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合気道の組形稽古について 15 [合気道の事など 2 雑文]

 では組形稽古をどのように実践していくかと云う点でありますが、先ずは各技、第一挙動目、二挙動目、三挙動目・・・、と挙動目毎に立ち止まって動きの同調性を確認しつつ、始動から終動までを通すと云う形式で行います。仕手は体の安定を心がけながら受けの動きとズレが生じない事を専らに動作を進めます。仕手が受けの動きに遅れると一瞬引きあいや押しあいと云う対抗性が生じますので、これを挙動中から除去していく事を心がけます。ですから最初は早い動作で行わずに、受けは努めてゆっくり挙動毎の役割を果たします。
 この形式で同調性が一定程度まで錬れたら、今度は矢張りゆっくりとした動きで挙動目間の動作間隔を次第に縮めていきます。そして最終的には第一挙動目、二挙動目・・・、と区切って挙動間に途切れ目を設けないで技の始動から終動までを一連の動き、云ってみれば総ての動きを一挙動に纏める事を目指します。しかしあくまでも仕手は受けに「呼応」して動く事が肝要であります。ですから最後まで、ゆっくりとした動作で技を完了させます。
 その後に今度は一連の動きに速度を加えます。受けがその速度を主導し、仕手はそれに同調する事に専心します。速度が増していくと次第に同調性が崩れ易くなり、互いの対抗性が増大していきます。ここで稽古者同士の個々の組形稽古に対する真摯さと認識の深さが問われます。受けに仕手を翻弄してやろうと云う「邪心」が出たり、仕手が自分の低い同調性に焦れて、受けの体勢回復動作の起こりを未だ感得しないのに先走って動いて仕舞うと云う組形の崩れであります。そうなると組形稽古の意味は何時しか雲消霧散して、ここからは稽古ではなく、実質のない武道ごっこと云う遊びが始まって仕舞うのであります。
 あくまでも仕手は自分の「呼応」力を磨くのだと云う真摯さを散逸させる事なく、また受けはその仕手の真摯さに見あうだけの、質の高い受けとしての役割を担っていくのだと云う気概を喪失せずに、互いのこの真摯さと気概をそれこそ同調させて組形稽古に取り組まなければ、合気道の上達を得る事は難しいでありましょう。またそう云った稽古を専らとするからこそ、理念的な意味に於いても「争わない」或いは「競りあわない」で「気を和する」ところの「愛の武道」としての心骨を養成出来るのでありましょうから。まあ、合気道界を俯瞰すると、この理念からは程遠い現実が一部にあるようでありますが。・・・
 それからこの一文で時に使用した「後の先」とか「先の先」或いは「先先の先」と云う事について少し述べておきます。これは武技の発動に於ける主に初動の機微を表現した言葉でありますが、相手の攻撃の動きの起こりを捉えて「先」を取るのが「後の先」、相手の攻撃の気持ちの起こりを捉えるのが「先の先」、攻撃以前の相手の「殺気」「邪気」を捉えるのが「先先の先」であるとします。剣術の長い歴史の中で覚悟された必勝術であります。
 また一方、植芝盛平大先生の言葉に「先」をその様に分けてはならないし「合気道の先は一つで最初からこちらが既に勝っている」とか「こちらが動いた時にはもう終わっている」とかと云うものが伝わっております。これは対峙時の相対的な駆け引きに捉われないで絶対的な位相に在れと云う大先生の教えであり、大先生の余人の為し得ない厳峻な修行の果てに到達された境地であります。しかしその大先生の境地を客観に捉え変えれば、奥村繁信先生が指摘されるように、これは見事な「先先の先」であろうと思うのであります。この「先の先」「先先の先」の稽古が「後の先」たる組形稽古の先に在るのでありましょう。
(了)
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