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お前の番だ! 546 [お前の番だ! 19 創作]

 万太郎は困じて唸るのでありました。花司馬教士が云うように確かにここは良い折ではありますが、しかしいざとなるとどうにも腰が引けて仕舞うのでありました。
「最初に云っておかなければいけないのは、あたしが後を追って八王妃まで行くなんて、万ちゃんは端から思いも依らなかったと云う事です」
 万太郎の方は腰が引けた儘であるのに対して、あゆみがそれまで瞑目していた眼をしっかと見開いて、是路総士に一直線に視線を向けながら話し始めるのでありました。「万ちゃんを見送った後、全くのあたしの独断で、不意に思い立って勝手にそうしたのですから、万ちゃんには何の咎もないと云う事を話しの初めに先ず云っておきます」
「二人で予め示しあわせていた、のではないと云う事だな」
 是路総士は静謐な表情ながらも、その云い様は至ってすげないのでありました。
「その通りです。だからあたしの行動には万ちゃんは全く無関係なのです」
あゆみの語調にはそのすげなさに負けていない断固たる響きがあるのでありました。
「そこは判った」
 頷きながらも是路総士の顔は相変わらず憮然とした儘でありました。
「それはあたしが後を追ったとしても、万ちゃんの加勢にはちっともならないかも知れないけど、でも、あたしはどうしても、居ても立ってもいられなかったのです。万ちゃんに若しもの事があったら、あたし、・・・もう、そうなったら、もう、・・・」
 あゆみの語尾が掠れるのでありました。それは急に涙が溢れてきたためかも知れないのでありましたが、万太郎もそのあゆみの気持ちに感応して熱いものがこみ上げてきたものだから、確認のためにあゆみの方に顔を向ける事が出来ないのでありました。
 あゆみの言葉を、と云うよりはその言葉を発生させている愛娘の心情に是路総士はどう応えて良いのやらと持て余しているのか、全くの無言を貫くのでありました。何とも気まずい空気が、師範控えの間に重たく泥むのでありました。
「あのう、僕は、あゆみさんの事を、そのう、・・・ずっと前から、す、好き、でした」
 真っ先にこの気まずい雰囲気に耐えかねたのは万太郎で、万太郎は思わずそんな事を口走っているのでありました。座に在る全員の目が一斉に向けられるのを感じて、万太郎は自分の発した言葉が、重たい空気の中に消え残って不安定にぶら下がっているあゆみの言葉を、不自然な手つきで余計に掻き回して仕舞ったようだと知るのでありました。
 泥んだ息苦しさがやや煩く揺らいでいる、慎に以って遣り切れない雰囲気を解消させようとしてか、花司馬教士が遠慮がちな風情で頓狂な声を上げるのでありました。
「ありゃあ、折野先生が、竟にここで告白されましたなあ」
 花司馬教士は万太郎に親愛に満ちた苦笑を送るのでありました。「あゆみ先生も折野先生に対する心情を行動に依って告白されたようなものですから、ここは総士先生、あゆみ先生の差し当たりの非を打ち鳴らしている場合ではなさそうな按配ですぞ」
 是路総士は唸るのでありました。好都合か不都合か、あゆみの急場には好都合に、万太郎にとっても今後の成り行きには恐らく好都合に、是路総士にとっては何とも云えないけれど当座としては困惑都合に話しの舳先が捻じ曲がるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 547 [お前の番だ! 19 創作]

「そう云った話しをするには、私は何の用意もしていない」
 是路総士がへの字に曲げた口の端から無愛想に言葉を漏らすのでありました。
「どうやらこうして並んで座っていらっしゃる様をお見受けしておりますと、お二人のお気持ちは既に互いに確認済、と云った風情に見えます。恐らく八王子からの帰路、街中を歩いていても電車に並んで座っていても、ずっと、そう云った辺りを、言葉少なながらも互いに見交わす目と目で以って、しっかと確かめあってこられたのでしょうなあ」
 花司馬教士に呑気そうな口調でそう云われると、万太郎とあゆみは同時に首を横にゆっくり回して、互いの顔を見交わして面映ゆそうに笑みあうのでありました。まあ、要するに花司馬教士の推測や、ご名算、と云ったところでありましょうか。
 そんな二人を見ながら是路総士は小さく咳払いをするのでありました。万太郎とあゆみは慌てて顔を正面に戻して、遠慮がちな上目遣いに是路総士を見るのでありました。
「突然ながらここは一つ、あゆみ先生と折野先生のお気持ちを、包み隠さず総士先生に吐露されるチャンスであり正念場だと見ましたが、お二方、どうなさいますかな?」
 花司馬教士の指嗾に乗ってあゆみが口を開こうとした刹那、是路総士が前の二人の方に掌を差し出して断固とした云い回しで先制するのでありました。
「その話しを聞くには、今は用意がないと私は云っている」
 あゆみは思わず息をつめて言葉を口の中から吐き出す暇もない儘、やや無念そうに不承々々と云った風情で口を噤むのでありました。万太郎の方はと云えば是路総士のその固い言葉に緊と顔面を打たれて、身を竦めて畏れ入っているのみでありましたが、こう云う方面にはからっきし意気地がないのは、これは自分でも情けない限りでありましたか。
「さて、威治君と洞甲斐さんとの話しの経緯はすっかり了解した。今日のところはこれにてお開きとする。折野、ご苦労だった」
 是路総士はそう云ってそそくさと席を立とうとするのでありました。「花司馬君も遅くまで待っていて貰ってご苦労だった。もう帰宅してよろしいぞ」
「押忍。有難うございます」
 花司馬教士は苦笑いながら慇懃にお辞儀をするのでありました。
「お父さん、何処に行くの?」
 あゆみが急に娘の口調になって訊くのでありました。
「ああいや、風呂だ。何か知らないが妙に汗をかいた」
 是路総士が少し焦ったような口調で応えるのでありました。弟子としてのあゆみの口は制したけれど、娘としてのあゆみの口がこの先何やら自分に向かって言葉を発し出したならば、父たる自分は屹度それをすげなくふり切れないで持て余すに違いないと踏んで、ここは一番、遁走に及ばんとする了見なのであろうと万太郎は推し量るのでありました。
「ああ、では来間にそう云ってきます」
 万太郎が立とうとすると是路総士はそれを手で制するのでありました。
「いや、食堂の方にいるのだろうから、風呂に行く序に私が声をかける」
「押忍。判りました」
(続)
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お前の番だ! 548 [お前の番だ! 19 創作]

 万太郎は先程言葉を制せられたあゆみのように、不承々々といった風情でまた正坐に戻るのでありました。万太郎が膝行して障子戸を開けて畏まり、あゆみと花司馬教士が座礼する中を、是路総士は何となく急ぎ足で師範控えの間を出て行くのでありました。
「じゃあ、自分もこれで失礼致しましょう」
 是路総士の姿が消えてから、花司馬教士が万太郎とあゆみに一礼してから立つのでありました。万太郎とあゆみも少し遅れてゆっくりと立ち上がるのでありました。
「花司馬先生、遅くまで待って貰っていて済みませんでした」
 万太郎が云うと花司馬教士は意趣有り気な笑みを返してくるのでありました。
「いや何、あゆみ先生から八王子に行きたいので中心指導を代わってくれないかと、切羽つまった顔で頼まれた時点で、ああこれはと、はたと手を打ってすっかり呑みこんで、だからお二人の帰宅が遅くなるだろうとは予想していましたから。そりゃそうでしょうよ。お二人がそう云う仲に晴れてなったなら、帰りが早くなるわけがないですからねえ」
 花司馬教士はニヤニヤ笑いを浮かべてからかうのでありました。
「いや、急いで戻る心算でしたが、急いでも最後の一般門下生稽古に間にあうはずもないからと云うので、八王子駅のそごうの上の喫茶店でコーヒーを飲んだりしていたものですから。・・・まあしかし、それならそれで電話を入れるべきでしたが、迂闊でした」
「ま、電話をするのも何となく決まりが悪い、と云ったところでしょうからね。つまり、その喫茶店は、お二人がそうなってからの初デートの場と云う事になりますかな?」
「いやまあ、そんな事ではなくて、単に喉が妙に渇いたからと云う事でして、・・・」
 万太郎は大いに照れるのでありました。
「ああそうですか。単に喉が妙に渇いたから、ですか。しかしまた、どうして折野先生の喉が急に渇くような按配に相なったのでしょうかねえ」
 花司馬教士はそう返してあゆみの方に目を向けるのでありました。あゆみは花司馬教士と目があうとクスと掌で口元を隠して照れ笑うのでありました。
 師範控えの間を辞して、帰宅する花司馬教士を玄関まで送るために、万太郎とあゆみ、それに当の花司馬教士は静まった夜更けの廊下で歩を進めるのでありました。
「よおよお、ご両人」
 少し前を並んで歩く万太郎とあゆみに、花司馬教士が妙な声のかけ方をするのでありました。ふり返ると、花司馬教士は冷やかすような笑みを浮かべているのでありました。
「何でしょうか?」
 万太郎が問うと花司馬教士は含み笑いの度を増して見せるのでありました。
「私の目は気にせずに、もそっとピッタリ寄り添って歩かれても構いませんよ」
 花司馬教士はあくまでも冷やかし続けるのでありました。
「冗談はやめてくださいよ」
 万太郎は大いに照れてそう返すのでありましたが、そんな万太郎とは裏腹に、何を思ったのかあゆみはその言に唆されたように、花司馬教士に対して繕う事もせず、寧ろこれ見よがしと云った風に万太郎の腕に自分の腕を絡めるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 549 [お前の番だ! 19 創作]

「いやどうも、なかなかどうして、目の遣り場に困りますなあ」
 花司馬教士の笑い声が後ろから万太郎の肩に軽く当たるのでありました。またふり返ると花司馬教士は、掌で自分の首筋を扇ぐ真似をして見せるのでありました。
 花司馬教士の手前これは何とも決まりが悪いし、かと云ってあゆみの腕を断固ふり解く程の勇気もないし、そうするにはちと惜しい、なんと云う助平心もありで、万太郎は体を固くして前を向いてあゆみの歩調に滞りがちに自分のそれを適合させて、玄関までの長いような短いような距離を歩くのでありました。そんな万太郎の不自然な様子が絡めた腕を通して判るものだから、あゆみは万太郎の横顔を見てクスと笑うのでありました。

 次の日は月曜日で総本部道場の定休日でありました。道場は休みでも、内弟子として家向きの仕事は熟さなければならないので、あゆみが四人分の朝食を調えている間に、万太郎と来間は何時もの如く廊下やら庭の掃除に精を出すのでありました。
 昨日の事があったために四人での朝食はどこか重いぎごちない雰囲気の中で、銘々寡黙に箸を動かすのみでありました。是路総士はもの静かであるのは何時もの如くでありましたが、心持ち不機嫌そうな表情がそれに加味されているのでありました。
 万太郎とあゆみはそんな是路総士の様子を憚って、沢庵を噛む音も意識して控えめに、偶に目と目を見交わす事はあっても声は発しないのでありました。そんな三人の在り様に来間一人が面食らっているのでありましたが、一人だけ呑気に熱いみそ汁の香馥を堪能しているわけにもいかず、息苦しい雰囲気に染まって慎に居心地悪そうでありましたか。
「何かあったのですか?」
 内弟子部屋に引き上げてから、来間は万太郎に遠慮がちな声で訊くのでありました。
「うん、ああ、いや、まあ、・・・」
 万太郎は間投詞を無意味に並べるのみでありました。
「昨日の八王子行きが不首尾に終わったのですか?」
「そう云うわけでもないが、・・・」
 思いがけぬ大層な余禄もあって不首尾なわけがないのでありましたが、万太郎は何となくけろりと披露するのに差し障りなんぞを感じて、その辺は来間には云わないのでありました。万太郎が話し難そうな素ぶりであるのを斟酌してか、来間は大いに気にはなるのでありましょうが、弟弟子の慎みからそれ以上の質問を控えるのでありました。
 来間が新宿に映画を観に出かけた後万太郎は食堂に顔出しするのをそれとなく憚って、一人内弟子部屋でゴロリと寝転んで、読み止しの時代小説の文庫本等開いて文字面をそぞろに眺めているのでありました。見開きを眺め果せたら自然に頁を捲りはするものの、あゆみの笑んだ口元やら、昨日間近で見たところの潤んだ瞳やら、瑞々しく肌理の細かい頬の手触りやら、それに今朝の是路総士の仏頂面やらが目と本との間に不如意に浮かんでは消えるものだから、頭の中に書かれている内容等の入る余地もないのでありました。
「万ちゃん、居る?」
 突然襖の外からあゆみが万太郎を呼ぶのでありました。
(続)
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お前の番だ! 550 [お前の番だ! 19 創作]

 特に急いで取り繕う必要もないのでありましたが、万太郎は文庫本を閉じると同時にガバと上体を起こして、身繕いして正坐してから襖の方に体を向けるのでありました。
「ああ、居ます。どうぞ」
 すぐに襖が開いてあゆみが顔を覗かせるのでありました。
「特に用がないのならお父さんが二人揃って師範控えの間に来いって呼んでいるけど」
「押忍。判りました。では」
 万太郎はそう云って立ち上がるのでありました。洞甲斐氏の道場での一件は昨夜報告済みでありましたから、これは間違いなくあゆみとの件での呼び出しでありましょう。
 立ち上がってみると万太郎は何となく気が重くなるのでありました。特段後ろめたい事をしたわけではないのでありますから、別に気を重くする事もないのでありましょうが、しかし矢張りこれから是路総士と面と向かうのは億劫な気がするのでありました。
「押忍、入ります」
 師範控えの間の障子戸越しに中に声をかけてから、万太郎とあゆみはお辞儀の後、膝行で座敷に入るのでありました。是路総士は床の間を背に両手を広げて座卓について二人を迎えるのでありましたが、はっきりと不機嫌そうな顔はしていないのでありました。
「お前達二人は相思相愛、と云う理解で良いのだな?」
 訊ねる声音も意外に平静なものでありました。万太郎とあゆみは座卓を挟んで是路総士の向いに並んで座っているのでありましたが、二人は顔を見交わせるのでありました。
 そう確と聞かれると面映ゆさが前に出てきて即答出来ないのでありますが、しかしこれはもう昨日八王子からの帰り道行き中に、互いに明快に確かめあった事でありますから、何をここで云い淀む事があろうかと万太郎は即答しない自分を叱るのでありました。
「そうです」
 万太郎が言葉を発する一瞬前にあゆみがきっぱりと云うのでありました。そのために発語の機を逸した万太郎は、断固頷く仕草で我が意を是路総士に伝えるのでありました。
「結婚、と云う事も当然考えているのだな?」
「押忍。そうしたく思っております」
 これはあゆみに先んじて万太郎が云う言葉でありました。今度はその後に、あゆみが口を引き結んで一つ大きく頷くのでありました。
「そうか。判った」
 是路総士は一息間を空けるのでありました。「しかし常勝流宗家の一人娘であるあゆみの結婚には、色々と面倒で小難しいハードルが前に幾つか並んでいる」
「それは僕も理解しております」
 万太郎は生真面目そうに頷くのでありました。「しかし二人がしっかりとした気持ちを持っていれば、越えられないハードルはないと思うのです」
 隣に座っているあゆみがまたもや力強く同調の頷きをするのでありました。
「例えば是路姓の存続と云う問題があるから、お前はウチに養子に入る事になろうが、お前の実家の皆さんはそれを快く了承してくださるかな?」
(続)
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お前の番だ! 551 [お前の番だ! 19 創作]

 是路総士は万太郎の目を見据えてそんな事を訊くのでありました。
「熊本はその辺は色々煩い土地柄ですが、僕は長男ではありませんから、それは越えられないハードルではありません。僕は実家を屹度説得して見せます」
「ああそうか」
 是路総士は小さく頷くのでありました。「お前自身も、自分の姓が変わる事、それに養子となる事に対して抵抗はないのかな?」
「あゆみさんと一緒になれると云うのに、そんな事には拘っておられまません」
「ああそうか」
 是路総士は万太郎の応えに前と同じ言葉を繰り返して、今度は苦笑いのような呆れた笑いのような、曖昧で微妙な笑みに口の端を動かすのでありました。「では、宗家の婿になると云うのは、名前は元より格としても、この道の序列ではあゆみの下に位置する事になるのだが、そう云った立場に、お前はこの先すっと甘んじていられるか?」
「今でも僕は格下ですから、単にそれが継続するだけです。あゆみさんとはそもそも年季が違うのですから、それはもう僕の中では当為の事となっております」
「ああそうか」
 是路総士はまたまた件の応答を繰り返すのでありましたが、その後今度は少し云い淀む素ぶりを見せるのでありました。「・・・で、お前はあゆみを幸せに出来るか?」
「押忍。何よりもそれを第一に努めます」
 面と向かって訊かれると現状に照らして明快に頷き難いところもあるものの、ここは一番、万太郎は口を真一文字に結んで力強く即答するのでありました。その万太郎の顔を是路総士が無表情で暫く見つめるのは万太郎の真意を見定めようとしてでありましょう。
「あゆみも、折野と一緒になって幸せになれるのだな?」
 是路総士は、今度はあゆみの方に顔を向けるのでありました。
「はい」
 あゆみは全く簡潔に即答するのでありました。万太郎はそのあゆみの言葉を聞いて、熱いものが急に胸にこみ上げてきて、その後にやや恍惚とするのでありました。
 是路総士はまた暫くあゆみの顔を見つめてから、小さく頷くのでありました。この頷きは恐らく是路総士のお許しのサインなのであろうと考えて、万太郎はまたもや胸にこみ上げるものを感じるのでありましたし、その後恍惚となるのは件の如しでありました。
「でも、・・・」
 人生に数度しかないであろう感動に万太郎の胸が膨らみに膨らんでいると云うのに、あゆみの言葉がその増長に少し水を差すのでありました。万太郎はおやと思って、息を忘れて、横に座っているあゆみの方に視線を送るのでありました。
「何だ、何か問題でもあるのか?」
 是路総士もやや身を乗り出してあゆみの顔に注目するのでありました。
「あたしは出来れば、宗家を継ぐのは遠慮したいんだけど。・・・」
「ああ、その事か」
(続)
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お前の番だ! 552 [お前の番だ! 19 創作]

 是路総士にすればあゆみからその言が出るかも知れないと云うのは、予め想定の内であったようでありますか。是路総士はあゆみから徐に視線を外すのでありました。
「ではあゆみは、宗家の継承問題に関してどのような考えを持っているのか?」
「古武道の世界は旧態を尊ぶ風習があるから、女のあたしが宗家になるのは、どこか不自然な印象だと思うのよ。例えあたしがお父さんの一人娘であっても」
 あゆみはそう云ってから自得するように一つ頷くのでありました。「だから宗家は万ちゃんに継いで貰う方が、色んな点で何かと落ち着きが良いと思うの」
 このあゆみの言葉に、横に座っている万太郎の方が驚くのでありました。あゆみが宗家を継ぐ意思が薄いのは前から知ってはいたのでありますが、その代わりに自分にお鉢が回って来るとは、その言葉を聞くまでは迂闊にも考えだにしなかったのでありました。
 しかしあゆみの他から適当な人物を探すとなると、鳥枝範士や寄敷範士では、失礼ながら薹が立ち過ぎているし、花司馬教士は総本部の生え抜きではないし、況してや来間ではそう云った蓋然性は全く以って低いのであります。そうなれば確かに、あゆみの婿になる自分が一番適当と云えばそう云う判断になるのでありましょうか。
 それにしても万太郎にとってそれは、あまりにも唐突なアイデアと云うものでありましたか。その辺にちっとも思い到らなかったのは、あゆみの意を勝ち得た事だけに頭の中が煮え滾っている今の万太郎には、致し方ない事と云えなくもないでありましょうか。
 是路総士が目を剥いて唖然としている万太郎を見るのでありました。
「折野、あゆみはそう云っているが、お前はどう考えるか?」
「いやあ、ぼ、僕が宗家を継ぐと云うのは、・・・」
 万太郎はたじろぎを隠さずに何とかそれだけ云うのでありました。
「不都合か?」
「不都合とか好都合とか云うより、畏れ多いと云うのか大任過ぎると云うのか、・・・」
「あたしにだって畏れ多いし、大任過ぎるわよ」
 あゆみが万太郎の方にゆっくりと顔を向けるのでありました。その動きに釣られるように万太郎もあゆみの顔を見るのでありましたが、万太郎の魂消入った表情が余程可笑しかったようで、あゆみは思わず出て仕舞う不謹慎で無関係な笑いを隠すために口元を急ぎ掌で隠して、しかし結局は我慢し切れずに少しだけ吹くのでありました。
「いやまあ、それはそうかも知れませんが、しかし僕は血縁と云うわけでもないですし、是路家にとっては、云わば全くの余所者ではないですか」
「でも、あたしのお婿さんになってくれるんでしょう?」
「はい。それはもう間違いなく!」
 万太郎は、そこは力強く頷くのでありました。
「だったら、全然余所者なんかじゃないじゃない」
「しかし血と云うものが、・・・」
「まあ、武道の世界では婿養子が道統を継ぐと云う前例がないわけでもない」
 是路総士がそんな事を云い出すのでありました。
(続)
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お前の番だ! 553 [お前の番だ! 19 創作]

「これからあたしが万ちゃんを屹度説得するから、お父さんもそう云う方向で考えてみてくれると、あたしとしてはこれ以上の願いはないんだけど」
 あゆみは、万太郎が宗家を継ぐと云うアイデアについて考えを廻らしているような是路総士に、懇願の目を一直線に向けるのでありました。是路総士はあゆみのその表情を横目でチラと見てから、すぐにまた念慮の方に視線を内向させるのでありました。
「昨夜一晩考えて、どうせ周りがいくら反対してもお前達はどうしても一緒になる決心だろうから、婿養子と云う条件を折野が呑めるのなら、ここは二人の結婚は許すと云う腹心算になったのだが、宗家をあゆみではなく折野が継ぐとなると別にあれこれ考えてみなければならん事もある。その件に関してはもう一晩、私の返事は保留として貰おうか」
 暫時思慮の沈黙の後に是路総士はようやく静かな口調で云うのでありました。「嗚呼やれやれ、こうなると明日も寝不足と云う事になるな」
 是路総士はそんな冗談とも本気の嘆息ともつかぬ言もつけ加えるのでありました。
「申しわけありません。よろしくお願いします」
 あゆみが首を深く垂れるのでありました。ここであゆみと一緒に低頭すべきかどうか、万太郎は一瞬迷うのでありました。
 まあ、場面の流れからお辞儀しないわけにはいかないのであります。しかしそれは自分が宗家を継ぐと云う方向でよろしくと云う意味で頭を下げるのではなく、単に是路総士に心労をかける事への申しわけなさから、偶々あゆみと一緒にお辞儀しているのだと、その辺の機微を上手く体現したお辞儀をしなければならないのであります。
 そんな七面倒臭い器用なお辞儀なんぞ、万太郎には上手く熟せないに決まっているのでありますから、勢い如何にもぎごちない不格好な、煮え切らないお辞儀となるのでありました。まあとまれ、是路総士のもう一夜の熟慮の時間を待つために、万太郎とあゆみは最後に敷居際で再度一緒にお辞儀してから是路総士の前を辞するのでありました。

 居間に帰る廊下で万太郎とあゆみはどちらからともなく手を繋いでいるのでありました。今まで師範控えの間で是路総士と話していた内容に比すれば、何とも緊張感や切迫感の乏しい呑気な挙動ではありますが、まあ、昨日より晴れて相愛の二人となったのでありましたから、これは致し方ないと云えば慎に致し方ない事ではありましょうか。
「お父さんにお昼を出したら、ちょっと外に出ない?」
 あゆみが万太郎に提案するのでありました。全く以って異存はなかったから、万太郎はすぐ横の間近にあるあゆみの可憐な瞳に向かって頷いて見せるのでありました。
 あゆみと万太郎は居間に帰ると、テーブルの椅子をくっつけて何時になく体を密着させて並んで座るのでありました。勿論手は繋いだ儘でありました。
「ええと、コーヒーでも淹れましょうか?」
 何となく間が持てないので、万太郎はやや緊張した口調で訊くのでありました。
「ううん。要らない」
 あゆみは万太郎の左手を自分の両掌で包んで弄びながら返すのでありました。
(続)
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お前の番だ! 554 [お前の番だ! 19 創作]

「ああそうですか」
 と云う事は、万太郎はこの儘あゆみと密着して座って、左手を弄ばれ続けなければならないと云う事であります。万太郎としては慎に気づまりな緊張状況と云うものではありましたが、まあしかし、そんなに嫌な状況と云うわけではないのでありました。
「万ちゃんの掌って、指のつけ根は剣胼胝で固くなっているいけど、掌全体は意外に柔らかいのね。こうして改めて触ってみて判ったんだけどさ」
 あゆみは飽かず万太郎の左手のあちらこちらを触りながら云うのでありました。あゆみの掌の中で万太郎の手が甘やかに溶けて仕舞いそうでありました。
「あゆみさんには目立った剣胼胝がありませんね」
 万太郎が今度は仕返しにあゆみの右手を自分の顔の前に引き寄せて、擽るようにその上に指を這わせるのでありました。流石にあゆみの掌は、手入れもしない男の無骨な掌とは違って、しっとりとしていて瑞々しいのでありました。
「くすぐったい」
 あゆみが万太郎の掌中から自分の右手を逃れさせようとするのでありましたが、逃してはなるものかと、万太郎は少し強くあゆみの手を握るのでありました。あゆみの手がこんなに手弱やかな手である事に、稽古中は気づきもしないのでありました。
 二人がこうして地味にいちゃついていると、庭から不意に声がするのでありました。
「あゆみちゃん、居る?」
 それは書道の大岸先生の声でありました。何時ものように大岸先生が縁側から勝手に上がって来る気配を感じて、万太郎とあゆみは慌てて互いの手を離すのでありました。
 台所の扉は開け放たれた儘でありましたから、大岸先生はそこから顔を覗かせるのでありました。中に居るあゆみと万太郎が揃って首を捻じ曲げて自分の方を見ているのに、大岸先生は片手をヒョイと上げて挨拶を送るのでありました。
「これ、ちょっと作ってみたから、お昼にどうかしらと思って持ってきたのよ」
 ヒョイと上げないもう片方の手には白い鍋が抱かれているのでありました。万太郎とあゆみはすぐに立ち上がるのでありましたが、二人が嫌にくっついて座っているところを大岸先生は奇異に感じなかったかしらと思って、万太郎は少したじろぐのでありました。
「何ですか、それ?」
 あゆみが大岸先生の方に繕うように駆け寄るのでありました。
「飯蛸と莢豌豆の甘辛煮つけよ」
 大岸先生は鍋の蓋を開いて見せるのでありました。
「まあ美味しそう」
 あゆみが両掌を口の前であわせる仕草をして、やや大袈裟な声で感嘆するのでありました。一応愛想から万太郎も近寄って鍋の中を覗きこむのでありました。
「昨日、テレビの料理番組でやっていたから作ってみたのよ」
 大岸先生はそう云いながら蓋を戻すのでありました。「まあ、お酒の当てみたいだけど、ちょっとした副菜としてもなかなかイケるわよ」
(続)
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お前の番だ! 555 [お前の番だ! 19 創作]

「ああそうだ」
 あゆみが急に何か思いついたように云うのでありました。「あたしと万ちゃんは、今日どうしても行かなければならない処があって、だから朝の残りの御御御付けと卵焼きでお父さんのお昼を出したら、すぐに出かける心算だったんです。若し良かったら大岸先生、この料理でお父さんのお昼のお相手をして頂けたらとても嬉しいのですけど」
「それは別に構わないけど、でも、不意に来て図々しくないかしら?」
「とんでもない。あたしとしてはその方が有難いと云うものです」
「あらそう?」
大岸先生はニコニコと笑むのでありました。「じゃあ二人はすぐに出かけなさい。総士先生のお昼はあたしが調えるから心配しなくても大丈夫よ」
「え、本当ですか?」
 あゆみが先程鍋の中を覗いた時と同じように、口元で掌をあわせて大袈裟に目を見開いて歓喜の表情を大岸先生に送るのでありました。
「任せといて」
「ご飯はジャーにありますし、卵は冷蔵庫にあります。フライパンは、・・・」
「勝手知ったる他人の家で、フライパンやお皿の在り処、それに総士先生のご飯茶碗もお箸も何処に在るのかちゃんと知っているから、心配しなくても大丈夫よ。それから冷蔵庫の中にある物をちょっとゴソゴソするのを許してね」
「ええどうぞ。何でも使ってください」
「じゃあ、総士先生にそう云ってくるわ。総士先生は控えの間?」
「はいそうです」
 大岸先生は頷くと鍋を持った儘いそいそと食堂を出て行くのでありました。何やら降って湧いた是路総士と二人での昼食のチャンスを大いに喜んでいる風情であります。
 あゆみが万太郎に向かって悪戯っぽい表情で指を鳴らして見せるのでありました。これは慎に好都合な折に好都合な人が来てくれたと云う按配でありますか。
「じゃあ万ちゃん、出かけましょう」
 あゆみが万太郎の袖を引くのでありました。
「それは良いですが、大岸先生にあゆみさんがさっき云った、どうしても出かけなければならない用事なんと云うのは、僕等には今日は特にないと思うのですが。・・・」
「あら、万ちゃんはあたしと出かけるのが嫌なの?」
「勿論そうではありませんが、何となくさっきの云い草では、大岸先生に対して申しわけないような気がチョロッとするものですから」
「ま、良いじゃない。何とかも方便よ」
 あゆみはしれっとしているのでありました。この太々しさは男にはないところであろうと、万太郎はあゆみを含めた女一般に対して些かの畏怖を感じるのでありました。
「ところで、何処に行くのですか?」
「そうね、近所の散歩と云うのもつまらないし、新宿にでも出てみる?」
(続)
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お前の番だ! 556 [お前の番だ! 19 創作]

「新宿で何をしますか?」
「映画でも見る?」
「そう云えば来間が新宿に映画を観に出かけていますから、確率は低いものの、ひょっとしたら向こうで出くわすかも知れませんよ」
 まあ、出くわしても別に構わないかと、云った後で万太郎は思うのでありました。しかしあゆみと自分が仲睦まじく寄り添っている姿を見た来間に、経緯を縷々述べると云うのも何となく気が重いと云うのか、きまりが悪いと云うのか。・・・
「ああそう。注連ちゃんは新宿に映画を観に行ったの」
「まあ、来間の目に気を遣う必要はないですけどね。あゆみさんと僕は、こうして晴れて総士先生公認の仲になったわけだから。ま、宗家の継承問題は残っているにしろ」
「それでも矢張り、何となく注連ちゃんに出くわすのは面倒ね」
 あゆみも万太郎と同じ了見なのでありましょう。「じゃあ、どうしようか?」
「ぐっと手軽になりますが、烏山辺りで食事をして、それから寺町か芦花公園でもブラブラと散歩する、なんと云うのはどうでしょうか?」
「そうね。二人きりで居られるのなら、あたしは別に何処でも構わないし」
 このあゆみの言葉を聞いた時の万太郎のデレッとした締まらない顔と云ったら、ここに描写するのも馬鹿々々しいと云うものでありますか。
「じゃあ、まあ、取り敢えずそう云う事で」
 と云うわけで万太郎とあゆみは仙川の道場を出ると、千歳烏山の駅まで寄り添ってゆるりと休日の散歩と洒落こむのでありました。何処と云う当てもなかったから二人は駅近くのレストランで昼食を摂って、その後またブラリと芦花公園まで歩くのでありました。
「万ちゃんさあ、・・・」
 月曜日の昼間と云うのでさっぱり人気のない、徳富蘆花が死去する昭和二年までの二十年間隠棲した住居跡と云う蘆花恒春園の記念館の縁に並んで座って、万太郎の左掌を両手で包むように持って、肩を寄せたあゆみが万太郎に話しかけるのでありました。
「何でしょう?」
 万太郎は弄ばれる掌の心地良さに陶然としつつ、上擦った声で応えるのでありました。
「その、二人だけで居る時のあたしに対する敬語は、もう止めない?」
「はあ。しかし今まで長く馴染んだ言葉遣いですから、簡単には改まりませんよ」
 万太郎はすっかり敬語で云うのでありました。
「そこを頑張って改めてよ」
「押忍。努力してみます」
 万太郎のその返事を聞いてあゆみは溜息をつくのでありました。
「ほら、早速努力を怠っているじゃないの」
「ああ、済みません。・・・じゃなくて、済まん、・・・事です」
 万太郎は頭を掻くのでありました。「ダメです。どうしても丁寧になって仕舞います。丁寧じゃなくなろうとすると、調子が狂ってしどろもどろになりますよ」
(続)
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お前の番だ! 557 [お前の番だ! 19 創作]

「困ったわね」
 あゆみは口をへの字にするのでありました。こう云うあゆみの顔もなかなか棄て難く可憐であると、万太郎は会話の内容とは全く無関係な感想など抱くのでありました。
「鋭意努力はしてみますが、どうぞ長い目でお見守りください」
 万太郎が一種の茶目っ気でそう敢えて鯱張った物云いをしているのか、それとも全くの生一本の生真面目からのそんな風にものしているのか、あゆみにはその辺がよく判らないのでありました。まあ、日頃の万太郎の在り様からすれば後者でありましょうが。
「出来るだけ早めにお願いね」
「押忍。承りました」
「ところで、一つ訊きたかったんだけど、・・・」
 あゆみが話題を変えるのでありました。「あたしが万ちゃんの事好きだって事、昨日の八王子の一件があるまで、本当に全然気づかなかったの?」
「気づきませんでしたよ。あゆみさんは僕なんか眼中にないとばかり思っていましたから。しかし実は、僕の方はずうっと秘かにあゆみさんに憧れていましたけど」
 それを聞いてあゆみは満足そうなに、或いは照れたように笑むのでありました。
「先輩とか姉弟子として? それとも、女性として?」
「僕なんか足下にも及ばない強い姉弟子として、とばかり思っていましたが、良く考えれば随分前から、そうじゃないところもあったように思います」
「あたしが万ちゃんの事を好きになったのは、と云うか、意識し出したのは、万ちゃんが入門して一年くらい経った頃からかしらね」
 あゆみはやや恥じらいながらそんな告白をするのでありました。この恥じらいの顔がまた実に可憐であると万太郎が思うのは例の通りであります
「入門して一年くらいした辺りで」
 あゆみが続けるのでありました。「万ちゃんは見違えるくらい技術が飛躍したものね」
 そう云われても万太郎には思い当る節がないのでありました。
「そうですかねえ? その頃は未だ僕は、稽古ではあゆみさんに翻弄されっ放しで、何時もあたふたとしていたように記憶していますがねえ」
「ううん、そんな事ないわ。どうしてかは知らないけど、或る日いきなり万ちゃんが妙に強くなったような気がして、あたしたじろいだのを覚えているもの」
「ようやく常勝流の動きに慣れてきたかなと云う自覚はありましたが、それだけで、いきなり強くなった、なんて自分では考えてもいなかったですよ」
「自分ではそんなものかも知れないけど、傍目にははっきりそう見えたわよ。現にそれはお父さんにもそう見えたようだったしね」
 このあゆみの言葉に万太郎の心が躍るのでありました。
「そうですかねえ?」
 万太郎はしかしあくまでも懐疑的な物腰を崩さないのでありました。
「近頃、万ちゃんどうしたのかしらって、あたしお父さんに聞いた事があるのよ」
(続)
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