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お前の番だ! 369 [お前の番だ! 13 創作]

 花司馬筆頭教士は慎に謙遜な言葉でその志望を述べるのでありました。
「相判った。しかし明日から総本部に来て貰ってもこちらとしては一向に構わんのだが、性急に事を運んで、威治のヤツに下らぬ謗言を許して仕舞ってもつまらんからなあ」
 鳥枝範士がそう云って腕組みするのでありました。
「自分としては、何処かで小ぢんまりと地道に、少数の同じ愛好の仲間達と稽古が出来ればそれで構わないのです。稽古が続けられるなら、それで充分なのですから」
 この花司馬筆頭教士の言は、無二の師匠と仰いだ興堂範士を失った空虚感とか、これは一方的に仕かけられてきたものではありますが、その後に続いた威治教士や会長との、気の滅入るような興堂派のヘゲモニーをめぐる暗闘に疲れて、気持ちが萎えている今現在の心境から発せられた一種の遁辞でありましょう。それにまた、こよなく愛した興堂派が衰微の危機にあると云うのに、それを見捨てて去ろうとする自分の負い目、己の無力さや情けなさ等の交々が、こんな隠遁的な言葉を此の人をして口走らせているのでありましょう。
「いやいや、お前には常勝流武道が興隆するための、推進者の側になって貰わねば困る」
 これは鳥枝範士の激励の言でありますか。
「身に余る有難いお言葉を感謝いたします」
 花司馬筆頭教士はそう云って鳥枝範士に頭を下げるのでありました。ちょうどそこに、あゆみと来間が燗の日本酒と肴を持って現れるのでありました。
「今お寿司を頼んでいますので、それが来るまでは子供騙しのようなつまらない肴ですが、これで我慢して暫く飲んでいてください」
 あゆみが徳利と夫々の猪口と急ぎ拵えた肴を来間と一緒に卓上に並べながら云うのでありました。あゆみがもの云うと、急にしめやかだった座敷の中が華やぐのでありました。
「いや、無調法にもこんな時間に出し抜けにお邪魔して、あゆみ先生には余計な手間をおかけしたようで、慎に申しわけありません」
 花司馬筆頭教士はあゆみに律義なお辞儀をするのでありました。
「いえ、とんでもありません。あたしが作った物なんかお口にあわないかも知れませんが、お寿司が来るまで我慢して食べていてくださいね」
「いやあ、道分先生とこちらに出張指導にお邪魔した折に偶にご馳走に与りましたが、どうしてどうして、あゆみ先生の手料理はどれも大変美味しかったです。道分先生もあゆみ先生の手料理を何時も楽しみにしていらっしゃいました」
「道分さんは奥さんを早く亡くされたからか、こんなような普通の家庭料理がお好きでしたなあ。お世辞もあるにしろ、あゆみも随分誉められたよなあ」
 是路総士がその折の情景を懐かしがるようにあゆみに笑みかけるのでありました。あゆみも在りし日の興堂範士を偲んで、寂し気な笑みをして静かに頷くのでありました。
「花司馬君、まあ一献」
 是路総士が徳利を持って花司馬筆頭教士に差し出すのでありました。
「は、有難うございます」
 花司馬筆頭教士は答礼して、両手で恭しく猪口を持って前に差し出すのでありました。
(続)
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お前の番だ! 370 [お前の番だ! 13 創作]

「今日は花司馬君のこれまでの働きに対する慰労会と云う事にして、折野もあゆみも来間も、夫々濃淡はあるにしろ花司馬君と交流があったのだから、大いに楽しくやれ」
 花司馬筆頭教士の猪口に酒を注ぎ終わった是路総士が云うのでありました。万太郎とあゆみは偶にこのような席に連なる事もありましたが、来間はその日初めて是路総士と鳥枝範士、それに興堂派の筆頭教士と云う重鎮とのくだけた酒宴に同席の栄を賜ったので、逆に緊張で全くくだけない面持ちで花司馬筆頭教士から酌をして貰っているのでありました。
「若しも花司馬先生が何処かで常勝流の道場を開かれるなら、興堂派の現状に不満を持つ門下生達が大挙して押し寄せて来るでしょうね」
 幾つか花司馬筆頭教士と杯の遣り取りをした万太郎が云うのでありました。
「それは屹度そうね。興堂派本部よりも盛況になるんじゃないかしら」
 あゆみが頷くのでありました。
「そりゃあ威治のヤツに習うより、余程本格的な稽古が出来るからな」
 鳥枝範士も頷くのでありました。
「いや、辞めてすぐに自分の道場を、まあ、何処かの体育館を借りて同好会と云う形ででも開いたりするのは、何やら慎みのない所業のようで、今現在は躊躇いがありますね」
「慎みがないとは、誰に対して慎みがないのか?」
 鳥枝範士が猪口をグイと空けてから訊くのでありました。
「まあ、興堂派に対して、と云う事になりましょうか」
 花司馬筆頭教士は徳利を取って空いた鳥枝範士の猪口に酒を注ぐのでありました。
「辞めた以上、何の遠慮が要るものか」
「しかしまあ、地下の道分先生に対しても申しわけが立たないようで。・・・」
「お前の意志や都合で辞めたのではなくて、云ってみれば向こうに無理強いに辞めさせられるようなものなのだから、引け目を感じる必要は何もない」
「でも、形としては自分が辞表を出すのですから、自分の自己都合です」
「形がそうであっても、そう仕向けられたと云う事情は誰でも知っている」
「敢えて事を構えるような真似はしたくないと云う、花司馬君の気持ちでしょうよ」
 是路総士が鳥枝範士の指嗾するような言葉をやんわり制するのでありました。
「そりゃあ態々角を立てるような挑発的な真似は返って損かも知れませんし、得策とは云えないかも知れませんが、彼奴等の思う儘に事を許しておくと、常勝流そのものの品格を世間から疑われて仕舞います。延いては総士先生の名折れともなります」
「まあ、興堂派は我々とは別流派ですからなあ」
「それはそうですが、そうなれば全く無関係だと云う事を世間に知らしめるためにも、常勝流の名前を使わせないようにしなければなりません。奴等と同じ流派だと思われるだけで、胸糞が悪くなるし迷惑ですぞ。こうなれば一番、総本部として強く出ないと」
「まあまあ、そう熱り立たないでください」
 是路総士はそう云いながら鳥枝範士の猪口に酒を差すのでありました。
「ああこれはどうも、恐れ入ります」
(続)
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お前の番だ! 371 [お前の番だ! 13 創作]

 鳥枝範士は急に謹慎な風情で背を丸めて首を垂れて、是路総士の酌を受けるのでありました。その急変が面白かったのか、あゆみが口に掌を当てて笑うのでありました。
「何か可笑しいか、あゆみ?」
 鳥枝範士はあゆみを横目で睨むのでありました。
「鳥枝先生、高血圧で病院に入院、と云う事態だけはくれぐれも用心してくださいね」
 あゆみはそう云ってもう一度笑い声を立てるのでありました。
「なあに、すぐに熱り立って見せるのは、実は鳥枝さんの素ぶりであって、本当は全く冷静なんだよ。ま、座の盛り上がりを促すための、云ってみれば愛想やサービスの一環だ」
 是路総士がそう云って笑うのでありました。
「総士先生、元帳を披露されては困ります」
 鳥枝範士は照れ臭そうに頭を掻くのでありました。「いやしかし、自派の呼称に常勝流の名前を冠していながら総本部を蔑ろにする事は、実際のところ看過出来ません。こうなれば一度は、総士先生の御出馬をお願いする事になるかも知れませんなあ」
「花司馬君の次は、私を唆そうと云うので?」
 是路総士はそう云って鳥枝範士に笑みかけるのでありました。
「いやいや、滅相もない」
 鳥枝範士は慌てて掌を横にふるのでありました。
「まあ、もう少し向こうの出方を待ちましょう。威治君には会長がついているのだし、幾ら政界の寝業師と云われた人でも、いや寧ろそうであるからこそ、無用に義理や礼儀を欠いて、態々相手につけこむ隙を与えたりするような無意味な真似はしないでしょうから」
「ま、総士先生がそう云われるのなら」
 鳥枝範士は自説を取り敢えず懐に仕舞うのでありました。
「ところで最近、総本部の様子は如何ですか? 興堂派からこちらに移って来る門下生が急に増えたりはしていないでしょうか?」
 花司馬筆頭教士が少し話しの舳先を変えるのでありました。
「まあ、幾らかはそう云う報告が支部から来ていますかな。総本部にも興堂派でやっていたと云う人が見学やらに見えるケースも、若干増えはしましたかな」
 是路総士がそう語るのを聞きながら、万太郎は先日来た宇津利益雄の事を思い浮かべるのでありました。宇津利の来訪は、興堂派から総本部へ移籍しようとする門下生の大量流入の、先触れのようなものであろうと万太郎は考えているのでありました。
 そうなると向こうが見れば興堂派内部のゴタゴタにつけこんで、総本部が漁父の利を占めたと見えるかも知れないのであります。冷静に見ればそんな事は云いがかり以上では勿論ないのでありますが、あの威治教士ならそんな僻目は得意でありましょうから。
 結局総本部までもが興堂派のゴタゴタに巻きこまれる事になると云うのは、これはもう間尺にもあわないと云うものでありますが、かと云って総本部に行先を求めた興堂派の門下生達を無下に門前払いするのも無責任と云うものでありましょう。万太郎は未だ起こってもいない難事に想像を回らして、秘かにたじろいでいるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 372 [お前の番だ! 13 創作]

「板場君や堂下君はどうしているのかい?」
 是路総士が花司馬筆頭教士の酌を受けながら訊くのでありました。
「板場はあの通り生真面目一辺倒なヤツですから、右往左往しながらも興堂派に留まって、道分先生の後継である威治教士のために尽くそうとしています。堂下は未だ威治教士にもの申す程の経験も実績もありませんから、こちらも取り敢えずは威治教士の威令に背ける筈もありません。二人共、見ていると気の毒になってくるくらいです」
 花司馬筆頭教士は自分が威治教士に受けた気の毒な仕打ちはさて置いて、二人の弟内弟子に同情を寄せるのでありました。
「そうすると、花司馬が辞めるのに同調するわけではないのだな、二人共?」
 鳥枝範士が花司馬筆頭教士に徳利を差し出すのでありました。
「そうでしょうね。第一あの二人に辞められると、今の興堂派は指導の体裁が全く取れなくなってしまします。あの二人だけは、威治教士もまさか辞めさせないでしょう」
「まあ、花司馬は威治に逆らえるが、あの二人は未だ逆らえないからな。道場に残しておいても、威治の目障りになるような存在ではないだろうし。しかし指導の体裁と云う点で云えば、元内弟子落伍者とか、瞬間活殺法の先生とかが来ているのだろう?」
 鳥枝範士にそう云われて、花司馬筆頭教士は苦笑いを浮かべるのでありました。
「まあそうですが、長年に亘って道分先生の薫陶を受けた人達ではありませんから。・・・」
「花司馬君自身はこの後一先ず、具体的にはどうするつもりだい?」
 是路総士がそう云いながら、先程から話しに加わるのを遠慮して、当然同じ遠慮から一向に酒も進まない、座卓の端で小さくなっている来間に徳利を差し出すのでありました。来間は慌てて、先程の鳥枝範士よりも一層謹慎そうに両手で自分の猪口を差し出すのでありましたが、まさか是路総士にお酌して貰うとは思ってもみなかったでありましょう。
「来間、それを飲んだら寿司が遅いから、もう一度電話して催促してこい」
 鳥枝範士が猪口を捧げ持つ来間に命じるのでありました。
「押忍。すぐに電話して参ります」
 来間は一息で猪口の中を干すと、急いで師範控えの間から退出するのでありました。
「さて、花司馬君、興堂派を辞めた後、何か収入の当てはあるのかい?」
 是路総士が花司馬筆頭教士に訊くのでありました。
「いやあ、すぐには。まあ、少しですが蓄えもありますからそれで食い繋ぎながら、折を見て職安にでも行って、自分に出来る仕事を探しますよ」
「しかし花司馬君は妻子持ちだから、そう悠長にはしておられんのだろう?」
「それはそうですが、何とかなるでしょう」
「花司馬は武道以外に何か就職に有用な資格を持っているとか、特技とかあるのか?」
 今度は鳥枝範士が訊くのでありました。
「いや何もありません。しかしこの鍛えた体がありますから」
 花司馬筆頭教士はそう云って自分の胸を拳で一つ打つのでありました。その仕草を鳥枝範士は懐疑的な目で見遣るのでありました。
(続)
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お前の番だ! 373 [お前の番だ! 13 創作]

「お前みたいな武道一辺倒で今まで来たヤツが、この世知辛い世の中でおいそれと適当な仕事なんか見つからないぞ。そうは思わんか?」
「そうかも知れませんが、いざとなったら立ちん坊でも何でもします」
「そうか。しかしどうせ立ちん坊をする覚悟があるのなら、この際ウチに来ないか?」
「ウチ、と云われますと?」
 花司馬筆頭教士は鳥枝範士を真顔で見るのでありました。
「いや、総本部道場に来いと云っているのではなく、鳥枝建設の方だ」
「ええと、鳥枝建設で立ちん坊をさせていただけるのですか?」
「そうじゃない。鳥枝建設の社員にならないかと云っておるのだ」
 そう聞いて花司馬筆頭教士の眉宇が一瞬開くのでありました。
「この自分が、鳥枝建設の社員に、ですか?」
「何だ、鳥枝建設では不足か?」
「いえ、とんでもありません」
 花司馬筆頭教士は慌ててせわしなく首と両掌を横に何度もふるのでありました。「それは思いもかけなかった有難いお誘いではありますが、しかし鳥枝先生からこの自分如きが、そんなご高配を頂戴してもよろしいのでしょうか?」
「なあに構わんよ。それに鳥枝建設には常勝流の愛好会があるから、そこで興堂派のゴタゴタが落ち着くまで、暫く体熟し程度だが常勝流をやっておれ。ま、将来に亘ってずっと鳥枝建設の常勝流愛好会に居て貰う心算ではないんだがな」
 鳥枝範士はここで意味深長にニヤリと笑うのでありました。
「ああそれは良い。鳥枝さんのご厚意にこの際その身を預けるのも一手ではある」
 是路総士が何度も頷くのでありました。
「鳥枝先生のご迷惑にはならないのでしょうか?」
 花司馬筆頭教士は恐懼の面持ちで訊ねるのでありました。
「前にウチに入れた面能美の場合もそうだが、常勝流の内弟子をしていたヤツは滅多な事で音をあげないし、どんなキツイ仕事でも黙々と仕遂げるから、社内の受けは頗る良いんだ。ちなみに面能美は、今は秘書室主務と云う役職についている。この頃は海外での現場視察を取締役に代わって任されたりして、大いに活躍しているよ」
「ああ、前に神保町にも定期的に稽古に来ていた、あの面能美君ですね?」
「そうだ。面能美は鳥枝建設の常勝流愛好会の責任者にもなっていて、花司馬が来てくれれば大助かりだろうよ。彼奴はこの頃国内外の出張も多いので、時々稽古に穴をあけなければならんが、そういう時に花司馬がいてくれると指導を代わって貰えるからな」
「花司馬君が指導するなら、面能美より良い指導が出来るだろう。愛好会の会員さんも、その方が返って好都合、と云った按配になるかも知れない」
 是路総士が満更冗談でもない口ぶりで云って、またもや何度も頷くのでありました。
「しかし自分が入ると、面能美君が色々やり難くなるのじゃないでしょうか?」
 花司馬筆頭教士はそうなった場合の危惧を遠慮がちに述べるのでありました。
(続)
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お前の番だ! 374 [お前の番だ! 13 創作]

「いや、面能美はそんな器量の狭いヤツじゃない」
 鳥枝範士がそう云ってあっけらかんと笑うのでありました。この言葉からも、良平が会社で鳥枝範士に大いに買われ、期待されているのが判ると云うものであります。
「良さんはさっぱりした人柄ですから、屹度花司馬先生を大歓迎すると思いますよ」
 万太郎が脇から控えめに口を挟むのでありました。
「あたしもそう思います」
 あゆみが万太郎の言に同調するのでありました。
「まあ、さっきも云ったように、お前を何時までも鳥枝建設の愛好会で燻らせている心算はないよ、ワシは。まあ、今はこれ以上、特に何も云わん方が良かろうから云わんがね」
 鳥枝範士はまたも意味有り気に笑うのでありました。万太郎が察するところ、鳥枝範士は花司馬筆頭教士を将来、諸事が落ち着くところに落ち着いたら、総本部の指導者として正式に招聘するか、或いは興堂派から離れた門下生達の受け皿として、総本部の下で支部を結成させて、そこの指導と運営の一切を取り仕切らせる心算なのでありましょう。
 確かにそうすれば、花司馬筆頭教士の一身も立つし、鳥枝範士の武道上の愛兄であり、傑出した武道家でもあった興堂範士の残した技術を、この先継承していく場も確保されると云うものであります。鳥枝範士が花司馬筆頭教士を一先ず鳥枝建設の方に引き取ると云うのは、そう云う見取り図のための最初の布石と云う意味があるのでありましょう。
 つまり威治教士では興堂範士の武道の後継者としては不適合と、鳥枝範士が見切りをつけたと云う事であります。是路総士もこの鳥枝範士の処置に賛意を示したわけでありますから、こちらも威治教士を見限ったと云う事になるでありましょうか。
「押忍。ようやく寿司が来ました」
 廊下から来間の声がするのでありました。
「おう、待ちかねた。持ってこい」
 鳥枝範士が応えるのでありました。万太郎とあゆみが急ぎ立つのは、寿司を師範控えの間に運ぶ来間を手伝うためと、徳利のお代わりを持ってくるためでありました。
「折野、明日で構わんから寿司屋に電話して、オマエんところは寿司の注文が来た後で、ネタの仕入れに魚釣りにでも出かけているのか、と云う皮肉と、この鳥枝に不行き届きな真似をしていると出入り禁止にするからな、と云う脅し文句を、一応垂れておけ」
「押忍。承りました」
 万太郎は真顔で鳥枝範士にそう返事して、まるで寿司屋に成り変わってするような深いお辞儀をしてから、そそくさと座敷を後にするのでありました。まあ、万太郎は別に次の日に電話などしないし、一応鳥枝範士の命令だから仙川駅前商店街に行った折に、その道場懇意の寿司屋にちらと立ち寄って、冗談口調で角もなく、そう云えばこの前鳥枝範士が寿司が来るのが遅いと頭から湯気を立てていたと、店主に笑話する程度でありますが。
 寿司屋の亭主は鳥枝範士の気性を知っているから、それは済まない、良しなに取り成しておいてくれと半笑いで謝りを云うでありましょう。万太郎が寿司屋にすべき抗議の緩い態度も寿司屋の軽い受け応えも、実のところ鳥枝範士は既に承知の筈でありましょうし。
(続)
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お前の番だ! 375 [お前の番だ! 13 創作]

 花司馬筆頭教士のこの慰労会は、日を跨いでも続くのでありました。今後の身のふり方に目途が立ったためか、花司馬筆頭教士は来た時の固い表情とは裏腹に、大いに安堵した面持ちで注がれる儘に猪口を傾けるのでありました。
「明日も稽古があるでしょうから、そろそろ自分はお暇します」
 気を遣ってそう云う花司馬筆頭教士をイケる口の鳥枝範士が無理強いに引き留めて、来間に徳利の更なるお代わりを何度も命じるのでありました。身の立つように取り計らってくれようと云う鳥枝範士の慰留を、花司馬筆頭教士としては無下に退ける事も出来ないだろうし、鳥枝範士と同様イケる口である花司馬筆頭教士でありますから、無下に退ける意志も薄弱と云うところで、この酒宴はいつ果てるともなく続くと云う寸法であります。
 気の毒なのは一番下っ端の来間で、鳥枝範士にいつ何時、用を云いつけられても即応すべく緊張の面持ちを解けずにいるのでありました。だから来間は酒精に負けて舟を漕ぐのも儘ならず、疲れたから寝ると内弟子部屋に勝手に引き上げる事も出来ず、しかし酒はどんどん注がれるわで、下っ端内弟子の悲哀を大いに堪能した事でありましょう。

 興堂派の近況を宇津利が万太郎に伝えるのでありました。宇津利は門下生を止すと興堂派に伝えた後すぐに、総本部道場の専門稽古生として勇んで入門してくるのでありましたし、こちらの稽古に慣れたら、準内弟子になろうと云う意気ごみでありました。
「最近は体術の乱稽古ばかりですよ、向こうの稽古は」
 夕方の専門稽古が終わった後に、その日晴れて総本部道場の稽古に参加した宇津利を、興堂派の情報収集のために万太郎は内弟子控え室に呼ぶのでありました。そこに居た来間と準内弟子の山田に宇津利を紹介して、この二人にも同席を許すのでありました。
「組形の稽古とか剣術稽古は全くやらないのか?」
「そうですね。準備運動の心算で乱稽古に入る前に当身の単独形を、夫々勝手に十五分程度やるくらいですかね。稽古開始の一同揃っての神前への礼もありません」
「神前に礼もしないで稽古を始めるのですか?」
 宇津利と同い年である来間が、未だ馴染みが薄いので敬語を使うのでありました。
「神前への礼も、稽古生同士の礼もありませんよ。道場に入ったら一応その日の担当指導員の傍に行って挨拶しますが、それもちょいと頭を下げるだけの立礼ですね」
「何やら武道の道場と云うより、ボクシングとか横文字格闘術のジムみたいな感じだな」
 万太郎は眉間に縦皺を作るのでありました。
「若先生、じゃなかった、今は筆頭範士になっている御方の方針らしいです」
「若先生は、今は筆頭範士と自称されているのか?」
「若先生が筆頭範士で、板場さんが範士、それに堂下が範士代理だそうです」
 宇津利はそこで揶揄の笑みを浮かべるのでありました。
「ほう、堂下が範士代理ねえ。教士と云う名称は使わないのか?」
「そうですね。それから筆頭範士は濃茶の、カシミヤのような風あいの袴を着用されています。板場さんが綿の黒で、堂下が紺色です。称号に依って袴の色を変えたようです」
(続)
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お前の番だ! 376 [お前の番だ! 13 創作]

「称号に関係なく黒色木綿の馬乗り袴、と云うのではないんだ?」
「前はこちらと同じでそうでしたが、心機一転と云うところでしょうか。まあ、若先生、じゃなかった、筆頭範士の趣味と、自己顕示のためと云うのが変えた狙いでしょうが」
 宇津利はまたも揶揄の憫笑を頬に浮かべるのでありました。
「すると、準内弟子扱いの者は何色の袴を穿くのでしょうかね?」
 これは準内弟子の山田の質問でありました。
「それ以外の者は、袴を着用しません」
「剣術稽古の時も穿かないのですか?」
「いや、さっきも云ったように、剣術稽古なんかしませんから」
「ああ成程、そう云う事か」
「それよりも、稽古の始めと終わりに一同揃っての礼をしないというのが、自分は気になりますね。武道は礼に始まって礼に終わると、世間でも知られているじゃありませんか」
 これは来間の感想でありました。
「前から若先生、じゃなかった、筆頭範士は礼儀作法が苦手な人でしたからね。まあ、それにしては自分に対する他人の礼儀の方は、前もやけに重んじられていましたけれど」
 宇津利は興堂派と縁を切った故か、威治教士、じゃなくて、威治筆頭範士に対して、なかなか辛辣な当て擦りを連発するのでありました。
「礼を重んじないと云う事は、嘗て命の遣り取りのために創られた武技をこれから稽古するのだと云う、自分や相手に対する緊張感や寛恕の気持ちを養わないと云う事になるのではないですか? それは武道稽古の本質にとって危険な兆候であると思うのですが」
 来間はそう云って眉宇に憤懣の色を表すのでありました。
「あの筆頭範士が、そんな小難しい理屈を考慮しているわけがないじゃないですか。稽古生同士ざっくばらんに、時々冗談や頓狂な声なんかも飛ばしながら、ふざけ半分に楽しく稽古が出来るとなると、入門者も増えるんじゃないかとか云う浅はかな魂胆でしょうよ」
「そうなると、もう、武道、じゃありませんね」
「良いんですよ。世間の関心を集めるようなユニークな稽古が売りで、ごっそり減った門下生の数がまた元に復して、月謝がガンガン入るようになればそれで御の字なのですよ」
「技を追求しようと云う真剣な姿勢なんか、無意味と云う事ですか?」
「真摯な姿勢では儲かりませんからね。現に最近は、礼儀は煩く云われないし、堅苦しい組形稽古で細かい事を注意される事もないし、要するに勝てば良し、と云いうシンプルな考えの試合重視の稽古になったから、前より俄然面白くなった、とか云う古くからの門下生もいます。今の興堂派の本部道場では、稽古中に正坐をしている者なんか見ませんよ。小休止している者ははだけた道着を直しもしないで、胡坐か足を投げ出してだらしなく畳に座っています。自分なんかはそう云うのに嫌気が差して興堂派を辞めたわけですがね」
 万太郎はこの宇津利の話しを聞きながら、どうしたものか嘗てあゆみに横恋慕してフラれて総本部道場を辞めた、新木奈の事を不意に思い出すのでありました。そう云えばあの新木奈は、今頃どうしているのでありましょうや。
(続)
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お前の番だ! 377 [お前の番だ! 13 創作]

 夕食後に万太郎は是路総士に、宇津利に聞いた話しを掻い摘んで聞かせるのでありました。是路総士はさもありなん、と云った顔つきで話しを聞いているのでありました。
「まあ、そんな風になっているのだろうと、ぼんやりながら予想はしていたが」
 是路総士はそう云って居間から食堂の方に居る万太郎を見るのでありました。
「試合重視、と云うのは、贔屓目で見ればですが、判らない事もないです」
 万太郎は敢えてそんな事を云ってみるのでありました。
「組形でしっかり技を自分の体に浸透させて馴染ませる事が出来た上で、その技の色んな状況下での使い方を錬ると云う意味に於いては、試合は重要な稽古法の一つだろうな。ま、しっかり自分の中で技が血肉となっている、と云うのが大前提だか」
「技がしっかり出来ていないのなら、確かにその不完全な技を使って試合しても、武道の稽古としては無意味でしょうね。ま、単なる喧嘩術としてなら試合慣れしていた方が有利と云えば有利でしょうが。しかしそれも個々の資質に依るところが大きいでしょうし」
「弱い者が強い者を相手にする時に技が必要なので、初めから強い者には技は要らなかろうよ。ま、試合ばかりやっていれば、弱い者でも一定程度喧嘩の腕は上がるだろうが」
「それはもう、武道、ではありませんよね?」
 茶を淹れた来間がそれを是路総士が座っている居間の卓上に置きながら、宇津利と話していた時の科白をまた持ち出すのでありました。
「そうだな。少なくとも我々が専らにしている武道とは異質だな。常勝流の技法を継承してそれを後世に伝えるとか、技法をとことんまで磨くとか、それにそう云う稽古の過程で得られる修行者としての境地の揚棄なぞは、殆ど考慮されないだろうな」
「宇津利さんのお話しでは、若先生、じゃなくて筆頭範士は、生前お父上の道分先生が、これからは試合重視の武道でなければ上達しないし技術の発展もない、とずうっとおっしゃっていたと門下生に喧伝されているそうですが、そう云う事はあったのでしょうか?」
 来間はさっさと居間ら退去しないで、是路総士にそう質問を重ねるのでありました。
「いやあ、あの是路さんは、そんなうっかりした事は云わなかったろうと思うぞ」
 是路総士は茶を一口啜るのでありました。「道分さんは上達のためには、組形稽古が先ず必要な事は誰よりも判っていた人だったし、乱稽古ばかりやりたがる者を、上達するための仕組みの判らない空け者と云って軽蔑していた。それは亡くなるまでそうだったな」
「では神保町の筆頭範士のおっしゃっているのは、法螺だと云う事ですか?」
「少なくとも私は、そんな科白は道分さんから聞いた事がない」
「筆頭範士は道分先生の名前を使って、無責任にも僭恣を行っておられるのですね?」
「そう迂闊にここで断言するのは控えるが、そんな事をあの道分さんが云う筈は、先ずなかろうな。常勝流の伝書でも、形を専らにして妄りに試合う勿れ、としてある」
「では今の興堂派は、常勝流の本義を為そうとしていないと云えるわけですね?」
 是路総士はそう訊き募る来間をやや持て余すように見るのでありました。
「ま、筋あいの上からはそうなるだろう」
「そうなら、興堂派に常勝流の名前を使うのを止めて貰うべきではないでしょうか?」
(続)
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お前の番だ! 378 [お前の番だ! 13 創作]

 来間がそう云って是路総士をじっと見るのでありました。
「来間、随分思い切った事を云うなあ」
 食堂の方から万太郎が声を出すのでありました。是路総士も来間も万太郎の方に顔を向けるのでありましたが、来間の顔には何やら思いつめたような色があるのでありました。
「自分のような下っ端が云うのは不遜かも知れませんが、自分は常勝流を学ぶ者として、興堂派の筆頭範士の仕様は、どうにも許せないと思うのです」
「気持ちは判るが、相手は独立した別派でもあるし、今のところはっきり喧嘩を売ってきているわけでもない。こちらから、殊更事を荒立てる必要はないだろう」
 万太郎は来間を窘めるような云い方をするのでありました。
「しかし、常勝流武道の宗家である総士先生に無断で、それにあたかも道分先生の方針であったかのような捏造まで行って、常勝流の稽古法を自分の都合の良いように変容させているのですから、これはもう総士先生に譴責されても仕方がないと云うものですよ」
「成程、私が譴責すべき興堂派の所業、か」
 是路総士がそう、無表情に云うのでありました。
「そうでなければ、常勝流を守るべき宗家の怠慢と云われても仕方ないと思います」
 来間は敢然とそう云い放つのでありました。
「来間、そのくらいにしておけよ」
 万太郎が声を少し荒げるのでありました。「総士先生に対してその云い方は何だ」
「ああ、済みません。竟、云い過ぎました」
 来間は自分の不謹慎にすぐに気づいてたじろぐのでありました。
「お前如きが総士先生をまるで指嗾するような、そんな云い方をするんじゃない。自分を弁えろ。それに総士先生の口に出されない苦渋を、弟子として先ずお察ししろ」
「済みません。指嗾するなんて、そんな心算では毛頭ないのですが。・・・」
「注連ちゃんの意見も、確かに一理あるわ」
 洗い物にかまけて今まで話しに加わらなかったあゆみが、水仕事を終えて手を拭きながら万太郎の傍に来て横の椅子に座るのでありました。「お父さんが曖昧な態度で何も発言しないのは、興堂派に対して必要以上の遠慮だとあたしも思うわ」
「いや、総士先生は態度を曖昧にされているのではなくて、今は効果的な時期を計っていらっしゃるのだと僕は思っています」
 万太郎は横のあゆみを見るのでありました。
「未だそのタイミングじゃないって事?」
「そうです、と僕が応えるよりは、総士先生に直接お聞きになる方が確かかと」
「それはそうね」
 あゆみは頷いて是路総士の方に万太郎越しに身を乗り出すのでありました。「どうなのお父さん、時期を見て興堂派の横着にお灸を据えに行く心算はあるの?」
 父娘の気安さからか、あゆみは是路総士にざっくばらんにそう訊ねるのでありました。
「ま、未だあれこれ様子見だ、今のところは」
 (続)
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お前の番だ! 379 [お前の番だ! 13 創作]

 是路総士はそう云って茶を啜るのでありました。「私は形式的にしろ威治君の後見を頼まれてもいるから、目に余る脱線があればそれを諌める責任はある。しかしどうせ意見するのなら、事態が窮まる直前、と云うところを狙った方が、効き目があるだろうよ」
「事態が窮まる直前、と云うのはどういう状況なの?」
「事が思うように推移しないで、威治君が自分のやり方に自分で疑問を感じ出した辺り、と云うところかな。そう云う時期ならひょっとしたら、私の意見でも聞く気になるだろう」
「その時期がちゃんと判るかしら?」
「そのために鳥枝さんや花司馬君や、先程の折野の情報なんかが重要になる。情報を丁寧に積み重ねていると、今までとの違和の兆しが必ず見えてくる」
 これは武術家として、と云うよりは武略家としての是路総士の側面でありましょう。常勝流を本質を失わないようにしながら戦後に応変させて、今日の興隆を導いたその手腕等は正に、是路総士の優れた武略家としての才の表れでありましたが、若し是路総士が戦国時代に生まれていたら、大した軍師となった事であろうと万太郎は思うのでありました。
「僕等が短気にあれこれ気を揉むよりも、総士先生のお考えにすっかりお任せする方が、間違いがないと僕は思いますよ。だから我々はそれに資するような情報収集に徹して、それを逐一総士先生にお伝えすれば良いのではないでしょうか」
 万太郎はそう云ってあゆみに確信有り気に頷いて見せてから、居間に未だ居座っている来間の方に顔を向けるのでありました。「だから来間、気持ちは察するが、総士先生に情報をお伝えしても、お前の短慮な意見は持ち出すな。総士先生にとっては煩わしいだけだ」
「押忍。判りました」
 来間はそう云って少し悄気たような顔で立ち上がるのでありました。
 鳥枝範士の集めた情報、それから興堂派から移って来た門下生達の情報で大概を組み立ててみれば、どうやら威治筆頭範士は総本部の常勝流の在り方とは全く違う方向に踏み出す魂胆のようでありました。それはもう武道と云うよりは格闘術或いは格闘競技と呼ぶべきものでありましたが、かと云ってその総帥たる威治筆頭範士が、様々な格闘術に通じていて、それを一定程度極めているとは、万太郎には到底思えないのでありました。
 威治教士は瞬間活殺法の先生やら内弟子落伍者を招聘する他に、空手や柔道やレスリング等から人を集めているのでありました。これらの人は其界の指導者クラスと云うのではなく、どちらかと云うと異端の方に属する者達のようでありましたから、瞬間活殺法の先生同様、何となく胡散臭くて如何わしいと云えなくもない連中のようでありました。
 それで以ってこの連中に常勝流の乱稽古を俄か仕込みに仕込んで、残った門下生達と試合稽古をさせているようでありました。その目論む先は確とは見えないのでありますが、何やら荒涼たる武道的風景が広がっているようにしか万太郎には思えないのでありました。
 古い門下生がゴッソリ抜けた後には、それを補うと云うには貧弱ながら、この威治筆頭範士のやり方に新味を覚えるのか、或いは興堂範士の威名を、もう手遅れと云える程遅蒔きながら慕ってか、新入門者がボチボチと来るようでありあました。新しい入門者は興堂範士が既にこの世にはなく、二代目が後を継いでいる事すら知らないようでありました。
(続)
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お前の番だ! 380 [お前の番だ! 13 創作]

 しかし昔を知らない者にとっては、全く異形と云える程に変貌した今の様態が、興堂派の元々の姿であり稽古のやり方であると勘違いして仕舞うのは仕方のない事であります。あの威治筆頭範士の事でありますから、その辺りの勘違いを自分に都合良く、全く無責任に逆用して、新しい門下生を道場に引き留めようとするでありましょう。
「興堂派の本部に嫌気が差した門下生達は、都内にある興堂派の支部の方に流れるか、ウチの支部にも新しい稽古場を求めてやって来ています。興堂派の地方の支部は未だ比較的安定を保っていますが、それは威治に影響力がないためで、威治の方針を無視して前の儘の稽古をやっているようです。地方の支部長クラスは、威治を総帥として評価してはいない者が多くて、ひょっとしたら独立と云う道を選ぶかも知れませんし、支部ごと丸々ウチの方に鞍替えしようとする動きも、二三と云わずかなりの数があるやに聞いております」
 これは数日後の、総ての稽古が終わった夜に、是路総士に最近の情報を入れる鳥枝範士の話しでありました。その場には万太郎とあゆみも同席しているのでありました。
「支部の離反現象が顕著になれば、大いに威治君の気持ちが揺らぐでしょうかな」
「いやいや、どうしてどうして」
 鳥枝範士は掌を横にふって見せるのでありました。「会長が強権発動して支部の自由な動きを封じていますから、おいそれと支部も離反は出来ないでしょうなあ」
「その発動している強権と云うのは?」
「興堂派の傘下にいるからこそ道分先生の威名を利用出来るので、離れたら道分先生の名前は一切使わせないと云う事のようです。確かに支部としては、道分興堂の常勝流興堂派、と云う看板がなければ、なかなかその地域で活動し難くなるでしょう。それに離反に動けば、脱退ではなく除名処分となるような話しですから、それでは後々困りましょう」
「強権と云うよりは、一種の恫喝ですな」
 是路総士は眉根を寄せるのでありました。
「特に大きな所帯の支部は、看板のつけ替えは致命傷になる場合がありますからな。勿論、それでも離脱すると息巻く支部もあるやに聞いておりますが」
「我々の方にも小難しい問題が飛び火してきそうですね」
「もう火の粉は降り始めております」
「確かに徐々にそんな兆候がありますかな。雪崩を打って、と云う風ではないにしろ」
「興堂派の最も大きな支部である広島支部が、威治の遣り様に腹を据えかねて、道分先生の偉業を守るためにも、と云う思いから近々離脱に動くような気配です」
 鳥枝範士は具体的な生臭い話しを始めるのでありました。
「広島支部と云うと、嘗て総本部から独立した道分さんの初期の内弟子だった、須地賀さんの処ですね。あの人は正義感の強い頑固者で通っている人ですからなあ」
「そうです。しかもなかなかに経営的な面も遣り手だと評判の、須地賀徹君です」
「その広島支部の離脱は本当なのですか?」
「私の知りあいの興堂派の理事からの情報です。その理事と須地賀君は気があうようでして、色々こみ入った相談なんかも頻繁に電話でしているようです」
(続)
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お前の番だ! 381 [お前の番だ! 13 創作]

「ほう、そうですか。ところで、その鳥枝さんの知りあいの理事さんご本人は、一連の騒動に嫌気が差して、興堂派の理事を辞めるとかおっしゃっておられないのですかな?」
 この質問は、広島支部の須地賀氏に離脱の相談をされているのだから、鳥枝範士の知り合いの理事も、一蓮托生の心算でいると云う是路総士の推論でありましょう。
「ええ、辞めたがっております。任期があと一年残っていて、会長に慰留されていると云うのもありますが、ワシが情報収集のために残って貰っていると云う側面もあります」
「ああ成程。鳥枝さんの諜報員と云うわけですね」
 是路総士はそう云って笑うのでありました。「ところで広島支部は興堂派から離れて、その儘自立してやって行けるのですか?」
「多分大丈夫でしょう。地元にしっかり根を下ろした団体ですから。しかし、常勝流、の名前の使用問題があるので、独立した後にウチの方にコンタクトしてくるでしょう」
「ああそうですか。まあ、名前の使用の件はまた後の問題として、取り敢えずその広島支部の独立が、興堂派支部の様々な動きの引き金となるような気がしますね」
「そうでしょう。独立か残留かで浮足立つ支部がかなりあると思いますね」
「広島支部がこちらにコンタクトしてきた辺りで、威治君と一度接触してみますかな」
「そうですね。そうすればこちらが関与する理由が立ちます。広島からこういう話しが来ているが、興堂派は今どうなっているのか、と云って総本部に呼び出しますかな」
「事の運び方としては、すっきりしていますな」
 このような対応方法が一決したところで、万太郎が口を開くのでありました。
「それで、総士先生は興堂派をこの先どう扱うお心算なのでしょうか?」
「威治君の了見次第だが、支部の事情や要望を広く聞き入れて、その意向に沿った形での流派運営に還るなら、それに常勝流を名乗る以上、常勝流の技法や稽古法をしっかり守る意志があるのなら、これまでと同様の交誼を保証しようと思うが」
「しかし威治先生が、あくまで自分がやろうとしている形に拘るようなら、どうされるお心算でしょうか? 何か妥協策のようなものをご用意されているのでしょうか?」
「そうなれは向こうの会長の真似ではないが、常勝流からつれなく破門するまでよ」
 鳥枝範士が代わって応えるのでありました。
「しかし破門と云っても、元々総本部からは独立した会派ですから」
「つまり、常勝流、の名前を使わせないと云う事だ。常勝流、も、常勝流武道、も、常勝流武術、も、・・・それに、ええと後幾つか、総士先生の権利所有と云う事で商標登録を済ませた。だから威治には勝手に、少なくとも向後十年間、常勝流、を使わせない事は出来る」
「ああ、商標登録ですか。・・・」
「何だ、何か文句でもあるか?」
 鳥枝範士は万太郎を睨むのでありました。
「いや、何となく武道と、商標、と云う言葉がしっくりこないだけです」
「実はワシもそう思う。だから今まで登録に関しては迂闊にも全く無関心であった。しかし事がこのように推移すると、その辺も必要措置になる。懇意の弁護士の入れ知恵だが」
(続)
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お前の番だ! 382 [お前の番だ! 13 創作]

「威治先生が常勝流の名前よりも、自分のやり方に拘るなら、これまでと同様の交誼は止しにすると云う事になりますね?」
 万太郎は是路総士に念を押すような聞き方をするのでありました。
「ま、そうなれば致し方ないな」
「絶交、と云う事でしょうか?」
「こちらからは何も交流を求めないだけだ」
「この先、と云ってもかなりの先ですが、ひょっとして情勢が代わって、向こうからコンタクトを求めてくるような場合は、接触を持つ事もあるのでしょうか?」
「実はそう願うところではある。何と云っても威治君は道分さんの血を受けた子供だからなあ。私としても出来る事なら、この世界で身が立つように力になってやりたい」
「しかし勿論、今の儘の了見じゃあ、総士先生もお力にはなれないと云う事だ」
 鳥枝範士が是路総士に成り代わって言葉を続けるのでありました。是路総士は鳥枝範士のその補言が終わると、ごく小さく頷いて見せるのでありました。
 この間、あゆみは是路総士と鳥枝範士、それに万太郎の話しを聞いているだけで 会話の輪から少し距離を置いたような風情で、何も自ら発言をしないのでありました。それは、自分如き若輩が敢えて発言するのは畏れ多いと云う一種の謙譲からか、それともあんまり愉快でない因縁のある威治筆頭範士の動静が話題の中心にあるので、心秘かに忌避したいがためにそうしているのか、それは万太郎には明瞭には判断出来ないのでありました。
 若輩と云えば万太郎は年齢とキャリア、それに役職の上でも、あゆみよりももっと若輩と云うものであります。ならば自分もあゆみの態度を見習って、行儀よく、是路総士と鳥枝範士の会話を聞くだけに徹しているべきだったのかも知れないと反省するのでありましたが、まあこれは、この時俎上に上がっている主題とは何の関係もない事でありますが。

 それから旬日程経った或る日、鳥枝範士の知りあいである興堂派理事の佐栗真寿史氏と、興堂派広島支部長の須地賀徹氏が揃って総本部を訪ねて来るのでありました。この日は寄敷範士の指導日でありましたが、是路総士と、それに後から合流する鳥枝範士も交えて五人で話しをすると云うので、夜の一般門下生稽古は万太郎が中心指導を代わるのでありましたし、あゆみの方は小金井に出張指導に行っているのでありました。
 稽古を終えて万太郎が準内弟子の片倉、山田の両名と伴に母屋の食堂帰ってくると、程なく師範控えの間の廊下に伺候していた来間が、お客さんがお帰りになると告げに来るのでありました。取って返す来間と一緒に、万太郎も座敷の方に向かうのでありました。
 二人が師範控えの間前の廊下まで来ると、丁度座敷の障子戸が開くのでありました。万太郎と来間は慌てて廊下隅に正坐して律義らしい物腰で床に両手をつくのでありました。
「おお、折野も居たか」
 最初に出てきた寄敷範士が廊下に畏まる二人に声をかけるのでありました。万太郎と来間は先ず、その寄敷範士に対して座礼を送るのでありました。
「押忍。お客様のお帰りと聞きましたので、お見送りに伺候いたしました」
(続)
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