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富士夫と云う芸人さん [散歩、旅行など 雑文]

 因縁と云うのはあるような、ないようなと云う話であります。都合でなななか寄席に足を向けずにいて、ようやく暇が出来て久しぶりに行ってみると、別にお目当てにしていたわけではないのですが、必ず高座でお目にかかる芸人さんがいらっしゃいました。曲芸の東富士夫師匠であります。
 当初は気にもしていなかったのでありますが、そう云えばいつも富士夫師匠が出ているなあとふと思ったら、これが因縁のつきはじめであります。行く度に貰ったプログラムに目を通すと、必ずと云っていい程「曲芸 富士夫」の文字がそこに鎮座しているのであります。富士夫師匠の出演ローテーションと拙生の寄席に行くリズムとが、何故か妙に同調していたのでありましょう。仕舞いにはプログラムを開く前から「曲芸 富士夫」の文字がその表紙に浮き出て見えるようになるのであります。いや、まだ電車で寄席に向かっている時点で、きっと今日も出てくるに違いないと云う予感が、揺れる頭の中で明滅しているのでありました。
 富士夫師匠の芸はまことに静かでありました。高座では一言も喋らないで微笑んだり困っようなた表情をしてみせたり、間の抜けたような顔を作ってみせると云うのが喋る代わりの愛想で、あとはちんまりと正座してひたすら手を動かして曲芸を見せるとか、二つに畳んだ座布団に尻を乗せて寝転がって危な気に足で樽を回したりと云ったスタイルであります。海老一染之介・染太郎師匠の対極を行く芸風でありました。地味と云えば地味、まあ、枯れた味わいと表現すればいいのでしょう。その風貌と云ったらいかにもその辺に居る叔父さん風で、見様によってはどこかの中小企業の社長さんのようでもありました。
 正座してスキーのストックでポリバケツの蓋を回しながら(考えれば玄人にしては随分と安直に用意した小道具でありますよね、これって)ちょっと気を抜いていたら、いつの間にか蓋が落ちていてそれに気づかず、まだストックだけを気の抜けたままの顔でまわし続ける、と云ったいつもの古風なボケを見ながら小さく笑って、はて、何故こうも寄席に来ると必ず富士夫師匠と遭うことになるのかと暫し考えるのでありますが、因縁としか云いようがないでありましょう。
 その内富士夫師匠を見ないでは、寄席に来た甲斐がないような心持ちになってくるのでありました。電車の中で、もし今日富士夫師匠が出ていなかったらどうしようと半ば動揺するよになるのであります。志ん朝、小三治、談志、円楽、円歌、それに三平、円菊、馬生、時に円生、後の彦六で当時は正蔵等の錚々たる師匠連をさし置いて(と、こう云う云い方は富士夫師匠に失礼になるかも知れませんが)色物の富士夫師匠をお目当てにしているような自分が、自分でも不可思議極まりないのでありました。
 その富士夫師匠を地下鉄の浅草駅で見たことがあります。夏場で、いかにも地味ななポロシャツにベージュのズボン姿は芸人の派手やかさが微塵も匂わず、この人が芸人かと思うくらいの極々ありふれた姿であります。時間からしてきっと演芸ホールの昼席を終えての帰りであったのでありましょう。拙生はどきりとして立ち止まり、師匠がホームへ向かって歩く姿を暫し目で追うのでありました。拙生の顔はなにやら憧れの有名人を見るような、うっとりした表情であったろうと思います。
 そうしてはたと気づくのでありました。と云うことは、この後の夜席には富士夫師匠は出ないと云うことか、と。拙生の衝撃はかなりのものでありました。急に演芸ホールへ行く目的を失ったような心持ちになるのでありました。で、どうしようかと迷った挙句についにその日は演芸ホールへは入らず、近くのバラック建ての一杯飲み屋に入りこんで時間を潰して、そのまま歩いて当時住んでいた本郷のアパートへ帰ったのでありました。
 寝床に入って暫し考えたのであります。本来は落語を聴く目的で寄席に行っているはずなのだと。決して富士夫師匠の曲芸がその通う目的ではないはずなのです。ですから富士夫師匠が出ないと判ったからと云って、寄席に立ち寄るのをやめた今日の拙生の行動てえものは、はたして美しい青春を生きる男として正しい態度だったのか、否か。・・・
 考えていると次第に目は冴え意識は自責と苦悩の螺旋階段を登り続け、ついに朝を迎えてしまいました。富士夫師匠は拙生にとってなんと悩ましい存在となっていたのかと、今更ながらに布団の中で気づくのでありました。こういう苦悩と愛憎の時を右往左往していた拙生の青春時代を、仕様もないとお考えであるならどうぞ遠慮なく、笑わば笑え。・・・
(了)
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コメント 6

ギネス

曲芸の富士夫師匠、なんとも地味ながら、妙に惹かれていたのは私もそうでした。学生時代、祖母のお伴で良く寄席、国立小劇場、TBSホール等に出かけましたが、富士男師匠のことは、とても気になっていました。同じような方がいらっしたのかと思い、とても感激しました!
by ギネス (2008-10-15 00:15) 

汎武

ギネスさんコメントを有難うございます。富士夫師匠の芸風は、勿論芸自体は見事に創られたものでありましょうが、どこか危うげな風情があって、なにやら自分のお爺ちゃんが人前で芸を披露しているのを心配しながら見ているような、そんな妙な親近感とハラハラ感がありましたよね。
ギネスさんのブログを、ちらとですが拝見いたしました。本郷に千川湯と云う銭湯が昔あって、そこのことを今度書いてみようと思っていたところでありました。
by 汎武 (2008-10-15 09:35) 

sat

五年も後になってコメントもないか~と思いますが
東富士夫さん懐かしくて…
私が子どもだった50数年前
寄席で心に残った芸人さんでした
なんてことない テンション上げない でいてそらさない
引き立て役見事に果たして
自分も生きている
色物のかがみ
自分もこんな空気なようないきかたしたいと憧れたのを思い出しました
懐かしさのあまりコメント失礼しました ありがとう
by sat (2013-07-09 15:44) 

汎武

satさん、コメントを有難うございます。
富士夫師匠の芸をもう一度堪能したいですね。
あと、百面相の波多野栄一師匠の「姑娘です!」も、
もう一度見たいと、この頃ふと思い出したりします。
波多野栄一師匠は富士夫師匠程、頻繁に講座で
拝見する事は出来なかったですが。
by 汎武 (2013-07-09 16:16) 

akanishiya

東富士夫を知っている寄席ファンも少なくなりましたね。
曲芸と表記されていますが、寄席のプログラムには曲技と書いてあったように記憶していますが? フェンシングの剣で皿回しをやっていたし剣鍔にブラジャーのパットを付けてましたね。
百面相の波多野栄一も懐かしいです。2丁拳銃が印象に強いです。


by akanishiya (2015-03-20 16:44) 

汎武

akanishiyaさん、細部が蘇ってくるようなコメントを有難うございます。
ああ、曲技、でしたかねえ。
そうそう、剣鍔は確かにパットでしたねえ。
お弟子さんはいらっしゃらなかったのしょうかねえ?
by 汎武 (2015-03-20 17:14) 

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