、万太郎とあゆみに何となく眩しそうな視線を送るのでありました「総務長先生、あゆみ先生、お目出とうございます」
「押忍、有難う」
 万太郎は少し格式張ったお辞儀を来間と真入に返すのでありました。あゆみも、有難う、とものしながら万太郎と一緒に頭を下げるのでありました。
「稽古は滞りなく終えたか?」
 是路総士が来間に聞くと、来間はすぐに是路総士の方へ体ごと向くのでありました。
「押忍。無事に終了致しました」
 その日は来間が臨時に、道場での稽古一切を取り仕切ったのでありました。教士となった来間は、もう何度か中心指導を経験した事があるのでありました。
 万太郎とあゆみ、それに是路総士は取り敢えず居間で寛ぐのでありました。風呂の前に是路総士は来間に茶を一服所望するのでありました。
(続)
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お前の番だ! 587 [お前の番だ! 20 創作]

「真入、今日の風呂は一人で勝手気儘に入らせて貰うから、お前はもう、内弟子部屋の方に下がっていても構わないぞ」
 是路総士は居間の廊下側の敷居辺に控える真入に告げるのでありました。
「押忍。ではこれで下がらせていただきます」
 真入はお辞儀すると襖を静かに閉めてその向こうに消えるのでありました。是路総士は三人分の茶を持ってきた来間にも下がって構わないと告げるのでありました。
「押忍。ではお言葉に甘えてそういたしますが、総務長先生とあゆみ先生は明日何時にご旅行に出発されるのでしょうか?」
「十時頃ここを出れば大丈夫かな」
 万太郎が徐に腕時計を見ながら応えるのでありましたが、別にその返答をするのに特段腕時計を見る必要ないかと、自分の如何にも間抜けな素ぶりを、文字盤に目を落とした儘で秘かに笑うのでありました。あゆみと結婚式を挙げてきたこの今、万太郎は昨日まで長く寝起きを共にしてきた来間に対して、何となく照れを感じて仕舞ってそれでこんな無意味な真似を竟、して仕舞うのだろうかと頭の隅で自己分析するのでありました。
「ところで、威治さんから祝電が来たけど、お父さんはそれをどう考える?」
 三人で茶を喫しながら、あゆみがふと思いついたように訊くのでありました。あゆみは式の間ずっと、気に懸かっていたのかも知れないと万太郎は思うのでありました。
「ちょっとした気紛れか、それとも、・・・」
 是路総士はそう云って湯呑を口から離すのでありました。
「それとも、何?」
「ひょっとしたら何かを期して、その皮切りにそんな義理を敢行したか」
「と云うと?」
 あゆみに訊かれて是路総士は万太郎の方に目を向けるのでありました。
「八王子の一件以来、若先生に考えるところがあって、それで自分の方から唐突の感はあるにしろ、こちらに接触を求めようとしたのか、と云う事でしょうか?」
 万太郎が是路総士に向かって云うのでありました。是路総士は無表情ながらも万太郎の目をじっと見て一つ頷くのでありました。
「期するところって?」
 あゆみは是路総士に向かって訊ねるのでありました。
「八王子で万太郎につめ寄られて、それ以来自分のこれ迄の生き様を、ひょっとしたら見つめ直したのかも知れない。こんな事では自分の人生は余りに無惨だと」
 是路総士はあゆみの婿になってから万太郎を指示する場合、当然ながら旧姓の折野ではなく、名前の呼び捨てを使用するようになっているのでありました。
「ふうん。そうなのかしら」
 あゆみはそう呟きながら隣に座る万太郎の方に顔を向けるのでありました。
「まあ、ピピピッとくるものがあったのかも知れないし」
 万太郎がそんな擬態語を使うと是路総士がまた頷くのでありました。
(続)
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お前の番だ! 588 [お前の番だ! 20 創作]

「つまり万太郎は、結局二人の人間を心服させる事に成功したのかも知れないな」
 是路総士がまた湯呑を口に持っていくのでありました。勿論もう一人とは、万太郎にぶん投げられて総本部に入門し、今では内弟子になっている真入増太であります。
「実際のところ、僕は若先生に対してそんな手応えは全く感じなかったのですがね。まあ、真入に対しても、同じだったのですが」
「それは当人としてはそんな実感は持たないのが当たり前だろう。実際、しようと画策して手練手管で相手を心服させる事は出来ないだろうし、若しそれが出来たとしても、それは心服と云うよりは、人の心を騙取したと云うだけの行為だ」
 是路総士はそう云って茶を啜ってから、万太郎の方に笑みかけるのでありました。「お前はそんな策術を弄する程に器用な人間でもなかろうし」
「押忍。その通りではあります」
 万太郎は是路総士に頷いて見せるのでありました。その是路総士の言葉は万太郎に対する一種の褒め言葉と取って構わないだろうと、下げた頭の隅で考えるのでありました。
「しかし結局、万太郎は威治君と真入の心を見事に捉えた事になるのかも知れない」
「僕は殊更グッとくるような事を、若先生に云った覚えは全くないのですが」
「でも後で考えてみて、グッときたのかもしれないわ」
 あゆみが円らな目で万太郎の顔を覗きこんで云うのでありました。
「僕は総士先生にあの時、若先生を心服させて来いと云って送り出されたのでしたが、そうならば、ひょっとしたらそのお云いつけに応える事が出来たのかも知れませんね。まあ、今の段階では、そう云う可能性があるとだけしか云えないでしょうが」
「そうね。威治さんから祝電が来たと云う事実だけではね」
「それにあの場には洞甲斐先生も居たし真入のお兄さんも居たし、それに洞甲斐先生のお弟子さんらしき人が二人いましたから、それらの人には何の反応も起こさせ得なかったと云う事になります。六人中四人は無反応ですから僕の霊力も大したことはないです」
「六人中二人も心服させ得たのなら、大したものだとも云える。ま、未だ威治君の心服を得たとは断じ難いが、しかし真入一人は、瓢箪から駒ではあるが、万太郎にぞっこん惚れたのは事実だ。たった一人でも心服させ得ればそれは見事と云って良いだろうよ」
 是路総士はそう云ってからあゆみの方に視線を移すのでありました。「ああそうそう、お前の横でももう一人、お前にそっこん心服したヤツが茶を飲んでいる」
「あら、あたしの事?」
 あゆみが慌てて湯呑を口から離すのでありました。「あたしは、・・・八王子の件よりもずっと前から万ちゃんにグッときていたから、今の勘定の他よ」
 あゆみはしれっとそんな事を口走って、また湯呑を口に当てるのでありました。
「それなら僕は、あゆみさんよりももっと前からあゆみさんにグッときていましたからと、一応念のためその事実はここで申し添えておきます」
 これは是路総士にそう訴えているのか、あゆみにそう云っているのかよく判らないような万太郎の云い様でありましたか。
(続)
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お前の番だ! 589 [お前の番だ! 20 創作]

「あら、でも、あたしの方が先だと思うわよ」
「いやあ、僕の方が先ですね、どう考えても」
「そうかしら。屹度そうじゃないと思うんだけど」
「どっちでもよろしい」
 是路総士が呆れた顔で云い棄ててから残りの茶を飲み干すのでありました。「その辺は後で、二人になってからゆっくり云い争え」
 そう云われて万太郎とあゆみは顔を見あわせて笑みあうのでありました。是路総士としては二人の睦みあいにこれ以上つきあうのは馬鹿らしいと云うものであります。
「さて、風呂に入るか」
是路総士はそう云って話しを打ち切るように立ち上がるのでありました。
 序に云っておけば、威治元宗家からはその後には今に到るまで何の音沙汰もないのでありました。と云う事は矢張りあの祝電は単なる気紛れだったのかも知れません。
 しかし実は本当に我が身の事を真剣に考えて、是路総士にもう一度縋ってみる気になったはいいけれど、今にしてのこのこ顔を出すばつの悪さから、今一つ踏ん切りがつかなくて沙汰が出来ないでいるのかも知れません。人並み以上にある種の体裁や面子を気にするタイプの人でありますから、その可能性も充分に有ろうと云うものでもありますか。
 何れにしてもこちらとしては只管待つしかないでありましょう。威治元宗家の心根が奈辺にあるのか、その心根がどのくらい切羽つまったものであるのか、それとも全くそんな大袈裟なものではないのであるかは、威治元宗家本人しか知らないのでありますから。

 洞甲斐氏はどうやら武道を止めて仕舞ったようでありました。八王子の洞甲斐氏の家の近くに住む門下生の話しに依ると、万太郎が談判に赴いた数日後には常勝流の看板は取り外ずされたようでありましたし、それ以降威治元宗家との縁も、どちらからそうしたのかは知れないながら、全く途切れて仕舞ったようでありました。
 今現在は洞甲斐氏の家には、大宇宙の意志研究所、と云うのは元の儘でありますが、その横に、洞甲斐式ヨガ研究所、なんと云う新たな看板が掲げられているようであります。洞甲斐氏がヨガの研究もしていたとは、万太郎は初耳でありました。
 依って洞甲斐氏の近辺からは、武道っ気はすっかりなくなったようでありました。しかし武道がダメなら次はヨガと、もしそれもダメになれば屹度また別の何やらを看板に掲げるのでありましょう。なかなかに逞しいと云えば慎に逞しい御仁であります。
 嘗ての威治元宗家の興堂流改め、武道興起会の主催者となった田依里成介師範は、葛西の道場を堅実に運営しているのでありました。勿論以前の門弟数には遠く及ばないながらも、田依里師範を慕う門下生達もそれなりの数が集うようになって、新たな直系の支部も幾つか出来て、なかなかに忙しい日々を送っているようであります。
 その忙しさにかまける事なく、田依里師範は週に一度は必ず、葛西から調布の総本部道場に通って専門稽古に参加するのでありました。これは前に興起会を立ち上げる時、是路総士に直接自ら願った事で、それをちゃんと律義に実行しているのでありました。
(続)
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お前の番だ! 590 [お前の番だ! 20 創作]

 田依里師範は総本部道場で稽古する場合は白帯を締めて稽古に臨むのでありました。是路総士は時々自分の門弟も同道して来る一派の主幹たる田依里師範の体裁に配慮して、黒帯を締めても構わないと云ったのでありましたが、田依里師範はそれでは余りに遠慮がなさ過ぎると自ら固辞して、特に抵抗もなく白帯姿に甘んじるのでありました。
 興起会は打撃中心で試合重視の格闘技系会派でありましたから、田依里師範の連れて来る門弟の中には、こういう会派の者によくみられる、道場作法に無頓着で容儀の芳しくない、粗暴で無神経なふる舞いが強さの証、等と俗な勘違いをしている不心得者も稀にあるのでありました。田依里師範の目論見としては、自分を含むそう云う者達に日本古来の武道稽古の厳格さを、敢えて他派の、それも伝統を重んじる古武道の稽古に参加する事に依って身につけさせたい、と云う意図があるように万太郎は推するのでありました。
 依って万太郎は敢えて厳しい指導を以ってそう云う者達に臨むのでありました。彼等の中には大いなる反発を示す者もあるのでありましたが、そう云う場合は仕方がないので、圧倒的な武威もて実力行使に及ぶ場合もあるのでありました。
 そうすると殆どの者は万太郎の力量に怖じて、以降謹慎に稽古に励むようになるのでありましたが、稀にもう二度と総本部道場に現れない者もあるのでありました。万太郎はそう云う時、田依里師範に多少申しわけないような気がするのでありましたが、寧ろ田依里師範の方が万太郎に自分の行き届かない日頃の指導を詫びるのでありました。
 万太郎はその心映えに敬服の念を禁じ得ないのでありました。一派だけを溺愛し拘泥して、その思いが余るあまりにその会派の体面を過敏に大事がるような修行をこれまでしてこなかった田依里師範故の、クールな心胆の在り方と云えるでありましょうか。
 万太郎の方は常勝流一本槍でこれまで来たのでありましたから、田依里師範のこの度量の広さに大いに感じ入るのでありました。他派や他武道と対してどこまで自派に客観性を付与出来るかと云うのも、指導者の力量の一つと云えるであありましょうか。
 度量の広さと云うのは、別の目で見れば愛情の薄さとも映るでありましょう。自派を客観化する冷静と愛執する熱情との絶妙な均衡が指導者たる者の風格を形成するのであり、延いてはその武道の品格を決定するものでもありましょうが、まあそれは兎も角。・・・
 稽古に於いても田依里師範は自分の体面をちっとも気にしないのでありました。自分の連れて来た弟子が、自分より上手に万太郎の指導を我がものとしたなら、田依里師範は臆する事も妬嫉する事もなく、ごく自然にその者に教えを請うのでありました。
 こういう態度は是路総士も大いに買うのでありましたし、辛辣な事を云って人をへこませるのが得意な鳥枝範士も、田依里師範に対してはその癖を控えて、慎に愛情に満ちた激励等を送っているのでありました。寄敷範士も、ああ云う篤実な者が主管する会派は、そう大きくはならないかも知れないが、充実した実質を持つ武道界の中できらりと光る会派になるだろうと、将来に対する太鼓判を献ずるに些かの吝嗇もないのでありました。

 常勝流武道総務長となった万太郎は、信州木曽への新婚旅行から帰って、是路総士からの将来宗家を継ぐ者としての秘伝伝授も終わると、俄かに忙しくなるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 591 [お前の番だ! 20 創作]

「主だった対外行事や会合、演武会等の招待には、宗家代理としてお前が出るように」
 是路総士のこの指令は、万太郎を常勝流の新しい顔として売り出そうと云う腹積りからありますし、武道界全体に万太郎が常勝流の正式な継承者さである事を公然化する狙いであります。万太郎自身も武道界に限らず様々な世界の様々な人士と交流して、その交誼を得て次期宗家としての人脈形成に努めよと云う命でもありましょう。
 人づきあいが苦手と云うわけではないのでありましたが、万太郎は格式張ったつきあいは余り得意と云う程ではないのでありました。ざっくばらん、が本来の自分の持ち味であろうと、あやふやながらも今までそう考えていたのでありましたし。
 しかし是路総士の指令とあらば、ここは一つ何をさて置いても奮発しなければならないのであります。だからと云って、自分が下手に気負うと碌な事がないと思いなしている万太郎としては、常勝流の威名を失墜しない程度に自ら腰を低くして、どんな癖のある人士ともなるだけ友好的に、未だ々々若輩である事を始めから謙虚に表明して、懇ろなヤツと云う印象を相手に持って貰うべく、当人なりに大いに奮闘するのでありました。
 その甲斐あってか万太郎の名前は武道界の重鎮方にも、取り巻く異世界の諸人士にも、概ね好意的に認知されるようになるのでありました。特に古武道に限らず他武道の演武会とか試合大会の招待演武に於いて万太郎の演武は好評を博し、時には是路総士を差し置いて、お宅の若先生に是非、等と名指しで出場を請われる場合もあるのでありました。
「総務長先生の演武には、ワシ等は疎か、総士先生でもお持ちでない何とはなしの緊張感とか、それに華やかさとか明朗感とかがあるからなあ」
 これは鳥枝範士の評でありました。
「そりゃあ鬼瓦のような顔の鳥枝さんの如何にも無骨な演武なんかより、総務長先生の若々しい溌剌とした演武の方が観ていて心躍るのは当たり前だ」
 寄敷範士はそう云って鳥枝範士を茶化すのでありました。
「世間の常勝流の認知度も、これからグッと上がるかも知れない」
「総務長先生の演武を見て、門下生が今以上に増えて、そうなると我々ももっと忙しくなるし、それにこの随分と年季の入った総本部道場では手狭になるかも知れないなあ」
「結構々々。そうなれば、もっと広くて立派な道場を鳥枝建設でおっ建てるまで」
 鳥枝範士はそう云って豪快に笑うのでありました。
 是路総士の粋な計らいからか、万太郎への秘伝伝授が終わってから、万太郎とあゆみ夫婦は二人揃って、熊本支部への出張指導に赴いた事があるのでありました。勿論万太郎の里帰りがその謂いと云う趣の旅行でありました。
 その折、人吉の万太郎の実家で大歓待を受けたのは云う迄もないのでありましたが、万太郎が少年時代に通っていた捨身流の剣道道場からの招待があるのでありました。絶えて久しく往来のなかった捨身流の角鼻庫仁宗家は、往時の眉太でへの字口の強面の面影その儘ながら、相好を崩して万太郎とあゆみ夫婦を大いに歓迎してくれるのでありました。
「万太郎の勇名はこっちにもちらほら聞こえてきとるばい」
 角鼻庫仁宗家は万太郎の背を長年修行に明け暮れた分厚い掌で叩くのでありました。
(続)
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お前の番だ! 592 [お前の番だ! 20 創作]

「角鼻しぇんしぇいに武道の芽ば育てて貰うたからて思うとります」
 万太郎はなかなかそつのない事を云うのでありました。それを聞いて角鼻先生は嬉しそうに何度か頷くのでありました。
「この前の日本武道館の古武道演武大会の演武とか、剣道とか合気道の現代武道の大会でお前がゲストで出て、そこでもえらい好評やったらしかね。九州の方にもちゃんと伝わってきとるばい。テレビのニュース番組でちらって出とったとば見たばってん、確かに颯爽としとってなかなか格好の良かった。まあ、ちょっと派手過ぎとは感じたばってん」
 角鼻先生は全体としはて好意的な評言ながら、実戦本位の捨身流の古武道家でもあるから、演武の大向こう受けに対して少し体を斜にして見せるのでありました。
「畏れ入ります。ご教誨ば肝に銘じます」
 万太郎は口を引き結んで格式張ってお辞儀するのでありました。
「そいに、こぎゃん良かオナゴば嫁に貰うて、お前はなかなかの果報者ぞ」
 角鼻先生に顔を向けられてあゆみは、恥ずかしそうに数度小さく首を横にふりながら、恐縮の態で頭を下げるのでありました。
「いいや、嫁に貰うたとじゃのうて、オイが婿に行ったとです」
 万太郎が訂正するのでありました。
「ああそぎゃんか、そいで常勝流の跡目ば継ぐ事になったとか」
「そぎゃんです」
「そのお前に小まか時オイが剣道ば教えたて云うとは、今ではオイの自慢ぞ」
「今でも角鼻しぇんしぇいのお教えは、決して忘れとりません」
 この辺の受け応え等、なかなか万太郎も錬れてきたと云うものでありましょう。万太郎の物腰がこの数か月で大いに変貌した事に、あゆみは秘かに驚嘆するのでありました。
 角鼻先生はこの際だからと、万太郎とあゆみに常勝流の剣術の講習を強請るのでありました。万太郎とあゆみは勿論そう云う事になるだろうと出かける前から予想していたので、ちゃんと稽古着は持参して来ているのでありました。
 捨身流道場の数人の高弟を相手に万太郎とあゆみの俄講習でありましたが、常勝流剣術の形の他に門弟達と万太郎は乱稽古にも及ぶのでありました。この場合剣道竹刀ではなく木刀を以って立ちあうのでありましたし、面胴小手の防具もつけないのでありましたから、勿論捨身流は木刀稽古もするにしろ、普段から剣道試合に慣れた捨身流の門弟よりは、木刀稽古一本槍の万太郎の方が些か有利と云うものでありましょうか。
 幾ら友好的な稽古であるとは云いながらも、云ってみれば他流試合の真剣勝負の趣でありますから、万太郎はつけ入る隙を全く与えないのでありました。偶に木刀が搗ちあうとしても、真っ向から打ちあわせるのではなく掠るようなあわせを専らとして、万太郎の間合いの内で、主導権は相手に絶対に譲らないのでありました。
 しかしこう云う場で決定的に勝つと云うのも大人気ない仕業で、万太郎は時に相手にだけ判らせるような、ごく小さな動きの小手打ちを繰り出すのでありました。対峙する者にのみ万太郎の優位を秘かに伝えれば、要はそれで良いのであります。
(続)
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お前の番だ! 593 [お前の番だ! 20 創作]

 万太郎のこのような試合を下座に居並ぶ門弟達の一番隅で、まだ高校生程の歳と思しき一人が、食い入るように見つめているのが万太郎の目の端に映るのでありました。その少年は万太郎の最後の対戦者として、角鼻先生から名前を呼ばれるのでありました。
 少年は躍り出てきて万太郎と対峙するとお辞儀の後に木刀を正眼に構えて、剣道試合で身につけたのであろう、甲高い気合の一声を先ず万太郎にぶつけてくるのでありました。やや血走った眼と上気した頬の赤味と、きびきびした動作とせわしなく動く木刀の先端に、万太郎と試合う緊張と興奮を隠しきれないと云った風情でありましたか。
 その風情をなかなか好ましく思った万太郎は、下段に木刀の切っ先を落として少年の打ちこみを待つのでありました。精気漲る年頃故か少年は打ちこむ直前に目を剥くのでありましたから、万太郎が少年の気勢を読むのは造作のない事でありました。
 裂帛の気合もて何度打ちこんでも万太郎が大した捌きもなく軽々と躱すものだから、少年の息はすぐに上がるのでありました。頃合いで少年が突きにきたところを往なして、ふり返るところを万太郎の木刀の物打ちが易々と少年の右小手に乗るのでありました。
「それまで!」
 角鼻先生の声が響くのでありました。少年は急に気合抜けしたように棒立ちになって、木刀を持った手を下に垂らすのでありました。
 少年は試合の端から到底太刀打ち出来ないと悟っていたようで、出る時の勢いが嘘のように、ようやく緊張から解放されたと云う如何にもしおらしい様子で、万太郎と一間の間合いに分かれると、そこに正坐して万太郎に丁寧な一礼を向けるのでありました。
「始めから判っとったばってん、まあだお前では、万太郎の足元にも及ばんなあ」
 角鼻先生は少年に顰め面をして見せるのでありました。「まあ、ウチの門弟共も全員、結局万太郎に適当にあしらわれたごたる具合じゃったばってんが」
 角鼻先生がそう云って下座の門弟達を見渡すと、門弟達は一様に面目なさ気に角鼻先生から目を逸らして俯くのでありました。
「いやあ、木刀で試合ばしたけんでしょう。防具ばつけて竹刀で立ちあっとったら、オイの方が簡単につめ寄られとったて思うですよ」
 万太郎は少年との礼の交換の後に角鼻先生に云うのでありました。
「捨身流剣術は元々真剣で立ちあう剣法なんじゃから、竹刀剣道で勝っても大した自慢にはならん。ま、今の言葉は万太郎の礼儀として素直に受け取っておくばってんな」
 角鼻先生は自分の門弟達が万太郎に不甲斐なく翻弄された事に然して拘る風もないようで、朗らかな笑い声等立てるのでありました。「ところで最後に立ちあった男は高校三年生で、来年東京の大学に進学する予定ばい。なあ。重井」
「はい。その心算でおります」
 重井と呼ばれた少年は顔を起こしてそう言明するのでありました。
「重井魂太、て云う名前で、東京に出たら万太郎の弟子にして貰うて今から云うとる」
 重井魂太はそう紹介されて、万太郎の方にキラキラする目を向けてペコッと頭を下げるのでありました。意欲満々と云った風情であります。
(続)
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お前の番だ! 594 [お前の番だ! 20 創作]

「いや、オイは未だ弟子ば取る立場じゃなかですけん」
 万太郎はそう云って重井少年を見るのでありました。重井魂太は万太郎の言葉にまるでいきなり梯子を外されたように、如何にも情けなさそうな表情を返すのでありました。
「折野しぇんしぇいの弟子になられんとなら、東京に行く甲斐のなかごとなるです」
 重井魂太はそう云って俯くのでありました。特に意図したわけではなかったにしろ、聞き様に依ってはつれない一言であったかと万太郎は少し気の毒になるのでありました。
「そう云われてもなあ。・・・」
 万太郎は頭を掻くのでありました。「それにオイは、もう折野て云う姓じゃなかぞ」
 重井魂太がハット気づいたような顔をして狼狽するのでありました。
「あ! すんましぇん」
 重井魂太は慌てて低頭するのでありました。肝心な時に致命的な間抜けをやらかして仕舞ったと、その年頃の少年らしく如何にも大袈裟に恥じ入るのでありました。
「一応云うたまでで、まあ、それは別に気にせん。第一オイ自身も時々、人に自分の名前ば云う時に未あだ間違うぐらいやけん」
 万太郎はそう云いながら、何となく横のあゆみを見るのでありました。あゆみは口に手を当てて控えめな仕草で吹いて見せるのでありました。
「先ずは常勝流の総本部道場に入門すればよかじゃろう」
 角鼻先生が助け舟を出すのでありました。
「ああ、それなら何時でも歓迎するぞ」
 万太郎は重井魂太に笑顔を向けるのでありました。重井魂太は暗闇にいきなり光明が燈った、と云った具合の歓喜溢れる表情になるのでありました。
 なかなかに純な少年のようであります。これだけの遣り取りながらも万太郎は、常勝流を学ばんとするに重井魂太が熱い情熱を有しているのを見取るのでありました。

 茶を啜った後に、是路総士が万太郎に和やかな表情を向けるのでありました。
「ほう。それでその重井と云う高校生はお前の弟子になりに東京に出て来るのか」
「いや大学進学が本旨ですが、まあ、上京後は早速に入門するのではないでしょうか」
「何となく情熱的で意志の強そうな目をした子だったわよ」
 あゆみがそう云い添えて、卓上にある自分の湯呑を手に取るのでありました。
 熊本への出張指導兼里帰りから帰った万太郎はあゆみと一緒に、帰京した翌日の夜、その日の稽古が総て終わってから、師範控えの間に居る是路総士に挨拶に上がるのでありました。先ずは万太郎の両親の挨拶を伝達して、その恙ない事を報告し、託された土産等を献じてから、話しは捨身流の角鼻先生の道場での出来事に及ぶのでありました。
「お前にもう一人、直弟子が出来ると云う事になるわけだ」
 是路総士の云う別の一人とは、云う迄もなく真入増太の事であります。
「いや、僕は個人的に弟子を取る立場ではないのですし、常勝流総本部道場の新しい門下生になると云う事ですから、要するに僕ではなく総士先生の弟子になるわけです」
(続)
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お前の番だ! 595 [お前の番だ! 20 創作]

「まあ、形の上では、それはそうだがな」
 是路総士は笑いながら茶を啜るのでありました。「今からお前に親炙せんとする人間が増えると云う事だから、次期宗家としてお前も着々と頼もしくなっておるなあ」
 この言葉は是路総士の好意的な笑顔の上に乗っているのでありました。
「僕は特段そのような心算はないのですが」
 万太郎は頭を掻くのでありました。
「しれっとしたそう云うお前の様子がまた、頼もしいところとも云える」
 是路総士は笑顔を何度か上下させるのでありました。
「そんなものでしょうかねえ」
 万太郎の何となく鈍い反応に横のあゆみが口に掌を添えて笑うのでありました。
 その万太郎の親炙者第一号たる真入増太が、或る日食堂に入って来て、そこでコーヒーを飲んでいた万太郎に恐る々々と云った態で訊ねるのでありました。少年部の稽古中でその日偶々万太郎と真入の出番はなく、食堂には万太郎一人が居たのでありました。
「総務長先生、つかぬ事をお聞きしますが、・・・」
 真入は座っている万太郎とテーブルを挟む向い側に立った儘で云うのでありました。
「何だ、その、つかぬ事、とは?」
「ええ、その、総務長先生が総士先生に伝授された常勝流の秘伝の事なのですが、・・・」
 直系相伝のものでありますから、他者たる自分がそれを聞くのは不謹慎で、憚らなければならないかと云うたじろぎが籠った口調でありました。
「その秘伝がどうしたんだ?」
「いや、それがどんなものか訊くわけにはいかないでしょうが、一端くらいは教えていただけるものかと思いまして。・・・」
「非公開が原則だ」
 万太郎は厳な口調で先ず云って、それからすぐに表情を緩めて些か冗談めかして続けるのでありました。「それに、教えると値打ちが下がるから、一端も何も教えないぞ」
 万太郎の拒絶の言葉に、真入は落胆の色を顔に浮かべるのでありました。
「しかし総務長先生の技の中に、今後その一端とかは現れるのでしょうか?」
「いや、現れないな。あっさり表わしたら、そこで既に秘伝じゃなくなるだろう?」
「まあ、それはそうですが。・・・」
 真入は好奇心がなかなか仕舞い難い、と云った顔で残念がるのでありました。
 秘伝伝授の折、万太郎は是路総士に先ず、秘伝は一度でもその技術を使った途端、もう秘伝ではなくなる、と先の万太郎の言をその儘云われたのでありました。
「だから、生涯使わないのが秘伝の秘伝たる所以だ」
 是路総士は特に意趣あってと云う風ではなく、全く無表情で云うのでありました。「秘伝は真摯に修行を続けていれば手に入れられるもの、と云う技法列の最先端にあるのではなく、それとは全く違うところに存するものと云う事になるのだが、それを習ったからと云って飛躍的に強くなると云うものでもない。云うなれば外連の技だ」
(続)
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お前の番だ! 596 [お前の番だ! 20 創作]

「外連の技、ですか。・・・」
 万太郎は何となく納得し難いと云う表情をするのでありました。「常勝流に伝わる天下無敵の必殺技、ではないのですね?」
「違うな」
 是路総士はあっさりと肯うのでありました。「若しそう云う技があるのなら、その技を門下が習得出来るように稽古体系が編まれる筈だ」
「余りにも危険なので、日頃の稽古からは除外されていると云うのでもないのですか?」
 万太郎の質問に是路総士は戯れ言に対するの笑いを返すのでありました。
「まあ、秘伝技に対してそう云う印象を持たれるのは、こちらの願ってもいない有難い勘違いでもあるわけだが、そんな魔法のような技術があるわけがない事は、真摯に稽古に打ちこんでいる者なら容易に判ると云うものだ。要するに神秘であるのを利用して、ある種の脅威を相手に抱かせる事が出来れば、それが秘伝の存在理由と云う事になろうよ」
「詐術、と云う事でしょうか?」
「そう云う風にも云える」
 是路総士は無表情で頷くのでありました。「勝負と云う点で考えれば、一度はその秘伝は相手に通用するかも知れないが、二度は通用しない」
「だから決して使ってはいけない、と云う事ですか?」
「そうだ。秘伝とは途轍もなく精妙な技でも、この上もなく頼りになる技でも、無敵の神通力でもない。意表を突く技ではあるが、しかし今云ったように、それは二度は通用しない技でもある。普段稽古している常勝流の技術を磨きに磨く方が、恐らく確実に強くなれるだろうし、そのような者に対して秘伝技はおいそれとは通用しないだろう」
「ああそうですか。・・・」
 万太郎は些か拍子抜けするのでありました。しかし考えてみればそんなあっと驚くような秘術があるのなら、効率の点からも、日頃の地道で地味で武道家の心胆や体を創る稽古なんぞは必要ないでありましょうし、時間の無駄と云う事になるでありましょう。
 しかし稽古者が地道で地味で心胆や体を錬る稽古を十年一日の如く続けているのは、そちらの方が実は強さ或いは上達と云う点に於いて、実質を得た稽古であるからなのでありましょう。神ならぬ身ならば、それは当の当然なのかもしれません。
 万太郎は八王子の洞甲斐先生の事をふと思い浮かべているのでありました。そう云えば洞甲斐先生は武道から足を洗ったようでありますが、今頃どうしているのやら。・・・
「最近はその秘伝の絡繰りをちゃんと解明して、稽古の体系を科学的に捉え直して精進している打撃系の武道もあると、興起会の田依里君から聞いた事がある」
「ああ、それは僕も聞いた事があります。確か来間辺りはその会派の人が出している本を何冊か、田依里さんから借りて読んでいる筈です」
「ほう。流石に研究熱心な来間だけの事はある」
「研究熱心は認めますが、その影響からかあれこれ無用な気揺らぎがあって、来間はどうも最近、稽古に直向きさが多少不足しているような気がします」
(続)
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お前の番だ! 597 [お前の番だ! 20 創作]

「まあ、長く一派の武道のみをやっていればそう云う事もあろうよ」
 是路総士は大らかさの中に万太郎の来間への苦言を包み修めるのでありました。
「ところで秘伝の話しに戻りますが、では、代々直系相伝で宗家を継ぐ者が秘伝伝授をしていただく意味は、一体どこに在るのでしょうか」
 万太郎の是路総士を見る目に困惑が湧くのでありました。
「常勝流が古武道であると云う認識に依るからだ。現代武道なら秘伝なんと云うものはあっさり擲って、実質のみに術理体系や体制を変える事も出来るが、古武道は道統を忠実に継承すると云う観点から、代々受け継がれてきた仕来たりの実質本位の変更を拒む故だ。代々の宗家或いは門下が築いてきた風習を尊ぶと云う、形式、と云っても良い」
「形式、として僕は秘伝を伝授されるのですね?」
「そうだ、それ以上の意味も、それ以下の意味もない。しかし宗家となる者には、その形式を無批判に受け入れるだけの、一種の器量が求められる」
「判りました。昨日までの僕の意気ごみと今のお話しとが、何となく上手く溶けあわないのですが、しかしとにかく秘伝伝授の意義は了解しました」
 万太郎はそう云って頭を掻いてから律義らしいお辞儀をするのでありました。
「よし、では」
 是路総士が微笑みながら一度頷いて徐に立ち上がるのでありました。万太郎も一拍遅れですっくと立ち、こうして愈々、向後三月に及ぶ秘伝伝授が始まるのでありました。
 しかしじっくりと是路総士に差しで技術を習ってみると、成程秘伝技とは変化技の最上級のもの、と云う類かと万太郎は思うのでありました。到底投げるタイミングではないところで、今までの技法にはない体の使い方に依って投げを打ったり、自分の四肢を精緻に使用して相手の体を雁字搦めに身動き出来ない状態に極めたりと云ったものが殆どで、確かに是路総士の云う、外連の技、の例えが的を射ていると云う印象でありましたか。
 確かに一度は有効かも知れませんが、二度は使えない技でありましょう。秘伝を会得せんとして意気ごむよりも、地道なごく普通の稽古を懈怠なく積み重ねる方が、寧ろそれは確かに、常勝流の奥義に近づくための王道と云えるでありましょうか。
 まあしかし、実戦上の体の使い方と云う点に於いては、到底不自然と思えるような体勢でありながらも、安定して相手を腰に乗せて逆落としに投げるとかの、常とは違う身体操作法が一種圧巻ではありましたか。それを知っていれば確かに、まあ一回は、勝負に於いて有効に使う事が出来ると云うものでありますかな。
 秘伝伝授は万太郎には拍子抜けと云えなくもないのではありましたが、常勝流の最高位者として、絶対不敗であるためには必要な技術とも考え得るのであります。それは確かにあらゆる状況に於いて、宗家たる者が勝負にたじろぎを見せるわけにはいかないのでありますから、秘伝技も習得して決して無駄ではないとは云えるのでありましょう。

 朝は何時も一緒に道場にやって来る万太郎とあゆみでありましたが、その日に限って、万太郎が一人だけで道場の玄関を入るのでありました。
(続)
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