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お前の番だ! 399 [お前の番だ! 14 創作]

「道分先生の葬儀の時の印象から、僕はもっと威張りくさった態度で話しあいに臨んでくると思っていましたが、特段そんな風でもありませんでしたね」
「鳥枝さんに端から捲し立てられて、調子が狂ったのだろう」
 寄敷範士がニヤニヤと笑いながら云うのでありました。「まあしかし、今日は大いに不愉快であったろうから、今後何か意趣返しを企むかも知れんな」
「そうだな。ヤツは根が陰湿そうでもあったからな」
 鳥枝範士が頷くのでありました。「まあしかし、一応、ヤツより遥かに大物政治家の名前を面前にかませて牽制はしておいたから、少しは腰が引けるとは思うが」
「鳥枝さんは田羽根増五郎と知り合いなのかい?」
「ああ勿論。ワシの娑婆での仕事柄、色々世話になったり世話したりの間柄だよ。田羽根増五郎は実はワシの大学の先輩でもあるのだ。同時期に在学したわけではないが」
「へえ、そうか。流石に建設会社の会長だけの事はある」
「武道に娑婆っ気を持ちこむのはご法度だが、今次の場合は仕方なかろう」
「しかし鳥枝先生と会長の揶揄合戦は、見応えがありました」
 万太郎がそう云って鳥枝範士に笑いかけるのでありました。
「ああそうかい。もっとヤツを苛々させるからかいが出来なかったかと、今反省していたところだ。次の機会のために、一層この三寸の舌を磨いておかねばならんなあ」
 鳥枝範士は満更、冗談だけとも云えぬ表情をするのでありました。
「それともう一つ思った事は、・・・」
 万太郎はそう云ってから少し云い淀むのでありました。
「何だ? この際次の作戦のためにも、何でも云っておいくれ」
 鳥枝範士が先を促すのでありました。
「まあ何と云うか、鳥枝先生は勿論ですが、寄敷先生も総士先生にしても、遠慮のない云い方ですが結構人が悪い食えない方達だなと、そう云う風に思いました」
「ほう、これまたどうして?」
 寄敷範士が興味津々と云った顔をするのでありました。
「そもそも始めから興堂派を切り捨てる腹積りで、今日の話しあいを設定されたと云うところもそうですが、若先生を追いつめて自爆に誘導するために、鳥枝先生が恫喝の手口、総士先生と寄敷先生がお為ごかしの手口で連携されているところなんかを見ていると、いやあ、何と云うのか、お三方もなかなかに悪人だなあと感心したわけです」
「ふうん、そうか」
 寄敷範士がニヤニヤ笑って頷くのでありました。
「武道家をやっている者なんと云うのは、まあ、実は決まって根はそんな風だよ」
 是路総士が無表情で云うのでありました。
「勝負に於ける騙しあいとか駆け引きとかを何時も考えている、と云う点で、ですか?」
「そうだな。それと自分の技が他に比べてどのくらい凄い威力を持っているかを、何時も最大に気にしている一種の陰険なナルシシストも多いな」
(続)

お前の番だ! 400 [お前の番だ! 14 創作]

「陰険なナルシシストで人が悪いし食えないのが武道家一般なのですか?」
「ま、そうかな。相手に対する優恤がないと云う点で、人が悪いし始末も悪い」
「だから武道では、礼容とか思い遣りとかを特に厳しく云い募るのでしょうか?」
「そう云うところが確かにある。人が悪い陰険なナルシシストである武道家は、先ず自分がそう云う性向を有している事を知るところから始まって、次第に相手に対する優恤とか思い遣りとかを考え始める。そこからその人の武道がようやく始まると云える」
 何やら小難しい話しになってきたと万太郎は眉間に皺を寄せるのでありましたが、是路総士の云わんとしているところは反射的に了解出来たような気がするのでありました。実は是路総士は本心で、威治筆頭教士を何とか救いたいと思っているのかも知れません。
 これは頭の中に思いもよらず突然生じた閃きのような思念であって、これまでの是路総士の言葉からは、はっきりとそうだとも何とも万太郎は云えないのでありますが、何やらそんな確信めいた気がするのでありました。まあ、威治筆頭範士の方に救うに足る器量があるかどうかという点は、かなり疑わしいところではありますが。
「総士先生は若先生を、嫌っておられるわけではないのですよね?」
「勿論嫌いではない。道分さんの息子でもあるし、同じ武道を志す者同士なのだからなあ。威治君は子供の時は、あれでなかなか無邪気な可愛らしい少年だったんだぞ」
「確かに、小さい頃は我儘だけど愛嬌のある、憎めない子供でしたなあ」
 鳥枝範士が懐かしそうな顔をするのでありました。
「そうそう、からかうとムキになって怒るけど、何とも愛らしい怒り様でしたな」
 鳥寄敷士も表情を緩めるのでありました。「何時からあんな風になったかなあ」
「高校入試に失敗した辺りから、何やら妙に依怙地で斜に構えるような素ぶりが見え出したかな。学校なんて何処に行こうが大してどうと云う事はないんだが、あいつはそれで挫折した。強すぎる自尊心が現実を上手く噛み熟せなかったのだろう」
 鳥枝範士はそう云ってまた苦い顔になるのでありました。
「武道にしても、自分の力量がクールに測れなかった。だから周りから大抵、大した事がないくせにやけに尊大なヤツだと思われて仕舞う。それがまた自尊心を傷つける」
「すぐに親父さんと比較されるのも、威治を益々頑なにしたんだろうなあ」
 鳥枝範士は顔を顰めて頷くのでありました。「結局、偉大な武道家の子供として生まれたのが、彼奴の不幸の本源だったと云う事になるかな。まあしかし、それを不幸にして仕舞ったのは、実はアイツ自信の所為という事になるのだが」
「総士先生は、若し若先生がこれまでの経緯を悔いて只管援助を求めてきたら、勿論助ける気はおありなのでしょうねえ?」
 万太郎が訊くのでありました。
「それは勿論、そうしてくれるのなら全力で助ける」
 是路総士は口を引き結んできっぱりと云うのでありました。
「しかし、威治はこの先そんな態度には決して出ないだろうよ」
 鳥枝範士が万太郎に諭すように云うのでありました。
(続)

お前の番だ! 401 [お前の番だ! 14 創作]

「そんな態度に出ない限り、決して助けないのですね?」
「総士先生は常勝流を守るお立場に、先ず、おありになる。威治に限らず、お前でもこのワシでも、若しも常勝流の名前に傷をつけるような事をすれば、容赦なく排除される」
 鳥枝範士は万太郎を強い眼差しで見るのでありました。「情に於いてどうであれ、道統を守るために宗家がなさる事は、何時も明快でなければならんのだ」
 なかなかに厳しいものだと万太郎は腹の中で溜息をつくのでありました。自分なぞは到底そのような立場には立てないでありましょう。
 まあ尤も、若し望んだとしてもそんな立場に立つ卦は、自分には全くないであろうと万太郎は考えるのでありました。将来、その立場に立つ可能性の最も近くに居るのはあゆみでありましょうが、あゆみにはこう云った峻厳な覚悟が持てるでありましょうか。・・・
 さて、この日から四日後に、興堂派会長と威治筆頭範士の連名で総本部に封書が送られてくるのでありました。これは興堂派が以降、常勝流、の冠を外して、武道興堂流、と名を変えて完全に総本部との繋がりを切ると云う宣言の手紙でありました。
 書簡の中で威治筆頭範士は武道興堂流の初代宗家を名乗るとも記してあるのでありました。云ってみれば、是路総士と同等の立場に立つと云う事になるのであります。
 また発起人として会長を始め、幾人かの世間に名の知れた政治家や実業家の名前も書き留めてあるのでありました。この書簡にそれは敢えて記す必要のない事と思われるのでありますが、その中に会長が属する政党の田羽根増五郎幹事長の名前もあって、これは鳥枝範士への当て擦り、或いは逆恫喝の心算で態々書いてきたと思しいのでありました。
 その手紙を是路総士から見せられた鳥枝範士は、後ろの方にある発起人の件を読んだ後、鼻を鳴らして嘲弄の笑みを片頬に浮かべるのでありました。
「発起人の中に田羽根増五郎さんの名前がありますね」
 是路総士は事の序と云った感じで鳥枝範士に云うのでありました。
「そうですな。あの陰険な会長がワシを嬲ろうとして態々書いてきたのでしょう。しかし実は一昨日の夜に、その田羽根さんからワシの家に電話がありましてね、興堂派について色々聞かれましたので、威治の人となりも含めて一通りの情報や経過等はワシから話しておいたのです。会長にたってとせがまれたのでつきあいから一応名前は貸す事にしたが、それ以上に興堂派に深入りする心算は更々ない、と云う言葉を既に貰っております」
「田羽根さんとの仲は、会長より鳥枝さんの方が濃いのですかな?」
「そうですな。学校の先輩で、今は色々と持ちつ持たれつの間柄でもありますから」
 鳥枝範士はそう云って何となく意味有り気に笑うのでありました。「しかしこの様な書状が届くとは思っておりましたが、こうも早く来るとは思いませんでしたなあ」
「あれこれ考えて、常勝流の名称を外しても然して影響はないと判断したのでしょう」
「まあ、この前の話しあいで、云ってみればこちらが追いつめたような按配ですから、こう結論するしか、結局はないと云えばないでしょうからな」
「常勝流の名前を使わない方が、威治君の思い描いている興堂派のこれからの在り方には、寧ろ有利に働くと勘定したのでしょうね」
(続)

お前の番だ! 402 [お前の番だ! 14 創作]

「威治の思い描いているこれからの在り方、なんと云う尤もらしい云い方はそぐわないとワシは思いますな。威治はまともに稽古を積んでこなかったものだから、常勝流の体術も剣術も大して上手くもないのです。親父さんのように常勝流の本道で体裁を張るわけにいかないから、結局際物勝負するしかないと云うだけの話しです。それも大して思慮もしないで、思いつきと浅知恵で捻り出した世間受けしそうな際物で、と云う事でしょうな」
 鳥枝範士は身も蓋もない云い方をするのでありました。
「ま、何れにしても威治君の翻意は、詮ずるところなかったと云う事ですなあ」
 是路総士はやや落胆の口調で云うのでありました。
「こうなれば、早速に広島の須地賀さんに加盟受入れの連絡をせねばなりませんな」
「今日は寄敷さんの予定は、・・・」
 是路総士は座敷の、障子戸の辺りに控えている万太郎の方を見るのでありました。
「押忍。夜に八王子へ出張指導に行かれます」
「向後の打ち合わせをしたいから、少し早い目にこちらに寄って貰えると有難いな」
「そうですね。では電話してみましょう」
 鳥枝範士はそう云って立つと是路総士の後ろに回って、床の間の端に置いてある電話の受話器を取り上げるのでありました。
 寄敷範士は昼稽古が終わった頃に総本部道場にやって来るのでありました。早速の打ちあわせの席には万太郎もあゆみも同席するのでありました。
「広島の須地賀さんにはもう、総士先生の方から加盟受入れの連絡はされたのですね?」
 寄敷範士は来間が持ってきたコーヒーを啜りながら訊くのでありました。
「ええ、もう済ませました。また近々上京して挨拶に伺うとのことでした」
 是路総士もコーヒーを口に運ぶのでありました。
「その折、岡山の黍野段吾さんと徳島の宇津野馬和留さんも帯同するとの事だよ」
 鳥枝範士が云い添えるのでありました。
「ああ、須地賀さんと一緒に離脱した興堂派の支部長だね?」
「興堂派の、元支部長、だ」
 鳥枝範士が訂正するのでありました。「須地賀さんに依ると岡山も徳島も、あれからすぐに離脱届を興堂派に郵送したそうだ。興堂派からは受理するともしないとも云ってはこないらしいが、まあ、放り置かれたと判断して、離脱は完了したと云う判断らしい」
「何も云ってこないのなら、敢えて引き留めない、と云う事になるだろうからね」
「そうだね。どうせそんな風だろうとは思っていたが、長年興堂派を盛り立てた支部に対して、せめて挨拶の一言でもあって然るべきだろうが、まあ、今の興堂派の威治とあの会長にそんな大度を期待しても、端から詮ない話しだろうがな」
「興堂派、ではなく、今は、武道興堂流、です」
 不必要かとは思うのでありましたが、万太郎がそう訂正を入れるのでありました。
「ああそうだ、興堂流か。確かにそんな風な名前だったな」
 そう訂正する鳥枝範士の言葉つきには、多少嘲弄の響きが籠っているのでありました。
(続)

お前の番だ! 403 [お前の番だ! 14 創作]

「長年、道堂派と云い慣わしてきたから、どうもしっくりこないね」
 寄敷範士が、こちらは他意なく笑うのでありました。
「ま、興堂流だか荒唐流だか知らないが、広島と岡山も徳島からも一緒に三下り半を食らうとなると、如何にも体裁が悪かろう。そればかりではなくて痛手でもあろうが、それでも只管無愛想を決めこんで慰留もしないのは、如何にも威治のやる事らしい」
 鳥枝範士が鼻を鳴らして見せるのでありました。
「その三支部ばかりじゃなくて、これから他にも離脱する支部が出るんじゃないかしら」
 あゆみが他人事ながらも心配顔で云うのでありました。
「ま、確実に出るだろう。特に地方の古くからある支部は、挙って離脱するかも知れんな。道分先生の古い門弟達は、その後継に威治を総帥として担ぐ気にはなかなかなれないだろう。道分先生と威治とじゃあ、存在感も信頼感も較べようもないからなあ」
 寄敷範士があゆみの心配顔をより陰らせるのでありました。
「興堂流から離れた支部がウチに所属を求めてきたら、悉く受け入れるのですか?」
 万太郎がコーヒーカップを受け皿に戻しながら訊くのでありました。
「そうせざるを得ないだろう。頼ってきたのに断るわけにもいくまい」
 寄敷範士がコーヒーカップを持ち上げながら云うのでありました。
「八王子の洞甲斐さんみたいな人が所属を求めてきた場合、どうされるのですか?」
「うーん。瞬間活殺法の洞甲斐大先生か。実際は、それはないとは思うが。・・・」
 寄敷範士は困惑顔をするのでありました。
「そんな類はきっぱりと断る」
 鳥枝範士が横から云うのでありました。「当然、今までやってきた稽古の実績や指導者の器量と技量は考査する。ウチに移るに当たっての心懸けもな」
「例えば八王子や新宿みたいに、同じ地域にウチの支部と向こうの支部が両方ある処があるじゃないですか。そう云う場合でも受け入れるのですか?」
「八王子や新宿のように大都市では支部が二つあっても構わんだろうが、地方の狭い地域でとなると、そりゃ確かにあれこれ問題が出そうだな」
 鳥枝範士は腕組みをして小首を傾げるのでありました。
「大都市でも、同じ域内で向こうの支部がウチの看板を急に上げたなら、元からあるウチの支部の方はあんまり面白くないのではないでしょうか?」
「その辺は調整が必要になるだろうな。興堂派の、いや元い、興堂流のゴタゴタにウチの支部は全く無関係なのだから、それが不利益を被るとなると申しわけない。そうかと云って、所属を求めてきたのに無下に断るわけにもいかんからなあ」
「一つ折野とあゆみで、その辺の調整法を考えておいてくれ。誰が考えても妥当でどこからも文句の出ない、如何にもすっきりとした方法を、な」
 寄敷範士が依頼すると云うよりは、そう命じるのでありました。
「お、押忍。承りました」
 万太郎はそう返事するのでありましたが、大いに悩まし気な顔になるのでありました。
(続)

お前の番だ! 404 [お前の番だ! 14 創作]

「ところで話しは変わりまして、花司馬の事なのですが、・・・」
 鳥枝範士が是路総士の方にやや身を乗り出すのでありました。
「ああ、花司馬君ですね」
 是路総士は鳥枝範士の顔を見ながら一つ頷くのでありました。
「興堂派、いや、興堂流とこうなったからには、晴れて花司馬の処遇を変更しても差支えなくなったので、ここら辺で総本部に指導者として迎えては如何でしょう?」
「そうですね。そう致しましょうかな」
「花司馬は鳥枝建設の愛好会でのウケも良くて、面能美とも良好にやっています。花司馬の方があれこれ遠慮して、自分は新参者だからと面能美を立てて、面能美の煩いにならないように諸事に気を遣って、大いに遜った態度で稽古に励んでいますよ。さすがに道分先生が筆頭教士を任せただけの事はあって、なかなか心胆の出来た男です」
「花司馬先生を総本部の指導者に迎えるのですか?」
 あゆみが驚いた顔をするのでありましたが、万太郎の方は鳥枝範士が元々そう取り計らう魂胆なのだろうと推察していたので、さして驚きはしないのでありました。まあ、実はあゆみも何となく既にそう予想していたに違いないでありましょうから、この場合の驚いた顔は一種の言葉の遣り取り上の鳥枝範士に対する愛想と云うものでありましょう。
「そうだ。ずうっと鳥枝建設の社員にしておく心算は、端からない」
「折野もあゆみも、花司馬君を招くのに異存はないか?」
 是路総士が二人の顔を交互に見るのでありました。
「勿論あたしに異存なんてありません」
 あゆみがすぐに応えるのでありました。
「僕も全く異存はありません。花司馬先生にいらしていただけるのなら、返って道場の運営面でも大助かりです。技法についても色々教えていただく事も出来ますし」
 万太郎も同調するのでありました。
「総本部の主たる運営者の二人から許可を貰ったと解釈して良いな?」
「許可なんてそんな烏滸がましい事ではないですが、花司馬先生に加わっていただければ総本部の指導陣に厚みが増しますから、寧ろ好都合と僕は思います」
「よし、これで決まった。明日早速、花司馬にこの件は伝えておこう」
 鳥枝範士はそう云って掌を一つポンと打ち鳴らすのでありました。

 広島と岡山、それに徳島の旧興堂派の支部が総本部への移籍を表明すると、確かに予想された通り総本部への所属替えの流れは加速するのでありました。矢張り威治筆頭範士がやろうとしている新方針は、古い門弟達や地方からの反発が強いのでありました。
 一旦急となった流れは、幾ら財団会長や新宗家が躍起になって堰を高くしても、そう簡単に収拾出来るものではなくて、新しい活路を求めて奔流すると云った様相でありましたか。興堂範士の頃その儘に、威治筆頭教士が花司馬筆頭教士と手を携えて会派運営をしていれば、こうまで激流とはならなかったろうと万太郎は思うのでありました。
(続)

お前の番だ! 405 [お前の番だ! 14 創作]

 しかし威治筆頭範士に興堂範士程の実力も魅力もないのであってみれば、詮ずるところは花司馬筆頭教士頼みとなり、それでは総帥となった実利も甲斐もないと云うものでありましょう。威治筆頭範士が自分より格上で目の上の瘤である花司馬筆頭教士を、まるで追い出すように辞めさせたのでありましたが、こうして辞めさせても威治筆頭範士に思惑通りの実利も甲斐も、結局は転がりこまなかったと云いう事でありますか。
 嘗ての興堂派には日本国内に企業や学校なども含めて、八十を超える支部や団体が直属していたのでありましたし、海外にも二十程の支部を抱えているのでありました。それがあれよあれよと云う間に、関東近辺に二十数支部を残すだけとなるのでありました。
 しかも古くから活動していた支部が挙って抜けて、比較的新興の支部ばかりが残ったのでありました。抜けた国内の支部の内で総本部に新たに誼を結ぼうとするのが、抜けた内の三分の二程、後は独立か解散と云う道を選ぶと云う事になるのでありました。
 海外では離脱の動きは国内程顕著ではないのでありましたが、それは普段から興堂派本部とは地理的条件のために縁遠い活動をしていると云う事情のためでありましょうか。中には目が届かないのを逆手に、既に半独立したような形で自分の団体を率いる支部長もあって、日本国内の動きに鈍感でも然して影響がないと云うところでありましょう。
 要は海外では、興堂範士の名前と純然たる日本古武道の流れを汲む団体であると云う売り文句が最重要なのでありました。でありますから実力や常勝流指導者としての気概とは別物に、全く恣意に、云うなればまるで威治筆頭範士の先を行くように、自分勝手な、或いは自分独自の考えで団体運営をしているようなところが多いからでありましたか。
 それは中には、興堂範士の遺志を大切に守ろうとする団体指導者もいるのでありましたが、そう云うところは大概は独立の道を選ぶのでありました。でありますから、総本部に誼を通じてきたのは海外では二団体に過ぎないのでありました。
 この二団体の海外支部長は一定期間神保町の興堂派道場で修業を積んだ人で、その折に総本部の是路総士とも交流があったのでありました。まあ、そう云う縁がないのなら、海外の支部が敢えて総本部に所属するのを躊躇うのは宜なる哉と云うものであります。
 話しを国内に戻せば、総本部に所属替えを希望する団体は、同じ地域にある総本部系の支部に先ず交誼を求めて、間接的な形で総本部に所属を移そうとするところもあれば、同一域内でも殆ど総本部系と交流がなかった団体等は、直接総本部に連絡を入れてくる場合もあるのでありました。支部経由ならば然程の問題は生じないのでありましたが、そうでない場合は既存の総本部系支部との間で調整が必要となるのでありました。
 寄敷範士にその調整を任された万太郎とあゆみは、新しく所属を求めてくる団体にも既存の支部に対しても、その心証や利害を損なわないような配慮と云う点で大いに苦慮するのでありました。こちらを立てればあちらが立たずの片手落ちな調整なんぞをすれば、総本部の器量を疑われる事になりかねないのでありますから。
 何度か話しあいをするうちに万太郎とあゆみは、先決には既存の支部の不利益を除くと云う点で意見の一致を見るのでありましたが、それはそうでありましょう。前からある総本部系支部が、今回の事態で不利益を被る謂れは何もないのでありますから。
(続)

お前の番だ! 406 [お前の番だ! 14 創作]

 でありますから、同一地域で活動をしている旧興堂派の団体は、原則としては既存の総本部系の支部下に形式上所属して貰って、実体としてはこれまで通りの独立した団体運営を許可するのでありました。これでそこの団体間に友好的な交流が新たに芽生えるのであれば、それは最も万太郎とあゆみが望む調整となるのでありましたが、実際のところはなかなかそうもいかない、個々の地域の事情もあれこれ存在するのでありました。
 例えば旧興堂派の団体を率いる指導者が総本部系の指導者よりも、歳も年季も力量も、それに規模でも上で、しかも活動歴も古いとなれば、格下と見做している団体の傘下に収まるのは、一方ばかりではなく双方にしっくりこないものが残るでありましょう。双方に目の前の現実を受け入れる器量があれば、向後の事は取り敢えず置くとしても、一旦は円満な収拾が図れるのでありますが、そうすんなりとはいかない事もあるのでありました。
 しかし既存の総本部系団体の不利益を回避すると云う前提を、先ずはきっぱりと示す事が旧興堂派団体への明快な態度と思い定めて、万太郎とあゆみはその線から外れない態度で調整に臨むのでありました。後は旧興堂派団体指導者の度量と勘定次第であります。
 そうは云っても折角総本部を頼った旧興堂派の団体に、新参だからと云ってつれなく原則通りを押しつけると云うのも、万太郎もあゆみも情に於いて忍びないところもあるのでありました。興堂派の混乱は云ってみればその団体には不慮の災難でもありますから。
 そう云う場合は、万太郎とあゆみは総本部の誠心誠意を見せるために、手分けして現地に赴く事もあるのでありました。勿論、是路総士の一任を取りつけた上で。
 万太郎とあゆみは日本地図を広げて、毎夜、苦慮の表情で、調整具合を確認するのでありました。調整が成ったところは色鉛筆で赤く塗り潰すのでありますが、地図上に塗り潰しのない未調整の地域がなくなるまでには、三か月と云う時間を要するのでありました。
 ほぼ調整が成った時点で、万太郎とあゆみは首尾を是路総士と鳥枝範士、それに寄敷範士に報告するのでありました。三人は万太郎とあゆみの話しを、途中で何も質問や疑問や自分の思いを差し挟む事なく、黙して謹慎に聞いているのでありました。
「思ったより時間がかかって申しわけありません」
 締めくくりの言葉として万太郎がそう云うのでありました。
「いやいや、何かと扱いの面倒なヤツ等が多い武道の世界で、三か月程で大方の合意を取りつけたのだから、これは大したものだと云えるな」
 珍しく鳥枝範士が万太郎とあゆみを誉めるのでありました。
「しかも結局は、揉めて所属を取り消すところが幾つか出ると思っていたが、移籍を望む団体がほぼ欠ける事なく、こうやって綺麗に纏まったのだから大した手腕だ」
 寄敷範士もやや大袈裟に誉めそやすのでありました。
「まあ、向こうとしても総本部に所属しなければ常勝流の名前を使えないし、孤立した儘でこの先団体を維持するのは至難であるとか、或いは寄らば大樹の陰、と云った気持ちもあったのだろうが、それにしても三か月で一応円満にここまで良く纏められたものだ」
 鳥枝範士が万太郎にニンマリと笑いかけるのでありました。
「いや、二人共ご苦労だった。暫くゆっくり休めと云いたいが、そうもいかんかな」
(続)

お前の番だ! 407 [お前の番だ! 14 創作]

 是路総士がそう云うのは、これですっかり落着したわけではなく、その後も色々と目配りを怠らず状況に注意せよとの命でありましょう。
「この調整結果は花司馬先生のご助力のお蔭でもあります。もしそれがなくてあたし達だけで処理しようとしていたら、ここまで纏まったかどうか判りません」
 あゆみが花司馬筆頭教士、いや、今では花司馬総本部教士の名前を上げるのでありました。花司馬教士はこの度の調整に、大いに手を貸してくれたのでありました。
 花司馬教士の献身的な仲立ちや口添えそれに強い指導力があればこそ、旧興堂派の各団体は万太郎とあゆみの調整を呑んだとも云えるのであります。花司馬教士は必要とあらば万太郎やあゆみの現地訪問に、進んでつきあったりもしてくれたのでありました。
 花司馬教士としても旧興堂派時代に誼のあった各団体のその後の動向には、少なからず気を揉んでいたのでありましょう。それだからこその献身でもありましたか。
 その花司馬教士でありますが、威治筆頭範士と会長連名の断交の手紙が来てから一週間ほど経って、鳥枝範士と一緒に総本部道場に姿を見せるのでありました。その日より総本部道場に身柄を置くと云うので、些か緊張の面持ちをしているのでありました。
「先ずはこの度のご高配に、幾重にも感謝申し上げます」
 花司馬教士はそう云って両手をついて律義な座礼を是路総士に送るのでありました。
「一時の間、稽古以外の煩いが多々ありましたが、これからは常勝流の稽古に励んで、素晴らしい武道家として立ってください。道分さんの遺風を継承すると云う意味でも、花司馬さんなら立派に果たされる事でしょう。これからに大いに期待していますよ」
「身に余る激励のお言葉、胸に刻みます」
 花司馬教士は再び深々とお辞儀するのでありました。
「さて、貴方の処遇だが」
 是路総士は頭を起こした花司馬教士に告げるのでありました。「花司馬さんのこれまでの興堂派での年季と実績に鑑みて、総本部範士補、と云う称号を与えて、総本部の門下生を指導して貰いたいと考えているのだが、それで異存はありませんかな?」
 是路総士に云われて、花司馬教士は居心地悪そうな及び腰を見せるのでありました。
「いや、自分は興堂派では筆頭教士でしたし、総本部に移ってすぐに、範士補、と云う称号は相応しくないと考えます。同じ常勝流とは云え、興堂派と総本部では多少の技術の違いがありますし、総本部の術理をすっかり呑みこんでいるわけでもありませんから」
「しかし私と鳥枝さんや寄敷さんにしても多少の違いはあります。折野だってあゆみだって自儘を消そうとして努力してきましたが、結局残るべき個性は残るのです」
「いやそれでも自分としては、暫くは総本部の技法にしっくり馴染むまでは、見習いと云う了見で修業させていただきたいと考えております」
「見習いが、ウチのあゆみや折野や来間よりも貫録があっては妙だろうよ」
 鳥枝範士が笑い顔で横あいから云うのでありました。
「それは自分が歳嵩であると云うだけで、総本部での修業歴はお三方には及びません」
 花司馬教士は案外、と云うよりは、予想通りなかなか頑固なのでありました。
(続)

お前の番だ! 408 [お前の番だ! 14 創作]

 結局、見習い、と云うわけにもいかず、教士、と云うところで両者は折りあいをつけるのでありました。これは万太郎と同格、筆頭教士のあゆみの下、という席次であります。
 しかもあゆみの総本部道場長、万太郎の道場長補佐と云う役職を加味すれば、平役の花司馬教士は万太郎よりも格下に位置する事になるのであります。花司馬教士は出来るなら教士補の来間の下を希望するくらいの心算だったようでありますが、逆にそれは平に勘弁をと、是路総士と鳥枝範士に丁重に懇願されているのでありました。
 律義で四角四面を尊ぶ如何にも花司馬教士らしい態度だと、障子戸を背にして控えている万太郎は、その遣り取りを不謹慎ながら微笑ましく聞いているのでありました。万太郎の横に座っているあゆみも、窺えば、口元が綻んでいるのでありました。
 花司馬教士が不意に万太郎とあゆみの方へ体ごと向き直るのでありました。花司馬教士は両手を畳に着いて、前屈みの姿勢で二人に対座する形を取るのでありました。
「あゆみ先生、それに折野先生、どうぞこれからよろしくご教導ください」
 花司馬教士の格式張った座礼に、万太郎とあゆみはオロオロと急ぎお辞儀を返すのでありました。万太郎は、折野先生、等と初めて花司馬教士に呼ばれて、無闇に尻の辺りがむず痒くなるのを抑えられないのでありました。
「あのう、花司馬先生、・・・」
 万太郎は頭を恐る々々起こしてから、花司馬教士の顔を仰ぎ見るのでありました。「出来ましたら呼び捨てか、せめて今まで通り君づけくらいで勘弁しては貰えませんか?」
 万太郎が消えも入りそうな声でそう云うのを鳥枝範士が吹き出しそうな顔で見ているのが、万太郎の目の端に映るのでありました。
「いやいや、それはいけません。折野先生は総本部に於いては自分の先輩格に当たりますので、こうして総本部に席を戴いた限りは、弟弟子の了見で努めさせていただきます」
 花司馬教士は揶揄でも何でもなく、断固真面目にそう云ってまたもや格式張って万太郎に座礼するのでありました。万太郎はあたふたと再度礼を返すのでありました。
 どうにも困った事になったと、万太郎は心中で唸るのでありました。花司馬教士の頑固一徹の、しかも生一本の形式重視を持て余しているのであります
「しかし、花司馬先生にそう呼ばれると、僕の尻が痒くなって仕方がありません」
「いや、尻が痒ければ弟弟子の務めとして、何なら自分が掻かせて貰いますが」
「いや、そればかりはどうぞ真っ平ご容赦ください」
「いやいや、兄弟子のためなら何でもするのが弟弟子たる者の覚悟です」
「いやいや、何と云いますか、それでは僕の立つ瀬がないと云うもので、それに第一、僕の尻のどの辺りが痒いかは、本当のところは僕にしか判らない事でもありますから」
 この万太郎と花司馬教士の遣り取りを聞きながら、先ずあゆみが堪え切れずに口を両手で押さえて吹き出すのでありました。それを契機に是路総士も鳥枝範士も大笑するのでありましたが、万太郎と花司馬教士の二人は笑う三人を無表情に眺めるのみでありました。
「花司馬さんと折野は、この先良いコンビになりそうだな」
 笑い収めた是路総士が、未だ口の端に笑いの残滓を留めてそう云うのでありました。
(続)

お前の番だ! 409 [お前の番だ! 14 創作]

「まあ、折野の尻をどっちが掻こうが、それはお前達に任せるから、花司馬、一つよろしくあゆみと折野と協力して総本部を盛り立ててくれ」
 鳥枝範士もやはり笑いの余波を頬に宿した儘で云うのでありました。
「押忍。あらん限りの力を以って努めさせていただきます」
 花司馬教士は鳥枝範士にも格式張ったお辞儀するのでありました。
「花司馬先生、これからよろしくお願い致します」
 これはあゆみの言葉でありますが、そう云う傍から、先程の笑いが再びこみ上げてきたようで、語尾が笑い混じりと化して仕舞うのでありました。
「あゆみ先生、よろしくお引き立てください」
 花司馬教士はあゆみの目を見て慎に真摯な面持ちで云うのでありましたが、花司馬教士と視線があった途端、あゆみがすぐにまた我慢出来ずに吹き出すのでありました。花司馬教士はあゆみの制御不能らしき笑いの発作に困じ果てて、頭を掻くのでありました。
「それから、旧興堂派の多くの支部が今回のゴタゴタに窮して、総本部に援助を求めてきているのだが、その辺の事情は花司馬さんも既にご存知だと思います」
 是路総士が表情と話頭を改めるのでありました。
「押忍。鳥枝先生からも、旧知の支部の連中からもあれこれ聞いております。直接自分の方に相談をしてくる支部長もおりました」
「総本部の支部との兼ねあいもあって、おいそれと無条件に受け入れると云うわけにはいかんので、今折野とあゆみに調整させているところです。こちらの方も二人の力になってやってください。花司馬さんは興堂派の支部長さん達とは旧知なのですからな」
「その件は自分も気になっているところで、これも誠心誠意努めさせていただきます。自分が関わる事で難事がすんなりと決着するとすれば、喜ばしい事でありますから」
「よろしく頼みます。委細は後程、二人と打ちあわせてください」
「押忍。承りました」
 花司馬教士は是路総士に向かって深く頭を下げるのでありました。
 と云う事で前に述べた如く、花司馬教士は万太郎とあゆみの助力に進んで奔走してくれるのでありました。花司馬教士の人望と旧興堂派内に於ける指導力は、威治筆頭教士とは比べものにならない程絶大で、それにその花司馬教士自らが総本部に移ったと云う事実の効果は、旧興堂派支部の不安を取り除く上で大きく作用するのでありました。
 さて、花司馬教士の道場における謹恪な態度は、万太郎やあゆみに不要な負担をかけまいとしてか、実に頭の下がるものがあるのでありました。花司馬教士は万太郎とあゆみに対するに、先生、の尊称を忘れず、如何にも遜った物腰で接するのでありました。
 あゆみは前からそう呼ばれていたので然程抵抗はないようでありましたが、万太郎は自分より歳上で修業歴も長い、前から心服していたその人から急に慇懃な態度を取られる事に大いに閉口するのでありました。万太郎は花司馬教士に、兄弟子弟弟子の関係は絶対だと云うのなら常勝流の中では自分の方が後輩に当たるのだし、余りの遜りは困ると申し入れるのでありましたが、持ち前の頑固さにあっさり撥ね返されるのでありました。
(続)

お前の番だ! 410 [お前の番だ! 14 創作]

「この場合はそうはいきません。総本部の温情に依り末席に連なる事を許された者が、そこに古くから居た方々に不遜であったら、この花司馬の面目が全く立ちません」
 花司馬教士は目を剥いて眉根を寄せて万太郎にそう返すのでありましたが、その大袈裟な物腰に万太郎は心中やれやれと頭を抱えるのでありました。前にあゆみも、先生、は止めてくれと申し入れて、頑なに拒まれたと云う経緯を聞いていたのでありますが、成程この花司馬教士の了見を変えさせるには相当の粘り強い交渉が要るようであります。
 花司馬教士はあゆみや万太郎ばかりではなく、来間に対しても先生と云う尊称をつけるのでありました。これには来間が魂消てオロオロするのでありました。
 思い余ったか、来間はある時万太郎にこの窮状を切々と訴えるのでありました。
「あのう、折野先生、ちょっと良いですか?」
 来間は母屋の食堂で椅子に腰かけている万太郎に背後から声をかけるのでありました。
「おう何だ、来間先生?」
 ふり返った万太郎のその受け応えに、来間は露骨に嫌な顔をするのでありました。
「折野先生まで、花司馬先生の真似は止めてくださいよ」
 来間はそう云いながら万太郎の向いに腰を下ろすのでありました。
「何だ、どうかしたか?」
「実は、その花司馬先生の事なのですが」
 来間はそう云ってその先を喋る事を少し逡巡するのでありました。「別に花司馬先生がどうこうと云うわけじゃないんですが、自分まで先生をつけて呼ばれるのは、何と云いますか、自分としては非常に困るんですけど。・・・」
「ああ、その事か」
「自分如きにまで先生つきで敬語で話されたりすると、自分の方は花司馬先生にどう話し返して良いものやら、まごついて仕方ありません」
「こうなったら花司馬先生に対しては、名前呼び捨ての命令口調で良いんじゃないか」
「茶化さないでくださいよ。これは冗談で云っているのではないのです」
 来間は万太郎をげんなり顔で睨むのでありました。
「ま、それは実は俺も困っているんだが。・・・」
「折野先生から花司馬先生に、どうぞご勘弁をと話して貰うわけにはいきませんか?」
「もう話したよ。しかし花司馬先生に依るとそれ絶対ダメなんだそうだ」
「そこをもう一度」
 来間は万太郎に合掌して見せるのでありました。
「二人して、何を深刻な顔で話しているの?」
 食堂に入ってきたあゆみがテーブルの二人に話しかけるのでありました。
「ああ、あゆみ先生」
 来間はそう云って立ち上がるのでありました。
「来間が花司馬先生に、来間先生、と呼びかけられるのが困ると訴えているのです」
 万太郎は横の席に座りかけるあゆみに云うのでありました。
(続)

お前の番だ! 411 [お前の番だ! 14 創作]

「あゆみ先生は前から花司馬先生に、先生をつけて呼ばれていらっしゃいますけど、そう云う呼び方を納得されていますか?」
 来間があゆみの方に深刻顔を向けるのでありました。
「納得しているわけじゃないけど、もう拘らないようにしているの」
「俺は納得する途上にあるかな、云ってみれば」
 万太郎が背凭れから上体を起こしながら来間に云うのでありました。
「しかし、常勝流の大先輩である花司馬先生が僕等をそう呼ぶのは、如何にも不自然で、落ち着きの悪い事態だと自分は思うのです」
 来間は力説するのでありました。「ここは矢張り年季の順を守って、まあ、お二人の事はさて置いて、少なくとも自分の事は呼び捨てにしていただかないと」
「さて置かないで、俺もそっちの方に入れろ」
 万太郎は冗談っぽくそう云って情けなさそうな顔をして見せるのでありました。
「折野先生、自分は本気で訴えているのですよ」
 来間は万太郎の不謹慎な態度に大袈裟に不快感を示すのでありました。
「注連ちゃんもあたしを、あゆみさん、と呼んでいたのに、いつの間にか、あゆみ先生、なんって最近は呼んでいるじゃない」
「それは道場長補佐の折野先生を先生と呼んで、道場長のあゆみ先生を先生と呼ばないのはおかしいと思ったからです」
「ああ成程。それなりの理由はあるわけね。でも自然か不自然かは別にして、花司馬先生にもそれなりの理由があって、注連ちゃんを先生と呼んでいるんじゃないの」
「この場合、自然である事が大事なのです」
「それなら来間、俺に頼まないで自分で呼び捨てにしてくれと花司馬先生を説得しろ。まあ、序に俺も呼び捨てにしてくれと云い添えてくれたら助かる」
 万太郎がそう云うと、来間は急に及び腰になるのでありました。
「え、自分が云うのですか?」
「序の序に、あたしの呼び捨ての件もよろしく云ってくれる?」
 あゆみが万太郎に同調するのでありました。
「いやあ、僕が云うのは、後輩としての遠慮がなさ過ぎると云うか、何と云うか。・・・」
「花司馬先生にそう云うのは、なかなか億劫でしょう?」
「億劫でしんどそうです」
 来間はあゆみから目を逸らすのでありました。
「だからこちらで拘らないようにするのが得策なのよ。ひょっとしたらその内、状況が変われば花司馬先生の考えも変わるかも知れないから、それを期待して」
「いっその事、指導部全員で、お互いに相手を先生と呼びあうと云うのはどうですか?」
 万太郎はあくまで茶化す態度であります。
「成程、それも一策ではあるわね」
 今度はあゆみが万太郎の茶々に同調するのでありました。
(続)

お前の番だ! 412 [お前の番だ! 14 創作]

「そう云うのは、絶対止しましょうよ」
 来間は大いにたじろぐのでありました。
「まあ、それは冗談として、折があったら注連ちゃんの思いは、お父さんにそれとなく云っておくわ。お父さんはだからと云って、笑うだけで何もしないかも知れないけど」
「よろしくお願いします」
 来間はあゆみに一縷の望みを託して合掌するのでありました。
 結局、来間の尻がむず痒いところのこの件は、是路総士から花司馬教士に伝えられて、今度は尻を自分が掻こう等とは特に云い出さないで、花司馬教士は来間に関しては、君づけ、と云う妥協策で折りあうのでありました。しかし万太郎とあゆみに関しては断固譲らず、将来の総本部を背負うべき人に無礼はなりませんと、先生づけを止めない方針を是路総士に明らかにするのでありましたが、是路総士はここまで妥協を引き出すのが自分の力の限界であると、これ以上の説得を諦めてあっさり引き下がったようであります。
 是路総士に説得を諦めさせるとは、花司馬教士の頑固一徹、慎に恐るべし、でありますが、この話しを漏れ聞いた鳥枝範士と寄敷範士が、それ以降時々万太郎とあゆみを面白半分に先生づけで呼ぶようになったのは、これは困った誤算でありました。ま、来間の態度に不謹慎であったための天罰だと云えなくもないでありましょうか。
 こんな花司馬教士でありますが、序につけ加えれば、花司馬教士は心機一転の意気ごみを示すため、一家して調布の道場近くに引っ越して来るのでありました。総本部の一員となった事に対するその志操の程は、慎に以って敬すべしであります。

 花司馬教士はすぐにも総本部道場の中心指導をと云う万太郎やあゆみ、それに是路総士の企図に対して、慇懃に辞退を申し入れるのでありました。自分は未だ興堂派の技法に染まっている儘で、それは総本部の技法とは微妙な差異があるから、そんな状態で中心指導をすれば門下生が混乱する事になるに違いないと云うのがその理由でありました。
 花司馬教士は興堂派での自分の技量をすっかりさて置いた態度で、総本部の技法を吸収するために直向きに稽古に打ちこむのでありました。また稽古中に感じた少しの疑問も疎かにせず、稽古後には万太郎やあゆみを捉まえて確認を取るのでありました。
 でありますから、自然に夜の内弟子稽古の場が技法の細かなお浚いの場と化すのでありました。しかしこれは万太郎やあゆみ、それに来間や他の準内弟子達にとっても、今まで曖昧な儘にしていた技法上の疑問を、細かなところに到るまで明確化統一化して、言語化するための実に有益な稽古となるのでありました。
 流派における技法の統一や深化のためには、こう云った稽古が必ず要るのでありましょうし、こういう稽古を半年程積む内に、当然自身の直向きさと、既に技術に熟達していたところもあって、花司馬教士は総本部の技法やその依って立つ考え方にすっかり溶けこむのでありました。まあ、その態度の堅苦しさは然程変化なさそうではありましたが。
 この間、興堂派改め武道興堂流の動静はと云うと、本部道場を神保町から葛西の外れの方に移すのでありました。家作も随分小ぢんまりした構えのようであります。
(続)

お前の番だ! 413 [お前の番だ! 14 創作]

 支部数が約三分の一になり、本部道場の門下生も相当数減ったようで、神保町の道場を維持するのに支障を来たしたためでありましょう。これは威治筆頭範士、今現在は宗家と称しているようでありますが、その威治宗家の自業自得と云うものであります。
 道分興堂の興堂流、と自流の冠に必ず興堂範士の名前をつけて呼び慣わそうとしているのは、もうすっかり興堂範士の威名頼みと云う風情で、威治宗家では世の耳目を引かないし、門下生もさっぱり集まらないと云うのが現実なのでありましょうか。
 最近総本部道場に移って来た旧興堂流の門下生辺りから漏れ聞くところに依れば、葛西の新道場は借家との事で、畳の数で云えば五十畳程、後は小さな受付部屋に数人の指導員等が屯しているとの事であります。他には六畳程の男女の更衣室、それに威治宗家専用の宗家部屋があるくらいで、神保町にあった興堂派道場が広い玄関を持つ自前の鉄筋コンクリート二階建てで、百畳程の大道場の他に三十畳の小道場もあり、後は受付部屋、指導員室、興堂範士が居た師範控えの間、内弟子達の合宿部屋、シャワーつきの男女更衣室、それに食堂を備えていたのに比べれば、随分様変わりしたと云えるでありましょう。
 受付部屋の顔ぶれも、板場や堂下は良いとして、他は例の瞬間活殺法の先生に空手や柔道界の溢れ者先生達で、これがまた稽古着の着方が到ってだらしのない、やけに脂の浮いた顔を厳めしく装った連中で、何やら破落戸の巣窟と云った様相のようであります。こう云う事を聞くと、凋落の一途、と云う言葉が万太郎の頭の中に浮かぶのでありました。
 また、旧興堂派の多くの支部が総本部の傘下に移ったのは、興堂範士の突然の他界に巧みに便乗した、総本部の陰湿な策謀があったためだと云う流言が流布しているようなのでありました。まるで興堂流の衰退は総本部の悪辣な目論見であるかのような、この噂の出処なんと云うものはほぼ推察はつくのでありましたが、こう云う無責任な浮説を流布させようと陰謀する辺りも、興堂流の凋落の明らかな兆候と云えるでありましょうか。
 この噂に万太郎と花司馬教士は憤慨するのでありましたが、是路総士は恬淡としているのでありました。それから鳥枝範士も寄敷範士も、皮肉な笑いを浮かべて舌打ちはするものの、こちらの二人も特段その噂に感情を昂じさせる事はないようでありました。
 鳥枝範士までもがこうも呑気にしているのは解せないのであります。万太郎と花司馬教士は何か対策を講じる必要があるのではないかと談判に及ぶのでありました。
「豎子は相手にしないのが一番の方策だ」
 鳥枝範士は全く歯牙にもかけていない様子でありました。
「しかし有る事ない事云いたい放題を放置しておくのも、あの威治の事ですから益々増長して、言説がエスカレートして仕舞うのではないでしょうか?」
 花司馬教士が危惧を表明するのでありました。
「増長すればする程、返って足元が疎かになって勝手に転倒するだろうよ」
「確かに噂の真偽は少し調べればすぐに判る事ですが、調べもしないで尻馬に乗る騒ぎ屋連中も出てくる事が考えられます」
「そいつらにしても、結局のところはお里が知れると云うだけだ。そんな下らん噂に律義にかかずらっていないで、折野も花司馬も淡々と自分の稽古に打ちこめ」
(続)
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