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お前の番だ! 503 [お前の番だ! 17 創作]

「総士先生、色々とお騒がせしております」
 佐栗理事が是路総士に頭を下げるのでありました。
「いえ、私共には特段」
 是路総士浅くもお辞儀を返すのでありました。
「お聞き及びの通り、この度は威治宗家が辞め、間を置かず財団会長も辞めて、興堂流も機構の大幅変更を余儀なくされまして、この田依里君を入れた理事会であれこれ話しあった結果、ここは一旦興堂流を解散しようと云う結論になりました」
 万太郎は初耳でありましたが、佐栗理事が、お聞き及びの通り、と云うのでありますから、この報は恐らく鳥枝範士経由で是路総士に既に知らせてあったのでありましょう。
「そう云う事らしいですな。一昨日、鳥枝さんから聞きました」
 是路総士は落ち着いた物腰でそう云って、先程来間が運んで来た茶を一口啜るのでありました。「聞いた時には驚きましたが、まあ、予期もしていました」
「流名を興堂流としたのは威治宗家と財団会長の意向でありましたが、その二人も去って仕舞ったのですし、それに今般の我が流の技法や稽古法は、道分先生のお遺しになったものとはすっかり様変わりしておりますので、敢えて道分先生のお名前を連想させるような団体名で通すのは、実態に照らして相応しくはないし畏れ多いと云ったところです」
「成程。そうですか」
 是路総士は表情を変えずに一つ頷くのでありました。この静かで厳とした無表情は興堂流の決定に対して、別流である常勝流は一切容喙しないと云う態度表明でありましょう。
「理事会では最初に、新規蒔き直しの意味もこめて、流名の変更が議題として上がったのですが、色々議事を進める内に、ここはいっその事、興堂流自体を解散した方がすっきりするだろうと話しが推移しまして、この度の決定と相成りました次第です」
「実技指導を担っておられる田依里さんも、ご納得なのですね?」
 是路総士は田依里師範の方に顔を向けるのでありました。
「道分先生の遺された会派を仕舞うのは私としては忍びないものもありますが、私は云ってみれば新参者ですし、道分先生のご薫陶を受けたわけでもありません。全くひょんな経緯から興堂派で指導を始める事になったのです。ですから興堂派以来、それに興堂流になってからもずっとその職に居られた理事の皆さんの決定に従うのは、当然です」
 田依里師範はそう云って是路総士に目礼するのでありました。
「興堂流の解散と同時に、葛西の道場も閉められるのですかな?」
「いえ、今の葛西の本部道場は続けて参ります。何とか経営を維持出来るだけの門人もおりますし、こちらの都合だけで急に閉めるのは門下生に対して申しわけないですから」
「新しい財団を設立されるのですかな?」
「いえ、そこまでは考えておりません。当面は私的な団体としてやっていく所存です」
「田依里流、か?」
 鳥枝範士が横から戯れ口調で訊くのでありました。
「いえ、そのような名前にはしない心算です」
(続)
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お前の番だ! 504 [お前の番だ! 17 創作]

 田依里師範は真面目な口調で受け応えるのでありました。
「まあ、田依里君の主催する道場と云う事にはなりますが、・・・」
 佐栗理事が後を引き継ぐのでありました。「敷居も低くして世間への体裁も考えずに、出来るなら会費も下げて、稽古好きな者が気安く集える一介の武道同好会、と云った色調で運営していく心算でおります。一応私も世話役、と云う形で参画する気でおります」
「月謝を下げたりして、先々回していけるのかね?」
 鳥枝範士が腕組みしながら訊くのでありました。
「営利は当面考えない事にします。若し運営の面で苦しいようなら、私は別途生計の道を探しますし、これまでも私はそのようにして武道を続けて参りましたから」
 田依里師範が特段気負った顔もせずに、到ってあっさりと云うのでありました。
「田依里さんは、ご家族はお在りにならないのですか?」
 花司馬教士が訊くのでありました。
「ええ、ずっと独り身で、養うべき家族は持った事がありません。ですからこの身一つが何とか食えれば、それで構わないのです」
 これは家庭持ちの花司馬教士ならではの質問と云ったところでありましょうか。
「まあ、田依里君に関しては他に仕事をしなくとも、道場だけで食えるように私の方で計らう心算です。田依里君が若し別に何処かに就職したりするならば、稽古時間にも制限が出来ますし、それでは門下生もそうそう集まらないでしょうから」
 佐栗理事が所存を述べるのでありました。
「まあ、佐栗さんが後援してくれるなら、大船に乗った気でいて大丈夫だ。これでなかなか、佐栗さんはやり手の経営者だからなあ」
 鳥枝範士がそう云ってニンマリと笑うのでありました。この佐栗理事は、娑婆では建築設計事務所を経営しているのでありました。
「いやいや、私なんぞは鳥枝さんの足元にも及びません」
 佐栗理事は苦笑しながら掌を横に数度ふって見せるのでありました。
「堂下の扱いはどうなるのでしょうか?」
 万太郎が質問するのでありました。
「堂下君は新しい道場に助力すると云ってくれております」
 田依里師範は万太郎の方に視線を向けるのでありました。
「佐栗さんの方で、堂下君も面倒を見ていただけるのでしょうかな?」
 これは寄敷範士が訊くのでありました。
「まあ、田依里君と堂下君と二人丸抱えですっかり面倒を見るとなると些か腰が引けますが、今の道場の経営状態からすれば、堂下君も、充分とは云えないまでも道場の方に専心して貰えるだろうと考えております。堂下君も自分は他でアルバイトをしながらでも協力する、と云ってくれていますので、その意気には充分報いたいと思っております」
 こう云う佐栗理事は到って篤実な人と、万太郎には見えるのでありました。こういう人が後ろに居れば、田依里師範も堂下も一先ずは安心と云うものでありましょう。
(続)
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お前の番だ! 505 [お前の番だ! 17 創作]

「興堂流が今般解散となるのならば、当然威治君の後の宗家の跡目の問題も、つまり霧消する事になるのでしょうかな?」
 是路総士が茶を一口啜ってから佐栗理事に訊くのでありました。
「そうなります。当初は興堂流を存続させるには、道分先生のご長男である道分辞大さんに跡を継いでいただこうかと云う話しもあったのですが、自分は偶々興堂流の理事の一人ではあるが、武道とはまるで縁のないところを歩んできたからと固辞されました」
 佐栗理事が序ながらと云う風に、その間の経緯を披露するのでありました。「それに宗家と云っても道分先生が望んでそう云う制度を導入したのではなく、道分先生ご逝去後の威治氏の都合で偶々そう名乗っただけで、宗家の存続は道分家としても特段望まないと云うご意見でして、まあ、そんな事情もありましたものですから、それならばいっそ、興堂流を解散しようと云う意見で理事会が一決したと云うところもありましょうか」
「ああそうですか」
 是路総士は頷いてまた茶を啜るのでありました。
「ところで、今日こうしてお伺いしたのは、興堂流を始末する決定のご報告と同時に、総士先生にお願いの儀もありましたももですから、・・・」
 佐栗理事が物腰を改めるのでありました。
「ほう、それは何でしょうかな?」
「興堂流を畳むに当たって、私共の支部の幾つかが、先の時と同じように、こちら様へ移籍したいと願い出てくるかも知れませんので、その時にはどうぞご寛容に受け入れてやっていただけないかと、そんな手前勝手なお願いもありまして。・・・」
 佐栗理事の云う、先の時、とは、威治前宗家が独立して興堂流を立ち上げた時でありましょう。その折のゴタゴタ時には敢えて移籍を希望しなかった支部が、今更節を曲げる不謹慎に目を瞑って、寛容に、受け入れて貰いたいと云う願いのようであります。
「ああ、そう云う事ですか」
 是路総士は無表情に頷くのでありました。
「しかし今となっては、興堂流と常勝流とでは技法がかなり違ってきているでしょう。こちらに移りたいと云うのなら、それを改められますかな?」
 寄敷範士が口を出すのでありました。
「そのご懸念は当然の事だと思います」
 これには田依里師範が受け応えるのでありました。「当身中心の技の体系に変えたのはこの私が張本人ですが、それは採用した試合形式に馴染むようにとの思いからでした。その時にはそうすべきとの信念があったのですが、まさかこんな仕儀になるとは、・・・」
「他流となった興堂流の技の変化をとやこう云うのではありませんが、今の興堂流の稽古に慣れた人達が、再び常勝流本来の稽古を受け入れられますかな?」
「それは移籍を希望する以上、受け入れると覚悟しての事とお考えいただいて結構だと思います。恐らく移籍を望むのは興堂流になる前の、道分先生時代からの支部が殆どでしょうし、常勝流の稽古に復帰するのに然程の難はないと私としては考えております」
(続)
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お前の番だ! 506 [お前の番だ! 17 創作]

「特に古武道に於いては、技や稽古法の不統一が流儀の乱れと考えますので、技術面では我々は大いに非寛容です。で、一応懸念を示したわけです」
 寄敷範士は目に鋭さを留めて田依里師範を見るのでありました。
「その点は移籍を希望してきた者に、厳に云っていただいて結構だと思います」
 田依里師範は寄敷範士に目礼して見せるのでありました。
「前の興堂派時代にしても、道分先生に教えていただいた技法と総本部の技法とは若干違った面もありました。それに対しても我を張らずにちゃんと修正する覚悟が必要です」
 技術の微妙な違いに戸惑った経験のある花司馬教士が横から云うのでありました。
「それも厳しく云っていただいて構わないと思います。総本部に移られて戸惑った経験のある花司馬先生が、今こうして総本部の技法に馴染んで、立派に指導までされていらっしゃるのですから、花司馬先生がおっしゃれば如何にも説得力があると思います」
「いやまあ、立派かどうかは判りませんが。・・・」
 花司馬教士はそう語調を落として頭を掻くのでありました。
「まあ、判りました。移籍の希望があったならば、良しなに取り計らいましょう」
 是路総士が結論として、受けあうのでありました。
「よろしくお願いいたします。これで支部の関係者の憂いも和らぐと思います」
 佐栗理事が是路総士に深めに頭を下げるのでありました。
「つきましては、私の方から、もう一つお願いがあるのですが、・・・」
 田依里師範が畏まるのでありました。「すぐにと云うのではありませんが、落ち着きましたらこの私がこちらに稽古に伺わせていただく事をお許しいただけないでしょうか?」
「ほう、田依里さんご自身が常勝流の稽古をされるのですか?」
 田依里師範の意外な一言に是路総士は口元に運んだ茶椀をその位置で静止させるのでありました。満座の目が、佐栗理事の目も含めて、田依里師範に集まるのでありました。
「今からでは遅いと云われるかも知れませんが、常勝流の技術にこのところ大いに興味が湧いてまいりまして。それに総本部の皆さんとこうしてお話しをさせていただいて、皆さんが修められている常勝流を、是非自分も習ってみたいと切に思ったものですから」
「まあ、武道と云うものは幾つになってから始めても遅いと云う事はありません。しかし田依里さんの場合は一派の長でいらっしゃるし、そう云う人が白帯の初心者に混じって一から常勝流を習うと云うのに、抵抗がおありではありませんかな?」
 是路総士が田依里師範の立場を気遣うのでありました。
「いえ、体裁など気にしませんし全く抵抗はありません。習う以上当然の事ですから」
「自分の門下生達に示しがつかなくなるのでは?」
 花司馬教士も気遣いを見せるのでありました。
「そんな事はありません。習いたいと思ったら、そう云った娑婆っ気は無関係の事です。若い時からずっとそんな風に、まあ、云ってみれば気儘に色んな武道の稽古をしてまいりましたし、私は一派の長である前に一人の探究者とし在りたいと考えておりますので」
 田依里師範のこの心根には一種の爽やかさが薫っているのでありました。
(続)
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お前の番だ! 507 [お前の番だ! 17 創作]

「判りました。支部への配慮にも今の言葉にも大いに感心致しました。何時でも稽古にいらっしゃい。我が常勝流総本部道場は屹度歓迎致しましょう」
 是路総士が田依里師範にニッコリと笑いかけるのでありました。
「有難うございます」
 田依里師範は深々とお辞儀するのでありました。
「ところでその後、威治君はどうしているのか、田依里さんはご存知ですかな?」
「いや、はっきりとは私も知りません」
 田依里師範はそう云って横に座っている佐栗理事の方に顔を向けるのでありました。
「私の方にも特に動静は伝わって来ませんね。必要なかったかも知れませんが、一応礼儀から、こちらからその後の組織の変更に関しては電話を入れた事がありましたが、もう自分には全く無関係な事だと云った風の、実に突慳貪と云うのか、無愛想と云うのか、そんな応対でした。ですから、その後どうしているかとか、そんな話しもしませんでした」
 佐栗理事はゆっくりと首を横にふりながら云うのでありました。
「ああそうですか」
 是路総士は目線を自分の正坐した膝の上に落として、憂いを表するのでありました。「それでは一度私の方から、家の方にでも電話でもしてみますかな」
「威治に対して、もう総士先生にはそのような配慮をなさる必要はないかと存じます」
 鳥枝範士が口を挟むのでありました。「云ってみれば自業自得で、彼奴が勝手に仕出かした不始末と帰結ですし、彼奴に関ずらわっていると碌な事がないですからな」
「そうは云いますがねえ、・・・」
 是路総士は陰鬱な表情を解かないのでありました。
「彼奴の方から連絡でもしてくれば、それから少しの憐情でも表せば良いのではないですかな。こうなった以上、後はどうなと勝手に生きて行けと、その程度に助言を与えて。ま、彼奴の事ですから総士先生に自分から連絡を取ってくる殊勝さもないでしょうがね」
 鳥枝範士は慎につれないのでありました。しかしその見こみ通り、自ら連絡をしてくる事はないのでありましたが、思わぬ辺りから威治前宗家の動静が知れるのでありました。

 さて、嘗ての興堂流は、武道興起会、と名前を改めて、任意の武道道場として再出発するのでありました。田依里師範に依れば流派ではなく、稽古の研究会と云った趣で、現状の姿や特定の技法を守ると云うよりは、新しい武道の在り方を模索し試行錯誤を繰り返しながら、将来に亘って自律的に変化していく団体だと云う事でありました。
 これは意識的に変化を許容すると云う姿勢でありますから、武道界に在っては異色と云えるでありましょうか。特に常勝流の様な古武道は守旧を宗とし、出来るだけ変化を嫌うと云う態度でありますから、それは大いに可能性を秘めた試みと映るのであります。
 さて、結局興堂流から常勝流総本部の傘下に移ってきたのは五団体でありました。それも興堂流になって新しく出来た支部ではなく、常勝流興堂派時代から既に在った支部で、常勝流の技法に既に馴染みのあったところと云う事になりましょうか。
(続)
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お前の番だ! 508 [お前の番だ! 17 創作]

 それから武道興起会と行動を共にする支部が七団体在るのでありました。その他の支部は独立の道を選んだり、ゴタゴタに倦んで解散するところも見られるのでありました。
「全く、威治のせいで常勝流が萎んだ事になったわい」
 鳥枝範士はそう云って憤慨して見せるのでありました。
「いやしかし、その後に新しく出来た総本部の支部も在りますから、どちらかと云うとあまり増減していない事になるのではないでしょうか」
 万太郎が遠慮がちに反駁すると鳥枝範士はムキになって再反駁するのでありました。
「旧興堂派も含めた常勝流を稽古していた支部は、現に減っているではないか」
「しかし減ったのは旧興堂派で、総本部としては俄然増えております」
「常勝流全体で見ると、稽古者の総人数は明らかに減っているだろう?」
 鳥枝範士はあくまでも自分の見解を押し通そうとするのでありました。
「いや、はっきりと数字を調べたわけではないですが、常勝流門下生の数は若干ながら、旧興堂派と総本部が二つ伴に存在していた頃より、増えていると思います」
「ほう。それは本当か?」
「興堂派も一応常勝流を名乗るために毎年門人の数を総本部に報告していましたから、調べれば門下生の総数はすぐに判ります。確か今は、その頃よりも増えている筈です」
「それは知らなんだな。感触として、減っているとばかり思っていた」
 鳥枝範士は一瞬全く意外だと云う面持ちをするのでありましたが、すぐに渋面を取り戻して続けるのでありました。「しかし増えているとしても、それは威治とは何の関係もない推移だ。威治が居なければ寧ろもっともっと増えていたかも知れんぞ」
「さあそれは、増えていたかも知れないし、そうでないかも知れないし。・・・」
 万太郎もあっさり引き下がらない辺りなかなかに頑固だと云えるでありましょうか。
「増えているのならそれは、ワシや寄敷さんのお蔭とは云えないから、お前とあゆみの功績だろうな。それと花司馬辺りの」
「いや僕は特段何もやった覚えはありません。あゆみさんに関しては、少年部の創設とか色々目に見えて門人獲得に貢献されましたが」
「ああそうか。少年部か。それもあったな。しかしところで、お前は何もしていないと云うが、この頃は門下生の間で、ワシや寄敷さんよりもお前の人気がなかなかのものだぞ。皆が挙って折野先生折野先生とお前の名前の連呼で、ワシなんか実に影が薄い」
「まさかそんな事はないでしょうが」
 万太郎は珍しく鳥枝範士に持ち上げられて、尻の辺りがモゾモゾとむず痒くなるのでありました。世間では、末期が近づくと気弱から人格が妙に丸くなる、と往々にして云われるのでありますが、ひょっとして鳥枝範士のこの珍しい持ち上げも、その類かと不謹慎な事をちらと考えるのでありましたが、勿論それは口に出さないのでありましたし、まあ、つまりそれくらい鳥枝範士から持ち上げられるのは珍事だと云うことであります。
 ところで威治前宗家の動静でありますが、八王子の門下生の一人から情報が齎されるのでありました。思わぬ辺りから聞かされたもので、万太郎は驚くのでありました。
(続)
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お前の番だ! 509 [お前の番だ! 17 創作]

 それに依れば、何でも八王子のとある居酒屋で、威治前宗家らしき人と瞬間活殺法の洞甲斐富貴介氏が、睦まじく呑んでいるのを目撃したと云うのであります。余人は居らず、二人だけでテーブルを囲んでいたとの事でありました。
 この二人の取りあわせに万太郎は意外の感を抱くのでありました。威治前宗家は洞甲斐氏をずっと以前より、まあ、自分の事はさて置いて、如何にも胡散臭いヤツと見做していて、どちらかと云うと極めて冷淡に接していた筈でありましたが。
 それがどうした按配か二人で睦まじく酒を酌み交わしていたと云うのであります。どのくらい睦まじかったのかは、伝聞でありますから万太郎としては確とは判らぬのでありますが、しかし傍目にそう見えたのはどちらも寛いだ様相をしていた故でありましょう。
 同病相憐れむとか、同気相求む、或いは、類は友を呼ぶ、なんという言葉が、先ず万太郎の頭の中に浮かんでくるのでありました。二人のどちらが声をかけたかのかは判らないながらも、恐らくはそう云ったところも屹度あるのでありましょうか。
 鳥枝範士は威治前宗家のその後に全く無関心でありましたが、是路総士は少なからず気にしているような風だったから、万太郎はこの情報を是路総士だけにそれとなく知らせるのでありました。是路総士もこの二人の取りあわせに顔を曇らせるのでありました。
「その八王子の門下生は威治前宗家と面識があるわけではないのですが、前に武道雑誌に写真が載っていた威治前宗家その人に間違いないと、そう云っておりました」
 万太郎は念のため、情報のあやふやさも云い添えるのでありました。
「あああそうか。しかしそれが本当だとすると、やや呆れた展開と云った趣だな」
 是路総士は眉宇の翳を濃くするのでありました。「しかし、すっかり何もかも失った威治君としては、捨てる神あれば拾う神あり、と云った心持ちだろうかな」
「と云う事はつまり、総士先生は洞甲斐先生の方から威治前宗家に接触してきた、と云う風に見ていらっしゃるのですね?」
「威治君は洞甲斐さんを全く買っていなかったし、扱い方もぞんざいなものだったから、どんなに窮したとしても、洞甲斐さんと共に、と云う選択肢はなかったろうよ」
「それならばどうして、洞甲斐先生のコンタクトを受け入れられたのでしょう?」
「貧すれば鈍する、と云う言葉もあるし。・・・」
 貧した威治宗家が鈍して、洞甲斐氏と云う拾う神の言葉にうかうかと乗って仕舞った、と云う風に是路総士は見ているようであります。と云う事は是路総士は洞甲斐氏を、あんまり好ましからざるところの拾う神だと思っているのでありましょう。
「洞甲斐先生が声をかけた真意と云うのは、どんなところに在るのでしょう?」
「まあ、そんなに深い理由があるわけではなかろう。精々威治君の名前をちょいと利用してやろうと云う程度だろうよ。あの人は深謀遠慮の人ではなさそうだし」
 確かに洞甲斐氏は事象の後先の行方に抜かりなく目線を走らせるタイプではなく、ちょっとした閃きに自分で興奮して、すぐに軽忽に動く人と云った印象でありますか。ご本人はその、閃き、に大いに高い蓋然性と自信とをお持ちのようでありますが。
「威治前宗家と云う名前は、未だ利用出来るだけ価値があるのでしょうか?」
(続)
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お前の番だ! 510 [お前の番だ! 17 創作]

「まあ、威治君の名前と云うよりは、父親であった道分さんの驍名と云うべきだな。それに今般の興堂流を辞めた経緯にしても、隠密裏に処理されたようだし、動向に一種の不可解さはつき纏うものの、未だ深い傷はついていないと見る向きもあるだろう」
「洞甲斐先生もそう云う目のつけどころで、と云うわけですね?」
「聞けば洞甲斐さんは興堂流を辞してからは、自宅の道場で細々と、まあ、あの人なりの武道を続けているのだそうだが、なかなか人も集まらないようだし、ここは一つ道分さんの遺児である威治君と組む事に依って、世間の耳目を引こうと云う企みなのだろう」
「興堂流を仕くじった者同士で、過去の様々な因縁は綺麗に水に流して、新たに二人手を組んでこれから起死回生を狙う、と云う寸法ですか。・・・」
 万太郎にしては、これはやや皮肉な云い草と云えるでありましょうか。是路総士はこの万太郎の云い草に対しては、特に反応を示さないのでありました。
「洞甲斐さんと何かを企てても、威治君にはあんまりプラスにはならないだろう」
 是路総士は陰気な声でそう云うのでありました。「折野、然程にそっちの方に力を入れる必要はないが、八王子に行った折とか、少し二人の動向に気をつけておいてくれんか」
「押忍。承りました。少し探ってみます」
 万太郎は了解のお辞儀をするのでありました。
「ま、あんまり熱心にやる必要はないぞ。それとなく、で構わんからな」
 是路総士は万太郎の過剰な意気組みを抑えるためにかそう云い添えるのでありました。しかしそうは云われても、是路総士直々の依頼なのでありますから、徒や疎かには出来ないと万太郎は腹の中で褌の紐をキュッとややきつ目に締め直すのでありました。

 直近の八王子への出張指導がある日、万太郎はその日助手につく事になっている片倉に、ちょいと用があるからと云い置いて一人で先に総本部道場を出るのでありました。具体的な探りの手立てを未だ何も考えているわけではなかったから、取り敢えず洞甲斐氏の道場の様子でも実見しに行ってみるかと思っての事で、万太郎はそろそろ夕方に差しかかって日中よりも人通りの増えた道を、仙川駅に向かって足早に歩くのでありました。
 洞甲斐氏の自宅兼道場は西八王子駅から少し離れた辺りに在って、万太郎はポケット判の多摩地方の地図を頼りにそこを訪ね歩くのでありました。南浅川と云う川を渡ってすぐの処に八王子剣道連盟の道場があって、洞甲斐氏の道場はそこより未だ先の、崖下の住宅地が切れて家屋も疎らになった寂しい辺りにあるのでありました。
 それは廃屋とまで云わなくとも相当の年月風雪に耐えてきたような、ある種の趣のある木造建物で、如何にも立てつけ悪そうな玄関引き戸の脇に、日本真武道洞甲斐流道場、と云うのと、大宇宙の意志研究所、と云う何とも怪し気な看板が並べて掲げてあるのでありました。宇宙の意志研究所、の方は建物と同じくらいの年月を経てきたような、墨の文字も掠れた木札でありましたが、日本真武道洞甲斐流道場、の方は段ボール片に黒の極太マジックインキ書きで、鋲で四隅を止めているだけの至って簡素なものであるのは、今般興堂流を仕くじった後に、新たに緊急に掲げ変えたためと推察されるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 511 [お前の番だ! 18 創作]

 名前の仰々しさに大いに見劣りする貧相な看板でありますが、恐らく前に掲げていたのであろう興堂流の文字のある板を外してこうして架け替えている辺り、独立して心機一転の意気ごみを示しているようではあります。しかしずぼらにも素材が多分そこらに転がっていたのであろう段ボール片で、それにマジックインキ書きと云うのは何やらやけに無精なやっつけ仕事風にも思えて、その心意気にも疑問符がついて仕舞うのでありますが、まあ、こうして架け替える辺りなかなか律義であるとは云えるでありましょうが。
 建物の中は灯火が点いておらず、人の気配は感じられないのでありました。その日は休館日で、洞甲斐氏は何処かに出かけているのでありましょうか。
 まあ、万太郎としては洞甲斐氏に面接する気は元々なかったものだから、その儘暫く建物の趣などを観察して引き揚げようとするのでありました。道場が八畳二間ぶち抜きの十六畳で、それに洞甲斐氏の住居が付随している程度と聞いているのでありますが、成程構えとしては普通の古い民家と云った家作で、行きがけに通り過ぎてきた八王子剣道連盟の道場と比べると、それが武道の道場とは誰も気づかないでありましょう。
 万太郎が来た道をまた西八王子駅の方にゆっくり歩いて引き返していると、人気のない住宅街の細道の前方に、自転車に乗ってこちらに向かって来る人影が見えるのでありました。遠目にもそれは洞甲斐氏だとすぐにピンときたものだから、万太郎は急いで民家の間の路地に身を隠して、自転車の御仁が通り過ぎるのを陰から窺い見るのでありました。
 万太郎の勘通り、白髪交じりの長い髪を後ろに撫でつけて無造作に束ねて、仙人髭を生やしたその横顔は、紛う事なく洞甲斐氏その人で、着古して色の褪せた藍染めの作務衣を纏って、いかにものんびりと自転車を漕いでいるのでありました。前輪の上の篭にはビニール袋が二つ入れてあって、一つの口からは葱の青い葉が覗いているのでありました。
 夕飯の買い物帰り、と云った様子でありますか。万太郎の前を通り過ぎる時に洞甲斐氏の口からは、随分昔に流行った演歌の鼻歌なんぞが漏れ聞こえてくるのでありました。
 どう見てもそれは、武道をものし、大宇宙の意志を深く考察するような御仁とは見えず、巷の少々偏屈で能天気なオッサンと云った風情でありました。万太郎は思わず知らず、そのほのぼのしさに、微苦笑なんぞを口の端に浮かべて仕舞うのでありました。
 洞甲斐氏には内弟子と呼べるような弟子は居ないと云う事でありました。それに連れあいさんも居ない独り身と聞いているので、こうして自転車に乗って、鼻歌を歌いながら駅前の商店街にでも買い物に出向くのが日課と云う事なのでありましょう。
 八王子支部の稽古後の宴席で、万太郎は稽古の前にちょっと洞甲斐氏の道場を見に行ってきたと、世話役をやっている門下生に酒の肴として話しをするのでありました。
「それはまた、どう云うわけで行かれたのですか?」
「いやまあ、ちょっとした好奇心と云うのか、気紛れと云うのか」
 万太郎は魂胆の辺りは曖昧に濁すのでありましたが、すると門下生の中に洞甲斐氏の道場の近所に住んでいると云う者が居るのを知るのでありました。これは好都合と万太郎はその者に時々洞甲斐氏の道場の様子を窺って、何時もと違う動きがあるとか、威治前宗家が訪ねた形跡がないかとか少し気にかけておいてくれないかと頼むのでありました。
(続)
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お前の番だ! 512 [お前の番だ! 18 創作]

 その日夜遅く道場に帰り着いてから、居間で徳利と猪口を前に置いて、古代の銅鏡の写真集を開いて寛いでいる是路総士に、万太郎は帰着の挨拶の後で洞甲斐氏の道場を見に行ってきた事を報告するのでありました。食堂でコーヒーを飲んでいたあゆみと来間も、万太郎のその話しに興味を示して、居間の方に寄ってくるのでありました。
「不躾な云い方かも知れませんが、廃屋と云っても云い過ぎではないような古い家で、中で投げ技の稽古でもしようものなら、その衝撃で倒壊しそうな感じでした」
 万太郎は大袈裟な表現ではなく、写実的な表現としてそう云うのでありました。
「この総本部にしても、古いと云う点では人様の道場をあれこれ評するのは烏滸がましいと云うものだが、まあ、つまり荒れ果てたと云った印象だったのかな?」
「そうですね。朽ちるに任せて、手入れも何もされていようでした」
「洞甲斐先生はそこに住んでもいるのでしょう?」
 あゆみが脇から質問するのでありました。
「そうらしいですね。自転車に乗って買い物から帰って来ると思しき洞甲斐先生を道で見かけましたから、確かにあの建物に住んでいらっしゃるのでしょう」
 万太郎はあゆみの方に顔を向けて云うのでありました。
「お前はその洞甲斐さんに挨拶をしたのか?」
「いえ。別に挨拶しても良かったのですが、ひっそりと様子見に云った手前、何となくそれも憚られるような気がして、失礼ながら物陰に隠れて遣り過ごして仕舞いました」
「勿論、威治前宗家は一緒にいらっしゃらなかったのですね?」
 来間が万太郎にやや身を乗り出すような素ぶりをして訊くのでありました。
「ああ。洞甲斐先生一人だった」
「洞甲斐先生と威治前宗家が組んで一派を立てるとしたら、当面はその洞甲斐先生の道場がお二方の活動の拠点となるのでしょうかね?」
「まあ、その方が元手要らずで、手っ取り早くはあるだろうなあ」
 万太郎は来間のその考えに懐疑的な顔をして見せるのでありました。「しかし、八王子を拠点とするのは、威治前宗家にとってはどうなんだろうな。それにあの朽ちかけたような道場を拠り所にするとなると余りに、妙な云い方だが、可哀想な気もするがなあ」
「広さが十六畳だと、確かに拠点道場としては狭いわね」
 あゆみも万太郎の意見に賛同するようでありました。「でもあの二人の事だから、二人で組んで一派を始めたら派勢がすぐに盛んになって、瞬く間に繁盛して、門下生もどんどん集まって来て、早々に新しい広い道場に移れる胸算用でいるのかも知れないわよ」
「おや、あゆみさんにしては珍しく、それは皮肉な云い方ですよね。鳥枝先生がそうおっしゃられるのなら判りますが」
 万太郎はそう云ってあゆみに笑いかけるのでありました。あゆみは万太郎に云われて初めて自分の言葉の棘に気がついたと云うように、少したじろいで見せるのでありました。
「まあ、私としては威治君がこの先そこに現れないで欲しいと願うが」
 是路総士はそう云って猪口を持ち上げるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 513 [お前の番だ! 18 創作]

「しかし威治前宗家としては今のところ、洞甲斐先生と組む以外に向後のとるべき行動がないように思われますが、どんなものでしょう?」
 万太郎は懸念を表明するのでありました。
「洞甲斐さんと組んだとしても、二人がこの後ずっと一緒にやっていける筈がないのは判り切っている。あの二人は武道に求めるものが違い過ぎるし、上辺は糊塗出来ても、実のところ互いに互いの指向を認めあっていると云うのでもない。寧ろ軽蔑しあっていると云える。一時凌ぎに手を組んだとしても、結局は相手に倦んで決別となるのがオチだろうよ。威治君は歳から考えても、そんな迂路でぐずぐずしている暇はないのだがなあ」
「つまりそんな洞甲斐先生と組むしかないところまで、威治さんは追いつめられていると云う事よね、云ってみれば。まあ、自分でそうして仕舞ったんだけど」
 あゆみが云うと是路総士は頷くのでありました。
「ここが実は威治君の正念場だろうが、本人はそれが判っているのかどうだか。・・・」
 是路総士は嘆息するのでありましたが、勿論判ってはいないだろうと万太郎は思うのでありました。自己省察の甘い者は往々にして現状況への認識も甘いし、徒に楽観的でもありますし、威治前宗家は真に典型的なそのタイプの人でありましょうか。
「それに傍目にも、威治前宗家と洞甲斐先生の取りあわせと云うのは、今一つ魅力的には見えません。失礼な云い方ですが、如何にも怪しそうで」
 来間が言葉を挟むのでありました。この来間の不躾とも聞こえる言葉にも、是路総士は微かに頷いて嘆息を漏らしているのでありました。
「まあ、私としては成り行きを見ているしか、今のところ術がないが」
 是路総士は猪口に残っている酒をグイと口の中に流しこむのでありました。何となくそれ以上呑む気も失せたようで、是路総士が空いた猪口を卓の上に置くその音が、どこかきっぱりと飲み終りを宣しているように万太郎には聞こえるのでありました。

 しかしこの是路総士の願いはあっさりと裏切られるのでありました。旬日も経たない或る日曜日に、威治前宗家が八王子の洞甲斐氏の道場に現れたらしいと云う報告が、件の門下生の目撃談として八王子支部の世話役から万太郎に齎されるのでありました。
 その門下生が私用で偶々西八王子駅に行った折、改札口辺で人待ちをしていると思しき、門弟らしきを二人従えた洞甲斐氏を目撃したと云うのであります。その門下生はピンとくるものがあって、暫く離れた処から洞甲斐氏を観察していると、果たして威治前宗家が改札を出てきて、それを洞甲斐氏が満面の笑みで迎えていたとの事でありますした。
 面白い展開になりそうな予感にその門下生が後をつけて見ると、案に違わず一行は洞甲斐氏の道場に足を向け、そこに上がりこんだと云うのであります。道場には他にも十人程度の洞甲斐氏の門弟であろう連中が参集していて、威治前宗家を迎えた道場では内輪で何かの式が地味に執り行われていたようだと云うのでありました。
 恐らくその式とは、威治前宗家と洞甲斐氏で創る新派の結成式であろうかと万太郎は踏むのでありました。愈々是路総士の危惧していた事態が動き出した模様であります。
(続)
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お前の番だ! 514 [お前の番だ! 18 創作]

「愈々、そう云う事になったか」
 一応万太郎が報告に及ぶと、是路総士はそう云って嘆息するのでありました。
「くっつくべきお二人がくっついたと云うのではなく、云ってみれば消去法から残ったお二方が仕方なく組んだと云う様相ですから、早晩離反されるのではないでしょうか?」
「まあ、確かにお前の云う通りにはなるだろう」
 是路総士は一つ頷くのでありました。
「元々敬意がお二人の間にあるわけではないし、この際相手を自分の思惑のために利用してやろうと云う魂胆で一緒になられたのでしょうから、結末はもう知れています」
「威治君にはもうそろそろ、そう云うつまらない迂路に足を突っこまないで、道分さんの遺した正道で地道に研鑽して貰いたいと願うのだが、まあ、なかなかなあ。・・・」
 是路総士の嘆息は止まないのでありました。是路総士としては威治前宗家に見栄や体裁や甘い観測等はきっぱり棄てて、一路武道修行に専念して貰いたいのでありましょう。
 しかしその是路総士の願いは、恐らく叶わないであろうと万太郎は思うのでありました。結局のところ見栄や体裁や甘い観測で軽挙妄動する事が、子供の頃から周りにちやほやされ続けて育った威治前宗家の真骨頂でありましょうし、そう云う性分なんと云うものは余程の事がない限り、なかなかに抜けないもののようでありますから。
 まあ、もう充分に余程の事を味わっただろうとも考えられるのでありますが、要するに懲りないと云うのか、未だ足りないようであります。威治前宗家は自分に纏わってあれこれ生起する色んな事象に対する感受性が、決定的に鈍いのでありましょう。
 だから困った事になかなかめげないのでありますが、しかしこれは反面、うまく機能すれば強みにもなり得るとも思えるのであります。まあ、強みにするためには、偏に省察力と分析力をどれだけ有しているかと云うところにかかっているのでありましょうが。
「もし仮に、あくまでも仮にですが、威治先生が心を入れ替えられて地道で殊勝な態度で総本部の一支部を興そうとされるのなら、総士先生はご協力されるのでしょうか?」
 万太郎はそんな質問をしてみるのでありました。
「それは勿論、そう出来る環境が整えばそうするに吝かではない。何と云っても威治君は私の最良の兄弟弟子たる道分さんの一子なのだから」
 そう応える是路総士の言葉には、実のところ諦めの色あいが濃く滲んでいるように万太郎には聞こえるのでありました。万太郎も陰鬱な気分になるのでありましたが、是路総士のそんな心根を踏まえておくのは、何につけても重要な事だと思うのでありました。
 そうこうしている内に威治前宗家と洞甲斐氏の、慎に困った行状の知らせが万太郎の耳に届くのでありました。これも八王子支部の世話役から齎されたのでありましたが、世話役は憤怒に耐えないと云った語調でその件を電話報告するのでありました。
 威治前宗家と洞甲斐氏が新会派を結成したと云うのは観測の通りでありましたが、あろう事か洞甲斐氏の道場の新しい看板に、常勝流新興堂派、と堂々と大書してあると云うのであります。新興堂派、は別としても、常勝流、の前書きは甚だいただけないと云うもので、是路総士にその名称を使用する許可は取っていないのであります。
(続)
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お前の番だ! 515 [お前の番だ! 18 創作]

 またもや二人で面倒な事をやらかしてくれたものと、万太郎は大いに苦るのでありましたが、これを黙した儘看過するわけにもいかず是路総士に報告するのでありました。是路総士はやれやれと云った面持ちで、思わず失笑を漏らすのでありました。
「如何取り計らえば良いのでしょう?」
 万太郎は是路総士の眉間の縦皺を見ながら訊くのでありました。
「威治君にも洞甲斐さんにも、全く困ったものだな。・・・」
 是路総士はそう呟いて暫し黙るのでありました。「見過ごす事も出来まい。しかしだからと云って大問題にするのもどんなものかな。どうせ威治君も洞甲斐さんも、それが無責任だと思いも寄らず、到って軽い了見で、常勝流、の名前を使ったのだろうからなあ」
「鳥枝先生と寄敷先生にご相談なさいますか?」
 万太郎は電話機の方を横目に見ながら訊くのでありました。
「いや、御両所と相談するとなると事が些か大袈裟になる。穏便に収められるのならそうしたい。要は看板から、常勝流、の前書きを外して貰えばそれで済む事だ」
 確かに鳥枝範士がこれを知ろうものなら頭頂部から湯気を出すのは必定で、威治前宗家と洞甲斐氏の軽率を詰りに詰りまくるでありましょう。ひょっとしたら二人を呼びつけて激しく叱るだけでは飽き足らず、裁判沙汰なんと云う手段も辞さないかも知れません。
「総士先生が直接威治先生に電話されますか?」
 万太郎はまたも電話機の方に横目を向けるのでありました。
「そうだな、ここは一つ折野、お前に働いて貰おう」
「押忍。承ります」
 万太郎は是路総士に向かって、しかつめ顔でお辞儀するのでありました。
「お前、向こうに出向いて行って、私からの詰責として直接二人に非理を諭せ」
「しかし僕如きの云う事を、あのお二人がお聞きになるでしょうか?」
 万太郎は気後れの表情をして見せるのでありました。
「直接に云うのはお前だが、それはあくまでも私の言葉だ」
「押忍。では総士先生のお言葉を伝達致します」
 万太郎はそう云って畏まって、是路総士がこれからものす伝達すべき言葉を待つのでありました。是路総士が口を閉じた儘で暫し何も発しないのは、その伝達すべき言葉を吟味しているからであろうから、万太郎は身じろぎなく待ち続けるのでありました。
「おい折野、何を怖い顔をして黙りこくっているのだ?」
 沈黙の短い時間の後に是路総士が万太郎に訊くのでありました。思わぬ是路総士のこの言葉に、万太郎は気組みを外されて急に間の抜けた顔になるのでありました。
「ええと、総士先生の、お二人に伝達すべき言葉をお待ちしていたのですが。・・・」
「それもお前に任す。良しなに云ってこい」
「その言葉も、僕が任されるのですか?」
「そうだ。私の意を体する言葉で諄々と諭してこい」
「はあ。・・・」
(続)
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お前の番だ! 516 [お前の番だ! 18 創作]

「必要以上に事を荒立ててはいかん。しかし威治君にも洞甲斐さんにも己の無神経と無責任をしっかり納得させて、その上で恥じて看板から、常勝流、の文字を自ら外させるだけの威と説得力は要る。無闇な威圧ではなく二人の心服を得るような諭しをしてこい」
 この是路総士の言葉に万太郎はすっかり悄気るのでありました。それ程の威と説得力がある筈もなく、況や二人の心服を得る等とは以ての外と云えるでありましょう。
「何とも、僕には自信がありませんが。・・・」
「そう云わんで、やってみろ」
 是路総士は微笑むばかりで、万太郎の及び腰に全く取りあおうとしないのでありました。これは総本部道場長補佐としての自分の差配の力量を試す、良いチャンスだと是路総士は考えているのかも知れないと、万太郎は是路総士の内心を忖度するのでありました。
 それにしてもこれは度を越した重任であります。是路総士の配慮と寛恕を、二人の判らんちん共にしっかり納得させる、なんと云うのは至難と云うべきでありましょう。
「総士先生の意を僕が代弁出来るとは到底思われませんが。・・・」
「いや、お前なら出来るだろう。全権委任だから何を云っても構わんし、お前のあの二人への言葉に対しては私が総て責任を負う。この任に充分耐えられると信頼している」
 こう買い被られると万太郎は益々委縮するのでありました。しかし是路総士にここまで云われて怯んでばかりいるようでは男が廃ると、万太郎は一方で思うのでありました。
「まあ、力及ばないかも知れませんが、・・・」
 万太郎は是路総士を一直線に見るのでありました。「出来るだけはやってみます」
「万ちゃんどうしたの、そんな深刻そうな顔をして?」
 師範控えの間から食堂に足取り重く戻って来た万太郎に向かって、あゆみが声をかけるのでありました。万太郎は愛想に少し笑って見せるのでありましたが、その笑いなんてえものは、屹度如何にも鯱張ったものであったでありましょう。
「いや、総士先生に難しい仕事を云いつけられたのです」
 万太郎は頭を掻きながらテーブルのあゆみと向いあう席に腰かけるのでありました。

 あゆみは万太郎が何も云わないのにコーヒーを淹れてくれるのでありました。
「ああどうも、恐れ入ります」
 自分の前にカップが置かれると万太郎はそう云って軽く頭を前に倒すのでありました。しかし何となく心ここに在らずと云った御座なりな語調でありましたか。
「何なの、難しい仕事って?」
 あゆみは今まで座っていた席に腰を下ろすと、両手で頬杖をついて、万太郎の方に少し身を乗り出すような姿勢で訊ねるのでありました。
「前にあゆみさんにはちらっと云ったと思いますが、威治先生と洞甲斐さんが八王子の洞甲斐さんの道場で新会派を立ち上げたのです」
「ああその事。愈々そうなったのね」
「まあ、それは良いのですが、その会派の名称に、些か問題がありまして。・・・」
(続)
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お前の番だ! 517 [お前の番だ! 18 創作]

「問題って?」
 あゆみはもう少し身を乗り出すのでありました。
「会派の名前を、常勝流新興堂派、とつけられたらしいのです」
「ふうん。それは確かに問題あるわね」
 あゆみは眉間に皺を寄せてゆっくり身を引くのでありました。「お父さんの許可も取らずに、常勝流、を名乗るのは如何にも拙いでしょうね」
「そう云う事なのです」
「二人して、その辺の道理とかを知らないのかしらね」
「そうなりますね。威治先生は前に道分先生が亡くなって常勝流から独立される時に、当時の会長さんと総本部にお見えになって、その時の話しの中で、常勝流、の名称は総士先生のお許しがないと、法的にも勝手に使えない事を聞いておられる筈なんですがねえ」
「威治さんがそんな小難しい事をちゃんと聞いている筈ないじゃない、大体自分に不都合な事は、肝心のところだろうと何だろうと、頭になんか入らない人なんだから」
 あゆみはそう云って自分の前のコーヒーカップを取り上げるのでありました。
「で、まあ、困った事になったわけです」
 万太郎も釣られるようにコーヒーカップを手にするのでありました。
「お父さんは威治さんと洞甲斐先生を呼びつけて、その辺を叱るのかしら?」
「いいや、総士先生は事を大袈裟にせずに穏便に済ませたいと云うお考えです。だから鳥枝先生にも寄敷先生にも敢えてお知らせにならないお心算のようです」
「ふうん。・・・で?」
 あゆみは小首を傾げて見せるのでありました。何時も通りなかなか可憐な仕草でありましたが、万太郎は懸案があるために今一つうっとり出来ないのでありました。
「それで、総士先生は僕に八王子まで行って、事理を諭してこいとおっしゃるのです」
「万ちゃんが出向くの?」
 あゆみは今度は瞠目するのでありましたが、これも万太郎の好きなあゆみの表情の一つではあるけれど、見惚れてばかりもいられないのは件の如し、であります。
「そうです。お二人が恥じて自ら、常勝流、の名称を看板から外すように、お二人の心服を得られるような諭しをしてこいとのお達しです」
「あの二人に、恥じる、なんて心情があるのかしら?」
「僕もそう思います。況してや心服を得る等とは、富士山に兎跳びで登るより至難の事だと思います。で、今の僕の深刻そうな顔が出来上がったと云う次第です」
 万太郎は序でに消沈の溜息なんぞを上乗せして見せるのでありました。
「万ちゃんが一人で行くの?」
「そうでしょうね」
「花司馬先生か誰かと一緒に、とかじゃなくて?」
「総士先生は僕一人をお遣わしになるお心算のようです」
「それは上手くないんじゃない?」
(続)
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